*概要 漫画家を経て、現在はゲーム関係のお仕事。 1991年、ドラゴンクエスト4コマクラブ創設直後でいろいろと体裁が整っていなかった時期に 「柴田亜美賞」(後のキングスライム賞に相当)を取り、颯爽と登場した奇才。(当時まだ高校生。) 「ニセ勇者シリーズである意味カリスマ化されていた[[【柴田亜美】]]が誉めた」のはかなり大きかったらしく [[【ドラゴンクエスト4コママンガ劇場】]]で執筆しつつ、1992年からは月刊少年ガンガンでも連載を持つ。 順調に漫画家を続けるのかなと思いきや、1994年夏、ギャグ王で連載を始めた直後にスパッと漫画家を辞めている。 打ち切られたと思われがちだが、単にワガママでやめたそうである。 おそらく大学卒業を控え、この時期から就職活動を始めたのではないだろうか。 この直後にハイパーメディアクリエイターの元でフランキーオンラインの開発に関わったとのことであり、 次いでゲームの委託開発会社インフィニティに移り、1998年には「バルディッシュ クロムフォードの住人たち」を手掛けた後、 2000年頃にはGONZOに移り、「青の6号 Antarctica」でディレクター(アニメーターと言われることもあるがゲームのディレクターである)。 業が深すぎる…。 その後、GONZOから他のゲーム制作会社に移っているが詳細は不明。 なお、近年は埼玉を拠点に活動しているらしい。 2010年頃にツイッターを始めたことにより、新旧のドラクエ4コマ作家と交流を深めるようになり 特に[[【堀口レオ】]]とはツンデレの仲のようである。堀口の同人誌にも寄稿したことがある。 なお、ほぼ同期の[[【タイジャンホクト】]]とは、当時ゲーム仲間だった。 2chで特定されない程度に答えていた中では「タイジャンホクトは俺の嫁」だそうである。 ----