最終話/産めよ、増えよ、地に満ちよ
思い出したくもないことではあるが――少し昔の話をしよう。
おれが、親父のもとで「木を切って」いた時代の話だ。
まだ15かそこらのガキだったと思う。
その日、おれはたしか、いつものように親父たち大人が率いる林野庁の破壊樹伐採本部隊とは少し離れたところで駆除作戦にあたっていた。
知ってのとおり、破壊樹は生息した土地を物理的・暴力的にぶち壊すだけにとどまらず、周囲の生態系を、なんと言うか――変質させてしまう。
平凡な日本の山奥だったにも関わらず、ジャングルからツンドラまであらゆる地域の植物がはびこったり、それどころかどんな図鑑にも載っていない新種が見つかったり……
それでも、天までそびえ立つ巨大な破壊樹そのものに挑むよりもずっと危険は少なかったから、そいつらをなんとかするのは自然とおれら子供を含む若者連中の仕事になったわけだ。
今にして思うと、大人たちがおれを破壊樹本体に決して近づけなかったのは、もうひとつ別の理由があったのかもしれない。
つまるところ――おれは結局のところ、破壊樹についてなにも知らなかった、ってことだ。
不穏な空気を感じたのは、おれがひとりで報告に戻ってきたときだ。
大人たちが騒がしいのは普通のことだが、いつものバカ笑いとはなんだか雰囲気が違っていた。
誰かがケガをしたとか、トラブルがあったとかとはまた違う。
喧騒、怒号――そういったあるべからぬものを遠くで聞き取ったおれは、ひそかに物陰にかくれ様子をうかがうことにした。
そして、見てしまったんだ。
親父たちが輪を作って取り囲む中に……傷ついて座り込む銀髪の女を。
おれはその女性と目が合ってしまった。
よく磨いた鏡のように透き通る美麗な顔は、しかし、殴られたように腫れ上がっていて――
その目は、怒りをたたえているようにも、すべてを諦めているようにも見えた。
親父たちが視線の先に気づいて振りかえる前に、おれは一目散に逃げ出していた。
見てはいけないものを見てしまったような、うしろめたい気分だった。
夜になってから小屋に帰っても、おれの覗きに気づいていたのかいないのか、親父はそしらぬ顔で何も言おうとはしなかった。
吐きそうだった。
男手ひとつでおれを育て上げた、陽気な、休日には昼間っから酒を山ほどかっ食らって高いびきをかくバカ親父の――家族の顔が、おれの知らない、なんだかとてもおぞましいものに思えた。
そこから先のことはあまり覚えていない。
とにかく、うんざりだった。
すべてを壊す破壊樹も、さらにそれをぶっ壊す親父のことも……
そんなことを考えていたからか、おれはつい、なんとはなしに聞いてしまった。
「なあ……おまえ、家族とかいたりするのか」
「な、なんですかヒューマン。藪から棒に……」
さすがに唐突すぎたのか、おれの問いかけにカグヤも少々困惑したようだった。
「あやしい……怪しすぎる……急に私の素性が気になるだなんて……ハッ!? まさかあの女ヒューマンだけに飽きたらず、誇り高きこのカグヤちゃんまでもを毒牙にかけようというのですか!? 愚かな! 私の美しさこそが罪つくりとはいえ、原始生物たるバカヒューマンの性欲はほんっとうに底なしですね! 恥を知りなさい!」
「ちげーよアホエルフ! よくそこまでベラベラとデタラメに口が回りやがるな! 舌ァ噛むぞアホ!」
言うんじゃなかった。
狭い車中に響きわたる銀髪アホエルフのキンキン声が、尻の下でガタガタと揺れるクソ固いシートとグルになっておれのストレスを最大限に刺激した。
世界で最悪の住居環境があるとすれば、それは確実に今ここ、この車内に間違いないだろう。
「……はあ。最悪です。朝までずっとコイツと二人だなんて……なんで私がこんなことしないといけないですか」
「おれのセリフだよ……つーか、その助手席には一番最初にカナタさんが乗る予定だったんだよ! 初めてのデート……近づく二人の距離、ふとした瞬間に手と手が触れて……ロマンスに満ちたおれの人生計画を、クソーッ!」
「……だんだんわかってきましたが、お前はヒューマンの中でもかなり気持ち悪いタイプのヒューマンなのですね」
おれはアホエルフの口から漏れ出る雑音を無視した。
ああ……言い忘れていたが、おれたち二人はいま夜の山道をオンボロトラックで突っ走っている真っ最中だ。
年代もののディーゼルエンジンをアメと鞭で引っぱたいて、全速力で東京へと向かっている。
カナタさんとの幸せな時間に突如としてあらわれた闖入者。
自称・日本国内閣総理大臣安部晋三――本人いわく本物らしい――が言うことには、かいつまんで言えば、おれがなんとかしないと世界がヤバイ、らしい。
より正確に言えば、おれとカグヤふたりが、とのことだ。
世界各地の大都市で、反ヒューマン主義のエルフどもが特大の破壊樹を爆発させる。
そんな大規模なテロ計画を聞きつけたのが、実行日の前日――つまり今日だったから大騒ぎだ。
猫の手も借りたいといったところか、なんと仰々しくも「破壊樹の専門家」として、なにも知らないにひとしいおれが現場にかつぎ出されることになってしまった。
それもこれもあのクソ親父が、いつもの調子であることないこと適当こきやがった結果に違いないから、なおのこと最悪だ。
とうぜん最初は断ろうとした。
だが、結局は首を縦に振らざるを得なかった。
世界の危機とまで言われてはさすがに黙って見過ごすわけにはいかず――なにより、安倍晋三がその手に拳銃を持っていたからだ。
カグヤはといえば、これはほとんど人質にとられたに等しいかっこうで犯人グループとの交渉役に引っぱり出された。
おれにとってはほんとうに驚きだったが、カグヤはこれでも、こんなんでも、おれたちヒューマンに友好的な部類のエルフらしい。
同時多発テロとはいってもたかだか10かそこらの都市破壊なんぞではヒューマンは全滅しないし、逆にエルフの立場を追い詰めるだけの自殺行為だと――そんな小学生でもわかる理屈を、狂信的な連中に向かって、とうとうと教鞭をふるう役目を負わされてしまった。
「……」
その当人は先ほどの騒ぎがうそのように、黙りこくって夜空の満月を見上げている。
アホエルフはアホエルフなりに、思うところもあるのだろう。
きっと。
ちなみに、おれのところに現れた安部晋三は本物らしいが、テレビによく映る霞が関の安部晋三もこれまた本物らしい。
本物の日本国内閣総理大臣安部晋三が全国各地に同時に存在して、思念体だかなんだかでひとつにつながっているらしい。
こっちの安倍晋三は、話を終えた直後、地面に溶け込むように消えてしまった。
もう、おれにはどうなっているのかよくわからん。
月光が照らす夜道を、おれたちは走った。
青白い光に満ちたやわらかな夜の空気を、鮮烈なヘッドライトがぶしつけに切り裂いていった。
「……私の、母は」
カグヤは窓の外に顔を向けたまま、ぽつりぽつりと話しはじめた。
「とても……厳しい人でした。記憶に残る母の顔は、怒っているものばかりです。私はそんな母親からまるで逃げるように、家を出たんです。そのあとのことは……私にはわかりません」
「そうか」
いつもの尊大なアホエルフの態度とはうってかわって、しおらしい様子でカグヤは言った。
「会いたいと、思ったことは?」
「……わかりません。少なくとも、今は」
それ以上は聞けなかった。
長い沈黙に耐えかねて、おれが車内ラジオの電源をつけようとしたときだった。
砂利道の振動とはまた違うあのイヤな感触が、尻の底から伝わってきたのは。
「……っ!? ヒューマン、これっ……!」
「うお、ヤベェ! 揺れ、また……クソが! 畜生!」
おれは足元のブレーキを全力で踏み込んだ。
車体が前につんのめって、おれたち二人はしたたかにフロントガラスに額をぶつけることになったが、それどころではなかった。
このあとすぐに、あの轟音が続けてやってくるに違いないからだ。
座席の上でうずくまり、頭を抱えて耳をふさぐ。
案の定、ひと呼吸もしないうちに大地をまるごとひっくり返すような音と振動がおれたちを襲った。
だが以外にも、20秒かそこらの短い時間で、すぐにそれは収まった。
なんだ。ただの地震か――という淡い期待を打ち砕くかのように、顔を上げたおれの前に、それはたしかに屹立していた。
「……偶然、じゃねェよな……クソが……」
――巨大な、キノコだった。
おれはチェーンソーを手にすると、カグヤといっしょにおそるおそるトラックから降りた。
空を見上げると、15mほどもヒョロヒョロと天に伸びた柄がおれたちの進む山道をふさぎ、まるく開いた傘は満月を覆い隠して月夜に黒いシルエットをかたち作っていた。
「こいつも、破壊樹だってのかよ……」
「……そうだと思います。でも、なぜ……」
そして、先にそれに気が付いたのはカグヤの方だった。
「……! あ、……あああ…………」
さらに空を見上げたカグヤの視線の先。
その声はおれたちの頭上から聞こえた。
「……やれやれ、まったく手間をかけさせる。探したぞ」
真夏の夜の蒸し暑い空気に、そいつの凛とした声はよく響いた。
つられてそっちに目を向けたおれも、ようやくその姿をみとめた。
「さあ、来い。帰るぞ、カー・ア・タ=グヤァ……我が不肖の娘よ」
キノコ型破壊樹の巨大な傘の上に威風堂々とたたずんでいたのは、足の先まで届くかという長い銀髪を月光におどらせた絶世の美女――エルフだった。
いや、姿かたちがどうこうというより、問題は。
「娘……ムスメって言ったか、あいつ!? なあ……」
となりを振りかえったおれが見たものは、体じゅうの血という血がすべて抜けきったかのように蒼ざめたカグヤの顔だった。
「う、うそ……なんで。そんな、……お母、様……」
「お、おい、どうした! しっかりしろよ!」
あわれなほどに錯乱し、ばかみたいに口をぽっかりと開けたカグヤの肩に手をかけようとしたときだ。
「――触るな!」
上空から放たれた鋭い怒声に、おれの全身は凍りついた。
「穢らわしい手で娘に触れるな。虫けら。おまえらのような存在が、高貴なるわれらエルフに毛の先一本たりとも近づけると思うな」
妖しいまでに美麗な顔立ちからは想像もつかないその悪辣な罵声を、おれは真正面から受けてしまった。
そして、いまになってようやく理解した。
あのとき、親父たち大人が、なにと戦っていたのか。
取りまく世界をまるで知らない15歳のおれに、なにを隠したかったのかということを。
理由なき敵意。
純粋なる悪意。
ああ、これこそが戦争なんだ、と。
「……なあ、ゆっくりでいい。ゆっくりと息を吸って、吐いて、そうして呼吸が落ち着いてから、こたえてくれ。あの、なんというか……ちょっとばかりクレイジーなご婦人が、おまえのおふくろさん……で、間違いないんだな」
カグヤはいまだに小さく震えていたが、いくぶんか整った口調でおれの問いかけにこたえた。
「……はい。カー・マ・マ=キルラ……私の、母親、です」
少々頼りなくはあるものの、二本の足でしっかりと立ち、強大な存在にむかって視線を投げかえすカグヤの姿に、おれはほっとすると同時にひとひらの勇気をもらった。
勇気をもって、おれは降りそそぐ敵意に相対した。
「……おい、おばさん。おれの声が聞こえるか。どうもあんたが、例の反ヒューマン主義エルフってやつらしいな」
挑発めいたおれの口調に母エルフは眉をひそめたが、すぐに冷酷な声色に戻った。
「とうぜんだ。もう耳にしているのだろうが――明日、貴様らヒューマンは滅びる。私は死にゆくヒューマンどもの手から、娘を取り戻しに来た」
おれは、即座にキレた。
「ハァ!? 取り戻すだあ? こいつの方がおれん家に勝手にやってきたんだろーが! つーか家をブッつぶされてんだこっちは! 念願のマイホームだぞ! 泣くぞ!」
はるか頭上から見下すエルフの目には、豆粒の大きさでわめきちらすおれの姿がさも滑稽に映ったことだろう。
だが、そんなのは知ったことか。
「そもそもだ、そうだ、カグヤの勝手だろ! 取り戻すだのなんだの、てめーの娘をモノ扱いしてんじゃねーよ! カグヤが帰りたいって言ったのか? カグヤに聞いたことあんのか? あんたについていきたいって一言でも言ったのかよ!」
カグヤは驚きと困惑が入り混じった視線をこちらに向けた。
正直、おれは自分で自分が何を言っているのかよくわからなくなっていたし、冷静に考えるとだいぶ私情が入っていた気がする。
だが、そんな勢いまかせの強弁は高慢なエルフの精神的防壁を崩すのに一役買ったようだ。
「カグヤ……だと? なんだそれは。貴様らヒューマンどもがそんな低俗な呼び名で我が誇りある血族を汚すな! その娘の名は、カー・ア・タ=グヤァ! 神より祝福を受けしエルフの御名だ!」
「だーかーらー、カグヤ本人がそのあだ名がいいって言ったんだよ! たとえそのご立派な名前で呼んだからって、ちゃんとカグヤと正面向き合って会話したことねーだろ、おまえ! えーと……名前なんだっけ……ママカグヤ!」
「私の名はカー・マ・マ=キルラだ……! 二度と間違えるな、ヒューマン!」
「うるせーっ! 知るか!」
まあ、見方を変えれば、ただ単に猿レベルの口ゲンカに高貴な高貴なエルフ様を引きずり下ろしただけとも言える。
そんないっこうに出口の見えない諍いに嫌気がさしたのか、ママカグヤが動いた。
「……もういい。時間の無駄だ。娘は連れ帰らせてもらう。無理矢理にでも!」
ママカグヤは長い銀髪をひるがえして、巨大キノコの傘から飛び降りると……魔法のように空中に静止した。
いや、違う。
その足元には、降り注ぐ月光から投げかけられる周囲の木々の影に同化して、白と黒のまだら模様におおわれた小山のような存在があった。
「うお……なんだこいつは! 最初から、ずっといたってのか!」
「……パンダです! あれは、お母様のしもべ! エルフが使役するサーヴァントパンダです!」
白黒の山に、火山の噴火口のような深紅の裂け目が咲いた。
あまりの大きさに、それがパンダの口だと気が付くのに、すこし時間がかかった。
そのすぐあとに、咆哮が響いた。
山一つをまるごと揺るがすような、ぐるおおおおおおうという、そんな唸り声だった。
「……やってみろよ」
おれは恐怖心を、怒りでもってむりやりに塗りつぶした。
おれ自身を奮い立たせるように、チェーンソーのエンジンを入れた。
ドッ、ドッ、という振動が、おれの心臓の鼓動と一緒になって全身に血流を巡らせているかのように感じた。
「かかってこいよ、ああ!? おい熊公! たかが動物園のアイドルのぶんざいで、山育ちのおれに勝てると思ってんのかよ! おれはなあ、漢字も書けねえガキのころから熊狩りやってんだぞ! 親父のせいで!」
そんなおれに、エルフはただ冷笑で返した。
「熊……? ああ、なんだ。パンダベアーのことを言っているのか。見くびられたものだな」
カグヤが背後からおれの腕にしがみついた。
その手は、はかなげに弱々しく震えていた。
「違います……お母様のあれは、そんな可愛らしいものではないのです。カー族の当主に代々受け継がれる、エルフの秘宝ともいうべき存在――」
そうだ。
おれはかすかに疑問に思っていたのだ。
こんな明かりすらまばらな山道なのに、あの女はどうやってここまで来たんだ?
聞いたことがある。
パンダやシマウマの白黒模様は、身を隠すためではなく、形の境界をあいまいにすることで群れの数や大きさを誤認させるものであると。
ぐるるるると、モノトーンの塊が喉の奥で唸った。
そしてみるみるうちに姿を変え、左右へと大きく展開した。
それは根元から放射状に広がり、おれたちを取り囲むように天球の半分を覆い隠した。
途方もなく大きな、翼だった。
カグヤは言った。
「幻想古神竜・パンドラゴン……!」
おれはくり返した。
「幻想古神竜・パンドラゴン!!?」
一瞬だった。
あっけにとられたおれが反応すらなにひとつできないうちに、そいつは地面を蹴っていた。
その巨体からは信じられないほどのスピードで、白黒の怪物は低空をカッ飛んだ。
音すらも切り裂く、最新鋭のジェット戦闘機なみの突進におれはなすすべもなく、ただ風圧だけでふっ飛ばされ、砂利道をころがされた。
「……きゃあああぁっ!」
ぶざまに起き上がったおれが見たものは、鋭い爪の生えた毛だらけの手で器用にもカグヤを握り抱え、翼を広げて宙に静止する巨竜の姿だった。
「さらばだ、ヒューマン。もう二度と会うことはないだろう」
パンドラゴンの背に立ち、エルフは冷たく言い放った。
「おい、待て! カグヤ、無事か!? おい!」
「ヒューマン……」
空中に束縛された状態で、カグヤは苦しげにうめいた。
そして、絞り出すようにおれに告げた。
「すみません、ルカ。あなたを巻き込んでしまって……私のことはもう、忘れてください。あなたは、どこか遠くへ逃げて。被害の及ばないほど、遠くへ。あなたの大切な人と一緒に……」
「……そうかよ」
圧倒的な敗北だった。
すべてを奪われ、みじめにひとり放り出された。
打ちひしがれるおれには、だが、たったひとつだけ残されたものがあった。
「……ふざけんな」
決まっている。
怒りだ。
おれ自身にもおさえることのできない、腹の底から沸き立つ憤怒だ。
「……そうやってトンズラこくつもりかよ、カグヤ! おい! ふざっけんな! そうはさせねえ。戻ってきやがれ! 一発殴らせろ! 死ね!」
「な、……え……ええ? ……えええ!?」
おれは腹の底から叫んだ。
「逃げろだあ? バカ野郎! 忘れたのか! おれが逃げ帰る家なんてもう地球上のどこにもねえんだよ、てめーのせいで! 許さねーからな、おれは!」
「こ、このタイミングでそれ……? じゃなくて! なに、やってるんですかあ!」
そんなものは見てのとおり。
おれはふたたびチェーンソーの動力に火を灯したのだ。
「愚かな。いまさらそんな玩具でなにができるというのだ」
手の届かない上空から余裕しゃくしゃくの冷笑を投げかけるママカグヤに、おれは親切にも教えてやった。
「なにができる、だあ? 決まってんだろ! チェーンソーはなあ……」
チェーンソーの刃を高速回転させたまま、おれは全速力で駆けた。
やつ自身が山道に生やした巨大キノコ型破壊樹。
その根本へと。
「な……」
「木を切るためにあンだよ!」
キノコの根本、斜め上45度からチェーンソーを叩き込む。
続けて水平にも切り込みを入れると、大きなくさび形の破片が破壊樹から吹き飛んだ。
「受け口よし!」
すぐさま幹の反対側に回り込むと、さっきより少しだけ上の位置に深くまで刃を入れる。
「追い口よし!」
最後に、おれは百雷のごとき怒りをこめて、中空に浮かぶドラゴンにむかって破壊樹の幹を思いきり蹴飛ばしてやった。
「これが由緒正しきヒューマン様の伐倒技術だ! 覚えとけ、クソエルフ!」
15m級の巨大な幹が、めきめきと音を立てて、一直線にパンドラゴンへと倒れ込む。
「……くっ。小癪なことを……!」
だがさすがは名門エルフ家の当主といったところか。
ママカグヤの駆るパンドラゴンは空中で巧みに身を翻すと、襲いかかる破壊槌のごとき一撃をすれすれで避けた。
破壊樹は周囲の木々を巻きこみながら、轟音とともに砂ぼこりをたてて倒れこんだ。
「だが、しょせんは猿の悪あがき。どうということは……なに!?」
「これで終わりなわけねーだろ、ボケ!」
お高くとまったエルフの顔が、はじめて恐怖と驚愕の色に凍りついた。
まるく開かれたその両目に映るのは、空中に斜めにうち倒された破壊樹の幹を坂道代わりにして、全速力で這い登ってくる一台のオンボロトラック。
そしてアクセルを全力で踏みしめつつ開け放たれたドアから半身で車体にしがみつく、憤怒の形相をしたおれの姿だっただろう。
「え、あぶ……ちょ、ちょっと! やめ! あぶ!」
宙吊りにされているカグヤが、間抜けな声でなにか不明瞭なことを口走った。
おれは笑った。
いい気味だと思った。
坂の頂点で、おれは大きくハンドルを切った。
もちろん、空中で静止したままあぜんとしているドラゴンのあほ面へと向かってだ。
トラックは大きく宙に跳ね、3.5トンの質量兵器となって獲物へと踊りかかった。
直後、激突があった。
その瞬間、おれはとてつもない衝撃をくらって空に放り出された。
鈍化した時間感覚のなか、夏の大気にふきすさぶ冷風がここちよかった。
逆さになったまま空を見上げると、そこにはご自慢の白黒まだらの翼を無残にへし折られたドラゴン、そしてそこから放り出されたふたりの銀髪エルフの姿があった。
どこまでも丸い満月が照らす夜の中を、おれたちは落ちていった。
さいわいなことに、落下した先には木々や柔らかい草が生い茂っていたから、おれは全身をひどく擦りむいたものの大ケガには至らなかった。
アホエルフ親子も、なにやらうめき声を上げながら起き上がろうとしている。
あのドラゴンはといえば、おれたちから少し離れたガケの下、この世の終わりかとおぼしきけたたましい騒音でわめきちらし暴れまわり、周囲の地形を変えまくっている。
とても近づけやしないが――こちらに再び襲いかかる元気はありゃしないだろう。
「おーい、大丈夫か。なんとかなったな。よかったよかった」
草の上にへたりこむカグヤへと向かい、かがみこんで手を伸ばしたときだった。
パン、という乾いた音とともに、おれの頬に焼けた鉄のように熱い衝撃が走った。
一瞬なにが起きたかわからなかった。
顔を正面へ戻すと、そこには会心の平手打ちをおれに叩き込みつつ、両目いっぱいに涙をたたえたカグヤの顔があった。
「……しんっっっじられない! なんてことするんですか! 死ぬところだったですよ! バカですか! バカなのですね! なにが、なんとかなったな、ですか! ほんと、偶然たまたま奇跡的にうまくいっただけで、ひとつ間違えたらトラックとドラゴンに押しつぶされて全員ともどもグチャグチャのミンチになってたでしょう! エルフとヒューマンの合い挽き肉ですよ! 冗談にもならないです! もうほんとバカ! バカ! ルカ!」
ひと息であらんかぎりの罵倒をしつくすと、カグヤはぜえぜえと肩であらく息を吐いた。
じんじんとした痛みが、ようやくおれの頬にじんわりと染みこんできたのがわかった。
「……ムカついたか?」
「あったりまえです!」
おれは、ぽんぽんとカグヤの頭をはたきながら言った。
「それでいい。そっちの方が、おまえらしいよ」
カグヤはそんなおれの手を乱暴に振り払って立ち上がり、吠えた。
「うううう……あぁー! もおおおお!」
おれたち二人は互いにののしりあい、ケンカし、じゃれあって争った。
そこにゆっくりと近づく足音があった。
「……なめるな、ヒューマン。貴様らなど……我が、誇りある……一族の足元にも……」
全身疲労困憊、ほうぼうの体で足元すらおぼつかないママカグヤだ。
それでもよくべらべらと口が回るあたり、さすがは親子だ。
「……カー・ア・タ=グヤァ。何をしている。そのヒューマンから、離れろ……さあ、来るんだ。思い出せ。我らがエルフの、栄光あるかつての日々を……いまが、それを取り戻すときだ。来い。カー・ア・タ……」
直後、おれの耳元で雷のようにつんざく絶叫が響いた。
「うるっ……さあーーーーい!!」
おれは心底おどろかされた。
ママカグヤも、そんなおれの3倍はおどろいていた。
もちろん、その大声はカグヤのものだった。
「なにが栄光! なぁーにが誇りですか! 娘っこひとりまともに育てられないくせに! お母様……いまこそ申し上げます! 私はこれまで、あなたがおっしゃっている理想も信念もなにもかも、これっぽっちも理解したことなんかありません! ヒューマンもエルフも知ったことじゃない。ましてや命令なんて、これっぽっちも聞く必要ないのです!」
「お、おい……グヤァ。なあ。話を」
「うるさいと言ったでしょう!」
ママカグヤは、いままでの尊大な立ちふるまいからは想像もできないほど、みじめに狼狽していた。
背筋をちぢこませたその姿は、なんだかひと回りもふた回りも小さく見えた。
カグヤは振りかえり、おれに向かって言った。
「……ヒューマン。あなたは知らないでしょうから、教えてあげましょう。お母様らの計画にもあるとおり、我々エルフにはシェルターバンブー……ヒューマンの言う破壊樹の、爆発的な成長のトリガーを動かす力があります。そしてここが要ですが……実は、世界中のありとあらゆるシェルターバンブーは、地中の根を介してすべて一本につながっているのです」
いたずらをたくらむ子供の顔で、カグヤは笑った。
ははあ、と、おれもそれでピンと来た。
こいつがいったい、なにをしでかそうとしているのかを。
カグヤは両方の手のひらを地面へとかざした。
その手が、満月の光を受けて、皮膚の内側から淡く輝いているような気がした。
おれとカグヤの立つ地面の底が、沸騰しているようにボコボコと泡立っているのを感じた。
「親切なことに、だれかさんがこうして手の届くところまで根の先を持ってきてくださいましたし。ね、お母様……これだけの大計画にはさぞ準備にご苦労なされたことでしょう。たっぷりと時間をかけて溜めに溜めこんだ、世界中の街をまとめて破壊するほどの発芽エネルギー……それをいま、ここでまとめて使い切ってしまったら、いったいどうなるでしょうね?」
ママカグヤの顔が、さっと青ざめるのが見えた。
「……おい、よせ。そんなことをすれば……わかっているのか! グヤァ! おまえも、無事では済まないぞ! よせ!」
おれは、けらけらと笑って、背後からカグヤの肩に腕を回した。
「ちょ、ちょっと! ヒューマン。な……なれなれしいですよ!」
「いいぜ。やってやれ。おれも付きあってやるよ。あのおふくろさんに、特大の一泡をふかせてやろうぜ」
いいところのお嬢様には、こういうときどんなセリフを言うべきかわからないだろう。
だから、おれは耳打ちして教えてやった。
「……そうか。おまえか、ヒューマン! おまえが……離れろ! 私の娘に近づくんじゃない! 穢らわしい!」
「遅えよ、バカ」
大地が鳴動した。
爆音を響かせながら、おれたち二人の立つ位置を中心として、半球を取り囲むように破壊樹のシェルターが出現した。
カグヤとおれは、この世界から切り離されようとしていた。
「グヤァ。やめろ。やめてくれ。頼む、グヤァ……行かないで」
壁の向こう側へと消えつつあるママカグヤにむかって、おれはカグヤのかわりに中指を立ててやった。
おれたちは、二人で声を合わせて言った。
「「クソくらえ」」
足元で凄まじい大爆発が起こった。
全身を押しつぶす強烈な加速度の負荷に、おれは一瞬で気を失ってしまった。
夢を見ていた。
夢の中で、おれはどこまでも暗い虚空をさまようひとつぶの種子となっていた。
そいつは生まれ故郷から遠くとおくはなれたところで、ひとりぼっちになっていた。
やがて、暗闇のずっと先に小さく映るものがあった。
近づけば近づくほど、そいつは目の前でどんどんと大きくなっていく。
青く輝く、きれいな星だった。
そいつが広げた見えない手にからめとられているのだと、気づいたときにはもう遅かった。
逃れることはできなかった。
暗黒のはるか向こうにある郷里に想いを馳せながら、おれは無慈悲な重力に引かれて落ちていった。
「……そうか」
いま、はじめて理解した気がする。
破壊樹はどうして、あれほどまでに高く、空へ空へとその幹を生やすのか。
なにを求めて、そんなにも必死で手を伸ばしているのかを。
「帰りたかったんだな、おまえも。故郷へ。宇宙へーー」
「――カ。ルカ! 起きてください! ねえってば! おーきーてー!」
そこで、おれの意識はむりやりに覚醒させられた。
肩をがくがくと乱暴に揺さぶられて最悪の目覚め方をしたおれの目の前には、慌てふためくアホエルフのまぬけ面があった。
草むらの上で上体を起こす。
見上げると、ひろく開かれた空にはきらめく星々をたたえた暗闇が広がっていた。
「なんだよ、まだ夜中じゃねえか……」
「なーにをのんきなこと言ってやがるです! あれ! あれを見てください!」
おれはカグヤの指差す方向を見た。
そこには、夢で見たものと同じ、宝石のように輝く青い星が浮かんでいた。
「は……?」
地球だった。
あぜんとするおれを尻目に、カグヤは頭を抱えて嘆いた。
「とんでもないことになっちゃったですよ……ああ、バカヒューマンの口車に乗せられたばかりに……やっぱりその場の怒りなんかにまかせてカッと行動するんじゃなかったああぁ……」
よくよく見れば、暗黒の空に浮かぶその青い星からは、なにか細い糸のようなものが一直線に伸びていた。
上から下へと目でたどっていくと、その終端は白く乾いた大地に広がる緑なす草むらの中心に、特大の円柱となってさかさまに突き刺さっていた。
さかさまの、樹の幹だった。
「……ぷっ」
おれは思わず吹き出してしまった。
「くく……ははは、やるじゃねえか、なあ! こいつはすげえ! こんなすげえ彫刻は生まれてこのかた見たことねえぞ! 芸術家のおれがかたなしじゃねえか、おい! さんじゅう……38万キロだぞ!? 地球から月まで、一直線に……すげえよ、なあ! 負けた! 一本とられたよ、畜生! アッハッハッハ……」
「なに笑ってるんですかあ!」
おれは笑った。
腹の底から、おかしな気持ちがむくむくと湧いて出て湧いて出てしょうがなかった。
呼吸もできないほど、手をたたき、足をバタつかせて笑いころげた。
「『天より伸びよさかしまの樹』……ってところか? なあ……くく。あっはは、はあ、はあ……」
「だーかーらー、もうなに言ってるんですかあ……」
どうやらアホエルフには、おれの高尚な芸術的センスは理解できないようだ。
それにしても、この樹の繁殖能力というやつはほんとうにとんでもない。
見渡す限りの不毛の大地にほんの一瞬で根を張り、子孫を増やし、月面の真空をまるごとさわやかな風の吹く大気で満たして……世界を丸ごとひとつ、作ってしまったのだから。
「なあ……世界樹。楽しいだろ。壊すとか傷つけるとかじゃなく……作るってことは」
おれの周囲にはやわらかな静寂が広がっていた。
木々の葉をさざめかせる風だけが世界のすべてだった。
長い長い旅路の果てに、ようやく腰を下ろして落ち着ける場所を見つけたような、そんな気分だった。
あるいは、そこには、やかましく騒ぐ高慢ちきなエルフがひとりくらい、そばにいてもいいのかもしれない。
それは、世界樹と呼ばれていた。
終
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最終更新:2020年08月23日 01:10