家路の途中、弁当箱の蓋を開けた。
中身はすっかり平らげられている。
グルメカップの底に張り付いたパセリを摘み、道傍の草叢へと投げ捨て一息をつく。
蓋を閉めて再び鞄にしまい、元の道を戻る。
恐れる事など何もない。
ーーー
「これレイラのッ!お姉さんになったレイラが着るのッ!!」
女性下着売り場で製品を広げて転げ回る幼女の姿がある。
タワワに膨らむ肉が白いレオタードをミチミチと内から圧迫し、遠く観客席の目を釘付けにする。
ショッピングモール!
魔人闘技会によって接収されたこの施設は今、ただ二人の人物を除き完全に無人!
従業員や客は、この日特別に一日限定特別会員として観覧の権利を得ている。
下民の分際で上流階級のご一同と席を並べられることはこの上ない至福に違いなく、喜び以外の感情を許されるはずもない。
今回のステージは特別集客に力を入れられており、会員の数も多い。
戦場にカメラを仕掛けたわけでもないのに、特殊スクリーンを通した映像はまるで戦士達の姿が目の前にあるかのようにリアルな戦場を映し出している。
音も、香りも、全てが現実的に、間近に迫る。
肝煎りの特殊設備だ。
観客達は転げる童女に熱心に魅入る。
彼らは何もあどけない姿の子供を相手に欲望しているわけではない
命の奪い合いを、果たし合いを望み、血眼でそれを見守っている。
果たしてこの対象に欲情することと、殺し合いを望むこと、どちらが本当に非道徳的なのか、それは今この時重要ではない。
「さて、来るか」
老拳狐が呟く。
幼女が、床を跳んだ。
ーーー
「迷子のお客様のご案内です」
フロアに流れる放送が切り替わったことに、キム・レイラ——ブロブ内藤が気がついたのは、いつだったか。
「キム・レイラさん、キム・レイラさん、お母様がお待ちです。1F、インフォメーションセンターまでお越しください」
接収されたばかりの店内では、先程まで通常の連絡事項が放送として流され続けていた。
急に切り替わった音声には、彼の扮する幼女の名前が読み上げられている。
(なんか知らんけど、こんな罠に引っかかるほど間抜けじゃないロブねぇ〜〜っ!)
ブロブ内藤は、女性下着を布団代わりに転げる行為を継続する。
(来るなら来いロブ! この油断しきったムチムチボデーが罠だということも知らず!)
彼の身体は、突如として吹き飛ばされた。
何の予兆もなく、衝撃が彼の脇腹を捉え、十メートルも先にある壁へむけて吹き飛ばしたのだ。
「忍法、姑獲鳥の術……!!」
呟いたのは観客席で見守る、老拳狐
である。
無防備に散らかされたパンティの上に立つ、女性闘士の姿。
紛れもなく、それは新海幸子である。
「流石は、あの『新海幸子』……!!」
老拳狐の瞳が、仮面の奥で細められた。
新海幸子、それは一部の界隈では言わずと知れた大人物である。
都内キリスト教系某忍術学園でトップの成績を収め、アイドルと学生の二足の草鞋!
飛び級卒業後はフランスで多国籍軍に入隊、短期除隊後には建築現場や裏格闘技の大会でも姿を見られたと言う、スーパーウーマンだ。
ここ数十年、存在を隠していた彼女がついに人々の目の前に姿を現した。
その奇跡を知る人は、彼女の実力を今改めて確認し、拳を握る。
しかし、果たして幼女は今の一撃に耐えられたのか。
心配する二心はすぐに晴らされた。
「いったァーい! もう、オバさんてば乱暴なんだから!」
ムクリと起き上がるキム・レイラに傷跡は見られない。
『天使のベール』の頑丈性は、超人的な蹴撃に対しても、ここまで発揮されるものなのか。
否、今回ブロブ内藤は対戦相手が新海幸子であることを知り、十分に用心を重ねた。
レオタードの周囲は、ツバボンドを水に溶かし、エマルジョン的な原理を利用して厚みを持たせた衝撃吸収アーマーで補強が行われている。
今の彼は、物理的な攻撃に対してアドバンテージがあった。
「オバさん、だなんて口の悪い女の子ね。『反省』が必要なのではないかしら」
新海幸子の顔が歪む。
彼女は当初、店内放送を己の娘とみなした。
店内放送とは、姿ない声。
フロア全てを駆け巡る、偏在する存在。
彼女自身も声だけの存在となってショッピングモールを巡り、敵の姿を認めると、能力を解除。
瞬時に姿を現し強力な襲撃をかけたのだ。
店内放送が元のアナウンサーの音声に戻る。
声は一度聞いた内容を繰り返す二周目に入っていた。
姿がなく、同じ行動を繰り返す。
それは幽霊も同じ。
即ち幸子、店内放送の死亡確認!
彼女は即座に魔人能力、『母の愛』を発動する。
対象は当然、キム・レイラ。
少女のシルエットを模倣し、新海幸子の肉体が肥大化していく。
髪が金色に染まり、口からドロリと液体が垂れ流される。
「出来の悪い子供であれば殺さないといけない。教えてくれたのは智則、あなただったわね——」
キム・レイラが手元に落ちた下着の端を引く。
裏側のツバボンドで補強されたブラジャーが網となり、幸子を捕える。
ボンレスハムのように膨らむ幸子だったが、関節を外し、軟体動物のように網を抜け出す。
肉の一部は網の中に置き去りにし、傷口はコピーしたばかりの『ツバボンド』で塞いでいる。
「どうして母さんがここにいるんだよ」
キム・レイラ——本名、ブロブ内藤智則が小声で呟いた。
ーーー
「私の折角作ったお弁当をどうして残すの!」
「うるせーババア、パセリ以外全部食ってるだろうが!」
ブロブ内藤幸子とブロブ内藤智則、親子の間には小さな諍いがあった。
息子に持たせた弁当にいつもパセリが残されている。
幸子は好き嫌いを克服できない息子に我慢がならなかった。
智則もただ小煩いばかりだと考え、当初は小言を無視し、それでも煩くなれば道端にパセリを捨て、それもバレれば友人に引き取ってもらうなどもした。
だが、その日。
幸子はブロブ内藤智則の口を開かせ、直接口臭からパセリを食べなかったことを突き止め、彼を激烈に責めたのである。
「あなたって子は、どーしていつもそうなの!?」
「オレだって出来ることはしてるさ! 毎日成長してるんだよ。でも、パセリだけは無理だ!」
「私ほど完璧な存在が母だと言うのに、あなたは子供としての器が足りないのよ! 私の教育に足りないものなんてあるはずが無いのよ!」
子は親の器。
ブロブ内藤幸子はそのような錯覚に陥っていた。
彼女自身の完璧性、完璧主義が親子関係というものを全く別のものに変えてしまっていた。
そして、その日。
彼女は反省した。
息子を「自」ら「殺」めた。
寝ている彼を川へと連れ出し投げ込んだのだ。
出来の悪い子供の教育は途中で諦めていい。
その学びは智則を通して彼女が初めて得られたと実感できた、唯一のものだった。
ーーー
あの出来の悪い息子がまさか生きているとは!
驚きが幸子の脳内を占めたが、同時に失望もあった。
あれから見知らぬ人々を子供としてきた己の所業と、様々な人々の娘と成り代わってきた智則の所業。
『母の愛』がそれを伝えていた。
しかし、そのようなもので通じるなど動物の本能が継承されるようなもの。
祖であり師である母が子に、直接伝えることでのみ、共通する生き方というものは生まれるべきなのだ。
「ツバボンバ!」
幸子の口から吐き出された球体が、ブロブの側で爆発する。
異常な咬合力で噛み潰されたゴム風船をツバで固めて圧縮、吐き出した先で固着を解除したのだ。
しかしその先に智則の姿は無し。
彼が磨いてきた変装技術、造形技術は服を固めて立体とし、彼の分身をあたりに作り出して変わり身としていた。
殴り合い、噛み合い。
唾液腺の老化した幸子はツバボンドの量では不利。
蹴り合い、締め合い。
持ち込み含めたツバボンドの量では有利な智則も、次第にベールを剥がされる。
両者とも満身創痍、されど闘志衰えず。
ブロブ内藤智則、そして新海幸子は視線を交わし、ゆっくりと距離を縮めていく。
智則は頭から石鹸水を被る。
ぬるりとした液体の膜が彼の変装を剥がし落としていく。
幸子は頭から潤滑剤を被る。
熟れ爛れた果実のような肉の房が、しなやかなシルエットへと吸収されていく。
二人は今、裸である。
されど武想剥離と呼ぶなかれ。
これこそは言うなれば聖天夢想・零!
見よ、智則の肉体を!
ベールによる防御を捨て、ぬらりと光沢のある弾力ある肉が震える。
全身の可動性は高まり、今にもはち切れそうではないか!
そして見よ、幸子の肉体を!
息子を自身から独立した存在と認め、彼女の能力は相手への追随を止めた。
そこにはただ、本来彼女自身が積み重ねてきた全ての結晶のみが残された!
どちらが倒れても悔いはない。
互いの視線が語っている。
最後の瞬間に向けて、二人の足はその中間地点へと、駆ける!
「カモン、ベイビー……」
「ファッキングレートマザーファック」
雌雄が衝突し、試合会場を戦慄かせた!!
「ば、馬鹿なッッッ!! こんな パセリボクの情報にないぞ……ッッ!?」
与宗ガイが席を立ち、叫んだ。
通常であれば観戦中の大声はマナー違反だが、彼を注意する者は誰もいない。
ムナゴ・サヤナの銃声を掻き消すほどの轟音が全てを揺らしているのだ。
俵城平と契約している"社長"、百戦錬磨で鳴らしている彼すらも恐怖にズボンの染みを作っているではないか。
闘士二人はもつれ合い、零距離とマイナス距離を反復しながらモールを転げ回る。
幸子が上、智則が下!
幸子が壁際、智則が逆立ち!
美濃蒼海が霞むほどの目まぐるしいポジションの変化には、観客達も目を離すことができない!
ビート・イット!!
痛恨の一撃が加えられた幸子も即座にイート・イット!!
智則が苦悶の声を漏らした!
唖然とする老拳狐の隣、一人の淑女がすっくと立ち上がった。
「みなさんみなさんッ! お願いです、少しだけ聞いてください。私は何年も何年も、自分の家族に対し酷い仕打ちをしてきました」
狼を模した仮面を取り、淑女の目元から雫が流れ落ちる。
「私はずっと今までその残酷なことに気付きませんでした。こころを傷つけたことはとても謝れるものではないのは知っています」
淑女の体が膨張し、ドレスが剥がれ落ちた。
ブヨブヨとした肉体が現れ、髪が抜け落ち、そこには興奮と喜悦に濡れた老爺が残される。
「私の子供の名前は『ブロブ内藤智則』! そして離婚した妻の名前は『新海幸子』!! 息子は遥かなるロシアの地から、はるばるこの日本へやって参りました! そして今、二人は皆様の前で、御恥ずかしい姿を見せて……身内の恥ずかしい姿を見られてッッ!! 息子に妻の、あんな姿を引き出されてッ、んオオッ、気持ちよくなりゅッッッッッッ!!!!」
不審な手の動き!?
短時間でスパートをかけようとした謎の老爺であったが、彼が興奮を振り絞るよりも、魔人闘技会の主、老武典が早い。
会員権が彼の掌上、停止している。
この世で天国に至るよりも、早く。
「……失礼した。此度の始末については、己が約束しよう」
老拳狐の反応が遅れたことに、疑問を持つ読者もいよう。
何故彼ほどの戦士が真剣試合に気を取られ、隙を作ったのか。
「本キャンペーンの世界では学園自治法は成立しておらず、魔人への差別も苛烈なものではありません。」
これは今大会の共通設定である。
詰まるところ、当SSでは淫魔人が存在しない(発生と同時に消滅する)。
いつものダンゲロス世界ならば、このような大会に広義のパセリで戦う魔人が出てきてもおかしくない。
しかし、ここではそのような乱行が起こり得るはずも無かった。
御上品な観客達、そして武のみを見つめ続けた老拳狐。
彼らにも初見の魔人vs魔人の本気パセリである。
観るもの全ての心を驚かせ、欲望や興奮よりも恐怖と逃走を煽るソレは、殺し合い以上に闘争であった。
衝突音は鳴り止まず、時が経つほどにより苛烈に、激しく打ち鳴らされる。
スクリーンは目を逸らそうと、耳を塞ごうとも血以上に濃ゆい蒸発した闘争液の痕跡を芳しく伝える。
落・オーチャードは何かを思い出し、スティール愛甲は何かに思い至った様子である。
しかし彼らのことは置いておこう。
既にショッピングモール内の化粧室は半数が余波で破壊され、ニトリのベッドは全て売り物にならなくなり、駐車場の車は全てパンクした。
観客達の目が引き寄せられる。
幸子の媚態を帯びた瞳、視線誘導標愛子にも劣らないその吸引力!
二人が息を大きく吸い、吐き出す。
苦しげな共鳴が「リシアンサス」の歌声の如く、聴く人の心を揺らす。
隙間なく、二つの体が密着した。
静寂が訪れる。
幸子が背を床に預け、身体の力を抜いた。
彼女の赤い唇から、智則の舌先へと繋がるものがある。
それは、この試合が育んだ親子の「絆」だった。
「ブロブ内藤智則の勝利」
立会人がの宣言を聞くまでもなく、誰もがそれを疑いはしない。
一戦終えて尚漲る彼の闘姿は明らかだった。
老拳狐により彼らの今後の出場停止と抹殺指令が出された頃。
モールの至る場所に水溜を残すのみ。
二人は姿を消していた。
ーーー
森野湖畔は、息子夫婦が住むというアパートの一室へと到着した。
先日定年退職を迎えたばかりの彼だったが、息子宅を直接訪ねるのは実はこれが初めてだった。
一人息子は結婚して随分経ってから生まれた子供だった。
妻を亡くして父一人の手で育てることに不安はあったが、とても良い子に育ってくれた。
普段は息子家族が実家へと来てくれるが、孫が入園式を迎える機会に、自ら赴くことを頑として主張し、ようやく来訪を許されたのだ。
老体が長距離移動をすることを随分と心配されたが、結果として何事も無かったのだから、息子夫婦の不安そうな進言には苦笑するばかりである。
アパートのドアにはロックがかかっていなかった。
息子夫婦が在宅なのかと辺りを見て回るが、気配はない。
ガタリ、と音がした方を見ると歩み寄る幼児の姿があった。
「こんにちは、ジィジだよ」
湖畔の微笑みに応えて、幼児も顔をクシャクシャにする。
「ユキコバァバ!」
キャッキャと幼児は鈴のように声を上げる。
「私はジィジだよ〜、ユキコって誰かな〜〜?」
「マンマ!!」
肉付きの立派な、艶やかな瞳の幼児である。
室内の二人を、鍵のかかっていない窓から見つめる瞳が四つ。
カッコウの、瞳が四つ。
誰が知るだろう、この空間が濃密な家族の温もりに満ちていることを。
最終更新:2026年05月25日 19:30