冷泉院 拾翠幕間その1

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dangerousss3

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プロローグSSから(ローズ=拾翠が仮面を手に入れてから)二日目の夜

「……」
意識がまどろみの中に沈んでゆく。
仮面と魔人、二人の意識が交わり言葉を交わす事が出来るのはこのわずかな時間だけである。

「……霧、夕霧」
ローズをこの名前で呼ぶのは、今は仮面だけである。
「冷泉――」
冷泉とは夕霧が仮面に与えた名前だった。夕霧と冷泉。古い小説に出てくる異母兄弟の名前である。
「ええ、夕霧。あなたはまだ私に聞きたい事があるのでしょう?」
一つの身体を共有する事になった仮面の意識体に、夕霧は昨晩もいくつかの疑問をぶつけていた。
「俺が眠っている間はお前が体を動かす事が出来る」
「ええ、そう」
「といっても、その時間お前は、ほとんど何もせずにぼんやり過ごすだけ」
「私が作られたのは1000年も昔ですから。あなたが眠っている時間なんてあっという間に過ぎてしまうんですよね」
「ここまでは聞いた。今日聞きたい事は……そうだな」
さて、これを聞くべきか。夕霧は少し迷った。
「俺が誰かに殺された場合、お前はどうなるんだ?俺からそいつに乗り移るものなのか?」
「ふーん……」
夕霧に質問を躊躇った時間と同じだけ、冷泉は押し黙った。
「きっと、何も起こらないでしょう」
「私には本来、人から人に乗り移る能力はありませんから」
「へぇ?」
夕霧は驚いている体を装いながら、どこかその答えを予測していたように、やや白々しく応えた。
「私は私を手にとって、自分から被った者の意識と肉体を支配する。それだけの仮面なのですよ」
要するに、仮面もまた魔人の手によって創られたものである以上、その性能には魔人としての限界が存在するのである。
肉体と精神の支配、身体の強化に加え他者への憑依能力まで与えることは不可能に近い。
「私にも、あの時何が起こり、今がどういう状況なのかは分からないのですよね」
「……お前が俺の肉体を支配出来ないのは、それが関係しているのか?」
「……さぁ?どうなん……で……しょう……」

やがて二つの意識はぷかぷかと水中を漂うように離れてゆき、互いの声はくぐもって消えていった。

2020年 6月4日

色とりどりの花が咲く池に木造の橋がかかっている。
拾翠がどこからか仕入れて来た資金と伝手で復旧した庭園である。
庭園の西側には二階建ての木造住宅が、やはり彼の手に依って復元されている。
拾翠亭と呼ばれるその建物のたたずまいを、彼はとても気にいり、偽名に使っている。

縁側に座り、庭園を眺めながら拾翠は心を落ち着かせた。
禅と呼べるような大層なものではない。ただうとうとと意識を緩めているだけである。
そうやって、仮面の意識に語りかけようとしていた。

「……冷泉。応えろ、冷泉」
意識の中を夕霧の声が波紋のように伝わってゆく。
不意にその円の端が別の波に触れた。
「あなたはもう、私と話をするつもりは無いのだと思っていましたよ、夕霧」
冷泉の少しつっかかるような態度を夕霧は無視した。
「お前に確認したい事がある」
「ええ、どうぞ」
「このあいだの試合、俺は確かに敵に殺された」
「はい?」
「しかし、記録では俺は敵に殺されるどころか、試合の勝者となっている」
「私の記憶でもそうなっていますが」
「だが、俺は自分の断末魔を、覚えている」
「不思議だこと。で、私の考えを聞きたいと?」
「冷泉、俺はいったいどうなってしまったのだろう」
あなたは、意外と甘えん坊ですね――。冷泉はそう言いかけてやめた。
短い沈黙ののち、冷泉から返された言葉は意外なものだった。
「夕霧、あなたは神さまを信じますか?」
「神さま……?あまりピンと来ないな」
夕霧は海賊を辞めて暫くの間、高野山で密教に匿われて隠遁生活を送っている。
しかし、それはそれとして、神仏問わず宗教に対する関心は非常に低い。
「じゃあ、この世界には一定のルールが存在しますよね。たとえば気まぐれに今日が昨日より長くなったりはしないでしょう?」
「認める」
「夕霧、あなたはルールの境目をまたいでしまったのだと思います」
予想していなかった冷泉の言葉に夕霧の思考は追いつけずにいた。
それをわかってか、冷泉は間を取りながら、ゆっくりと話す。
「たとえば、あなたが漂流者だった世界のルールと、この世界のルールは違うものなのかもしれません」
「或いは、あなたが海賊だった世界もまた、この世界のそれとは別の誰かが作ったルールが存在していたのでしょう」
「あなたはいつの間にか、それぞれ異なるルールが支配する世界と世界の境界を越えてしまったのでしょう」
「異なる世界のルールから生まれ、この世界のルールから外れた存在。極端に強くあり、或いは弱く居る事も出来る」
「そのような異端の存在を、あなたも知っているでしょう、夕霧。『転校生』と呼ぶんですよ」
「俺が、転校生だと?」
「実際には転校生の成り損ないといったところなのでしょうね」
「心しておきなさいね、夕霧。あなたの存在は複数の世界のルールの干渉を受け、ぶれて重なり不安定になっています」
「俺が、俺ではいられなくなる。そう言いたいのか?」
「或いは、突然にふっと消えて無くなってしまうかも。そして、それは私も同じです。夕霧」

冷泉はそれっきり何もしゃべらなかった。
夕霧の意識は覚醒へと向かい、ゆっくりと閉じていた瞳が開かれる。
サラサラと草木が風に揺れ、チラチラと水面は赤く夕陽に輝いている。
夕霧は冷泉がその体を支配している時と同じように、ぼんやりとそれを眺め続けていた。