「お前は……俺が殺したのだと……」
「旦那は誰も殺してないよ」
佐助は言った。
「殺してないよ」
そして言う。あの日の惨劇を。
——久秀が焚いた香は、紛れもなく仲間討ちをさせる代物だった。
その為に武田は退却を余儀なくされる程の大打撃を被った。
松永軍の容赦ない追撃により、お館様も佐助も酷い傷を負ったが、影武者を犠牲に何とか逃げ延びていた。
その時俺は……
「意識を失う直前に、自分で自分に手傷を負わせたんだよ」
蘇る、肉を斬る感触、舞う血飛沫。
あれは、俺自身の……?
何故そうしたのかも覚えていない。
身内に害なす危険性を、本能的に察知したとでも言うのか。
理由は分からない。分からないが……
「誰も……殺していない……」
それだけで良かった。
いやそれ以前に、佐助が、お館様が生きていて良かった。
安堵から、気が遠くなる。
崩れ落ちる様に倒れ込む俺の身体を、佐助が両腕で支えてくれた。
塞がれていた視界が開放され、光を取り戻す。
求める様に視線を彷徨わせると、正面の久秀と目が合った。
「ならば尚更……何故斬られた」
全てを知っていながら、何故。
「君が実際にそうしなかった事で、そうさせようと仕向けた私の罪は消えるのかね?」
自嘲する様に言って久秀は、血が肺にまで達したのか、咳き込みながら赤い塊を吐いた。
「新鮮な驚きだった……他人の為に、こうも自身を惜しげなく差し出す者が世の中にいるのかと」
あの日を思い出す様に、ぼんやりと遠くを見つめていた。
「純粋に興味を持った。そして欲した。いや、独占したかった」
言葉は再び、激しい咳き込みに途切れた。
「私に咎があるならば、それは君を得んとした事だろう」
言って久秀は、もはや焦点の定まらぬ目線を、俺に向けた。
「君が眩しかったよ……幸村」
初めて名を呼ばれた気がした。
あんなにも肌を重ねておきながら、初めて通じた気がした。
「……死ぬのか久秀」
尋ねたのは確認ではない、激しい拒否だ。
不意に湧き上がった、訳の分からない感情は、それを必死に拒んでいた。
「このまま逝かせてはくれないか……私の身体は死の病に冒されている」
にわかに信じられぬ話であった。
そんな素振りなど見せた事もなかった。
「どうか、君の手で」
まるで初めからそれを望んでいた様な声色だった。
だからなのか、抱く様に刃を受け入れたのは。
「駄目だ久秀、死ぬ事は許さない」
我ながら勝手だなと思う。
しかし俺にはもう、この男の命を奪う理由が残っていなかった。
佐助の腕を払い、意識の朦朧としている久秀に駆け寄る。
己の袖を破り、それを使って止血を施した。
「俺が欲しいなら久秀、もっと足掻いてみせろ」
布を引き絞り固く結ぶと、久秀は痛みからか小さく呻いた。
「私はどんな汚く卑怯な手段を選ぶか分からないぞ?」
成すがまま、だが恨めしそうに、久秀は呟いた。
「そうしたら、俺が止めに行く」
もう二度と、誰も失わない様に。
「どこに居ても、止めに行く」
それは、決意であった。
「だから君は純粋で、ひたむきで、そして愚かだと……だが、やり遂げるのだろうな、君ならば」
久秀は嘲笑する様に、だが満たされた様に微笑むと、静かに目を閉じた。
「旦那は誰も殺してないよ」
佐助は言った。
「殺してないよ」
そして言う。あの日の惨劇を。
——久秀が焚いた香は、紛れもなく仲間討ちをさせる代物だった。
その為に武田は退却を余儀なくされる程の大打撃を被った。
松永軍の容赦ない追撃により、お館様も佐助も酷い傷を負ったが、影武者を犠牲に何とか逃げ延びていた。
その時俺は……
「意識を失う直前に、自分で自分に手傷を負わせたんだよ」
蘇る、肉を斬る感触、舞う血飛沫。
あれは、俺自身の……?
何故そうしたのかも覚えていない。
身内に害なす危険性を、本能的に察知したとでも言うのか。
理由は分からない。分からないが……
「誰も……殺していない……」
それだけで良かった。
いやそれ以前に、佐助が、お館様が生きていて良かった。
安堵から、気が遠くなる。
崩れ落ちる様に倒れ込む俺の身体を、佐助が両腕で支えてくれた。
塞がれていた視界が開放され、光を取り戻す。
求める様に視線を彷徨わせると、正面の久秀と目が合った。
「ならば尚更……何故斬られた」
全てを知っていながら、何故。
「君が実際にそうしなかった事で、そうさせようと仕向けた私の罪は消えるのかね?」
自嘲する様に言って久秀は、血が肺にまで達したのか、咳き込みながら赤い塊を吐いた。
「新鮮な驚きだった……他人の為に、こうも自身を惜しげなく差し出す者が世の中にいるのかと」
あの日を思い出す様に、ぼんやりと遠くを見つめていた。
「純粋に興味を持った。そして欲した。いや、独占したかった」
言葉は再び、激しい咳き込みに途切れた。
「私に咎があるならば、それは君を得んとした事だろう」
言って久秀は、もはや焦点の定まらぬ目線を、俺に向けた。
「君が眩しかったよ……幸村」
初めて名を呼ばれた気がした。
あんなにも肌を重ねておきながら、初めて通じた気がした。
「……死ぬのか久秀」
尋ねたのは確認ではない、激しい拒否だ。
不意に湧き上がった、訳の分からない感情は、それを必死に拒んでいた。
「このまま逝かせてはくれないか……私の身体は死の病に冒されている」
にわかに信じられぬ話であった。
そんな素振りなど見せた事もなかった。
「どうか、君の手で」
まるで初めからそれを望んでいた様な声色だった。
だからなのか、抱く様に刃を受け入れたのは。
「駄目だ久秀、死ぬ事は許さない」
我ながら勝手だなと思う。
しかし俺にはもう、この男の命を奪う理由が残っていなかった。
佐助の腕を払い、意識の朦朧としている久秀に駆け寄る。
己の袖を破り、それを使って止血を施した。
「俺が欲しいなら久秀、もっと足掻いてみせろ」
布を引き絞り固く結ぶと、久秀は痛みからか小さく呻いた。
「私はどんな汚く卑怯な手段を選ぶか分からないぞ?」
成すがまま、だが恨めしそうに、久秀は呟いた。
「そうしたら、俺が止めに行く」
もう二度と、誰も失わない様に。
「どこに居ても、止めに行く」
それは、決意であった。
「だから君は純粋で、ひたむきで、そして愚かだと……だが、やり遂げるのだろうな、君ならば」
久秀は嘲笑する様に、だが満たされた様に微笑むと、静かに目を閉じた。




