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天に吠える ◆92mXel1qC6



その姿に、かつての自身を幻視した。
命を弄び戦乱を呼び込む超越者に、かつてのゲンジマルもまた噛み付いた。
それだけの力があるのに、何故人々を護るために使わないのかと。
義憤にかられ、ゲンジマルは何度も、何度も、その存在へとがむしゃらに挑んだ。
その度に地に伏せることとなったのはゲンジマルの方で、かの存在には傷一つ付けることもできず。
それでもゲンジマルは諦めることを吉とせず吠え続けた。
弱者を護るために鍛えあげてきた力が、弱者を切り捨てることを当然とする力に、負けるわけにはいかぬと。
きゃんきゃんと、きゃんきゃんと吠え続けた。
しかしながら、いつからだったろうか。
かの者に挑み続ける理由が変化したのは。
十を数えた時か、二十を数えた時か。
百を過ぎた時か、二百を過ぎた時か。
当初の怒りは消えさえはしなかったものの、それ以上に大きな感情が、心の底から沸き上がっていた。

――楽しい

あろうことかゲンジマルは悪たるかの者に挑むことを、楽しいと思うようになってしまったのだ。
その想いに気づいた時、ゲンジマルは困惑した。
『義』を貫く種族であるエヴェンクルガであることを誇りとして生きてきたゲンジマルにとって、悪と戦うことを楽しむなどあってはならなかったからだ。
ゲンジマルは悩んだ。
悩んで、悩んで、悩んで、自らが抱いてしまった感情を、何かの間違いだと確かめるために、これまで以上にかの者に挑んだ。
挑んで、挑んで、挑んで。
その度に、楽しいという想いは消えるどころか強まってしまった。

思い起こせば、あの頃既に、ゲンジマルは英雄と呼ばれて差し支えない腕を誇っていた。
彼に並び立てるものは、当時のラルマニオヌ皇くらいだったろう。
その唯一のライバルとさえ、ゲンジマルは全力で打ち合ったことがなかった。
『義』を尊ぶあまり、彼は私闘をよしとしていなかった。
ゲンジマルは、かの者に挑むまで、心置きなく全力を尽くせる相手がいなかったのだ。

だから、嬉しかった。
漸く陽の目を見ることができた彼の全力が軽く一蹴されようとも。
自らの全てをぶつけられることが堪らなく嬉しかった。

超えたいと、ゲンジマルは思うようになった。
『義』の為などではなく、ただ、武人としての一心で、かの者を超えたいとゲンジマルは思うようになった。
いつしかゲンジマルは、エヴェンクルガとしてだけでなく、一人の武人として、胸を借りる気持ちでかの者に挑むようになった。
あいも変わらず負け続きの日々ではあれども。
意外にもかの者は本気でゲンジマルのことを讃えてくれた。
流石だな、やるな、と。
それらの言葉はゲンジマルの励みとなり、より一層彼を奮い立たせた。

それからまた幾年もの時が過ぎたある日。
ゲンジマルはついぞ、自身の願いが叶わぬものであることに気付いてしまった。
彼の年齢は既に肉体のピークに達していた。
これ以上の時をかけたところで、後は老い、弱くなるだけだというのは否が応にも理解できた。
限界だったのは何も肉体年齢だけではない。
心の強さも技の冴えも。
既にゲンジマルは時を重ねることなく極めきってしまっていた。
本来ならば、数十年もの時を経て、ようやっと至れたであろう境地に。
遙か雲の上の絶対者に挑み続けているうちに、彼は時の階段を飛び越えて、辿り着いてしまっていたのだ。

故にこそ、ゲンジマルは悟った。
自身の強さにこの先がないことを。
我が身はかの存在にどう足掻いても勝てないのだということを。
そして悟ってしまったが故に、一つの疑問が胸中に生じた。

何故、あの方は某に付き合ってくださっていたのか、と。

人としての強さの最果てにまで登り詰めたからこそ、ゲンジマルはかの者の果てなき力を正しく理解できるようになっていた。
人如きがどれだけ研鑽を積もうとも触れることすら叶わない存在――それがかの者なのだと。
だからこそ、疑問なのだ。
かの者からすれば最強の武人といえど吹けば飛ぶ塵のような存在だった。
何度もちょっかいを出してくる蟻など、鬱陶しい存在でしかなかったはずだ。
だというのに、これまで一度足りともかの者がゲンジマルを邪険に扱ったことはなかった。
何度でも何度でも、ゲンジマルの挑戦を真っ向から受け止めてくれた。
あの“彼”が。
弱き者を尽く切り捨ててきたあの“彼”が。

その疑問の答えをゲンジマルは程なくして得ることとなった。
敵わぬ存在だと知り、身を退こうと決意し、これまでの感謝と謝意を伝えに行った時、“彼”が予期せぬことを口にしたのだ。

「そうか……。また友がいなくなるのか。寂しいことだな」

ゲンジマルが得た衝撃は想像を絶するものだった。
友と、何よりも絶対たる存在が、自身のことを友と呼んでくれたのだ。
それは武人としての彼を満たして余りあると同時に、エヴェンクルガとしての彼をも恭順させる言葉だった。
友情もまた一つの『義』。
もはやゲンジマルにかの者と敵対する心意気も、かの者の元を去る理由も、一つもなかった。
ゲンジマルの牙が真に抜かれたのは、まさにこの日この刻のことだった。

こうして、ゲンジマルはかの者と契約を結んだのだ。
御神、ウィツァルネミテアの分身たる“彼”と。
よもやその数十年後に、ゲンジマルの心が揺らぐことになろうとは、ゲンジマルだけでなく、神たる“彼”にも思いもしなかったろう。




他のどのような賢者を前にしても、あの時の誓は揺らがなかった。
他のどのような優しき者に背を預けても、情に絆されはしなかった。
それほどまでに、ゲンジマルがかの者と培ってきた絆は深いのだ。
であればこそ、その絆を揺らがせることができるのは、かの者以外、他にいなかった。
ハクオロ。
白き仮面の皇。
かの者の写し身にして、分かたれし半身。
人類を押し上げるのではなく、人の中で生きることで孤独より解放されし神。
“彼”ではなく、されど確かに“彼”である存在を目の当たりにしたことで、ゲンジマルの心に過ぎ去りし日に置いてきたはずの、迷いが生じた。
いいのかと。このままで、よいのかと。
主の間違いを正すのも、臣下の役目。
絶対者たる“彼”に意見できる眷属など、“彼”に友として認められたゲンジマルを置いて他にいなかった。

――どうする、某はどうしたい?

久方ぶりの葛藤は、ゲンジマルの胸の内で少しずつ、少しずつ、膨れ上がっていった。
家族に囲まれ、友に囲まれ、仲間に囲まれて笑うもう一人の“彼”を目にする度に。
護るべき先王の娘クーヤが、もう一人の“彼”のことを嬉しそうに語る度に。
ゲンジマルの心は、揺れて、揺れて、揺れて、一つに定まらなくなってしまった。

恐らくは、その葛藤を見透かされたのだろう。
ゲンジマルは主たる“彼”から、何の知らせもなしに、此度の殺し合いに参加させられていた。
彼の首を戒める首輪こそがその証だ。
本来、ゲンジマルにそのようなものは必要ないのだ。
契約を交わし、命に楔を打ち込まれているゲンジマルには、“彼”に刃向かいようがないのだから。
ゲンジマルに契約の履行を促すためだけに、首輪という眼に見える形で戒めたのだ。

“彼”からの勧告は、首輪だけに留まらなかった。
これ見よがしにゲンジマルのすぐ傍に配置された無辜の民。
汝が我が契約を遵守するならこれまでのように罪を犯して見せろとばかりに支給された刃。
未だ“彼”との契約を反故にしようと思い切れていなかったゲンジマルには、先王との約束もあり、殺すしかなかった。
ゲンジマルは、少女を殺した。

次に出会ったのは一人の青年。
いつの日かの自分のように巨大な存在に一歩も退かず、噛み付いてきた一人の青年。
彼はあの頃のゲンジマルに比べても、いと小さき存在で、負け犬だったが、しかし、ゲンジマルとは違い、己が牙は抜かれてはいなかった。
故にこそ、ゲンジマルはその姿勢をよしとした。
ゲンジマルを見極めんとするかのように、今に到るまで一時も、目を離さない彼に、自身がどう映るのか。
その興味と、在りし日への望郷もあって、ゲンジマルは刃を下ろした。
ゲンジマルは、青年を殺さなかった。

そして、そして今。
青年との出会いの直後の、三度目の邂逅にて。
ゲンジマルはかつてのように、天上の存在と斬り結んでいた。

「……ガードスキル、delay」

銀の髪を夕日色に染めてゲンジマルの剣速を上回り、駆け抜けるは一人の少女。
年は孫娘と同じくらいだろうか。
外見もまた、身内贔屓であることを差し引いても、器量よしと認められるサクヤ同様、美しい少女だった。
ゲンジマルが先ほど殺した少女と似た素材の服を来た少女だった。

されど。
果たしてこの娘は、本当に見た目通りの少女なのだろうか?
よしんば少女だったとして、ただの少女がゲンジマルの全速の一撃を回避できると?
身体一つで超兵器アヴ・カムゥを一蹴できるゲンジマルに、ぎりぎりとはいえ戦闘を成立させ得ると?
否、断じて否。
確かに、世には常識はずれの腕前を持つ少女もまれにいる。
幼さの残る少女が剣奴の闘覇者として君臨していたという話を、ゲンジマルも耳にしたことがある。
ゲンジマルが一撃で仕留め切れなかった猛者とて数人はいた。
七度に渡る激戦を繰り広げたラルマニオヌ皇は強さ的には少女を軽く上回っていた。

だが、それはあくまでも、人としての力に限った話だ。
どれだけ常軌を逸していようとも、彼ら彼女らの力は人間の範疇だった。

この少女は違う。

「――ガードスキル、Howling!」
「ぬるいわアッ!!」

時に目で追うのがやっとの超速で走りぬけ。
時に不可視の障壁で敵刃の軌道を逸らし。
時に背より生やした羽根で吹き飛ばされた衝撃を緩和し。
時に虚空より刃を生み出し。
時に折れた刃を瞬時に再生させ。
時にアヴ・カムゥの一撃さえ片手で受け止められるゲンジマルの豪腕を押し返し。
時に自らの分身を産み出して盾とする。

「ぬあ――――ッ!!」
「……っ! パッシブスキル――Overdrive、フルブーストッ!!」

よしんば、それら数多の防御陣を掻い潜り付けた傷さえも、瞬く間に完治させる。
その所業、到底人のものにあらず。
ゲンジマルは知っていた。
そのような御業を扱える存在をどう呼べば良いのかを。

――神

しかし、この少女は“彼”ではなければ、もう一人の“彼”でもない。
ならば、何者なのか。
神にあらねど、神に近しき者。
ふっと、ゲンジマルの脳裏を一人の少女の姿をした存在がよぎる。
白き髪、巨大な翼、光の剣、不可視の障壁、分身による連撃。
そうだ、かの者は唯一無二たる大神の使いにして、天の子。
よもや――

「よもや、其の方、天使、か?」

思わずよく考えもせず漏らしてしまった問いかけに、ゲンジマルは自嘲する。
そんなはずはないのだ。
それこそ、ゲンジマルは知っているではないか。
大神の直系の娘は後にも先にもただ一人、あの黒翼の少女だけだと。

「――違う」

それ見たことか。
律儀に殺し合っている敵に答えを返してくれる少女の声を聞きつつ、老いたものだとゲンジマルは苦笑して。
続く少女の言葉に目を見開いた。

「けど、その人達はあたしのこと、そう呼ぶ」

その人達と、少女が――天使が指差したのはかつての自身を思い起こさせた青年、藤巻。
殺し合いを憂いているはずの彼が、迷う素振りを見せてはいれども、この戦いにおいては止に入らないことに幾らかばかりの疑問はあった。
だがその疑問もまた、少女の答えで解凍する。
藤巻は、この天使である少女に、果ては神に敵対し、挑んでいたのでは、と。
そういう、ことなのか。
どこか似ていると思ってはいたが、そういうことなのか?

「くっく、はっはっは、はははははははははは!」

笑っていた。
ゲンジマルは大口を開いて笑っていた。
これが笑わずにはいられようか。
何たる偶然、何たる奇縁。
若き日を思い浮かばせると思っていた青年は、その実神と敵対していた。
若かりし日を思い出した自身は、かつてのように天の使いと矛を交えていた。

「はあああっはっはっはっはっはっはっっはっはっはっはははは!」

いや、もしかしたらこれは偶然でも、奇縁でもないのかも知れない。
神の見えざる手という言葉もある。
天が、“彼”が、ゲンジマルにもう一度初心にかえって、自らを見つめ直せと機会をくれたのかもしれない。
なら。であるなら。

(貴方様の胸、今再びお借り申す)

剣を納刀する。
決してかつてのように、打倒を諦めたというわけではない。
その逆だ。
牙を抜かれるよりも以前、がむしゃらまでに“彼”に戦いを挑んだあの日々に回帰する。

――勝つ。某は貴方様を超えてみせる。それが、それが唯一の……

カチン。
浮かびかけた雑念を鍔を鳴らして封じ込める。
その念は、あの頃の自分にはなかった想いだ。
なれば、今は不要ず。
今の自身に必要なのはただ一念。
眼前の存在を超えるという想いのみ。

「其方、名を、教えてはくださらぬか」
「……立華奏。あなたは?」
「これは失礼した。某の名はゲンジマル。奏殿、お相手していただけるか?」

こくりと頷くも、少女は構えることもなく不動。
それでいい、それでこそだ。
ゲンジマルは軸足に力を込める。

ゲンジマルから見ても、立華奏は技巧に優れているわけではない。
法術に秀でているわけでもない。
それでも強い。
ただただ強い。
人間で言えばギリヤギナだとか、獣で言えば槍をも通さない毛皮だとか、そう言ったことではない。
そんな難しい事ではないのだ。
硬くて、速くて、傷つかない。
それだけで事足りてしまうのだ。
絶対者とは、神聖にして不可侵な存在とは、そういうものなのだ。
これより仕掛けるは全力全開正面突破の真っ向勝負。
絶対の防御力を誇る天使に対しては悪手この上なきなれど。
ゲンジマルの迷いを晴らすにはこの一手以外に選択の余地はなかった。

「おぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお――――」
「……ッ、あ、あッ! ガードスキル、デュアルタスクッ! Delay、Distortion、AngelsWing、HandSonic.ver――ッ!」

雷轟一声。
並みの人間ならばそれのみにて気死しかねる常軌を逸した気合いの一声をあげ、ゲンジマルは大きく踏み込む。
そして刃鳴りの音すら置き去りにして一気に剣を鞘より引き抜いた。
それはいかなる魔技か。
掟破りのシャムシールによる抜刀術。
されどこの戦いにおいては一つの道理でもあった。
天使に挑んでいるのだ。
神業の一つや二つ扱えずに、何が神を超えるだ!

「きえええええ――――――いッ!!!」

本来計八の剣戟を叩き込む神速の抜刀術。
その八刃がただ一太刀に連なって幾重にも張り巡らされた天使のガードスキルを食い破る。
ディレイで避けうる速度でなく、ディストーションで逸らしうる重さでなく、オーバードライブで耐えうる威力ではない。
咄嗟に展開したエンジェルズウイングも所詮は飾り。
薄紙を破られるが如く、呆気無く引きちぎられた。

それで決着だった。

「――お見事」

そう、決着だ。
たとえその一撃が、幾重もの障壁と、エンジェルズウイングを目眩ましにしたHandSonic.ver4の厚みにより威力を殺されきっていたのだとしても。
同じくエンジェルズウイングを目眩ましにした時に、天使が身を逸らしたが為に、心の臓を外れ、左肩口を深く切り裂くに留まったにせよ。
全ての防壁を剥がれた天使に、再び剣を振り上げ、振り下ろせば止めをさせる状況ではあれど。
ゲンジマルにはこれ以上、天使と戦い続ける意思はなかった。
答えは得た。
過ぎし日は、既に昔日のものにあらず。
この胸に再び、“彼”と歩んだ日々は燃え上がっている。
絶対たる“彼”に仕える喜びも。
これよりゲンジマルは迷うことなく、主命に従い、人を殺す。
先王との約束のために。
いや、飾ることは止そう。
何よりも。何よりも“彼”の望みを叶え、眷属としてでも、共に歩む為に。
“彼”に友と呼ばれたこの身が、胸をはって“彼”を友と呼び返す為に。
ゲンジマルは、これより修羅の道を行く。
だから、今、ゲンジマルが天使に止めを刺さず、背を向けるのは天使への情にあらず。
殺そうとしてでなく、ただ越えようとして、“彼”に挑んだ日々。
その思い出を汚したくなかったから、ただそれだけだった。






天使に背を向け、去っていくゲンジマルを忘我より回復した藤巻は慌てて追いかけた。
待てと言っても待ってはくれないのは分かっていたから、少々無理をしてでも無理矢理に追い抜く。
目があったゲンジマルはまたあのにやりとした笑みを浮かべて、早速好き放題言い出した。

「浮かぬ顔をしておるな。奏殿に止めを刺さなかったことが気に食わぬか?」
「……っ、そんなんじゃ、ねえよ」
「それでよい。他人の手を借りること自体は否定はせぬ。されど、超えるべき壁は自分の手でこそ超えねばならぬ」
「違うって、言ってるだろっ」

再び藤巻を追い抜いていくゲンジマルの背を見つめながら内心、独りごちる。
そうだ、違うのだ。
天使を仕留め損ねた――藤巻が直面している問題は、断じて、そんな“ちっぽけな”ものではなかった。
ただ思ってしまったのだ。
ゲンジマルと天使の戦いを前にして、自分たちが今までしてきたことはなんだったのだと。

悔しくて口にこそ出さないが、正直藤巻は、ゲンジマルという漢の戦いに掛け値なしに魅入っていた。
ゲンジマルは天使が敵だったからこそ、藤巻が止に入らなかったのだと思っているようだが、それは違う。
この戦いをもっともっと見ていたい、そんな風に思ってしまっただけだったのだ。

すごかった。
あの天使を相手に終始優勢だったゲンジマルの戦いぶりは男なら惹かれて余りあるものがあった。
殺しの技なのに。
やっていることはただの人殺しなのに。

(けどよ、それを言うなら俺達はどうだったんだ?)

藤巻の心を占める暗雲とはそれだった。
ゲンジマルは人殺しだ。
その人殺しの男の戦いぶりに見入ってしまったことを恥じるのは人間にとっては正常だ。
しかし、果たして、自分に、人殺しの男の戦いぶりに見入ったことを恥じる資格はあるのだろうか。
ツーテールの少女を殺したことは許せない。
菜々子を殺した奴は許せない。

なら、天使は?

今回ゲンジマルが殺そうとしたのは天使だった。
でも、それはあくまでも今回の話だ。
これまで。
これまで天使を殺そうとしていたのは、どこのどいつだった?
天使を“殺して”、神を引き摺り出すなり、死後の世界を永遠の楽園にしようとしていたのは誰だったか。

(俺達だ。俺達じゃないか……)

ぎりりっと拳を握りしめる。
何故、今までそのことに気付かなかったのか。
天使が実際に死ぬかなんて分からない。
天使が死ぬ姿なんて想像できない。
それでも、自分達は彼女を殺す気でいた。
剣を向け、銃を向け、殺そうとした。
死ぬかどうかは関係ない。その殺意は本物だった。
本物だった、はずだったのだ。

(俺達は、“殺す”という覚悟を持っていたのか?)

天使を殺すことを、皆は消すという言い方をしていた気がする。
NPCという呼び方そのままに、ゲームのボスキャラを倒すようにだ。
誰も彼もが天使を命ある存在として見ていなかったのではないか。
“命”を刈取るという覚悟がある分、人殺しのゲンジマルの方がよっぽど“命”に真摯なのではないか。
ぐるぐるとぐるぐると、疑惑が藤巻の脳内を駆け巡る。

何も、天使も生きているんだよなんていうことを言いたいわけではない。
藤巻だって、戦線メンバーの一人だ。
神への反抗心はあったし、その配下なら殺してやりたいとさえ今でも思う。
けれど、それでも。

(俺達の、今までの戦いは、見ている者達を魅入らせるような、そんな戦い足り得たのか……?)

足りえなかった。
断言できる。
もしも戦線の戦いがそれ程のものなら、死んだ世界解放戦線に他の死者たちも参加していたはずだ。
現実はそうはならなかった。
所詮戦線の神への反逆など、ライブに負ける程度のものだったのだ。

(同じ天使相手でなんだよ、この差は。これが大人と子どもの差かよ。本当の戦いって奴かよ。
 俺達の、戦線の戦いは子どもの遊びでしかなかったっつうのかよ。
 ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう!)

嘆けども、嘆けども、無様な気持ちになるだけだった。

ゲンジマルの背中が遠い。



【時間:1日目午後5時59ごろ】
【場所:E-7】


藤巻
【持ち物:防弾性割烹着頭巾付き、手鏡、水・食料一日分】
【状況:健康。このジジイの正体を見極めてやる+α?】


ゲンジマル
【持ち物:ショーテル、水・食料一日分、立川郁美の支給品(まだ未確認)】
【状況:健康。契約を守る】





そして、ここにもまた一人、迷いに囚われた青年がいた。

藤巻と共に、立華奏とゲンジマルの戦いを見届けることとなった青年、岡崎朋也である。
いや、それはお世辞にでも見届けるなどというかっこいい言葉を使えるものではなかった。
紛い物といえど戦場の心得があった藤巻とは違い、朋也は真に素人だった。
そんな青年が、爆撃機並と称された少女と伝説とまで謳われた武人の戦いを、正しく認識出来るはずがなかった。
目で追うのがやっとなどころか、見ているだけで気絶しないのがやっとな程、二人の戦いは激しいものだったのだ。
彼らふたりが駆け抜けた地はぺんぺん草の一つすら残っていなかった。
ゲンジマルの関心が朋也を庇って、初撃の一閃をハンドソニックで迎撃した奏に移っていなければ、今頃自分も荒野の仲間入りだっただろう。

だから、だから、そう。
藤巻が、あのゲンジマルでさえも見過ごした、そのことに朋也が気付けたのは、いくつもの偶然が重なったが故のことだった。

(奏は、明らかに、身体を庇ってた……?)

初めは何となくでしかなかった。
自分を庇う形で戦いをふっかけられた奏を、なんとかして手助けできないか。
そう思って朋也は目を凝らして奏の挙動を追っていた。
その内にふと、奏の動き方に、身体に不備を抱えているもの特有の癖みたいなものが見て取れたのだ。
とはいえあくまでも何となくや、みたいなに過ぎなかった。
自身もまた肩に不調を抱えている身だ。
他人の不備を見抜くことに関しては、健康な人々よりも秀でている自覚はあるが、不調を抱えているからこそ、変に敏感になり過ぎる時もある。
ただでさえ、数時間前に不調の原因となった人物のことを考えたばかりなのだ。
考えすぎだろと、その時点では一度朋也はその考えを脳裏に追いやった。

勘が確証に変わったのは、ゲンジマルの最後の一太刀の時だった。
抜刀と共に発された猿叫。
あの雷轟に、朋也だけではない、奏でも間違いなく飲まれていたのだ。
一瞬、ほんの一瞬だけど、無表情の裏にある少女としての奏の顔から、色が抜け落ちたのを朋也は確かに目にしたのだ。
しかしながら、放心してしまった少女の心に反し、身体は咄嗟に動いていた。
まるで慣れた物事への反射のように。本能の如く染み付いている習慣のように。それだけは庇わねばならないと常日頃から意識していた成果のように。
立華奏の身体は、無我夢中で身体を――心臓を庇っていた。
素人目で見て分かるほど露骨に。
立華奏は心臓を庇っていた。

では、何故このことに藤巻はともかくゲンジマルさえも気付けなかったのか。
これは、朋也が奏という少女のことをいくらかは知っていた以上に、藤巻とゲンジマルが奏のことを天使だと捉えていたことが大きい。
完璧なる超越者の御使い。ならばこそ、その身に欠落などあるはずがないと。天使ならどんな攻撃も冷静に対処するはずだ。
そう思い込んでしまったからこそ、挙動の不審を見落としてしまったのだ。

思えば派手な効果の数々に誤魔化されがちだったが、今回の戦い、奏は終始、防御一辺倒だった。
ゲンジマル程の強者を前にしては、攻撃に回る隙はなかったのかも知れないが、それにしても、全くその素振りさえ見せなかったというのはおかしいのではないか。
聞いたところによると、奏の超能力の数々は、エンジェルプレイヤーという道具によって生み出したものだという。
エンジェルプレイヤーがどういうものなのか、朋也はよく知らない。
けれど、知らないからこそ、単純な疑問が浮かんでは離れない。

――あれだけ様々なヴァリエーションの防御技を設定できるなら、こう春原あたりが喜びそうな派手な攻撃技も設定できるんじゃないか?

唯一の攻撃に使える技であるハンドソニックすら、ガードスキル――防御技能扱いだ。
それがどうしても朋也には気になった。
ガードスキルに対するアタックスキルがないのは単に奏が人を傷つけるのを嫌う優しい子だからか。
或いは。
アタックスキルが不要なのではなく、ガードスキルが必要なのだとしたら?
過剰とも取れる防御技能が、その実、外敵に向けたものではなく、自身の抱える欠点を補うものだったとしたら?
筋は、通る。

「立華、お前……ッ」

心臓が悪いのか?
そう言葉にしきるよりも速く、朋也の脳裏を一人の男の姿が過ぎり、慌てて口を閉じる。

(馬鹿か俺は!)

もし朋也の想像通りなら、軽々しく聞いていいものではない。
それにたとえ奏が特に気にしておらず、話してくれたとしても、それに対して自分は肩のことを明かせるのか?
一歩譲ったとして肩の不調のことを話すだけならできるかもしれない。
バスケのことは黙っていれば済む話だ。

(けれど、親父の事だけは絶対に駄目だ)

朋也の父親は今この地にいる。
話す必要のないバスケのことと違って、肩の話になれば、話さざるをえないことだ。
それだけは、それだけは嫌だ。
だいたい奏の疾患を知ったところでどうするというのだ。
朋也は無力だ。
女の子に庇ってもらわねばならない程無力で、医術の心得もない。
奏のことを知ったところで何もできないではないか。

「……なに?」
「い、いや。立華、お前、身体は大丈夫か?」
「……ん、痛いけれど、大丈夫。時間をかければ治るから」

突然言葉を切った朋也を、首を傾げて見上げてくる奏に、どうとでも取れる無難な言葉で続ける。
奏は朋也の問いかけの意味に何かを読み取った風でもなく、ゲンジマルとの戦いの傷のことだと踏んで答えを返した。
やはり考えすぎだったのかもしれない。

(そもそも何が筋が通るだ。俺は戦いに関してはど素人なんだ。
 殺し合いにおいて生き残ることは何よりも最優先で、人体にとっては心臓は一番大事だ。
 だったら、ありったけの力で心臓を護ることはおかしくないじゃないか)

朋也はそう思うことにして、そういえばまた助けてもらったことに礼を言っていなかったことを思い出し、礼を口にする。

「そっか。ああ、なんだ。庇ってくれてありがとな」

おかしくない、おかしくないと、何度も何度も、自身を納得させるように、心のなかで唱えながら。













それが、その理屈が、必ずしも、目の前の少女には成り立たないということを知りもしないで。
何故なら、彼女は死者だから。
既に死んだ人間だから。
生きるために心臓を守る必要がない人間だとも、知りもしないで。

立華奏は天使などではない。
死んだら終わりの唯一存在などではない。
紛れもなく死んだ世界解放戦線のメンバー同様、死者である。
あの死んでも蘇るのだという思想を前提としていた集団と同様の死者である。
否、死んだ世界解放戦線のメンバー以上に、立華奏はその思考に染まっている可能性すらある。
彼女は死後の世界にて、特別なNPCと間違われるほどの長い時間を過ごして来た存在だ。
この島と問わず、あらゆる時間軸の中で最も、死後の世界の常識と共にあった人物なのだ。
死んだことを認識させてくれと言った音無を何の躊躇もなく刺したことからも、その一端は伺われよう。
音無だけではない。
戦線の多くのメンバーを、彼女はその圧倒的な力で蹂躙してきた。
なればこそ、おかしいのだ。
心臓どころではない。
死後の住人である以上、立華奏は我が身を護る必要がないのだ。
SSSのメンバーがそうして来たように、自分の命を粗末に扱ってもおかしくないのだ。
生き返るまでのタイムラグを気にしていたのだとしても、それならそれで、再生力を上げる方がよっぽど実用的だ。
わざわざ障壁だの、高速移動だの、対武器用の武器など必要ないではないか。
現状でこそ、バトルロワイアルという一度死ねば、二度目はないという状況に巻き込まれてはいるが。
奏がそのことを覚悟しているかはともかく、既に彼女の完全防御は死後の世界にいた時から完成していた。
つまり、死後の世界でさえ、立華奏には身を守るべき理由があったということではないか。
他の死者のように、命を、身体を粗末にできない理由が、したくない理由があったのではないか。
例えば、そう。

自分に青春をくれた恩人の心臓だけは、“何がなんでも絶対に”傷つけさせないという、そんな自分自身への契約という理由が。

……。
…………。
………………。

天使は黙して語らない。
真実は少女だけが知っていた。

【時間:1日目午後5時59ごろ】
【場所:F-07】


岡崎朋也
【持ち物:日本刀、水・食料一日分】
【状況:負傷(切り傷・治療済)】

立華奏
【持ち物:不明、水・食料一日分】
【状況:左肩口負傷(再生治癒中】



090:音無き世界の果て 時系列順 089:ヤン・ヴァーツラフ・ヴォジーシェクの地平
104:負け犬の遠吠え 投下順 106:漆黒の羽根にさらわれて
067:街、時の流れ、人 岡崎朋也 129:喝采すべき、英傑の唄
立華奏
104:負け犬の遠吠え ゲンジマル 119:刃鳴散らす
藤巻

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最終更新:2020年07月29日 00:19