漆黒の羽根にさらわれて ◆92mXel1qC6
――見上げた空に堕ちていく
▽
口から零れ出た空気は、泡となり水の中を空を目指し登っていく。
空の蒼に焦がれて、一心不乱に水の青をかき分けて進んでいく。
叶わぬ夢だ。
泡は、どれだけ頑張ろうとも、水の中からは出られない。
水面の壁を超えて、あれだけ望んだ空へと手を伸ばした時。
割れて弾けて消えて、それで終わりだ。
そんな光景を何度も何度もプールの底から見ていたからか。
あたしは空を最も遠い場所のように感じていた。
その感覚は死んだ後でも変わらなかった。
死後の世界が一般的なあの世のイメージと違って雲の上になかったことも。
死んだ後の自分に下半身があって、浮いたりすることもなく、二本の足で歩かなければならなかったことも。
特に違和感なく受け入れることができた。
……まあ、正直、後者の方はありがたかったのだけれど。
死んでいる身でこんなことを言うのはおかしいかもしれないが、お化けだけは勘弁である。
空なんか飛べなくてもいいから、あたしは足が欲しい。
泡になることを拒んだ人魚姫は、陸地で生きて行くしかないのだから。
それなのに。
あたしは今、水底から見上げているだけだった空を泳いでる。
漆黒の羽根にさらわれてここにいる。
――ああ、これが空か
不思議な感触だった。
飛ぶ鳥はよく自由の象徴だって言われるけれど。
そんなことなんて全然なかったんだなーって、実感する。
まず重い。
身体が軽く感じた水中とは違って、空じゃ身体がすごく重い。
多分、重力という奴に引っ張られているせいだ。
身体が浮く感触が楽しかった水の中とは全く逆だ。
次に痛い。
水の中だと味方だった空気がちょっとだけ痛い。
空気摩擦というものだろうか。
身体の節々が空気の層にぶつかるたびに、熱を帯びる。
目が乾いちゃって、ずっと開けてはいられない。
――ほんと、水の中とは大違いだ。だけど……
「あ、あはは、その、大丈夫? ごめんね、カミュ、あんまり人を抱いて飛んだことなくて。
待ってって、すぐに何とかするから。ええっと飛翔補助の呪文は、っと」
顔に出てたのだろう。
申し訳なさげにあたしを見て、カミュさんは何やらぶつぶつと唱え出す。
法術というものらしい。
カミュさんが、あたしを軽く両手で抱えて飛べているのも、その力のおかげだそうだ。
多分、今はあたしにかかる空気抵抗や重力負荷を減らそうとしてくれているのだろう。
その心遣いは嬉しいのだけれど。
あたしは口を動かすと舌を噛みそうだったから、無言で首を振って、やんわりとその申し出を断らせてもらった。
だってこの思うようにいかない感覚に懐かしさを覚えてしまったから。
あたしは、泳ぐこともだけど、何よりも、水の中にいること自体が好きだった。
水の中も空と同じで、不自由なものだったけど。
一歩歩くだけで、地上の何倍もの労力を要したし。
慣れないうちはよく水が目や鼻から入ってきて、すごくきつかったっし。
そもそも初めの頃は、浮くことさえできないで、何度も何度も沈みもした。
でも、そのままならなさこそが、あたしに水の中にいることを実感させてくれてたんだ。
ああ、だから、ちょっとだけ、このままでいよう。
寂しく、儚い水底とは対極にあるこの雄大な世界で。
大嫌いな水の色とは真逆のこの赤い夕陽に抱かれて。
あたしは、もっともっと、あの大好きな感覚を感じていたい。
――あたしは、もう少しだけ、空で溺れていたい
▽
腕に抱いたイリエちゃんが切なげにだけど微笑んでくれて、少しほっとした。
初めて見た時、なんでかな、“みんな”みたいだなーって思った。
どこがって聞かれたら、カミュにも分かんないけど、それでも、確信めいた直感があった。
カミュにしか見えない“みんな”。
禍日神『ヌグィソムカミ』って呼ばれるカミュのお友達。
お友達なんだ。
禍日神は、俗に言う邪神や悪霊、妖怪の総称だ。
一般的には、ヒトに仇なし災いを齎すヒトならざる存在だって言われてるけど、みんながみんな、悪い子じゃない。
ただ未練があって成仏できない幽霊や、悪戯好きだけど本当は遊んでほしいだけな妖怪達だって、いっぱいいる。
そんな子達と、お姉さまやムントの目を盗んではよくは遊んでた。
あの子達はカミュと一緒だったから。
世界のどこにも居場所のない、寂しがり屋だったから。
こんなこと、お姉さまに言ったら悲しまれるけど、それでもカミュは、ずっとこの世界に居場所なんてないように感じてた。
大神『ウィツァルネミテア』信仰するカミュ達オンカミヤリューの始祖様。
その力の現れだって、大層ムント達は大喜びしてたけど。
カミュは、みんなとは違う黒い羽なんていらなかった。
この羽根のせいで、お姉さま以外の誰からも畏怖されて、ずっとずっと一人ぼっちだった。
アルちゃんやユズっちと友達になれるまでは。
イリエちゃんはあの頃のカミュにも少し似ていた。
ここにいてもいいのか分からない。
どこにいたいのかも分からない。
水辺を背にしたイリエちゃんは、そのまま流されていってしまいそうな、寂しげで儚げな雰囲気だった。
それを、どうにかしたいって、思った。
放ってなんかおけなかった。
アルちゃんやユズっちが、カミュの寂しさを取り除いてくれたように。
カミュもイリエちゃんに何かをしてあげたかった。
だから、手を差し伸べた。
一緒に行こうって。
友だちになれたらいいなって、心の中で願いながら。
……うん、ほんとはね。
イリエちゃんのためだけじゃなくて、カミュ自身も、独りぼっちは嫌だったから。
あの
温もりを知ってしまった今、一人で飛ぶ空は寂しすぎたから。
でもでも、それから後がとっても困っちゃった。
思い出してみれば、カミュ、今まで、自分一人の力で、友達を作ったことがなかったから。
アルちゃんの時だって、とっておきの作戦をおじさまが教えてくれたのがきっかけで。
カミュはおじさまみたいに頭なんてよくなくて。
ぎこちない会話をニ、三言口にしては話が終わるを繰り返すばかり。
あ、あはは、もうどうしよっかな~って本気で悩んじゃって。
そんな時に、ふとムックルのことを思い出したの。
アルちゃんと、カミュと、ユズっちで一緒によく乗って、色んなところに行ったあの記憶ごと!
ピンときた、これぞ正しく友達の光景だって!
い、いや、まあ、アルちゃんと友達じゃない人には馴染みのないことなのは分かってるんだけど。
と、に、か、く! もう思いついちゃったら行動あるのみ!
「カミュにのってみない?」
そう言ったら、イリエちゃんは顔を真赤にしてすごく慌ててた。
どこか間違えちゃったかなーって胸中では冷や汗を流しながらも、ええいままよと一気にまくり上げて熱弁した。
空からだと知り合い探すのが楽だとか。
害意のある人にも襲われにくいとか。
森や山だって、ぴゅーっとひとっ飛びとか。
言い訳じみた言葉を、とにかく並べ尽くした。
お姉さまやおじさまなら、軽率だってたしなめてくれたと思う。
確かに空の上からなら、人探しには最適だし、敵から逃げるのだっていくらかは簡単だ。
けど、遮蔽物が何もない空を飛ぶということは、他人に見つけてくれと言っているようなものだし。
攻撃だって、剣や槍は届かなくとも、術や弓なら、撃ち落とされる危険性がある。
分かってる、分かってるよ。
それくらい、おじさま達に言われるまでもなく、カミュだって理解してる。
伊達にこれまで、おじさま達と戦場を幾つも渡ってきたわけじゃないもの。
でも、けど、それでも。
カミュは飛ばずにはいられなかった。
さっきまではアルちゃんやユズっちを探すため。
本音を言うと、アルちゃん達の方から、カミュを見つけて欲しいなって思ってた。
そして今は、それに加えてイリエちゃんが居場所を見つけられるように。
ここにいてもいいんだよって。
カミュでよければイリエちゃんの居場所に――友達になりたいなって。
肝心な時に口下手で、変に照れたり慌てたりしちゃって、まだ言葉にはできていないけれど。
その分強く、強く、翼をはためかせる。
透明化の術があいも変わらず使えなくて、晒されっぱなしのその色は、黒。
黒い翼。
カミュを孤独へと追いやった黒い翼。
それを誰かと繋がるために使えるというのなら。
――この翼も、中々捨てたものじゃない、かな
【時間:1日目午後5時ごろ】
【場所:C-5上空】
入江
【持ち物:毒薬、水・食料一日分】
【状況:健康】
カミュ
【持ち物:不明支給品、水・食料一日分】
【状況:健康】
最終更新:2011年09月09日 00:44