.



目覚め良く起床した一人の少年がポストを確認すると、指名手配犯のチラシが入っていた。
平和で優しい世界に、あまりに不釣り合いで物騒なものだ。
だけど……何故だろうか。
少年が、指名手配犯の男の姿を目で捉えた時。
自分自身の中にある『何かが疼き喚く』のを感じたのである―――……



.



―――そう怖がる必要は無い。ちゃんと話をしたいだけだ、ほむら。
                        君の『本当の願い』を私に教えて欲しい―――


頭上では、天井の歯車が規律よく不気味な音色を刻み続けている。
円形に並べられたソファに腰掛けるのは二人。
一人は邪悪の化身。
もう一人は――ちっぽけな少女。
空間には多数の立体映像が浮かびあがっているが、そのどれにも二人は興味を示していなかった。
少女が、長い沈黙を破って漸く話し始める。


「私の願いは……伝えました。魔法少女の、呪いを解く事です」


対して邪悪の化身は酷く退屈そうな表情を顔に張り付けていた。
恐らく仮面を被っていて、裏側ではおぞましい感情が怪物の如く蠢いている。
二人の間にある、質素なテーブルに置かれてあるソウルジェム。
それは紫色の色彩を放っている。


―――……一つ確認をしようか。


邪悪の化身がテーブルに肘をついて、講義を開くかの如く空いた手で動作を加えながら続けた。


―――インキュベーターが求めているのは『絶望』だ。それがエントロピー増大の回避に必要不可欠となる。

―――例えば、君が魔法少女の解放を願った場合。魔法少女システムはどう『改変』されると思う?

―――現在よりも改善されるか、改悪されるか……保証はどこにもない。

―――「魔女に匹敵する悪が、何らかの形で顕現する」

―――その運命から逃れられていない点だ。


少女は沈黙するしかない。
反論しようにも、彼に反論したところで無駄に終わる。
無駄な少女の感情など、見向きもしない。同情も、真に魔法少女を救済するなどと彼は親身になってる訳がない。

救世主にも様々あるだろう。
ただ一人、生の苦しみより解脱した者。地上でただ一人、生命の真意に辿りついた者。

彼は間違いなく聖人でも、善良でも、世界に救いを齎した記録などない。
逆だ。
悪人であり、邪悪であり、世界を支配しつくそうとした記録だけが明白だ。
何故、そんな彼が救世主なのだろうか?

誰かが言った。
悪には悪の救世主が必要だ、と。

誰かが言った。
悪に救済など必要ない。天国に到達することも叶わない、と。

誰かが言った……

―――悪には悪の『管理者』が必要だ。それは正義でなく『悪』でなければならない。

悪の救世主が妖艶な笑みを浮かべて解く。

―――『必要悪』は分かるだろう?

―――道徳や倫理に反しても必要とされる暗黙の了解である『悪』だ。

―――ならば問おう。

―――彼らに変わって次に『誰が』必要悪となる?

―――どこかの誰かも知らないちっぽけな少女か? それとも、君か?

そもそも………どうして私達がそんな事をしなくちゃいけないの……………?
少女が絶望の深淵で吐いた呪い。
邪念に彩られた私怨の言葉。
清らかな少女なんて、人間などは存在しない。少女は聖人なんかじゃあない。
故に。
彼は、悪の救世主は問いかけた。―――君の『本当の願い』を私に教えて欲しい―――

「わたし………私は………!」

溢れた感情は、堪え続けていた感情は絶望ではない。

「私は、鹿目さんと――皆と普通にくらしたいです………!!」

魔法少女とか。世界の呪いも。
魔女も絶望も。エントロピーとか宇宙がどうとか。心底どうだっていい!
ただ普通に、平凡にありきたりな。
学校に通って、一緒にお茶を飲んだり、ゲームセンターで遊んだり、CDショップに立ち寄ったり。
そんな、そんな!
馬鹿みたいだけど、普通の生き方で、普通の人間として生きて死ぬだけの。……それが『人間の幸い』だ。






<日曜日> 【8:00】


突如として聖杯戦争の舞台たる見滝原へ攫われ、幸か不幸か。マスターとして覚醒した少女・渋谷凛
日常の日課たる犬の散歩を呑気に行っている風に捉えられても仕方ないが、
一方で凛がセイバーを召喚して、もう数日は経過していた。
学校や町中で奇妙な噂を耳にするようになり、日夜猟奇殺人の話題が絶えず。
平凡は失われ、徐々に混沌が満たされつつあるのは実感できる。
未だに聖杯戦争の実感が湧かない。
主催者側から、開幕のベルが告げられていない以上、この日常は保たれている……らしい。

だが、平穏な日常は遂に終了された。
犬の散歩から帰宅した凛に、母親が「ポストに入ってたわよ」と薄茶色の書類袋を差し渡す。
不可思議にも、書類袋に宛て先は愚か文字一つも書かれていない。
けれども母親は、これは凛に宛てられたものだと頑固たる姿勢のままだった。

凛が自室で袋を開封すると、中には数枚の紙……そして、写真が二枚入っている。
まずは紙に注目した。
文面や内容から、紛れも無く聖杯戦争の主催者側からの代物だった。



[セイバーのマスター 渋谷凛へ]

まずは、聖杯戦争の予選を突破したことを祝福しよう。
おめでとう! 君は奇跡の願望機・聖杯の権限を獲得しえるマスターに選出された一人だ。

予選。
君が本来あるべき記憶を取り戻し、サーヴァントの召喚に成功した一連の行動を達成するまでの事を示すんだ。
勿論、予選を通過できずに終えたマスター候補も、何人か見滝原に存在する。
だけど、安心して欲しい。
彼らには記憶を取り戻せないように僕達側で操作してある。
後から新たにサーヴァントが召喚される心配はないからね。


さて、君達マスターがこれに目を通してくれている前提で話を進めよう。
君達がサーヴァントを召喚し、僕らの観測が正確であればどの主従にも数日間の猶予を与えたつもりだ。
その数日間で、聖杯戦争の準備を整えられた事だろう。

早速だけど――今夜深夜0時を以て、聖杯戦争の本戦が開幕だ。
開幕に至って幾つかの情報を開示しよう。


一つ。
君達の耳にも『ウワサ』が聞き届いている筈だ。
それらはサーヴァント。あるいはマスターに関する『ウワサ』だ。
聖杯戦争で主従を探るヒントとして、僕達が意図的に流している。是非とも有効に活用して欲しい。


一つ。
深夜0時から僕達側で発動していた特殊なプロテクトを解除する。
サーヴァントとの遭遇を本戦まで極力避ける為に施していた魔力感知妨害だ。
予選期間中はあくまで交戦を前提としてはいないからね。本戦が開始すれば好きに戦って貰って構わない。


一つ。
この見滝原の周囲には結界が施されていて、脱出は困難だ。
僕達が説明するまでもなく、実際に試みた者もいるだろうけどね。
聖杯戦争が終了するまでは見滝原からの脱出は禁止させて貰うよ。


一つ。
正午と深夜の0時に定時通達を僕達の方から君達、マスターとサーヴァントに念話で行うつもりだ。
その時点で脱落者がいれば、それに関する内容を行うし。
他にも、聖杯戦争で重要な報告もさせて貰う。


最後に。
特別に『あるサーヴァント』の討伐に成功した暁には報酬を与える事にした。
討伐クエストだ。全員強制参加ではないし、どうするかは君達次第だ。


討伐成功の報酬は令呪一画。
それ以外にも、武器を含めた可能な限りの物資の支給もできる。
なんだったら――聖杯戦争を放棄して帰還したって構わない。
帰還を望むなら、聖杯戦争に関する記憶は消去させて貰うけどね。


…………………………

……………



「ついに始まるんだ」

ポツリと凛が呟く。
椅子やベッドに腰掛けないで、呆然と立ちつくしたまま書類に目を通していた凛は、
討伐クエストの『聖杯戦争からの離脱』に目をやり、少しだけ考え、首を横に振って溜息ついた。
別に、彼女は特別な願いを抱えるほどじゃあない。
アイドル活動を行う以外、産まれも育ちも普通。

そう言えば。
凛が召喚したセイバーが言うに、凛には秘めた魔力がある。
魔法の世界に導かれれば、それを生かせるかも。なんて非現実的な事実を聞かされても、普通の世界じゃ役に立たない。

だからではないが。
恐らく、並の人間よりかはサーヴァントを使役できる。
自分に何が出来るか? 分からない。分からなくても……願いがなくても………
現実から目を背けて逃げて、一体どうする。

凛は思う。
きっと『そんな事』を願えば、アイドルの道を歩み続けられない。
『そんな事』で逃げる人間にこそ、アイドルを続ける権利は認められない。

「――――」

凛は例の写真を目にした。
どうやら……この二人、この主従に対して討伐令が下されたのである。
マスターの『少女』は……見覚えがある。
厳密には『少女』の着る制服に。見滝原中学校の制服だ。あそこに通学している事実は、十分過ぎる情報だ。

が、だとすれば『少女』は凛よりも年下だ。
三つ網の赤縁の眼鏡をかけた、大人しそうな少女。
彼女を……もしかして、聖杯戦争に参加する誰かが殺そうとする?
想像しただけで胸糞悪い。彼女を容易に手をかけよう邪悪は、許されざる者だ。

対してサーヴァントの方は………
写真越しなのに、どういう訳か見透かされているような。
向こう側から自分自身を認知されているのではと、凛は邪悪な瞳に戦慄を覚えていた。
漫画やアニメに居そうな。
馬鹿馬鹿しいほどの典型的な、分かりやすい邪悪そのもの。
なのに、脳裏で焼きつくような印象を無理矢理に与えるカリスマたる魅了を、凛はしかと感じた。





<討伐令>
セイヴァー(DIO)もしくは、暁美ほむらの死亡。
報酬として、令呪一画。可能な限りの武器を含めた物品支給。あるいは聖杯戦争を放棄して帰還する権利。
参加主従全てにルール概要と共に、両名の写真と討伐令が配布されています。
情報は写真他、セイヴァーのクラスとマスター、暁美ほむらの名前のみです。
また当事者らに討伐令の概要は渡されません。






【1:22】



「へぇ~吸血鬼!」

子供らしく無邪気にはしゃぐ彼(性別は本来定かではないが)――怪盗Xは
配布された写真に写るサーヴァントに関心を露わにしていた。
Xは、彼の世界で『魔人』と出くわした事があっても、それ以上の存在と遭遇はしていない。
彼の世界においてファンタジー部類の希少種は『魔人』だけしかおらず。
吸血鬼も、それに劣る食屍鬼も。非力な怪物ですら居ない。

どこから撮影された写真か定かではないが――ウェーブのかかった金髪。
黄の上着と黒のインナーという派手で奇抜な服装が、奇跡的にも似合った彫刻染みた容姿。
見る人間によっては魅了される『美しさ』は、人を捕食する吸血鬼だから成せる技か。
Xですら、どうにか彼の『中身』を覗きたいと願う。
否、何か……異なる衝動も深淵の中でうずき始めている。

―――嗚呼……きっとこの人ならオレの中身を解き明かしてくれる………

まだX自身その衝動を自覚していないが故に、今は「中身を見たい」で収まっているが。
邪悪に分類される人間である以上、そう長くは保てないだろう。
興奮気味にXは、自身が召喚したサーヴァントに問いかける。

「バーサーカー! 吸血鬼ってどんな味? ………ん?
 どこからでも捕食できるのは聞いたけど、味覚ってどうなってるの??」

討伐令の対象たるセイヴァーの正体を見抜いたバーサーカーは、舌打ちした。

「口よりも手を動かさんか! ソイツを全て運び出して欲しいと言いだしたのは、貴様だろうがッ!!」

バーサーカーが指差した場所には『箱』。
『箱』と『箱』、さらに『箱』。
隣にも『箱』があり、脇にも『箱』があって、その先にも『箱』。
そして――『箱』だった。

Xが人間を『箱』にする為の作業場としている廃墟のスペースには、一つ二つだけで収まらない数の『箱』があった。
面倒だなぁと顔で訴えながら、Xは一旦セイヴァーと暁美ほむらの写真をしまい。
『箱』の製作に取り掛かった。

通常であれば猟奇的所業に勤しむマスターなど、英霊によっては軽蔑や嫌悪の対象でしかない。
だが。
今回ばかりは違う。目的があった。
ウワサだけに収まらないXの所業はメディアで取り上げられない瞬間がないほど。
数日で注目と関心。
聖杯戦争の主従たちも警戒する一際目立った存在である。


だからこそ――今回X達が実行する計画は効果を齎す。

「さて、と。後はコイツを置く『場所』かなぁ」

得意の変装能力でかき集めた資料やチラシなどに、Xは目を通した。
適当では良くない。
やっぱりインパクトと圧倒する猟奇性を表現しなければ、きっと誰の目にも注目されずに流される。

――俺の事……セイヴァーは見てくれるかな?

「ん? えっと」

Xは僅かに己の思考に違和感を覚えた時。「オイ」とバーサーカーが何かを放り投げる。
大ぶりで鋭利な刃。
頑丈な物質を加工すれば容易に製作できそうな、安易な凶器だが。
唯一通常と異なるのは、バーサーカーのスキルによって作成された『英霊にも通用する凶器』である事。
見事にチャッチしてXが感動する風に言った。

「凄いじゃん! 昔と違って全然物作れないなんて良くいうよ」

「この程度ならどうにか出来る。大して頑丈ではないからな。吸血鬼相手に使おうとは考えるんじゃあない」

マスターがサーヴァントと渡り合えるのは、そうそう無い。
戦闘経験や魔術を秘めた特異な人間でしか可能としない。
一つの例外だ。
まして、マスターを戦わせるサーヴァントも通常であればあり得ない。
だが。
バーサーカーも奇妙な信頼をするよう、Xという化物らしかぬ能力を保持する人間は『例外』に属した。
この『怪盗』はサーヴァントの中身を観察するべく、自ら凶器を振りかざせる。

「うーん。ここにしよっと。バーサーカー! ここに『箱』を運ぶから」

「……フン。何だ? これは」

Xが手渡してきたチラシを、バーサーカーは横目にやる。
どうやら……デパートで何かのイベントが行われ、確実に人間が集客するであろうとXは見込んだのだ。
チラシに掲載されている晴れやかな衣装を纏った少女たちを、バーサーカーは同情すらしなかった。






アラもう聞いた? 誰から聞いた?
ゆらーりぃさんのそのウワサ

闇の中からフラフラ歩いて
おっかない刃を二つ持った女の子

ゆらーりぃゆらりぃとズタズタが病み付きになっている
華奢なお嬢様っぽさもない、ただの切りつけ魔

彼女から生き逃れた人間は幸運だから度胸試しに最適って
見滝原の住人の間ではもっぱらのウワサ

ユラ~リィ~






「あたし、分かりました。あなたを犯人です」

見滝原の一角にある廃れたホテルの一室。
如何にもな雰囲気が漂うシュチュエーションで、ズタズタ状態の制服を着た少女が虚ろな様子で探偵じみた言動。
ナイフを逆手持ちしている彼女は「むしろ犯人はお前じゃねーか」な突っ込み待ち状態。
生憎、冷静で的確な突っ込み役が不在の為、無常に展開は進んでしまう。

「あなたが隠している書類袋の中身……あたしは見当がついています」

少女が対面するカウボーイの男は、尋常ではない汗を流していた。
爛々と燃える炎がある訳でも。
見滝原の環境が、熱帯雨林の熱帯夜に変化したのでもない。
少女の指摘が全くの見当違いだったとしても、男にとって指摘されたくない事実が明らかになるのだろう。

「そしてー………あなたは中身を見てずっと、ええーとぉ……
 頻りにある単語を呟いてましたぁー………えへへ。古畑任三郎でした」

「き……キャスターのお嬢ちゃん。そいつはだな」

満足げに決まったと決め顔な笑顔だけを切り取れば、普通の女の子に見えなくもない。
だが、男はその先の。
決定的な絶望を突き付けられたくないのだ。
彼の虚しい願いも叶わず、少女は言う。

「それはDHCさんからのお手紙ですね」

美容と健康に優れた販売会社による高度な宣伝であった。

「あれ? 間違えちゃいました。えっと……そうでしたね。あなたの深刻なDHA不足を証明する診断表でした。
 煙草が健康に害を為す……じゃなくて、健康が煙草に害を成すとは恐ろしい話です。
 マスター、健康診断結果からは逃れられません。明日から入院です。全治8カ月の診断、でしたっけ?」

いつの間にか勝手に容態が深刻化していたらしい。
だが、男は緊張の糸が解かれたように、部屋に放置されたままの椅子にドカリと座り込んだ。
癖になっている煙草を手にかけ、男――ホル・ホースは恐怖など抱いてない様、悠々とライターの火を灯す。

「なぁ? 知ってるか、キャスターのお嬢ちゃん。二人に一人は『癌』を負っちまうご時世なんだと」

「ガン、ですかぁ。あたしも気をつけますー……」

「そいつが無理なんだよなぁ。予防は出来るが、完全に防げない……面倒な病気はそーいう類が多いけどよ。
 俺の場合は肺がんは待ったなしなんだろうぜ。だが――肺がんになるって『覚悟』すれば、案外楽じゃねえか。
 肺がん治療と対処を怠らなきゃ、最善は尽くせるし。完治だって夢じゃあねぇ」

だからといって『必ず』死を回避できるとも限らないが……まぁ、何もしないよりマシだ。
ホル・ホースの場合、煙草の習慣をちょっとでも改善すれば健康リスクは大分改善される。
最も禁煙は無理だ。
少なくとも、聖杯戦争が終えるまでは無理だな、とホル・ホース自身が感じていた。
ああ、そうだ。
ホンのついでにホル・ホースが、自称:キャスターの玉藻に言う。

「キャスターのお嬢ちゃん。そろそろ聖杯戦争が始まるらしいぜ。今日は最後の休日なんだと」

「おやすみぃ……なるほどー……では玉藻ちゃんもおやすみなさい」

コイツ、立ったまま寝てやがる。
俺も寝るとするか。
こんな資料のせいで目が覚めちまったもんだから、もう朝近い時間だろ。


……………………


…………





ホル・ホースは一服した後、2時間眠った………
そして……目を覚ましてからしばらくして、DIOが見滝原に居る事を思い出し……吐いた。






アラもう聞いた? 誰から聞いた?
魔法少女狩りのそのウワサ

清く可愛く美しい女の子の憧れな魔法少女
そんな素敵な少女を狩る魔女がいる!

彼女に目をつけられたらオシマイ
生き残れた魔法少女はどこにもいない

だからこそ、きっと素敵な魔法少女がこの町に住んでるって
見滝原の住人の間ではもっぱらのウワサ

レッツマジカル!






豪快にガラスが砕け散る音がする。しかも早朝と深夜の中間、もう少し寝たい時間帯。
とんだ近所迷惑な騒音だ。誰か一人や二人。怒り心頭で寝巻姿のまま、殴り込みに向かってもおかしくない。
にも関わらず。
誰一人としてそうしない。
しない、のではなく出来ないのだ。
騒音は空間にある全ての家具も、物も、生物すらも無差別に攻撃し。暴力の主は憤りを露わにした邪念を吐く。

例の……主催者から配布された討伐令。
部屋の主たるマスターの少女、スノーホワイトと称される魔法少女狩りは暴走するバーサーカーを無視していた。
無視するしかないのだ。
アレは狂信者であり、殉教者なのだ。
彼の憤りの根源にはスノーホワイトの関与しようがない領域。

何故ならスノーホワイトにとっての救世主は、プク・プックなのだ。
プク・プックの洗脳によって狂信者になった魔法少女。
それが『幸い』したのだろう。
スノーホワイトが、討伐対象たる悪の化身に対して、なんの魅力も畏怖も心酔すら抱かないのは………
最も。
本来のスノーホワイトも、彼に畏怖を抱いても、心酔はしないだろう。


(この制服は見滝原中学校の……だったら方針は一つ。サーヴァント達も必ず現れる)


とはいえ素直に暁美ほむらが居るか、定かではない。
別に来なくても困らない。
彼女目的に集結するであろうサーヴァントなどを倒すのが目的だ。


「バーサーカーさん。明日、見滝原中学校に向かいましょう。
 ………セイヴァー……いいえ。DIOさんとも合流できるかもしれません」


仕方ない様子でスノーホワイトが、バーサーカーにそう提案する。
正直なところ乗り気じゃない。元よりバーサーカーを使役し続ける気は皆無だ。
だが、彼がいなければ聖杯獲得は円滑に進まず。
何より、セイヴァー……DIOの実力と正体を見極める為、あえて接近する必要があるのだ。
一先ず――DIOとの接触に誘導すれば、バーサーカーが大人しくなる筈。

「貴様。今、なんと言った」

が、現実はまるで違った。
スノーホワイトも予想外の事に「え?」と戸惑いの呟きを漏らす。
バーサーカーは激情を露わにしながらも、静かに言う。

「学校に? 見滝原中学に向かうと――――『いつ』向かうつもりだ」

「それは……」

そんなの生徒たちが現れる朝に決まってるではないか。
スノーホワイトだって、誰だって、恐らく多くの主従がそうする筈だ。当然の結論だろう。
だが! その『当然の結論』にバーサーカー、ヴァニラ・アイスは激怒した!!

「太陽の光がある『昼間』に向かうつもりか! それが、どういう意味か理解しているのかーーー!!!」

「……!?」

DIOは吸血鬼なのだ。
十分に理解しているヴァニラ・アイスだからこそ、DIOが昼間の見滝原中学に姿を現す訳がない。
そう確信を持ってスノーホワイトに激怒した。
スノーホワイトは、咄嗟の――魔法少女の経験で積み上げた勘を感じ、躊躇なく『ルーラ』を構え。
部屋の窓ガラスを突き破り、バーサーカーからの攻撃を回避する。

彼が行ったのは、破壊から逃れた家具を無尽蔵にスノーホワイトへ投擲。
グシャグシャ状態のベッドは、スプリング等の金属が突き破られ、加えて砲弾級のスピードでスノーホワイトを追跡する。
彼女は空中で身を捻り、冷静に『ルーラ』でベッドを受け流そうとするが。
突き抜けたスプリングが、彼女の服や肉にひっかかり、バランスを崩して地面に叩きつけられた。

「……………太陽………もしかして」

即座にスノーホワイトが体勢を整え『ルーラ』を構え直しながら、考える。
ある意味『弱点』を把握できたのは幸いだ。
問題は――スノーホワイトが、自分が飛び出してきたマンションを睨む。

「…………………………………………………………………?」

何も起きなかった。
あのバーサーカーのことだ、再び自分を攻撃してくると想定していたのだが――違った。
まさか。彼女は気付く。
もう、ヴァニラ・アイスはそこに居ないのだ。
霊体化し、スノーホワイトとの念話も立ちきり、完全なる離反を行ったのである。
スノーホワイトは手の甲に刻まれた令呪に視線を移したが、彼女も冷静になった。

令呪で従わせる。
あるいは、DIOとの関係を利用し、彼を殺害するよう命令する。
駄目だ。それでは駄目だ。
スノーホワイトは聖杯戦争のルールを確認した。令呪は3画。書類にもあった通り、基本的に令呪は増える事は無い。
恐らく『再契約』しても変わらない。
一人3画が覆る事は無いのだ。
バーサーカーから他のサーヴァントを切り替えた後。それを従わせるのに令呪を使用するべきだ。

元より完全に従わせる事も叶わないバーサーカーだったから良い。
ただ、まだ聖杯戦争が始まっても無い時点での決裂は痛手だ。
聖杯を作る為の『ソウルジェム』は、スノーホワイトが所持したまま……これが唯一の救いか。
スノーホワイトは深呼吸する。

騒動のせいか、遠くよりサイレン音が接近してくる。
現場から離れつつスノーホワイトは、今日までに集めたウワサの情報を思い起こしていた……






アラもう聞いた? 誰から聞いた?
人魚の魔女のそのウワサ

在りし日の感動を求めながらコンサートホールで移動している魔女
ホールでは毎日、魔女の手下たちが演奏をしているんだって

激しく哀しい愛を込めて、がらんどうの音を奏でられ
だけど魔女のわだかまりは消えない

どこからともなく、水の中から突然現れるって
見滝原の住人の間ではもっぱらのウワサ

ラブミードゥ!






【10:54】


高層ビルが立ち並ぶ地帯に、日曜日であるが故に人が賑わいを魅せるデパートが点在していた。
ここにいる人々は、基本的には用意されたもの。
つまりマスターが隠れ蓑にする為の、障害物みたいな存在。
だと、思っていた……

(嘘でしょ……)

デパートに足を運んでいた一人の少女――美樹さやかは動揺していた。
不安や迷いはソウルジェムに穢れを齎すのだが、今の彼女に落ち着かせるには無理がある。
さやかは今朝、自宅のポストに投函されていた主催者からの書類に目を通し、息を飲んでしまった。

聖杯戦争が深夜から開始される事。
討伐令の事。
色々と思うことがあるものの、さやかが最も注目されたのは――記憶を取り戻して居ないマスター候補。
記憶を完全に封印し、サーヴァントは追加で召喚する事はない。
……なんて「この商品は政府公認の保証つきです!」みたいなテレビショッピングの宣伝じゃあるまいし。
何一つ『安心する』文面と事実ではないこと、コレを書いた主催者はまるで理解していないのだろう!

(つまり他にも――ちゃんとした『本物の人』が存在してるってことじゃん!)

ああ、間違いない。
このムカつく文面は、きっとアイツだ。
さやかは今日まで聖杯戦争をどのように挑むか迷い続けていたが、遂に。彼女は決心する。
またアイツは……私だけじゃなく、他の人達も騙すつもりだ。
脳裏に蘇らせるだけで吐き気を催す獣。


騙されていたのは自分が馬鹿だったからだ。


絶望したのは自分が弱かったせいだ。


魔女になった自分は正義になっちゃいけない。


―――だが、やはりキュゥべえ! 奴だけは許してはならないのだ!!


例え自分が許されざる・救われてはならない『悪』だったとしても、二度とキュゥべえの思い通りにはなりたくない!
美樹さやかは一つの『覚悟』を胸に秘めた。
一方。
彼女のサーヴァントは、笑っていた。
混乱していたのかとさやかは放っておいたが、狂信めいた様子は変わらない。
念話で常に、自慢げに語り続けるのだった。

『DIO様に仇なすなど愚かな連中だと思わんか!? マスター! そしてお前はあまりに幸運だ!
 恵まれている!! これほどの好機など在りはしないのだぞ!!
 お前は既に――DIO様のマスター、暁美ほむらと友好関係にあるのだからな!!』

そう。さやかのサーヴァント、セイバー……もとい『剣』そのもののサーヴァント・アヌビス神は興奮気味だった。
最初は討伐令対象の写真を確認しただけで、女子みたいな悲鳴を上げて恐れ慄いていたとは想像できない。
しばらくした後。
さやかは、恐らく主催に関わっているキュゥべえへの憤りをアヌビス神に、しかと伝えた。
するとアヌビス神も「DIO様の敵ならば」と、驚くほどの掌返しをする。
要するに、敵が同じだから。
そういう理由でしかないのだろう。事実、先ほどから念話ではこんな調子が続いていた。

『うっさい!! あたしも、ほむらと話がしたいから明日学校で聞く! だから静かにしろー!!』

『分かっていないのはお前の方だぁぁ! 何故DIO様に対し忠誠を誓わない!!』

『新興宗教への勧誘はお断りだッ!!』

ほむら……ほむら。そう、暁美ほむらだ。
さやかが一番に疑問を覚え。この見滝原は偽りで、誰も彼もが自分の知っている友人・知人ではないと錯覚した原因。
暁美ほむらは――さやかの知る『暁美ほむら』とは別人だった。

三つ網で眼鏡をかけた大人しい気弱で病弱な転校生……それが『この』見滝原で出会った暁美ほむら。
しかし、さやかの知る『暁美ほむら』は才色兼備のミステリアスなクールビューティー。
雰囲気も性格も、眼鏡だってしてないし。髪も解いていた。
まるで別人……
故に「ああ。ここってあたしの知ってる見滝原とは違うんだ?」とさやかは思いこんでしまった。

が、どうやら違う。
よりにもよってDIOのマスターとして討伐令にかけられた彼女が、マスターなのは明白だ。
全く以て訳が分からない。さやかは混乱している。

「あ! さやかちゃーん!!」

待ち合わせ場所に集合していた友人が、さやかの姿を捉えたらしく呼びかけてくれた。
既に、友人たちは揃っていた。


さやかに声をかけたピンク髪の少女・鹿目まどか


お菓子を口にしながら面倒くさそうな様子の赤髪の少女・佐倉杏子


優しく笑みを浮かべながら、さやかに手を振ってくれている先輩の巴マミ


(皆………どうなんだろう……?)

さやかは明るい様子で「おまたせ~!」と返事をしつつかけ寄りながら疑念を抱く。
マミに関しては、お菓子の魔女に殺された。
でも魔女になった自分だって同じ事。
杏子は……家族が居た。さやか達と同じ見滝原中学の、同じクラスメイトとして。
それだけで、杏子の様子はさやかの知る彼女とは違うものだった。
……最後にまどか。

「ほむらちゃんも誘ったんだけど、今日は用事があるんだって」

どこか申し訳なさそうに、まどかが言う。
ほむらの名前が突然出てきたものだから、多少さやかは動揺してしまう。

「あ……そ、そっか~勿体無いなぁ、ほむらの奴! あたし達だけで遊びつくしてやるか!!」





アラもう聞いた? 誰から聞いた?
武旦の魔女のそのウワサ

深い霧が立ち込めると無銘の馬に乗って現れる魔女
出くわす人々を眠らせてしまうんだって

しかも幾つも分身を産み出して
人々を混乱させ、惑わせてしまう

だけど、彼女はもう誰も彼もを思い出せなくなった魔女だって
見滝原の住人の間ではもっぱらのウワサ

ドレガホンモノー?





――どういう事だ、おい。

佐倉杏子はマスターの一人だった。
だからこそ、討伐令に関しても多少なりの動揺と困惑を覚えたのは事実であり、偽りようもない。
理屈は分かる。
主催者は都合の悪い『癌』を摘出しようと、聖杯戦争に導かれたマスターたちを利用しようとしている。
まるで自分の手を穢さないように。
自分たちの目的の為に、無知なるものを利用するかのように。

――暁美ほむら……

見滝原中学校にかようハメになった杏子の、同じクラスにいる少女。
あの邪悪を召喚したと思えない様子だった。
否、杏子が彼女そのものを見極めていなかっただけかもしれない。胸騒ぎはそれに留まらなかった。
朝食の場で、杏子の父が神妙な様子で家族に告げた。

『近頃、妙な教えを振りまいている者がいるらしい……杏子。今日は友達と出かけるんだったね。気をつけるんだよ』

その優しい言葉を吹きかける亡霊が、杏子にとっては忌々しいが。
亡霊で偽物だとしても、自分の見知った顔をしたソレに不満をぶつける気分じゃない。
朝食をがっつきながら杏子は言う。

『んなの、ウワサって奴じゃない。実際に勧誘している所なんて見たこと無いよ』

『どうやら普通の勧誘ではないんだ。訳のある者だけに声をかけていると聞く』

訳アリ?
杏子が一旦食事の手を止める。

『犯罪者……とか?』

『……今のところ。事件沙汰にはなっていないようだが、心配だよ』

目の前の亡霊は心底不安の色を顔に乗せて、深い溜息をついた。
母を演じる亡霊も「まあ怖いわね」と妹のような亡霊と共に団欒の中にいる。
杏子は、討伐令の概要を目にしていた以上。
今まで胸の奥底で眠らせ続けていた『わだかまり』が騒ぎ出したのを、自覚していた。

「佐倉さん? 大丈夫??」

かつてコンビを組んでいた先輩――巴マミの呼びかけに杏子は我を帰った。
今日は、そう。気分転換の買い物だ。杏子が買うのは、しいてお菓子程度しかないが。
ほむらと友人である鹿目まどかが「ほむらちゃんも誘ってみる」と話していたのを思い出して、同行しただけ。
結局、無駄足だった訳だが。

さやかが変に大き目なバッグを購入しようかと、まどかと相談しているのが見える。
あんなの買ってどうすんだ? と杏子が疑問に思いつつ。
心配そうな顔のマミに「別に」そう返事をしたが。
何だか、物足りなくて会話を続けた。

「最近……変に物騒な感じだよな」

マミに話したところで、それこそ無駄で終わる些細な話題だ。
杏子の心情を知らぬマミは「ええ」と頷く。

「ねえ。佐倉さん。暁美さんの事で何か知っている事はないかしら」

「……え?」

まさかマミの口からも聞くとは思わず、戸惑いを隠せずに杏子は「いや」と呟いた。

「あたしより、まどかの方が知っているんじゃない?」

「鹿目さんは持病の事があるかもしれないって言ってたけど」

持病? そういや心臓病が……とか。クラスの誰かが話してたっけ。
ていうか。巴マミ……
あまりに露骨な話に、警戒心のなさに杏子が呆れてしまうのは当然だった。
多分、杏子の確信は真実だろう。彼女も、あまりの事に尋ねてしまいそうになる。


――アンタ。聖杯戦争のマスターなのか?


「きゃあああああああああああああああああああああああああああ!!!!」






アラもう聞いた? 誰から聞いた?
救済の魔女のそのウワサ

途方も無く大きくなった魔女がお空の先にあるお月さまより大きな天国へ
辛い人も悲しい人も、良い人も悪い人も

みんなみんなを天国へ導いてくれる
ああ、良かった。これでもうずっとニコニコ暮らせるよ

ああよかった これでもうずっと
ああよかった これでもうずっと
ああよかった これでもうずっと

ああよかった これでもうずっと
ああよかった これでもうずっと
ああよかった これでもうずっと
ああよかった これでもうずっと

ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと
ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと
ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと
ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと

………
見滝原の住人の間ではもっぱらのウワサ


嗚呼、全てに真の救済あれ





「ちょっと、今の悲鳴……何なのさ!?」

似合わない大き目のバッグを購入し終えたさやかが困惑する隣。
鹿目まどかに迷いがなかった。
彼女は、魔法少女になって得られた『正義感』が、邪悪に立ち向かう勇気――『黄金の精神』によって
誰が何と言わずとも、悲鳴の上がった先へ全力で駆けだしていたのだ。

買い物を共にしていた友人や先輩が自分を制する為に、声をかけたかもしれない。
でも、聞いていられない。
魔法少女であるまどかは、邪悪に打ち勝たなければならないのだ。

友である暁美ほむらのこと。
彼女は誰に命じられるまでも、誰かに相談する必要もなく、彼女を守ろうと覚悟していた。
何故なら、鹿目まどかは暁美ほむらの友達だから。
たったそれだけ。
されど、それ以上に理由は必要なのだろうか。

「皆さん。下がってください! 写真撮影も止めてください!!」

「……ッ!!?」

まどかが吹き抜けスペースに到達すると、既に人混みで溢れかえっており。
スマートフォンで面白半分で撮影したりする者から、発生した異常に気分を害し、倒れたり吐いたりする人々。
地獄のような惨状の根源は――デパートの吹き抜けスペースに設置されたステージ。
今日、そこでアイドルによるコンサートが行われる予定だったらしい。

だが……ステージの舞台。
スタッフの誰かが不自然に一部、床が外されているのに気付き確認したところ………


ステージの床下が『赤い箱』で埋め尽くされていたのである。


ウワサに聞く『人の残骸』で構成されたものが一つや二つじゃあない。
床下を埋め尽くす……ざっと広さを計算すれば『80』近い数の箱があった。
つまり、80人分の死体。

「酷い……!」

どうしてこのような事を!? まどかが、怒りと悲しみを露わにする一方で。
吹き抜けスペース故、デパートの上層階から見降ろしていた誰かが言う。

「なあ! 紙が貼ってあるんだって! ホラ!! 文字見えないけど―――」

『大変な事になった。マスター』

人々の騒音の最中。不思議にもまどかのサーヴァント・ランサーの念話は、しっかりと聞こえる。
彼は霊体化しており、姿が見えないだけで。ちゃんとこの場に居る。
だからこそ、状況を把握し。そして、事実をマスターに伝えた。

『あれは犯行……いや、犯罪予告だ』

『犯罪、予告?』

『あえてメディアに取り上げられるよう、目立つ場所に箱を置いたんだ。そして予告の内容は、こうだ』



――――聖杯戦争に参加する皆さまへ
    自分は、マスターの中身じゃなくてサーヴァントの中身に興味があります。
    明日、テレビ局で生ライブをするアヤ・エイジアの命を狙います。
    是非来て下さい。

                                       怪盗X―――



「意味が……分からないよ………」

まどかは思わず口にしてしまう。
世間を騒がせている猟奇殺人者の正体が、聖杯戦争の関係者であることは理解していたが。
あえて餌を撒く為、わざわざ80ほどの人間を容易く殺し、注目させたかったのか。
ついでに、気軽に。
そんなありふれた感覚で命を奪う者の精神に、まどかは青ざめていた。








          時計の針が刻んでいる。リズムよく、一定に―――









【11:37】


世間を賑わす一人、アヤ・エイジアこと逢沢綾。
彼女が見滝原の都心の一角にあるカフェテラスに、平然とコーヒーを飲みに現れているのを誰も気付かない。
ちょっとしたサングラスと帽子を被って、しかしながら『たったそれだけ』。
意外に誰も気づかない。
人間の先入観なんて些細なもの。
アヤは、一際著名人であったからこそ馴れていた。
別に誰かに気づいて欲しい訳でもない。あえて目立っている訳でもなく。
どれほどごった返した人混みの中心に飲まれようとも、彼女は『世界でひとりきり』なのだ。

アヤが手元に一枚の写真をやった。
写真にいる人物に、格別な魅力を覚えたのでなく。強いて挙げるなら――彼もきっと
『世界でひとりきり』
そうとしか感じられない『人間』なのだろう。
アヤが注目するのは、写真の人物と非常に酷似した……だけど『何か』が異なる人物が目の前に居る事。

「ひょっとして……あなたの父親だったりするの?」

彼女の向かい側に座るアヴェンジャー。
完全な一致とまではいかないが、雰囲気やどことなさが似通った。何か繋がりのありそうな。
写真の彼との関係性を疑うのは当然であろう。
召喚された時と違って、アヴェンジャーは目立つ騎手の恰好と帽子はしていない。
現代に溶け込めるようにありきたりなスーツ姿。容姿を変えれば、英霊などと誰も分からないほど普通の人間だった。

興味本位に尋ね、彼の反応を伺うアヤを一瞥し、
アヴェンジャーは彼女の手元から写真を持ち上げるように奪う。
それから告げた。

「違う。俺の父親じゃあないし、兄弟でもないな」

流石に無理のある言い訳に聞こえる。
にも関わらず、アヴェンジャーの証言は真実なのだ。
あまりにも似通っている。全てが、とまで行かないが………雰囲気、オーラは紛れも無く酷似している。
容姿も、体型は大分異なるが。やっぱり『似ている』……なのに。
アヴェンジャー。ディエゴ・ブランドーは救世主に心当たりが無いのだ。

だからこそ、アヴェンジャー自身もどういう事なのかと困惑していなくもない。
アヤは不思議そうに首を傾げていた。
でも、アヴァンジャーが嘘をついて誤魔化すような、冗談の効いた人間じゃあないと察して。
少々彼を眺めてから、改めて尋ねてみる。

「だったら、アヴェンジャーさんは誰かを助けたりしなかった?」

「俺が困っている人間に躊躇なく手を差し伸べる『お人よし』に見えるか? アヤ」

皮肉を込めたつもりのアヴェンジャーだが。
アヤとしては、それを自分で言っちゃうの?と顔で微笑んでいた。
馬鹿に挑発している訳ではない。元より――彼女はアヴェンジャーと仲良しこよしに成りたいのでない。
彼女の中には……誰も居ない。光すら差し込まない。
他愛ない無駄話を繰り広げているに過ぎないのだ。
アヴェンジャーも、既に理解する。虚空を見上げつつ、ふと、不思議にも思い出す。


「……? それって何??」

「マジェント・マジェント……俺がレース中、氷の海峡で『偶然』助けた。最も俺は奴を利用する算段だったがな」

「そういう名前なの? ふふ、面白いわね」

愉快なんだろうか。アヤの微笑は自然なものに感じられた。
コイツも、過去は分からないがロクでもない『生まれ』だったんだろうな。とアヴェンジャーは感じる。
実際のところ。マジェントが愉快で楽しい奴か否かは、無駄な情報だ。
聖杯戦争に導かれているかも定かじゃない人間の話をしても、無駄でしかない。

「『助けられた』だけで、喜んで命令に従うような下っ端のクズを利用した。それだけだぜ……
 分かるか? 俺は救世主じゃあない。『復讐者』だ。復讐を果たせず彷徨う亡霊だ」

「……そう。でもきっと『彼』も同じ筈よ」

こう考えない? アヤが言う。

「沢山の人を助ければ……『救世主』になれるのよ。『世界でひとりきり』の人達だけに歌う私と同じように、ね」

救世主ねえ。
アヴェンジャーが思うのは、仮にセイヴァーが自分と繋がりある人物であれば
善意で誰か救ったりせず、自分と同じ誰かを利用する為だけに手を差し伸べたんだろう。そんな他愛ない感情。
余裕もってコーヒーを飲む彼女を横目に、アヴェンジャーは言う。

「ところで、お前はどうするつもりだ。聖杯に何を願う?」

すると、アヤはにべもなく答えた。

「私、人を殺したの」

にも関わらず彼女の表情は晴れやかで、アヴェンジャーは表情一つ変わらない。

「それで服役中。だから刑務所に戻らなくちゃいけないの」

「………は?」

流石にアヴェンジャーから呆れの声が漏れた。
普通、自由になりたい。無罪放免を望む。あるいは罪をなかった事にしたい、色々あるだろうに。
彼女の選択が迷いなく真っ直ぐだった。

「イカレてやがるのか、お前」

思わずアヴェンジャーが本音を口にしたのにも、アヤはアッサリと言ってのけた。

「そんな事ないわ。罪の意識はちゃんとあるのよ」

罪悪感を抱いてて自分はちゃんと『人間』してますってか?
冗談じゃあない。十分どうかしてるだろ。
俺だったら馬鹿な真似も、犯行が分かるようなミスだって犯さないがな……
本当にコイツは『歌う』以外でマシな部分が無いな……だから歌手に成らざる負えなかったんだろうが……






アラもう聞いた? 誰から聞いた?
服従の魔女のそのウワサ

いつの間にか親しくなっている友達
気がつかない間で自分の傍にいて支えてくれる大切な人

ひょっとしたら、それは魔女かもしれない
自分の為だけに他人を利用し、自分より優れた者を奴隷にする悪い魔女!

身に覚えのない知り合いがいるんじゃないかって
見滝原の住人の間ではもっぱらのウワサ

イエスマイロード!







「くそ! 『Dio』の野郎だ!! オレの『ウワサ』をしてやがる!! くしゃみが二回も出たぞッ!! 
 悪いウワサをされてたら二回するんだぜ!? 冗談じゃねぇぞ!」

「何度目ですか。その話」

聖杯戦争のマスターが一人、優木沙々がやれやれと下っ端のクズの文句に付き合わされていた。
主催者側から聖杯戦争開始の通達が来るまでに『友達』を利用して、在る程度のウワサの収集が完了している。
自宅マンションでウワサや討伐令に関しての話をしたいのに……
ウワサの中に、アサシン――マジェント・マジェントが憎む宿敵『Dio』の存在が確認された。

生物を恐竜とし支配する『恐るべき怪物(スケアリー・モンスターズ)』。
性質は……沙々の魔法を似通っている。
問題となるのが、恐竜は反射神経がよく。
個人の戦闘力のない沙々や攻撃に特化してないマジェントには、決定打が与えられない点。

(まぁ。サーヴァントの宝具を一つ捕捉できたのは良しとしましょう)

サーヴァントじゃなく、マスターを殺してしまえば。如何に凶悪なサーヴァントでも無駄に終わるのだ。
他にも、通常の聖杯戦争と異なる点が、明白なのだった。
沙々は自分の指をはめていた指輪を『透明なソウルジェム』に戻した。
色彩も穢れも無い、すっからかんな状態。
嫌々だが仕方なく沙々は、それをマジェントに差し出す。

「これはあなたが持ってて下さい」

「およ? オレがかい?」

「サーヴァントをただ倒せばいい訳ではありませんからね。
 要は『消滅するサーヴァントの近くに居れば』問題ないんですよ」

ソウルジェムは消失したサーヴァントの魂を自動的に回収してくれるらしいが。
沙々が指摘するように『近くに居る方』に魂は導かれる。
絶対防御のマジェントが、戦わずとも『接近』するだけならばソレだけで聖杯の完成を目指せる訳だ。
「なるほどなぁ!」と調子よくヘラヘラは笑うマジェントは、沙々の妙案に対し、コイツ頭いいな!
と、楽観的な心情なのだろう。
一体どれほど沙々が頭を捻って、クソサーヴァントの有効活用法を考察したか、まるで知らない癖に。

ウワサの内容を精査するに……何とも言えない。
どことなく、正体や能力が漠然と掴めるが、決定打に欠けるというか。ピンと来ない。
実際、能力を体験するまでは曖昧だ。

例えば……先ほどのDio、ディエゴ・ブランドーの宝具であろう恐竜。
あれは安直に生物を恐竜に変化させている訳じゃない。実体は『感染』なのだ。
恐竜の攻撃を受けても、恐竜化が進行してしまう。きっとサーヴァントも例外ではない。
ネズミ算式に個体数を増殖させる――吸血鬼が産み出した食屍鬼の連鎖と同じ法則。
それが『恐るべき怪物(スケアリー・モンスターズ)』の真価。

そう考えると……ウワサも身元の特定でしかなく、実際のところまるで信用ならないのだ。
沙々は深く溜息ついて、ふとソウルジェムに目が向かう。
彼女自身のソウルジェムに、だ。

「……………」

沙々の顔が酷い形相で大きく目を見開き、言葉を失っていた。
見ないフリをしたかった。決して忘れていた訳ではない。自然とそうなることも彼女は、分かり切っている。
この見滝原に魔女はいない。
グリーフシードはどこにもない。
着実に、確実に。ソウルジェムの穢れは自然と蓄積されていくのだ。
例えストレスのない平穏で静かな生活を送っていたとしても。それが逃れられない宿命。

一刻も早く聖杯戦争から……果たして『間に合う』のだろうか?
こんなクズサーヴァントとちまちま勝ち進む余裕も、ああクソ!と舌打つ沙々。
魔女になるのは真っ平御免だ。
でも、ソウルジェムの浄化が出来るサーヴァントなんて都合のいい『救世主』なんて。

(……救世主?)

何故だろうか。沙々の中に光が差し込んだ、気がする。
今朝、ポストに入っていた主催者からの資料。討伐令。サーヴァントのクラスは―――
沙々は暁美ほむらが、見滝原中学校の制服を着ているのを確認していた。
彼女のように『浅はかな発想』は、恐らくどの主従も思いつきそうなものだろう。
しかし……

(はぁ、救世主ねぇ。ブッダとかキリストみたいに胡散臭い教えでも解くのかよ)

写真を見たマジェントは「Dioと似てるんだよなぁ~~~」とかぼやいていたが、沙々としては大した情報じゃない。
似ている、のはいい。他に心当たりもないのかクズ。不満しかない。
険しめな顔つきで沙々が、写真に居る邪悪な瞳と視線が交わって

「…………………………………………………………………………………………………………」

「ササ! 聖杯戦争が始まるからよ、祝杯の酒でも買ってさ……オイ!? 話聞いてんのかッ!」

我に返った沙々は、自分が食いるように写真を眺めていた事実に困惑しながら。
惚けた様子で「なんですかぁ?」とマジェントに振り向く。
下っ端のクズが、沙々に対し心底気に食わなそうな態度で言う。

「ニヤニヤなに見てたんだよ。何の写真だァ? それ」

「え、……え? べ、別に……なんでも…………?」

笑ってた? 写真を見て?
全く記憶にない話に、沙々は並々ならない恐怖を覚えて、その写真を書類袋に戻してしまった。






アラもう聞いた? 誰から聞いた?
天国に至る手順のそのウワサ

大切なものは友達と三十六人ぐらいの悪い人間たち
十四の言葉と勇気があれば大丈夫!!

大きなお月さまが不思議な力を与えてくれる『場所』で
世界が巡り巡って産まれる新しい世界こそが天国!

天国に到達できた人は誰よりも幸せになれるって
見滝原の住人の間ではもっぱらのウワサ

ステアウェイ・トゥ・ヘブン!






覚悟こそは幸福だと、どこかの誰かが言った気がする。
君は引力を信じるか? 彼の人物の御言葉である。
人と人の間には『引力』がある。………嗚呼、ならばこそ、この運命も『引力』であり
現実に起きる『運命』を受け入れる覚悟が求められている……筈だ。

しかし、理想と現実は違う。
誰もが回避したい現実や未来、あるいは過去から逃れようと奔走する。
覚悟……一人の神父が心を落ち着かせる為に『素数』を数え続けていた。『素数』は孤独の象徴。
『世界でひとりきり』の数字だった。

孤独に室内で、突如として配布された例の書類。
討伐令の対象たる写真に写る人物は神父、エンリコ・プッチにとって友に値する存在。
顔も容姿も、人類の表現力では語彙不足する美しさを持つ彼。
紛れも無く友なのだろう。
友に対し、討伐などと面白半分にゲーム感覚を持ちかける主催者たる存在に憤りを覚えるよりも先に。
プッチは強烈な『違和感』を味わっていた。

(馬鹿な……DIO『ではない』! 何かがおかしい……)

矛盾めいているのは、彼自身が最も分かっている。
DIOなのにDIOじゃあない。
プッチが知るDIO、とは異なる意味合い。しかしながら彼がDIOを目にしているのは『側面』に過ぎない。
側面。
裏を返せばプッチの知るDIOこそ、他にとっての異常な『側面』だ。

「あ……ライダー、さん?」

気迫溢れる神父に声をかける勇気だけは、部屋に入ってきた少女――白菊ほたるにあった。
彼女は、明らかな荷物の入ったバッグを握りしめ。
今まさに帰宅を果たしたばかりを露わにしているのだった。
素数を呟いていたプッチも、反応に僅かだが遅れて振り返る。

「ホタル……? 君は確か………」

そう。彼女は今日、アイドルとしての活動。見滝原では初めてのライブが行われると、練習も準備も努力していた。
聖杯戦争の過程では全く無駄に当たる。
されど、白菊ほたるにとっては重要なアイドル活動の日。
まだ昼間に差しかかったばかり。忘れ物に気付き、慌てて帰った様子でもない。
ほたるは、申し訳なさそうにプッチへ告げた。

「ライブが……中止になったんです……」

「………」

普通だったら「慣れてます」と後ろ向きに、自らの運命に抗えず仕方ないで受け流す彼女だが。
今日ばかりは、幸薄い雰囲気を変えず。だけど何か、彼女自身の中で納得を手にできず。
どうしようもない感情を胸に秘めていた。

「あの、ウワサの……赤い箱ってサーヴァントの仕業なんですよね?
 どうしてなんでしょうか? どうして、私のライブ会場を選んだんでしょうか?」

他にも目立つ場所はある。目立つイベントだってある。
だけど、赤い箱の置き場所に選ばれたのは、何故かほたるのライブ会場で。
本当に『運命』という試練を与えられているのか。プッチが言う『必然』が呪いの如く付きまとう定めなのか。
一息つき、ほたるは落ち着いた。

「ごめんなさい……ショックだったんです。プロダクションのスタッフの方も、あそこで踊る事にならなくて
 良かったって、そう元気つけてくれて………でも、私どうしたらいいのか。分からなくて」

白菊ほたるが恐れているのは、自分の不幸ではなく『他人の不幸』だった。
『自分が』他人を不幸にしている。
今日、ライブを楽しみで足を運んだ人々も。プロダクションの関係者や同じ事務所に所属するアイドルたち。
彼らを不幸にしてしまう。自分の不幸が他人に移ってしまうかもしれない……そういう『恐怖』。
実際、あの猟奇殺人鬼の所業がライブ会場に降りかかった事で、あそこに居た人々は紛れも無く不幸となったのだ。

「ホタル。君には伝えておければならない事がある。いづれ『引力』によって惹かれあう運命だ」

その恐怖を理解したプッチは、ほたるにこそDIOと巡り合うべきだと導こうとする。
恐怖の克服。
不幸という因果を携えた彼女にこそ、恐怖を乗り越える力は必要なのだ。
DIOに関する情報を聞かされたほたるが、戸惑いながら

「ご、ごめんなさい……私には全然、お話が難し過ぎて………」

とまぁ、彼女ほどの年頃なら仕方ない返答をした。
天国だとか、引力とか、覚悟が果たして幸福に通ずるのか。縁の遠過ぎる話題について行けない。
宗教や哲学に精通した人間なら、多少の理解を得られるだろう。だけど、彼女はアイドルだが、それを除けば少女だ。
しかし――ほたるは善良であった。彼女は「でも」と加える。

「ライダーさんのお友達なんですよね? 討伐、なんて酷いと思います……
 あの、もしかして私の不幸がライダーさんにも……」

いいや。それでは駄目だ。
ほたるはプッチも『善良に』自分のことを想って手を差し伸べてくれているのだと。
彼の教えは、何一つ共感も理解も、ほたるにはまるで追いつけないが。
プッチの行いを無為にしてはならない。

「え、えっと。暁美ほむらさんの制服……私がかよっている見滝原中学のものです。
 ひょっとしたら学校で会えるかもしれません。少しでも、私もライダーさんの役に立つよう頑張ります」

「ありがとう、ホタル。君も『天国』への到達と『未来への覚悟』による救済に協力してくれるんだね」

「……あ、あの。ちょっとそれはよく分からないです」






白菊の花言葉は『真実』。
大切なのは――真実に向かおうとする意志なのだろう。
例え、彼女の願いが叶わなくとも。天国が実現しなかったりしても。
本当の到達へ至れる筈なのだ………真実へ向かっているのだから…………






アラもう聞いた? 誰から聞いた?
天使の使徒そのウワサ

彼女は鏡の破片を通して皆を見守ってくれている
人々を守るために降臨した守護者

中でも水の厄災を防ぐ力があるんだって
だけど、風に打たれ弱いってどういうことなの?

鏡の竜となって降臨するって
見滝原の住人の間ではもっぱらのウワサ

ゴッドガード!






【13:21】


見滝原の道路を走るバス車内。
タブレットの情報ツールを動かす少女が「速報!アヤ・エイジアに犯行声明!!」と見出しあるページに目がついた。
速報ながら、自棄に詳細な情報が記載されているのは、世間が大注目する歌手と猟奇殺人鬼。
奇跡のコラボが実現してしまった力だろう。
少女、マシュ・キリエライトは困惑気味にそれを目に通していた。
今朝に聖杯戦争開幕の一報が届いた矢先である。

『厄介だな……中学校といい、マスターの立場では容易に侵入も難しい場所を選ぶとは』

念話でマシュと会話するシールダー・ブローディアが唸る。
はい、とマシュも念話で答えた。

『どちらも見過ごす訳にはいきません。特に暁美ほむらと呼ばれる彼女は……』

『見たところはただの少女だ。サーヴァントによっては容赦もしないだろうよ』

最もサーヴァントの方は………ブローディアもマシュも、邪悪の化身から感じるものを理解していた。
善良ではない。信用ならない。
偏見を抱かせるサーヴァントは、マシュも幾人心当たりがあるが。
彼に関しては例外だ。暁美ほむらが、このサーヴァントを完全に使役しているとは、正直期待すらしてない。
だが。
討伐令は危険性を兼ねて配布された類じゃない。
言わば燃料投下。聖杯戦争を活性化させる為だけの生贄……

『今日までウワサの回収はほぼ完了していると思いたいです。ですが……私の知識がどれほど生かせるか』

マシュは、恐らく聖杯戦争に関する知識を有する希少なマスターだった。
だが、彼女の知るものとはまるで異なる。
情報収集も兼ねて、自らのサーヴァント・ブローディアの世界観……『空の世界』はマシュの知識は愚か。
架空の世界として物語にすらなっていない『未知の世界』。

即ち――異世界だ。
ウワサに聞く、恐竜の支配や時間泥棒、赤い箱、魔女や天国への到達……どれもに心当たりがなさすぎる。
マシュのいた世界……否、宇宙そのものが異なる。
彼女の先輩がレイシフトなどで特異点に飛ばされるのとは、全く違う。
マシュの知る人類史にも該当しない。命名するとしたら――『異世界史』。『異世界史の英霊』だ。
ブローディアが落ち込むマシュに対して揺るぐ様子なく言う。

『私の――「空の世界」の英霊に関して問題はあるまい。怪盗シャノワール。私も団長から奴の話は聞いている』

『! あの、ブローディアさん。もう少し、彼の詳細を教えていただけませんか』

『ふむ? マスターが図書館などで調査した通りだと思うが』

シャノワール。
変幻自在の妙技で人々を翻弄し、空の世界で異名を轟かせた大怪盗。
幻想や天司。星晶獣とは異なって『確かな偉業で歴史に名を残した人間の英霊』に該当する。
むしろ、マシュの居た人類史のような歴史では、中々困難極める偉業だろう。
そうでなくとも幻想や神が居る世界で怪盗の名を残すのも一筋縄にいかない筈。

彼は水の魔力を保有しており、ブローディアは完全に優位に立てる。
だが、シャノワール自体がどのような人物か?
怪盗の美学をモットーとし、人を巻き込んだとしても犠牲や命にかける真似はしない。
彼が遂行するのは『盗み』であって。それが『悪行』だとしても精神が『悪』であるとは限らないように……

『あの……怪盗シャノワールの宿敵と呼ばれる探偵がいると聞きましたが』

『あぁ。私も前に団長から聞いた事がある。しかし……』

『是非その下りを教えて欲しいのですがっ!』

『それだが……マスターの期待を削ぐようで悪いが、その探偵は推理放棄する部類でな』

『―――推理、しないんですか!?』

探偵なのに!? という突っ込みを内心でしつつ、マシュは我に帰ってバスの停車ボタンを押した。
彼女が向かっていた場所は、高層ビル街にある飲食店が並ぶ地帯。
マシュなりの調査を元に、地図上で印をつけた『店』を巡る……というもの。
別に、グルメを堪能するのでなく。
グルメを『堪能している人物』を探る為だ。
実際に店員に客のことを尋ねる真似は、不審者らしかぬ行動ではあるが、やってみなければならない。
彼女の知る『先輩』だってそうしたように……

「……あ。これ」

いきなり一軒目でマシュは大きく目を見開く。
外の世界を知らなかった彼女にとって、常識に含まれた当たり前を予想つかなかったのだ。
巨大ジャンボお好み焼き。見事完食!
なんて大々的に店の宣伝ポスターっぽく貼られた写真に、細身の少女が空になった大皿を見せつけピースしている。
完食を取り上げたり祝福して、このような記念写真は『ごく当然』だ。
しかし、マシュは『そういうもの』だと分からなかっただけに、驚いている。
何より―――
ウワサとなっている大食い探偵は、マシュが休学中の見滝原高校の制服を着ていた。






アラもう聞いた? 誰から聞いた?
運命を覗く方法のそのウワサ

これから先の未来も、自分がどうなるのか不安なアナタ!
運命が分かってしまう方法を教えてあげる!!

この町にある不思議で不気味な洋館に住まう一人の少女
彼女は運命が分かって、運命を操れちゃう

でも彼女の機嫌を損ねれば生きて帰れないって
見滝原の住人の間ではもっぱらのウワサ

ギャオー! ターベチャウゾー!!






変わって見滝原の繁華街。飲食店街であっという間に注目を集める一軒の店が一つ。
美味しく山盛り揚げ物丼をペロリと平らげて、少女・桂木弥子は唸った。
本当にお金がない。
そして、食事処もどんどん無くなってきてる。
聖杯戦争開始前日にして既に詰んでいる。意味不明な悩みを、真剣に抱え込んでいる。
こんなの救世主だって助けちゃくれない。

弥子の体は冗談でも大げさな表現で例えている訳でもなく、非常に燃費が悪い。
一般人間の中、彼女は燃費=食事によるエネルギー効率が極端に駄目。
大食い特性を生かして、完食で無料のデカ盛りグルメを巡り巡り続けたものの。
店の方だって、頻繁に来て貰っても困るし。中には出入り禁止――出禁になった場所もあった。

(こうなったら……最終手段だ)

『最終手段?』

念話で弥子のサーヴァント、魔理沙がオウム返しするのに。弥子は頷いた。

(どっかの土とか掘ればミミズとか手に入るから、それを餌に……魚を釣る!)

『え、マジか』

突拍子もない発想に魔理沙も困惑気味である。
しかも、弥子は真顔かつ本気でやるという謎めいた精神の片鱗を醸しだしているのだから。
否。
馬鹿っぽいが、弥子は真剣なのだ。
聖杯戦争が終わるまでに、餓死などは勘弁なのだ。
真面目に、食事を取れば魔力回復に通じる。だから食料問題は重要だ。本当の本当に。

『……私もキノコとか、食べられそうなの探すから変な物は食べるなよ?』

(殺人料理以外は大丈夫だから)

『色が変な奴みたいなもんか』

(餃子の皮を接着剤でつけてるようなもの)

『工作の間違いじゃないか?』

SNSなどに画像をあげる為にか、スマホを掲げる外の野次馬に弥子もうんざりしていた。
アヤ・エイジアの事件を解決した際も似たような騒動が発生し。
著名人の仲間入りよりか、指名手配犯じみた扱いだった気がするような。
これが『馴れている』と言えば普通の御身分ではない。『味わった事がある』と表現すればいいのか。

ふと、弥子が吸いこまれるように人混み中、通り過ぎて行く人物に注視した。
彼女には鮮明な記憶として刻まれていた存在。
慌てて会計をすませて、弥子が人を泳ぐようにかき分ける。サインを求められても、そんな余裕はない。
謝罪をかけながら、あの人物を探そうと駆け抜けてる。
ただでさえ燃費が悪い体で全力疾走など、また厄介な事態に公転しかねないが躊躇する場合じゃなかった。

ああ……もしかして無駄だったかも………

弥子が後悔の念を覚えた瞬間。
視界の端でチラリと追い求めていた影を捕捉したのだった。
ここまで来れば、弥子は迷わずに声をかける。

「あの! 待って、そこの――――え?」

弥子が話しかけたのは金髪の少年であった。本来彼女が想像していた見滝原を混沌に陥れいる邪悪とは違う。
否、確かに違うのだ。
体型や年齢、顔立ちなど……だけど。似ている。
事実として少年はサーヴァントじゃあない。人間だった。ステータスも見えない。
混乱する弥子に対して、少年は不敵に「僕に用でも?」と尋ねた。皮肉が籠っている気がする。

「ご、ごめんなさい! 人違いでしたッ!!」

でも似ているだけだ。
これ以上、何を追従する訳にもいかず、弥子はやられ役みたいな捨て台詞と共に走り去る。
少年はフンと鼻を鳴らして踵を返す。

一方。
少年の傍らで霊体化しているサーヴァント・ランサーは、くすくす笑いを零していた。
心底愉快なのだろう。


討伐令をかけられたサーヴァント……クラスは『救世主』を意味するセイヴァーが、
あまりに少年―――ディオ・ブランドーと酷似していた。
案外、お前の運命は英霊の座に至れる偉大を勝ち取れるのだ。
なんてランサー……レミリア・スカーレットは嘲笑していたものの。

尚更のこと。少年ディオには理解が追いつかない。
一体どう頭のベクトルの螺子が絡まったら『救世主』なんて者になるんだ。
天国はあるかもと思ったが、救済とか宗教に今後ドップリ嵌るのか?など想像すれば吐き気がした。

レミリアは提案した。少しだけ外に出ない?と。
吸血鬼の彼女も霊体化すれば日光すら問題ないのだが、ディオはそんな必要があるかと無駄扱いする。
……だが。
実際は屋敷に居ても進展はなく、向かわざる負えなかった。

結果としては、実に奇妙だった。
まるで心酔したかのような狂った女もいれば(彼女は気色悪かったのでディオは蹴り飛ばした)
ガラの悪い、貧民街に屯ってそうな不良が恐れなしてディオから逃げ出し。
足を運んだ事もない高級店の店長が媚売るかのように、頭をヘコヘコ下げながら話しかけてきた。

改めてレミリアが問う。

『気分はどう?』

「まあまあだな」

しかし満更でもない笑みをディオは浮かべていた。

『これで分かった筈。あなたの本質は変わっていない「結果」は覆らない。
 ……私が興味を覚えたのは「過程」の方かしら』

「過程? どうだっていいだろう、そんなもの」

『アラ。重要よ「過程」は。少なくともあなたが想像しているよりはね』

確かウワサに聞く時間泥棒も『結果』だけを欲しがっていたか。レミリアはふと思う。
例え結末を知っていたとして……物語のヒロインは死ぬと結果が分かっても、
死に至るまでの過程をすっ飛ばして満足、なんて。果たして、それは物語を楽しんだとは言い難い。

『―――どちらにせよ。いづれ至る運命と対峙するハメになるとは最悪じゃあない?』

「……運命?」

顔をしかめディオは姿無きレミリアを睨む。

「ぼくの運命は『救世主』に定められていると? 懐中時計の針が二度と動かないからか」

『ふ、まぁ当然ね。ちょっとしたズルをしたから』

霊体化しながらも念話するレミリアの不敵な様子が、目に浮かぶ。

『未来を知る……ズルみたいなもの。そこから運命を変えるなんて、奇跡でも起きない限りありえない』

「聖杯を手にすれば運命の一つや二つ、どうとでもなる」

『変える、ね。己の運命に不満があるなら、それも一理でしょうね』

そう。
結局のところ『セイヴァー』の正体は分からなかった。
ディオ自身も、アレが本当に自分自身ならば、何故あのような結果に至ったのか。
過程は重要ではない。ディオもそれが真理だと我強く信じ切っているが、故に彼は恐らく『セイヴァー』を
理解することが叶わないのだろう。
あるいは……レミリアが定めるように、これから先の運命で知る事になるのか………


天国より野蛮(後編)

最終更新:2018年07月08日 23:29