濃姫は信玄の顔を愉快そうに見つめて、それから唇を胸に落とした。
「う、ぐっ」
布越しに当たる、生温かい唇の動きに背筋がぞくりとする。
濃姫の吐く呼気が肌と着衣の合間にこもり、信玄を蝕む熱となって襲いかかった。
湿った熱気が傷にしみる。弄ばれるような、ゆるやかな痛みが気色悪い。
傷口の固まった血を舐めとるように動く唇は、やがて舌から唾液を滴らせて傷をつつき始めた。
「やめよ……!」
どうしようもない嫌悪感が押し寄せ、信玄は鋭く言い放った。
信玄の肉体と精神とに、痛みと嫌悪感が土石流のように襲いかかり、本能が警鐘を鳴らしていた。
お前は獣だと言う濃姫の言葉は、信玄の本質を見抜いたものだと実感した。
巣から落ちた小鳥の雛を人間が親切心から親元に帰してやっても、人の臭いを体に染みつけ
られた雛鳥は親によって巣から排除されることがある。
野生のものは、己の知らぬ臭いを警戒し拒絶するのだ。
信玄も同じだった。
気心の知れない女の肌に触れたいと思ったことは一度もなかった。肌を合わせる者はいつも、
絶対の信頼の上に成り立った情の通い合う、いわば自分と同じにおいのする者だけだった。
女たちだけではなく、自分を取り巻くあらゆる人間に求めるのもそれと同じ種類のもので、
ゆえに相手の性格を掌握することを第一と考えた。だからこそ、信頼できる者へは群れる獣の
強い連帯感と同等の恩情で応えた。信玄の人となりとは、獣並みの警戒心と潔癖さを由来と
したものだった。
「…………」
ぞくぞくとした悪寒を感じながら、信玄は不意に風林火山の旗印を頭に浮かべた。そして、
現実逃避のように考えを巡らせたが、濃姫の顔が胸のあたりで動くたび意識は散漫してしまう。
「うふふ……かわいそう」
濃姫の舌がぺちゃ、という音を立てて傷口を抉った。
腹から伝わる女の肌の温かさに、信玄は鳥肌を立ててさえいた。耐え難い苦痛だった。
知らぬ人間の体温など、感じたくない。傷口の乾いた血を舌で舐めとる行為は、こんな状況下で
なされるものではないのだ。
濃姫は信玄の胸の刀傷をひと撫でしてから、裂けた衣と肌との間に指を滑り込ませる。そのまま
両手で裂け目を掴み、ぐっと力を込めた。
虎の毛皮をあしらった装束は拍子抜けするほどあっけなくさらに裂かれて、信玄の肌は冷たい
外気に触れた。
胸を割かれて腑分けされるような、己の内側を暴かれる感覚は、信玄を狼狽させた。
着衣を脱ぎ捨てたとき、そこに残るのはどんなかたちの獣なのか? そう問いたげに笑う濃姫の
唇が、あらわになった肌の上に落ちた。
脂汗でじっとりと濡れて光る腹のあたりに唇の柔らかい感触がしたかと思うと、それは蠢いて
傷口の長い線をなぞり始める。
濃姫は上唇と下唇の間から舌先をわずかに出し、小刻みに動かした。
「うっ」
舌からつたう唾液が傷に触れる。染み入る毒のような傷みに、信玄は思わず声を漏らした。
と、肌に接した濃姫の唇から笑うような呼気が吐き出されるのを感じて、悔しさが込み上げる。
信玄は声を出すまいと顎を引き、唇と屈辱感を噛み締めた。
その様子が面白いのか、濃姫は温かな息を信玄の腹に吐きかけてから、再び唇を動かした。
汗を拭うように強く舌を押しつけたり、刀傷に沿ってちゅうちゅうと吸い上げたりして、信玄が
苦しげに呻くのを楽しむように眺めながら、胸に向かってじわじわと迫っている。
ときどき脇道へ逸れるように蛇行して歯を擦りつけ、噛みついた。
甘噛みし、信玄が呻けば満足そうに笑う。がぶりと牙を突き立てるように噛んで、信玄の体が
緊張すると、いっそう強く噛みついた。
濃姫は自分の一挙一動に、過敏に反応し始めた信玄の体を楽しんでいるふうだった。
「う、ぐっ」
布越しに当たる、生温かい唇の動きに背筋がぞくりとする。
濃姫の吐く呼気が肌と着衣の合間にこもり、信玄を蝕む熱となって襲いかかった。
湿った熱気が傷にしみる。弄ばれるような、ゆるやかな痛みが気色悪い。
傷口の固まった血を舐めとるように動く唇は、やがて舌から唾液を滴らせて傷をつつき始めた。
「やめよ……!」
どうしようもない嫌悪感が押し寄せ、信玄は鋭く言い放った。
信玄の肉体と精神とに、痛みと嫌悪感が土石流のように襲いかかり、本能が警鐘を鳴らしていた。
お前は獣だと言う濃姫の言葉は、信玄の本質を見抜いたものだと実感した。
巣から落ちた小鳥の雛を人間が親切心から親元に帰してやっても、人の臭いを体に染みつけ
られた雛鳥は親によって巣から排除されることがある。
野生のものは、己の知らぬ臭いを警戒し拒絶するのだ。
信玄も同じだった。
気心の知れない女の肌に触れたいと思ったことは一度もなかった。肌を合わせる者はいつも、
絶対の信頼の上に成り立った情の通い合う、いわば自分と同じにおいのする者だけだった。
女たちだけではなく、自分を取り巻くあらゆる人間に求めるのもそれと同じ種類のもので、
ゆえに相手の性格を掌握することを第一と考えた。だからこそ、信頼できる者へは群れる獣の
強い連帯感と同等の恩情で応えた。信玄の人となりとは、獣並みの警戒心と潔癖さを由来と
したものだった。
「…………」
ぞくぞくとした悪寒を感じながら、信玄は不意に風林火山の旗印を頭に浮かべた。そして、
現実逃避のように考えを巡らせたが、濃姫の顔が胸のあたりで動くたび意識は散漫してしまう。
「うふふ……かわいそう」
濃姫の舌がぺちゃ、という音を立てて傷口を抉った。
腹から伝わる女の肌の温かさに、信玄は鳥肌を立ててさえいた。耐え難い苦痛だった。
知らぬ人間の体温など、感じたくない。傷口の乾いた血を舌で舐めとる行為は、こんな状況下で
なされるものではないのだ。
濃姫は信玄の胸の刀傷をひと撫でしてから、裂けた衣と肌との間に指を滑り込ませる。そのまま
両手で裂け目を掴み、ぐっと力を込めた。
虎の毛皮をあしらった装束は拍子抜けするほどあっけなくさらに裂かれて、信玄の肌は冷たい
外気に触れた。
胸を割かれて腑分けされるような、己の内側を暴かれる感覚は、信玄を狼狽させた。
着衣を脱ぎ捨てたとき、そこに残るのはどんなかたちの獣なのか? そう問いたげに笑う濃姫の
唇が、あらわになった肌の上に落ちた。
脂汗でじっとりと濡れて光る腹のあたりに唇の柔らかい感触がしたかと思うと、それは蠢いて
傷口の長い線をなぞり始める。
濃姫は上唇と下唇の間から舌先をわずかに出し、小刻みに動かした。
「うっ」
舌からつたう唾液が傷に触れる。染み入る毒のような傷みに、信玄は思わず声を漏らした。
と、肌に接した濃姫の唇から笑うような呼気が吐き出されるのを感じて、悔しさが込み上げる。
信玄は声を出すまいと顎を引き、唇と屈辱感を噛み締めた。
その様子が面白いのか、濃姫は温かな息を信玄の腹に吐きかけてから、再び唇を動かした。
汗を拭うように強く舌を押しつけたり、刀傷に沿ってちゅうちゅうと吸い上げたりして、信玄が
苦しげに呻くのを楽しむように眺めながら、胸に向かってじわじわと迫っている。
ときどき脇道へ逸れるように蛇行して歯を擦りつけ、噛みついた。
甘噛みし、信玄が呻けば満足そうに笑う。がぶりと牙を突き立てるように噛んで、信玄の体が
緊張すると、いっそう強く噛みついた。
濃姫は自分の一挙一動に、過敏に反応し始めた信玄の体を楽しんでいるふうだった。




