殺し殺され

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殺し殺され


風を孕んだカーテンが、ぶわりぶわりと波打った。その風は心地よくもあったが、割烹着姿のナースが窓を閉めてしまった。消得(きえる)の身体に障ると良くないという労りなのだろうが、妹の気配りが身に染みるようなのだが、あまりに過保護すぎるのも考えものだった。
「…………なあ、癒得(いえる)」
「ありません」
「まだ何も言うてへんやんか」
「どうせ『本当に二ヶ月なんか』とか『もっと早うに治せへんか』とか言うんでしょ」
「……なあ、ほんま辛気臭くてかなわへんねん、何とかしてぇな」
「どうにもなりません。命あるだけ奇跡なんですから。二ヶ月、しっかり治してください」
ㅤ全身複雑骨折。確かにこれだけで済んだのは奇跡中の奇跡だった。のゑるの防壁をいとも簡単にクラッキングし、単身乗り込んできた紫電の悪魔に襲われておきながら、消得は確かに生きていた。数人の犠牲者はあったが、彼らの犠牲の先に、消得は生きている。死んでいない。それはそれだけで十分なのかもしれない。
「ならせめて、窓は開けといてぇな」
ㅤ癒得は少し考えるように少し手を止めて、窓を半分だけ開けた。さっきよりも優しい風が消得の頬を撫でる。
ㅤそれにしても、だ。
「一体全体、なんだったんでしょ」
ㅤ癒得の嘆息。唐突な襲撃が彼女には不思議でならないようだった。消得はそれに、答えることはしない。そんなことは、紫電を浴びせてきた紫音の表情を見た消得にとっては、火を見るより明らかだったからだ。そんなことより、消得の目下の心配事は別にあった。
「親父」
ㅤ部屋の外から、消得を呼ぶ声が聞こえる。
「入り」
ㅤふすまを開けて入ってきたのは消得より一回り若い、スーツに身を包んだ青年、萎得(なえる)だった。その眉間には深いしわが刻まれている。
「どうしたん、怖い顔して」
「吼得の奴らが……」
ㅤ嫌な予感がした。そしてそれは当たっていた。

ㅤ癒得に車椅子を押されて廊下を進んでいく。ひとつの部屋に大勢が集まっているのが見えた。数人が消得を振り返り、道を譲った。開けて見えたのは、顔に白い布をかけられた巨漢だった。覗く黄金のたてがみ。護人衆が一人、泣成吼得。その胸に、のゑるがすがりついていた。
「癒得」
ㅤ消得がそう呼びかけるのと同時に、癒得は息を呑んで吼得に駆け寄った。傍に座ってその腕をとり、タップのソフトウェアをいくつか起動する。癒得手製の医療アプリだ。それは非常に正確で、吼得の状態をありありと映し出す。癒得は何度も何度もそれに目を通し、消得に振り返って首を横に振った。
「さよか」
ㅤ消得は短く、それだけ言った。
「またあいつらです」
ㅤ萎得が言った。それはただの報告でもあったし、明確な怒りが刻まれた言葉だった。その場の全員の脳裏に、目的不明、出自不明、河渡連合に敵対的な五人組がありありと浮かんだ。特に、河渡のレッガーを手当たり次第に手にかける“黄色い龍”。消得の働きによって、彼の正体は明かされていた。三合会のレッガー、鳳龍。
「もう我慢ならねェっ!!!!!」
ㅤ叫んだのは絶得(たえる)だった。護人衆の中でも、家族を守ることに対する熱意において彼の右に出るものはいないだろう。絶得は泣成家の結束力の要であることは消得も認めている。
ㅤだからこそ、こういう時に裏目に出るのだ。
「絶得、落ち着きぃ」
「落ち着いてなんかいられねェよ兄貴っ!ㅤ吼得だけじゃねェっ、吼得の舎弟も軒並み、全員だっ!」
ㅤふつふつと、湧き上がる気を消得は感じ取った。絶得の言葉に呼応するように、その場にいる全員が、泣きじゃくるのゑるでさえも、みなが共通して心に飼っている“鬼”が奮い立つのを抑えられていない。怒り、憎しみ、殺意。
「全員覚えている、名前も言えるぞ、家族だからなっ!ㅤ家族が殺されて、黙ってる俺たちじゃねェだろが兄貴よぉっ!!」
「分かったから、落ち着きぃ言うてんねん」
「消得兄さん!」
ㅤ次に立ち上がったのは煮得(にえる)だった。
「兄さんらしくないよ。どうしようもない社会不適合者の僕達に居場所を作ってくれたのは、家族と呼んでくれたのは他でもない兄さんだろ!ㅤ僕達から居場所を奪おうとするやつは、たとえ河渡の身内だって、N◎VA軍が相手だって容赦しなかった!ㅤだから僕達は兄さんに着いてきたんだ!」
「煮得」
「この前の襲撃事件の時も、復讐しにいこうとしていた吼得兄さんと、還得(かえる)姉さんを止めてたよね?ㅤあの時に泣成家総力あげて挑んでいれば、こんなに沢山死ぬことは無かったんだ!」
ㅤ還得はともかく、吼得は止めても無駄だろうと、消得自身も分かっていた。煮得の言うことは正しい。中途半端な人数では返り討ちに会うのがオチだ。そのことももちろん消得は考えていた。その上で、吼得を止めたのだ。
「そやよってに、落ち着きぃ言うとるやろ」
「五人全員、面は割れてるんだ。住んでるところも、アイツらの家族の情報もある!ㅤ報復の仕方なんていくらでもある!ㅤうちはその気になれば一晩でN◎VAを壊滅させることだってできるんだ!ㅤ最後の手段なら、有得(ありえる)姉さんだってーー」

「煮得っっっっっ!!!!!」

ㅤ怒気が、爆ぜた。一喝、たったの一言で、その部屋に充ちていた復讐心は霧散する。直撃を受けた煮得はそのまま後ろに倒れそうになったところを絶得に受け止められた。思考が飛んでいるようで、ぽかんと消得を見つめている。
「なんべんも言わせんな、落ち着きぃ言うてんねん。お前らがどれだけいきり立とうが、家の方針は絶対変えへん。黄色い龍と、その周辺には一切手を出したらあかん。ええな」
「親父、そんなの……、あんまりだ……っ!」
ㅤこういう空気でも口を開けるのだから、萎得は強い男だ。消得は彼の、そういう所を買っていた。
「癒得、葬儀の準備しい。明日の早朝にする」
「……はい」
「のゑる、そろそろ泣き止み。癒得の邪魔になんで」
ㅤしかし、のゑるは身動ぎひとつしなかった。生粋のお兄ちゃんっ子ののゑるは吼得とも親密だった。彼女の葛藤を想像できないほど消得も無能ではなかったが、その上で仕方ないと割り切ってしまえるほどには無能だった。
「べゑる、連れてき」
ㅤ黒装束の女がひょいとのゑるを持ち上げる。
「いやっ……、いやぁっ……!」
ㅤのゑるは必死に吼得に手を伸ばす。 しかしべゑるの手から逃れることは出来ない。のゑるの叫びが廊下に、暫くこだました。
「親父……!」
「最初に教えたやろ。お前ら一人一人が、うちの家族になる時に」
ㅤ萎得の訴えに、消得はあくまで冷たい。
「殺すんやから、殺されもするさかい。文句言うたらあかん。報復するのは勝手やけど、相手を間違うたらあかん。これ以上被害を出したくないんやったら、あいつらに手ぇ出したらあかん」
「被害?ㅤそんなもの!ㅤ俺たちは吼得や、他の奴らの、恨みや、怒りや、哀しみを晴らしてやるべきだと言ってるんだ!」
「死んだらしまいや」
「やってやりますよ、この命に変えてでも!」
ㅤそれは、みんなの覚悟だった。他ならぬ、消得自身の決意の代弁でもあった。死んでも家族を守る、その相互宣誓のうちに殺人鬼達は居場所を見出しているのだった。
ㅤ果たして消得は、何も答えなかった。「散り」という鶴の一声に、一人、また一人と部屋から立ち去っていく。絶得、煮得、萎得の三人は連れ違ざまに、それぞれに消得を睨んでいった。消得は誰とも目を合わさなかった。


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