2009.10.26 23:44
「働く環境がこんなに厳しかったことはない」
大阪労働局の主任地方労働基準監察監督官、山本博(55)は今年3月まで、大阪府羽曳野市などを管轄する労働基準監督署の署長を務めた。長い経験がある山本をしても、現状の雇用環境の悪化ぶりは際立っているという。
働く権利を守る労働基準監督官は、働く側が「頼れる存在」だ。不当な解雇や長時間労働などに対し、事業所に是正を勧告するのが役割だが、一般にその仕事は見えにくい。
山本によると、監督官が事業所に出向き行政指導するのは1カ月の半分程度。事前予告はしないため、担当者不在で空振りに終わることも少なくない。ひとつの事業所で一日がかりになることもざらだ。
昨年12月以降は民間の信用調査会社などの情報を積極的に活用し、大規模なリストラをしようとする事業所を早期につかみ指導。担当者に対し、企業が支払う休業手当の一部を、国が補填(ほてん)する制度の利用などを勧めている。
だが、中小企業経営者の多くは労働法規への理解が足りない。山本も、相談に駆け込んできた経営者から「経営が苦しい。リストラしたい」と詰め寄られ、「経営者の一方的な理由で解雇はできない」と、いさめたことがある。
「安易な解雇はいさめますが、あくまでお願い。使用者の改心を期待するしかない。極端に言うと100件中1件でも解雇を思いとどまってくれればいい」
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監督官不足が、働く側に過酷な労働を強いる土壌になっているとの指摘がある。
国際労働機関(ILO、本部・ジュネーブ)は、日本を含む加盟国への指導文書で、監督官数の目安を「先進国は労働者1万人に対して1人」としているが、日本の監督官数は平成20年度末で全国で3076人しかおらず、約1万6千人に1人にとどまる。
大阪府内を管轄する大阪労働局はさらに悪く、365万人以上の労働者に対し、監督官は191人で、ILOの目安の2倍近い約1万9100人に1人だ。これでは事業所をくまなく回り、労働環境を監視するには無理がある。
「監視の目が行き届かず、結果、不当な長時間労働などが横行している。まるで、もぐら叩(たた)きのような状態です」
大阪労働局の職員などでつくる「全労働省労働組合大阪基準支部」の副執行委員長、丹野弘(46)は現状をそう説明する。
財団法人「日本生産性本部」が4月に上場企業2237社を対象に実施したアンケートによると、「心の病」を理由に1カ月以上も休暇・休職した労働者がいる企業は約7割に達したという。丹野は「過労死の予備軍は極めて多い。法制度を含め抜本的に見直さないと、近い将来、大変な事態になる」と警告する。
監督官は、丹野が言う「大変な事態」を回避できるのだろうか。
労働基準法(労基法)には、「週40時間以下、1日8時間以下」という労働時間の原則が定められている。しかし過半数の労働者で組織する労働組合と使用者が協定で合意すれば時間外・休日労働が可能だ。監督官は、この合意を強制的に変更できない。
さらに、少なくとも30日前に予告する必要があるという労基法20条の解雇予告を、山本は「唯一の武器」と呼ぶが、賃金支払いを科す罰則規定があるとするものの、解雇を覆す力はない。このほか20年3月施行の労働契約法では社会通念上認められない解雇は無効とされるが、これは民事上のルール。各都道府県の紛争調整委員会も、使用者側が出席を拒むと成立しない。
いずれも行政の権限が及ばない「範囲外」のことばかりだ。その限界は、丹野の警告に現実味を与える。
21年度経済財政白書は、実際の生産に見合う以上に企業が雇用を抱えている「企業内失業」が600万人を超えると指摘した。政府は今月23日、21年度内に10万人の雇用を創出する緊急対策をまとめたが、今後、大量解雇が起きる懸念は消えそうもない。
労働法が専門の大阪大学高等司法研究科教授、小嶌典明(57)は「労使交渉で決める問題に労働行政が介入して正しく判断できるのか疑問がある。労使双方が納得できる形で法制度を見直すのは相当難しい」と話している。(敬称略)