土井公太のメモ(抜粋)
やはり俵城平氏は存命確実。
死を偽装して行った先は?
地下格闘の線が濃い。
彼の能力特性を鑑みると、猶予はない。
潜入調査を試みる。
(ここでメモは終わっている)
俵城平の意識は、荒波に弄ばれる小船のようにぐにゃぐにゃと揺れていた。
(お、俺は…今度は何を捧げたんだ…?)
試合の後は、いつもこうだ。何か人間が人間であるために必要なパーツを欠けさせると、そういう症状が出るようであった。
それでも生き物の肉体や精神というのはうまくできているもので、しばらくすると平衡を取り戻す。しかし同時に、城平は己が人間でなくなっていくのを感じるのだ。
「おお~う城平、今日も見事な勝利だったのう。ファイトマネーはたんまりと振り込んでおいたぞい」
城平が顔を上げると、雇い主である社長がいた。いつにも増して機嫌よく城平を労うその笑顔には、ギラギラとした狂気が滲み出ている。
「しかし城平、先日に引き続きよくない報せだ。また来ておるぞ…お前の大事な妻子の安寧を脅かそうとする輩が」
「………ま、た。また、来たのか」
「そう。前に叩きのめした魔警の仲間が嗅ぎ付けて、またやってきおったわ…」
城平の脳裏に、先日の試合で打倒した相手が―許し難い仇の顔が浮かんだ。
奴は城平の聖域を脅かそうとしたのだ。
■■■と■■の家に、恐ろしい怪物を連れ込もうとした。
憤怒が、城平を満たす。
「させ、ない…させない!俺の、大事な…大事な…ものに、手は出させない!社長…!そいつと、対戦を、組んでください…!ぶっ潰して、やる!!」
「おう、おう、勿論よ…!叩きのめせ、ぶちのめせ、再起不能にしてやれい!お前が勝利する限り、お前の妻子は平和に暮らせる…!だが、万が一負けてしまえば…」
社長は甘いものを頬張るような声で、告げた。
「こわ~い『俵城平』が、お前の大事な妻子の元にやって来てしまうのぉ…」
「タワラジョウヘイ…」
俵城平には、『タワラジョウヘイ』がどんなものかはわからなかったが、きっと恐ろしい怪物に違いない、と思った。
人の心がない獣、無慈悲な暴力装置、悍ましい化外の魔物。城平が思い浮かべる『タワラジョウヘイ』は、そんなイメージを帯びている。
そんなやつを■■■と■■の元に行かせてはならない。
そんなやつを■■■と■■の元に連れて行こうとする奴は許せない。
叩きのめしてやる。叩きのめしてやるぞ。悪党め。
『タワラジョウヘイ』なんて怪物は、■■■と■■には一歩も近づけさせない。
■■■と■■は俺が守るんだ!
魔人闘技会
烏田 緋勇 VS 俵 城平
二人の闘士の他には誰もいないホームセンターが、戦いの舞台である。
棚には様々な品が所狭しと並んでいるのに、客も店員もいない。異様な光景であった。
ホームセンター。
ホーム。
家庭。
原因不明の苛立ちを覚えて、ぎりり、と城平は歯軋りした。
この苛立ちは、きっと許しがたい敵がやってきているからに違いない。城平はそう結論付けて、周囲を見渡す。
何処だ。何処にいる。
■■■と■■の平穏を脅かそうとする敵は。
そして城平の視界に、漆黒の鎧が現れた。
あいつか。
あいつが、■■■と■■の平穏を脅かそうとする敵か。
許し難し!
「ごぉうるるるるるらああああああ!!!!」
城平は怒れる獣そのものの咆哮と共に、黒騎士に襲い掛かった。
『葉桜の季節に』発動。城平が懐から取り出した札束が消失する。城平の莫大なファイトマネーのごく一部は、こうして次の試合のための資金として使われるのが通例であった。
城平の突進が加速する。重機に匹敵する剛力を、人の領域を超えた速度で叩き込む。
「聖天夢想―」
災害めいた破壊力の城平の突進は。
「王棍」
黒騎士が虚空から取り出した鉄棍でいなされた。
突進の勢いが空振り、城平は勢い余って転倒。派手な衝突音と共に立ち並ぶ棚をなぎ倒しながら数十mを転がり、ホームセンターの壁に激突。ゴゴォン!という轟音が戦場を揺らした。
「名乗りもせずに突進とは、随分な挨拶だな俵城平。人の言葉はもう忘れたのか?」
余裕ぶった口調で城平を挑発する黒騎士。その鉄棍が指し示す先では、よろよろと城平が立ち上がろうとしている。
「たわ、ら、じょうへい…そう、だ、タワラジョウヘイ…」
城平は、その名前に反応した。
自分が敗ければ、『タワラジョウヘイ』が■■■と■■の元に行ってしまう。
恐ろしい怪物が、■■■と■■の元に行ってしまうのだ。
「させない…行かせない…!」
「ほう、少しは目が覚めたか?」
「『タワラジョウヘイ』は、行かせない…!!絶対に…!」
「…何?」
「さあ、捧げろ城平…敵は強いぞ…!捧げろ…!取り返しのつかぬものを…お前を人間たらしめているものを…!!」
試合の中継を見ながら、社長はギラギラとした視線を城平に向けていた。
城平の対戦相手は、常に城平より格上だ。そうなるように社長が差配している。城平が取り返しのつかぬものを捧げなければ勝てない相手だけをぶつけているのだ。そうでなければ、社長の渇きは満たされない。
「捧げろ城平…人間性を薪にしろ城平…!」
単なる喜悦だけでない狂気が、その瞳に宿っている。
「人間を辞めろ城平…怪物になれ…!城平ィ…!!」
「うおおおおおおあああ!!!」
城平が再び吠え、黒騎士へと突進していく。
「二の舞が望みか…むっ!」
黒騎士を襲ったのは城平の肉体ではなく、その剛腕によって力任せに投げつけられたホームセンターの商品棚であった。
だがその質量も鉄棍で受け流され、あらぬ方向に飛んでいく。驚嘆すべきは黒騎士の技量。単純な腕力や速度は純粋な身体強化能力である城平がやや上回っているが、その身体能力を乗せる武技において城平の対戦相手は若年ながら圧倒的に上回っている。
「がぁぁっ!」
だがそれでも棚を受け流した間に、城平は黒騎士に肉薄していた。
鉄棍の鋭い突きが城平の喉を狙う―が、城平の大きな掌が鉄棍をひっ掴み、強引にそれを止めた。
「おおおおおあぁっ!」
城平は力任せに鉄棍を敵の手から奪い取り、そのまま叩き付ける―が。
「一分だ」
城平の振るった鉄棍は、相手の兜を叩き割ろうというタイミングで塵になってしまう。思わぬ空振りが城平の体勢を崩した。『黒太子・聖天武想』の持つ、呼び出した武器が一分で塵になるという特性。黒騎士はそのタイミングを把握したうえで、わざと城平に武器を奪わせたのだ。
「粗削りだな、俵城平!」
体勢を崩した城平のボディーに、黒騎士の籠手が叩き込まれる。
「がはぁっ!」
重い一撃。『葉桜の季節に』の身体強化の上からでも、グラグラと内臓を揺さぶって来る。人体の急所に適切に叩き込む技だ。
城平は目の前の相手が自分より格上の武技の持ち主であることを再認識した。
「う゛おるぁっ!」
苦し紛れの拳も、黒騎士を捉えられない。技量に大きな差がある。城平の打撃が空を切る間にも、黒騎士の籠手が何発も城平に叩き込まれる。
俵城平は格闘のプロフェッショナルではない。専門的な訓練を受けたわけではない。
では、彼は如何にしてこれまで魔人闘技会を勝ち残ってきたのか。
「どうした、俵城平!獣のように吠えるだけか!?そのような粗い技では我を捉えることはできぬぞ!」
「そうだ」
「!?」
黒騎士の拳が、止まる。
城平の腹筋にめり込んだまま、突如として城平の肉体が鋼のごとく硬化したかのようにがっちりと食い込んで抜けぬ。
否、硬化したかのようなのではない。本当に城平の肉体が硬化しているのだ。
「おおおおおれは、タワラジョウヘイは、おれは―」
「く…聖天夢想・王盾!」
彼は如何にしてこれまで魔人闘技会を勝ち残ってきたのか。
それは無論、大切なものを捧げて。人間性を削って。
『葉桜の季節に』の身体強化の出力を引き上げての、獣の如き、怪物そのものの力押しあるのみ。
「おれは、獣だ!怪物だあああああああ!!!」
城平の怪物的な一撃は黒鉄の大盾をぶち割り、衝撃波を伴って黒騎士を数十m吹き飛ばし、ホームセンターの壁に深々とめり込ませた。
「るぐぅあ、がぁっ、ああああぐうぁ…!!」
城平の視界が、グニャグニャと揺れる。
人間として必要なパーツを切り詰めた反動が、城平の意識を蝕んでいるのだ。
城平は無意識のうちに指輪の嵌った左手の拳で胸ポケットに触り、その中のメダルを確かめた。まだ捧げていない。それが何なのかはわからないが、まだ最後の一線を踏み越えてはいない。
それでも、獰猛な何かがグツグツと沸き上がり、城平を突き動かす。
叩き潰せ。敵はまだ生きている。
■■■と■■を脅かそうとする仇を、ズタズタに引き裂いてやれ!!
「ぐぅおおおあ!あああああああ!」
城平は平衡感覚の回復を待たぬまま、獣めいた衝動に従って四足で吶喊した。
激突の衝撃でえぐれた壁の下に、黒い鎧が転がっている。
敵だ!叩き潰せ!
「うぐるぁ!ああ!があああああっ!!」
『葉桜の季節に』で無茶苦茶に強化された拳が、黒い鎧を紙のように叩き潰す。
「潰れろ!つぶれろ!ツブレロぉぉぉぉっ!!」
すぐに黒い鎧はズタズタに引き裂かれ、紙吹雪のように散らばった。
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ…」
ぐるぐると回転する意識を抱えて、城平は立ち尽くす。
潰してやった。
勝った。
これで■■■と■■は平和に暮らせる。
恐ろしい獣の、『タワラジョウヘイ』という怪物に会うことはないのだ。
ふと、城平は自分の左手を見た。
鈍く輝く、大事な指輪が嵌っていて。
敵を粉々に叩き潰したはずなのに、血の一滴も付いていない。
足元で砕けているのは、黒い鎧だけだ。人間の肉体が破壊された痕跡はどこにもない。
「………あれ?」
「おいおっさん」
城平が振り向く。
「歯ァ食いしばれェッ!!!!」
その顔面に重厚な金棒が叩き込まれ、城平を吹き飛ばした。
金棒を振りぬいた青年は、怒りを主成分とした複雑な表情を浮かべている。
彼の名を、烏田緋勇という。
「さっきから黒騎士モードで聞いてりゃワンワンニャンニャン吠えやがってよぉ…自分は獣だ?怪物だぁ…?」
烏田緋勇は叫んだ。
「自分の意識や精神をどうこうしたくらいで人間じゃなくなるなら俺はとっくの昔にエドワードになってんだよバーーーーーカ!!!いい年こいたおっさんが中二病患ってんじゃねぇーッ!!俺を共感性羞恥で殺す作戦かァーーーッ!!!!!」
実感のこもった叫びだった。
「おいおっさん、いい年こいて知らないみたいだから俺から教えてやるけどよ…」
緋勇は苦虫を嚙み潰したような顔で告げる。
「自認がどうにかなったくらいじゃ、人間別の存在なんかにゃなりゃしねえんだよ…英雄にも黒騎士にも獣にも怪物にもならねえんだよ…!どうしていい年こいてそんなことを今更俺に説かれてんだよ…!!身を挺して俺の黒歴史を掘り返したいのか?あ゛?ふざけんなよ?」
それは怒りであり、半分は八つ当たりであった。
「もうキレたぞ。こっからは半分…いや8割私怨でやらせてもらう。荒療治でいくぞ、俵城平…!」
「おま、おま、おまえ、お前にィ…」
ガラガラと瓦礫を押しのけて、俵城平が立ち上がる。
「おまえに!何がわかる!俺は!俺はもう、とっくに怪物にがばぁっ!?」
「黙れや自認怪物の中二病おっさんがァ!!」
城平の発言を金棒で遮って、緋勇は叫んだ。
「何度でも言ってやるぞ!人間は!人外の怪物になんかなれやしねえんだよぉーッ!!!」
「なぁれる゛ぅっ!!!」
絶叫と共に緋勇の発言を否定したのは、別室で試合の中継を見ていた社長であった。
「餓鬼がぁぁぁぁっ、何を言う…!なれる…!なれるのだ…!なるのだ!人は怪物に…!人は怪物になれる…!人の心を無くした怪物に、なれるのだ…!」
妄執の煮詰まった、それこそ怪物的な叫びである。
「なれ!怪物になれ!城平ィィィッ!!!指輪とメダルを捧げろ!城平!その時、お前は怪物になれる!!人の心を無くした怪物に!なれ!城ォォォウ平ェェィィィ!!!」
「黙れ…黙れ!俺は…!俺は!」
「おれおれおれおれうるっせぇ!隙あらば自分語りしてんじゃねえ…!黒太子・聖天武想!その無駄口ばかり叩く舌を余程切り落としてほしいと見える!」
緋勇が再び黒騎士の鎧を纏い突進する。
城平もブーストされた身体能力に物を言わせ拳を振るう。
状況は互角の格闘戦となった。
「うううううぐるあああああああ!!消えろ!消えろ!俺の前からいなくなれええええっ!」
『葉桜の季節に』の強化に任せて狂乱し暴れまわる城平は、もはや人間の形をした災害に近しい。剛腕が振り回される度にその余波で床のタイルがめくれ上がり、商品棚が風に吹き散らされる木の葉のように宙を舞う。
並の戦闘魔人であればなすすべなく蹂躙されるしかない単純暴力の嵐。この荒ぶる力こそが俵城平をここまで歩ませた動力だ。
であれば、それを真正面から捌く黒騎士をなんと形容すべきか。
「その頑なさを叩き割る!聖天夢想・王鉈!おぉぉっ!」
肉厚の曲剣を巧みに操る黒騎士の動きは、城平の暴風めいた狂乱と比べれば緩慢にすら見える。だがその脅威は決して劣らない。
速度の不利を、動作の最適化によって埋める。
災害めいた破壊力を、鋼鉄の撓りで受け流す。
間断ない暴力の激流に、戦闘論理で隙間を作る。
魔技。そう評するほかにない。
『黒太子・聖天武想』。それが烏田緋勇の魔人能力である。
黒鉄の鎧と武器を装備する。肉体を強化する。そうした現象を起こす能力であるが、それはこの能力の本質ではない。
かつて烏田緋勇の抱いた、架空の英雄と己が同一人物であるという自己認識。精神の同一化。それによる歴戦の英雄と同一の『経験』と『技術』。それが『黒太子・聖天武想』の真骨頂。
齢14にして既に完成されていた戦闘技術こそが、烏田緋勇を極東魔人保護校有数の戦士たらしめる最大の武器である。
その黒騎士の魔技を以てしても、攻め切れぬ。
「うぉぉぉおるぐぁああああああ!!!」
「なんたる剛力か…!」
暴力の奔流を潜り抜けて、黒騎士の刃は俵城平の肉体に傷をつけている。だが致命傷に至らない。
超音速機動に伴う衝撃波が斬撃の軌道を乱す。
巌の如き皮膚と筋肉が黒鉄の侵入を阻む。
人の域を超えた超反応が意識の間隙に潜り込む技を後手から潰す。
全く単純な身体能力の力押しで、俵城平は黒騎士の魔技に拮抗していた。
恐ろしいことに、斬撃を受けた傷すら目に見える速度で塞がっていく。ダメージになってすらいない。
これぞ俵城平の力。
かけがえのないものを捧げ、人間性を捧げ、取り返しのつかないものを捧げ続けた男をここまで連れてきた力だ。
そして均衡は長くは持たない。
一分だ。
黒騎士の手から武器が消える。
「ぬぅっ…!」
「う゛ぉるるるるぁああ゛!!」
距離を開けようと飛び退った黒騎士に対して、城平が仕掛けた。
威力に満ち満ちた両腕を、深々とコンクリートの床に突き刺す。
それは土山を軽々と持ち上げる重機か。
はたまた卓袱台ををひっくり返す頑固親父の有様に例えるべきか。
「け、し、と、べええええええええええッ!!」
深々とホームセンターの基礎部分に突き刺さった両腕が力任せに持ち上げられ―
ばぎばぎばぎん!と甲高い破砕音と共に戦場であるホームセンターを構築している鉄筋とコンクリートが一直線に破断していく。
さながら巨人がナイフを差し込んだケーキのように、ホームセンターは真っ二つに割れ、そのまま剛力が戦場の半分を持ち上げる。そして。
「つ、ぶれろぉぉぉぉッ!!!!」
持ち上げられた半分がタイタニックめいて垂直に持ち上がり、猛烈な勢いで大地へと叩き付けられ砕け散る!
技量もへったくれもない、災害そのものの広域破壊!
これはいかなな黒騎士といえど、防げるはずはない。
だが、先程当てたはずの一撃が不発だったこともある。
城平は油断なく『びちゃり』と一歩下がり―
びちゃり?
城平の足が立てた水音は、足元の血溜まりを踏みつけた音であった。
城平の両足の膝は、裏側から黒鉄の矢が貫通して、だらだらと血を流していた。
城平は触覚を―痛覚を既に捧げている。後方からの矢が突き刺さっていたことに、気づけなかった。
矢が消失した瞬間、傷口から噴水めいて鮮血が噴き出し、城平は膝をついた。
城平の膝を後方から射抜いた黒騎士は、睥睨と言うべき余裕を持って城平を見つめている。
「がああああっ!?」
「俺との戦闘中に余所見とは、余裕だな?」
「なん、だ!?何をした!?」
「答えてやる義理はない。貴様も戦士ならこの程度の絡繰りは見破ってみせよ」
城平は穴だらけの頭脳を必死に回転させて、何をされたのか理解しようとした。
武器の消失の瞬間、あれが誘いだったのだろう。城平にとっては突如として転がり込んできた好機だが、自分の能力を把握している黒騎士にとってはわかり切った展開だ。
そこを好機と見た城平が大ぶりな攻撃を繰り出した隙を突いて一撃を与えた。それはわかる。
だが、どうやって災害的広範囲破壊を脱したのか。城平も黒騎士の姿を見て、それを巻き込むように攻撃をしたのだ。どうやって回避し、城平の後ろに回ったのか。
先の一撃もそうだった。叩き潰したはずが、黒い鎧だけ―
そこまで考えたところで城平の理性は限界を迎え、獰猛な衝動が城平の思考を満たしていく。
―知ったことか。
―潰せ、潰せ!
―己は怪物なのだから、衝動に任せて暴れればよい。
―■■■と■■を守れ。
―自分は怪物として戦い、■■■と■■の知らぬところで野垂れ死ねばいい。
「またなにか、愚にもつかぬことを考えているな」
黒騎士が手に取ったのは、一振りの剣。
「我が王剣で、その愚昧さを刈り取ってやろう」
剣を携えた黒騎士が、城平にとどめを刺すべく歩み寄る。
「ぐうぅぅぅぅう…!!」
城平は立ち上がろうとして、立ち上がれぬ。黒騎士の精密な矢は、人間が直立するのに必要な筋肉を見事に射抜いていた。立てぬ。力が足りぬ。
力を足りさせる方法は、ある。
城平は、指輪の嵌った左手で胸ポケットのメダルに手を伸ばした。
その2つを捧げた時、俵城平はこの世の何物にも勝る鬼神となる。
―そして、怪物になるのだ。人の心のない、真正の怪物に。
それを見て、黒騎士の目の色が変わる。
「―させんッ!!」
黒騎士が走る。剣を携え、俵城平に向かって。
俵城平は、左手のそれを―
―この先、DANGEROUS‼命の保証なし!
「そうだ!!捧げろぉッ!!城平ッ!!それを捧げろ!!」
社長はメダルをポケットから取り出した城平を見て、熱狂とともに叫んだ。
「怪物になれ!城平!貴様は知っているッ!人は怪物になるのだ!儂の!ような!銭金も勝負も善悪も心動かず!人の心無く!人間が一生全てを賭けて散る輝きだけを喰らう!怪物に!なれ!城平ィィィッ!怪物に!なれ!儂のような怪物にィィイイイ!!!」
狂乱した怪物は、城平が怪物になり果てるまで彼を応援し続けるだろう。
「共に…怪物に!なろう…!城平…!!」
そして城平が怪物になり果てた時。きっと彼を対等な仲間として受け入れるだろう。
俵城平の右拳が、黒騎士を捉えた。
やったことはすこぶる単純。
左手で能力を発動しようとする素振りを見せて、それを阻止するべく突っ込んできた相手を右手で殴っただけ。
それでも十二分の殺傷力。腕の力だけでも城平の打撃が直撃すれば、戦闘魔人を鎧の上からでもバラバラにして有り余る威力だ。
拳をもろに受けた黒騎士が吹き飛ぶ。
(勝ったッ!!)
城平は勝利を確信する。
その左手には、しっかりと指輪とメダルがある。
城平は、それを捧げなかった。ブラフとしてだけ、それを用いた。
彼は怪物にならなかった。
「ほらな。やっぱりあんたは、怪物になれねえ」
その声は、頭上から聞こえた。
「!?」
黒騎士は、バラバラになって吹き飛んでいる。
中身のない、空っぽの鎧だけの黒騎士が。
その手から吹き飛んだ剣が放物線を描いて吹き飛び―上空の烏田緋勇の手に収まる。
『黒太子・聖天武想』は、自身を架空の英雄と同一視することでその力を得る能力である。
だが、既に烏田緋勇は自認エドワードではない。
故にこそ、この技が成立する。
『黒太子・聖天武想』によって得られる武技ではなく、烏田緋勇個人に属する技。
『黒騎士エドワード』と『烏田緋勇』の乖離を、『黒騎士の人格を持つ鎧』と『烏田緋勇本人』に適応することで、ごく短時間のみ―
鎧と本体での別行動を実現する!!
それこそが、ここまで三度の致命打をやり過ごした絡繰り。目立つ黒騎士を囮に、本体だけでの脱出である。
そして今、刃の届く距離に烏田緋勇はいる。
「俺は黒騎士じゃねえし、あんたは怪物じゃねえ…!」
「おまえ、に、何がっ…!」
「俺にゃわかんねえよ!だけどなあ!」
緋勇は剣を振り上げる。
彼の体に鎧はない。能力を再発動する猶予はない。身体の強化は働いていない。
黒騎士ではなくただの烏田緋勇として、剣を振り上げる。
そう、ただの烏田緋勇として、それを成し遂げる。
「そうだよ…俺はあんたの苦労を知らねえよ!何があったのかもわかんねえよ!だけどなあ!」
土井公太はその話を聞いて、魔人闘技会にやってきた。
それを追ってきた烏田緋勇もまた、その話を聞いた。
「あんたが自分をなんだと思おうがなァ…!」
―死んだはずの夫を見たんです。
―遠くから見えただけですけど、あれは絶対に城平さんでした。
―あれはパパだもん!ぜったいパパだったもん!パパは生きてるの!
「あんたの家族にとっては!あんたは優しいパパのままなんだよ!!!」
剣の一閃が、城平の左手首を切断した。切り離した。
これでもう、指輪もメダルも捧げられない。
「あああぁああぁぁぁぁあああぁぁぁ!!!!!!」
宙を舞う左拳を見て、城平は狂乱と共に叫んだ。
何に叫んでいるのか。城平には自分でもわからない。
自分の肉体が傷つけられた苦痛ゆえか。
勝利に必要なものが手から零れ落ちる危地ゆえか。
自分が目を背けていた事実を突きつけられたからか。
あるいは―大切なものを捧げなくていいということに、安堵しているのか。
それでも城平の体は動く。強化された肉体は、理性が働かなくても戦い続けることができる。できてしまう。
腕が伸びる。人間を容易く殺せる腕が。
「や、べっ…!」
能力なしで左手切断を成し遂げた緋勇は、着地で体勢を崩していた。能力の再発動が間に合わない。敵の攻撃に対処できない。
「『黒太…」
「あああああ!!!!」
緋勇の対処をはるかに上回る速度で、城平の腕が動き―
―黒騎士の槍が、城平の心臓を貫いていた。
「…やっぱりあんた、怪物にはなれねえよ」
城平は、隙だらけの緋勇を攻撃しなかった。彼の剛腕は、宙を舞うメダルと指輪をつかむためだけに伸ばされたのだ。
「お、れ…は…」
「あんたは怪物じゃねえし、俺も黒騎士じゃねえ」
槍が引き抜かれる。嫌な手ごたえだった。
人間を刺す感触が、緋勇は嫌いだった。
「俺は一介の学生だし、あんたは優しいパパなんだ」
「そう…か………おれは…」
ずずん、と音を立てて城平が崩れ落ちる。
緋勇はメダルをしっかりと掴んだままの左手を拾い上げると、ピクリとも動かぬ城平の体にそっと乗せた。
「落とし物だよ」
緋勇は踵を返した。
「二度と無くすんじゃねえぞ」
魔人闘技会
烏田 緋勇 VS 俵 城平
勝者、烏田緋勇。
「……………………………………」
社長はがっくりと項垂れると、中継画面を消した。
「城平…」
先刻までの狂熱の面影は、どこにもなかった。
「怪物には…なって…くれぬか…」
そこに怪物はいなかった。
ただのの草臥れた老爺が一人いるだけだった。
「おっ、我等がヒーローのご帰還だぜ」
「やめろやめろ、おだててもなんも出ねえよ」
治療を受けた緋勇は、廊下で土井公太と合流した。
元はと言えば、公太が『死んだはずの夫が生きているのを見た』という俵母子の訴えを聞いたことが、事の始まりである。
それがこのような事態になることは、誰も思っていなかったが。
「ま、これで俵城平氏と魔人闘技会の契約は解除。彼は家族の元に帰れるわけだ。すまねえな緋勇、俺のしくじりの後始末をしてもらっちゃってよ。あのおっさん強すぎだろ」
「本当に手のかかるおっさんだったぜ…」
「ま、それを取り押さえた烏田さんの技の冴えのほうがすごかったけどな!?」
称賛を受けた緋勇はやれやれ、とため息をつく。
「勘弁してくれ、俺は本当に大したことはしてねえ」
烏田緋勇は英雄ではない。一介の学生である。少なくとも本人はそう自認している。
だから、彼がなしたことも英雄的な行いではない。
「迷子のおっさんを家族の元に届けただけさ」
それだけのことにえらい手間がかかった、と烏田緋勇は自嘲した。
「ま、緋勇がそれでいいんならいいけどさあ。あのおっさんの方は大丈夫かねえ?家族仲とか記憶とか」
「そこまでは知らねえよ。ま、多分…」
廊下を歩く2人は、一組の母娘とすれ違った。
母娘は足早にぱたぱたと目的地に向かっていく。
そして緋勇たちは後方から、子供の声を聴いた。
「パパーーーー!!!!」
緋勇は楽観的に言った。
「なんとかなるだろ。家族なんだから」
最終更新:2026年05月25日 00:58