Hariti ◆ApriVFJs6M
機械の瞳に映し出されていたのは夕焼けに覆われた山林ではなく、一面緑色のグラデーションで覆われた世界だった。
人の眼では決して見ることのできない光を用いてイルファは逃した獲物を再び追跡をしていた。
彼女は土が剥き出しの山道に僅かに残された暖色系の色――獲物の体温の残り香を追う。
思わぬ乱入者によって逃してしまったが今度こそ。
手負いの人間を背負った少女ではそう遠く移動してはいないだろう。
イルファは元来た道を引き返して逃げた少女を追っていた。
「ミルファちゃん……」
イルファはぽつりと妹の名を呟いた。
道を違えた妹。否、元より同じ道を歩んでほしいという望みは無かった。
人に尽くすメイドロボが殺戮機械になるのはイルファ自身だけでよかったのだ。
しかし、彼女達は出会ってしまった。
ミルファはきっとまたイルファを止めに現れるだろう。
イルファもまたミルファを全力で破壊しなくてはならないだろう。
姉妹が殺しあう。
自らが招いた悲劇であっても、彼女は修羅の道を突き進むしかなかった。
姉は愛する主と創造主を守るため。
妹は殺戮機械と化そうとする姉を止めるため。
両者も機械としてのプログラムではなく持って生まれた心と感情がそれをさせる。
「珊瑚様……今、この一瞬だけあなたを恨みます。なぜあなたは私達に心という名の知恵の実を授けたのでしょうか?」
そう言ってイルファはくすりと自嘲の笑みを浮かべた。
その『恨み』という感情こそ彼女の創造主が与えた知恵の実の一部なのに。
壊れてもなお、身体のパーツを取り替えれば半永久的に生きながらえることができて、自らの自我すらも0と1の羅列でバックアップを保存できる。
そんな機械の身体という生命の実を初めから与えられているのに、善悪を知る知恵の実すらも与えられた。
「マルチお義姉様……あなたは心を与えられて幸せだったでしょうか……」
イルファはかつて存在した一体のメイドロボの名をそっと呟いた。
来栖川の研究所の一室に一体のメイドロボが静かに安置されている。
HMX-12のナンバリングを与えられたそれはイルファが生まれる数年前に心を持ったロボットとしてのテスト運用が行われていた。
メイドロボのくせにドジで与えられた仕事は失敗が多かったが、ロボットとは思えないその健気でひたむきな性格は誰からも愛されていた。
人に使役される機械ではなく、人と供に歩むパートナーとしての彼女。
実験は成功に終わると誰しもが思っていたが、結局そうはならなかった。
不完全に与えられた心がメイドロボとしての使命と、とある少年への恋心の狭間でソフト・ハード両面で多大な負荷を与えることとなってしまい彼女は凍結された。
結局の所、機械に心を持たせることの困難さを再確認させるだけとなってしまったのだ。
だがそのたった数年後、姫百合珊瑚という天才が完全なる心を持ったロボットを誕生させたというのは当時の関係者にとっては皮肉としか言いようが無い。
今後開発されるメイドロボに姫百合珊瑚が構築したシステム――DIAを搭載すれば心を持ったロボットはいくらでも誕生させられるだろう。
しかし彼女は――HMX-12は旧式のシステムの上に心が成り立っている。
故にDIAでは再現不可能なのだ。仮に再現したとしても彼女の人格を模した紛い物でしかない。
いつか旧式のシステムで目覚める日のため彼女は今もなお研究所の一画で長い眠りについている。
いつの日かかつて恋した少年と再びめぐり合う日を夢見ながら――
「…………」
少し感傷的になりすぎたようだ。イルファはそう思い鋼鉄の手で銃を握り締める。
例え人と同じ心を持っていたとしても、その身体の薄皮一枚めくれば人にあらざる異形の姿。
所詮は人の振りをしている機械人形に過ぎないのだ。
■
背後でかすかに響き渡った銃声。
それも一発だけでなく複数の発砲音。
誰かが誰かを襲い、襲われている音。
自分以外にも殺し合いに乗ってしまった人がいる。
銃声の主は何を思って銃を放っていたのであろうか。
殺人への快楽?
自己の生存のため?
それとも――守るべき誰かのため?
未だ手の平に残る殺人の残滓。『彼女』を何度も刺したこの手。
愛する夫と娘のために無垢な少女を殺した。
背負った咎はあまりに重かった。
誰かのためという大義名分があれば人はここまで残酷になれるのかということを早苗は自らの手で実証してしまったのだ。
なぜ何度も彼女を刺してしまったのか。せめて心臓を一突きにしてしまえば彼女は苦しまなくて済んだかもしれない。
馬鹿なことを考えると早苗は嗤う。
苦しまずに殺せばそれで自分の罪が軽くなるとでもいうのか。
もう後には引けない。引けないと分かってはいるのに、犯した罪を夫と娘から拒絶されるのがたまらなく怖かった。
午後の青い空はいつの間にかに茜色に染まりつつあった。
銃声を聞いてどれくらいの時間が経っただろうか。十分程度か、それとも一時間以上が経過したのだろうか。
異常な精神状態は時間の感覚を失わせる。早苗は銃声から離れることもなく、近づくこともなくその場で立ち尽くしていた。
まるで自らの迷いがそのまま現れたかのように。
「……!?」
がさがさと薄暗い森の茂みの奥から音が聞こえたような気がして早苗は身じろいだ。
静まり返った山道から聞こえる異質の音。
高鳴る胸の鼓動。緊張で口の中がカラカラに乾いている。
銃声の主がこちらにやって来てしまったのだろうか。もしそうならなぜ早くにこの場所から立ち去らなかったのか早苗は後悔する。
だがもう遅い――異音は早苗のすぐ側にまで近づいて、茂みを掻き分けて黒い影が飛び出した。
「あっ……!?」
「―――!!」
影は飛び跳ねるような動きで早苗の前で立ち止まる。
黒を基調としたブレザーを纏った小柄な少女。年は娘である渚よりも少し下だろうか。
そして彼女の背中に背負われた幼い少女、どこか怪我をしているのかぐったりとした表情で目を閉じている。
彼女はまるで雨に濡れて行く当てのない子猫のように憔悴し怯えきった表情で早苗を見つめていた。
「あ……あ……たす、けて……」
震える声で少女は声を絞り出す。必死に茂みを掻き分け森を走り回ったのだろうか彼女の姿はぼろぼろだった。
「おねがいだ……アルルゥをたすけて……」
涙で顔をくしゃくしゃに歪めて少女は哀願する。
早苗は何も答えない。否、答えられなかった。答えられるはずがなかった。
藁を掴む思いで助けを求めてきた少女を殺すなんて言えるはずもなかった。
「ごめん……なさい……っ」
そうとしか言えなかった。
早苗は隠し持っていたナイフを少女に突きつける。
早苗の行動の意味を解した少女の瞳がみるみるうちに絶望の色に染まる。
「そ、んな……おねーさんまで……」
「ごめんなさい……っ!」
「なんで! どうして……! そんなにみんな殺しあいがしたいのかっ! おまえもあの女といっしょなのかっ」
「く……っ」
少女の言葉が胸を突き刺す。
後に引けないはずなのに。もう一人を殺してしまって戻る道は無いはずなのに。
振り上げたナイフを持つ手が震える。
彼女は背負っていた少女を地面に寝かせると、両手と両膝をを地に着いて懇願した。
「おねがいだ……あたしを殺すなら殺してもいい……っ! でもアルルゥだけはたすけてくれ……! たのむ……たのむ……」
アルルゥと呼ばれた少女は胸を赤く染めてぐったりとしている。
拙い止血の痕。何の医療技術も持たない彼女が必死になって処置をしたのだろう。だがこのままでは少女の命が危ぶまれるのは一目瞭然だった。
「っ……」
その姿が早苗の脳裏に過去の出来事をフラッシュバックさせる。
もう何年も昔、まだ渚が幼かった日のことだった。
雪が降り続くある日、渚は熱を出して寝込んでいた。しかし早苗も秋生もどうしても外せない仕事のため寝込む渚を置いて家を出た。
家で大人しく眠っていればすぐに治る――そう思っていた二人は最悪の事態を迎えてしまう。
家に帰って来た二人が見たものは、家の外で半ば雪に埋もれいる状態で倒れている渚の姿だった。
「鈴……おねーちゃん……」
うっすらと目を開けたアルルゥが少女――鈴の名を弱弱しい声で呟く。
「だいじょうぶだ……! アルルゥはおねーちゃんがたすけてやる……! だからもう少しだけがんばってくれ……!」
鈴はアルルゥの手を握り必死に励ましを続ける。
アルルゥは虚ろな目で視線を移す。その瞳の先に映るのは早苗の姿。
朦朧としたアルルゥは早苗の姿を見つけると、無意識に呟いた。
「おかあ……さん……?」
「ああ――――――――」
その言葉が早苗に生じた迷いへのとどめだった。
大きく息を吐き出した早苗の手からナイフがぽろりと転がり落ちる。
できなかった。早苗に彼女達を殺すことはできなかった。
早苗は崩れ落ち嗚咽の声を上げる。
「おねーさん……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
鈴はすすり泣いて謝罪の声を上げる早苗の姿を呆然と見つめていた。
その謝罪は鈴とアルルゥに対するものなのか、それとも自らの身勝手な大義のために殺めた少女への謝罪だったのか。
それは早苗自身すらも分からなかった。
■
「わかってはいたんです……わたしにそんな大それたことなんてできないって」
結局、早苗が冷酷な殺人者になりきることはできなかった。
渚と秋生のために母と妻を封印してまで一人の少女を殺したというのに。
「でも、もう後には引けなかったんです。もうわたしの手のひらは血に染まってしまって、ここで引いたらなんのためにあの子を殺したんだって」
早苗は鈴の前で己の犯した罪を告白した。
それはさながら告解室で懺悔をする敬虔な信徒ような姿だった。
鈴は何も言わず早苗の言葉に聞き入っていた。
「だから……迷いながらもあなたたちを殺すつもりでした。アルちゃんの声を聞くまでは――」
朦朧とした意識の中に見た早苗の姿。
まだ幼いアルルゥが年上の女性に母親の影を見たのはごく自然なことだった。
だがその声のおかげで早苗は寸でのところで踏みとどまれたのだった。
「くすっ……身勝手ですねわたしは。もう一人殺してしまっているのに何を言ってるんだか」
溜息混じりの自嘲の笑み。早苗の背負った罪はあまりに重い。
今までずっと黙ったままの鈴であったが、口を開き言った。
「ううっ……あたしは何を言えばいいかわからない……ごめんなさい」
「いいのよ鈴ちゃん。ただ誰かに聞いてもらいたかっただけだから」
「でも……もう早苗さんがもうひとごろしをしないなら、あたしが何かいうべきことじゃないんだと思う。うう……やっぱり何を言えばいいかわからない」
「鈴ちゃん……」
その言葉が早苗を幾分か楽にさせ、己の罪を苛ませる。
「よいしょっ……アルちゃんの手当てはとりあえずはこれで……」
早苗はアルルゥの傷口を水で洗い流し、綺麗な布で再度傷を覆う。
「ア、アルルゥは大丈夫なのかっ!?」
「出血のわりに傷口は深くないけど……傷口の化膿が心配ね」
「なんとかならないのかっ!」
「せめて綺麗な包帯と消毒薬があれば何とかなると思うけど……」
「そんなのものあたし持ってないぞ……」
「わたしも……ごめんなさい」
アルルゥの傷は決して浅くはないがすぐに適切な処置を施せば一命を取り留めるものだった。
だが鈴はもちろんのこと早苗も素人に毛が生えた程度の医療知識しか持ち合わせていなかった。
「もしかしたら病院に行けばあるかもしれないわ」
「そ、そうなのかっ!? なら行こう! アルルゥ……もう少しのがまんだ絶対にあたしと早苗さんが助けるから……!」
早苗は眠っているアルルゥを抱き起こし背負う。
小柄なアルルゥの身体はひどく軽かった。
■
「早苗さん……疲れてないか? あたしが代わるぞ」
「大丈夫よ。鈴ちゃんこそアルちゃんをずっと背負って疲れてるんでしょう? わたしに任せて」
「うん……」
赤く染まった空の下、早苗と鈴は山道を歩く。
早苗に寄り添う鈴、早苗に背負われるアルルゥの姿は本当の親子のような姿だった。
「ううっ……あいつらに出会ったらどうしよう……」
「あいつら?」
「アルルゥを刺した女と、その後であたしたちを襲ったバケモノ女」
バケモノ女。鈴の妙な表現に早苗は喉の奥に小骨が引っ掛かったような違和感を覚えた。
「鈴ちゃん、そのバケモノ女ってどんな姿?」
「思い出すのこわいけど……顔の半分と腕の皮が剥がれてた。それで機関銃を持ってた。やっぱり思い出すのこわい」
「それって……火傷の痕かしら……。それで鈴ちゃんはどうなったの?」
「はるみが助けてくれた。へんなピンク色の制服着てたやつがあたし達を助けてくれた」
鈴の前に現れた少女。彼女は河野はるみと名乗っていた。
鈴はその後すぐにその場から逃げ出したため、彼女がどうなったかまでは把握できていなかった。
「はるみ……」
鈴は一言助けてくれた少女の名を呟いた。そして無言で歩く。
二人とも話をするタイミングが見つからない。重たい空気が二人の間を流れていた。
しばらくそうしたまま歩いていると、早苗の背中で眠っていたアルルゥが声を発した。
「ん……おかあ……さん……?」
「アルルゥ!? 目が覚めたのかっ、まだ傷は痛むかっ」
アルルゥの顔色は芳しくない。だがアルルゥは目をこすりながら鈴に言った。
「いたいけど……がまんできる。鈴おねーちゃん……このひとだれ」
「早苗さんだぞ! アルルゥの傷を手当してくれたんだ。ちゃんとお礼をいうんだぞ」
「ん……おかーさんじゃない……でも、おかーさんのにおいがする。……ありがとう」
アルルゥは顔を早苗の背中に埋めて言った。その仕草は本当の親子の光景に見えた。
「アルちゃんの本当のお母さんは……?」
アルルゥはふるふると首を振った。
「でもお父さんとお姉ちゃんがいてるからだいじょうぶ」
「心配するなアルルゥ、あたしと早苗さんがお前のお父さんとお姉ちゃんを探してやるからなっ」
「うん……」
「他に……アルルゥの知ってる人はいないのか? 友達とか」
「……ユズっちとカミュちー」
「そうか! その二人もちゃんと探してやる! な、早苗さん」
笑顔で早苗の顔を見る鈴。
だがその早苗の顔は真っ青でその肩は小刻みに震えていた。
「早苗……さん? どうした……?」
「なんでも……ないですよ……鈴ちゃん。ねえアルちゃん、ユズっちってどんな友達?」
「んー……身体よわくて、目が見えなくて、ちゃんと寝てないといけないのにそれでもいっしょに遊んでくれる友だち」
その言葉は早苗にとって頭をハンマーで殴られたに等しい衝撃だった。
自ら手にかけた盲目の少女は確かにそんな名前を名乗っていた。
結局――いくら取り繕うとも犯した罪からは逃れられない。
だけど逃げない。逃げてはいけない。犯した罪から真正面に向き合わなくては――
「ごめんなさい……アルちゃん……」
「さなえさん……?」
「あなたの友達は――わたしが殺しました」
震える声で、喉の奥から搾り取るように声を出す。
いくら謝っても、許してもらえないと分かっていても秘密になんてできない。
鈴とアルルゥにどれだけ軽蔑されようとも罪の重さから楽になりたかった。
「早苗さん……そんな……」
「ごめんなさい鈴ちゃん……わたしはやっぱり人殺しです」
項垂れる早苗。鈴も何を言えばいいのか言葉が見つからない。
そんな中、早苗の告白を静かに聞いていたアルルゥが口を開いた。
「さなえさん……おろして」
「……はい」
言われるがままに早苗はアルルゥを背中から降ろす。
苦痛に顔を歪めるとアルルゥは痛みで足元がふらつくもしっかりと踏みとどまると、真っ直ぐな澄んだ瞳で早苗に向って言った。
「……しゃがんで、さなえさん」
「…………」
無言で早苗はしゃがみ込み、アルルゥと視線を合わす。
その表情は怒っているのか哀しんでいるのか、表情からは感情は読み取れない。
ただ、その穢れ無き瞳だけが早苗の罪を射抜いていた。
そしてアルルゥは早苗にむかって手を伸ばして。
なでなで、なでなで。
早苗の頭をやさしく撫でた。
「アルちゃん……?」
「でもさなえさんはアルルゥをたすけてくれた。そしてちゃんとアルルゥとユズっちにあやまった。たぶんユズっちはそれだけで十分」
「ごめん、なさ……い。ぐすっ……ぁぁ……」
「うん、さなえさんはいいこ、いいこ」
「ああっ……うあぁぁ……」
初めて己の罪を赦されたような気がする。
幼い少女がまるで聖母のような優しい笑みを浮かべて早苗の頭を撫でている。
早苗はアルルゥの小さな身体を力いっぱい抱き締めようと腕を伸ばし。
静かな森に乾いた音が数発鳴り響いた。
「アルちゃん……?」
「アルルゥ……?」
早苗も鈴も何が起こったのか理解できなかった。理解したくもなかった。
早苗が腕を伸ばそうとした瞬間、乾いた音とともにアルルゥの小さな身体が飛び跳ねるように吹き飛び地面に叩きつけられた。
「あ、あぁぁ……アルルゥゥぅぅぅ!」
絶叫とともに鈴はアルルゥの元へ駆け寄る。
結局――奇跡は起こらなかった。地面に広がる赤い染み。
アルルゥは胸と頭を撃ち抜かれ即死だった。
「そ、んな……アルちゃん……どうして――あぐっ!」
さらに乾いた音が響き早苗の肩に焼け付くような激痛が走る。
「さ、早苗さんっ!」
撃たれた早苗の元へ駆け寄ろうと顔を上げる鈴。
だが足が硬直してしまい動けない。それもそのはずだった。
蹲る早苗の向こうに佇む人影。西日を浴びて真っ赤に燃え上がった異形の姿は忘れようにも忘れることのできないもの。
少し風変わりなメイド服に身を包み、変わった耳飾りを付けた青い髪の少女。
10人が見れば10人が間違いなく美少女と称する美貌。
だがそれは顔の左半分のみで、右半分は焼け爛れた皮膚の間から煤にまみれた金属質の骨格が露出している。
その顔は宝石のような赤紫色の左眼とは対照的に無機質な機械の右眼が禍々しい赤い光を放っていた。
そして間接部のモーターの駆動音を鳴り響かせる機械の右腕は、鉄塊のような銃を握り締めていた。
「ああっ……どうしてバケモノ女が……お前っはるみはどうしたんだ!」
恐怖を押し殺して鈴は鋼鉄の少女に問う。
「バケモノですか……否定はしませんよ。今の私に相応しい表現ですね。ああ……ミルファちゃんですか? 彼女ならもういませんよ」
「なっ……そん、な」
淡々とした口調で少女は鈴の問いに答える。
「あ、あなたは――き、機械――!?」
「ええ、私はただの機械ですよ。どれだけヒトに似せようとしてもほら、薄皮の下はこんなおぞましい姿」
まるで人間のような感情を込めて機械少女は早苗に向けて言葉を発する。
彼女の言うとおり剥き出しの機械部分を除けばその仕草、口調は人となんら変わる事が無い。
故に彼女の人間らしさがより一層、その異形さを引き立たせていた。
「ああ……でも勘違いしないで下さいね。私はロボットですが別にそう命令されているわけでも、そうプログラムされているわけでもありませんよ。
私は私の純然たる自由意志でもって私の大切な人のためにあなた達を害しようとしているだけですから」
早苗は思う。同じだ――彼女は自分と同じ動悸で殺人に臨んでいる。
愛する誰かのために地獄に堕ちる決意をしたのだと。
「可笑しいと思いませんか? ただの機械人形である私がそんな人間のような感情を見せるなんて」
少女は銃を構える。
その銃口の先は――真っ直ぐ鈴を向いている。
「鈴ちゃん! 逃げてぇぇぇぇぇぇっ!」
「なっ……!」
早苗は無我夢中で叫び機械の少女――イルファに飛び掛り彼女を押し倒す。
予想外の反撃にイルファは思わず手から銃が零れ落ちる。
「こ、この……! ――!? あぐっッ……がァッ!」
地面に落ちた銃を拾おうとしたイルファの顔面に衝撃が伝わる。
早苗は馬乗りの姿勢のまま、イルファの赤い光を放つ機械の瞳にナイフを突き入れた。
右眼の破壊によりイルファの視界一面に故障箇所が表示され、警告音が鳴り響く。
「鈴ちゃん! 早く……! 今のうちにッ!」
「あ……あああ……でもそんなことしたら早苗さんが……っ」
「わたしは大丈夫だから……! 後で必ず追いつくから……早く――かはっ」
「早苗さんッ!」
イルファの鋼鉄の腕が馬乗りになった早苗の首を掴む。
ぎしぎしと骨が軋む音。首を絞めるどころかそのまま首の骨を砕かんとイルファの腕は早苗の首を絞める。
「おね……がい、アル、ちゃんのためにも……逃げ、かふ」
「約束だぞ! ぜったいにそんな女ぶっとばしてあたしに追いつくんだぞ! 約束だぞ!」
涙で顔をくしゃくしゃにして鈴は叫ぶ。
首を絞められ声もろくに出せない早苗は笑みを浮かべると静かに親指を立てた。
「強く、生きて……鈴ちゃん」
「ぐすっ……さなえ、さん。アルルゥ……さようなら……ああぁ、うぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
鈴は山猫のように駆け出した。
生きるために。想いを託された者のために。
イルファは早苗の首を掴んだまま立ち上がる。
早苗はイルファの右腕一本で宙に吊るされた状態だった。
鉄の指が早苗の喉に深く食い込み呼吸すらままならない。
イルファは首の拘束を若干緩めると早苗に向って問いかけた。
「……どうして、そこまでしてあの子のために命を投げ出せるんですか。あなたと彼女はこの島で出会ったばかりでしょうに」
「わた……しは教、師でし……たから。子どもたちを守るのは当然……でしょう?」
「…………」
「そして……何より――わたしは母親ですから……それ以上の理由、なんて……ないですよ」
「母親……ですか。私はなりたくても決してなれないモノですね」
「ふふふ……本当にあなたって人間みたい。とても、ロボットには……見えませんよ」
「よく、言われます。でも人の心を持ってしまったがゆえにあなたを殺そうとしている。本当にヒトは業の深い存在ですよ」
「そ、うです……ね」
早苗は寂しげに笑う。
どうして人は大切な人のために罪を重ねることができるのだろう。
イルファはもう息をしていないアルルゥを一瞥すると言った。
「……彼女とあなたの命に免じて今はあの子を追うのはやめておきます」
「そう……ありがとう……あなたのお名前は?」
「……イルファ」
「良い……名前ですね」
「……さようなら」
短い別れの挨拶を交わしイルファは右手に力を込めた。
ごきりと何かが砕けるような音がして早苗の身体が大きく一回跳ねる。早苗は手足をぶらりと垂れ下がったまま、もう二度と動くことは無かった。
イルファは力を込めた手を緩めると無造作に早苗の亡骸を投げ捨てた。
赤く燃える空の下、幼い子どもと女性の亡骸が転がる森。
そこに佇む一体の機械人形。彼女は二人の亡骸を凝視すると思わず笑みがこぼれ落ちた。
「くく……くくく……これが人の心を持ったがゆえの結末ですか……」
何も抵抗できない子どもと子どもたちを守ろうとした母を殺した。
誰に命令されたわけでもなく誰にプログラムされたわけでもなく、自らの意思で二人を殺した。
ついに一線を越えてしまった。後はひたすら畜生道を転がり落ちるだけだった。
【時間:1日目17:30ごろ】
【場所:C-4】
イルファ
【持ち物:、
M240機関銃 弾丸×295 水・食料一日分】
【状況:右眼損傷】
アルルゥ
【状況:死亡】
古河早苗
【状況:死亡】
■
走る。
走る。
山を。
森を。
転がり落ちるように鈴はひたすら走る。
いつしか山を下っていた鈴は寂れた街を走っていた。
視界に見覚えのある景色が飛び込む。
シャッターが閉まった商店街。その中に一軒だけシャッターが開いた店。
最初にアルルゥと出会った場所だった。
「アルルゥ……ぐすっ……」
アルルゥとの思い出をそこに置いていくかのように鈴は込み上げる涙を拭いながら鈴は商店街を走り抜ける。
さらに走る。
走る。
足が棒になりそうになってもう走れなくなった鈴は朽ち果てた神社に訪れていた。
雑草が覆い茂る神社の境内はもう何年も人の手が入っていないのだろう。
鈴はふらふらとした足取りで古びた賽銭箱に背を預けた。
「うう……早苗さん……アルルゥ……はるみ……あたしは……あたしは……」
膝を抱えすすり泣く鈴。
これからどうしていいか何もわからない。ただ孤独のみが彼女を苛む。夕闇の中ひとりぼっちの彼女。
そんな彼女の脳裏にリフレインする早苗の最期の言葉。
強く、生きて――
その言葉だけが折れそうになった鈴の心を唯一繋ぎ止めていた。
【時間:1日目17:30ごろ】
【場所:B-3 神社】
棗鈴
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:健康】
最終更新:2011年09月09日 02:16