幕間SS『二挺拳銃と砂糖菓子の弾丸』

Chapter7 恋に落ちるのに必要なこと



12/24 AM06:02


「えー? 本当にいくでゴザルか?」
「当然でしょう。ほら、天も、私たちを祝福してくれた人を助けろと啓してますから」
「拙者、天誅しかしたくないでゴザルよー」
「私の声は天の声ですよ? ダーリン」chu!
「……しかたないでござるなぁ。終わったらまた、天の声、聴かせるでござるよ? ハニー」


 ♡  ♡  ♡


12/24 AM07:37


「……起きた?」
「ん……」
「そろそろだよ」
「玲は律儀だね」
「そう?」
「玲を助けてくれたのは感謝してる。けど、私は認められない。あの人」
「ここねが嫌なら、無理は言わないよ」
「嫌って言ったら、一人で行くでしょ?」
「そうだね」
「……行く」
「ありがとう」


 ♡  ♡  ♡


12/24 AM07:59


「いつつつ……」
「大丈夫? 調布くん」
「正直、よくこの一か月生き延びたと思う」
「すごかったよね……。まさか、地底からあんなのが出てくるとか、人の不幸ってすごいんだねえ」
「本当、麻上さんがライダーになり切ってくれたからなんとかなったけど。悪い。女の子に守られっぱなしとか、こんなガタイなのに、かっこ悪いよなあ」
「そ、そんなことないよ! 本当ならこの不幸、全部ほかの人に降りかかるはずだったんでしょ? それを全部引き受けて、しかも、全然それを愚痴ったりしないし、調布くんのこと、わたしはかっこいいと思う!」
「ちょ……麻上さん! ち、近いっ! あと、絆創膏きつい!?」
「あ……その、ごめんなさい! その、つい!」
「あ……はははは」
「……ふふふ」
「それで。天使くん、信じるの?」
「ああ。そのつもりだ」
「……もし、失敗したら、次は調布くんが、あぶないよ?」
「いつものことだしな。それに、それで、「みんな」が不幸にならないなら、それが一番だ」

 ――たとえば、つつましく心優しきものたちの、熾火のような仄かな想い。

「……調布くんは、「みんな」が大事なんだね」
「ん?」
「な、なんでもないっ! わ、わたしもがんばるから!」


 ♡  ♡  ♡


12/24 PM00:32


「いただきます」
「いただきますわ」
「いただこう」
「いっただきまーすッ!」

 糸遊兼雲、甘之川グラム、牧田ハナレ、そして根鳥マオは、昼食を前に声を合わせた。
 今日はクリスマスイブ。
 そして、『ラブマゲドン』の最終日である。

 テーブルには、骨付きのチキンにグラタン、山盛りのサラダにケーキといった、クリスマスパーティらしいメニューが並んでいる。
 生徒会購買配給部によるサービスらしかった。

「どうなることかと思ったが、死者は0。お手柄だな、糸遊嬢。根鳥氏」

 甘之川グラムは、クリームたっぷりのケーキをほおばりながら各種の報告書に目を通す。
 マオが方々に依頼してまとめさせた、『ラブマゲドン』における生徒たちの動向に関する資料だった。

 本来、ただの生徒たちのレポートがこれほどの精度で情報をまとめられるはずがない。それができたのは、糸遊の魔人能力『万蕃儿縁起大系・手引足抜繙自在鉄之帖』による補正があってのことである。

「調布さんと麻上さんのおかげですわね」

 上品な手つきでナイフとフォークを操りながら、牧田ハナレが答えた。

 吊り橋効果のせいもあるのか、この数週間、そこそこの頻度でカップルが成立した。
 だが同時に、それなりの数のカップル不成立も発生し、そのたびに、『レジェンダリー木下』によるペナルティ、不幸による事故が校内で起きた。

 そのほとんど全てを、三年の生徒、調布浩一が被ったおかげで、対応が迅速化、被害は最小限に抑えられたのである。

 彼の隣に、あらゆるトラブルに対応できる汎用性の高い魔人能力者、映像研の麻上アリサがいたこと、調布浩一自身が、不幸体質に鍛えられて人並外れたタフネスを誇っていることも幸いした。

 もしも彼がいなければ、一人や二人死者が出てもおかしくない。
 そうなっていれば、恐怖のあまり、逃亡を企てるものが現れ、スナイパーあたるによる狙撃の犠牲者も生まれていただろう。

 全てがぎりぎりのところで噛み合って、『ラブマゲドン』は、取り返しのつかない被害なく最終日を迎えることができたのである。

「で、天使の方はどうなの? パイセン」
「予定通りで構わないそうだ。夜八時、『ラブマゲドン』を、解体する」

 糸遊の言葉に、一同の表情が引き締まる。

「やっとですわね。『砂糖菓子の弾丸計画(オペレーション・バレット・コンフィティ)』」
「ごめんね、ハナレちゃん。ずっと待たせちゃって」
「仕方ありません。これも、確実に、あたる様に会うためですもの」
「私の計画だ。信じてくれていいぞ」
「グラムちゃんはえらいですねえ」
「だー! だから、なでなでするな!」

 決戦まで、あと8時間。
 それぞれの信じる愛でこの学園を染め上げる『ラブマゲドン』の終わりが、始まる。


 ♡  ♡  ♡


12/24 PM08:00


 希望崎高校、校庭。
 その中心で、巨大な炎が燃え盛っていた。

『ラブマゲドン』に参加する生徒たちがくみ上げた薪で作られた、キャンプファイヤーだ。
 放送室でかけられた軽快なミュージックナンバーが皆の心を盛り上げ、料理の得意な生徒たちが用意した食べ歩きメニューが生徒たちの胃袋を温める。

 これは、生徒会の主導するラブイベントではない。
 根鳥マオがその人脈を、そして、糸遊兼雲が『万蕃儿縁起大系・手引足抜繙自在鉄之帖』を駆使して立ち上げた、自主イベント『ラブマゲドン・クリスマスイブパーティ』だった。

 魔人能力による因果補正や人身掌握により、今や、『ラブマゲドン』に参加している全ての生徒が、校庭に集まっている。

 希望崎学園生徒会長、木下礼慈は学校の屋上から、その様子を双眼鏡で眺めていた。
 隣には、やせぎすの少女、生徒会副会長、滑川ぬめ子。

 このイベント、『ラブマゲドン』を企画した中心人物、二人である。

「特に動きはないか」

 危険因子として警戒していた糸遊兼雲と、特異点として厄介な調布浩一、そして、様々な暗躍を見せていた天使九尾人もまた、その中にいる。
 三人とも何か、策を弄する様子は見られない。

「寒くないか」
「だいじょうぶ」
「着てくれ」

 自分の羽織っていたコートを、礼慈はぬめ子の肩にかけた。
 ぬめ子は小さく頭を下げると、だぼたぼのコートにくるまった。

 この姿だけを見れば、ただの仲睦まじいカップルのように見える。
 だが、二人には、致命的に、あるものが欠けていた。
 それを二人は、自覚していない。

 だから、彼は「自分と同じ愛を全ての人が得て当然」と考えた。
 だから、彼女は「彼と同じものを全ての人に与えよう」と考えた。

 その欠落を断罪すべく。

「――メリークリスマス」

 聖夜に、天使が舞い降りた。


 ♡  ♡  ♡


12/24 PM08:12


 木下と滑川の間、その一歩下がったところに、いつの間にか、フードつきパーカーをはおった少年が立っていた。

「――天使、九尾人(あまつか・くびと)!?」

 それは、生徒会がマークしていた不穏分子の一人。
 木下が企画した『ラブマゲドン』開催が水面下で決定した直後に転校してきた、経歴不詳の魔人生徒である。

 九尾人は、様々な魔人生徒たちと連携し、自由恋愛の保護を標榜し、『ラブマゲドン』の中で混乱が起きることを防いでいた。
 数名の死者はやむなしと考えていた木下からすれば、九尾人の存在は、まさに救いの手であったといえる。

 だが、九尾人の目的である「自由恋愛の保護」は、『ラブマゲドン』最終日に行われる、ぬめ子の『愛の共有』と相反する。
 いつか、襲撃があるものとは警戒していた。

(しかし――、奴は直前まで校庭にいたはず……いや、あれは麻上 アリサに『ハイ・トレース』で演じさせた替え玉か。加えて、一点に多数の生体反応が溢れ、全員が高揚しているこのクリスマスイベントで、恋愛成就予知用の『ドキドキソナー』に目くらましをかけた……考えたな)

 木下は視線を校庭に向けたまま、いつでも反応できるように精神を集中する。
 これまでの一か月間で、九尾人の反応速度は把握している。
 一対一ならば、滑川を守りながらでも十分に迎撃できる。

「メリークリスマス、天使。いいクリスマスパーティだな」
「イベントは大切だ。普段は引っ込み思案だった若者が、勇気を出すきっかけになる」

 世間話でもするかのように、九尾人は口にした。
 すぐに襲い掛かってくる様子はない。

 だからこそ、木下には意図が理解できなかった。
 何のために、ここに、九尾人は現れたというのか。

「その意味で、この『ラブマゲドン』は、自由恋愛の味方だ。だが」

 九尾人の口調が、変わる。

「頼む。最後の『ぬめんぬめん』の発動は、やめてくれ」

 やはり。天使九尾人は、『ラブマゲドン』の敵だ。
 木下は、拳を握った。

「それは、できない」
「残念だ」

 九尾人が動く。
 ほんの軽く、左右の手の指先が、木下と滑川の背中に触れた。

「――『キューピッドの武器庫』」

 振り返った木下が見たのは、左右の手に、純白と漆黒の大型拳銃を構えた、天使の姿。
 そのグリップには、武器の無骨さに似つかわしくない、♡の刻印が刻まれていた。

 その武器の特殊性を、木下は理解していない。
 だが、反射的にそれが、彼らの計画を破綻させるものであると、彼は判断した。

「あたる!! こいつを、撃て!!」

 木下の叫びに反応するように、夜の闇を裂いて、天から光の柱が降り注いだ。
 それは、スポットライトのように、二挺拳銃を構えて身を翻す天使を照らす。


 ♡  ♡  ♡


12/24 PM08:14


 校舎裏で待ち構えていた4人は、顔を見合わせた。

「あと数分で、天使殿の交渉が終わる。それが決裂すれば」
「『光陰矢の如し』が発動するでゴザルな」
「ありがとうございます。ちょんまげ抜刀斎様、ウィル様。私のはしたない我儘に付き合ってくださって」

 蓬髪の着流し男、ちょんまげ抜刀斎と、金髪の青年、ウィル・キャラダインが、バレーのレシーブめいた恰好で屈み、腕を組んでいる。
 そして、その脇に立つのは、牧田ハナレ。

「改めて、確認だ。私たちの目標は、希望崎学園上空10,000mに滞空している生徒会役員、スナイパーあたる。彼の『光陰矢の如し』は、発動準備として、対象を光条で照らす必要がある。そして、最低11秒の照射後、不可避必殺の弾丸が射出される」

 甘之川グラムは、夜空を見上げた。
 雲一つない星空が、上弦の月が、静かに暗闇を照らしている。

「――その光条を目印にして、牧田嬢が跳ぶ」

 グラムの頭を撫でながら、ハナレは笑った。

 ハナレの魔人能力、『エターナル・フライ・アウェイ』は、秒速300mで跳躍する異能。
 つまり、ハナレの能力のみでは、高度10,000mに達するのに、33.3秒を要する。

 ならば、22.3秒をいかにして短縮するか。
 それが、残る3人の役目だった。

「確認するでゴザルが、牧田のお嬢が跳ぶのは、生徒たちを閉じ込めている圧政者、スナイパーあたるを誅罰するためということでいいのでゴザルな」
「いや、私は――もごっ」
「ああ、そうだ。牧田嬢はあたるに一発きついのを叩き込むために空を跳ぶ。それは間違いない」
「あいさ承知。なれば、このちょんまげ抜刀斎、助太刀に異存なし。存分に投げ上げて差しあげよう」
「ウィルさんも、いいね。投擲の瞬間、牧田嬢に、あすと? がりうす? えーと……」
大地の息吹よ・四肢に・力を(アストガリウス・ゼム・ヴローダ)――だ」
「ああもう、とにかく! 身体強化術式! それを、牧田嬢に発動」
「心得た」
「そして、最後に私が、『林檎の甘さと月の重さ』で、彼女の重さを、甘さに転化する。これによって、理論上の跳躍初速を跳ね上げ、かつ、体表面を糖分でコーティングすることで、高度高速異動に伴う摩擦等を緩和する。完璧な作戦だ」

 えへん、と胸を張ってグラムは頷いた。
 これぞ、対スナイパーあたるのため、甘之川グラムが発案した計画。
 恋する乙女を甘い弾丸に変えて撃ち放つ、『砂糖菓子の弾丸計画(オペレーション・バレット・コンフィティ)』であった。

 ハナレが頭を撫でるのも、今だけは鷹揚に許す。大人の女性は時に寛容でなければならないのである。

「グラムちゃん、ありがとう」
「甘之川先輩、だ」
「ん」
「先輩の恋も、届くといいね」
「……ああ」

 そして、ひどく長くも、あっという間にも思える時が過ぎ。
 光の柱が、降り注ぐ。

 三人の動きは迅速だった。
 ウィルとちょんまげ抜刀斎の構えた腕に、ハナレが足を乗せる。
 アメフトを応援するチアリーディングではポピュラーな跳躍支援法、バスケットトス。

「――牧田の名は、『真鍛』に通ずる」

 屈んだ二人が乗った一人を持ち上げ、空高く跳躍させる、シンプルな技。
 それが今、魔人能力、『天誅』と、ウィル・キャラダインの行使する異界の身体強化術式によって限界まで増強され、牧田ハナレを、星空へと――射出する!

「――『林檎の甘さと月の重さ』!」
『――『エターナル・フライ・アウェイ』!」

 全身に体重を転化した甘さをまとった、『砂糖菓子の弾丸』と化した牧田ハナレは、光の柱をさかのぼるように、深い夜空へと吸い込まれていった。


 ♡  ♡  ♡


12/24 PM08:17



 ――跳躍開始から、1秒。

 牧田ハナレが、スナイパーあたるのことを知ったのは、希望崎学園に入学する前のことだった。
 最強の魔人が、希望崎にいる。
 そんな噂話がきっかけだった。
 どこにいても、どんな遠くの相手でも射殺す、身元も知れない百発百中のスナイパー。

 ――跳躍開始から、2秒。

 その伝説に憧れた。
 牧田ハナレとて、『真鍛(まきた)』の系譜。最強の魔人の称号を求める者だ。

 いつか、手合わせを。
 希望崎学園に入学すれば、それが叶う。

 そう信じて両親を説得し、上流階級向けのエリート進学校ではなく、治安が決していいとはいえない希望崎に入学した。

 ――跳躍開始から、3秒。

 だが、そのときには、スナイパーあたるは、空に消えていた。
 曰く、最強である彼には敵はなく、その事実に飽いた彼は、地上にいる意味を見出せずに、空で学園の防衛機構となることを選んだのだという。

 ハナレは嘆いた。
 あれほど焦がれた相手と、すれ違ってしまったことに。
 そして。自分という「最強候補生」と手合わせすることなしに、地上に敵なしと断じてしまった、スナイパーあたるの早合点に。

 ――跳躍開始から、4秒。

 それから、ハナレの修練にはさらなる熱が入るようになった。
 いつか、彼を迎えに行く。
 地上には、まだ、彼を退屈させない使い手がいる。牧田ハナレという、好敵手がいるのだと、スナイパーあたるに伝えるために。

 ――跳躍開始から、5秒。6秒。

 自分に芽生えたこの能力は、きっとそのためのもの。
 その熱情はきっと、恋に似ていた。

 ――跳躍開始から、7秒。8秒。

 大気を裂き、風を置き去りにして、牧田ハナレは跳躍する。
 皆の力を借り、魔人能力の限界速度であったはずの秒速300mを凌駕する高速で翔ける。

 どこまでも高く。
 どこまでも遠く。

 光柱を遡るように、砂糖菓子の弾丸と化した少女が、最強の狙撃手を撃ちぬかんとする。

 ――跳躍開始から、9秒。

 ハナレの夜目が、人影を捉えた。
 いかなる手段によるものか、空中で、無骨なライフルを構える青年。

 ハナレは、笑いが漏れるのを、止められなかった。
 やっと、届く。ずっと考えていた。初めて会ったら、何をするか。
 夢に出るほど繰り返してきたイメージトレーニング。

 ――跳躍開始から、10秒。

 その通りに、体は思考よりも早く動いていた。

 腕を広げ、スナイパーあたるの首に回すように、抱擁し――

「さあ、相死合(あいしあい)ましょう、あたる様!」

 最大加速の勢いのまま、首相撲で相手を抱える。

 ――たとえば、なににも遮られぬ跳躍。見たことのない相手に燃やす、空を越える執念。

 これぞ、ムエ・タイの基本にして最凶の蹴打。
 10,000mの助走をつけた、牧田ハナレ渾身の膝蹴り(ティーカオ)が炸裂する!

 ――跳躍開始から、11秒。

 だが。
 これほどの跳躍の果てに正確な蹴打を繰り出すのが『真鍛』の脅威であるならば。
 それに対するもまた、脅威の魔人。『最強』の名を背負うもの。

 全身を貫くミサイルめいた衝撃に耐えながらなおも、スナイパーあたるはその狙いを微動だにさせない。

 即ち、10,000m眼下。希望崎学園屋上。
 盟友、木下礼慈を襲う、二挺拳銃の生徒、天使九尾人に『光陰矢の如く』を射出する!


 ♡  ♡  ♡


12/24 PM08:17


 光の柱にスポットライトめいて照らされながら、天使が二挺拳銃を構えて身を翻す。
 木下は滑川を庇うように立ちはだかった。

 10秒。それだけいなせば、天使は死ぬ。
 できることならば最後まで死者は出したくなかったが、滑川を殺そうとする相手にならば、木下に躊躇はなかった。

 魔人能力こそ非戦闘型だが、単純な膂力と実戦経験により、木下礼慈の戦闘能力は高い。
 左右の銃口の向きを警戒しつつ、腕を払い、木下は小柄な天使の胴を蹴り飛ばした。

 いかなる思惑か、天使はまだ、一発も弾丸を放たない。
 おそらくは魔人能力による武器の具現化。ならば、ただの弾丸ではないだろう。
 一撃で事態をひっくり返す可能性もある。
 ならば、一瞬たりとも、注意を絶やすことは――

「止まって――!」

 瞬間、少女の声が響き。

(ところで貴方には感謝しているの私とダーリンは今相思相愛天によって結ばれた関係性でしかも彼私の愛の言葉を全て受け止めて理解してしかもとっても尊重してくれてこんなこと初めて能力が芽生えたときには全然想像できなかったけれど運命幸せってあるものなのねだから真実の愛を教えてくれたあなたにもこのイベントにも私は心からサンキューなんだけど天使くんによればそれじゃああなたは幸せになれないってあなたはもっと自分と彼女さんを大事にしないと自信をもって幸せになっていいことをあなたたち自身が信じられていないって恩人がそんな悲しいことになってるなんて私放っておけないからついお節介だと思ったけどここまできちゃったってわけああもう私ってば恋のキューピット?でもこうやって人の恋愛もサポートできちゃうっていうのはやっぱりダーリンができて余裕ができてきたらかなこ母性の目覚めってやつ?ということでごめんねあなたが彼女さんを守ろうとする気持ちは素敵だと思うけどこのまま守れちゃったらあの娘残る全員のお相手するんでしょそれってやっぱりかなしいかなって思っちゃったわけ愛のカタチはいろいろとかあるからこれも一つのわがままで価値観の押し付けかもって思っちゃったりはするけど木下くんどうか滑川さんと二人でお幸せになりなさいな)

 木下礼慈の思考を、突如流れ込んだ暴力的な情報の塊が押しつぶした。
 それでも辛うじて意識を失わなかったのは、木下の強靭すぎる意志力故だろう。

 木下は、背後の滑川ぬめ子を見た。
 ぬめ子もまた、朦朧とした表情で、それでもなお、木下に手を伸ばそうとしていた。

(――「自分を蔑むと世界は霞む」。恋に落ちるには、確かな足場が必要だ)

 木下の脳に流れ込む情報の声が、女生徒のそれから、天使九尾人のものに変わる。

(なら、アンタたちは。まず、自分を愛することから、始めるべきだったんだろう)

 天使九尾人は、左右の二丁拳銃の引き金を引く。

 その弾丸は過たず、木下礼慈と、滑川ぬめ子の心臓を貫いた。


 ♡  ♡  ♡


 去来するのは、いつかの記憶。
 喧嘩に明け暮れていた少年時代。
 木下礼慈は、親からも、教師からも、警察からもさじを投げられた、荒んだ子だった。

 自分には価値がなく。
 自分には愛される理由がなく。
 自分には恋をする資格もない。

 そう思っていた青年が、滑川ぬめ子と出会った。

 滑川ぬめ子は、親からも、教師からも、異性たちからも疎まれる、厭われた子だった。

 自分には価値がなく。
 自分には愛される理由がなく。
 自分には恋をする資格もない。

 そう思っていた少女が、木下礼慈と出会った。

 最初は、性欲の解消のためだけの関係だった。
 それが、いつか、別のものへと変わった。

 互いが互いを必要とし、木下礼慈と滑川ぬめ子は、自らの存在価値を見出した。

 もしも、二人のどちらかが、もう少しだけ、自らを肯定する気持ちを持っていたならば。
 二人は、ただの仲睦まじい恋人として、その関係性を完結させていただろう。

 だが、そうはならなかった。
 二人はどこまでも、自分を愛せていなかった。
 自分が特別だと。自分だけが幸せになっていいのだと信じられなかった。
 自分だけが、この、素晴らしいパートナーを独占していいのだと、思えなかったのだ。

 だから二人は、心底善意から、この『ラブマゲドン』を――狂気のイベントを開催した。

 恋愛の共産化。
 均一な恋愛の配給。
 それがいびつなものだとは、欠片も思うことなく。

 だが。そのゆがみを、一発の弾丸が打ち砕く。

 天使九尾人の魔人能力『キューピットの武器庫』。
 触れた者の人間的魅力を武器と化し、それによってダメージを受けたものに対し、物理的な損傷ではなく、「武器の元となったものへの愛」を植え付ける能力だ。

 それでもって、今、天使は、二人を撃ちぬいた。

 木下礼慈の魅力を具象した拳銃で、木下礼慈自身を。
 滑川ぬめ子の魅力を具象した拳銃で、滑川ぬめ子自身を。

 即ち。汝、自身を愛せよ――と。

(アンタたち二人は、二人だけで、その幸せを独占して、いいんだ)


 ♡  ♡  ♡


「天使、おまえは――なんで?」
「――不器用なアンタたちの恋が、羨ましかったから、かな」

 ――11秒、経過。

 天使九尾人の胸を、『光陰矢の如し』が、撃ち貫いた。


 ♡  ♡  ♡


12/24 PM08:18


 フードが、風にあおられてはためく。
 その向こうで、天使九尾人は、笑っていた。

 天使の名前通り、少年とも少女ともつかぬ生徒は、その表情のまま、力を失い、ゆっくりと、屋上に倒れ込んだ。

「――ぁ」

 木下は、空を見上げた。
 スナイパーあたるからの応答はない。

 彼のいるはずの中空から、一筋の流れ星が落ちていく。
 どういう手段を使ったのかは不明だが、何者かが、あたるを地面へと叩き落したようだ。

 脳を圧迫していた圧縮情報が消え、奇妙なほどに静かな思考で、木下礼慈は校庭で行われる、キャンプファイヤーに視線を移した。

 その周りで踊り、騒ぐ無数の生徒たち。
 その、全員が、滑川 ぬめ子の、愛を受ける?

 礼慈は、自分が立てたはずのその計画に、怖気を覚えた。
 そんなことが、許されるのか。
 滑川ぬめ子は、ぬめちゃんは、彼女の愛を受けることができるのは、そして、彼女の孤独を、傷を、異常を、受け止めることができるのは、自分だけなのに。

 どうして、自分は、それを、万人に施してやろうなどと、考えてしまったのか。

「れいちゃん」

 いつの間か、裾が引かれていた。
 すがるように、滑川ぬめ子が、礼慈の学生服の裾を掴んでいたのだ。

 彼女の指は震えていた。
 もとより、臆病な娘だった。
 人と接することは彼女にとって恐怖であり、苦痛であり、摩擦であった。

 だから、『ぬめぬめん』という魔人能力が発現した。
 それは、単に粘液を発生、操作するものではない。

 人との、物理的、精神的、摩擦をゼロにするものだ。

「……ぬめちゃん」

 礼慈は、ぬめ子を抱きしめた。
 粘液でぬめる彼女の、その中にある細い体を、決して逃がさないように抱きしめた。

 彼女と幾度も肌を合わせるうちに、二人はその能力に飲み込まれていたのだろう。
 それが、二人を狂気へと誘い、『ラブマゲドン』という名の怪物が生まれたのだ。

「れいちゃん、いたい」
「……悪い。強かったか?」
「ううん。……もっと。そばに、いたい」
「……そうか」

 校庭から、クリスマスを祝う歌が聴こえる。
 それは、『ラブマゲドン』の終幕を告げるエンディングテーマでもある。
 当初の予定では、日付の切り替わりと共に終わるはずだったこのイベント。
 だが、主催者である二人に、これ以上、継続の意志はなかった。

「……天使……俺は……」

 礼慈は、改めて、命を賭してまで『ラブマゲドン』を止めた天使の亡骸に目をやり、

「天使九尾人は、死んでないよ」
「……ああ。死ぬほど、痛かったが……」

 そこに、痛みをこらえるように震える天使九尾人の姿を見た。

「ぇ」
「ぁ」
「生きてる?」
「生きてる」
「なんで?」

 スナイパーあたるの『光陰矢の如し』は、必中必殺の能力。
 物体もすり抜けるし、標的以外に当たっても、効力を発揮しない。

 だからこそ、天使九尾人が生きていることはありえない。そのはずだ。

「これのせいだろう」

 天使は懐から、一冊の本を取り出した。

 ――『万蕃儿縁起大系・手引足抜繙自在鉄之帖』。

 糸遊兼雲が魔人能力で具象化した綴葉装。
 彼女以外には、決して破壊や変性を及ぼせない、不壊の盾。

「だが……! あたるの弾は、物体はすり抜けるはず……!」
「この綴の同じページに名前を書かれた人間は、書かれた内容に応じた関係性に収束するよう、因果が書き換えられるらしい」

 そう言って、天使はしおりをはさんでいた、とあるページを開く。
 そこには、12月24日現在、校内に残っている生徒全員の名前が書かれていた。
 当然、天使九尾人も、スナイパーあたるも、木下礼慈と滑川ぬめ子の名前もそこには含まれている。
 そして、隅に小さく、『みんな元気で仲良く』と、気恥ずかしそうに記されていた。

「あとは、そうだな。……結局、アンタの魔人能力が助けてくれたんじゃないか? 一応僕も、アンタの前で好意を告げたことには違いないんだ」

    「天使、おまえは――なんで?」
    「――不器用なアンタたちの恋が、羨ましかったから、かな」

「……そういう、ことか」

 木下 礼慈の能力、『レジェンダリー木下』は、礼慈自身が「真実の愛」と思ったものを祝福する能力。
 ならばきっと、あの瞬間の天使九尾人のありようを、彼はそういうものとして認識してしまったのだろう。

「生徒会長。僕は気にせず、校庭に行け。キャンプファイヤーにフォークダンス。若者の恋愛にはうってつけのイベントだろう?」

 ――たとえばゆらぐ大樹の心。天使の矢によって抉りだされる、心臓の響き。

 礼慈はぎこちなく頷くと、粘液でぬめる、ぬめ子の手を握り、歩き出した。
 自分だけの恋、自分だけの愛、誰とも共有できない大切を、取りこぼさないように。



Chapter8 それから


「ちょんまげ太郎! 魔人能力濫用致死罪の容疑で逮捕する!」
「ちょんまげ抜刀斎でゴザル! おうおう、人の月に一度のハニーとのラブラブハーゲンタイムを邪魔するとは……って、よりによって警視庁の『東海道五十三継』でゴザルか!? こいつは天誅し甲斐があるでゴザ……いてててててて!」
「逃げるわよハニー!」
「なんででゴザルか! これぞ国家権力の横暴……あああ天誅してぇ!!」
「天はこれ以上罪を重ねちゃドツボって言ってるの! 時効まで高跳びしてそのあと田舎で茶屋でも開く約束でしょ!!」
「仲睦まじいところ悪いが――御両人。そこはあたしの東海道だ」

 チュピン。ドカーン! チュドォォォォォン!!

「ぎゃー!?」
「ぬおおおおお!? 三十六計逃げるにしかずでゴザルな!!!」


 ♡  ♡  ♡


 泉崎ここねは、殺人者である。

 そんな娘を、好きになってしまった。
 たぶん、初めて彼女を見たとき、トイレの個室から、怯えるように見上げた目を見たとき、思ってしまったのだ。

 彼女は、自分と同じ、孵り損ねた卵なのだと。
 取り返しのつかない一言で、全てを失ってしまったのだと。
 一目惚れというには生臭い、直感めいた共依存。

 それでもいい。
 この関係に正しい名前がつかなくても、感じた温もりだけは確かなのだから。

 自分は、彼女に何ができるだろうか。
 平川玲は考えた。

 泉崎ここねは、殺人者である。

 厳密にいえば生物学的に殺してはいないが、彼女の『論理否定』で廃人になった人間はいる。その事実がある限り、彼女の心の傷が和らぐことはないだろう。

 ならば、と。平川玲は、口にする。

「ここねは、殺人者なんかじゃない。きっと、『論理否定』の被害者は回復する」

 それはまだ、玲自身、自分ですら騙すことのできない真っ赤な嘘。
 けれど、いつか。二人の心がもっと通い、信じあうことができたなら。

 いくつもの冬を迎え、温もりに卵の殻がひび割れる日が来たなら。

「ここねは、殺人者なんかじゃない。きっと、『論理否定』の被害者は回復する」

 『流言私語(ブルー・ライアー)』。
 平川玲の異能は、()の運命を塗り替えることができるかもしれない。

 できる。
 いつかきっと。
 できない理由などあるものか。

 なぜなら、平河玲は、神様だって真っ青の、世界すら騙す大嘘つきなのだから。

「ここねは、殺人者なんかじゃない。きっと、『論理否定』の被害者は回復する」



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「――みんな元気で幸せに、ねえ」

 綴葉装、『万蕃儿縁起大系・手引足抜繙自在鉄之帖』。

 その中の、無数の名前を書き連ねたページを眺めながら、糸遊兼雲はくすりと微笑んだ。
 隣で見ていた根鳥マオが、自慢げに胸を張る。

「ね? いいアイディアだったでしょ? パイセン」
「こんな大雑把な使い方、私には思いつかなかった」
「大切なものは、いつも単純なんっスよ」
「誰の言葉?」
「俺のっス。それより、これこれ。これが「お気に」なんっスよ」

 そう言って、マオはページの一点を指さす。
 そこには、糸遊兼雲の名前があった。

「それがどうしたのよ」
「だって、ほら。この能力って、パイセンが他人を「本の中の人物」って見ちまうアレじないですか。けど、ここにパイセンの名前があるってことは、ほら」

 ――とっておけよ、糸遊。いつか自分が、人の輪に入れる日のために。

「パイセンが、みんなの中に、ちゃんと溶け込めてるってことじゃないっスか」
「……ばか」
「なんで!?」
「どうしても!」


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「ギャルのパンティおくれー!!」
「その願いは私の力を超えている」


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「あー、麻上さん」
「なんですか、調布さん」
「……その。あー。ありがとうな、色々と」
「どういたしまして」
「それで、その」
「はい」
「お礼とか、したくて」
「……はい」
「今度、なんか、おいしいものでも、おごるから」
「はいっ」
「暇な日とか、教えてもらえると、嬉しいかな……って」

「はい!」


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 11秒の攻防。

 その時間で相手を制すれば、牧田ハナレの勝利。
 その時間耐え抜けば、スナイパーあたるの勝利。

 かくて、『真鍛』の精華と、『最強』は今日も愛を交わしあう。
 蹴打で。拳撃で。銃弾で。
 世界を燃やすような熱情をほとばしらせる――。


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 ある頃から、希望崎学園には、一つの噂が広まることとなる。
 とある卒業生が寄贈した、学園裏の巨木。
 その下で愛を誓ったカップルは幸せになれる、という。

 いつしかその大樹は、伝説の木と呼ばれ、そこでの告白は『レジェンダリー木下』と言われるようになった。


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 かくてウィル・キャラダインはまた一つの冒険を終え、愛する妻の待つ我が家へと帰った。
 亜空を越える時間と空間の歪みのせいだろう。
 一か月にわたる『ラブマゲドン』での冒険は、元の世界では数時間にも満たないものであったらしい。

「ただいま、アリス」
「おかりえなさい、ウィル。その……昨夜は、本当にごめんなさい。私……」

 言い淀む妻アリス……かつて田中有栖と呼ばれた少女の口を、ウィルは己の唇で塞いだ。

「!?」
「謝るのは私の方だ。君が、君の世界の文化が私たちのそれに近いからこそ、当然にわかりあえるはずだと、誤解してしまっていた」

 そして、ウィルは愛する妻の手を取った。

「私は、君の世界を垣間見た。色々な恋と、色々な愛を見た。おそらく、私がその熱情を模倣することはできないだろう。けれど。学ぶべきこともあった。それは……」

 ウィルは、希望崎学園で見た光景を思い出す。

 ――たとえば、の名の元に噛み合った、奇妙な歯車。双方向の誤解の絆。
 ――たとえば、みこみきれぬ過去で繋がる傷痕。孤独の孵化。
 ――たとえば、象化した概念としてしか人を見られぬ賢しき者。その不器用な交わり。
 ――たとえば、つの純情の形。人ならざるものしか人と認識できぬ、狂気の苦悩。
 ――たとえば、つましく心優しきものたちの、熾火のような仄かな想い。
 ――たとえば、ににも遮られぬ跳躍。見たことのない相手に燃やす、空を越える執念。
 ――たとえばゆぐ大樹の心。天使の矢によって抉りだされる、心臓の響き。
 ――たとえば、っと背負い続けてきた重き業を■■に変える、砂糖菓子の弾丸。

 ばらばらの絆。ばらばらの関係性。全てを並べ、見えてきたもの。
 彼ら彼女らの関係性を貫く、何一つ同じものはないという共通点。
 その、八文字の真理を、ウィルは口にする。

「『愛の形一つならず』ということだ」

 それは、勇者として常に正しいことをしてきたはずの男が、己の誤りを認めること。
 ウィル・キャラダインは己の妻に、深く頭を下げて詫びた。

「「愛に区別があるわけないじゃあないか」、か。――なんて、愚か者だ。ああ、確かに、私の愛は、そうであるかもしれない。けれどそれは、君の愛を理解しない言い訳になど、ならないのだから」

 ウィル・キャラダインは万人を愛する勇者である。
 おそらくは、妻個人のみを、盲目的情熱的に愛することは、これからもないだろう。

 彼の妻アリスは、気丈ではあれ、地球世界で育った素朴な少女である。
 おそらくは、彼と同じ博愛で世界を包むことは、これからもないだろう。

 それでも、言葉を尽くし、理解しようと試みることはできる。
 知りたいと、そう願うことはできる。

 愛は一つの形をしていない。
 ウィル・キャラダインは『ラブマゲドン』という冒険で、そんな、かけがえのない経験値を獲得したのだから。

「そうだ。……グリコ!」
「……え?」
「君の故郷のあいさつなのだろう?」
「違うわ。それは、私の世界のお菓子でね。一粒で長い距離だって走れる元気の素っていう宣伝文句で有名なの」
「なるほど。人を元気づける甘味……グラム殿のクッキーのようなものだな」

 いつかのベンチで見た、はにかむような少女の笑顔を思い出し、勇者は微笑んだ。

 二人は知らない。
 この心の交流により、5年前に乱された因果の理が、正しく繕われたことを。

 異世界へ召喚された異物(ありす)は、一つの承認を経て真にこの世界の(アリス)となり。
 あり得ざる交錯と見なされた邂逅は、結びつくべき運命となったのだ。


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 一人の男子生徒が校舎の玄関で誰かを待っている。
 そんな姿を、甘之川グラムは眺めていた。

 三か月前と同じ、フードつきのパーカー。
 天使九尾人。それが、彼女の一目ぼれの相手だった。

 本能的に湧き上がる逃走本能を捻じ伏せ、グラムは天使へと声をかけた。

「もう、行ってしまうのか?」
「任務は、終わったからな」

 彼は、また他校へと転出するのだという。

 九尾人はそもそもが、自由恋愛を守るために各地で暗躍するエージェントだ。
 彼にしてみれば、ここ数か月の希望崎の生活の方が、イレギュラーだったということなのだろう。

 だから、これが最後の機会。
 このタイミングを逃せば、グラムは二度と、九尾人と会うことはない。

 この一か月、グラムはずっと『理性的な恋愛』について考えていた。
 『一目ぼれ』など、精神疾患のようなものだと思おうとしてきた。
 だが、その要因A……九尾人を観察し、協力し、最後に彼が下した結論を見届けて、それでようやく、グラムの覚悟が決まった。

 鼓動が跳ねる。体温が上がる。
 呼吸が乱れる。手を握りしめる。

「……私は、おまえが好きだ。一目ぼれだった。そのあと、お前と協力して、もっと好きになった。友愛じゃない。恋愛感情だ」

 まるで決闘に挑むような目で、グラムは九尾人を睨み付けた。
 我ながら、ひどいセリフだとグラムは思った。

 何が天才だ。何が魔人だ。
 こんなときに、惚れた相手一人ときめかせる言葉が出てこなくて、何が希望崎一の頭脳だ。悲しくて、泣きそうになった。というか、ちょっと涙で視界が滲んだ。

「だから、行くな。口下手で、ぶっきらぼうで、けど、おまえはいいやつだ。調布先輩とだってタメが張れるかもしれないくらいだ。私はそういうやつが大好きだ。私は役に立つぞ? なにせ天才だからな。困ったときにはこの頭脳が役に立つし、なにより、天才だから、面倒くさい女にならないように努力もするぞ! いや、今の状況が十分面倒くさいのはわかってるのだが……ああもう! そういうんじゃないんだ……その……」

 違う。そんなことが言いたいのではない。
 甘之川 グラムは、自分がこれまで学んできた専門知識が、これほどまでに役に立たない状況を、初めて味わった。
 自分の中にこんなままならない心があることを、甘之川 グラムは初めて知った。

 それでも、これが、今のグラムの心情だった。
 偽らない、格好の悪い、小娘の言葉だった。

 だからか。
 返ってきた九尾人の言葉もまた、剥き出しの、飾り気のないものだった。 

「……重いんだ」

 ぽつり、と天使 九尾人は口にした。

「僕の能力は、「恋愛を応援する」ためのものじゃない。『緑玉の盾』に助けられる前は、命令されるままに、何人、何十人、何百人の恋愛を、むちゃくちゃにしてきた」
「……天使氏」
「だから。……たぶん、僕は、これ以上、人を背負えない。背負って、壊れるのが、怖い」

 歴戦のエージェントであるはずの青年は、震えていた。
 子どものように。重さに耐えかねる、荷台のように。

「……なあ、天使。九尾人。おまえは、私が嫌いか?」

 グラムの呼びかけに、九尾人は首を横に振った。

「でも、背負っているものがあって、その重さが、私を受け入れることを許さない。そういうことでいいんだな」
「……ああ」

 九尾人の、拒絶にも等しい言葉。
 けれど、グラムが返したのは、真っすぐな笑顔だった。

「――『林檎の重さと月の甘さ(ニュートンズ・イクエイジョン)』」

 そして、少女は、世界を変える異能を発動する。

 対象の重さを、甘さに転化する能力。
 これまで、グラムは、対象の精神的な甘さを、物理的な重さにも転化してきた。
 ならば。

 「精神的な重さ」を、「物理的な甘さ」に転化することが、できないはずがない。

 グラムは、頭突きをするような勢いで背伸びをして、九尾人の口元に、自分の唇を押し付ける。
 その勢いに、九尾人の顔を隠していたフードがはずれた。
 眼鏡と前歯がぶつかって、柔らかな皮膚に、粘膜に、少し血がにじんだ。

 触れあった温もりから、圧倒的な(おも)さが、グラムの舌へと流れ込む。

 悔悟。懊悩。孤独。逡巡。
 チョコレートよりも濃く、クッキーよりも脆く、金平糖よりも繊細な(いた)み。
 二人は、唇と、舌と、味覚を通じて、理解しあう。

 度を越えた甘さに、グラムの舌が、喉が、拒絶反応を示す。
 けれど、それがどうした。目の前の青年は、それを重さとして、十年以上も抱え続けていたのだ。ならば、その隣に立とうという自分が、胃に収めきれずに、どうするというのか。 
 しばらく、そうしていただろうか。
 グラムは、九尾人の背負う「重荷」を、喰らい、飲み下すと、唇を離した。

「観念しろ。二人なら、どんな重荷だって、甘い思い出に変えられるんだからな。おまえがおまえを好きになれるくらい、おまえの人生を生クリームでデコってやる」

 少し膨れた腹をさすりながら、グラムは甘く微笑む。

「表情も隠すな。私の眼鏡みたいにお似合いならいいが、フード、似合ってないぞ?」

 九尾人は、天を仰いだ。
 頭の片隅で響いていた怨嗟の声が、今はすっかり静まっていた。

「……ひどい『キューピットの武器』だ」
「ああ。これが私の『砂糖菓子の弾丸』だ。ばきゅーん」

 ――たとえば、ずっと背負い続けてきた重き業を甘さに変える、砂糖菓子の弾丸。

 グラムは手で鉄砲の形を作ると、九尾人の心臓を撃ちぬく振りをした。


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 礼拝堂で、老女が祈りを捧げていた。

 通称『シスター』あるいは『緑玉の君』。
 自由恋愛防衛機構『緑玉の盾』の設立者にして、代表でもある。

 近代において花開いた、自由恋愛という文化。
 それを、社会制度、権力構造、魔人能力といった天敵から偏執的に守護してきた、あるいは守り切れず敗北し続けてきた。
 老女はそんな狂人であった。

 背後に控えていた修道服の少女が、老女に「S級恋愛災厄『ラブマゲドン』」と書かれた資料を差し出した。老女はしばしそれを精査する。

『No2018-J109 S級恋愛災厄『ラブマゲドン』
 対応守護者:天使九尾人

 2018年12月25日
 希望崎学園にて行われた恋愛による問題生徒矯正ブログラム『ラブマゲドン』、終了。

 カップル成立者数21組(41名+パンティー)。
 死亡者数0名。』

「九尾人はいかがしますか? これまで通り、次の任務まで凍結処理とするか、即座に別の任務を与えるか」
「それはもう、決まっています」
「……え?」
「『自由恋愛の守護。対象は、甘之川グラムと、天使九尾人の両名。任務期間は、追って変更するまで、暫定で無期限とする』」

 そう、老女は慈愛深い笑みを浮かべた。
 年若き修道女は、それ以上異を唱えることはなかった。
最終更新:2018年12月29日 14:14