デザイア共和国
歴史
- 1820年建国
当初の島民1000人によって島を開拓、NOCTOへ所属することが決定。現在原住民40%と移住者により南オルガ大陸から北オルガ大陸へ渡る。
防衛機能はほとんどがNOCTO各国より輸入された兵器や人員に頼りきりである。
防衛機能はほとんどがNOCTO各国より輸入された兵器や人員に頼りきりである。
主な食料源はアンリ海域に存在する魚と島で飼われている豚で、
資源はなく、武器の輸入に対してこの島では角材と火薬、薬莢、布類と
染料を大量に輸出している。
資源はなく、武器の輸入に対してこの島では角材と火薬、薬莢、布類と
染料を大量に輸出している。
最近は本国を101へ移した模様で、急速なプランテーションの設置や墾田等により
国土の43.3%が耕地となっている。主要作物はココナッツ(1万6000トン、1839年)、バナナ(4000トン)、タロイモ(350トン)。ココナッツはコプラの原料となる商品作物である。 一方、主食となる穀物は輸入している。
国土の43.3%が耕地となっている。主要作物はココナッツ(1万6000トン、1839年)、バナナ(4000トン)、タロイモ(350トン)。ココナッツはコプラの原料となる商品作物である。 一方、主食となる穀物は輸入している。
双子島にある首都スフェーンと、4つの行政区の下で、20の居住区がある。首都スフェーンは、カリフ環礁の中にあるスフェーン島とリンギリ島の2島のみで構成される行政地区。
デザイアは長く軍事力を保有していなかったが、1826年にテロリストにデザイア貿易センタービルを中心とした巨大貿易港が占拠された際に、対テロリスト自警団「デザイア・パルチザン」が組織され、1828年には独力で居座っていたテロリストの撃退に成功した。以降、1820年代の数度のテロリストによる再攻撃もすべて撃退し、1830年には近代軍(デザイア共和国軍)に移行したが、小さな軍事力故侵攻されやすかったため、NOCTO各国の連合防衛軍がデザイアに派遣されるようになった。
その後、共和国軍が警察機能を兼任していたために、一国における単一組織の権限が大き過ぎることが懸念されるようになり、また1831年に同国の実業家が傭兵を使ってクーデター未遂事件を起こしたこともあって、同年より警察機能を分離してデザイア国防軍として再編成された。なお、全方位外交を旨としていることから、安全保障条約なども締結していないが、諸外国軍との共同訓練等の軍事交流はある。
概要
| 人口 | 2453348人 |
| 略号 | DZA/DZ |
| 位置 | 100番/101番 |
| 所属 | NOCTO |
| 地形 | 孤島x2、大陸沿岸 |
軍事力(国内の軍事力のみ)
- 兵力 20000人
- 予備 (4000人)
主な活動拠点
- スフェーン島沖
- リンギリ島沖
- 艦船
- 駆逐艦1隻
- 巡洋艦3隻
- 警備船30隻 (覆面警備船25)
- 航空
- ノールパット製レイヴン 5機 (駐留場所10)
- ノールパット製シーレイヴン 3機 (駐留場所10)
- 戦闘機 3機 (駐留場所10)
- 爆撃機 1機 (駐留場所03)
- 対空武装
- 対空ロケット5発