第二回戦【活火山】SSその2

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dangerousss3

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第二回戦【活火山】SSその2

 いくら俺が「低学歴の阿呆」だからって、戦いの目的を見失ったりはしない。

 たとえば凄腕の魔人どもがひしめくトーナメントに参加するのは、
 賞金の10億と何でも願いを叶える権利を手にするためだ。
 決して戦うこと、それそのものが目的なわけじゃない。

 つまり、やるべきことは最初から一つだ。
 他の参加者・主催者の目が危険極まりないトーナメントに向いている間に、
 「ザ・キングオブトワイライト」運営本部へ忍び込み、10億の賞金を盗んで逃げる。
 あわよくば副賞の「願いを叶える」何かを手に入れること。

 そんなこと、誰でも思いつく正解の道だ。
 この大会に優勝できるくらいの力量があるなら、こっちの方が手っ取り早い。
 俺はそう確信していたし、ノートン卿だって止めなかった。

『太陽のごとく進軍し、嵐のごとく侵略せよ』
 とはノートン卿のアドヴァイスだった。

 ――それが、どうしてこんなことに?
 俺はその、たったひとつの死体を前に、完全に途方に暮れていた。

 運営本部最深部通路にて、俺が遭遇したのは無数の警備員の死体。
 そしてその奥、開け放たれた金庫室の前に横たわるひとりの男――魔人――手芸者ってやつか?
 顔と名前は、スポンサー紹介の際、主催者の少女に付き従っていたことから覚えがある。

 強力無比な戦闘能力、そして忠誠心の持ち主。
 その死体の名を、森田一郎といった。

『ふむ』
 ノートン卿は落ち着き払って呟いた。
『絶命しているな。しかし外傷はない』
「見りゃわかりますよ」
 本当なら、俺は彼を怒鳴りつけたい気分だった。混乱している。
「そんなことより、カネ! カネですよ。なくなっちまってる!」
 金庫の中は空っぽだ。一円たりとも存在しない。
 誰かが盗みやがった? 俺より先に? クソ!

『そんなことはどうでもよい』
 ノートン卿は俺の動揺を冷たくあしらった。
 そんなこと、だと? この野郎、カネは今回の最大の目的なんだぜ。
『この男は如何にして死んだか?
 重要なのはそれだ。見よ、この顔を』

 ノートン卿に促され、俺は動揺しながらもその男の顔を見た。
 ――無表情。いや、違う。
 空虚、空白、虚無、そういう言葉が当てはまる。

『主催者の護衛を務めるような、これほどの手練が簡単には殺されはしまい。
 そして我々の動向を読んだようなこの殺人。容疑者は限定される』
「だからなんだってんですか。
 どうせ生き返るでしょうよ、あの変な能力者がいるんだから!」
『それはどうかな。この症状、治せるかどうか――ただの死ではなく、これは――』
「何が言いたいんです?」
 いつになくノートン卿の口調が重たい。俺はひどく不吉な予感を覚えた。

『わかったのだ、ユキオ。オレイン卿めの手駒が誰か。
 この手口からして間違いないだろう』
「そりゃよかったですね! で、俺たちのカネはどこにいったんでしょうね!」
『まったく、カネ、カネと、人生はカネが全てではないぞ』

「ンなことないですよ。俺の知り合いは消防署に勤めててですね、
 年収600万オーバーなんですよ!? おまけにエロい大学生の彼女までいる!
 カネ! オンナ! すべてにおいて俺は負け組なんで、一発逆転のためには――」
『それらもすべて、命と自由があってのものだ。そら、来たぞ』

 俺はオレイン卿に金の大事さを説くのに忙しく、気づくのに少し遅れた。
 そこには、警備員を従えた少女――七葉樹 落葉。
 そして本来の俺の対戦者、赤羽ハルまで揃って、俺の退路を塞いでいた。

「さすが、というか何というか」
 赤羽ハルは面白がるように、唇の端を歪めた。
「いつまでも対戦相手がこねえとは思ってたんだよ。
 そういうこと、やるかァ? 普通? 予想外なヤツだ」
 予想外なのは俺の方だ。畜生。この殺し屋、俺が嫌いなタイプだ。

「相川ユキオ」
 七葉樹の少女は恐ろしく冷たく、いくらかの覚悟を滲ませた声で俺を呼ぶ。

「お前のような者が現れることを想定し、当然対策は打っていた。
 賞金の所在は別の地点。そしてルール違反の愚か者を、確実に殺す。それが」
 彼女の目が森田一郎を労わるように一瞥し、突き刺すように細められた。
「彼の役割。だった。
 ――お前だけは、決して許さない」

「待て! ウェイ! 違う、これは――」
 俺はなんとか抗議しようとした。俺はやってない! 俺は悪くない!
 そりゃ賞金を盗んで逃げようとしたのは悪かった。
 でも、この殺人は、

『馬鹿め!』
 ノートン卿は苛々と俺を叱責した。
『言い訳ができる状況か。くるぞ、構えよ!』
「ンなこと言ったって!」
 俺は慌ててノートン卿を抱えなおす。なんでこんなことに?

「赤羽ハル」
 七葉樹は傍らの暗殺者に声をかけた。
「トーナメントは中断しません。私の一存では止められないほど、複雑に利権が絡んでいますから。
 よってあなたに彼の処刑を執行していただきます。
 ただし、必ず生かしておくこと。簡単に殺すなどと、思っていただいては困ります」

「――は! どっちでもいいさ」
 赤羽ハルは、ポケットの中に手を突っ込んだ。
 かすかな金属音。
「勝てば俺はそのまま3回戦進出、でいいんだよなァ? もちろん?」
「契約の通りに」
 七葉樹は決然と力のこもった瞳でうなずいた。
 くそっ、だから違うんだって。真面目すぎる、このガキは!

「必ず、彼を処刑してください。絶望と、苦痛を」
「はい、はい」
 赤羽ハルの笑顔は獰猛、というより禍々しい。
「美少女で主催者の頼みだ。断るわけねェ――よな!」

 一歩、赤羽ハルがこちらに近づいた。
 その瞬間、何かの条件が整ったのか、それともこの場にいない誰かの能力か。
 一回戦とおなじく、転移も舞台構築も瞬く間というわけだ。
 こいつは運営委員の誰か、光素あたりの能力なのか? それともポータル・なんとか?

 どっちでもいい。
 嫌がる対戦者を無理やりフィールドに案内する仕掛けくらいは、当然の如く存在するだろう。

 軽い浮遊感と、歪んだ酩酊感の後、俺たちの物理肉体は荒涼とした火山へと跳んでいた。


――――――――――――――――――――――――――――

 その攻防は、数秒も待たずに最高潮を迎える。

「お」
 俺は悲鳴をあげる。
 影から高速で《塔》と《壁》を編集する。
「……おおおおおおおぉぉぉぉっ、おいっ! マジかよ!」

 無数に連続して生える《塔》それ自体を足場に、俺は次々に飛び渡って山頂方向へ逃れる。
 一方で《壁》は、赤羽ハルに触られるなり消滅し、何も残さず消える。

「なるほど、さすが最古の魔導書を名乗るだけはあるな」
 赤羽ハルは悠然と、無人の荒野を行くように、次々に《壁》をかき消しながら歩いてくる。
 その表情はうっすらと微笑んでいるが、油断というより、何か喜んでいる風でもある。
「ここまで完全な《城塞》を具現化できるのか? ハハハハ!
 すげェよ、まったく。完璧すぎて、俺の能力で換金できるくらいに」

「うるせえっ、バーカ! 黙ってろ!」
 俺は腹立ち紛れに、《弩》を編集して矢を放った。しかしたった一発。
 赤羽ハルの手に払いのけられると、完全に掻き消える。

「完璧なのはいいさ。けどな――素材が《影》だ。
 そりゃ換金してもゼロ円だよな、ってところか」
 赤羽ハルは軽く首を傾げた。ごきりと骨の鳴る音がする。
 ちくしょう、カッコつけやがって。カッコいいじゃねえか。
 俺はこういうカッコイイやつを見るとイライラしてくるんだ。

 ミダス最後配当は、あらゆる物体を触っただけで換金することのできる能力だと聞いている。
 別に、本当に、これっぽっちも楽観視などしていなかったが、
 まさかノートン卿の《城塞》にまで通用するとは。

『なるほど。我が力が完璧すぎる故の結果だな』
 ノートン卿は落ち着き払っている。ムカつく。
『これでは真の城塞を構築したところで、あまり意味はないな。
 せっかくの絶景、威風堂々たる我が王城を披露したかったものだが』

「なに言ってんですか!」
 俺は《壁》を連続して出現させながら、《塔》を生やして飛び渡る。
 いまや火山中腹は、黒々とした《塔》の乱立する森のようだ。
 そしてすぐに消し去られる無意味な《壁》だが、一応、出しておかないわけにはいかない。
 なぜなら、

「――ち、超ヤバイっすよ! これ……!」
 ヂッ、と空気を焦がすような音がして、飛び渡った直後の俺のこめかみを何かがかすめた。
 銀の光。赤羽ハルの放つ硬貨の弾丸。
 少し跳躍が遅れれば、頭蓋骨を射抜かれていただろう。

 要するに、《壁》は山頂へと進軍してくる赤羽ハルに対する遮蔽物の役だ。
 これがなければ、赤羽ハルはもっと悠然と狙いをつけて、正確に狙撃を放ってくるだろう。

 とはいえ俺も黙っているわけではない。
 《弩》の射撃に目を慣れさせたところで、斜め45度に生える《塔》を生み出す。
 俺の左手の中でノートン卿が素早くめくれあがると、
 ごおっ、と地面がため息をつくような音が轟く。

「ああ。それかァ……?」
 赤羽ハルの顔が憂鬱そうに歪んだ。
 斜めに生えた《塔》の頂点から、《油壺》と《松明》が落下する。
 そういう風に配置した《塔》だ。攻撃用の尖塔。

「いくらテメーでも、炎と熱まで換金できるかよ、バァカ!」
『馬鹿はきみの方だ。前回の戦いと似たような手を――』
 勝ち誇った俺の罵倒は、ノートン卿によって即座に馬鹿扱いされた。
『通じると思うか? まったく愚か者め』

「炎を使う、ってなァ」
 赤羽ハルは、まったく静かに呟いたようだった。
「その程度の魔人なら――」
 その手には数枚の紙幣。しかも万札じゃねえか。
 こいつ、借金多いくせに金持ってやがるな!

「何度も、何度も相手にしてきた」
 紙幣が閃き、炎を引き裂いた。いとも容易く吹き散らされる。
 真空がどうのこうのって話か? それとも別の原理で?
 畜生、知るかこんなの! 非科学的だ!

「戦歴の違いってのは、まあ、少しくらいは役に立つもんだ」
 少し焦げた紙幣を投げ捨てると、赤羽ハルは地面を蹴った。
「お前の手品にあまり付き合ってると、殺されちまうかもな?
 急いでやっちまうか。な――サンシタ編集者ァ!」
 走り出す。
 片手で壁をかき消しながら向かってくる。

「な、なんだありゃあ! 炎も効かねーのか!」
『で、あろうな。対策をとるのだ、ユキオ』
「そんなフワっとした助言はいらないっすよ! どうやって?」
『そのくらい自分でなんとかしろ』
 ノートン卿は夢も希望もないことを口にした。

『いま、私はあのオレイン卿めの手勢をどう破るかについて検討している。
 忙しいのだ、邪魔をするな!』
「ふ、ふざけんなこら! いま俺が死にかけてんだぞ!」
『なんだその口の利き方は! 万死に値するぞ! 力を貸さぬでもよいのか!』

「……はい」
 ノートン卿の怒りの咆哮が脳内に響き渡り、俺は少し冷静になった。

 イラついても状況は好転しない。
 自分に言い聞かせながら、また生やした《塔》を飛び渡る。
 そして足元をかすめる銀の光。だんだん狙撃も正確になってきてる――
 だが、赤羽ハルだって無敵ではないのだ。たぶん。きっと。そうだといいな。

「ノートン卿」
 俺は山頂に近づきながら、必死で知恵を絞る。
 低学歴な俺だが、知能だって人並みにある。あるはずなんだ。
「あいつをやっつけたら、俺のこと見直します? 力、もっと貸してくださいよ」

『何を馬鹿な』
 オレイン卿は鼻を鳴らした。
『我が編集者なら、あの程度、一刀のもとに斬り伏せて当然。
 見直すというより、できねば心の底から見損なうだけだ』

 ひどい言い草だが、俺が知っていることはある。
 それはノートン卿なりの、最大限の譲歩なのだ。
「……いまの約束、絶対ですぜ」

 俺はありったけの手を試してみることにした。

――――――――――――――――――――――――――――

「……そろそろ」
 山頂に到達する手前で、俺はついに赤羽ハルに追いつかれた。
「決着だな。あァ……相川ユキオ、と、ノートン卿だったか」

 というのも、いくらオレイン卿の《塔》といえども、
 赤羽ハルの放つ砲弾のようなコインの連射を耐えきることはできない。
 一本折られ、二本折られ、ついに俺は次の《塔》を編集する前に赤羽ハルに捕捉された。
 俺は地上で赤羽ハルを迎え撃つことになった。もっとも、想定内の出来事ではある。
 山頂で捕まるか、ここで捕まるか、それだけの違いに過ぎない。

「お前らに聞きたいことが一つだけあるんだよ。
 ひとつ。どうやってあの森田一郎を殺した?
 あれは正面からぶつかって勝てる相手じゃない。さすが運営主催者の護衛ってところだ」
 赤羽ハルは一歩、こちらに踏み出してくる。

「興味深々じゃねーか、赤羽ハル」
 俺は挑発するために、中指を突き出した。

「だが、そんなもん知るかっつーの! 俺が知りてえよ!」
『態度がサンシタのチンピラだぞ、ユキオ』
 ノートン卿が嗜める。役立たずは黙ってろ。

「確かにアンタは強い。赤羽ハル。暗殺者ってんだろ。ケッ!
 カッコイイ肩書きしやがって」

 俺にはそういうのはない。
 かっこよさも可愛げも狂気も下劣さも、何もかも明らかに足りていない。
 おまけにノートン卿の言うとおり『低学歴の二流編集者』だ。
 そんなのわかってる。
 だが、

「かかってこい。ぶっ飛ばしてやる!」
 俺は手の平を上向け、手招きのジェスチャーをした。
 せめて虚勢だけは一流でいなければ。
 しかし、俺の意図は完全に読まれていた。

「さァて、そいつはどうかな――相川ユキオ」
 赤羽ハルは足をとめた。
 周囲に林立する無数の影の《塔》を眺める。

「かかってこいってことは、かかってこられた方が都合がいいからだ。
 城塞にはこういうのもあるんだろ? つまり、さ」
 踏み出すと、がりっ、と赤羽ハルの足元で金属音が鳴った。
 それは《鎖》の音。ノートン卿の城塞が生み出す、仕掛け《鎖》の音だ。

「――罠、とかな!」
 赤羽ハルは、まったく無造作に片手をあげる。

 周囲に生えていたいくつかの《塔》から、影の矢が放たれた。
 侵入者に対する《罠》。 接近を感知して迎撃の矢を降らせる。
 その数は百や二百ではない。難攻不落の要塞、ノートン卿の特製の罠だ。
 とはいえ、それを予期していた戦闘型魔人に対しての効果は、見てのとおりではある。

「畜生!」
 俺は思わず悪態をついた。
 《矢》は赤羽ハルの身体に届く前にかわされ、あるいは叩き落とされる。
 中には触れるだけでゼロ円として換金され、掻き消えたものもある。
 それでも何本かは皮膚をかすめ、ごく微量の出血をもたらしたが――それだけだ。

「俺を止めるには」
 赤羽ハルは、かわらず無人の荒野をゆくように、ごく自然に歩く速度で近づいてくる。
「手数不足なんじゃないかァ? ――ほら、遅ェよ」
 歩きながら、しかも矢を迎撃する合間に、その指が閃く。
 銀の光が《塔》に隠された《罠》の機構を確実に破壊していく。時間の問題じゃないか。

「全力で来いって。遠慮するなよ、相川ユキオ。
 そうじゃなきゃ、しねェだろ……ほら、『絶望』」
 一歩。二歩。三歩。次々に《罠》が無力化されていく。
 距離が詰まる。そろそろ限界か。
 やつが魔人の身体能力で、俺に肉薄してくる限界距離……いい加減にしろ、クソ魔人どもめ。

「お前の……その『絶望』が依頼人からの殺しの注文でね。
 こっちも辛いところなのさ……!」
 嘘つけ。 と、俺は思った。
 赤羽ハルがこちらを見る。凄みのある瞳。俺には永遠に無理だ。
 だから、それにビビっちまったわけじゃないぜ。本当だ。信じてくれ。

『まったく、穴だらけの戦術であったことだな。見抜かれたではないか』
 ノートン卿はいちいちやかましい。図星だ。
『きみに軍師の真似は無理だ。私の戦い方の真似もな。
 独自路線で行け』

「まだまだ……!」
 俺は強がった。
「こっからが、本命!」
 俺は地面に手をついた。こいつは一大編集だ。
 ノートン卿がめくれあがり、複雑、かつ大規模なスペルを瞬く間に編集する。

 影が一斉に広がって泡立つ。そこに実体化するのは、無数の《軍馬》。
 ただし、それらの軍馬は横列にして幾重にも並び、互いに《鎖》で馬具を繋がれている。

「手数が足りないっていうなら……」
 この状態の《軍馬》は一頭が走り出せば、ひとかたまりの馬群として、
 止めようもない圧倒的突破力を発揮する。
 大昔の戦術で、「連環馬」といった。

「――行け!」
 俺の号令で、鎖で互いにつながれた《軍馬》たちが疾走をはじめる。
 ちょうど下り斜面、理想的な逆落としの格好で、
 矢の迎撃で動きを制限された赤羽ハルを踏み潰す。
 まあその、一応その予定ではあった。

「そいつだ」
 赤羽ハルはうなずいた。
「そいつを粉砕してこそ――」
 俺とそっくりの姿勢で、地面に片手を触れさせる。
「ハハ! お前も安心して『絶望』できるってもんだよなァ!」

 それは、この火山全体が咆哮をあげたようだった。
 赤羽ハルの周辺から、ほとんどひと呼吸する間に、地面が沈みこむ。
 沼のように沈む。

 銀と金に輝く沼だ。中には紙片も混じっている。
 天変地異、という言葉以外の何者でもない震動が波のようにあたりを震わす。

『ふむ。つまりこれは』
 ノートン卿だけが落ち着き払っていた。
『換金か』
 ンなことはわかってる。

 こいつ――この土地を、この火山を。
 「不動産」として換金しやがった、クソ馬鹿野郎め、死ね!
 こんなの、最初から勝ち目なんてなかったじゃねえか!

 突撃していた連環馬たちは、硬貨と紙幣に変化して沈みこむ地面に巻き込まれた。
 そのまま突撃力を失って、ずぶずぶと沈んでいく。

 さらに、それは俺自身も同じことだ。
 突然のことに抗いようもなく沈む。
 沈む視界の端で、赤羽ハルが跳躍するのが見えた。
 傾いて、同様に崩れ落ちかける影の《塔》を足場に、こちらに迫る。

「ノートン卿!」
 俺はどうにか硬貨と紙幣の沼を泳ごうともがきながら、悲鳴をあげた。
「ぎ、逆転の何かアレは!」
『私には、ないな』
 ノートン卿はいつも冷たい。
 どうにか影の足場、《廊下》か《塔》を作り出せば、沈むのは免れる。
 だが、いま飛びこんでくる最悪、赤羽ハルの攻撃をどうやって避ける?
 ――結論は明白だ。無理だよ。

『此度の戦は、きみ独自のやり方でやれ、と私は言ったぞ』
 まさに絶望する俺の頭の中で、ノートン卿の声だけは遮蔽できない。
『きみが彼に勝る部分で戦え。
 何かあるだろう、きみのような二流でも。死んでも負けるな! 許さんぞ!』

 そんなもんはねえよ。
 強さもカッコよさもしぶとさも賢さも好感度も、何もかも相手が上だ。
 ついでに可愛い彼女までいやがる。畜生!
 考えたら超ムカついてきた。

 何か無いか、何か無いか、何か何か何か何か!
 思いつかねえよ、俺は低学歴なんだ!
 周囲の硬貨に全身が押しつぶされる。その苦痛。

 この戦いは茶番で、最初から赤羽ハルの勝ちだった。
 こんなことができるなら、俺が何をどうやったところで――
 いや。

 そりゃ変だ。
 なんで最初から勝てたのにこんな方法をとったんだ?
 俺を絶望させて勝とうとしたのは?

 ――その必要があったから。そうしなければならなかったから。

 俺はある発想に辿りついた。

 そして、赤羽ハルは最後の影の《塔》を蹴り、足場にして跳躍した。
 俺の頭上に迫る。その手が硬貨と紙幣に埋もれかかる俺に伸びる。
 がしゃがしゃと音をたて、硬貨を紙幣に換金しながら、俺をつかもうと伸びる。

「まずはその魔導書を換金する。これが絶望。
 そんで――なんだ。次にお前に苦痛を。あァ――くだらねえ」
 赤羽ハルはむしろ憂鬱そうな顔で、残虐な台詞を吐く。

 俺はちょっとした賭けに出ることにした。
 硬貨と紙幣の沼の中で、ノートン卿をどうにか開き、スペルを編集する。
 これは本当に奥の手の中の奥の手、できれば絶対に使いたくなかった。
 なぜならば。
 《これ》を使うとノートン卿の機嫌を最悪に損ねることがわかっていたからだ。

 果たして、《これ》に触れた赤羽ハルは、灼熱した鉄に触れたかのように素早く手を引っ込めた。
 このときに勝負はついた。
 俺は勝てなかったが、負けもしなかった。

――――――――――――――――――――――――――――

「最初から勝てたような勝負で、なんで変な戦い方をするのか――」

 そうして俺は硬貨と紙幣の沼に半分うもれながら、赤羽ハルと会話するレアな機会を得た。
 正直、カッコ悪い。
 赤羽ハルは硬貨の上にあぐらをかいて、不愉快そうに俺を見ている。

「そりゃ、そうする必要があったからだ。
 依頼人からの、そういう注文だったからだ」
「……そうだな」
 赤羽ハルは憎悪らしきものを押し殺した目をした。

 つまるところ、この男の、圧倒的に強力な能力の制約がそれだ。
 契約に基づく「負債」を踏み倒せなくなる事。
 強い能力ほど制約も強力――というのが、魔人能力の、まあ、だいたいの方向性らしい。

「だったらよくないぜ、契約書をろくに読まずにハンコ押すなんて」
 俺は影によって生成された、《和平条約調印書》を突き出した。

 これこそが俺の身を赤羽ハルから守る盾だった。
 ノートン卿のような性格の魔導書でも、そこはさすが完璧な城塞をコンセプトにした一冊ということだ。
 こういうものも、ちゃんと完備している。

「ハンコ押すつもりなんてなかった。こりゃ実際――詐欺じゃねェのか」
 赤羽ハルは自分の右手を見た。
 《矢》がいくつかかすめたおかげで、微量とはいえその指先にまで血が滴っている。
 あとはその指で、しかるべき印の欄に触れるだけでよかった。
 契約が完成してしまえば、そこから発生する「負債」を踏み倒せなくなる。

「一つ。故意に互いの健康、財産、利益を損ない得る行為をしないこと。
 一つ。互いに己に最も近しい者を人質として供出すること。
 一つ。この和平条約に違反した場合、人質、並びに契約違反者は速やかに処断されること」
 俺は条約を読み上げた。
 このくらいの文面なら、一呼吸の間もあれば作成できる。
 ――いくら二流だって、俺は編集者だ。ノートン卿の編集者。

 勝ちもないが負けもない。
 俺が確実に赤羽ハルより優っているところは、一つだけ思いつく。
 相手と戦いたくないと思う気持ちだ。凶悪魔人どもとマトモに戦うなんて頭がおかしい。

「つまり、こいつはこういうことか?」
 赤羽ハルは俺を睨んで呻いた。
「俺はお前を見逃さなきゃいけない。これで俺も運営本部襲撃犯の仲間入りだ」
「だろ? 仲良くやろうぜ、兄弟! あんたもこれでノートン卿の従者だ!」

 俺は努めて明るく告げた。
 赤羽ハルは俺を殺害したさそうな顔をしたが、それを口に出すことはない。

「まったく、泥棒の仲間入りかよ。
 ……しかし……実のところ、悪くない選択かもしれない」
「そうだぜ、馬鹿馬鹿しい。
 この大会に優勝するような魔人が、なんで運営の言うことを聞く必要があるんだ?」
 俺は口からでまかせを吹聴した。

「本当にどんな願いも叶える手段がナニカあるのなら、
 そいつを奪い取って一件落着だ!」
「賞金を奪い、願いを叶えるためのナニカも奪う。
 俺の叶えたい願いは一つだけじゃない――そう――」

 赤羽ハルは皮肉げに笑った。
「どうやら少し弱気になってたかもしれない。
 あの人も、俺も、両方うまいことやれる方法が。もしかしたら――」
「その意気だぜ、兄弟! なっ。やる気でてきただろ!」
「それはともかく、俺はお前が嫌いだよ」
「うん、実は俺もだ」

 俺は正直に回答した。

「赤羽の旦那。元の地点に戻ったら、何するか打ち合わせとく?」
「お前の考えそうなことは、想像がつく」
 赤羽ハルはつまらなさそうに肩をすくめた。
「七葉樹の落葉を誘拐する。――どうせ、そのつもりだろ。
 こうなった以上、徹底的に大会本部を揺さぶるべきだな」

「さすが」
 俺は両手で赤羽ハルを指差した。
「で、旦那に頼みたいことは」
「わかってる」
 赤羽はうるさそうに片手を振った。

「護衛の始末は俺が担当する。一瞬で全部殺る。
 お前は七葉樹誘拐担当だ。しくじったらその時点で殺すぞ」
「できるもんならね」
 俺はできるだけ意地悪く笑った。それは赤羽ハルの機嫌を明らかに害した。

「だったら、お前が勝ち上がったことにしろ。
 運営は意地でも大会のカタチを続けようとするに決まってる。
 次の『対戦相手』を引きつけて、せいぜい囮をやれ」
「わかってるって――じゃあ、その流れでいこう」

 そして俺は最後に、さっきから一言も喋っていないやつに声をかけた。
「そろそろ機嫌直してくださいよ、ノートン卿。
 うまくいったんだから。スネてもいいことないっすよ」
『黙れ』

『きみとは金輪際、口も聞きたくない』
「酷いじゃないですか」
『黙れ。和平など降伏も同じだ! 恥じて死ね!』
「落ち着いてくださいよ、お願いしますよ――」

――――――――――――――――――――――――――――

その数分後、影の軍馬を駆り、二つのチンピラの影が大会運営本部から飛び出した。
片方の小脇には、ぐったりとした少女の小柄な体が抱えられていた。

赤羽ハル、相川ユキオ――行方不明。逃走中。
森田一郎――生死不明。
七葉樹落葉――誘拐。








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