ビザンツ帝国史 @ ウィキ

コンスタス2世

コンスタス2世(641~668)

ヘラクレイオス1世の孫。
ウマルの率いるイスラーム国がササン朝ペルシャを滅亡させた時代で、
ビザンツ帝国もイスラーム国の進出に苦しめられた。

ビザンツ帝国国内の宗教的にもごたついた時代であり、
カルケドン問題を解決するために何度も勅令が出されていた。
ヘラクレイオスの発布した勅令「エクテシス」が不評だったため、
コンスタス2世は勅令「テュポス」を発布し論争を禁止した。

コンスタス2世は、
イスラーム国との戦いやアフリカ大総督府の反乱、
宗教問題の論争などに嫌気がさし
シチリア島のシラクサに宮廷を移した。
しかし、入浴中に暗殺され、シチリアへの遷都は阻止された。

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最終更新:2021年10月30日 10:07
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