重たい瞼を開けると、見知らぬ天井が視界に飛び込んだ。
ぐるりと視界を巡らせば、そこは既に血の臭いが立ち込める戦場ではなかった。
質素ながらも随意に技巧を凝らした書院造の客室だ。
今一度目を閉じ耳を澄ましても、人の話し声すら聞こえない。
時折、遠くから山雀の鳴き声が聞こえてくるばかりだった。
ゆっくりと身を起こすも、脇腹に鈍痛が走る。
見れば腹から胸にかけて清潔な包帯がきっちりと巻かれ、手当てが施されていた。
いつの間に着替えさせられたのか、下ろし立ての着物は肌にしっとりと馴染んでいる。
生きている。
ぽつり、と布団に小さな染みが落ちた。
生が、虚しかった。
何もかも喪いながら、俺は何故生きているのだ。
ふと、音もなく開いた障子戸の前に、人の気配を感じて俺は涙を拭った。
「失礼、気が付いているとは思わなかったもので」
そう言いながら、声に狼狽した様子は伺えず、どこか嬉々としたものが混じっていた。
この声に聞き覚えがある。意識を手放す直前に耳にした声だ。
この男が、俺を生かしたのか、とその顔を見上げて全身に戦慄が走った。
「松永……久秀……ッ!」
戦を起こした張本人を目前にして、俺は首筋の毛がぞわぞわと逆立つのを感じた。
「やめておきたまえ。丸腰の君がその傷で、私に敵うとは到底思えない」
久秀は淡々と言い放つと、部屋へと入り後ろ手にその戸を閉めた。
そうは言われても、内側から湧き上がるこのどろどろした感情の矛先を、こいつに向けなければ気が狂ってしまいそうだった。
「大したものだよ。いや、感心する。まだそれだけの獣を内に飼っているとは」
言って久秀は涼しげに目を細めた。
棘のある皮肉に心の臓が痛む。
「君が敬愛する甲斐の虎は死んだのだよ。寵愛していた草も共にね」
目の前から潮が引くように色が喪われて行く感覚を覚えた。
脂汗がどっと滲み出で、脱力感に身体を支えている事もままならなくなる。
喪失感は、俺の闘気をみるみる掻き消していった。
「何故、俺を生かした」
ぽつり、と自問の様に言葉が漏れ出た。
「君を、見ていたのだよ、若き虎よ」
その返答の意味を、俺は理解出来なかった。
久秀は傍らに膝を付くと、虚ろな眼差しの俺の面を、顎を掴んで引き寄せた。
「君は余りにも純粋で、ひたむきで、そして滑稽だ」
ぶつかった視線の温度差は、決して相容れぬ存在であろう事を思わせた。
ふと口唇にぬめりとした感触が降りてきて、俺は思わずその体躯を突き飛ばした。
「な……っにを……ッ」
袖で唇を拭き取りながら、残された気力を振り絞る様に目の前の男を睨み付けた。
「いまいち理解してもらえていない様子なのでね。態度で示してやろうと思っただけだ」
久秀は益々楽しげに口の端を上げると、有無を言わせぬ力で俺の両肩を掴み褥に押し倒した。
「男が女を欲して生かした、と言う非常に解り易い理由をね」
浮かんだその笑みに、ぞくりと背筋が凍り付いた。
「やめ……ッ」
逃れようともがくも、がっしりと押さえ付けられた身体は微塵も動かない。
「抵抗したければするがいい。痛みが増すだけで抗えはしない」
言いながら久秀の掌は乱れた寝間着の裾に割って入って来ていた。
「ひ……っ」
太腿の内側をなぞり上げる冷たい感触に、思わず悲鳴じみた声が漏れ出る。
それがまた屈辱で、俺は自らの口を手で塞いだ。
「これは滑稽だ。戦場では鬼神の如き君が、褥の上では生娘同然とは」
久秀の声は、楽しげだった。まるで新しい玩具を手に入れた子供のように。
「失礼、生娘そのもの…だったかね?なに、恐れる必要はない。既に喪うものは何もないのだろう?」
その言葉が、最後に残された抗う気力すら奪い取って行く。
俺はただ、一刻も早く終わるようにと身体から力を抜いた。
ぐるりと視界を巡らせば、そこは既に血の臭いが立ち込める戦場ではなかった。
質素ながらも随意に技巧を凝らした書院造の客室だ。
今一度目を閉じ耳を澄ましても、人の話し声すら聞こえない。
時折、遠くから山雀の鳴き声が聞こえてくるばかりだった。
ゆっくりと身を起こすも、脇腹に鈍痛が走る。
見れば腹から胸にかけて清潔な包帯がきっちりと巻かれ、手当てが施されていた。
いつの間に着替えさせられたのか、下ろし立ての着物は肌にしっとりと馴染んでいる。
生きている。
ぽつり、と布団に小さな染みが落ちた。
生が、虚しかった。
何もかも喪いながら、俺は何故生きているのだ。
ふと、音もなく開いた障子戸の前に、人の気配を感じて俺は涙を拭った。
「失礼、気が付いているとは思わなかったもので」
そう言いながら、声に狼狽した様子は伺えず、どこか嬉々としたものが混じっていた。
この声に聞き覚えがある。意識を手放す直前に耳にした声だ。
この男が、俺を生かしたのか、とその顔を見上げて全身に戦慄が走った。
「松永……久秀……ッ!」
戦を起こした張本人を目前にして、俺は首筋の毛がぞわぞわと逆立つのを感じた。
「やめておきたまえ。丸腰の君がその傷で、私に敵うとは到底思えない」
久秀は淡々と言い放つと、部屋へと入り後ろ手にその戸を閉めた。
そうは言われても、内側から湧き上がるこのどろどろした感情の矛先を、こいつに向けなければ気が狂ってしまいそうだった。
「大したものだよ。いや、感心する。まだそれだけの獣を内に飼っているとは」
言って久秀は涼しげに目を細めた。
棘のある皮肉に心の臓が痛む。
「君が敬愛する甲斐の虎は死んだのだよ。寵愛していた草も共にね」
目の前から潮が引くように色が喪われて行く感覚を覚えた。
脂汗がどっと滲み出で、脱力感に身体を支えている事もままならなくなる。
喪失感は、俺の闘気をみるみる掻き消していった。
「何故、俺を生かした」
ぽつり、と自問の様に言葉が漏れ出た。
「君を、見ていたのだよ、若き虎よ」
その返答の意味を、俺は理解出来なかった。
久秀は傍らに膝を付くと、虚ろな眼差しの俺の面を、顎を掴んで引き寄せた。
「君は余りにも純粋で、ひたむきで、そして滑稽だ」
ぶつかった視線の温度差は、決して相容れぬ存在であろう事を思わせた。
ふと口唇にぬめりとした感触が降りてきて、俺は思わずその体躯を突き飛ばした。
「な……っにを……ッ」
袖で唇を拭き取りながら、残された気力を振り絞る様に目の前の男を睨み付けた。
「いまいち理解してもらえていない様子なのでね。態度で示してやろうと思っただけだ」
久秀は益々楽しげに口の端を上げると、有無を言わせぬ力で俺の両肩を掴み褥に押し倒した。
「男が女を欲して生かした、と言う非常に解り易い理由をね」
浮かんだその笑みに、ぞくりと背筋が凍り付いた。
「やめ……ッ」
逃れようともがくも、がっしりと押さえ付けられた身体は微塵も動かない。
「抵抗したければするがいい。痛みが増すだけで抗えはしない」
言いながら久秀の掌は乱れた寝間着の裾に割って入って来ていた。
「ひ……っ」
太腿の内側をなぞり上げる冷たい感触に、思わず悲鳴じみた声が漏れ出る。
それがまた屈辱で、俺は自らの口を手で塞いだ。
「これは滑稽だ。戦場では鬼神の如き君が、褥の上では生娘同然とは」
久秀の声は、楽しげだった。まるで新しい玩具を手に入れた子供のように。
「失礼、生娘そのもの…だったかね?なに、恐れる必要はない。既に喪うものは何もないのだろう?」
その言葉が、最後に残された抗う気力すら奪い取って行く。
俺はただ、一刻も早く終わるようにと身体から力を抜いた。