『──
ホムンクルス36号? それがあなたの名前? うーん、呼びづらいなあ。
──そうだ、『ミロク』! うん、それがいい! 今日からあなたは、ミロク!』
その煌びやかな笑顔を、覚えている。
別にその笑顔に、見惚れた訳ではなく。思慕の情が芽生えた訳ではなく。
振り返り、通った道を精査してみれば。困惑の方が多かったかのように思える。
そのような笑顔を浮かべるほど、何が楽しいのか。そのような笑顔を浮かべるほど、何が嬉しいのか。
抵抗する術を持たず、身動きのできないホムンクルス。完成したホムンクルス、自然の触覚であるそれらとは比べるまでもない。サッカーボールのように瓶を放ってしまえば、数秒後には息絶える脆弱な命。
利用価値もなく。聖杯戦争の行く先を考えれば、その場で瓶に穴を開けるだけで、彼女は最大のリターンを得る。
理解不能。識別不能。彼の知る少ない感情の何れを当て嵌めてもわからない、彼女の在り方。
───しかし。
忠誠を捧げるには、十分だった。
その精神性。その人間性。外見や性別など関係ない、彼女を彼女たらしめるモノ。ソレに、忠誠を捧げた。
故に。
眩いばかりの笑顔を。二度目の生となっても、覚えている。
──予想外のことに、振り回されてる時さ。
あの子は未知を愛している。だから僕にとって祓葉は最高の観客なんだ。
言わんとしていることは理解できた。
彼女の想定の上を行く。
まあ、これくらいだろうな、と予測されたその上を軽く飛び越えるような、そんな偉業。
彼女が正にその"偉業"を目の前にしたとき、どのような表情をするのか。その偉業こそが未知であるならば、過程から導かれる結果もまた未知である。
彼女は。果たして、どれ程の喜びに満ちるのか。
それは。おそらく、かつて瓶の中で初めて出会った笑顔よりも眩く───
それを、叶えることが必要か?
否。忠義とは何が。忠誠とは何か。
主の為に全てを尽くし、剣となること。それ以外に他ならず、それ以外は必要ない。
剣がものを言うか? 主を思い一人でに歩き出すか?
それも否。主となる存在が"為せ"というならば、ただ"為す"のみ。
彼女は聖杯戦争を再演させた。告げられた言葉は、なかった。
ならば、為すべきことはただ一つ。聖杯戦争を続ける。ただ、それのみである。
"一度目"と変わらず。尽くすべきを尽くし、彼女の在り方のみに尽くす。
"一度目"の結末に悔いはない。為すべきことを、為した。
──過去の焼き直しなんてやめた方がいい。今のままでは、きみの忠義が行き着く着地点は前と同じだろう。
故に。これまでの我が選択に、迷いはない。
目の前に鎮座する、"二度目"の選択肢以外には。
○ ○ ○
瞳に星が輝いている。
いや、少し表現が違うかもしれない。なんというか、こう、キラキラしている。
───聖杯戦争。境界記録帯を使い魔とし、生と死が彩る大儀式。その中で。
キラキラしている。アーチャーが。わたしのサーヴァントが。
どこで拾ったのか、日本の夏祭りで売っているような、ヒーローものの、青いお面を頭の左に掛けながら。
「…何それ」
「お面だ!」
「いや、それは聞いてない。何でそれを被ってるのか、っていう話」
「拾った!」
「主語が足りない…」
瞳を輝かせながら、『よいだろう?』と自慢をしている。お面を様々な角度から見せたいのか、なんというか、気が抜ける。わたしが参戦していたのは聖杯夏祭りだっただろうか。英霊一の盛り上げ上手でも競うのだろうか。
アーチャーには拠点の工房化をするにあたり、魔力探知・索敵能力に長けるアーチャークラスの強みを利用し見張りを頼んでいた。魔術師にとって工房は自らの城のようなもの。出向くにしろ籠るにしろ、まず何よりも重要な場所となる。
サーヴァントに治療を施すための陣。迎撃魔術。トラップの数々に、部屋の一部には強固な結界を張り、寝室には一定範囲に魔力を感知すると自動的にわたしに報せが飛ぶように細工をした。
───わたしの加速思考は、咄嗟の対応に適している。加速され周囲の時間が鈍くなったかのような脳内は、1秒を遥か長く引き伸ばし、彼女の思考に猶予を与える。アトラスの分割思考には劣るものの、数秒の思考の遅れが命取りの魔術の決闘では、大きく役に立つ。
その基本性能家の基本的な工房化を済ませて、少し休憩しようとソファに横になったら、これだった。
レンガ作りの家。洋風で纏められた家具の中に、和の装いを纏ったアーチャーがお面で遊んでいる。
「…欲しいのか?」
「要らない。ていうか、ちゃんとお金払ったの」
「案ずるな。アンジェのもあるぞ! なんと桃色だ!」
「…わたしが召喚したのバーサーカーだっけ。話が通じないんだけど」
「銭なら気にしなくとも良い。気前のいい男から『夏祭りの売れ残り』と貰ったのだ。
なんと当世の子供に人気の面とやらは一年で変わるらしくてな。売れないからやる、とのことなのだ」
確か。日本ではヒーローが一年周期で変わるのだとか。
元々サブカルチャーには詳しくないのだが、それだけは何となく知っていた。
「ほれ、アンジェも頭に掛けるがいい。他マスターに会った時には身分隠しにも使えるぞ」
「マスターか変質者の二択になっちゃうなあ…」
「…こんなにも格好良いというのに。 …はっ、この青いのはやらぬぞ!」
「色の問題じゃないっつーの。 …まあ、いいか」
アーチャーの手から桃色の面を受け取り、頭の左に掛ける。よく考えれば、このような祭り事で子供が触るようなものも、人生で触れたことがない。
魔術師でなければ───なんて、あり得なかった想像を胸に仕舞い、面の向きを整える。
「…ど? 似合う?」
「うむ! ばっちりだ!」
「…ふっ。お面じゃ褒められてるのかどうか、わかんないね」
笑みが溢れた瞬間、アーチャーがさて、と足の筋肉を伸ばす。
アーチャーが体を伸ばし終えたあと、わたしも背骨と伸ばし、疲れた筋肉に喝を入れる。
覚悟は、決まった。
「…アンジェ、気づいているか?」
「うん。これは誘われてる」
「我を見よと言わんばかりに、魔力を消すこともなく垂れ流している。狙撃に徹することもできるが…如何とする?」
少し歩き。家のドアへと手をかける。
工房から出た上に、相手の場所へ向かうなど到底魔術師の行動とは思えない。隠れた上で、機を待つのが正しいのだろう。
だとしても。
「この後も同じことをする、とは限らないけどさ。引く時は工房にも籠るだろうし、外で戦うなら影からの方がいいんだろうけど。
───なんというか。もしかしたら、話し合いでなんとかなったりするかもしれないし」
魔術師ではない『人間』を目指すのならば。
『人間』らしい、行動をしたいのだ。
「…苦なる道を選ぶ。良い、それこそ私のマスターよ」
その答えに。笑顔で答えるサーヴァントと共に。
面をつけた二人は、闘争の地へと足を運んだ。
○ ○ ○
「───マジかよ。警戒心とかねえのか」
立ち並ぶ家屋の屋根の上。黒衣に白い面を纏う暗殺者が、双眼鏡で遠くを観察している。残念ながら、アサシンの魔力探知範囲は弓兵ほど大きくない。
ならば、己が目で確認するのが一番だ、とマスターの家から探し当てた双眼鏡を駆使している。
アサシンの生前の経験から、此方の方がやり易い。己が目で、耳で、鼻で。道や建物を確認し、目標への道を作り、狙いの首を攫う。
「…ンだけど、アレは…本気か?」
双眼鏡の先には、サーヴァントらしき和装の者が、屋台の男と会話している。数度の談笑のあと、子供のような瞳で眺めていた面を手渡されている。
見れば理解できる。アレは、サーヴァントだ。
エーテルの身体。魔力で編まれたその身体。何より、サーヴァントから感じる"圧"が、凡百の英霊ではないと感じさせる。
「生前、王座についたサーヴァントは霊体化を嫌うっていうがなあ…おっそろしい。ありゃただのサーヴァントじゃねえな」
そして。遠くから眺めていた───その、瞬間。
目線の先のサーヴァントが、此方を向いた。
しかし此処にいるのは暗殺者のサーヴァント。和装のサーヴァントが顔の角度を変えた瞬間、姿を翻し家屋の影に紛れた。程なくして、黒衣と影は同化し、アサシンの白い面が山に浮かぶ。
(…危ねえ危ねえ。殺気は出してねえ筈だが…勘がいいのか、運がいいのか。
ここは"引き"だな)
肉眼では豆粒ほどの大きさでしか視認できない距離。逆に言えば、相手が弓兵のクラスならば格好の餌だ。
しかし。相手がサーヴァントなら、此方もサーヴァントである。アサシンは生やした顎髭を撫でながら、影から影へと跳ねていく。
屋根から電柱へ。電柱から木陰へ。木陰から路地裏へ。小慣れた動きで気配を消しながら、影を駆けていく。
(こちとらアサシンだ。誰が相手でも見つかる気はないがね)
そうして移動を繰り返す内、アサシンは小さな町工場へと辿り着いた。強靭ではないが、魔術師の確かな腕前を感じさせる結界。町工場を囲うようにして作られたソレを、アサシンはするりと通り抜ける。
丸い魔法陣が描かれた周りには濡れた血の跡が出来ており、固まり切っていないソレが、この場での凶行からさほど時間が経っていないことが見てとれた。
アサシンは血痕を一瞥し、幾つかのドアと廊下を経由し、応接室へと移動する。閉鎖されて随分と経つのか、壁紙や机、ソファの優雅さは見る影もなく汚れている。
昔は稼働していたのだろう。機械たちの騒音から商談をを守るべく防音加工が施された部屋の中で、アサシンのマスターが机の上に顔を出した。
否。正確には、"置かれていた"。
『───収穫は』
「一人歩きしてたサーヴァントを一体。ありゃクラスはアーチャーかキャスターだな。勘が良いのか知らねえが、俺の監視に少しだけ反応しやがった」
『貴殿ともあろう者が、か。見つかってはいないのだろう?』
「無論よ。視線を感じるー、ぐらいは合ったかもしれねえが、確実に見つかってねえ」
『そうか。感謝する』
ごぽ、と音がする。応接室の机の上、瓶の中で逆様に揺れる赤子が、開いた目でアサシンを見つめている。
上下逆様に浮かんだその姿は、元から自律行動を求められていないのだろう。誰かの助けがなければ動くことすらままならない、か細い命がそこにあった。
─── ホムンクルス36号。またの名をミロク。アサシンのマスターである。
『このような場所で申し訳ない。ガーンドレッド家の用意した工房もあるのだが、私では上手く扱えない』
「気にするこたあないぜ大将。かしこまった屋敷より、砂と埃の臭いの方が落ち着くってもんさ」
ミロクは見ての通り、外界と接触することができない。マスターとして魔術を扱うことも難しく、自ら工房も作れない。
ガーンドレッド家の工房を利用する、という手もあったものの、結局は他者の魔術。勝手がわからぬ工房に引き篭もるよりは、アサシンの召喚時に使用された町工場───軽く結界を張られた場所を、そのまま拠点として利用した方が安全だと判断した。
アサシンは軽く報告を終えると、どさりとソファに身を預ける。進言はせず。マスターであるミロクの言葉を待つ。
『アサシンよ。…一つ尋ねたい』
「何なりと」
『もし貴殿が"山の翁"…いや、一人の男としてもう一度やり直せるとしたら。
貴殿は、同じ人生を歩むか? それとも別の道を往くのか?』
「………」
"──過去の焼き直しなんてやめた方がいい。今のままでは、きみの忠義が行き着く着地点は前と同じだろう。"
その言葉が、ミロクの脳裏にリフレインする。釣り針のように、脳に食い込んだまま、忘れられない。
ある種の説得力を感じてしまった。心を見透かされたような"何か"を感じてしまった。
"彼女"が想定以上の何かを求めているのなら。同じ末路でしかない二度目は、彼女にとって。
ミロクの思考に応えるように、アサシンはボロボロのソファに腰掛けたまま。
「"山の翁"は、ただの称号じゃない。砂と風の地に生まれ、その地を愛し、その地に生きた人々を愛した。
それが"山の翁"…全てのハサン・サッバーハの原初の掟。"ハサン"という仮面を被らねば召喚すらされない、英霊より怨霊に近い我らの在り方」
『……』
「故に。二度目のチャンスが与えられたとしても…まあ、俺はこの面を被っただろうよ。
聖杯に託す願いはあれど。"山の翁であったこと"に対しては、悔いはない」
まあ、やり方は変えるかもしれないがね、とアサシンは続け。その言葉に、ミロクは瓶の中で何かを思案する。
それは今後のことであり。これまでのことであり。彼女のことであり。己のこと。
忠義を果たすために、何が必要かということ。
忠義を果たすための、変化を。
『アサシンよ。貴殿の腕を見込んで、頼みがある』
「大将の言うことなら聞くぜ。仕事もきっちりとこなすさ」
『───出陣する。私を、前線に置いて欲しい』
仕事の準備と言わんばかりに懐のナイフを抜き、立ち上がり体のコンディションを整えるアサシンの身体が、止まった。
「…………本気か?」
『正気であり、本気だとも。私にも考えがある』
その言葉に、アサシンは僅かな嫌な予感を覚えながらも。
『アサシン。貴殿にも体を張って貰うことになる』
それが的中したことに、頭を抱えた。
「俺様、アサシンなんだけど。ご存知?」
○ ○ ○
「…本当に行くのか? アンジェ」
「行くよ。しっかりとこっちに向けて、わたしたちが感じ取れるように魔力を出してる。
ここで行かなくても後々危険を背負うだろうし…」
「一手目で攻撃ではなく誘い出しを選ぶ相手なら…対話の可能性がある、と」
「そ。話し合いができるなら、それに越したことはないよ」
無論。最後に残るのは一人なのだけれど───だからと言って、順風満帆に勝ち残ることができるとは思っていない。
叶うなら、同盟を組むことが一番だ。何より、わたしには聖杯戦争の知識が足りていない。
…こんなことなら現代魔術科にでも入っておくべきだった、と何度目かわからない後悔をしながら、歩みを進めていく。
住宅地なのだろうか、様々な家屋が立ち並ぶ先へと歩いていく。
緊張で汗ばむ掌を握り締め。逃げ出したくなる脚に気力を叩き込みながら。
魔力の放出点へ、辿り着く。
「いたぞ。アレがサーヴァント…」
比較的広い公園に出たと同時に、放出されていた魔力が消失する。タイミングを考えるに、やはりわたしたちの呼び出しが目的か。
目視できる範囲には、サーヴァントらしき姿は見当たらず。
恐らく中学生ほどの年齢の女生徒が一人、立ち尽くしていた。
「…では、ないな?」
アーチャーが両掌を筒のように丸く握り、眼に当てている。互いの距離はそれほど離れておらず。十秒もあれば、すぐに距離は零になる。
臆すことなく前へ。おそらく相手は二人。此方も二人。何を怯えることがある。
一歩ずつ前に脚を進めて行くと、女生徒が何らかの容器を持っていることに気がついた。その中身を、よく眺める。
「…瓶詰めの赤子か。趣味がいいとは言えないな」
「いや、ホムンクルス…かな。 ある魔術の家にはああいうものを作るとは聞いてたけど」
「どちらにしろ、悪趣味だ。あれでは外にも出られまい…道具としての生、酷なことをする」
アーチャーがその表情を歪ませる。理解できなくはない。人工的に生命を創り出し、使い潰す。それ以外に価値はなく、それ以外の行動は出来ない。
なんとも惨い話か。おそらくはマスターの道具として持ち出されたモノだろう。ホムンクルスが自分の意思で聖杯戦争に望むなんて、ありえない───と、ふと目を凝らす。
視界に入ったのは、赤子の体に刻まれている痣。ただでさえ悪趣味な光景だというのに、これ以上何を追加しようというのか。
そこまで思考を巡らせて、やっと、理解する。
「痣…違う、令呪…?」
「ということは、此奴がマスターだと…?」
『如何にも』
疑問を口にした瞬間、返答が訪れた。返答は鼓膜を震わせることはなく、直接脳内へ。
念話か、と理解した頃には赤子は次の言葉を続けていた。
『マスターとそのサーヴァントよ』
『余程名のあるサーヴァントとお見受けする。その上で、提案がしたい』
『其方のマスターと、一対一で話がしたい』
矢継ぎ早に送られてきた言葉。
赤子の言葉は止まることはなく。
『敵意はない。サーヴァントを見せろというなら、ここから少し西に離れた場所に待機させている。望むならば戦闘を仕掛けても構わない』
『私はこの通り、外界との接触能力はない。出来るのは、対話程度だ』
『良い返事を期待する』
一方的に脳裏に響く言葉を並べ立てた後。それっきり黙ってしまった。
対話を望むというのなら、それは願ったり叶ったりだ。赤子が話し終えた直後。西の方角から、再び魔力の放出をアーチャーが察知した。
「…嘘はついていないようだな。サーヴァントを移動させたか」
「行って、アーチャー」
「む。よいのか? 罠という可能性もあるぞ」
「危ない時は令呪で呼ぶよ。わたしの魔術なら、ピンチにも対応できるし」
「…わかった。くれぐれも無茶はなしだぞ!」
少なくとも。アーチャーの探知範囲には他にサーヴァントはおらず。わざわざアーチャーに場所を変えさせたのは、戦闘の余波を嫌ってのことだろう。
瓶に収まった赤子。その容器が余波で壊れてしまっては、元も子もない。
赤子の形態で成長が止まるのか、それとも成長途中なのかは知る由もないが。少なくとも"瓶に入れられている"ということは、入っていなければいけない理由があるということだ。
『承諾、感謝する』
「…それで。世間話するために呼んだわけじゃないでしょ」
『無論。本題に入ろうか』
互いのサーヴァントの交戦を待たずして。
マスター同士の交渉が、始まろうとしている。
『───私は、この聖杯戦争に参加するのは二度目だ。
よって、五人のマスターの情報を持っている』
○ ○ ○
アーチャーが魔力の放出点へ───公園の端に辿り着いた頃には、既にサーヴァントは居らず。右を向いても左を向いても人影すら存在しない。不気味な静けさだけがそこにあった。
またか、と不満気に頭を抱えたところで、声がした。
『その姿、魔力。サーヴァントとお見受けする』
姿は見えず。声だけが、響いている。
アーチャークラスの優れた探知能力を持ってしても、その居場所を見破ることは不可能だった。
「…なるほど。アサシンか。私の索敵を掻い潜ったのも納得がいった。
それで? このまま話がしたい訳ではなかろう?」
『勿論。 歓迎のパーティーの準備は十分さ」
楽し気に。砕けた言葉で話し始めたアサシンと同時に、アーチャーの索敵に多くの"敵"の存在が確認された。
それは。何の変哲もない、人間。
十や二十を超えるそれらは、まるで正気のない幽鬼のように、ゆらりゆらりとアーチャーを取り囲んだ。
───洗脳か、暗示か。それともアサシンのマスターの部下…いや、それはないな。
周囲を取り囲んだ人の群れ。それらを眺めながら、アーチャーの動きが止まる。
ああ───なんと、腹立たしい。
「アンジェはな。この聖杯戦争で私と出会ったとき。なんと言ったと思う?」
『…知らねえし、興味もねえな』
「"犠牲者は最低限"などと宣ったのだ。およそ聖杯を狙うものとは思えぬだろう?」
『…何が言いたい』
「しかし、あれほど真っ直ぐに答えられると叶えてやりたいと思うのがサーヴァントというもの。故にな」
『…?』
チラリ、とアーチャーが周囲を見渡す。周りには人、人、人。
幽鬼の如きその眼。バットを構える少年がいた。鋏に指を通す女性がいた。ペンを逆手に握る少女がいた。鞄を硬く持つ男性がいた。傘を向ける老婆がいた。杖を回す老爺がいた。
それは友と球技を楽しむものであり、色紙を美しく整えるものであり、勉学に耽るためのものであり、家族を養うためのものであり、日を遮るためのものであり、己の足で歩くためのものだった。どれもこれも、人の命を摘むためのものではない。
日用品は、見方を変えるだけで人を殺す。本来なら、血に濡れるなど言語道断。暖かい日々を作っていく、日常の象徴たち。
それが。こうも醜く、姿を変える。
「───暗殺者よ、貴様のやり方が気に食わぬ。
安心せよ、貴様は隠れたままでよい。人の影に潜み刃を差し向ける性根、そのまま撃ち抜いてやろう」
アーチャーが行った行動は簡単だった。己を取り囲む者たちが動き出す前に、引き絞った矢を───己の足元へと撃ち放った。
威力は弱く。余波ですら、幽鬼たちを動かすことは叶わない。アスファルトを破壊し立ち込める砂埃は、アサシンにとって視界を眩ませるものにはなり得ない。
砂と風の世界に生き、その土地に住む人々を愛した。山の翁の原点たる在り方は、経験は、即席の目眩しなど児戯に等しい。
故に。アサシンは動けずにいた。アサシンとは影に潜み、音もなくマスターの首を攫う者。自ら視界を潰すなど、殺してくださいと頭を差し出す行為と同義だ。
(何を考えている…? 聖杯戦争に呼ばれる英霊だ、無策って訳じゃ)
思考を走らせたその瞬間。アーチャーの矢が飛んだ。
身を隠しているアサシンに目掛けて、ではない。使役している多数の人間に向かって、ほぼ時間差なく。矢が飛んだ。
敵は皆殺しか。アサシンにとって、それが一番の天敵だった。目に映るモノ、端から殺される。化ける対象すら許さず、隠れる隙もない皆殺し。
しかし、アサシンの目論見は外れた。撃ち放たれた矢は、全てが───使役している人間たちの、頭蓋のすぐ横を通り抜けていく。
(外した…? いや、まさか)
まさか。その、まさかだった。
撃ち放たれた矢の轟音は、人間たちの耳朶を打つ。それは人間を軽く超える力で放たれた強弓であり、弾丸を超えるものだ。人間の耳元を掠めるほど間近を通れば───その衝撃は、脳にまで及ぶ。
宝具により幽鬼と化し、人形であった生命が人間に帰っていく。
アサシンの宝具『奇想誘惑』 は、筋力に補正かかれど。
耐久性には、何の効果も齎さない。
「出て来い、アサシン。手駒はこれで全てだろう。
…ああ、アサシンに出向けというのは酷か。出てこなくても構わんぞ。
───ここから其方のマスターを撃ち抜くまでよ」
それは、実質的な死刑宣告。
出て行かなければ此処からマスターを撃ち抜かれ。出ていけば、騙しとマスター殺ししか能のないアサシンは窮地に陥る。
(…呪うぜ、大将。出来れば、俺が死ぬまでに話つけてくれよ…!)
アサシンは影から身を乗り出す。髑髏の面を顔に被り、死地へと。
胸に去来するは、町工場を出る前の会話。
"アサシン。貴殿にも体を張って貰うことになる"
"全力で、相手のサーヴァントを引きつけろ"
"身の危機を察知すれば令呪で呼ぼう。これは、貴殿の働きによって成果が変わる"
(言ってくれるぜ、全く…暗殺者が正面から戦うなんて、どういう冗談だよ)
実際。アーチャー相手に、策を弄するなら考え得る手段はまだまだ存在した。しかし、時間が足りない。目的を果たすためには、それだけの"準備"が必要だ。
よって。時間のないアサシンは、マスターの命に従うには、小手先の人海戦術と正面切っての戦闘を選ぶしか無かったのだ。
───無言で死角から襲ったアサシンのナイフを、アーチャーが手に持った矢で受ける。
そのまま回転し、遠心力を加えた蹴りが、アサシンの腹を打つ。
此処からは、圧倒的な力の前に足掻く暗殺者の努力。自らの得手を捨てたその姿。
暗殺者の命運は。たった一人の、主人に託された。
○ ○ ○
『───私は、この聖杯戦争に参加するのは二度目だ。
よって、一度目に参加した五人のマスターの情報を持っている』
「…二度目…?」
『そうだ。"私ではない誰か"が聖杯を勝ち取り、二度目の聖杯戦争を始めたらしい』
それは。少なくとも、聖杯は死者の蘇生を可能とするという現実と。聖杯は本当に実在することの証明であった。
逸る気持ちを抑え、アンジェリカは静止する。
果たして、これを本当に信じていいものか。口から出たデマではないのか。
「…証拠がない。二度目っていう証拠が」
『故に情報だ。"一組はであっていないため知らないが"…残り五組の情報なら幾らか渡せるだろう』
赤子が喋り終えると同時に、瓶を抱えていた女生徒が服のポケットから五枚の紙を取り出す。
アンジェリカに投げ渡されたそれは、五人のマスターの外見、性別と少しの情報が綴られていた。
「…それで? わたし達に何を求めるの?」
『同盟だ。見ての通り、この瓶に包まれた体では移動すらままならん。
戦力の一つとして、互いに最後まで残るための協力、"一時休戦"としたい』
西の方角から、轟音が響いた。おそらく、アーチャーが戦闘を始めた音だろう。
赤子の提案は、アンジェリカが求めていたものに近い。結果、互いに損はなく、得しか生まれない提案であった。
しかし。だからこそ、疑問があった。
「わかった。組もう。
その代わり、条件がある」
『…条件とは?』
「あんた達が聖杯を求める理由を聞きたい。
その願いが、悪じゃないってことを確認したい」
それは、アンジェリカにとって最低限の線引きであった。
魔術から抜け出したいと願う人間が。平気で悪を行う人間と組んでは、意味がないだろうと。
真っ直ぐな眼差しで赤子を見つめ。その返答を待った。
『…私は忠節を誓った相手がいる。忠義を捧げるべき相手がいる。
しかし───"前回"と同じでは、忠義を果たせぬも事実』
「…」
『よって。私は私の忠節を示すため、動きを新たにする。
"彼女"に最も素晴らしいものを届けるため───私は、自らを再定義する』
それは。ホムンクルス36号…"ミロク"としての、決意。
忠節を、忠義を。捧げるためにやり方を変える。
それが、小さな瓶の中で見つけ出した、小さな道。
その答えを聞いたアンジェリカは───
○ ○ ○
「ぬう! 帰るとはなんだ帰るとは! アサシンの一匹や二匹、あそこで仕留められたものを!」
「同盟組んだのにサーヴァント倒しちゃ意味ないでしょ」
「だとしてもだ! 私はあのアサシンのやり口が気に食わぬ!」
「駄々をこねない。わたしも認めた訳じゃないけど、だからって参加者全員と戦う訳にはいかないの」
「ぬぅぅぅぅぅ…納得! できぬ!」
「しなくていいから帰るの。元はと言えばあめわかのお面のせいでわたしたち見つかったかもしれないんだからね」
「ぐぬぅ…それを言われては…」
同盟を組んだ、帰り道。戦闘を続けるアーチャーを引き留め、自らの工房へと帰っていく。
アーチャーは興が乗り始めた頃だったのか、膨れっ面でわたしの後をついてくる。余程相手が気に入らなかったのか、ハムスターの頬袋並みに頬が膨れている。
二人で揃いで色違いの面を掛け、家路につくその姿。
(側から見れば。姉弟みたいなのかなあ、これって)
と。憧れていた"普通"に思いを馳せながら。
「しかしこの私の方が強かったぞ! アンジェ!」
まだ少しの間収まりそうにないアーチャーの機嫌を、宥めるのであった。
【港区・自宅(工房)への帰り道/一日目・午後】
【
アンジェリカ・アルロニカ】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:ヒーローのお面(ピンク)
[所持金]:家にはそれなりの金額があった。それなりの貯金もあるようだ。時計塔の魔術師だしね。
[思考・状況]
基本方針:勝ち残る。
1:まずは情報整理がしたい。
2:ロキに対してはとても複雑。いつか悪い男に引っかかるかもとは思ってたけどさあ……
[備考]
ミロクと同盟を組みました。
前回の聖杯戦争のマスターの情報(
神寂祓葉を除く)を手に入れました。
外見、性別を知り、何をどこまで知ったかは後続に任せます。
【アーチャー(雨若日子)】
[状態]:健康
[装備]:弓矢
[道具]: ヒーローのお面
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:アンジェに付き従う。
1:アサシンが気に入らない。
2:それはそれとして、当世の面はよく出来ている。満足。
[備考]
「呪うぜ大将。危うく死ぬところだった」
『ああ、貴殿の働きに感謝する。私もどの程度までなら危険を犯せるかの線引きを知っておきたかった』
「…次は入念な準備をさせてくれよ。暗殺者に行き当たりばったりは悪手が過ぎるぜ」
『善処する。アーチャークラスを引き込めたのは幸先が良い』
「ああ、ちくしょうめ。勘が良いのかと思いきや眼がいいんだな、あのアーチャー」
アサシンに抱えられながら、町中を飛んでいく。
瓶の中で、驚くほど揺れぬその体幹・移動能力に感嘆を。僅かな振動が心地よい。
ミロクはゆっくりと目を閉じる。これまでの経験を反芻する。
───よって。私は私の忠節を示すため、動きを新たにする。
"彼女"に最も素晴らしいものを届けるため
───私は、自らを再定義する。
そう言った私に。あのアンジェリカという魔術師は、少し考えた後、言葉を加えた。
───あんたの言う忠義とか、よくわかんないけどさ。
───好きなんだね、その人のこと。
その場では聞き流した言葉だった。意味の無い言葉だと思ったから。
ホムンクルスに愛などない。友愛もない。ミロク自体、そのような言葉で言い表せるものではないと考えている。
しかし。
あの煌びやかな笑顔を、覚えている。
別にその笑顔に、見惚れた訳ではなく。思慕の情が芽生えた訳ではなく。
その在り方に、この身を捧げていいと思えるほどの、何かを感じたのだ。
ミロクはアサシンに運ばれながらも、思案する。
無垢な心に、不明な感情を抱いたまま。快か不快かもわからず。
彼の道は、未だ迷いに埋もれたまま。
【町工場への帰り道/一日目・午後】
【ホムンクルス36号/ミロク】
[状態]:健康
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:なし。
[思考・状況]
基本方針:忠誠を示す。そのために動く。
1:一度目とは違う動きをする。全ては、神寂祓葉のために。
2:アサシンの特性を理解。次からは、もう少し戦場を整える。
[備考]
アンジェリカと同盟を組みました。
【アサシン(ハサン・サッバーハ )】
[状態]:ダメージ(小)
[装備]:ナイフ
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターに従う
1:正面戦闘は懲り懲り。
2:戦闘にはプランと策が必要。それを理解してくれればそれでいい。
[備考]
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最終更新:2024年09月05日 17:59