月夜に響く、少しもの悲しいような山犬の声が、とろとろと微睡むまつを覚醒させた。
利家の声が頭上から響いた。
「まつの体、いい匂いがする」
そう言って優しく抱きしめてきた利家が愛おしい。
まつは厚い胸板に額を擦りつけた。
汗の匂いが鼻をくすぐる。その嗅ぎ慣れた利家の匂いを自身の体に染み入らせようと、
まつはひとつ深呼吸した。
こうしているだけで幸せな気持ちになれることが、この上ない幸福だとしみじみ
思う。
「犬千代さま……まつめは幸せ者にござりまする」
言った自分の声が、びっくりするほど暖かで優しい。まつは嬉しくなった。
「犬千代さまはまつめのお天道様……暖かくておおらかで、接した人を優しい気持ちに
して下さるお天道様にござりまする」
「よ、よせよお……」
褒められて照れたのか、利家はまつを抱く手に力を込めた。
それが何だかおかしくて、まつは利家にいっそうすり寄って笑った。
「犬千代さま……」
「まつ……」
「大好きにござりまする」
「それがしもだ」
「犬千代さま……」
「まつ……」
…………
……
…
利家の声が頭上から響いた。
「まつの体、いい匂いがする」
そう言って優しく抱きしめてきた利家が愛おしい。
まつは厚い胸板に額を擦りつけた。
汗の匂いが鼻をくすぐる。その嗅ぎ慣れた利家の匂いを自身の体に染み入らせようと、
まつはひとつ深呼吸した。
こうしているだけで幸せな気持ちになれることが、この上ない幸福だとしみじみ
思う。
「犬千代さま……まつめは幸せ者にござりまする」
言った自分の声が、びっくりするほど暖かで優しい。まつは嬉しくなった。
「犬千代さまはまつめのお天道様……暖かくておおらかで、接した人を優しい気持ちに
して下さるお天道様にござりまする」
「よ、よせよお……」
褒められて照れたのか、利家はまつを抱く手に力を込めた。
それが何だかおかしくて、まつは利家にいっそうすり寄って笑った。
「犬千代さま……」
「まつ……」
「大好きにござりまする」
「それがしもだ」
「犬千代さま……」
「まつ……」
…………
……
…
幸福感でいっぱいになっていたふたりは当然、互いのことしか見えていなかったので、
襖一枚隔てた部屋で、かじりかけの沢庵を片手に身動きが取れなくなっている甥、
前田慶次の存在に最後まで気づくことはなかった。
好きで一部始終を耳にしていたわけではないだけに慶次はひどく戸惑っている様子で、
さりとて迂闊に動けば気配を察せられるのではないか、といった懸念から転じて
軽い恐慌状態に陥りそうになるのを、肩に乗っていた小猿――夢吉の口をそっと抑える
ことで紛らわせている風だった。
襖一枚隔てた部屋で、かじりかけの沢庵を片手に身動きが取れなくなっている甥、
前田慶次の存在に最後まで気づくことはなかった。
好きで一部始終を耳にしていたわけではないだけに慶次はひどく戸惑っている様子で、
さりとて迂闊に動けば気配を察せられるのではないか、といった懸念から転じて
軽い恐慌状態に陥りそうになるのを、肩に乗っていた小猿――夢吉の口をそっと抑える
ことで紛らわせている風だった。
慶次が、まつと利家の愛の巣から出て行くことになる日は目前まで迫っていた。
おわり




