ミカエル3世メテュソス(酔っ払い)(842~867)
わずか2歳で皇帝となったが、
その政権は母テオドラと宦官テオクティストスが実権を握っていた。
政治に口を出させないために酒漬け、女漬けにされ、
街中に繰り出して嘔吐するほどの乱痴気騒ぎをいて皇帝の品位を貶めた。
しかし、ビザンツ帝国最大の知性ともいわれる
フォティオスを総大主教にするなど、
周りの人材に恵まれ、
マケドニア朝ルネサンスの下地を作った時代でもあった。
長年続いてきた聖像破壊運動を終了させる
「聖像崇敬の勝利」も
ミカエル3世の治世中、
第二ニケア公会議にて宣言された。
最終更新:2021年10月30日 10:57