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□□□

きっと、誰もが幸福を願っている。
自分の幸せを。誰かの幸せを。

だからこそ、すべての人がそれを手に入れることは難しいのだろう。
多くの人が望むことだから。誰かの手からは零れてしまう。
それでも。

誰かの幸福のために進んで犠牲になるそんな人たちに。
自らの幸福を受け入れられない人たちに。
手を伸ばしたいのなら、私は何をしてあげられるのだろう。

それをこそ望む、と答えるあの人の願いに。
私は……。

■■■

どこまでも伸びる真っ白な床と、商品の積まれた棚が規則正しく並ぶ様子が視界いっぱいに広がる。
戦場となっているホームセンターの店内はあまりにも広大な上、無人なことも相まってまるで巨大な城塞か鬱蒼と生い茂る森のようだった。

この中に隠れ潜む敵を見つけて討つとなると、その労力は計り知れないだろう。しかも、それが強敵であるのならばなおのこと。
故に、城平は鋭い目つきで自分の周囲を見渡しながら、ため息を吐いた。

「完全に見失った……やりにくいな……」

すでに戦闘が開始して1時間ほどが経過している。
試合直後、ホームセンター外の駐車場へ転送された2人はすぐに会敵。そのまま戦闘へ突入し、何度か拳を交えた所で相手の緋勇が撤退を選択。身を隠すように店内へと飛び込んだ。
城平もすぐにそれを追い、店内へと足を踏み入れたのだが……見事に見失ってしまった。

背丈ほどもある棚が視界を遮り、絶え間なく鳴り響くBGMは索敵の邪魔をする。
更に陳列されている商品は工作性に優れている都合上、罠にまで警戒しなければいけないのだから、正攻法での索敵は困難だ。毒物なんて浴びようものなら堪らない。
そのため、とりあえず安全を確認して歩きながら城平は顔をしかめた。

「不味いな……」

すでに能力は使用している。会敵時と追撃時に配分を変化させながら2回分、現在の所持金をすべて捧げた。その最後にかけた方の効果があと十数分ほどで切れる。
故に、索敵のため浪費されるこの時間が城平にとっては何よりの痛手だった。
そして、相手の狙いもそこである可能性がある。

「時間稼ぎだとすれば厄介だな……」

城平の能力は強力であるが制約も多い。浪費すればこの試合の勝機どころか闘士生命さえも縮めてしまう。
借金はすでに完済した。それでも勝てば勝つほど、愛する家族がいい暮らしを送れる。幸せになれる。
それだけが、城平に残された、たった1つの目的なのだから。
今の城平にとって勝利とは、存在意義に等しい。

故に、城平は考える。
隠れ潜む敵にどのように対処し、どのように勝つか。
そして、いつ、どの障害に、どのタイミングで、何を捧げるのかを。
自分の命の使い道。その順番を。

城平は静かに、残りの手札を数える。
その手札の中には勿論、自らの命よりも大切な指輪と折り紙も含まれている。
無論、城平とて自覚している。捧げれば何かが終わる、その確信がある。
それでも、

「……」

その選択肢も考慮に入れる。
それほどまでに今の城平には後がなかった。
例え、自分がどのような結末を迎えようと、それで2人が幸せになるのなら……。

「……着いたな」

そんなことを考えている内に目的地にたどり着いた。そこはホームセンターの売り場の端。店の終点。
無論、こうして端までやってきたことには狙いがある。

これから城平が行うのは下準備。勝利のための地ならしだ。
そのために手札の1つを切ることを選択する。今回捧げるのは、身に付けていた高級腕時計。

「……よし」

体に馴染むのを確認し、拳を作る。
これでまた1つ。終わりに近づいた。
しかし、

「納期が少し厳しいが……まあ、何とかなるだろう」

そんなことは一切意に介さず、腕を鳴らす。
ただ、勝利のために。

「さあ、大仕事だ」

城平は今日も淡々とその身を捧げる。
終わりは近い。その予感を抱えながら。

†††

はあ……。と、身を潜めてバリケードの設置と罠の作成をしながら緋勇は内心でため息を吐いた。
場所は逃げるようにして飛び込んだ店内の一角、ペット用品や園芸品などを売っているコーナーだ。

緋勇にとって、今の状況は何もかもが不本意なものだった。
親友が突如失踪したことも。そいつを探すために魔人闘技会に参加することになったことも。その試合中に追い詰められ、無数の商品の並ぶ棚の影に息を潜めて身を隠している現状も。 
何よりも、死なないという触れ込みで渋々参加したにも関わらず、対戦相手がよりにもよってあの俵城平である、というその事実も。

……時間を稼ごう、という意図は緋勇にはなかった。
出会ってすぐ、相手に能力を使う暇も与えず、一撃で仕留めようと挑み――見事に失敗したのだ。

俵城平。彼のことは大燐が事前にまとめた闘士データの中に記載があったため把握している。その能力から、プロフィールまで。
だから、彼に能力を使わせる……それだけは、避けたかった。
勝利のためにも。彼のためにも。こちらの個人的な心境的にも。

目の前で零れ落ちそうな犠牲を見ると、今でも思い出す。
あの時の護衛任務を。
槍が肉を貫く感覚を。
守るための力で取りこぼしかけた、その過ちを……。

「集中しろ……」

その時、自分を窘めえる声が自分の口から漏れた。内心でそれに、分かってるよ……と、不貞腐れ気味に答える。我ながら酷い自問自答だが、すでに黒太子モードなので仕方がない。
流石に戦地で武装を解除するほど緋勇も馬鹿ではなかった。

これは戦いだ。
戦いである以上は、すべてを救う、そんな都合の良い結末はあり得ない。
そして、緋勇自身、自分の勝利を譲る気はさらさらない。この試合には親友の行方がかかっている。
こちらだって、失敗は許されない。

また、すでに火ぶたは切って落とされている。
どんなに悩んでいようと、状況は待ってくれない。

「来たか……!」

故に、事前に設置していたワイヤーが敵襲を知らせると同時に、緋勇は立ち上がった。

すでに準備は万端。
今、緋勇の周りには商品棚で作成した無数のバリケードが設置されている。堀と塀はどんな戦場でも有効だ。これに囲まれたアドバンテージは揺るぎないものだろう。更にこちらが破られた時のサブプランも用意している。

だから、その時の緋勇に慢心はなかったと断言できる。
それでも、

「オォ――!」

「なっ!」

地響きのような雄叫びと共に何かがこちらへ飛来し、激しくバリケードとぶつかる。その轟音に思わず緋勇は唖然としてしまう。
それも1度や2度ではない。まるで雨のように。こちらへ向けていくつもの商品棚が砲弾のように飛んできて、1方向へ次々と押し固められていく。

飛んできたのは商品棚だ。それも、大量の。
店内にある商品棚が端から順に、本当に片っ端から。1人の男の手によって吹き飛ばされていく。
その様子は人でありながら、さながら重機のようであり、修羅のようでもあった。

おそらく、狙いなんてつけていない。そもそも相手はこちらの位置すら把握できていないだろう。
それほど無差別で。徹底的な破壊だった。 
事実、城平のやってきた方向へ目を向ければ、そこより先の棚はすべて壁際へ吹き飛び、まっさらな床と照明だけの光景が広がっている。
そんなことをしている彼の狙いは一目瞭然だ。

「怪物め! こちらの陣地ごと潰すつもりか……!」

これで事前に用意していたアドバンテージの大半を一瞬で失ってしまった。己の失策を自覚しつつ、緋勇は形勢を立て直すためにすぐさま行動に移る。
幸い、相手はまだこちらの位置を把握できて様子。なら、この好機を逃す手はない。
叫びながら剣を装備し、踏み込んだ。

「我が剣の前に沈め! ――聖天夢想・王剣(セントベローナ・エスカリボール)!」

「っ――そこか!」

が、これは叫んだことで寸前に気づかれ、またしても初撃は不発。城平の拳によって正面から弾かれてしまう。我ながらこの能力はあまりにも不意打ちに向いていない。
だが、

「甘い!」

手ごたえから今の城平の強化値と緋勇の技量なら、ややこちらの方が有利。瞬時にそう判断し、追撃のため更に踏み込む。
上方へ弾かれた剣をその勢いのまま手元へ引き寄せ、横薙ぎに一閃。今度は先ほどよりも強く。今度は受けた拳ごと両断しうる速度で。

会心の一撃だった。入った、という確信があった。
しかし、この確信は次の瞬間に、

「――オオ!」

城平の雄たけびと共に、再び弾かれる。
同時に彼の動きが一変した。何かが光の粒になって城平の体へ吸い込まれ、力はより強く、動きはより速く。
今度はこちらの返す刃よりも早く、城平の拳が俺へと迫る。
これを同じく剣によって弾くが城平の追撃は終わらない。
完全に攻守が逆転してしまった。今度は緋勇が押される形となる。

「っ……!」

これだ……! と、拳を受けながら、緋勇は内心歯噛みする。
普通、取り返しのつかない代償を目の前にすれば人は躊躇う。最終的には失うという決断をするにしても、その判断の前には多少逡巡する時間があるはずだ。
しかし、城平にはそのタイムラグがない。

自分のものを捧げることに。自分が犠牲を払うことに。一切の躊躇いがない。
故に、押し切れない。
しかし、それでも、

「それも……! 想定内だ!」

能力のよるブーストからのカウンター。この展開は初遭遇時の戦闘ですでに経験している。
故に、今回は備えも万全。その策を実行に移すべく、後方へ飛びながら叫びながら弓を構えた。

「焔の咢にて汝らを灰へと帰さん! ――聖天夢想・王弓(セントベローナ・ウッドストック)!」

同時に緋勇は現れた弓を引き絞って炎を纏い、瞬く間に矢を放つ。
迫る炎の矢によって城平が僅かに怯む。
その隙に、事前に用意していたワイヤーを手に取りながらもう1手。

「我が進軍は何人にも阻むことはできぬ! ――聖天夢想・王馬(セントベローナ・スーパーチャーチル)!」

緋勇の叫びに呼応するように弓が変化し、今度は甲冑を身に纏った馬が彼を乗せた状態で現れる。
これも緋勇の武装の1つだ。1分のみなのが難点だが、彼の武装の中では屈指の移動力と突進力を誇る。

「行け!」

「っ!」

乗馬したまま緋勇は城平へ向け、突撃する。つまり、馬を使ったただの体当たり。
無論、これだけで勝てるとは緋勇も思っていない。
実際、城平は多少面食らっていたようにしつつも、すぐに反撃。ただの素手によって緋勇は馬ごと吹き飛ばされてしまう。
だが、それこそがこちらの狙いだ。吹き飛ばされると同時に、緋勇は再び叫びながら、自身の武装を解除する。

「仕上げだ! 修羅へと絡み付きその身を縛れ! ――武想剥離(ファントムパージ)!」

「ワイヤーか……!?」

緋勇の武装は解除すれば光の粒になって消える。これは多くの場合弱点だが、別の利用法もある。
例えば、馬へワイヤーを幾重にも絡めたまま突撃し、能力を解除する。するとワイヤーだけがその場に残る。
故に、

「くっ、腕が……」

こちらを吹き飛ばすために繰り出された城平の左腕へワイヤーが深く絡み、血を滲ませる。
無論、絡んだのはただのワイヤーではない。
再び鎧を身に纏いながら、苦悶の表情を浮かべる城平へ近づく。

「黒騎士は再び戦場へと舞い戻る――黒太子・聖天武想(ブラックプリンス・セントファントム)

「ぐっ……」

「振りほどけぬであろう。其のワイヤーの先には貴様の築いた鉄くずの山が繋がれているからな」

ワイヤーの重石には散らばっていた棚の残骸を利用している。それもいくつも。
これは元々、吹き飛ばされる前からバリケードに絡ませていたものだが、城平によって吹き飛ばされたことで、むしろより強固に瓦礫が絡む形になっている。
如何に体を強化したところで、これを振りほどくのは容易ではないだろう。

「修羅よ、観念するがよい」

「くっ……」

こちらを睨む城平へ、緋勇は満を持して再換装が可能になった剣を携え、腕を振り上げる。
これが振り下ろされれば、この刃は確実に彼へ届き――試合は終わる。
そう、この刃が彼の身を切り裂けば。

「…………」

そのことに、緋勇は僅かに逡巡しつつ、

「……覚悟!」

剣を振り下ろした。
彼の命を絶つ。その剣を。
しかし、

「――ガッ!!」

その覚悟はあっけなく空振りし、刃が城平へと届くことはなく。
次の瞬間、逆に緋勇が吹き飛ばされていた。

「…………?」

あまりに予想外の結果に、思わず呆けてしまう。呆けてしまった。
だから、次に襲う衝撃に反応できたのは奇跡だ。

「オオ――!」

「――っ! 聖天夢想・王盾(セントベローナ・ピースシールド)!」」

迫る城平に対して、緋勇は反射的に武装の1つである盾を身に纏うことで回避行動を取り、

「ガッ――!」

それでも衝撃は殺しきれず、再び大きく吹き飛んだ。
拘束されていたはずなのに、なぜ動ける? そんな疑問を持つよりも早く、なおも迫る対戦相手の姿を目にして、緋勇もようやく何が起こったのか理解した。理解してしまった。

目の前の俵城平には――腕がなかった。
ワイヤーに拘束されていたはずの左腕が。
彼は自身の左腕を捧げてしまったのだ。
そして、こちらが観察している間も、彼の猛攻は止まらない。

「――オオ!」

瞬間、先ほどとは桁違いのスピードで城平が目の前に迫り、拳が振り下ろされる。

「ぐぅ……!」

これを何とか飛びのくことで回避したが、巻き込まれた金属製の棚は商品と共にいくつも爆散し、床はクレーターのように抉り出された。
正に化物。
闘士最高峰に並ぶほどの怪力だ。

「不覚……!」

緋勇は意地で起き上がり、辛うじて城平の猛攻を凌ぐ。
彼だって、若手の中ではエースを張って来たホープだ。最高峰に届かずとも、引けを取らぬ実力は身に付けていると自負している。
――だから、彼が今、追い込まれているのは別の要因。

「何故だ……」

鬼神の放つ拳、その1つ1つでホームセンターの壁が崩れ、戦場が崩壊していく。
それでも鎧が体を守り、武装で何とか拳を逸らしてやり過ごす。

「何故だ」

城平は止まらない。
痛々しい姿のまま、拳を振るうことをやめない。
一応止血されているようだが、それでも捧げた腕からは時折血が噴き出しているし、腕がなくなったばかりでバランスが悪いのか、少しふらついている。
緋勇がこうして何とか凌げているのは、彼のこうしたコンディションの影響も多いだろう。

「何故だ!」

そんな城平の姿に、緋勇は叫ぶ。
彼は知っている。知ってしまっている。
この試合ではどんな重症も治療を受ければ完治する。死さえも覆される。

しかし――対戦相手の、城平の代償だけは例外だ。
その消費は不可逆。決して戻らない。
だから、あの腕はもう一生……。
その事実に。

「ふざけるな……」

沸々と、怒りが湧いてくる。
目の前のこの男にも。
不甲斐ない自分自身にも。
だから、

「貴方はどうしてそこまでして戦う!!」

気づいたら、叫ばずにはいられなかった。

仮面は、剥がれ落ちていた。

■■■

左腕にワイヤーが絡んだ時。目の前に剣が迫った時。
いずれも、城平は至って冷静だった。
そもそも、恐怖心なんて余分な感情は、もうすでに捧げてしまっている。

だから、自分はここまでである。その事実もまた、瞬時に受け入れ、腕を捧げた。
なくなった腕は痛まなかった。痛覚もまた、捧げてしまったから。

……思えば、予感もあった。
城平は闘士としての素の実力はそれほど高くはない。
そのため、いずれこんな日が訪れるだろうとは覚悟していた。
だから、

「貴方はどうしてそこまでして戦う!!」

その姿を目にして、初めて城平の心が動く。

無論、これは勝負。
彼がどんな行動に移ろうと、城平は攻撃の手を緩めるつもりはない。
そもそも、この試合に降参は認められていないのだから、最後まで戦うしかない。
それでも、

「……ああ、そうか」

城平は彼の言葉に答えたいと思った。
しかし、彼の乱暴な物言いに怒ったわけではない。
むしろ、その逆。
今の彼の様子。そして、先ほど剣を振り上げた一瞬の逡巡を目にし、

「君も、人を殴るのが嫌いなんだな」

「……!」

少年に親近感を覚えたのだ。
相手の事情は分からない。それでも彼のここまでの行動には思いやりで溢れていた。
あまりにも甘い。しかし、悪い気分ではない。
故に、事実だけを告げる。

「それでも、譲れない。俺は退くつもりはないし、この勝利を譲るつもりはない」

「それが決して報われることのない修羅の道であってもか! 貴様の選択で貴様自身が零れ落ちる愚者の道であってもか!」

「ああ、そうだ」

城平は即答する。
これは愚か者の選択だ。
そんなことは城平自身、理解している。

それでも城平は愛する人にすべてを手に入れて欲しいと願った。
幸せになってほしいと。
なら、そのために自分が失うのは道理だ。

自分がどうなろうと構わない。
すでに俺は引き返せないところまで来てしまっている。
何もかも失った。無力な自分。
けれどそんな自分でも。もし、愛する者に何かを残すことができるのなら、

「それは、命を賭けるに値する」

それが、傍から見ればどれほど愚かで、矛盾に満ちた願いだとしても。

「君なら、分かるだろう?」

正直、城平には少年の事情は分からない。
だが、こうして見ず知らずの他人の不幸に怒りを燃やし、対戦相手である自分へと手を伸ばそうとする。そんな彼ならきっと……。

「……」

少年も答えない。
しかし。
少年は先ほどとは打って変わり、静かな面持ちで再び構え直した。

「愚問であった。非礼を詫びよう」

「なに、構わないさ」

相手も覚悟を決めたようだ。
それを察し、城平も謝罪の言葉を口にする。

「こちらこそ、すまないね。やさしい少年」

こうして表面上は穏やかに会話をしている間にも、嵐のような戦闘は続いている。
時間は刻々と過ぎている。
このままでは攻めきれない。そんな予感があった。
腕を捧げてなお、少年は崩れない。
攻めきれなかったのは、片腕がなくなったことの影響もあるだろうが、それを差し引いても彼は強い。

そして、そんな少年にだからこそ――ここで出し切ってもいい、そう思えた。

「……これは、俺のわがままだ」

故に、城平も覚悟を決める。
最後の手札を切る。その覚悟を。
どうせ、腕を失った以上は闘士としてはおしまいだ。

「君が、受け取ってくれ」

「……!」

この言葉が何を意味するのか彼も察したのだろう。気高い騎士のように、高らかに声を上げた。

「であるのならば改めて名乗ろう! 我が名は烏田緋勇! この身は人々を守る盾にして、悪しきを絶つ剣! 貴殿の名は!」

「……俺は俵城平。どこにでもいる普通の父親だ」

「記憶した!! 貴殿の名は、我が栄光と共に永劫に語り継がれるであろう!」

「……ありがとう」

彼の宣言に、城平は万感の感謝を込めて。
ああ、すべてを失っても、彼が憶えていてくれる。これほど嬉しいことはない。
だから、懐からそれを取り出し、指に嵌めたそれを外す。
そして、

「……ごめんな」

小さく謝りながら。
握りしめるのは家族の象徴。
証の指輪と愛娘からの贈り物。
これを捧げる。失うということはすなわち、家族を失うという事。

それでも、城平はその言葉を口にする。
目の前の勝利のために。
家族の幸せのために。

「捧げる。――君たちとの記憶。そのすべてを」

瞬間、城平の体を中心に莫大な量の光の粒子が渦のように溢れ、飲み込まれ――ここに、1人の鬼神が生まれた。
そして、

「行こう――」

「――おお!」

鬼神と騎士が激突し、2人の最後の攻防が切って落とされた。

†††

起こってしまった事実は覆らない。
失ったものは戻らない。
1度変わってしまった事実をなかったことにはできない。

大人が子どもには戻れないように。
鶏が卵には戻れないように。
1度醒めてしまったら、夢見たあの頃には戻れない。

緋勇は変わってしまった。
あの護衛任務で、襲い掛かってきた女性に手をかけかけた、その時に。
夢が醒めた。もう、理想を無邪気に信じたあの頃にも戻れない。

それでもきっと。
あの時、あの頃の自分の想いは。理想は決して間違ったものではなかった。
だから、

「凄まじい……」

今、緋勇の目の前にいるのは人の終点。
終わりの具現。

人の認識とは、すなわち世界だ。
城平は自分の世界で最も価値のあるものを捧げてしまった。
1つの世界の内で最も強いものを。

故に、本能が告げている。――あれには敵わない。
おそらく、この世にあれに勝るものは存在しないだろう。
そんな鬼神を前に、

「それでも。俺も、もう1度」

緋勇も、彼の理想(セカイ)を今1度掲げる。
誰もが救われる世界。
そんなものは綺麗ごとだと分かっている。
それでも――。

この理想のために、手にする武装は決めていた。
それは緋勇の夢を醒ました忌まわしき記憶の槍。
誰かを救うために、何かを奪いかけた。罪の槍。
それをもう1度。

「汝は悪意を抱く者に災いをもたらす者――聖天夢想・王槍(セントベローナ・ロンゴミアント)

かつて過ちを犯したその槍を。
かつての理想と共に。
再び緋勇は手に取った。

相対するは終わりとなり果てた破滅の鬼神。
故に緋勇も夢想する。
すべてを守れる最強の自分を。
彼が夢見、空想した。すべてを手に入れたIFの黒翼の聖騎士エドワードを。

「……くくっ、我ながら酷い自惚れだな」

思わず苦笑する。
それでも、

「相手にとって不足なし……!」

「オオォ――!!」

「――ガアァ!!」

城平と共に俺も吠える。
拳と槍がぶつかり――黒騎士が理不尽な鬼神へと迫る。

■■■

世界というのはどこまでも残酷で。
どんなに善良でも。どんなにこちらに非がなかろうと。
ある日、突然不幸に出会う。何もかもを失ってしまう。

そこに敵意や悪意は存在しない。
ただ、運が悪かった。それだけの理由で。
人1人の人生なんて、そんなちっぽけで儚いものだ。
故に、個人の決意も理想も意味はなく、

「くっ……」

鬼神という理不尽を前に、少年、緋勇の槍は、瞬く間に折れ、粒子になって消えていく。
それでも、

「舐めるなよ!」

理想の騎士は迫る鬼神を睨みながら、次の武装を手に取る。
尽きぬ理想を掲げて吠える。

「理不尽な暴力! 覆せぬ悲劇! それらの矢面に立つ防人故の魔警だ!」

「見事……」

城平の口から、思わず笑みが漏れる。
鬼神の猛攻は続く。
1度でも受け間違えれば脆弱な肉など消し飛ぶ圧倒的な暴力を、理不尽な速度で緋勇へと繰り出し続ける。

「オオ――――!!」

「――――ガアア!!」

それでも、騎士は決して折れない。
鬼神と黒騎士は幾度も拳と武装をぶつけ合う。
まるで、己自身を試すかの様に
そして……。

それから、どれほど撃ち合ったか。
城平には、もう、よくわからなかった。

からだがおもい。
なのに、思考はウソのようにかるい。
ただ無心で。目のまえの騎士へと拳を振るう。
まるで、夢のようなひと時だ。

戦場であったホームセンターはすでに跡形もない。
今の城平と緋勇にとって四方1キロはあまりにも狭すぎる。
今、この場に形のあるものはたった2人の闘士のみ。

こんな時間がいつもまでも続けばいいのに。
無邪気にそう思う。
しかし、夢はいつか醒めるモノ。
始まった物事には必ず終わりが訪れる。

そして、遂にその時はやってきた。

「…………!」

先に、限界を迎えたのは意外にも鬼神の方だった。
リミットの30分。
城平の体から、力が抜ける。

「刻限だ、鬼神……! 我が剣によって眠れ!」

耐えた。
耐えたのだ。
目の前の少年は。

「ああ……」

そのことが、自分のことのように嬉しくて、

「君は本当にすごいな」

城平は素直に称賛の言葉を口にする。

夢想(エスカリ)……王剣(ボール)……!!」

目の前に緋勇の1撃が迫る。

城平はすでに抜け殻だ。
彼の戦う理由。勝つためのモチベーション。
それをすべて捧げてしまったのだから当然だ。
闘士としての城平はすでに死んでいる。

城平にとって家族以上に大切なものなど、この世にない。
――なかった。
それがたった今、なくなった。

「緋勇くん。君に、心からの称賛を」

今、この場で戦っているのはすでに鬼神ではなく、ただの俵城平。
そんな彼にとって最も大切なのはこの時間。
今戦っている自分自身。 
だから、

「捧げよう、俺の記憶。そのすべてを」

再び、捧げた。
今の城平、その世界のすべてを。

同時、再び城平の体から光の粒子が溢れ――鬼神が、再誕する。

「……ああ」

目の前の騎士も限界だ。
だから、再起した鬼神を呆然と見上げ。
緋勇は悔しそうに頬を噛み。
悲しそうな眼差しで見つめた。

「貴方は……」

続く言葉はない。
しかし、

「受け取ってくれ」

「……来い」

城平の言葉に、緋勇は静かに頷く。

……さあ。これが正真正銘、俵城平最期の1撃だ。
拳と剣がぶつかる。
そして、

「見事であった、鬼神……いや、城平よ……」

理想の騎士は跡形もなく消し飛び、戦場から姿を消した。
その姿を見送り、

「ああ……ちくしょう……」

鬼神は最後に。
本当に小さく。
誰にも聞こえないよう。
胸に秘めたその想いを漏らす。

「もっと、みんなと……」

その言葉を残して。
俵城平と呼ばれた男もまた、完全にこの世から姿を消した。

■■■

――そして、激戦の後。
闘技会の管理する病室の一角にその男はいた。

それはかつて俵城平と呼ばれた男だった。
心優しく、善良で、多くの人に愛され。
同時にある時からは闘士として、鬼神とさえ恐れられた。そんな男。

「……」

しかし、男は今、ただ無心で病室のベッドへ腰を掛けている。 
その姿にかつての面影は欠片も残っていない。
その表情に感情はなく、どこまでも空っぽな空虚な男だ。

男には最早、愛する家族どころか、自分の過去さえ分からない。
一応、医師から大まかな自分のプロフィールとこれまでの経歴は聞いているが……それだけだ。

男にとって、それはただの記録に過ぎない。
実感の伴わない記録など、それは他人と同じだ。
今の男にそんな記録の出来事に価値はない。
故に、何も感じない。

それでも、記録の男はやり切ったそうだ。
なら、きっと満足だったのだろう。
悔いはなかったのだろう。

空虚な男は、空虚なままに、そう思う。
しかし、

「……」

なら。それでもなお、この胸に押し寄せる言いようのない感情は何なのだろう。

鬼神は死んだ。 
ここにいるのはただの抜け殻。
自身には何も残されておらず、世界に何の意味も感じられない。
そんな何もかもを失った男の末路。
その前に、

「失礼します」

1人の女性が現れた。
男は小さく首を傾げる。

「君は……?」

「っ――」

と、男の仕草に酷く悲しそうな顔をした後、女は言った。

「……いえ、わたしはあなたのお世話をするように頼まれたの」

「そうか……」

男も医師から聞いていた。
今の男には片腕がない。何より、いくら健康とはいえ記憶を失った男がそのまま生活するのは厳しいだろう。そのため、専属の介護士がやってくることになっていた。
だから、淡々と事務的に答える。

「はじめまして」

「ああ、はじめまして」

「これから、よろしく頼む」

「ええ、こちらこそ」

それで、挨拶はおしまい。

「……」

女性はそんな男をしばらく、何とも言えない表情で黙って見守った後。

「では、私はこれで……」

病室を後にしようと男に背を向けた。
その後ろ姿を、

「……待ってくれ」

不意に、男は呼び止める。

「君は……もしかして、俺の知り合いなんじゃないのか?」

「っ――」

男の言葉に女性は一瞬息をのみ、首を傾げた。

「……どうして、そう思うのですか?」

「今の俺には、何も分からない。分からないが……君が、辛そうに見えたから……」

男に、自分のことは何も分からない。
だから、今出会った女性が悲しそうに見えた。
ただ、それだけのこと。
それでも、

「っ……」

息を詰まらせる女性の様子に、男も察する。

「すまない。きっと、俺は……」

「……いいえ。いいんです。いいんですよ」

言いたいことがあるだろう。
それ以上の胸に秘めた思いもあるだろう。
それでも、女性はそれら一切を抑えるように胸の前で手を握り、

「あなたが生きていた。それだけで、私は――私たちは嬉しいのだから」

男にそうほほ笑んだ。
そして、

「……でも、1つだけ。我がままを言ってもいいですか?」

「なんだ?」

「挨拶を、やり直させてくれませんか? 1番はじめから。今度こそ」

女性は男へそう提案する。
男は静かに頷いた。

「なんだ、そんなことか。もちろん構わない」

今度はほほ笑みながら、女性は男へ言う。

「はじめまして。私は小百合。俵小百合です」

「俺は、城平。俵城平だ。……そう、呼ばれていたらしい」

「はい、知っています。……よく、知っています」

女性は何かを噛みしめるようにそう繰り返した後、男へ向けて頭を下げる。

「城平さん、これからよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしく頼む。小百合さん」

「ええ。では、今日はこれで」

「ああ、またな」

「……ええ、また。また会いましょう」

女性はそれだけ言って男へ背を向け、病室を後にする。
その間際に、

「……今度こそ」

そう呟いた。
誰にも聞こえないよう。

その願い通りに。
その決意は、誰の耳にも届かず風に溶けた。

□□□

小百合が病室を離れてすぐ。

「よかったのか、正体を口にしなくて? あいつも薄々感づいているようだったぞ?」

「ええ、今のあの人はかつてのあの人ではない。本人がそう望んだのなら……」

彼女をそう呼び止める声があった。
見知ったその声に、足を止めて彼女も応じる。

「私の方こそ。協力感謝します、社長」

声の主、城平の担当会員であり、自身もお世話になっている社長に小百合は頭を下げる。

「あとで緋勇くんにも謝らないと……。彼、どうでした?」

「何、心配なかろう。儂も先ほど様子を見に行ったが、再会した悪友と仲良くじゃれあっておったぞ?」

「そう、それならいいのですが……。あっ、あとその公太くんと大燐くんにもお礼を言わなくちゃ。社長も何から何まですいません。……魔警への依頼って確かお高いでしょう?」

「グフフ、構わん構わん。儂は奴との契約に従ったまでのこと『妻と娘が1番悲しまないで済む結末にする』という奴の願いの、な」

「……はい」

社長のその言葉に、小百合は何とも言えぬ思いを抱えながらも頷いた。

今回の件の発端は小百合の要望だった。
城平の事情について以前から薄々察していた彼女は、彼が表向き死んだことになった時にコンタクトを取ってきた社長を問い詰め、事情のすべてを彼の口から聞いたのだ。
社長がそうした理由も本人の口から聞いている。それが城平との契約だからであり――そちらの方が面白そうだったから、と。

だから、彼は小百合の願いを全て叶えてくれた。
城平の願い通りに。それが彼女の希望、彼女の幸福だったから。

事実を知りたいと願う彼女へすべてを話し。
彼の試合が観たいという小百合の願いを聞き届け、その試合を観戦し。
事前に闘技会の様子も見学したいというので護衛として魔警を雇った上で少し前から行動していた。
それも城平に気づかれないよう、秘密裏に。魔警へは極秘任務という体で。

その結果、緋勇が闘技会に参加し、よりにもよって城平と試合することになったのだけはこちらの想定外だったが――どうやら、あっちもあっちでこの状況を利用し、何かしていたらしい。
小百合は社長と大燐が裏でコソコソと悪い笑みを浮かべて密談していたのも知っている。

「グフフ、何を気にしているのかは知らんが、安堵するのは早いのではないか? むしろお前にとってはこれからじゃろう?」

「……はい」

そんな小百合へ社長は意地悪な笑みを浮かべながら囁く。

「楽しみじゃのう。以前のあやつは恐れておった。自分が自分でなくなった時、家族から避けられるのではないか、と。――では、実際にはどうじゃろうな? お前は耐えられるか?」

「……」

問われるまでもなく、小百合も分かっていた。
今の状況こそ、以前の彼が恐れていたものだ。
彼女のこの行動は、彼の意に反する行いだ。
それでも、

「あの人は文字通り、わが身を挺して私たちを守ってくれた。なら――」

問いかける社長を正面から見据え、小百合は迷いなく答える。

「私もあの人を、家族を守ってみます。今度は私自身が。私の意志で」

「それをあやつ自身が望まずともか?」

「はい。あの人のように。誰に言われようと。何に変えても」

城平がそうしたように。
小百合も。小百合のワガママで彼を救う。
その決意を目の当たりにして、

「グフフ! 良い。良~いのう! では、儂もその日を楽しみに。これからも貴様らを観察するとしよう! ――ああ、儂の鬼神よ。此度の破滅、見事であった。しかし。しかしだ」

かつての鬼神が眠る、病室の方向を眺めながら悪鬼羅刹は笑う。

「散ったのなら、また咲けば良い。失ったのなら、また積み上げれば良い。何もかも捧げ、全てを失おうと――この道は。お前の守ったものは。続き続けるのだから」

まっさらな瞳で、慈しむように。蔑むように。希うように。

「だから、だからよ。早く積み上げ、また戻って来い。お前の苦しむ姿が、儂は大好きだからな」

そんな元凶でもあり、恩人でもある彼の様子に小百合は、

「あなたは……」

「うん?」

「いえ、何でもありません」

何かを口にしようとして、その言葉を寸前で飲み込む。
けれど、最後に。用は済んだとばかりに、立ち去ろうとするその後ろ姿へ。

「……ご支援、ありがとうございました」

静かに頭を下げる。

「気にするな。それに気も早い」

そんな彼女の様子を社長は特に気にも留めず、短く返した。

「では、またな」

「はい」

それだけ言って、2人は別れた。
きっと、彼とはこれからも長い付き合いになるだろう。
彼女が、城平と共にある限り。
その破滅もまた、共にあり続けるのだから。

その長い旅路を思い、小百合は目を細める。
そこへ、

「あっ、小百合さん」

「城平さん? ……どうかされましたか?」

唐突に、先ほど別れたばかりの城平が病室から抜け出し、声をかけてきた。
彼は恥ずかしそうにしながら言う。

「ついさっき別れたばかりなのにすまない。少し、体を動かしたいんだ。ここの外を案内してくれないだろうか?」

「そんなすぐに動いては……」

彼はまだ、腕をなくしたばかりだ。だから、思わず眉をひそめてしまうが。

「……いえ、わかりました」

失ったのなら、自分が寄り添えばいいだけの話だ。
小百合はそう思い直し、城平の傍らに近づく。
そして、

「では行きましょうか、城平さん」

「ああ、よろしく頼む」

「ええ、お供しますよ。――どこまでも」

城平の残った右手を取って。
2人は共に歩き始める。

外に出ると、今日は良い陽気だった。
季節は初夏。
足を運んだ施設の庭園にはちょうど花がなく、青い草木が生い茂っている。

古木も多い。
花の1つもない。
寂しい庭園。
それでも、次の春にはきっと――。

「これは、桜かな」

「ええ、春が楽しみですね」

季節は巡り、世界は続く。

彼らは行く。
手を携えて。

彼らは歩く。
暖かな陽の光が差す。
蒼い、桜並木を。

最終更新:2026年05月25日 19:43