第三話/パンダ


「はっ!? ……夢か。ふぅ」

 史上最低のクソッタレな悪夢から覚めたおれは、安堵の息を漏らしつつ額をびっしょりと濡らす汗を手のひらでぬぐった。

 そうだとも、ずべて夢だったのだ。念願の新居が破壊樹によって空高く飛ばされたのも、しかたなく破壊樹を登って我が家を目指すことになったのも、破壊樹の中から出てきた妖怪バンブー喰い女と嫌々手を組むことになったのも……すべて出来の悪い悪夢に過ぎない。

 現実はいたってシンプルだ。新居を購入したおれは、その勢いで家の元の持ち主である西野カナタさんにプロポーズ。自衛隊や謎のキリストおじさんの介入を受けながらもおれは邪魔するやつをちぎっては投げちぎっては投げ、紆余曲折ありながらも彼女と見事ゴールインそして昨夜はオタノシミデシタネ……うむ、我ながら完璧な記憶力と言わざるを得ない。ちょっと自分で自分が誇らしいぞ。

 と、その時。

「……んうぅ……?」

 上体を起こしたおれの隣でか細い、しかし柔らかな囁き声がした。

「!!!」

 そうだ、そうなのだ。昨夜はソウイウコトがあったのだから、当然隣には彼女が寝ていてしかるべきなのだ。すっかり失念していた。我ながら残念な記憶力と言わざるを得ない。

 だが落ち着けおれよ。二人の関係はもはやアベックを通り越して新婚夫婦のそれ! なにを緊張することがあろうか。いやない。緊張なんかしていない。だから振り返ろうとする首の関節がまったく動かないのは緊張して体が強張っているとかそんなことではだんじてない!

「……ふわぁ……ああ、おきたのですか……?」

 うわああああああああああああ!?!?!?!?!?
 緊張して体が動かない!!!!!!!!!!

 おおおお、おちつけ! 大丈夫だ! なにが大丈夫なのかさっぱり分からないがとにかく大丈夫だ!
 ここは落ち着いて、極めて落ち着いて、そして落ち着いて、落ち着いた声で落ち着いた朝の挨拶をすればいいのだ。そうだ落ち着けおれ。

「おはひょっ」

 ぎゃあああああ!!!!!
 噛んだ! めちゃくちゃ噛んでしまった! 超かっこわるい! なんだ「おはひょっ」って!?

「……ふふっ、なんですか、その挨拶?」

 カナタさんが笑っている! ぐおおおお……情けないやら引かれなくてほっとしたやらで頭がぐちゃぐちゃだ……。

「やはりヒューマンは変わった生き物ですね」

 幸いにも彼女は好意的に解釈してくれたらしい。そう、その通り。おれはヒューマンで変わった生き物なのだ……うん?

 彼女のセリフに違和感を感じ、緊張もどこへやら素早く振り返る。するとそこには……。

「さ、起きたのならさっさと身支度を整えなさい」

 ……そこには、悪夢に登場したそれとまったく同じ外見をした妖怪バンブー喰い女がいた。

「……」
「? どうしたのです、そんな死んだ魚のような目をして」
「……ああ、いや、なんでもない」

 なるほど、そうか。そういうことか。つまりこれは。

「まだ夢を見てるんだな……じゃなきゃこんなバケモンいるはずねぇよ」
「夢ではありませんしとんでもなく失礼ですねバカヒューマン」

 夢ではないらしい。夢であって欲しい。いや夢だ間違いない。

「じゃあ聞くが夢じゃないならカナタさんはどこに居るんだ?」
「カナタは私のシェルターバンブーの関係で市役所に行くと言っていました」
「おれの隣で寝ているはずでは……」
「カナタの寝室は別の部屋ですが? お前と同衾するわけないじゃないですか、寝ぼけているのですか」

 そうかそうか。なるほどつまり。

「もしかして、こっちが現実なのか……?」

 最悪だ。悪夢のままでいて欲しかった。

 しかし冷静になって考えてみればそりゃそうだ。いくら何でも新居を手に入れた勢いでプロポーズはない。というかなんで自衛隊が出てきたんだおれの夢。

「というかそれならなんでお前はおれの布団に入ってんだよ!? お前はカナタさんの部屋で寝てるはずだろ!!」
「今日は一緒にシェルターバンブーに登ると言ったのになかなか起きてこないから起こしに来たに決まっているでしょう。寝坊するとはさすがはヒューマンですね」
「ならなんでお前も一緒になって寝てんだよ!」
「コールドスリープの後遺症でお布団を見ると眠くなってしまうのです。まったく、そんな事も知らないのですか」
「知るか!!!」

 眼が冴えると同時に頭が痛くなってきた。そうだ、この悪夢みたいなのが現実で、あの夢みたいな出来事は夢だったのだ。くそう、さらば夢の新婚生活。

「ほら起きた起きた。もうお昼なんですからさっさと支度しなさい」

 銀髪エルフ女に急かされ、おれは寝床から起き上がった。腹立たしいが寝坊したこちらに非があるのは事実。いまは大人しく言う事を聞いてやろう。

 手早く身支度を整え、使い慣れた装備一式を装着する。五分としないうちに家を出る準備は整った。このあたりの手際の良さは地元での経験が活きていると言えるだろう。

「うしっ、それじゃ行くぞ!!」

 パンッ、と両の頬を叩き気合を入れると、おれはまだ見ぬマイ・スウィート・ホームを目指して第一歩を踏み出した。

 ◇◆◇◆◇

 結論から言うと、おれは我が家に辿りつけなかった。

 もちろん諦めたとか手を抜いていたとか、そういう理由からでは断じてない。おれは諦めの悪い男であるし、生まれてこのかた手を抜くということをしたことがない常に全力の全力少年だ。

 ではなぜか?
 ……理由は簡単だ。

「お、お……」

 あまりの衝撃に声が上ずる。しかし、どうにかしてその驚きを吐き出した。

「おれの家が……なくなっているーーーーーッッ!!!??」

 そう、夢にまで見た念願のマイホームは……きれいさっぱり、跡形もなく消滅していた。その下の破壊樹ごと。

「いえ私の家ですが」

 そんなカグヤの呟きをあえて無視し、おれは我が家があったはずの地面に這いつくばる。あれほどの巨大な物体が一夜にして消えるなんて、そんな馬鹿な。なにか、なにか痕跡があるはず。

「まさか地面に隠れてしまったのか……!? この恥ずかしがり屋さんめ!」
「ショックは分かりますが正気に戻りなさいバカヒューマン。ほら、あれを見るのです」

 アホエルフが我が家跡地の隅を指差す。まさか……我が家は縮んでしまったというのか!? 洗濯したセーターみたいに!

 一縷の希望にすがるように指の先を見る。
 だが、期待に反してそこにあったのはちっちゃくなっちゃった我が家ではなかった。

 そこに居たのは全身が白と黒の分厚い毛皮に覆われた、体長150センチ、推定体重100キログラムのクマ科の大型動物。すなわち。

「パンダだ!! かわいいーーー!!!」

 それは紛れもなくパンダだった。すごい、初めて見た!!!

「なにを言っているのですか。あれを可愛いなど……うう、寒気がします!」

 おれは初めて見るリアルなパンダに興奮していたが、しかしカグヤはそうではないらしい。その顔には不快感がありありと浮かんでいる。

「えっ、パンダ嫌いなのか!?」
「嫌いに決まっているじゃないですか、昨日説明したはずですが!」
「あんなにかわいいのに!?」
「どこが!!」

 フン!と鼻息荒く否定する。そうかなあ、かわいいと思うんだけどなあ。

「ほら見ろ、あのつぶらな瞳に面白い模様! 誰が見てもかわいいだろ?」
「それは愚かなヒューマンを騙し己の世話をさせるための擬態に過ぎません!」
「まさかあ、そんなわけないだろ?」

 あんなかわいい生物がそんなゲスな意図を持つわけがない。
 どうやらこのエルフは嫌いなモノに対する視野が極端に狭いらしい。かわいそうに、かわいさの真理を理解できないとは。

「パーンダパンダ、パパパンダ!」
「うわっパンダが鳴いた!!!」

 パンダの鳴き声って「パンダ」なのか、初めて知った!
 思っていた通り都会では学べることが多い。田舎から出てきてよかった。

「愚かな……あれは古代エルフ語、それも手ひどい罵倒の言葉です! 馬鹿にされているのですよお前は!」
「そんなわけないだろー? だってパンダだぜー?」
「ンダンダ」
「ほら、パンダもそうだそうだと言ってるぜ」

 おれがそう言うとカグヤはまるで頭が痛いかのように眉間にしわを寄せ、ハァーとため息を吐いた。

「やはりヒューマンの知性では限界がありますか……」

 失敬な。それじゃあおれが馬鹿だと言っているみたいじゃないか。

「分かりました、この際ですからヒューマンの知性レベルの低さについては保留しましょう」
「今さらっと失礼なこと言わなかったか?」
「……問題は、なぜここにパンダがいるか、でしょう」

 こいつさらっとおれの発言を無視しやがった。
 だが、その言い分は確かにもっともだ。普通パンダと言ったら動物園にいるものだろう。それがなぜおれの新居跡地にいるんだ?

「うーん……? なんでだ。わからん」
「お前は知性だけでなく記憶力までお粗末なのですね」
「なんだとこのやろう」
「昨日言ったはずです。『シェルターバンブー上層部にはパンダが生息する』と」
「…………ああ、うん」

 すっかり忘れてた。

「つまりあいつは、破壊樹の上から降りてきたってわけか」
「それ以外には考えられません。それと破壊樹ではなくシェルターバンブーです」
「でもよぉ、その破壊樹自体がなくなってるんだぜ」
「食べたのでしょう。まさか一晩で食らい尽くすとは思いもよりませんでしたが」
「まさか!」

 食いつくした? パンダが? 破壊樹を?
 にわかに信じがたい話だ。だが、それはつまり……。

「……パンダを世界中に放てば、破壊樹を一掃できるんじゃねえの?」
「なんて恐ろしいことを言い出すのですかこのバカヒューマン!!!」

 カグヤは当然ぷりぷりと怒り出した。が、そんなことを気にするおれではない。

 破壊樹はいまや世界的な大問題であるし、たくさんの人々が迷惑しているのだ。人類の一員として破壊樹が無くなって喜びこそすれ悲しんでやるいわれなどあるはずがない。
 そもそもおれ自身、破壊樹によって念願の新居を破壊され…………新居、新居?

「待て……あいつが破壊樹を食ったって?」

 ひとつだけ、確かめなければならないことを、おれは思いついた。

「ええ、あのパンダがシェルターバンブーを食べたのは間違いありませんね」
「……おれの家が乗ってたはずだよな。それはどうした」
「……ま、一緒に食べられたと考えるのが自然でしょう」
「なるほど、なるほど……」

 うむ、うむ。なるほどな。
 そうか。あのパンダが、おれの家を…………。

「やろう、ぶっころしてやる!!!!!!!!!!」

 新居の仇だ!!!!!
 骨の一片も残さねえ!!!!!

「パパパンダ、パーンダ!」
「なんだとこのやろう!!!!!」

 馬鹿にしやがって!!!
 背中からチェーンソーを下ろし両手で構える。もはやアレはかわいい動物園のアイドルではない、地球上から滅ぼすべき害獣だ!!!

「いくぞオラァァァーーーーーーッッッ!!!!!」
「パンダァァァーーーーーーッッッ!!!!!」

 同時に吠えるおれとパンダ。そして地獄のような戦争の火ぶたが切って落とされた!


【つづく】



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最終更新:2020年08月23日 01:08