七十人訳(セプトゥアギンタ)聖書の成立過程


七十人訳(セプトゥアギンタ)とは、旧約聖書諸文書(外典も含む)をギリシャ語に翻訳したものである。


◆前3世紀中頃~前1世紀

旧約偽典『アリステアスの手紙』(前2世紀)には、七十人訳(セプトゥアギンタ)の成立過程の伝承が書かれている。これによれば、アレクサンドリア(エジプト)のファラオ・プトレマイオス2世フィラデルフォスの命令で、図書館の為に、72人の翻訳者が72日間でモーセ五書(律法)をギリシャ語に翻訳した。この72人の翻訳者はイスラエルの十二氏族の各氏族から各6名ずつ、エルサレムから派遣された長老たちとされる。

→この伝承により、通称「七十人訳(セプトゥアギンタ)聖書」という名称が流布した。

※しかし、実際には、数十年を経て徐々に様々な翻訳者が様々に翻訳していったものであり、七十人訳聖書の決定版が存在した訳ではないのは明らかである。大部分は前2世紀、一部分は前1世紀ごろの完成と考えられる。

◆前1世紀

前1世紀までには、旧約聖書の全文書のギリシャ語翻訳が存在したことは確かである。

◆前2世紀~前1世紀

ユダヤ教徒が作成した七十人訳の写本断片。ごく僅かなものしか残っていない。

◆1世紀

初期クリスチャンは七十人訳聖書から積極的に引用した。

◆90年代 ヤムニア会議

ユダヤ教(ファリサイ派)のラビたちは、エルサレム西部の町ヤブネ(ヤムニア)にユダヤ教の研究学校を設け、長い期間をかけて議論して、旧約聖書の正典を定義した。これを「マソラ本文」と呼ぶ。これはギリシャ語の翻訳に過ぎない七十人訳聖書とヘブライ語原本との差別化を図る目的もあった。しかし、「伝道の書」と「雅歌」の正典性には疑問符も付されていた。

この時、七十人訳聖書から排除された文書を現在では「外典」と呼ぶ。七十人訳聖書にも含まれず、マソラ本文にも含まれない旧約諸文書は現在では「偽典」と呼ぶ(死海文書の一部も含む)。

◆ラビ・アキバ(50-135年)

ラビ・アキバ(Rabbi Akiva,50-135年)はユダヤ教の精神的指導者で、132年のバル・コクバの反乱を主導した。彼は「雅歌」の正典性を主張し、これに貢献した。彼の精神的指導によって、ユダヤ教徒はヘブライ語聖書正典を原理主義的に研究するようになっていった。

◆2世紀以降

初期教父たちも七十人訳聖書から積極的に引用した。

◆130年頃 アキラ(アクィラ)のギリシャ語訳

シノペのアキラ(Aquila)は黒海岸出身の異邦人であり、エルサレムでキリスト教徒になるも破門され、ユダヤ教に改宗した。彼は、ラビ・アキバに傾倒し、原理主義的な観点から、より厳密な逐語的なギリシャ語訳を翻訳した。アキラのギリシャ語訳は、クリスチャンが用いているそれまでの七十人訳に代わるものとして、ユダヤ教徒に歓迎された。

アキラはラビ・アキバに傾倒していたということは、アキラのギリシャ語訳旧約聖書には外典は含まれていなかったと思われる。恐らくヤムニア会議で決定されたマソラ本文と同じ目録であったろう。

◆2世紀後半 テオドティオンのギリシャ語訳

テオドティオン(Theodotion)は、アキラのギリシャ語訳があまりに逐語的なので、旧来の七十人訳に寄せる形で改訂を行なった。エウセビオスによると、テオドティオンはエビオン派(律法主義的なキリスト教の異端)であった。

◆3世紀初め シュンマコスのギリシャ語訳

ヒエロニムスによれば、シュンマコス(Symmachus)もエビオン派であった。ギリシャ語訳旧約聖書が次々に登場する為、この頃からユダヤ教徒はギリシャ語訳を完全に放棄するようになり、ヘブライ語本文に固執するようになる。以降、七十人訳や他のギリシャ語訳旧約聖書はキリスト教徒が用いるのみとなった。

◆235年頃 オリゲネスによる改訂

オリゲネス(Origenes,185頃-254頃)は様々な七十人訳の写本が氾濫している為、それらを整理し、七十人訳の底本を作成した。彼は「ヘキサプラ(六欄対照聖書)」を作成した。
第一欄:ヘブライ語本文(現存しないが現存するマソラ本文以前のものである)
第二欄:ヘブライ語のギリシャ語音写
第三欄:アキラのギリシャ語訳
第四欄:テオドティオンのギリシャ語訳
第五欄:七十人訳(旧来の七十人訳写本をオリゲネスが校訂したもの)
第六欄:シュンマコスのギリシャ語訳

後にオリゲネスはテトラプラ(四欄聖書)を発行した。これはヘキサプラの第一欄と第二欄を取り除いたものである。オリゲネスは第五欄の七十人訳を単独で発行した。通称Quinta(第五)と呼ばれる。これ以降の七十人訳は、基本的にオリゲネスが校訂した七十人訳(Quinta)となる。しかし、ヘキサプラは失われて現存しない。

◆300年頃 ヘシュキオスによる改訂

アレクサンドリアのヘシュキオス(Hesychius)がエジプトで作成した。

◆ルキアノスによる改訂

ルキアノス(Lucian of Antioch,240頃-312)はアンティオキア学派の聖書学者。オリゲネスの比喩的解釈に反対し、字義通りの解釈を主張した。弟子に、後にキリストの従属的な起源説を説いてカトリックから異端とされたアリウスがいる。その後、ディオクレティアヌス帝の迫害により殉教した。

彼はシリアで、オリゲネスの七十人訳(Quinta)を底本にして、七十人訳を校訂した。

◆ヒエロニムスの言及する「三つの版」

ヘブライ語旧約聖書をラテン語に翻訳したヒエロニムスが、歴代誌の序文で述べている記述によれば、その当時には三つの七十人訳(「三つの版」)が拮抗していたという。すなわち、

  • パレスチナでは、オリゲネスの校訂した七十人訳(Quinta)
  • エジプトでは、ヘシュキオスが校訂した七十人訳
  • シリアでは、ルキアノスが校訂した七十人訳

すなわち現存する七十人訳の写本は、小さな断片を除けば、ルキアノス以後の写本である。我々はそれ以前のユダヤ人による七十人訳の写本を(旧来の七十人訳、アキラ訳、テオドティオン訳、シュンマコス訳、オリゲネスの校訂版、ヘシュキオスの校訂版、ルキアノスの校訂版のいずれも完全な形で)持っていないので、元の本文や目録を正確に復元することはできない。

◆ユダヤ人による七十人訳の写本断片(前2~前1世紀)

  • Papyrus Fouad 266(ファド・パピルス266番) 申命記31章終わりから32章にかけて。ヘブライ語の神の名(テトラグラマン)が復元されている。
  • Papyrus Rylands 458 and 460(ライランズ・パピルス458と460番) 申命記23-28章のところどころの断片。 
  • クムラン第四洞窟から発見されたギリシャ語パピルスの一部 レビ記2-5章、26章3-16節、民数記3章30-4章14節のそれぞれの断片。
  • ヘベルの谷の洞窟で発見された写本断片 十二預言書の断片。

◆4世紀以前の七十人訳(ルキアノス以前)の写本断片

  • Anthinoopolis-Papyrus No.7-10 2-3世紀。詩編、箴言、エゼキエル書などの断片。
  • オックスフォード大学のボドレー図書館蔵のパピルス 2世紀。詩編の断片。
  • Freer Gallery蔵のパピルス 3世紀。創世記と十二預言書の断片。
(P72)ボドメル・パピルスⅦ-Ⅷ 3-4世紀。詩編33、34編、ソロモンの頌歌第11番など。
  • チェスタービューティーパピルスⅠ-Ⅷ 3世紀。創世記、民数記、申命記、イザヤ、エレミヤ、エゼキエル、エステル、ダニエル、集会の書(シラ書)、エノク書のそれぞれの断片。

◆4世紀以後の七十人訳(ルキアノス版以降)を含む主要な写本

○小文字写本
  • (B)バチカン写本…4世紀。七十人訳全体(マカベア記第一-第四とマナセの祈りを除く)
  • (ℵ)シナイ写本…4世紀(350年頃)。七十人訳の半分ほど(創世記、レビ記、民数記、歴代誌上、エズラ・ネヘミヤ記の一部。詩編、ソロモンの知恵、エステル記、トビト記、ユディト記、ヨエル書、マラキ書、イザヤ書、エレミヤ書、哀歌、第一~第四マカベア記)
  • (A)アレクサンドリア写本…5世紀(400-440年)。七十人訳全体
  • (C)エフライム写本…5世紀。七十人訳は一部のみ。

○大文字写本
  • (R)ラテン語対訳。6世紀。
  • (T)7世紀。
  • (U)7世紀。
  • (Z)6世紀ほか。部分のみの写本。

◆1935年~現在まで ラルフス=ハンハールトによる七十人訳校訂本文

新約聖書底本のネストレ・アーラント(NA)に匹敵する七十人訳の校訂本を作る目的でドイツ聖書協会が発行したもの。ラルフス(Alfred Rahlfs)が手掛けた。現在発行されているのは、ハンハールト(Robert Hanhart)が再校訂し、当初の大型二巻本を縮小して一巻本にしたもの(2006年)。現在一般的に流通しているのはこのラルフス=ハンハールト版の校訂本文であるが、これが七十人訳の本来の姿であったと見なすことは到底できるものではないことは常に念頭に置くべき。

◆1931年~現在まで ゲッティンゲン版の七十人訳底本

ラルフス版よりもより学術的な校訂本文。現16巻。現在も継続中。


※尚、ルキアノス版以後の七十人訳聖書の目録は旧約聖書の正典・外典・偽典とその配列を参照。

現存するマソラ本文全体がレニングラード写本(1008年)までしか遡れない(死海写本にある部分は除く)のに対し、七十人訳聖書は翻訳文であり自由訳な部分も多く、後代のユダヤ・キリスト教徒が校訂したり再翻訳したものしか現存していないという欠点はあるものの、西暦4世紀頃のギリシャ語旧約聖書全体の写本(バチカン写本、シナイ写本、アレクサンドリア写本など)を持つ故に、マソラ本文に劣らない貴重な資料である。
ただしバチカン写本、シナイ写本、アレクサンドリア写本の目録には外典が含まれているが、初期のクリスチャンが用いていたユダヤ人による七十人訳聖書にそうした外典がどこまで含まれていたかどうかは断定できない。そもそも七十人訳は長い期間をかけて徐々に作成されたもので、翻訳も一様ではなかったと考えられる。パレスチナのユダヤ人が実際に使用した七十人訳聖書がどのようなものであったか、今ではかなりの部分が不明だからである。
最終更新:2017年08月16日 13:11