コンスタス2世(641~668)
ヘラクレイオス1世の孫。
ウマルの率いるイスラーム国がササン朝ペルシャを滅亡させた時代で、
ビザンツ帝国もイスラーム国の進出に苦しめられた。
ビザンツ帝国国内の宗教的にもごたついた時代であり、
カルケドン問題を解決するために何度も勅令が出されていた。
ヘラクレイオスの発布した勅令「エクテシス」が不評だったため、
コンスタス2世は勅令「テュポス」を発布し論争を禁止した。
コンスタス2世は、
イスラーム国との戦いやアフリカ大総督府の反乱、
宗教問題の論争などに嫌気がさし
シチリア島のシラクサに宮廷を移した。
しかし、入浴中に暗殺され、シチリアへの遷都は阻止された。
最終更新:2021年10月30日 10:07