一つの予感があった。躑躅が崎に出仕するのに必要のないものを、幸村は持ってきていた。
知らないふりをしていたが、やはり咎めるべきだったと後悔する。
「申してみよ」
「真田家の家督を叔父上にお譲りし、それがし、真田を出とうございます」
ざわ、と家臣団がざわめいた。いくつか言葉が飛び交うが、信玄が扇を閉じるとそれも途切れた。
「……理由を、問うぞ」
「それがしは女子にございます。元々家督を継ぐ立場ではなく、叔父上が継ぐのが順当にござる」
「家督はそうであるのう。――じゃがのう、出奔はせずともよかろう。敵方に囚われたことは、
恥じることではあるが、そこまでのものではないぞ?」
「いえ、これ以上ない恥にござる。それがしが家督を継いだが故に、家名に泥を塗って
しまいました。――願わくば真田の名を捨て、上田の地をお館様に返上致しとう存じます」
佐助は歯軋りをした。
信玄はどこに行くかは問わない。そうか、と言って脇息に置いた腕に顎を乗せた。
扇を手持ち無沙汰に開いては閉じ、黙考する。
幸村は女の格好にふさわしくない潔さで頭を下げ、ひたすら小さくなっている。
「――確かに、幸村の言うことに一理はある」
佐助は思わず顔を上げた。下座にいた家臣が咎めるような視線を送るが、気にしてなどいられない。
命より大事な主君が武田を飛び出そうとしているときに、礼儀など気にできない。
「なれど、家名を捨てる必要はあるまい。いずれ、必要となろう」
「いえ、どうか、それがしをお捨てください」
「ならぬ。それだけはならんぞ幸村」
信玄は近習を呼んだ。近習は心得たように一度下がり、箱を持ってきた。
知らないふりをしていたが、やはり咎めるべきだったと後悔する。
「申してみよ」
「真田家の家督を叔父上にお譲りし、それがし、真田を出とうございます」
ざわ、と家臣団がざわめいた。いくつか言葉が飛び交うが、信玄が扇を閉じるとそれも途切れた。
「……理由を、問うぞ」
「それがしは女子にございます。元々家督を継ぐ立場ではなく、叔父上が継ぐのが順当にござる」
「家督はそうであるのう。――じゃがのう、出奔はせずともよかろう。敵方に囚われたことは、
恥じることではあるが、そこまでのものではないぞ?」
「いえ、これ以上ない恥にござる。それがしが家督を継いだが故に、家名に泥を塗って
しまいました。――願わくば真田の名を捨て、上田の地をお館様に返上致しとう存じます」
佐助は歯軋りをした。
信玄はどこに行くかは問わない。そうか、と言って脇息に置いた腕に顎を乗せた。
扇を手持ち無沙汰に開いては閉じ、黙考する。
幸村は女の格好にふさわしくない潔さで頭を下げ、ひたすら小さくなっている。
「――確かに、幸村の言うことに一理はある」
佐助は思わず顔を上げた。下座にいた家臣が咎めるような視線を送るが、気にしてなどいられない。
命より大事な主君が武田を飛び出そうとしているときに、礼儀など気にできない。
「なれど、家名を捨てる必要はあるまい。いずれ、必要となろう」
「いえ、どうか、それがしをお捨てください」
「ならぬ。それだけはならんぞ幸村」
信玄は近習を呼んだ。近習は心得たように一度下がり、箱を持ってきた。
箱には白い打掛が入っていた。
金糸銀糸で華麗な刺繍が施され、さりげなく真田の家紋と武田の家紋が入ったそれは、誰の目にも嫁入り装束に見えた。
「お館様……これは……」
打掛を持った幸村は、呆然と信玄を見た。
「儂には、それを用意してやるのが精一杯であったわ」
「お館様……」
「幸村ぁ! 真田の名に恥じぬ、立派な女子となれ!」
「お館様ああぁぁ!!」
わっと家臣は耳を塞いだ。女の格好をしようと、雰囲気が変わろうと、根本はまったく変わっていない。
二人の気の済むまで、至近距離で大声を出し合う呼びかけは続いた。
金糸銀糸で華麗な刺繍が施され、さりげなく真田の家紋と武田の家紋が入ったそれは、誰の目にも嫁入り装束に見えた。
「お館様……これは……」
打掛を持った幸村は、呆然と信玄を見た。
「儂には、それを用意してやるのが精一杯であったわ」
「お館様……」
「幸村ぁ! 真田の名に恥じぬ、立派な女子となれ!」
「お館様ああぁぁ!!」
わっと家臣は耳を塞いだ。女の格好をしようと、雰囲気が変わろうと、根本はまったく変わっていない。
二人の気の済むまで、至近距離で大声を出し合う呼びかけは続いた。
佐助はそれを、遠い世界の絵巻物を見るような目で見ていた。




