正式名称は「DRAGON QUEST ダイの大冒険」。原作:三条陸 漫画:稲田浩司 による冒険ファンタジー漫画で、1989年から1996年まで週刊少年ジャンプで定期連載された。 全37巻。堀井雄二が監修に関わり、特に序中盤は「魔法は契約という儀式とレベルアップによって使用可能になる」 「人によっては絶対契約できない呪文もある」など、ゲーム上のシステムを無理なく表現する事、 「知らなかったのか?大魔王からは逃げられない」などニヤリとする台詞回しなどに定評があった。 後半あたりから作品独自のストーリー展開やキャラクター毎の設定を深める方向にシフトし、勧善懲悪ではない本筋や 掲載誌の空気もあってかかなり人外魔境な戦闘(オリハルコンが頻繁に砕かれるレベル)や乱発とも言える奇跡など、 DQらしさや冒険の雰囲気を出す事においてはアベル伝説や[[【ロトの紋章】]]などに譲るものの、キャラクターの魅力や秀逸な台詞回し、 同掲載誌では類まれな伏線消化などで連載終了から10年以上経った今なお人気が高い。 余談だがこの作品では「主人公の身内が敵幹部」「ヘタレキャラが勇気を振り絞って大活躍」 「敵ボスは変身&主人公を勧誘する」などいわゆる「お約束展開」の宝庫かつそれらをうまく纏め上げており、 2chの、作劇におけるお約束展開について語るタイプのスレでは頻繁に話題に上り、一部では聖典とまで評されるほどである。 ナンバリングタイトルに与えた影響も大きく、「ギガブレイク」「メドローア」などの必殺技・特技が逆輸入され、 6・7において勇者への転職が可能になったのは、本作において「それで現に救われてる人がいるなら、勇者が百人いたっていいだろう」 「勇者はむしろ周囲に勇気を与えるためにいる」といった独自の勇者論が展開された事が大きいという説もある。 これらのせいでときたま本作を蛇蠍のように忌み嫌う層もいるが、本作に罪は無い…とは言わないが情状の余地がある。 本作における必殺技・特技は(まともな死者がほとんど出ていないため忘れがちであるが)ザオリクも世界樹の葉も教会もなく、 ザオラルは一度しか試せない世界観で、「しばらくまともに行動不能な上一歩間違えれば死ぬ」な技だったり、 「剣と魔法を同時に繰り出せる人外の存在で初めて可能になる」種族限定技とか 「わざわざ素手にならないと効果が発揮されない」装備限定技、 果ては「MPの半分近くを消耗した上、反射されたら同じ魔法で相殺するか装備や仲間ごと完全消滅するか」な呪文などと、 山ほどリスクを背負って使用しているのである。本作の登場人物たちからしてみれば ゲームバランスを崩壊させるほどの頻度で特技を使える6以降のキャラクターたちはバケモノか!?と嘆きたくなるだろう。 勇者論も、当時としては珍しく人々の期待という重圧やその称号に見合った自己犠牲的行動、 「狡兎死して走狗煮らる」な末路の暗示など、「勇者」という称号について回る負の部分を丁寧に描いている。 そしてそれは、勇者=自分(の思い描いた英雄像)であるゲームのDQにおいて、プレイヤーの想像の範疇に収めておくべきもので、 実際のシナリオ・システム上で明確に描いてしまえばただのストレス要因にしかならないだろう部分でもある。 読み物として面白いものをゲームとして面白くするバランス調整は大変なのだ、という事が浮き彫りになった例である。 良くも悪くも、FC4発売直前~SFC3発売直後というDQの基礎の部分が出来上がり、AI等新機軸や自由度からストーリー重視に 転換し始めた頃の連載であり、世情が勧善懲悪の主人公に飽き始めた90年代前半、FCと比較すれば信じられないほどに高性能とはいえ ゲームでは表現が難しい部分がグラフィックやシナリオ面にもなお大きかったSFC時代など、エンターテインメント全体が 新たな方向性を模索しているタイミングにおいて、DQが持つ底知れない可能性の一つを垣間見せた冒険作と言えようか。 アニメ化もされ、91年10月17日から1992年9月24日まで 木曜日19:00~19:30、TBS系列で放映。全46話。視聴率的には問題なかったようだが、TV局の番組改変の枠取りによる打ち切りとなった。 よりにもよって「バラン編」と呼ばれる、作中でも特に人気の高いエピソード寸前での打ち切りを嘆く声は絶えない。 ----