ビザンツ帝国史 @ ウィキ

聖像破壊論

聖像破壊論

726年からレオン3世は聖像破壊運動を推進する政策を展開する。

ユスティニアノス大帝以降のビザンツ帝国は
聖画像の使用に代表される視覚的要素を重視して発展してきた。

聖像破壊運動とは、聖画像や製造といった聖品を使った信仰を
偶像崇拝と断じてそれらを積極的にキリスト教から排斥する運動であった。

この運動はエイレネの時期に一時中断するものの、
ミカエル3世の時代まで続いた。
(843年第二ニケア公会議にて「聖像崇敬の勝利」宣言)
最終更新:2021年10月30日 08:04
添付ファイル