昨日の敵は今日の友。試合を終えた後は、互いを労い合い、讃え合う。
敵味方スタッフ、後輩先輩立場関係なく、騒ぎ合い喜び合う。
それが代々受け継がれてきた我がアンツィオの戦車道の流儀だった。
だから、互いで殺し合うだなんてそんな危なっかしい事、私にとっては天地がひっくり返るほど有り得ない事態だ。
信じられない。信じたくなかった。いいや、だが確かに大洗の生徒は亡くなった。
だけど、だけれど。
殺し合いなんか馬鹿げたこと、可能性がゼロとは言わないまでも、実際に見るまで起きるだなんて考えられないだろ。
確かにあいつの言う通り、無いとは言い切れない。私も最初はそう思った。
だけどやっぱり、アンツィオの人間はどんな状況でも殺人なんてする奴等じゃないと思う……じゃなかった、やるわけない。
ペパロニは馬鹿だけど、ノリと勢いがあるのは本当だ。あいつなら安心して皆を任せられる。
口上で士気を高めて、ノリと勢いをそのまま持っていく事が出来る。
あいつが居るから、アンツィオのタンケッテ集団はあれだけの根性と機動力を発揮出来る。
車体性能の差を埋めるバイタリティとパフォーマンスを見せる事が出来る。
カルパッチョにはアンツィオらしいノリと勢いは少し足りないけど、冷静に状況を見る力と戦術眼がある。
戦況を理解し、適切な判断だって出来る。優秀な副隊長だ。
カルパッチョが居るから、私は余裕を持って作戦も立てられるし、自由に動く事が出来る。
あいつは頭が良いし、実力もある。私の作戦を理解してくれるし、皆への命令も任せていられる。
諸刃の付け焼き刃でマジノに勝てたのだって、半分はあの集中砲火の驟雨を保ちこたえてくれたあいつのおかげだ。
私は、アンツィオのアホ共が、好きだ。
同時に、今まで戦ってきた奴等も、大好きだ。
この島に居る人間はな、私にとっちゃ全員が家族みたいなもんなんだよ。
誰一人欠けさせたくない。皆、すごい奴等なんだ。
力を合わせてあの島田流に勝ったんだぞ。社会人に勝ったチームに、たかが高校生の急造チームがだ。
なのに、なのに。……なのにさ。
「――――なんでだ」
力無く、呟く。
拡声器か何かで叫ぶ声がした後、郵便局から外に出て、まず聞いたのは遠く響く銃声だった。
のどかな青空の下、響き渡るその音は明らかに“異常”だ。
アンチョビは思わず背後の自動ドアの手前に立つ杏へ振り返る。杏は何も言わずに、腕を組んでいた。
間一文に噤まれた口。目線は鋭く、小難しそうに音がする方を睨んでいる。
続けて、二発目。三発目。
弾かれたように、アンチョビは町の方を見る。
銃声は先程聞こえた場所とは違う方向からだった。
南西、北西、北東。絶え間なく銃声の響く戦場と化した街に、堪らずアンチョビは口を半開きにして後退った。
「なん……だ……?」
続けて、市街地の方向から爆発音。少し遅れて空気が振動して、腹の底まで伝わる重低音。
アンチョビにはもう、訳がわからなかった。
「なんなんだ、これ……?」
不意に眩暈がして、ふらふらと後退りスロープの手摺にぺたりと腰を預ける。
森の方角から、発砲音が連続で数発。少し遅れて、市街地から再び爆破音。
おかしい。端的にそう思った。
聞こえてくるのは一箇所からではない。数十秒毎に、別々の場所から発砲音が上がっている。
彼女とて白痴ではない。ここまで彼女なりに隊を引っ張ってきたし、アンツィオの自由奔放で馬鹿な奴等を従え、落ちぶれていた戦車道を立て直した。
つまり、それが意味する事態を理解出来ないほど彼女は馬鹿ではないのだ。
しかし同時に、それを瞬時に嚥下出来るほど、彼女の頭は合理的に出来てもいなかった。
「なんなんだよ……なんなんだよこれ!?」
だから、理解できない現実に対して、稚拙な語彙でそう吐き捨てる術しか知らない。
誰かと約束を結んだわけではない。誰かに裏切られたわけではない。
まだ見ぬ現実へ、自分勝手に理想と期待を押し付けただけだ。それでも、アンチョビは無性に腹が立った。
無論、実際殺し合いが起きないだなんて甘い考え、全く保証できない事は知っていた。
誰かが、アンツィオの人間が、このゲームに乗る事を考えてなかったといえば嘘になる。
しかし、だとしてもだ。
「嘘だろ? なあ」
震える声で、中空に問う。
行き場のない悲しみと怒りが、アンチョビの表情を醜く歪めた。
甘い自分の考えに対して。それも確かにあるが、何よりこんなにも簡単に発砲する様な馬鹿な連中に。
そうせざるを得なかったこの現実に、殲滅戦に。
それを半ば“仕方の無い事なのだろう”と理解してしまっている、阿呆な自分に。
そして、それを強要したあの役人に。
「本気か? 本当に本気なのか、皆」
再び、何処からか発砲音。中空を反響して、生気をすっかり失った港街に響き渡る。
ぎくりとして、思わず全身が強張った。堪らず視線を落として、初めて自分の拳が震えている事に気付く。
……私達の戦車道は何処へ行ってしまったんだ?
アンチョビは下唇を噛みながら胸の奥で呟いた。
“戦車道は、何処へ行ってしまった?”
「そんな……」アンチョビは笑う。酷く乾いた笑みだった。「そんな、簡単に、引き金を引けるのか……?」
杏は相槌一つ打たず、真っ直ぐにアンチョビの背を見据えている。
口はへの字に曲げられ、いつもの軽口も決して叩かれない。
彼女とて考えるところはあるし、何より今がふざけている場合ではない事は理解している。
腹に一物を抱えている彼女だからこそ、この状況にはあらゆる邪推や、これからのこのチームの行く末を考えざるを得ないのだ。
それにしても、だ。
そう。それにしても、彼女もここまでだとは到底思っていなかった。
理解はしていた。予想もしていた。覚悟もしていた。
なんならゲームに乗るであろう子の当たりもつけていたし、対策も練っていたし、自分が生き残る為に凡ゆる算段も立てていた。
それでも、“重い”。
開始から僅か数時間。ここまで熾烈な状況になると、一体誰が予想しよう。
「おかしいだろ……? おかしいだろっ……!? なあ……なあッ!!?」
再び、爆発音。今度は今までのものとは違い一際大きく、炸裂した榴弾のような凄まじい音だった。
地面が、僅かに震える。誰もいない郵便局の窓ガラスがかたかたと揺れた。
アンチョビは諸手を胸の前に広げ、かぶりを振りながら杏の方へと振り向く。
彼女とて、杏と同じだ。決して現実を見ていなかったわけじゃない。こうなる事を、予想していなかったわけでもない。
それでも、信じていたかった。それがただの夢見がちな日和見人間の願望だと解っていても。
ライバルとは、戦友とは、即ち仲間。そして仲間は、家族だ。
絆で結ばれた友だ。そう、信じていたのに。
「……うん」
杏は頷く。
声色は75mm砲に装填する榴弾の様にずっしりと重く、そしてその重さの意味を、旧知の間柄であるアンチョビは解っている。
解っているのだ。自分の言っている事が、如何に状況から乖離しているか。
「絶対におかしいだろ! こんなの……っ!」
とても肯定とは思えない、中身のない空返事。心此処に在らず。そんな表情。
アンチョビは杏のそんな面と言葉に犬歯で噛み付くように、行き場の失った拳をステンレスのスロープ手摺に叩きつけた。
ごおん、と図太く間抜けな音が辺りに響く。
「うん」
杏は頷いた。
アンチョビは頭をばりばりと掻き毟ると、杏の顔を見る。
分厚い流氷のように凍て付き冷めた瞳が、アンチョビの瞳を、その奥の柔らかい部分を真っ直ぐに抉る。
「私達は同じ戦場で共に戦った戦友<なかま>だぞ?」
嫌な予感はしていた。
煮湯と氷水のような圧倒的な温度差。喚き散らす自分と、息すら乱さず立ち尽くす相手。
ぱくぱくと酸素を求める哀れな魚の様に震える口を開き、アンチョビは言葉を吐き続ける。
決定的な何かに気づいてしまわぬ様に、失態を必死に取り繕う我儘な餓鬼の様に。
「うん」
冷淡な返事を聞きながら、自分の視界がぼやけていくのを、しかし客観的にアンチョビは見ていた。
ふと、堪らず何かを叫んだ。何を叫んだのかを理解できない。誰かの口が動き続けている。
ぐわんぐわんと鼓膜が上下左右に揺れる。
まるで自分の口が自分のものでなく、そして碇を体に巻き付けられて水底に沈んでいる様な、そんな感覚だった。
「戦って、勝つだけが、戦車道、じゃない……そう、だろ?」
「うん」
正しい。その確信はあった。間違いではない自信があった。事実、彼女の想いは間違いではない。
けれども、冷静で冷酷なその一言が重なる度に、彼女の真っ直ぐな瞳に貫かれる毎に、奥底に立つ古ぼけた旗が揺らいでいく。
「大学選抜チームと力を合わせて戦ったんだぞ? み、皆で肩を並べて喜び合ったよな? な??」
縋るように、呟いた。
銃の音は聞いた。爆発の音も聞いた。これだけ喚かなくとも、結果は見えている。
現実を見ずに、誰を説いている。必死に説くべき相手は何処に居る。そうじゃない。違うはずだ。
焦りと自己矛盾が、脂汗となって背筋を這う。
少なくとも、この黒い気持ちも、醜い迷いも、目の前の友人に向けるべきじゃない。そんな事は疾うに解っていた。
「うん」
何度目かの、感情の無い肯定の声。
気づいた時には、アンチョビは杏の肩を掴んでいた。
「だったら! ……だったら……どうして! どうしてだ!!?」
咄嗟の力任せの動き。指が肩に食い込んで、杏の眉間に皺が寄る。
「……ちょび」
「私が言ってること、そんなに間違ってるか!?」
「ちょび」
「どうしてだよ!? どうして皆、こんなことができる!?」
「千代美!!!」
杏が声を荒げる。アンチョビは肩をびくりと跳ね上げると、はっと息を飲んで彼女の肩から腕を離した。
一対の硝子玉が、アンチョビを真っ直ぐに見ていた。曇りの無い目。鋭く、決意を固めた目。
どうして、と、思わず震える唇で呟く。
……どうして、お前はそんなに冷静に受け入れる事が出来る?
「これが、現実なんだ」
「け、けどだなっ」
現実。その二文字がアンチョビの思考を掻き乱す。現実、そんな事は最初から解っている。解っているともさ。
あるのはそれに対して納得出来るか出来ないかの差だけだ。
杏は前者で、アンチョビは後者だった。それだけの単純明快なお話。
しかし、故に、少しずつ確実にずれていく。ほんの些細なヒビが、音もなく入る。
指一本動かさず、ここまで冷静に居られる目の前の少女を、アンチョビは―――いや、安斎千代美は。
「これが現実なんだよ、ちょび」
――――“怖い”、と。
そう思ってしまったのだから。
「辛いのはわかる。私達は仲間だった。そりゃ間違いじゃないよ。でも、聞いたろ?
殲滅戦は始まった。私達を守ってくれた戦車も、カーボンも、此処には無いんだ……覚悟しなきゃ、きっと私達も簡単に死んじゃうよ」
……“こわい”?
その黒い感情を理解した瞬間、形容できない悪寒がアンチョビの爪先から脳天までを駆け抜けた。
アンチョビの耳を右から左に、杏の言葉が突き抜ける。アンチョビはぶんぶんとかぶりを振った。
友を裏切るような邪な感情を振り払う様に。毒されるな、そうじゃないと必死に言い聞かせる様に。
「でも、そんな……」
慌てふためくアンチョビを尻目に、杏は忘れ物を思い出したが如く自らのリュックの口を開き、銃を取り出した。
そして朝食を食べた後に歯磨きをする様に自然に、銃をスタートのポケットに差す。
コルトM1917リボルバー。撃たれれば、ただでは済まない。
そこまで理解して一拍置き、思わずその行為に、その意味にぎょっとする。
「お、おいっ!」
脳天から血の気が引き、アンチョビは堪らず口を開いた。
「どうして銃なんか持ってるんだ!? そ、そんなもので撃ったら相手も無事じゃ済まないぞ!」
「わかってるって~。念のためだよ」
あっけらかんとした表情で、杏は応える。
アンチョビは一瞬眉を上げて何かを言いかけたが、開いた口をゆっくりと閉じ、息を飲む。
そうして、静かに切り出した。
「念のためって……お前、皆を、信じてないのか」
五秒。
五秒の間が空いた。それは否定と取るには長過ぎる無言だったが、しかし肯定と取るにはあまりに冷酷な短さだった。
無言に耐えかねて、アンチョビが肩に手を伸ばす。
杏はそれを無用と弾くと、人差し指を唇に当ててゆっくりと歯の隙間から息を吐いた。
「しーっ……誰か居る」
拒まれるように手を弾かれたアンチョビは胸の奥で何かが軋む様な錯覚を感じたが、しかし直ぐに彼女の言葉に現実を見る。
咄嗟に二人は郵便局と隣の家との隙間に隠れ、家影からこっそりとそれを覗いた。
大通りの、向こう側。信号を挟んだ歩道の向こう側に、小さな影が一つ見えた。
アンチョビの喉から、ごくりと固唾を呑む音。
何故ってそこに見えたものは、果たして戦車道を志す者であれば誰しもが知っている、小さな背だったのだから。
淡い金髪、傲慢ちきな態度、高飛車な物言い、小生意気な口上。
去年の全国高校戦車道大会の覇者、プラウダ高校。その隊長。
誰よりもプライドが高く、誰よりも愚直で、誰よりも負けず嫌いで、そして誰よりも、背が小さい。
見間違える筈がないのだ。そう、彼女は―――――――――――――――――――――――――“地吹雪の
カチューシャ”。
「はあ……めんど~な奴が来ちゃったよ……」
杏が頬を掻きながら肩を竦める。
アンチョビがちらりと横顔を伺えば、そこに浮かぶは心底面倒臭そうに目を細めたまま、とびきりの苦笑い。
アンチョビは杏の小さな頭に顎を乗せ、身を乗り出してそのカチューシャの様子を窺った。
彼女らしいといえば、彼女らしいのか。腰に手を当て、道の真ん中を堂々と歩いている。
「……お、おいっ、こっち来るぞ? まだ見つかっちゃってはないと思うけど……どうする!?」
アンチョビが杏の頭の上で慌てて問う。
杏は腕組みをしてしばし唸っていたが、やがて目の前の視界を邪魔する縦ロールのツインテールを掻き分けながら、アンチョビの顔を下から見上げた。
「まあ、どうするもこうするも、隠れてやり過ごすしかないだろー「はぁ!? なんで!!」ね」
食い気味の反論に杏は深めの溜息を吐くと、アンチョビの顎を腕で押し上げ、くるりと振り返る。
アンチョビは慌てて体勢を整えると、杏を見下ろした。
明るい道路を背にしたその顔は、逆光で影が落ちている。口元はいつも通りに笑っていたが瞳は暗く、周囲の光を映さない。
民家と郵便局の間だ。狭い空間に光が届かないのは自然で、それは何らおかしな事ではなかった。
しかし、それでも。
「騒ぐなって。乗ってるかそうじゃないか、まだ分からないだろ。こっちも一回隠れちゃったしさ。
……それに……。……あー、まあ、色々だね」
ポケットから干し芋を取り出して、それごとひらひらと掌を翻すその“いつも通り”が。
意味もなくだるそうにする“いつも通り”が。
意味深げに笑う“いつも通り”が――――アンチョビには、異質なものに思えて仕方がなかった。
「そ、そんなの関係あるか!? 三人組を早く組んだ方がいいに決まってる!」
そんな黒い予感を振り払うように、アンチョビは鼻息を荒げる。
杏は干し芋を見せびらかすように口の中へ放り込むと、やや短めな咀嚼の後、口を開いた。
「関係ある」干し芋の粉を払うように手をはたくと、杏は指を三本、人差し指から順番に立てる。「
ルールでは、三人までしかチームが組めない」
そう。三人まで。
不服そうなアンチョビの顔を見ながら、杏はその意味を改めて干し芋の味と一緒に噛み締める様に、胸中で呟いた。
三人。意見を纏めるには理不尽が過ぎるほど少なく、揉めた時に切り捨てられるには十分な多さ。
だからこそ、最後の一人は自分に有利に運ぶように仕組まなければならない。
支給品にそういった類のものもあるにはあったが、それでもまだカードが幾枚か足りない。
出来れば、三人目は他校ではなく大洗の学生が良い。打算的な意味でも、安全的な意味でも。
三人組結成可能がルールで明言されている以上、殲滅戦に乗る人間もまた、チームを隠れ蓑にするはずだと杏は思っていた。
というか、自分ならばそうする。故に最期の一人は他校の人間は避け、危険性が少なく、あわよくば互いに協力を持ちかけ易いであろう自校の人間がベスト。
加えて言えば、杏はまだ二対一の状況を作りたくはなかった。多数決は亀裂を生むからだ。
暫くは対等かつ優位に立てるであろうアンチョビと、のらりくらりと戦場をかわしつつ拠点を立てたかったのが、実際のところの本音だ。
せめて、死者が分かる最初の放送まではそうしたかった。死者の発表があるという放送を耐えられるかどうかが、協力するかどうかの基準にもなる。
誰を仲間にするかは、死者が増えるであろう夜戦を思えば、それから探すべきだと杏は思っていた。
しかし、それはあくまでも彼女が抱く希望で、絶対ではない。
現実はそう上手くはいかないもの。それは杏とて重々解っていた。
だが、この場合はケースがケースだ。現れたのはよりにもよって―――あのプラウダの隊長、カチューシャ。
ペースを持っていかれるのは誰から見ても必至で、アンチョビがそれに流されるのも、目に見えていた。
イニシアチブを奪われ、更に行動派とくれば、最悪の最悪だ。
“きっとカチューシャはこの殲滅戦に乗らない”。
少なくとも、杏はそう思っている。
ならば仲間にすればという見解も確かにあるだろうが、しかし、だからこそカチューシャは危険だと杏は確信していた。
彼女はまず間違いなく殺し合いを止めようと動き、率先して戦場へ突っ込みたがるだろう。
そして相性もあるだろうが、性格上、いずれ彼女は誰かと確実に対立する。
日数が経過して精神がすり減れば尚更だ。そんな時限爆弾を背負う気は、杏には毛頭なかった。
おまけに、というよりもこちらが本音だが、杏の見立てではプラウダの副隊長、ブリザードの
ノンナは彼女の為に“乗る”側だった。
ここで三人目にカチューシャを受け入れ生還枠をゼロにするなど、愚策も愚策。先程言いかけて飲み込んだ科白はそれだった。
あのブリザードに“どうぞ隊長の私めを殺してチームを解体してカチューシャ様を取り戻して下さい”と首を差し出す事に同義。
それこそ、詰み以前の問題だ。死ねば全てが終わってしまう。その可能性は、幾ら小さなものでも何が何でも避けなければならない。
恐らくプラウダの人間が死ねば、カチューシャは激しく動揺するだろう。だがその後どうなるのか。それは正直、想像できない。
しかしアンチョビは、そうじゃない。きっと、彼女はそれに耐え得る強い人間だ。杏はその確信があった。
だからこそ、と杏は口を開き、友の、アンチョビの肩を小さな手で掴む。
「ちょび。最後の一人ってのは、すっごい重要なんだ。よく考えろって。
カチューシャを仲間にしたら、それ以降アンツィオの誰かを見つけた時、ほっとくしかないんだぞ?
“あちゃー、わっりー! 私達三人だからちょっち無理なんだー!”なんて、言えないだろ? な??
だったら私はしばらく席を空けといた方がいいと思うな~。お前の仲間の為にも、さ」
勝つ為なら、生きる為なら、どんな打算的な事でも考えて、泥水を啜って藁に縋り付いてでもこの戦場を走り抜けてみせる。
いざとなったらその時は、嘘も吐く。脅迫もする。銃も打つ。毒も盛る。
それが杏の“覚悟”だった。
「そ、それはそうだけどっ……でもっ!」
しかし、とアンチョビは足を出して杏に噛み付く。
理解することと肯定することは、彼女の中では決して結びつかない事だった。
「……自分が仲良い相手で、なおかつ一人の奴にこれから会える可能性は少ないはずだ、そうだろ!?
それに例えばだけど、二人に会っちゃったら、どうするんだ!?」
「それもダメだ。一人、余る」
反射的に言ってしまってから、はっとしてアンチョビの顔を見上げる。
明らかな失言だった。
「なっ……ん……」アンチョビが信じられない、といった風に目を丸く見開いている。「……あ、まる……?」
しまった。そう思った時にはもう遅い。みるみるうちにアンチョビの眉間に皺が寄り、酷い剣幕になっていく。
らしくない。杏は胸中で舌を打ちながら思った。らしくないミスだ。こんな状況で、自分も混乱していたのか。
謝ろうと半端に開いた口を、しかし諦めた様に閉じる。
取り繕う事は無理だと、目の前の表情を見て悟ったからだ。
「本気で……言ってるのか」
アンチョビは半笑いの口を強張らせ、震える声で呟く。怒りではない。呆れと、恐怖と、悲しみだった。
そうじゃない。アンチョビは拳を握りながら、釣り上げた唇を震わせる。
何が、殲滅戦。何が、ゲーム。何が、殺し合い。
「ふ、ふッざけるなっ……余るとか、余らないとか……そうじゃないだろ!?
私達が必死に汗水垂らしてやってきた戦車道って、そんなんじゃないだろ!?」
こんなゲームは間違ってる。頭に血の登ったアンチョビは叫びながら、そう思った。
そうだ、間違っている。そのふざけたルールに乗る奴も、状況に胡座をかいて簡単に撃鉄を鳴らす奴も。全員、全ッ員。
「そんな……こんな事の為に、今まで必死に、やってきたんじゃないだろ!!?」
だから、アンチョビは埒外だった。
しかしそれは簡単な話。何故ならこんなに静かな街で叫んで言い争って、通行人に気付かれないはずが、ないのだから。
「聞こえてるわよ! そこのピーピーうるさいアンツィオのツインテール! こっちに大人しく出てきなさい!」
第三者の、声。
姿こそ見せないが、郵便局の手前で、ちびっこ隊長が金切り声を上げていた。
「……。……ちょびのせいで見つかっちゃったじゃーん……どうする?」
僅かな硬直の後、杏は小さく溜息を吐き、肩を竦めて小声で言った。
「どうするもこうするもないだろ!」
「おいちょび! 待っ……馬鹿!」
アンチョビは即答して、そして杏の体を押し退け、道路に飛び出した。
それは杏の予想を超えたあまりに突然の出来事で、思わず腕を彼女のマントに伸ばしながら、軽率な行動を咎めて叫ぶ。
寸でのところで、杏の指先はマントを掴み損ねて空を切った。思わず、顔を顰めて反射的に舌を打つ。
慌てて道路へ飛び出すと、そこには銃を手に取るちびっこ隊長と、銃口を向けられ漫画のワンシーンのように足をずらしたまま硬直する友人が居た。
やれやれ、最悪のパターンだ。
杏は苦い顔を浮かべながら銃の入ったポケットに汗ばんだ手をつっこみ、そう思った。
「なんで……どうしてお前、銃なんか持ってるんだ……! 間違えて撃っちゃって怪我でもしたらどうする!」
アンチョビがヒステリックに叫ぶ。カチューシャは眉を吊り上げ仁王立ちのまま、ぴくりとも銃を動かさない。
その残酷な温度差が、酷く滑稽に見えた。
その手には、アヴトマティーチェスキィ・ピストレット・ステーチキナ……APSのグリップが握られていた。
少女の体躯に不釣り合いなほど大きいその銃の口は、しっかりと敵の額を狙っている。
「危ないだろ! し、仕舞え!」
アンチョビが声を裏返しながら叫ぶも、カチューシャは反応しない。
……まったく、どいつもこいつも、頭がどうかしている。この異常事態に脳味噌が弛緩してしまっているに違いない。
私がどうにかしないと。
「おい! お前からも何か言ってやれ!」
鼻息を荒らげて、アンチョビは後ろへ振り返る。二対一。説得すれば、きっと仲間にできる筈だと。
しかし、現実はそうではなかった。アンチョビは思い出すべきだったのだ。此処は、そう甘い考えが通用する世界ではないのだと。
アンチョビは、口をあんぐりと開けたまま、立ち尽くす。
何故なら彼女の友、角谷杏もまた、その手に持った銃を、プラウダの隊長に向けていたのだから。
「……おい、おいおいおいおい。
は、ハハ。冗談が過ぎるぞ。な、なんで銃を向けてるんだ、お前まで。仲間だぞ」
アンチョビは笑いながら言う。笑い声が裏返っていた。汗が吹き出し、顎まで伝っていた。拳が震えていた。
ずっとだ、ずっと動悸が止まない。郵便局を出て、爆音と銃声を聞いたあの瞬間から。
何かが狂ってしまった。でも、何が?
自分は何もおかしなことは言っていない。正しいことを言って、正しいことをしている。そのはずなのに。
アンチョビは、杏の顔を見て息を呑む。
こちらをちらりとも見ずにカチューシャを射抜くその双眸は、血に飢えたナイフのように鋭く光っていた。
「な、なんだ……何でそんな目で見る! プラウダのちびっ子隊長、お前もだ! 私達は仲間だったろ!?」
視線から逃げるように、振り向いて諸手で訴える。カチューシャは頷かない。
彼女のこちらを見る目を、その冷たい光を見て、嗚呼、とアンチョビは震えるように納得した。
自分はこの目を知っている。どうしようもないアンツィオの連中を纏め上げようとしていた時に、何度も見てきた。
戦車道の全国大会で一位を目指すと啖呵を切った時に、外部の人間が向けてきたそれと同じ―――哀れみの視線だ。
「なんだよ……私が間違ってるって言うのか!?
……な、何か言えよ……変だぞ、お前たち……」
風が吹いた。
マントがばさばさと揺れ、寒い潮風が肌へ吹き付ける。風化した煉瓦が旋風に押し倒されるように、がらがらと何かが砕けていく音。
不協和音を上げて軋みながら、心に罅が入ってゆく。
「そ、そうだ! はは! パスタ! パスタを食べよう! な? 皆でパスタを食べれば、また仲良くなれるはずだ!
ほら、約束してたろ、干し芋パスタ! スーパーかコンビニに行けばパスタだってあるだろ!?」
“だから、いつまでも弱小校だったのか?”
決意が錆びて、
「それで仲良く、みんなで協力して戦車道をしよう! 大丈夫だ! 皆きっとこんな下らないゲームに乗ったりなんかしない!
銃声も、爆撃も、その……そう、あれだ! 文科省の役人が用意したギミックかなんかだろ!? マカロニ作戦みたいなもんだって!」
“馬鹿なのは自分なんじゃないか?”
勇気が朽ちて、
「だいじょうぶ。だいじょうぶだ、きっと。なんとかなるって」
“こんなにも愚直に皆を信じている能天気な理想論者は、もしかして、私だけなんじゃないか?”
理想が、腐ってゆく。
「―――――――――――――――――――――――――――バッカじゃないの?」
中身の無い言葉を鼻で笑いながら、カチューシャが侮蔑の音を込めて、呟いた。
アンチョビはふらつく足を何とか抑えこみ、カチューシャの顔を見る。
何かを言おうとしたが、言うべき何かは頭の中の何処にも見つからず、声は出なかった。
「これは詰まるところ、戦車の無い強襲戦車競技<タンカスロン>。ルール無用の殺し合いなのよ」
「こ、殺し合いとか、簡単に、言うな」
「言うわよ。だって実際、殺し合いじゃないの。貴女、カチューシャがその気ならとっくに死んでたのよ」
「なっ……」
銃を構え直し、銃口を上げながら、カチューシャは淡々と言う。アンチョビの目に動揺の色が走った。
「まーあ? それでもわたしみたいに堂々としてりゃあまだ救いようがあったんでしょうけどぉ?
そのザマじゃあ、ねえ……?」
肩を竦めて小馬鹿にしたように眉を下げて笑うと、カチューシャはにやりと嫌らしく口を歪めた。
「こんな状況で、堂々と、なんか、出来るか」
涙を目尻に浮かべながら、アンチョビは首を振る。
「こんな状況だからよ」
そんなことも解らないの、と付け加えながら、カチューシャは言った。
瞳は哀れみに濡れ、口は僅かに微笑を湛えている。
「ああ……そっか。貴女、なぁんにも判ってないのねぇ?」
そうして、言うのだ。
「悪いけど、膝も笑ってはんべそかいた今の貴女じゃ、誰かを説得出来るわけがないわ」
銃口を向けたまま、カチューシャは肩を揺らして笑った。
アンチョビは自分の足へ視線を落とす。
がくがくと震える膝も、それに気付いていなかった自分も酷く惨めで情けなく、反論も何も出来ないまま、項垂れる。
「大洗の会長だったわね? 貴女がリーダー?」
「んー。そだよー」
銃口を下げず、カチューシャはアンチョビの隣を素通りして、杏へ近づく。
杏は頷きながら笑った。目は決して笑っていない。
「殲滅戦には?」
「乗ってないよー」
「カチューシャもよ」
「その割には、敵意剥き出しじゃん?」
「……ところで、貴女達、チームは組んでる?」
「まーね」
「あら奇遇ね。カチューシャも組んでるわ」
「? 一人しかいないだろ」
杏は小首を傾げて、純粋に疑問を投げる。カチューシャの唇が、音もなく下弦の三日月を描いた。
咬み合わない会話、ねっとりとした笑み、一瞬の静寂、下がらない銃口。
海側から差す日差し。伸びる人型の影。視線だけでアスファルトを舐める。思わず、息を呑んだ。
自分の影がカチューシャの方へ伸びている。背後、一人分、多い。目を見開き、慌てて背後を振り返ろうとする。
それを許すほど、カチューシャは良い性格をしていない。
「こ、降伏するのであります!!」
聞き覚えのある黄色い声と一緒に、背後から頭に当てられた震える銃口。
全てを理解して、杏は銃を降ろして両手を上げた。
「なるほどねー。嵌められたよ。まさかあんたが自分を囮に使うとは思ってなかった」
「お褒めの言葉、ありがと。……よく出来たわね。褒めてあげるわ」
「も、勿体無きお言葉であります!」
律儀に銃を構えながら敬礼する福田を、その状況を当たり前のように作ってしまったカチューシャを、そしてそれに抗おうとした杏を。
三人を蚊帳の外から見ていたアンチョビは、こいつは銃を持つ覚悟すら無いと見切られて背を向けられたアンチョビは。
「――――――――――――なんでだ」
今にも崩れそうな怯えた顔で、彼女達へと口を開く。
「なんで」開けば、同じ言葉ばかり。胃を、捩じ切るような声で。「どうして」
けれども、問わざるを得ない。どうしてなのだと。正しさも、戦車道も、そこには無いじゃないかと。
「揃いも揃って、お前ら」
アンチョビの瞳が散大する。震える唇は紫色だ。
「怖くないのか」
縋るような声に、カチューシャが、振り向く。唇を尖らせて不服そうに眉間に皺を寄せ、そして、応えた。
「怖いわよ」
それは、当たり前の解だった。この状況に恐怖を覚えない人間など、この地に居るはずがない。
彼女達は女子高生だ。特殊な戦闘訓練を積んでいるわけでもない。ただ少しだけ戦車に乗れるだけの、一般人だ。
怖くないはずがない。杏も福田も、きっとそうだったのだろう。
しかし、だからこそアンチョビには理解が出来ない。怖いなら、何故そうまで受け入れられるのかが、解らない。
その質問をするよりも早く、カチューシャは震えるアンチョビの元まで足をツカツカと戻し、そして、アンチョビを不機嫌そうに睨んだ。
「だから、どんな時も震えちゃいけないの。怖くなくす為に」
「震えてるかもしれないプラウダの皆の為に」
「この私、カチューシャ様の助けを待ってる人の為に」
情けない顔のアンチョビの鼻を銃口でつつきながら、カチューシャは吐き捨てるように、或いは説き伏せるように続ける。
「それが、いつだって私達“隊長”の役目でしょ」
言い切って、彼女は不敵に笑った。
これが隊長だ。これがカチューシャ様だ。お前とは違う。そうべっとりと嫌らしく見せつけるように。
カチューシャはそうして満足気に胸を張ると、銃を降ろしてくるりとアンチョビに背を向ける。
アンチョビには、もう反論する事もできなかった。完全に彼女の言う通りだ。そう思ってしまった。
「逆に私が訊きたいくらいよ。それだけ怖がってて、誰かを安心させられるつもりでいたわけ?」
そんなアンチョビを尻目に、カチューシャは背を向けたまま、そう言って止めを刺す。
「私からすれば――――――――――――――――――――――――――――――貴女、隊長失格よ」
アンチョビは膝を折り、わなわなと拳を震わせた。そのまま腰も折り、跪いたような体勢で地面を見た。
ぽたぽたと、顔から汗が滲み、アスファルトを黒く染める。頭の中で、纏まらない思考達が暴れ出していた。
カチューシャは懺悔するようなそんな無様な背を見て目を細めると、溜息を鼻から吐いて前を見る。
両手を上げた杏と、目が合った。彼女を睨むその双眸は、明らかな怒気を孕んでいる。
恐らく目の前で親友を完膚なきまでに折られたことが気に障ったのだろう。
「それで? 貴女達、乗ってないんでしょ?」
カチューシャが問う。杏は頷き、怒気を飲み込むように瞳を閉じ、そしてゆっくりと開く。
現れたのは、いつも通りのニヒルな笑顔。そう、杏はいつだってそうだった。
「そうだ。お前達も乗ってない二人だと聞いて、安心したよ。好都合だ。
なあちびっこ隊長。私達――――――協定を、結ばないか?」
そう言い終わった時だった。彼女の頭に銃を押し当てる少女の敬愛する隊長の声が、拡声器を通して港町に響き渡ったのは。
【F-3・郵便局前/一日目・午前】
【☆カチューシャ @カチューシャ義勇軍】
[状態]健康
[装備]タンクジャケット APS (装弾数20/20:予備弾倉×3) 不明支給品(ナイフ)
[道具]基本支給品一式 不明支給品(その他)
[思考・状況]
基本行動方針:最大多数での生存を図るわよ!
1:まずはプラウダ生徒・みほあたりと合流したいわ!
2:カチューシャの居ないところで勝手なことはさせない!
3:全部のチームをカチューシャの傘下にしてやるんだから!
4:協定ぃ~? なによ、ソレ!
【福田 @カチューシャ義勇軍】
[状態]健康
[装備]タンクジャケット M2カービン(装弾数:19/30発 予備弾倉3)不明支給品(ナイフ)
[道具]基本支給品一式 不明支給品(その他)
[思考・状況]
基本行動方針:不安を消すためになにかしら行動する
1:カチューシャと行動を共にする
3:西隊長!?
2:撃つつもりはないとは言え、銃を人には向けたくないのであります……
【☆角谷杏 @チーム杏ちょび】
[状態]健康
[装備]タンクジャケット コルトM1917(ハーフムーンクリップ使用での装弾6:予備弾18) 不明支給品-ナイフ
[道具]基本支給品一式 干し芋(私物として持ち込んだもの、何袋か残ってる) 人事権
[思考・状況]
基本行動方針:少しでも多く、少しでも自分の中で優先度の高い人間を生き残らせる
1:アンチョビと共に行動し、脱出のために自分に出来ることをする。可能なら大洗の生徒を三人目に入れたい
2:その過程で、優先度の高い人物のためならば、アンチョビを犠牲にすることも視野に入れる
3:カチューシャとは同じチームにはなりたくないが、敵には回したくない
4:放送まではなるべく二人組を維持したい
【アンチョビ @チーム杏ちょび】
[状態]激しい動揺 劣等感
[装備]タンクジャケット+マント ベレッタM950(装弾数:9/9発:予備弾10) 不明支給品-ナイフ
[道具]基本支給品一式 髑髏マークの付いた空瓶
[思考・状況]
基本行動方針:皆で帰って笑ってパスタを食べるぞ
1:誰も死んでほしくなんてない、何とかみんなで脱出がしたい
2:例え手を汚していたとしても、説得して一緒に手を取り脱出したい(特にアンツィオの面々)
3:……私の想いは、そんなに間違っているのか?
【武器説明】
- ベレッタM950:120mm、280g、25口径(6.35mm)、銃身長60mm、.25ACP弾、装弾数9発。
イタリア製、通称『ジェットファイア』。短さと軽さ、そしてエンブレムが特徴のブローバック式銃。
ポケットにすんなり入る小型さと安定した性能を誇る為、護身と暗殺に特化している。
登場順
最終更新:2016年09月13日 08:15