人類は救済されました ◆amQF0quq.k



――――もう遅い。何もかも全てが終わってしまった。


     *


全てが嘘のように、何もかもが皆変わってしまっている。



惑星城での戦いも
妹の終わりも
父の死も
全てが砂漠と化したはずの世界すら

月影ゆりの取り巻く世界は全ての相貌を変えていた。

砂漠の使徒の侵略を受けて、全土が砂漠化されてしまってはずの地球。
しかしゆりの眼前に広がっているのは、夜の静寂に包まれながらも
確かな命の息吹を感じさせる、青々とした木々。
遠くからは微かにだが豊かな潮の香りが漂う。
耳をすませば微かに波の音まで聞こえてきた。
目を凝らすと、森の向こうに閑静な町並みまで見える。
砂漠などどこにも無い。
世界を席巻していたはずのデザートデビルも、1体たりとも見当たらない。

この状況が指し示す意味は1つ。
世界は砂漠化から救われていたのだ。
プリキュアであるゆりの、全く与り知らない所で。
プリキュアの存在など、必要無かったとでも言うように。

そんな望んでいたはずの光景の中で、ゆりはただ呆然と立ち竦む。
平和を取り戻した世界を信じられないとでも言うように。

ゆりは現存するプリキュアとしては、花咲薫子に次いでキャリアが長い。
心の大樹を研究していた父親がパリで行方不明になった3年前にプリキュアとなって以来
ゆりは心の大樹を、人類を守るために戦って来た。
人知を超えた強大な組織である砂漠の使徒を相手に、警察や軍隊のような公的機関すら当てにできない状況で
心の大樹、ひいては世界を守ると言う重責を背負ってたった1人のプリキュアとして戦い続ける。
そして自分の妖精であるコロンをサバーク博士に殺され
その心の傷が癒えず、ゆりはしばらくプリキュアとして戦うことができなかった。
しかし後輩のプリキュア、つぼみやえりかやいつきと接していき
コロンの魂に励まされ、再びプリキュアに変身することに成功する。
今やもう、ゆりは1人では無い。
同じプリキュアの仲間と共に、世界を守るために戦える。
例え世界が砂漠化し、世界中の人々がクリスタルと化しても挫けずに立ち向かっていくことができる。
そして4人のプリキュアで敵の本拠地、惑星城に攻め入ることができた。


そこに何が待ち受けているかも知らずに。

惑星城での戦いの中で知った真実。
それはサバーク博士が自分の父親、月影博士だということ。
そして宿敵であるダークプリキュアは、サバーク博士が作り出した自分の妹であること。
ゆりにとってサバーク博士とダークプリキュアは、単なる敵では無い。
長い戦いで何度も苦しめられ、そして掛け替えのない自分の妖精、コロンを殺した
正に仇敵と呼ぶべき存在だった。
それが捜し求めていた父であり、その妹であったのだ。

それを知った時には、既に何もかもが遅すぎたのだろう。

どれほどの因縁があろうと月影博士はゆりの愛する父親である。
しかし月影博士は、ゆりを抱き締める資格は無いと言って拒絶する。
ゆりにとっては父親に資格など関係ないと言うのに。
過去にどんな罪業を背負っていても、父親として愛していたいと言うのに。
そして妹はゆり、キュアムーンライトの放ったプリキュア・フローラルパワー・フォルテッシモを受けて消滅して行く。
妹がゆりの手によって死んで行ったのだ。ゆりを拒絶した月影博士に抱きしめられて。
その月影博士も砂漠の使徒の首領、デューンの攻撃からゆりを庇って死んで行った。

デューンに奪われた。
大切なものを。いとも簡単に。

3年前のパリで月影博士をサバーク博士に変えられ
コロンを父に殺され
妹をこの手に掛けられ
父も今またデューンに殺された。

ゆりの精神が怒りをも飲み込む憎悪で満たされる。
もはやデューンを倒すこと、否、殺すことだけが望みとなるほどに。
強大無比なるデューン相手に、ゆり1人では勝てるはずが無い。
それでも構わないと、ゆりはデューンに立ち向かっていく。



――――そして次の瞬間世界は変貌した。
――――あまりにも唐突に。あまりにも呆気無く。
――――ゆりの憎しみも、意思も、人生も、全て無為だと嘲笑わんばかりに。

憎むべきデューンはどこにも居ない。
代わり、と言うべきか加頭順と名乗った男が何やら話している。
殺し合い。
普段のゆりなら憤りを覚える話だが、今はそれどころでは無い。
倒すべきデューンがどこにも居ない。
そして倒したはずの妹が居る。
黒衣に片翼、見紛うはずも無い。消滅したはずのダークプリキュアがそこに居たのだ。

ゆりの明晰を以っても把握しきれない事態。
それでも長い戦いで培った注意力は、加頭の話を聞き漏らさずに居た。
しかし殺し合いをしろと言うのは、あまりにも不可解な要求である。
殺し合いそのものの意味が分からないし
何より、世界が砂漠化して人類のほとんどがクリスタル化している状況なのだ。
それなのに当の問題を解決しようとしているプリキュアを、殺し合いのために呼び出すなど
どう考えても理解に苦しむ。
それとも砂漠の使徒とは違う、人類外の侵略者の仕業なのだろうか?
ゆりは今、それどころでは無いと言うのに。

そして次に送り込まれたのが、ゆりが現在居る場所である。

砂漠もデザートデビルも無い、殺し合いに参加させられた多くの人たち
あらゆる状況証拠が、世界が平和を取り戻したことを示している。
殺し合いの会場なのだから平和と言う言葉は不適当かもしれないが
少なくとも世界から人類の危機は払拭されていた。
今のゆりに、参加させられている殺し合いは念頭に無い。
ただ地球が平和を取り戻した事実が、ゆりに重く圧し掛かっていた。

地球にデザートデビルを侵攻させ全土を砂漠化したのはデューンの力である。
地球を危機から救ったと言うことは、即ち砂漠の使徒の根源であるデューンを倒したと言うことだ。
あるいは厳重な封印と言う形を取ったのかもしれないし、地球からはるか遠くへ放逐したのかもしれない。
何者がどんな方法でそれを為し得たかなど見当もつかない。
いずれにしても、ゆりにとって肝心なのは
もうデューンはゆりの手の届かない所に行ってしまった事実であり
そしてプリキュアの戦いが、全て無に帰した事実である。

得体の知れない感情がゆりの中に渦巻く。
ゆりは鉛のように重くなった自分の身体を支えきれず膝をついた。
この場に余人が居ても、ゆりの虚脱仕切った表情からは何も読み取れないだろう。

400年に渡るプリキュアの戦いも。
受け継がれてきたプリキュアの魂も。
プリキュアの戦いに全てを捧げてきたゆりの人生も。
ゆりとつぼみとえりかといつきの4人が、いかなる艱難辛苦も乗り越えて来た戦いも。
コロンの死と、ゆりの悲しみも。
月影博士の死と、ゆりの憎悪も。
何もかも、何もかも、何もかも、何もかも、何もかも
全てが一瞬の内に、がらくたも残らない塵と化した。

ゆりは嗚咽のような物をその口から吐いたが、それにすら気付かない。
平和を取り戻した世界の中で尚、暗黒に呑まれ
殺し合いの中で尚、世界から断絶されたゆりの精神に、もはや余計な物が入り込む余地は無かった。

どういう形であれ、もう決着は付いたのだ。
もし、ゆりが憎しみのままにデューンを倒すことが出来たら
それがどれほど虚しく愚かなことでも、納得がいっただろう。
あるいはゆり以外のプリキュアがデューンを倒しても、心情的には納得いかなくても受け入れられないことは無かっただろう。
プリキュアが長き戦いの果てに、砂漠の使徒を遂に倒したと言うことなのだから。
あるいはデューンとの戦いに敗れても、無念はあれどこれほどの虚無と絶望は無かっただろう。
プリキュアとなった以上、戦いに敗れて死ぬことは覚悟の上のこと。
しかし戦いの決着はそのどれでも無かった。
いや、決着すら付けられなかった。
歴史にもしは有り得ないし
現実はどんな惨状でも受け入れる他は無い。
全てが夢幻のごとくに露と消えさったとしても。
何もかも、何もかも、何もかも、何もかも、何もかも
全てが一瞬の内に、三文芝居にすらならない無へと帰した。

プリキュアとなったのはゆりが自分の意思で決めたことだ。
全ての心が満ちるまで戦うと決意したこと決意したのも、ゆり自身。
そしてその果てがこの有様だ。
もうこれ以上、ゆりにはプリキュアの使命も誇りも背負えはしない。
ゆりには憎むことも、プリキュアであることすら残されていないのだ。



殺し合いが始まってどれ位経ったのだろう?
何時間か? 何日か? それとも一瞬か?


時間の感覚すら無いゆりにも、ようやく多少の落ち着きは戻って来た。
だからと言って、現実は何も変わりはしないし
ゆりの抱える虚無も絶望も変わりはしないのだが。
それでも、未来に思考を向けられる程度には頭を冷やすことはできた。

既に殺し合いは始まっているのだ。ともかく、それにこれからどう対処するかを考えなければならない。
だが過去を全て失くしたも同然のゆりが、何を根拠に未来を選べばいいのか。
かつてのゆりなら迷うこと無く、脱出を目指していただろう。
しかし今更命がけでそんなことを志す気にはとてもなれない。
月影ゆりはもうプリキュアの正義を失くしたのだから。
では、ただの月影ゆりの正義ためにそれを為せば良いのだろうか?
主催者を倒し、参加者を救って、そして何事も無かったかのように母の待つ家に帰る。
永遠に帰らない父を待ち続ける母の下に。
絶対に帰らない父のために膳を用意する母の下に。

ゆりは深く自分に問う。
ただの月影ゆりは一体何に迷い、何を望んでいるのかを。
ゆりと母はどうすれば報われるのかを。

『優勝された方にはどんな報酬でもお渡しする用意がございます。金銭や物品、名声や社会的地位、或いは
人の命を蘇らすことなども可能です。奇跡も魔法も、我々が実現して差し上げます』

思い出されるのは加頭の言葉。
もしそれが真実なら、ゆりは何を望むのか?
それは父と、妹と、コロンと共に母の下に帰ること。
そうすれば、失くした物を取り戻せる。
ゆりの人生を再び取り戻せるのだ。

ゆりはようやく、ゆっくりとだが立ち上がる。
プリキュアではなく、ただの月影ゆりとして。
正義のためではなく、自己(エゴ)のため。

支給されたデイパックを探る。
中にはプリキュアの種と空のココロポットが在った。
プリキュアの種は一度ダークプリキュアを倒したためか、欠けていない完全な状態だ。
何とも皮肉だと、自嘲する。

「プリキュア! オープン・マイ・ハート!」

ゆりの身体が光に包まれる。
顕現する煌びやかな銀の衣装。
黒髪は薄紫色へと変貌。
その姿は紛れも無く、伝説の戦士。

「月光に冴える一輪の花、キュアムーンライト!」

ゆりはプリキュアに変身できた。
その心に正義は無くとも。
成功する公算はあった。
例え悪の尖兵であっても、ダークプリキュアはプリキュアとして存在していたのだから。
この力があれば、他の参加者も楽に、そして再びダークプリキュアを殺せる。
再び妹を殺すことになるが構わない。
何しろ全てが終われば、その妹とも一緒に母の待つ家に帰るのだ。
他のプリキュアが参加している可能性はあるし、加頭の言葉が虚言である可能性すらあるが
今のゆりにはそんなことは問題ではなかった。
ゆりは生まれて初めて自分のために戦うことができるのだ。
そしてそうしなければ、ゆりは立ち上がることすらできなかったのだから。

再び光を取り戻した月光に冴える一輪の花。
それは少し悲しみを帯びていた。



【1日目/未明】
【E-8/森】
【月影ゆり@ハートキャッチプリキュア!】
[状態]:健康、キュアムーンライトに変身中
[装備]:無し
[道具]:基本支給品一式、プリキュアの種&ココロポット、ランダム支給品1~3
[思考]
基本:殺し合いに優勝して、月影博士とダークプリキュアとコロンとで母の下に帰る。
1:他のプリキュアにも容赦しない。
[備考]
※ハートキャッチプリキュア!48話のサバーク博士死亡直後からの参戦です。



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月影ゆり Next:再会、それは悲劇



最終更新:2014年06月14日 17:43