その他幕間その4

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dangerousss3

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浄罪の雨

「こら! また授業をサボったのか君は!」

 既に帰りのHRも終わった時刻、校舎の屋上で寝ていた雨弓が聞き慣れた声で目を覚ますと、目に映るのは晴れ渡る秋の空と、スカートから伸びる黒のタイツに包まれた細い脚。直後、秋風が吹き抜けてスカートの裾が大きくめくれ上がり、覗けたのはタイツと下着に包まれた秘密の場所。

「白か」

「――っ!!」

 スカートを慌てて抑えた彼女はダンダンと顔を踏みつけようとするが、雨弓は寝たままで華麗にそれを避けてみせる。このやり取りを、彼らはここ数年で幾度と無く繰り返していた。
 やがて彼女はハアッと息を吐いて、いつもの顔で雨弓を見下ろしてくる。

✝✝✝✝✝

目を開けば飛び込んでくる、見慣れた幼い顔立ち。くりくりとした大きな瞳は、彼に意識が戻ったのを確認するといっそう大きく見開かれた。

「お兄ちゃん!」

「……畢」

 嬉しそうに声をあげる妹に雨弓は口元を緩める。そこは医務室のベッドの上で、上体を起こせばすぐ隣で下の妹・金雨も椅子に腰掛けていた。

「死んでたんだっけか、俺」

「うん。一時間くらい前にここに運ばれてきて、そのときはもう『生き返って』たんだけど、今まで寝てたんだよ」

 金雨が言う。見ると二人共目の端が赤い。今生きている殆どの人類はそうなのだが、この六年余りで友人知人から親族まで数多の死を経験した二人が、生き返ると最初からわかっているとはいえ、やはり兄が死ぬところを見せられるのは辛かったのだろう。

「お兄ちゃん、もう平気?」

「ん?」

「ほら……『ファントム』」

「……ああ、悪ぃな怖い思いさせちまって。大丈夫だよ、多分だけど」

 合点が行った雨弓は順番に二人の頭を撫でてやる。戦場では狂気と暴力を撒き散らす彼も、親しい人の前では気さくな男で、妹には優しい兄だった。
 自分の心の内側で膨れ上がった何かに意識を塗り潰され、正気に戻るのは死の間際。そして、すぐに意識が闇に落ちていく感覚。
 ある人物の死の状況を、思い出していた。年月が過ぎても、たくさんの人が同じように死んでも、決して押し流されることなく、生前の思い出と共に彼の中に厳然と存在していた。

(あいつも……あんな感じだったのかねえ……)

 自分への罰では無いかと、彼にしては湿っぽい思いに心は満たされていた。

「……お兄ちゃん?」

「……ちぃっと、風に当たってくるわ」

 そう言って医務室を出る雨弓に金雨は恥じらいを含んだ制止の言葉をかけるが、ラノベ主人公への告白のように、相川ユキオへのノートン卿の言葉のように、それは届くことは無かった。

「……」

 風に当たるのが叶わないことは廊下に出てすぐにわかった。
 廊下には静かな雨の音が響いていた。ただ、普通の雨音とは些か趣が異なる。降り注ぐ液体の比重が重いからだ。窓カラス越しに覗く外の光景は黄色に染まっている。黄砂が降るときよりもずっと濃い黄色だ。閉め切られた窓を開けると、恐らくむせ返るようなアンモニア臭が入ってくるだろう。
 ――降り注ぐ液体とはつまり、「尿」である。

 魔人・雨竜院金雨が持つ「神の雫」は、周囲に尿の雨を降らせるという傍迷惑な降雨能力である。発動条件は失禁すること(自分の意志での放尿は不可)であり、姉譲りの緩い尿道と相俟って彼女の大きなコンプレックスを形成していた。

(二人共、朝見たときと下の服が変わってたな……)

 あんなことになったら無理も無いか、と心中でつぶやきつつ、黄色く染まる世界をぼうと見ていると、近づいてくる気配に気づく。見やれば、少し前に再会した後輩・聖槍院九鈴がそこにいた。

「……よう、負けちまったなあお互い」

「仕方ないですよアレは。実力ってわけじゃ……」

「それを言ったら、あの幼女のアレだって……実力かもな」

 自身の魔人能力を大胆過ぎる発想で応用し、大会最強の軍事力を得たのだ。それは実力と認めざるを得ないだろう。

「ま、それはいいや。ハレルと最後までやり合えなかったのは心残りだけどな」

 チャリ、と澄んだ音に九鈴が視界を向ける。指の中で音を立てる、雨弓の首から下がったロケットペンダント。

✝✝✝✝✝

 夕陽に照らされていても尚わかるほど、九鈴の親友・雨竜院雨雫の頬は赤く染まっていた。美化委員と風紀委員、互いの活動が終わった後、よく話をしながら一緒に帰っており、最近では雨雫の恋の相談が話題の中心となっていた。

「付き合えることになったの? 雨弓先輩と? 良かったじゃん雨雫!」

「ああ、雨弓君がね……。
 『俺の方から言うつもりだったのに』って悔しそうに! 
 でも、私から告白できたのはキミのおかげだよ。ありがとう九鈴」

 惚気つつ、そんな風にお礼を言う雨雫が可愛らしい。二人は幼馴染だった。頭が良くて、傘術家としても優秀で、いつもスマートな彼女が従兄である雨弓への恋にだけは不器用なのが見ていて楽しくて、だからそんな彼女の恋が叶ったのは嬉しくもあり寂しくもあり……。

「それじゃ、キューピットの私に何か奢ってもらおうか」

 後半の気持ちは表に出さず、冗談めかしてそう言う。
 二人が付き合い出してからもどこへ遊びに行けばいいか、だとか彼にプレゼントするなら何がいいか、だとか、雨弓が警察学校に入ってしまってしばらく会えないのが寂しいだとか、若干うっとうしく感じながらも相談に乗るのは楽しかった。自分は恋愛をしないのか、と聞かれることもあったが。

 ――雨雫が死んだのは、恋が実ってから約二年後のことだった。

✝✝✝✝✝

(やっぱり、この人は雨雫を……)

 パチン、と雨弓は開いていたペンダントを閉じ、そこに落としていた視線を九鈴へと向けた。

「願いは叶わないわけだけど、どうする?」

「……続けます。掃除を」

 尿が降り注ぐ外界に目を向けて宣言する。

『雨は埃を含んでいる。清浄に見える流れにさえゴミがあり、故に掃除は永遠だ(バアル7:9)』

 世界はするりと片付き申す、とはいくはずが無い。
ゴミできらめく世界が掃除婦を拒んでも続けるのだ。掃除を。
何は無くともトングを手に。トングが無くとも手づかみで。

 綺麗好きどころか部屋を散らかしまくる彼は、そんな決意を湛えた九鈴の横顔に呆れつつも、「頑張れよ」と言って妹たちの待つ医務室に戻る。

「雨弓先輩は……どうするんです?」

「戦うさ。好きだからな」

 目的が無くとも、戦えればいい。
 そんな自分を雨雫はどう思うだろう、と考えないでも無いが。しかし戦うことはやはり愉しい。まだまだ、戦い足りない。

「それでは、また」

「おう」

 それぞれ狂気を抱えた二人に裏トーナメント開催の報せが届くのは少し後のことである。