湿った空気に淀んだ工場の内、血溜まりは何も映さない。
 それでもその中、海風がシャッターを揺らし奏でる音を聞きながら、腕を組んだ逸見エリカは何とか息を吐き出した。

「それじゃあ、サンダースの?」
「……ケイさんが、言ってたんです」
「……」

 仲間を殺した下手人について言及されながらも、それは理解を超えた話であった。
 特殊殲滅戦――――余りにも現実離れしていた、戦車道の光の中で熟成された闇。
 しかし、腑に落ちるものではある。
 女学生を集めて殺し合いなどとは、たかが一個人の手にあまり過ぎた。
 ネットで見かけるたちの悪い創作物のような現実に眉間を押さえつつ、深い吐息。脳が酸素を欲していた。

「エリカさんは、何か知りませんか?」
「私?」

 そこで投げ掛けられたみほの言葉に、エリカは思わず首を捻った。
 頭が回らないのは確かであるが、それにしても何か情報はなかったか。ネットに与太話は転がっていなかったか――。
 僅かに顎に手を当てて「……ていうか、考えてもみなさいよ。西住流の師範の娘が知らないことを、私が知ってるわけないじゃない」

「う……」エリカの向けた白い目に、みほは詰まった言葉しか出せなかった。「そう、ですよね」
 そこはエリカの言う通りであった。みほは自戒した。
 当事者に程近い場所にいながら、みほは、知ろうとはしなかった。
 或いは知りようがなかった?
 ――……それ以前の問題であった。彼女は、自ら西住流から離れてしまったのだから。

「……私は、何も知らなかったんだ」

 噛み締めるように漏らしたみほの呻きに、生まれようとする重苦しい沈黙に、しかし割り込んだのは他ならぬ逸見エリカ

「別にいいでしょ」
「え?」
「きっと……師範は、あなたを近付けたくなかったのよ。こんなところに」

 何故、彼女をこうしてフォローしようとしているのか。こんなのは自分のキャラクターではない。
 エリカはそう思い――内心首を振る。今さら、余計な意地を張る意味もないのだ。
 ある意味、誰よりも――家族や仲間や尊敬する隊長よりも、恥ずかしいところをみほに見られていた。いつか恋人ができても、こうはならないだろう。


「……今思えば、仲間を助けに行ったことをあそこまで怒ったのも……そうかもしれないわね」

 当然だが――。
 あのときのみほの行動は人としては褒められることだろうが、同時に人としてやはり叱られるものだった。
 生身で、服を着たままあんな河に飛び込む。
 普通はそれで濁流を遡って戦車のハッチを開ける筈がないし、実際居合わせたエリカもぎょっとして、二次災害でみほが浮かんで来たらどうしようかと気が気でなかったのだ。

 しかしそれはそうと、腑に落ちないものを感じたのは確かである。
 当然、無茶をしたみほを咎めたくなった。
 だが、みほのせいで優勝を逃した――――とOG連中のように声高に叫ぶ気にはならなかった。
 乗員だって下手に車外に連れ出すより、あのままで生存できたのではと僅かに思わなくもない。
 それに、お前らがむざむざ助けられたが為に優勝を逃したのだという視線を向けられる彼女らを思えば、みほの行為は、勝手だった。

 無論の憤りはさながら――それ以上に、言われても言い返さないみほが腹立たしかったし、
彼女が叱責を甘んじて受け入れるという――そんな人間と知りながら、
そして彼女がやらないでくれと言う通りに、碌にフォローも行えなかった自分自身にも苛立ったのは言うまでもない。
 そうだ。
 だがしかし、母親なら、味方になってやってもいいのではないかとも思ってはいた。

 その答えが、ひょっとするなら――。

「……お母さん」

 呟くみほの声。
 真意を問い直そうとしても、今となってはどうしようもない。
 そんな風に俯く彼女へと、

「会って、聞いてみればいいじゃない」

 気付いたら、そんな言葉をぶつけていた。

「そのときは、私も一緒に行ってあげるから」
「エリカさんが?」
「私も――巻き込まれてるし。こんなことがあるって知ってたなら、もっと準備ができた筈だし」

 知っていたらボクササイズなんてただの運動じゃなくて、本気で格闘技を始めて居ただろう。

「だから、その……」

 今さら恥ずかしがるなと、自分に言い聞かせる。
 一年ぶりではどうにも慣れないが――――馴れろ。というか余計に考えるな。頬が熱くなるだけだ。
 口をキッと結んで、

「――会うわよ。ここを出て」

 そう言った。
 自己評価90点。変に意識しないで言えた。


 ◇ ◆ ◇


 それからいくつか言葉を交わしたのち、どうにも距離感を誤ってしまっていると感じたエリカはとりあえず言ってみることに決めた。

「チーム名は、ボコられグマのボコとかでいいわけ?」

 何の対抗意識か得意気に、若干嘲るように口許を歪ませた逸見エリカは――直後に目を見開いて腰を引いた。
 というのも、異様な――先程までと同じぐらい異様なほどに目を輝かせて、身を乗り出したみほ。

「な、な、何よ……」

 ちょっとした軽口のつもりだった。
 共同しても、敵対しても、和解しても――多分それが逸見エリカ西住みほの付き合い方だから。
 落ち着いたところで――或いは逆に落ち着かないからか、そんな言葉が飛び出したのだろう。
 それにしても……先程もそうだが、まさかここまで食いつくなんて……。
 ちょっとうすら寒いものを感じずにはいられない。

「どれだけ好きなのよ……あの変なぬいぐるみが……」
「ううん……あ、えっと、ボコは好きだけど……そうじゃなくて……」
「はあ?」
「えっと……」

 どんどんと語尾が濁っていく。
 歯切れが悪そうに俯いて手のひらを合わせるみほに、思わずエリカは不機嫌そうな声をあげた。

「じゃあ、なんなの?」
「えーっとエリカさんなら、チーム黒森峰とか……それとも何かドイツ語の名前にするのかなって……」
「あなた、もう黒森峰じゃないじゃない」

 忌々しげに眉を寄せたエリカ。
 みほは、詰まったように本当に申し訳なさそうな声を漏らした。

「あとは……その……」
「……何よ」
「えっと……さっきもそうだったけど……」
「だから何よ」
「その……エリカさんが、ボコの名前……覚えててくれたんだなって」
「――」
「それが少し……嬉しくて……。これ、変かなって…………エリカさん?」
「………………。………………ばっかじゃないの」

 ぷいと顔を背けて、エリカはスマートフォンの画面を覗き込んだ。
 チームの編成――『ボコさんチーム』の文字が掲げられたそこに微妙に文字を追加要求。
 着信を告げるグループチャットには、

 『よろしくね、エリカさん!』

 特殊殲滅戦の部隊であるというのに――だからこそか――昔みたいに踊る文字。
 チラリとみほを振り返って。

「……ばっかじゃないの」

 逸見エリカは、自分に言い聞かせるように呟いた。

 昔のようになっても――――もう、昔のようにはなれないのだから。落としたピースは、欠けてしまっている。
 視線の先では、赤星小梅が手足を投げ出して眠っていた。
 眺めて――心が鉛になったように改めて何も感じない自分の冷淡さを、エリカはどこか恥じる気持ちだった。

 先程も、そうだ。
 今も、そうだ。
 そして――――多分、本当に自分は、冷淡で不謹慎なのだろう。
 死体の傍で、見知った戦友の亡骸の隣で、こんな――

「エリカさん?」

 伺うようなみほの視線に、なんでもないと首を振る。
 そうだとも。
 思えば逸見エリカはきっと、どうしようもなく自分勝手で冷淡で高慢な人間なのだ。
 だから、人を殺そうとした。
 結果は失敗した。

 みほのことを殺そうとしたのは――みほ自身がそう促していたのもあるし、優しい彼女のことだ。それは、許すだろう。
 むしろ、謝るだろう。
 だけども、一人――――あの森で出会った一人――――。

 追求されたなら、いくらでも自分は――逸見エリカは言い逃れをするだろう。声高に叫ぶだろう。
 “こんな殲滅戦に巻き込まれたのだ”“混乱していた”“結果的に殺してはいない”――――どんな正当性だって言い切れる。きっと、無理押しができる。
 だが――

「エリカさん、どうかしましたか?」
「……ばっかじゃないの」
「ええっ!?」
「何でもないわよ。……早くするわよ」

 混乱と高揚から立ち直ってみれば。
 どんな批判の言葉よりも、どんな叱責の文句よりも――――ただ。
 ただ、この目が。
 この優しい目が――。

「……ばっかじゃないの」

 視線を合わせられず、歯切れ悪く背を向けることしかできなかった。
 痛い。
 殴った拳が、痛い。
 ずきずきと、酷く痛む。
 空っぽになったと思ったのに、滑車のように、またカラカラと廻り始める。
 尊大な羞恥心が、鼠のように、滑車を。



 赤星小梅の死体を前に、みほと二人手を合わせる。
 身体には、エリカのパンツァージャケットを被せていた。
 どうせすぐに運ぶにしても、そうしなければならない気がしたから。
 手を合わせて、これが最後の別れになると知っていながら――――心の中でなにがしかの思い出を振り返ろうとしたが、どうにも言葉が回らない。
 死を理解はしていても、どこか納得しきれていないようであった。

(……まぁ、よくやったわ)

 だからお茶を濁すようにとりあえず最後にそう付け加えた。
 褒め慣れてはいなかった。褒められ慣れていないのだから仕方ない。
 数十秒か、数分か。
 どれだけそうしていたのかは判らないが、瞳を閉じていたみほが瞼を持ち上げるのに合わせてエリカも手を離した。
 何を話していたのか、互いに聞く気にはなれなかった。

「それで、どうするの?」
「ケイさんを、止めたいです。それにできれば……」

 みほが小梅の死体に目配せする。
 エリカも、同じ気持ちだった。
 寝かせた小梅の胴体に、パンツァージャケットを結びつけた。不格好なエプロンのようだ。
 エリカの上着だったが、親元離れて勇敢な死んだ彼女に、せめて多少は見映えを良くしてやりたいと思うのは同じ女の情けだろう。

「……」

 安らかな顔の死体。飛び散った内臓とは真逆に整っている。
 みほは目を潤ませながら、それでも顔を逸らさないでエリカを手伝っている。
 やはりまた、妙な沈黙だ。
 エリカばかりがみほの横顔を眺めている。
 それでいい。目を向けられるのは、あまりされたくない。
 そう思えば視線を感じたのか、上目遣いにみほがエリカを――咄嗟に考え事をしているように顔を背けて、

「どうせなら、首輪を……」

 言いかけて、エリカは口をつぐんだ。
 理性では判っている。理論でも知っている。理屈でも考えているが――――それと、感情とは、まるで別だ。
 戦車に潜る少女たちは、心そのものまで鋼鉄にはなれない。
 きっと西住流の教えはこんなときでも生き残る術をもたらしてくれるものだろうが――。

「エリカさん?」
「……なんでもないわ。それより、早くするわよ。無駄な時間があると思ってるの?」

 誤魔化すように、エリカは語気を強めた。
 みほが申し訳なさそうに眉を寄せるのを見て、内心溜め息を吐く――他ならぬ自分自身へ。

 これじゃあ、半端者だ。
 だけど…………見知った人間の、穏やかに目を閉じたその顔を見ていながら。
 冷酷に徹することなんて、できる筈がなかった。
 また、何をやっているのだろう。次から次へと。この自分は。逸見エリカは。
 今だって、怯えている。
 居丈高に振る舞いながら、もう銃を構えたくないと思っている。

 それよりも、また――……。

「起こして」
「小梅さんを……?」
「そう。担ぐから」

 背後から手を回され起こされた赤星小梅の股に片腕を通し、その腕を握って肩を通すように担ぐ。
 予想以上に、重い。
 幾度となく練習をしたが、死体というのは、こんなにも重いのか。

「エリカさん、すごい……!」

 ファイヤーマンズキャリー。消防士がそうするような、負傷者の移動方法。
 思い付けば簡単であるが、やりなれなければバランスを崩して倒れてしまうような方法。

「どこでこんなの……」

 エリカの努力を湛えるようなみほの目に、若干震える自尊心に合わせて、

「それは――……」

 何故覚えたのか、こんな咄嗟なときにもできるようにしたのかと答えようとし――。

「エリカさん?」

 僅かに沈黙。

「……いざというときの為よ」
「そうなんだ」
「そうよ……いざというとき、人が運べなきゃ困るでしょ? そんなのも判らないわけ?」

 エリカの嫌味に、みほがまた小さく顔を曇らせた。

 それを見て、胸が痛む反面――奇妙な快感を覚えていた。
 これ以上指を曲げれば折れてしまうことが判る――。
 そんな分水嶺に至りながら、それを試そうとする自殺的な/虚無的な胸を這い上がる昏い快感。
 限度を、図っている。
 子が、親の情を試すように。恋人が、その愛を図るように。妻が、夫の心を覗くように。

 ああ――本当に。
 救えない。
 次から次へと、浮かんでくる。
 一度は消えた筈なのに確かに全て出しきった筈なのに――――ああ、本当に、なんて救いがたいのだろうか。
 尊大な羞恥心と臆病な自尊心の虎が、内から内から囁いてくる。

「64式、取って貰える?」
「は、はい! えっと……これかな?」

 じくじくと、爪痕のように、刺青のように心が痛む。
 この目が。
 この目が辛いのだ。
 絶対に有り得ないと想いながらも――――一度打ち解けてしまったからこそ、どんな弱味も受け入れてくれると知ってしまったからこそ。

 もしも。
 もしも、もしも西住みほが自分を受け入れてくれないとしたら――。
 彼女の中の、仲間という決定的な虎の尾を踏んでしまうことになるというなら――。
 その怒りの顔を、拒絶に燃える二つの瞳を、対称形を採る恐怖を向けられてしまうとしたら――。

(……言える訳、ないじゃない)

 それが、怖いのだ。
 このまま勢いに乗せて、いつものように皮肉げに言えたならどんなにいいか。

 そこで――悲劇が起こった。



 ガシャンと鳴った音。カラカラと廻る音。
 人を担いだエリカに変わって、みほが握った64式小銃のグリップ。

「……はあ!?」
「あ……ど、どうしよう……」
「どうしようじゃないでしょ!? 何やってるのよ!?」

 流石の逸見エリカも冷や汗を隠せなかった。
 確かに欠落しやすい銃だとは、散々ネットで囁かれていた。
 しかしそんなのはただの騒ぎたがりが、悪ふざけをしているだけだと思っていた。

 だが本当に。
 まさか本当に、銃が分解するとは。
 握把――銃の木製グリップが、すっぽぬけた。そこから上が丸々落下して悲しげにコンクリートの上で空転する。
 軽い金属音。グリップを止めるネジが抜け落ちたらしい。
 元々壊れやすいものが支給されたのか、数々の行動が理由で緩んでしまったのか。

「え、えっと……」
「相変わらずどんくさいのね! 探すわよ!」

 細かいネジなど、見失ってしまったら見付けられる筈もない。
 赤星小梅の死体を壁に立て掛けて、二人は床に這いつくばった。


 海風に戦慄くシャッターが、無言の空間に充満する。
 扉からの乏しい陽光を頼りにした室内は、モルタル床の影を吸って全体的に仄暗い。
 血溜まり。汗の痕。涙の痕。転々とコンクリートが、影より濃く彩られる。
 無言で、膝を突いて探す。
 壁に背を預けた赤星小梅は、しかし明らかに眠っているとは思えない角度で首を傾けて頭部を遊ばせる。

 床を這う音が、続く。
 血や汗を吸った手のひらは、地面の汚れに煤けていた。
 静寂。
 怪物の唸りの如く、風が嘶く。急かすように建物が軋む。
 ポタポタと髪を伝わって垂れた汗の染みをネジと勘違いして、思わず手のひらで押さえ付けていた。

 ふうと、エリカは手の甲で汗を拭う。
 責任感を感じているのか、みほは一度として顔を上げようとはせずに、地面を見詰めて手を動かしている。
 小さな背中。
 別れてから彼女は、変わったのだろうか。
 いつも追っていた。夢の中でさえも追いかけて、遠ざかってしまう彼女を前に魘されて目覚めたことは一度ではない。
 その背中が、四つん這いになりながら、探そうとしている。

「殺そうとしたわ」

 気が付けば、言っていた。

「え?」

 聞き返された瞳から顔を背けて、エリカは再び地面に向き直る。
 見付からない。
 落ちてしまったネジが、見付からない。

「あなたのところの、装填手を」
「優花里さん……」

 いつまでも這いつくばる姿勢に、肩と膝が苦痛を叫んでいる。
 それでも、地面と向き直る。部屋は、やけに暗い。

「殺し損ねたけど、引き金を引いたのよ。押し当てて、しっかり――自分の意思で」
「……」

 もう少し吹いていればいいのに、風が止んだ。
 エリカの動く音だけが、掠れた焦燥の音だけが、工場を満たす。
 喉が鳴った。
 西住みほは、動かない。


「だから――」

 だから、なんだというのだ。
 浅ましく、許しを請おうというのか――この優しい少女に。

 きっと、許される。それは判っている。
 許されない方がいいなどと宣うほど、自己憐憫や自己陶酔を持てるほどに空想がちな人間では、エリカはない。
 だから都合がいい。
 都合がいいのだけれど――。

 許しを請うというのは、ここまで身勝手で計算高くおぞましい行為なのだろうか。
 他の誰かだったら。
 他の誰かだったら、エリカは素直に言い訳を言っていただろう。心の底から、その必要があったと思えただろう。

 だが――。
 この西住みほにだけは――。
 彼女にだけは――――――――。

 怖い。
 怖い。
 怖いのだ。
 鼻を挟んで対称形に二つ揃ったみほの瞳が、怖いのだ。

「エリカさん」

 逡巡を割って。
 ぽつりとみほが呟いたのに、エリカは思わず身を強張らせた。やけに重く静かな声だ。
 恐る恐るとみほを見る――その目を。
 太陽の光は遮られて、白と黒の濃淡が扉から始まる工場の中。
 溜まった空気。たった今膝をついている石の床めいて妙に冷たく重い。
 薄明かりの中、それでも西住みほの顔は――彼女の顔だけは、はっきりと見えている。

「私も……辛くて、エリカさんを人殺しにしようとしました」

 石牢に、声が響く。
 淡々と。

「悲しくて、辛くて、でも自分で死ぬのは怖くて――エリカさんに殺して貰おうと思いました」

 外の風とも、明かりとも遠い室内。
 気付けば遠くで、工場の非常用発動発電機が唸りを上げる。
 低くて肌がむず痒くなる唸りを。

「私は、エリカさんを人殺しにしようとしました。自分で自分を、殺すこともできませんでした」

 海風が遠く、鳴く。

「だから――」


 風の戦慄きに合わせて、エリカは静かに口を開いていた。

「……お見通しなのよ」

 それは、嘘かもしれない。
 気付くのが遅れていたなら、万が一の未来もあったのだろうから。
 ひょっとしたら或いは、歯車が食い違って、西住みほを殺している結末も有り得たから。
 だけど、

「第一、あなたみたいな人間の罠に嵌まって……私が人を殺すと思うの?
 そうでしょ? あなたにそんなの、上手くいく訳ないのよ。似合わないのよ」

 皮肉げに、口が吊り上がる。
 これが自分だ。

「エリカさん……」

 これが逸見エリカだ。

「エリカさんも、そうです」

 みほが、エリカを見据えて言った。
 部品を探していた指先が、触れる。

「エリカさんは怒りっぽくて、一言多くて、思ったことがすぐ口から出る人で――――でも誰よりも努力家で、必死で、他人にも自分にも厳しくて真面目な人だから」

 それが、西住みほにとっての逸見エリカだ。
 そうだ、これが西住みほだ。

「そう」
「そうです」
「そうなの」
「そうです」
「そっか」
「はい」

 だから、これが――――逸見エリカと、西住みほだ。

 ネジは、見付かった。



 ◇ ◆ ◇




「それで、これからどうするの?」
「小梅さんをどこかに埋めてから……双眼鏡で様子を窺いながら市街地を目指したいと思います」
「出会ったらどうするの? こっちを殺そうとしていたら?」
「それは――……」

 みほが言葉を曇らせる。
 何も考えていないとは、思わない。
 あれでいて、ゾッとするぐらいに腹案を考えているみほのことだ。
 いくらか思い付きはしているが、それが血潮飛び散る生身での殲滅戦では躊躇われることなのか。
 黙らせるなら手足に二・三発浴びせて拘束すればいいと思う。ひょっとしてそのことも、視野に入れているのかも知れない。

「……だから、なるべく情報を集めましょう。逐次観察をして、敵味方の識別に努めます」
「弱い奴を狙うって訳?」

 言いながら――みほの呟いた、敵味方という言葉を繰り返さないようにした。
 個人としての西住みほとは別に、戦車乗りの――戦術家の西住みほへの切り替えは行えているらしい。

「えっと……」
「判ってるわよ。
 そのままだと犠牲になりそうな人間を集めて、頭数を揃えるんでしょ? 牽制射撃でもできれば生存率は上がるし……」
「はい。冷静に話をするためにも、お互いに簡単に撃てない状況にする必要があります。
 できれば一校で固まらず、色んな学校の生徒に声をかけましょう」
「……撃てない理由を作るのね」
「はい」

 みほが小さく頷く。
 多少は、取り戻して来ているのか。
 自分が――――自分が味わったことは一度しかない、隊長としてのあるがままの西住みほの指揮。
 重圧や申し訳なさを廃した、西住流とは違う西住みほ流。


「で、当面は……」
「無理をしないように……できることからしていきましょう」

 みほの視線の先には、エリカが担いだ小梅の死体。
 これが無力。万能ではない証左。決して夢想と理想は違うのだと教える現実。
 僅かな、しかし沈痛なみほの面持ちにエリカの面映ゆい気持ちも燻っていく。

「それじゃあ……隊長はいないから…………まぁ、あなたが今は隊長ね」
「……はい」
「…………なら、私が副隊長よ」
「いいんですか!?」
「いいも何も、ここには私とあなたしかいないじゃない」

 努めて面白く無さそうに、エリカは言った。

「だから、作戦指示。隊長なんだからしっかりしなさい」

 そんなエリカの目線を受けて――

「それじゃあ、ころころ作戦スタートです!」
「はぁ!? なにそれ!?」

 こちらは心底面白くなかった。

「えっと……ビー玉みたいにころころゆっくり転がりながら、一緒に集まるみたいな……」
「相変わらずセンスないわね。ころころ作戦? 何よそれ? センスないわね」
「そ、そうかなぁ……」
「そうよ。あのクマのぬいぐるみもそう。
 前に、目を輝かせてずっと喋られてたとき私がなんて思ってたか判る? センスおかしいのよ」
「……ボコ、かわいいのに」
「センスおかしいのよ、あなた」
「……ボコ、かわいいのにな」
「変」
「……ボコ、かわいいんだけどなぁ」
「おかしい」
「そうかなぁ……」

 どんどん下を向きながら自分自身に言い聞かせるように呟いていくみほに、エリカは咳払いを一つ。

「……まぁ、それじゃあ、ころころ作戦ね」
「いいんですか!?」
「さっきも言ったでしょ。変。センスない。おかしいわよ」
「あう……」
「でも…………その、評価はしてるのよ。あなたのことを。本当に」

 会話を打ち切るように、光に――――工場の出入り口へ、足を向ける。


 なんだかなと、エリカは溜め息を吐いた。
 こんな殲滅戦の舞台だというのに。
 もう赤星小梅は死んでいるというのに。
 恐らく他にももう犠牲者は出て、何人かは殺戮者に身を窶してしまっているというのに。
 それでも――――こうして。
 西住みほが隣をまた歩いているという事実に、殲滅戦よりも言い表せない感傷を抱いているのを自覚して。

「……本当、ばかみたい」

 自分も愚かなものだと、吐息を漏らした。
 これ以上、これ以上何もなくて……。
 自分とみほの溝が埋ったという事実だけが残って、それ以外は殆ど変わりがなくて……。
 また日常に戻って、西住みほの言うようにまた戦車道を皆でやれたらいい――――。
 そんな風に、思っている自分がいた。

(……隊長)

 すがりたいとは、考えないようにしたいけど。
 それだとしても――――。
 また自分達が一緒に並べていることを、それを、知ってもらってほんの少しでも笑って貰えたらいい。
 きっと少しは、安心してくれる筈だから。

 肩に担いだ赤星小梅は、どこか冷えている。
 話したいことは、たくさんあった。
 エリカは青空に、目を細ませた。
 雲の流れが、やけに早い。遠からぬ内に、嵐が来るかもしれない。
 そういえば、台風が来るかもしれないと――ここに来る前のニュースを思い出して。

「……はぁ」

 物憂げに一つ、息を漏らした。
 どうにも憂鬱だ。
 また、ああして、他人に出会うことになる――それも大方がこの殲滅戦に何らかの指針を決めているものに。
 本当に憂鬱で、叶うことならここに息を潜めていれたらどんなにいいか。

 だが――今は一人じゃない。
 隣には、西住みほがいる。
 あり得たかもしれない、彼女を隊長にした自分が副隊長。
 彼女と共になら――彼女と共に西住まほと会おうと思えば、逸見エリカ逸見エリカとしてまだ立っていられる。
 この場が怖いという気持ちが、少しでも和らいでいく。
 彼女の言った、理想を思えば。

「どうしたんですか、エリカさん?」
「こっちは人一人担いでるのよ……! そのへん、すこし、かんがえなさいよ……!」
「ご、ごめんなさい!」
「全く……」

 そう。
 これ以上、何も起きなければ――――。


「……あ」
「どうしたんですか、エリカさん?」
「その……あれよ。あれが……その……足りないんじゃない?」
「あれ?」
「……ッ、鈍いわね! 作戦なら、いるでしょ!」
「……?」
「戦車はないけど……ここまで言っても判らないの?」
「あ」
「ほら、判ったなら……!」
「はい。……そっか、戦車はないけど」
「ならちゃんと言いなさいよ……“隊長”」

 すうと、息を吸い込み。

「――――パンツァー・フォー!」




【G-3・工場/一日目・午前】

逸見エリカ@†ボコさんチーム†】
[状態]勇気+ 背に火傷 精神疲労(中) 頬から首筋にかけて傷
[装備]血の滲むパンツァージャケット(小梅の死体に巻いてある) 64式7.62mm小銃(装弾数:13/20発 予備弾倉×1パック【20発】) M1918 Mark1トレンチナイフ(ブーツに鞘ごと装着している)
[道具]基本支給品一式 不明支給品(その他)
[思考・状況]
基本行動方針:……それでもやっぱり、隊長のところへ行きたい
1:赤星を弔ってやろう
2:死にたくない。殺したくない。戦いたくない。
3:みほと共に、市街地に抜ける。当面は彼女の副隊長として振る舞う。
4:ころころ作戦は、ない。

【☆西住みほ @†ボコさんチーム†】
[状態]勇気+ 顔面の腫れ 奥歯が1本折れている
[装備]パンツァージャケット スタームルガーMkⅠ(装弾数10/10、予備弾丸【20発】) 九五式軍刀 M34白燐弾×2
[道具]基本支給品一式(乾パン入りの缶1つ消費) S&W M36の予備弾丸15発 彫刻刀セット(三角刀抜き)不明支給品(その他)
[思考・状況]
基本行動方針:みんなともう一度、笑いながら戦車道をする
1:赤星さんの埋葬をして、もう一度作戦会議後、都心部へ慎重に移動
2:ケイさんを止める。絶対に
3:可能な限り犠牲を出さない方法を考える
4:そんなにかなぁ……エリカさん、いつもオーバーだから……




【作戦解説】
  • 「ころころ作戦」
 双眼鏡で周囲に気を付けて進みながら、仲間にできそうな人から集めていく作戦。
 できれば色々な高校の人間を集めた方が、グッと危険性は下がると思っている。
 色とりどりのビー玉がゆっくりころころ転がりながら集まるイメージなので「我ながらしっかりつけられたかな?」とちょっと嬉しい。
 なお、逸見エリカには酷く『センスがない』と言われた。




時系列順
Back:善く死ね
Next:-

投下順
Back:飛翔、旅立ちの時
Next:理想

登場順
Back Name Next
024:ブルー・ジェイにヴァイオリン 逸見エリカ 044:取り戻せ――(日常を友人を尊厳を隊長を命を大切さを大洗を誇りを、戦車道を)
024:ブルー・ジェイにヴァイオリン 西住みほ 044:取り戻せ――(日常を友人を尊厳を隊長を命を大切さを大洗を誇りを、戦車道を)

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最終更新:2018年03月03日 13:18