テノリライオン

春仕度

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corelli

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「ボムを捕まえてきてくれないか」

 この人は時々無茶を言う。

「寒さも厳しくなってきた。燃料を入れ替える手間のない、ボムのストーブがあるといい」
 さあ、と言わんばかりに、彼女はさも当然のような無表情で、取っ手のついた円筒形のストーブを僕に向かって差し出す。
「エメリーヌさん――」
 まず何から言えばいいのだろう。肩を落とした僕の溜息まじりの言葉に、彼女はエルヴァーンのトレードマークである長い耳もゆらゆらと、首を左右に振った。
「大家さんと呼べ。特別に今月の家賃は待ってやるから、その代わりに」
 再度、ほら、と彼女はストーブを突き付ける。かしゃん。鉄製の質素な暖房器具が、彼女の拳の下で揺れて小さく鳴った。
 こちとら訳あって冒険者から足を洗ったばかりの、しがない貧乏ヒューム。滞納しがちの家賃を人質に取られてはぐぅの音も出ない。ここサンドリアの一角に部屋を借りる店子の僕に、どうやら拒否権はないようだ。
 ないようだが、それでも一応最低限の抵抗はしておかなければ。
「あの、危険だと思いますよ? 炎の塊であるモンスターを閉じ込めて、それを家の中になんて――」
「大人しい奴を選んで捕まえてきてくれ」
 大人しいボム。いるのならば是非ともお目にかかりたい。溜息をもう一つ。
「まぁその、アイデアは買いますが――」
 彼女がぐいと差し出す中型ストーブを僕は改めてじっとりと見た。燃料を入れる為の扉に嵌った耐熱ガラスが、内側から煤けている。ストーブに沿ってゆるく湾曲したその扉を留めているのは、への字をひっかけたような小さい留め具がひとつっきりだ。僕はかぶりを振る。
「無理ですよ。大体僕にはボムを捕まえるような腕前は」
「ある」
 何故かそこだけは素早く、自信たっぷりに彼女は言い放った。そう言えば、僕が退役した時点での国定ランクはすでに彼女に知られていたのだった。何しろそれを売りに、用心棒としてどうかと自分の入居をアピールしたのだから。
 自分の下手な嘘と墓穴に自分で観念しつつ、見目だけは麗しい暴君に僕は最後の進言を試みる。
「普通に炭なりを入れて使えばいいじゃないですか。そう値の張るものじゃないんだし、切れたら追加するだけで危ない事もないですよ?」
「面倒くさい」

 是非もない。
 僕は片手にストーブを下げ、背中には「これを使うといい」と彼女に渡された頭陀袋を背負い、足取りも重く城壁の外へと向かった。


  *  *  *


 僕の心中を写してか、はたまた彼女の味方をしてか。
 いずれにしろロンフォールの森はおあつらえに霧の中だった。

「熱すぎる。いやそれ以前に、火力調整もできないじゃないか……」
 ボムの暖房器具としての性能などに無意味に思いを馳せながら、僕は義務感で森を彷徨い始める。
 かつて剣と盾を携えて駆け回った場所を小さなストーブ片手に歩くというこの状況。筆舌に尽くしがたい違和感は眩暈すら呼び起こす。
 深く考えてはいけない。
 時折すれ違う冒険者の奇異の視線にも気付いてはいけない。
 ボムが見付かってから考えよう。
 と言うか、見付からないでくれれば助かる。
 是非とも見付からないで頂きたい。
 そうだ、森をぐるっと一周して、それで発見できなければ諦めてもらって――
「――うん。往々にして、会いたくない相手というのは会いたくない時にこそ会うものなんだよな」
 思い出す。冒険者の時分にも、必死で鍔競り合っている時に限って、新たな獣人が間近に現れたものだった。今こそと呪文を唱える息を吸った瞬間、目の端にエレメンタルの姿が飛び込んできたものだった。
 そんな致命的とも言える僕の不運っぷりは、引退した今も見事に健在らしい。
 下草をかするようにふらふらと飛ぶ火球の影を遠く見つめ、僕はがっくりと肩を落とす。

「倒せ、という依頼の方が何倍も簡単なんだが……」
 不可能ではないにしろ、そもそも生かしたまま捕獲するなどという芸当は、獣使い以外の冒険者には縁のないものだ。いや、確かその獣使いですら、ボム族を従える事は出来なかったのじゃなかろうか。
 待てよ。そう言えば遠く東方には、様々なモンスターを写真板に写し込んで捕らえ戦わせるという、何やら摩訶不思議な娯楽もあると聞いたが――
「……まさかそんな手品を期待されている訳じゃないよな……」
 渡った事もない大陸の見も知らぬ技術を求められても困る。とは言え、家賃の期限は絶対に違えないくせに、それ以外は色々と抜けているあの人の事だ。どんな聞きかじりの知識を真に受けているとも限らない。
「先月のリヴェーヌワートの時の方がまだマシだったか……」
 一体誰に聞いたものやら、冒険の心得がある者に頼みさえすればあの珍しい香草を摘んできてくれるものと信じて疑わず、結局古い装備と記憶を引っぱり出して遠路はるばるリヴェーヌへと遠征するはめになった事があった。
 しかしこれは道程が少々遠かっただけであって、お目当ての香草は襲いかかっても来なければ自爆もしなかった。苦労の甲斐あってと言うべきか、そのワートを使って振る舞われた料理も殊の外美味かった。
 ふぅ、と僕は溜息を吐く。
「――で、今回は何を持たせてくれたんだ、一体」
 ストーブを地面に置き、彼女から押しつけるようにして持たされた頭陀袋を背中から下ろした。ついでに腰も下ろす。と、涼しい湿気に草いきれを含んだ空気がふわりと寄せて、僕の頬を優しく撫でた。その感覚と匂いに、どこかしら懐かしい気持ちを呼び覚まされる。
 かつて身ひとつで降り立ったロンフォールの森。駆け出しの冒険者はひたすらに金欠で、何を得るにも自分の手と時間を使っていた日々。思えば懐具合はあの頃と同じに戻ってしまった。苦笑いしつつ手にした袋の口を開き、中をまさぐってみる。
「えーと、何だ――厚手の手袋に、火箸? ほうほう成程、これでボムを掴めって事か。それと――軟膏。そうだな、火傷をしたら回復魔法なんかよりこれに限るよな。水筒に水。うん、火が近いと喉が渇く。それともこれも火傷対策かな。で、このまさかりは……ははあ、武器のつもりか。きっと家にあった一番大きな刃物なんだな。って――」
 ふるふると、堪えきれない笑いに肩が震える。何とまあ呑気な、しかし至れり尽くせりの品揃えだろう。
 これで僕が手間いらずの暖房器具を、手に入れて来ると信じているのならば――

 僕はひとしきりくすくす笑った後、彼女に託された品々の中から一つを選び、よっこらせと立ち上がった。


  *  *  *


「捕まえたか?」
 ドアをノックした僕を迎え入れて、彼女は開口一番そう尋ねた。相変わらずの無表情と平坦な口調は難詰に近いような気すらする。
 僕はそれに答えず、彼女の視線を浴びるストーブを部屋の中央まで運び、床に置いた。担いでいた頭陀袋を下ろして膝をつき、ガラスの嵌った扉を開いて、ポケットから取り出した火打ち石をそこに詰まっているものに向ける。
「――何だ、薪じゃないか。ボムを捕まえて来てくれと言ったのに」
 石を打ち合わせる硬い音と、彼女の声が重なる。何度目かで飛んだ大きな火花が、枯れ木を切り出した薪と、その下にあらかじめ敷いてきた藁に取り付いた。柔らかい藁にぽつりと灯った赤い点が火種となり根を下ろすのを待って、僕はそこにゆっくりと息を吹きかけた。広がってゆく小さな紅を纏い、藁が静かに踊り出す。
 ぱちっ、という木の爆ぜる音を聞き届けてから、僕は扉を閉じて立ち上がった。振り返る。白磁のような彼女の顔がこちらを見ていた。
「ボムは狂暴なのでストーブには入りません。毎日、薪か炭を入れて使って下さい」
「その調達が面倒だから頼んだんだろう」
 鼻白んだように彼女が言い返す。僕は頷く。そのまま身を屈め、床に横たわる頭陀袋から覗くまさかりを引き抜き、肩に担ぎながら僕は言った。
「ええ。ですから、僕が毎日届けます。僕の部屋のストーブのついでです。サービスで火も点けましょう。朝でも晩でも、あなたのお望みの時に。それなら手間はかからないし、ストーブが暴れ出したり自爆する危険もありません。どうです?」

 彼女はしばらく呆けたように僕を見ていた。あくまで表情は無いままに。
 数秒も経っただろうか。やがて彼女は目の焦点を元に戻すと、ふん、と頷いた。
「なるほど、それもいいな――いや」

 それがいいな。
 そう言って、彼女はくるりと背を向けた。これで用は済んだと言わんばかりに。
 僕はひょいと肩をすくめる。手にしたまさかりを腰のベルトに提げ、ストーブの中の薪が赤々と燃え出したのを確認してから、それでは、と言って戸口に向かう僕に、彼女は背中で言った。
「しかし、確か君の部屋に薪用のストーブは備え付けていなかったと思ったが。気のせいかな」

 よくお気付きで。
 ま、相変わらずお粗末な嘘は、ご愛敬。

「気のせいですよ。それよりエメリーヌさん――」
「家賃ならまからん」

 即答。
 呼び方の訂正がなかったのは、ご愛敬――


End




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