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 サヤナは強く踏み込んだ。
 びちゃりと濡れた土から泥が跳ねて軍用ブーツに付着する。

 降りしきる雨の中。
 夜明けの木漏れ日が、克勝の背を照らす。
 サヤナはアサルトライフルの先に付いた刃を彼の背に突き立てようとして、軽くかわされる。
 完全な奇襲がいなされた。

「強者ってのはいつ現れるかわからねえもんだが、弱者はすぐわかるな」

 克勝はサヤナの顎に一発。
 次に、がら空きの腹へ蹴りを入れた。

「うぐぅ……!」

 サヤナは吹き飛び、傾斜を転がる。
 木の幹に体を打ち付けた。
 アサルトライフルは克勝に奪われた。

「道具とはいえ、女の腹を蹴るってのは気持ちがわりぃね~」

 克勝はアサルトライフルを手にしながら、後味の悪そうに嘲笑する。

 カチカチと引き金を引き、壊れていることを確認すると膝で折って投げ捨てた。

「女の腹は乃公の子を孕むためにあるんだ。特に美人の腹はな。わかるか? ん?」

 彼は嘲笑しながら冷徹な目で見下ろし、歩き出す。
 サヤナの渾身の踏み込みで出来た小さな足跡は、克勝の大きな足で簡単に上書きされた。

「あぁ、わかんねえよな。主人の命令にしか従わない、孕むこともできねえ犬には」

 彼は姿勢を低くして、手を叩く。

「ほれ、ほれ、わんわん~! ご主人様は誰ですか~? ちゃんと自分の口で言えるかな~?」

「……す」

「あ? あアア……? 吠えることもできねえのか。犬にも劣る道具だな~。くだらん産業廃棄物が」

「エクス……」

 泥にまみれたサヤナは倒れながら構えた。
 手作り感あふれる単発拳銃を。
 朝日の影になっているにも関わらず、真っ白に輝くジャケットを着た克勝に向けて。




 数日前。
 塚克勝は(オチル)・オーチャードと共に元パンチオン・クラブの事務所に来ていた。

 無人の事務所に二人の足音が虚しく響く。

 民間の魔人格闘団体。パンチオン・クラブ。
 かつては国内でも特に大きな団体で、その知名度はファンではなくても主要選手の顔や名前を知っているほどだった。

 克勝の腐敗神話報道を受けて人気が低迷し、活動を休止。

 彼が何度も出入りした場所でもあった。
 あの頃とほとんど変わらない。まるで時間が停止したかのようだ。
 脳裏にせわしなく人が仕事している姿を思い出す。

 事務所の横には選手の待合室がある。
 落人(おちびと)・オーチャードのために設けられた特別な一室。

 中に入ると埃を被った数種類のトレーニングマシンと本棚が置かれていた。

 (オチル)・オーチャードは埃を払い落として本をバックに詰める。
 克勝はそれを見ていた。

「アイツ、いつ死んだんだっけ」

「二週間前です。もう三ヶ月も病院で寝たきりでしたから、覚悟はしてましたけどね」

 父、落人の遺品整理を娘の落が淡々と行う。

 克勝は彼の葬式に行かなかった。
 今も行く必要はなかったと思っている。

 落はそれに文句ひとつ言わず、克勝を呼び出した。

「ふん……」

 克勝は手伝う気も起きず、手持ち無沙汰になったためスマホでニュースを見る。

 とある亡国の戦場跡では自動化された戦争が行われていた。
 七年の歳月を経て、生成プラントで核爆弾のような巨大エネルギーが暴発。
 被爆するため、今では誰も近づけないようだ。元の環境に戻るには数百年かかるとも言われている。

 無意味に資材を浪費するだけの戦争、とセンセーショナルに民衆を煽る記事が書かれていた。

 衛星写真には、月のクレーターのように巨大な穴がプラント跡地にぽっかりと空いていた。

「……くだらん」

 克勝はスマホを閉じる。
 落は、まだ本をバックに詰めていた。
 格闘技の専門書から、魔人格闘の特集を組んだ雑誌。大きさが違うと入れるのも大変そうだ。

「捨てるぐらいは手伝ってやるよ」

「結構です」

「遠慮すんな。この程度で乃公が嬢ちゃんの体を要求したりしねえよ。ま、嬢ちゃんがその気になるってんなら、乃公はいつでも構わないけどな。寂しさを埋められるかもしれねえだろ?」

「いえ。処女も本も、捨てませんから。せめて誰かに譲ります」

「処女なのか?」

「……ほんとノンデリ。あなたには関係ありません」

「まぁいい。しかし、そんな古い本、誰も欲しがらねえだろ。嬢ちゃん自身も」

 落の能力、アシュロンは完全記憶と再現能力だ。
 一度見た武術だけではない。本は一度読めば内容は能力で再現できる。彼女は本を持つ必要がない。
 誰も必要としていない故人の本など、捨てるだけだ。

「真面目な闘技会員にとって、ブックは捨てるのが一番良い、だろ?」

「……捨てられないんですよ」

「ああん? どうしてだ」

「わかりません。……何かが憑いてるから、って言ったら変ですかね」

「ただの本に一体何が憑くっていうんだ?」

 この時の克勝には、まだ彼女の言うことが理解できなかった。
 わざわざ呼び出して、落が何を伝えたいのか。

「父からの遺言があるんです。あなたに」

 落の話を聞きながら、克勝は床のタイルが老朽化してズレていることに気づく。

「空を舞う凧は糸があるから立派に見える。だが凧のことを考えれば糸は無い方が良い。風に逆らうことしか覚えないから。だそうです」

「あぁ、そうかい。アイツも知らねえうちに詩的な表現を使うようになったもんだ」

 聞き流しながら持ち上げるとタイルの下には、土に埋められた箱があった。

「汚えな……」

 泥を払い、取り出して開けると、黒いビデオテープが入っていた。
 ラベルには『塚 克勝 5試合目』と書かれている。

 それは不敗神話と呼ばれた克勝が唯一、敗北した記録だった。




 当時の克勝は強い男だった。

 魔人闘技場において、魔人能力なしでデビューから4回連勝するほどである。
 克勝は幼い頃から負けたことが無かった。

 5試合目。克勝は敗北した。

 相手は背が低く、筋肉量は少ない。
 腰が曲がり、全身が皺や斑点だらけの、禿げ散らかした小汚い老人だった。

 今にも死にそうな姿で克勝に対面していた。
 あまりにも弱々しい姿に克勝は嘲笑した。
 こんな奴、逆立ちしても勝てると思った。
 吹けば飛ぶような老人が無敗記録を持ってるなんておかしいだろ、と。

 数秒後。
 気が付けば克勝は腰を抜かしていた。
 訳が分からかった。

 すぐに距離を取って立て直し、老人に殴りかかった。
 まったく当たる気がしなかった。体に当たっても衝撃が受け流されて伝わらない。

「さすがだ。才能を感じるぞ。若者よ」

「てめぇ……!」

 老人が使うのは地味な武術だった。
 極限まで無駄を削ぎ、効率化された武術。それでいて引き出しが途轍もなく多い。

 老人が人生をかけて磨きあげたものだと心の底で理解した。
 己のすべてを投げ売って磨き上げた武術。

 克勝は何度も何度も、殴りかかった。
 そのたびに、いなされ、受け流され、反撃を食らう。

 敗北を知らない克勝にとって、それはあまりにも衝撃的だった。

 自分より格上の存在に初めて出会ったのだ。

 けれど、克勝は勝利した。

 老人は死んだのだ。
 寿命だった。老人は試合中、立ったまま死んだ。
 最期まで自身の持つ武術を余すことなく発揮し、この世を去った。


 その晩。
 克勝は忘れられなかった。
 頭の中で何度も老人の武術を思い出す。

 それは才能あふれる克勝の力をこれ以上なく高めた。

 魔人能力に目覚めたのもこの時だ。
 最強を示し、すぐに散って行った彼の存在が、能力となって武術と共に克勝へ刻み込まれたのである。

 同時に、克勝は激怒した。

 なぜ死んだ。
 これでは超えられないだろうが!
 もう一度戦うことができないだろうが!

 彼は老人を超える方法を考えた。

 あの老人が禁欲し、極限まで無駄を排したのなら。
 乃公は欲望に酔い、魅せるための武術を行おう。

 相手を称賛する戦い方をするのなら。
 乃公は徹底的に侮辱し、見下そう。

 その日から真っ白なジャケットを着ることにした。

 勝って、勝って、勝ち続けて。
 たった一点の黒星を数多の白星で覆い潰そう。

 それがあの老人を超える唯一の方法なのだから。




 ムナゴ=サヤナが転送されたのは、山林だった。
 片腕ほどの太さを持った樹木が、天高く乱立している。
 雑草ですら彼女の背丈より高い。
 見通しが悪く、傾斜と木の根のため足場が悪い。

 身を低くして周囲を警戒する。
 雑草の中では蜘蛛が巣を作っていた。生物も一緒に閉じ込められるらしい。

 敵がいないことを確認して、立ち上がる。

 方針は簡単だ。
 開幕、敵に向かってエクスキャリバーを使えばいい。

 戦場は2km四方程度の領域となることが多い。今回もそうだろう。
 弾は残りひとつ。規格から外れたエラー品だから、前回と同じ弾種でないかもしれない。
 最低限、敵に銃口を向けることが必要だ。

 まずは索敵だ。

「まぁ……」

 サヤナは考える。

 エクスキャリバーは地面に放てば最悪、全方位破壊できる。

 いや。もう……。

 撃とう。

 私の目的はみんなの、シシムの生きた意味を示すことだ。
 撃っても問題ない。

 いや、ダメだ。
 勝ったらクローン兵への支援と戦没者の慰霊碑が立てられることになっている。
 それを捨てるのはもったいない。

 私のやることは敵を見つけて、その方向に銃を撃つだけなのだ。
 多少照準がズレても問題ない。
 ただ方向が分かればそれで充分。

「あれ?」

 腰に入れておいたエクスキャリバーがない。

「え? え?」

 服のポケットを確かめ、周辺をいくら探してもない。

「何処か、落とした……?」




 塚 克勝が山林の中で、ひとつの拳銃を拾っていた。

 黒く、手作り感あふれる銃だ。
 妙に全体が生暖かく、けれど最近撃った形跡がない。
 火薬ではなく靴下の臭いのする拳銃だった。

 引き金を引こうとするが、固い。壊れているのだろう。
 マガジンに弾はない。
 薬室には金色の弾丸がひとつ。固まっているのか、排莢できない。

「落への土産にするか」

 後ろのベルトに銃を挟んだ。

「じゃあ、散歩でもするかな」




 サヤナは山林の中を飛び回っていた。

 左から二つ。右から三つ同時に飛び出てくる白い柱。

 柱は地面の足跡、木の幹から飛び出てくる。
 すぐに脆くなるが、出始めは途轍もなく硬い。
 勢いは強く、当たれば体へのダメージは大きい。動きにくくなるだろう。

 サヤナは跳んでかわす。
 すると跳んだ先で柱が迫ってくる。

 彼女は空中で無理やり体をねじって、迫りくる柱の上に乗る。
 少しよろめいたが即座に体勢を整えて走る。

 走った先にも白い柱が迫ってくる。
 これも跳んでかわした。

「誘導されてる……!」

 敵の魔人能力は設置型のものだとサヤナは理解した。
 恐らく残した足跡から任意の時間後、柱が飛び出るタイプものだ。

 この山林には蜘蛛の巣のように罠が張り巡らされている。

 懸念すべきは、白い柱を回避する猶予がどんどん短くなっていること。

 上へ上へと促されるこの誘導から脱しなければならない。
 敵が決めた筋道をわざわざ乗る必要もない。

 サヤナは銃口に刃がついたアサルトライフルを振りかぶる。

「ふん!」

 力を込めて突いた。
 木の幹に刃をめり込ませ、その銃身の上に乗る。
 即席の足場だ。

 アサルトライフルと刃の結合部がミシミシと音を立てる。
 耐久を考えればそこまで何回も使えないし、長居もできない。

 先ほどの柱の様子を見る。
 徐々に回避ルートが限定され、最後は逃げ道を失って潰されるシナリオだった。
 とりあえずの窮地を脱したことを確認して、安堵する。

 まだ戦闘は始まったばかりだ。
 サヤナは努めて気を引き締める。

 ここからだと山林が一望できた。

 敵が何処に居るのか。
 居場所を見つけなければ攻撃を受けるだけだ。

「いた……!」

 木々が風で揺れる隙間に、男の姿を発見した。
 サヤナは足場となったアサルトライフルを回収し、木を猿のように伝って、接近する。

 真っ白なジャケットを着た壮年の男。
 塚克勝である。サヤナは不敗神話と呼ばれた彼のことを知っていた。
 まともに戦うのは間違いなく分が悪い。

「……なっ」

 彼はエクスキャリバーを持っていた。
 トリガーに指を入れてクルクルと回している。

「返せえええっ!」

 サヤナは見境なく、しゃにむにに飛び掛かった。刃のついたアサルトライフルを大きく振る。

「ああ?」

 克也は何の気なしに避ける。
 次にサヤナの返す刃も、柱が生えてきてガンッと止められた。

「落とし物は警察に届けなくちゃなあ?」

「あなたのような人が善行? 神様もびっくりしますよ」

「神を脅かす存在なんだ。乃公は」

「それは私の、大事な人の形見だ。返せっ!」

「おっと」

 武器を持って再び飛びかかるサヤナを、克勝は子供をあしらうようにかわす。

「持ってる銃を使わず、能力も使わない。一直線に来るだけ。いつから闘技場はこんなにレベルが下がったんだ? 会員は誰もが認める強い闘士とのマッチングが成立するように働きかけると契約したはずだが」

 冷静になったサヤナは後悔した。

 周囲には木々があり、大きな武器は振るいにくい。
 根と傾斜のせいで足場も悪い。
 克勝はサヤナより高い位置にいる。
 あの足で蹴られたら、体がどうなるか考えたくもない。

「あぁ。お前の能力はこれか」

「……っ」

 克勝は理解した。
 拳銃がなければ使用できない能力なのだ。

「わかりやすいガキだな~。すぐ顔に出る」

「う、うるさいっ!」

「こうしよう。拳銃を奪ったら、一度だけお前の能力を食らってやる」

 彼は拳銃を腰後ろのベルトに挟む。

「誰が信じるか!」

 サヤナはグレネードを取り出して、振り上げた。

「シャバいねえ~」

 克勝はサヤナがグレネードを投げると同時に、すり足で一歩下がり、碑を連続させて壁を建てる。

 一拍の間。
 爆発は起きず、煙幕が壁の縁から風に吹かれてきた。

 煙の中から三つ、グレネードを投げられる。
 どれもスモークグレネードだった。
 煙が克勝の周辺に充満する。

「なぁ、ガキ。乃公の女にな、落って奴がいるんだけどよ」

 煙の中にいるサヤナは答えない。
 克勝は煙に囲まれているが、余裕の表情。

「そいつが空を舞う凧に、糸は無い方が良いって言うんだ。風に逆らうことしか覚えないからだってよ」

 克勝は平面になるように足跡をつけてから、もうひとつ足跡をつける。こちらはぐりぐりと地面を擦り、何度か踏む。

「そいつ、乃公とは違って人の真似をするのがうまいやつでな。たまに、風に流されて生きてるんじゃねえかって思うときがある。糸は離してないのに、たわんでやがる」

 彼は擦った地面から生えてきた碑に、足を組んで座る。即席の椅子だ。

「でもな、知ってたか? 凧は風に逆らうときが一番高く飛べるんだぜ」

 椅子は生えては風化し、再び生えては風化する。卓越した能力操作が、彼の腰を落とさず碑に座らせて続けている。

「糸を切っちまえば、風に逆らうことも忘れるんだろうけどな」

 サヤナが音もなく煙の中から現れて、山刀を振る。
 しかし出現した白い碑によってガンッと遮られる。

「……っ!」

「切れねえんだ、これが」

 すぐにサヤナは体を回転させて再び切りかかる。
 山刀が克勝に迫ったところで、止められた。

 素手で。
 正確には防刃グローブを装着している手で。
 彼は指で摘むように刃を掴んでいる。

「どうしてっ」

 サヤナが力を入れても、びくともしない。

「おいおい、単純すぎるだろ。タイミングが簡単に予測できちまう」

 先程サヤナの刃を止めた碑は力を失って、砂になっていく。

「それに工夫が足らねえ。煙程度でどうして当てられると思うんだ。本命当てるなら、もうちっと無えのか?」

「さっきからお前が何を言ってるのか、全然わからない。人は凧じゃない。地に足つけた考え方をした方が良いんじゃないの? 座ってないでさ!」

 サヤナは山刀を手放して、克勝の胸を蹴りを迫る。
 克勝は白いジャケットが泥で汚れるのを嫌い、能力の即席椅子を解除して一歩下がった。
 彼女の蹴りは空を切る。

 克勝の下がった足が、木の枝を踏む。
 すると縄が足首に絡まった。スネアトラップだ。数秒後には宙吊りにされるだろう。
 罠を仕掛ける側の彼が、今度は罠を仕掛けられたのだ。

「だから足元掬われるんでしょ」

「なるほど、これが本命か」

 克勝は考える。
 おそらくこの縄を山刀で切ろうと屈んだときに、腰に挟んだ拳銃を抜き取るつもりなのだろう。

 しかし今すぐ切らなければ、宙吊りだ。
 思考してる間にも、克勝の片足を引く力が強くなってきていた。

 宙吊りになったら、乃公の能力は無力化される。歩くことが封じられるのは大きなリスクだ。

 このガキは乃公に山刀をわざと奪わせ、本命を盗りに来ていた。
 何かを得るならば何かを失わなければならない。それがわかっているヤツは強い。

 悪くない。悪くは、ないのだが。

「ふあぁ~」

 退屈だった。

 彼はあくびをしながら、サヤナの思惑通り山刀で縄を切ることにした。

 その隙を逃すサヤナではない。
 接近し、狙うは彼のジャケットの内側。腰の拳銃に手を伸ばして――――。

 掴まれた。

 克勝は片手の山刀で縄を切断し、同時にもう一方の手でサヤナの手首を掴んだのだ。

「いっ……!」

 サヤナは驚いていた。
 縄を山刀で切断するのは難しい。
 慣れている人でも時間をかけて擦らなければ、切ることができない。
 歩兵として縄と山刀を常に戦場へ持ち込んでる彼女が、よく知っていることだった。
 それを擦らず一刀両断。しかも片手で。

 誤算だったのは克勝の力だ。
 常人とは圧倒的に膂力が違う。
 速さも、精度も、経験も、何もかもが桁違いなのだ。

「おい」

 克勝は掴んだ手首をぐいっと引き寄せた。
 彼はサヤナの顔を近くで見る。
 多少、悪くない戦いをしたからだ。乃公の女にしてやってもいいと思ったのだ。

 闘士は他所の会員や闘士にプライベートで迷惑をかけないこと、と彼が会員とした契約にあるが、別に構うことはない。
 あとでいくらでも言い訳ができる。
 それに今はプライベートではない。

「は、離せっ……」

 サヤナは顔を背ける。
 こんなに誰かにジロジロと顔を見られたのは初めてだった。嫌悪感が彼女を襲う。

「……くだらん」

 克勝は興味を失くした。
 彼はサヤナの顔を見たことがあったのだ。
 クローン兵。
 みんな同じ顔をしている気色の悪い軍団。
 無意味な戦争のために作られた道具。
 色気など感じるはずもなかった。

「後ろにいる奴は誰だ」

「は?」

「お前の主人だよ」

「いない。……いるのは仲間だけだ」

 サヤナの心を支えているのはシシムと、姉妹だけだ。

 そう返すサヤナの瞳を、彼はじっと見つめる。
 彼が何を考えているのかサヤナにはわからない。

「くだらんな」

 やがて克勝は彼女を突き放した。

 サヤナはよろけながら、すぐ構えを取る。
 けれど追撃は来ない。

「もう一度、チャンスをくれてやる。試合終了までに奇襲をかけてみろ」

「はぁ!? おい、どういうことだっ!」

 無防備に去っていく背中に、サヤナ問いかける。

「やっぱ乃公も復帰試合かつ、相手が女だと煽りが足りなくなるな」

「おいっ! 私の形見、返せよ!」

「ああ?」

 克勝は振り返ってサヤナを睨みつける。
 それだけで彼女はすくんでしまった。

「待ってるぜ」




 多脚戦車が戦車地雷で吹き飛んだ。
 私達が命懸けで真剣に仕込んだ罠を踏んで、馬鹿みたいに飛んだ。
 大きく放物線を描いて、遠くでぐしゃりと潰れた。
 それを見た私はシシムとハイタッチする。

 拠点――といっても雨風がしのげる程度の――に戻ってからもシシムは喜び冷めやらぬ様子で話していた。

「あれ良いなって思ったんだよね。爆弾を使ってさ、どーんと跳べば、何処までも飛んでいけるんじゃないかなって」

「足が持たないでしょ」

 そうは言いながらも、きっと私はシシムのこういう非現実的な話が好きだった。

「どうせなら宇宙に行きたい。出来れば、広大な宇宙をジャケットにして羽織りたい」

 両手を大きく広げて、シシムは夜空に焦がれる。

「何それ。宇宙全部自分のものにする気? 集めたこいつらはどうするんだよ」

 私の手元にあるのはシシムの蒐集癖による兵器の数々。
 どれも規格から外れた珍しいものだ。

「代わりにサヤナが管理してよ。受け継ぐって、人間らしくない?」

「嫌だよ。なんでこんな無意味な戦争やる奴らの真似事しなくちゃならないのさ」

 私達はクローン兵だ。
 機械兵と違って体には血肉が通っている。
 製造されてから2年。
 人間は私達と同じ背丈になるまで19年もかかるらしい。
 子供だって出来ない。だから人間とは別の生き物なのだと思う。恐らく機械とそう変わらない。

「あはは。確かに。ねえ、それはそれとして。宿題やってきた?」

「えぇ? 礼儀作法の?」

「そうそう」

「できないよ。無意味だし。私達の脳は戦闘用に特化されてるから、難しいんだよあれ」

「壁を越えて生きていくなら戦うだけじゃダメなんだよ。最初は何事も難しいもんなの。誰でも高く跳ぶには最低二歩の助走が必要でしょ。だから、はい練習! あいさつから!」

「もう~! 鬱陶しいなあっ! どっかいけ!」

 私はシシムのことを鬱陶しいと思った。
 外に出たら必要なことだと心の何処かではわかっていた。
 でもうまくいかなかったから、遠ざけた。

 シシムはまた壁越えに挑戦しようとしていた。この戦場から出るために。
 私はどうすればいいのかわからない。
 統括AIに従うのも嫌だし、何か目的があるわけでもない。
 壁を越えたら、私、何がしたいんだろう。


 次の日、シシムはクズ肉になって死んだ。

「………………ばかやろぉ…」

 私のせいだ。
 私がどっかいけと言ったせいだ。

 鬱陶しいと思ったのは、シシムは私のことを絶対に裏切らないと、知っていたからだ。

 シシムは優しくて、心配性で、勇気があって、何かあったときも私を抱きしめてくれた。
 それなのに、私は嫌がって、怒ってばっかりで。
 あれだけ思い出をくれたのに。お礼を言う機会すらないなんて。


 今ならわかる。
 あの無意味で非現実的な話がとても大事だった。
 好きだったんだ。
 好きなものってなんでこんなにもわかりにくいんだろう。嫌いなものはすぐわかるのに。

 今でも思う。
 私がシシムのために叫ぶのは間違っているんじゃないか。
 もういない人のために叫ぶのは、この戦争と同じで無意味なことなんじゃないか。
 私が叫んでも何にもならないんじゃないか。

 でも。だとしたら。
 シシムの一生は何だったの?
 無意味で、負けっぱなしの人生で。
 蒐集癖があって、夢を見て、壁を越えようとして跳べなくて。
 そんなシシムを一体誰が覚えてくれるの?

 やっぱり私は叫ぶべきだ。
 叫ばなければならない。
 例えそれが私の最期になったとしても。




 夜、サヤナは木々に身を潜めながら考える。

 恐らく克勝が煙の中でも反応できるのは、耳が良いからではないだろうか。

 確証があるわけではない。
 反応できるのは経験があるから、という結論になってしまうと彼女に打てる手が無くなるからだ。
 その場合は死ぬだけなので、考えなくて良い。

 手持ちはスタングレネードが3つ。
 武器は刃のついたアサルトライフル。これだけだ。

 克勝の能力で一番強力なのは相手の行動を誘導する仕掛けだ。
 まるで未来予知かと錯覚するかのような罠の数々。
 後ろに下がるだけで追撃がしにくくなる。

 弱点はあった。
 能力を発動するには必ず踏み出さなければならない。
 煙の中、罠を仕掛けることで弱点を突いたはずだったが、終わったことを悔いても仕方ない。

 終わったことを悔いても仕方ない、か。

 そのように何でもかんでも割り切れたら。どれほど良いか。

「まぁ、そんなの無理だよね」

 今は目の前のことに集中しよう。

 克勝は山林の頂上にいる。
 周辺には木々が立っており、尾根はない。
 傾斜が緩く、360度何処からでも攻められる。その気になったら木の上からでも攻撃できる。

 彼はたまに移動して足跡を残し、すぐに頂上に戻る。

 サヤナには随分と油断しているように見えた。
 彼女なら絶対に選ばないような場所だ。克勝はサヤナのことを舐め切っているのだろう。

 勝算が一番高いのは、朝日を背景にスタングレネードを投げて特攻する。
 何とか腰の拳銃を奪還出来たら、即座に撃つ。これしかない。

 それまでは観察し続けて、何処に足跡をつけたのか記憶しよう。
 サヤナが彼を発見する前に足跡を付けた場所は把握できないのだが、そこは考えても仕方ない。

 そのまま一晩過ごした。


 …………
 ……



 夜明けの直前。
 雨が降っていた。
 朝日を背景に突っ込むのはできないかもしれない。
 でもやるしかない。

 地平線に光が差し掛かる。

 それを合図とした。

 サヤナはスタングレネードを三つ同時に投げ、耳を塞ぐ。
 同時だ。間隔を開けて慣れさせることに意味はない。
 強く耳鳴りを引き起こせば、それで良い。

 克勝の立っている周辺で閃光と衝撃が迸る。
 ひとつだけでもジェット機のエンジンに匹敵する巨大な爆発音。
 常人なら一瞬で平衡感覚や聴力を失うほどの強烈な衝撃波。
 それが三つ同時だ。

 あの克勝でも無事ではないはず。
 この隙にサヤナは走った。滑りやすい木の根を踏まないように、全力で。

 びちゃびちゃと音を立てながら進む。
 彼に聞こえているんじゃないかと疑念に駆られるが、ありえない。

 克勝の後ろ姿が見えてきた。
 少し揺れている気がする。
 成功したはずだ。

 サヤナは強く踏み込んだ。
 びちゃりと濡れた土から泥が跳ねて軍用ブーツに付着する。

 降りしきる雨の中。
 夜明けの木漏れ日が、克勝の背を照らす。
 絶好のタイミングだ。
 例え振り返っても、サヤナの姿は影になって見えにくい。

 彼女はアサルトライフルの先に付いた刃を彼の背に突き立てようとして。

 軽くかわされた。
 ふっと横に避けたのだ。

 完全な奇襲がいなされた。

「強者ってのはいつ現れるかわからねえもんだが、弱者はすぐわかるな」

 克勝はサヤナの顎に一発。
 次に、がら空きの腹へ蹴りを入れた。

「うぐぅ……!」

 サヤナは吹き飛び、傾斜を転がる。身体中が泥に塗れていく。
 木の幹に体を打ち付けた。
 アサルトライフルは克勝に奪われた。

「道具とはいえ、女の腹を蹴るってのは気持ちがわりぃね~」

 克勝はアサルトライフルを手にしながら、後味の悪そうに嘲笑する。

 カチカチと引き金を引き、壊れていることを確認すると膝で折って投げ捨てた。

「女の腹は乃公の子を孕むためにあるんだ。特に美人の腹はな。わかるか? ん?」

 彼は嘲笑しながら冷徹な目で見下ろし、歩き出す。
 サヤナの渾身の踏み込みで出来た小さな足跡は、克勝の大きな足で簡単に上書きされた。

「あぁ、わかんねえよな。主人の命令にしか従わない、孕むこともできねえ犬には」

 彼は姿勢を低くして、手を叩く。

「ほれ、ほれ、わんわん~! ご主人様は誰ですか~? ちゃんと自分の口で言えるかな~?」

「……す」

「あ? あアア……? 吠えることもできねえのか。犬にも劣る道具だな~。くだらん産業廃棄物が」

「エクス……」

 泥にまみれたサヤナは倒れながら構えた。
 手作り感あふれる単発拳銃を。

 なんとか奪い取ったのだ。

 朝日の影になっているにも関わらず、真っ白に輝くジャケットを着た克勝。

 方向がわかればそれで充分。

 突然。
 サヤナは、ぐんっと前進した。
 倒れ、構えている状態のまま。
 泥や根を、服や肌で抉りながら傾斜を上がっている。

 サヤナの背中には白い柱が伸びていた。
 柱が彼女の体を押しているのだ。

 先ほど腹を蹴られた。
 だから腹から柱が出てくるならわかる。
 なのにどうして背中から出てくるのか。
 ここにきて彼の隠し玉。能力の性質を隠していたのだ。

 サヤナは焦った。
 克勝との距離が急激に近づいている。
 今すぐ引き金を引かなければならない。
 両手でがむしゃらに、震えるほど力を込めるけれど、固い。
 全く動かない。

 「ばーか。銃を取ってもお前の負けだ」

 目前に迫っていた克勝が山刀を振り上げる。

 それでもまだ引き金を引けない。
 どうして。

 ――――もしかして、私。能力を失うのが怖いの?

 克勝の山刀が迫る。

「(避けられない……っ!)」

 拳銃にぶつかった山刀がガキンと折れた。

 克勝は首を傾げる。
 拳銃の硬さと、酷使した山刀の脆さ。
 彼女の腕が想像以上の力を持っていたのだ。

 サヤナは手の甲に奇妙な暖かさを感じていた。

 ――――大丈夫。そう、こうやって、力を込めて。

 彼女の視覚には何も映っていない。
 けれど手の甲に添えられた、暖かな想いと声。
 錯覚だ。
 けれど何処か信じるに足る、何かがあった。
 まるでシシムが守ってくれたかのように思えた。

 サヤナは意を決して、再び引き金に力を込めた。
 その瞬間。

「チッ。山刀じゃダメか。だけどな」

 上空から碑が降り注ぐ。
 克勝は葉の裏を踏んでいたのだ。葉から伸びた碑がサヤナの両手まで奇襲をかける。

 同時に地面からも碑が生えてきた。
 下の碑。上の碑。
 かつて巨人の歯と呼ばれた能力が、サヤナの両腕に迫る。

「言っただろ。お前の能力を食らってやると」

 碑によってサヤナの両腕はガチンと切断され、宙を舞う。血と骨の破片が散った。

 克勝は弱者に対して、希望をちらつかせる効果を良く知っていた。
 そして希望が途絶えたときに見せる絶望も。
 これが画になるんだ、と口端を吊り上げる。

「ひとりの想い程度で殺せるなら、神話だなんて呼ばれてねえのさ」

 しかし。

「キャリバああああああ!!!」

 目一杯、力強く、引き金を引く。

 もう腕はサヤナの体から離れた。
 けれど宙を舞う両腕は引き金を引いた。

 既に指に力を入れていたから、切断された衝撃で引けただけだったのかもしれない。

 きっと。
 サヤナだけの力ではなかった。
 いつだってそうだった。彼女はひとりではなかったのだ。

 満を持して放たれる。
 銃声は無く。
 銃口から迸った金色の光。
 それは内包した力にしては馬鹿げたほど小さいものだった。

 サヤナは柱の隙間から見る。
 一粒の、水滴のような光。
 一瞬のことだったが、サヤナにはゆっくりと雨の中で涙が落ちていくように見えた。

 他の多くの涙と、何も変わらない。
 サヤナの気持ちは月並みな悲しみなんだと、シシムが教えてくれているような気がした。

 みんな、無意味と思えることをずっと続けて。
 毎日つまらないことだらけで。
 でもたまにはおもしろくって。
 そんな日々にも限りがあって。
 だから人は頑張れるんだって。

「ばかやろぉ……」

 ――――助走をつけて。踏みしめて。高く、遠く、どっかに飛んで行け。鬱陶しいシシム。


 克勝は驚いていた。
 すべての音を置き去りにして、星のような輝きが目の前にある。
 巨大過ぎるエネルギーは恐らく空間をも歪ませる力があった。
 辺り一面が暗くなったのだ。
 彼は夜が訪れたのかと錯覚した。
 周囲の気圧が高くなり、巨人に踏みつぶされる直前のようなプレッシャー。

 克勝はその気になれば逃げることができた。
 しかし逃げず、思わず笑いながら手を伸ばした。
 彼の人生において経験した今までの戦いと、何処か満たされない思いが、彼にそうさせた。

 暗闇の中。
 ずっと求めていた格上が、金色の星が、輝いていたのだ。
 どうして手を伸ばさずにいられるか。

 それは克勝の拳を突き抜けて。
 掌を容易くすり抜けて。
 出始めの最硬の白き碑も真っ黒に焦がし、貫通して。
 地面に埋没した。

 ――――ああ、クソッ……乃公より強え奴はすぐに消えやがる。

 真っ白なジャケットと蜘蛛の巣は、真っ黒になって焼き消えた。




 雲ひとつない青空の下。
 昨日つけた大きな足跡の隣。
 宇宙のような黒を基調にし、大きな金色の星がふたつ刺繍されたジャケットを身に纏うサヤナがいた。

 ここにはサヤナ以外の人は近づけない。
 彼女は能力による副産物だと思っている。
 シシムが彼女を裏切ることはないのだから。

 もうひとつ。巨大プラント跡のクレーターに建てられる予定の慰霊碑も、時間が掛かるだろう。
 どちらも消えることのない足跡となるはずだ。

 彼女は銃を地面に突き刺す。

 そして大きく息を吸う。空に向かって。宇宙に向かって。目一杯に。

「何が月並みな悲しみだああ!!! こっちの気も知らないでーーー!!! おおばかやろぉーーー!!!」

 叫んだ。

 誰もが感じる月並みな悲しみなんだと、サヤナは知った。

「もう絶対、生きてやるからーー!! 死んでやらないからーー!!」

 人生には限りがあることをサヤナは知った。

「あとは心配いらねえからーーー!!! こっちは元気にやるからーーー!!! たまにはシシムのこと思い出して、誰かに話してやるからーーー!!!」

 その叫びは、恐らく無意味だった。
 けれど無意味なことを真剣に行うこと以上に、価値のあることをサヤナは知らない。

「さよならあああ!!! 向こうに行っても、元気でやれよーーー!!!」

 私がいること、それがシシムのいた証になるんだ。とサヤナは知った。

 彼女は振り返って歩き出す。

 目的地は決まってない。
 でも大丈夫。

 私達はこんなにも力強く飛べるのだから。


最終更新:2026年05月25日 00:53