#right(){&furigana(それてもあふれてるのはかんしょうたけたった)【検索用:&furigana()&space(2)登録タグ:&tags() 】} #region(close,目次) 目次 #contents() #endregion |&nicovideo(https://www.nicovideo.jp/watch/sm38224529)| 作詞:[[ukiyojingu]] 作曲:[[ukiyojingu]] 編曲:[[ukiyojingu]] 唄:[[結月ゆかり]] **曲紹介 >&bold(){「言語交錯 10/10」} 曲名:『&u(){それでも、溢れ出るのは感情だけだった。}』(&u(){それでもあふれでるのはかんじょうだけだった}) -ukiyojingu 作品集第3弾『言語交錯』収録曲 **歌詞 ([[bandcamp>>https://ukiyojingu.bandcamp.com/]]より転載) 私たちは、私たちの扱う言葉に縛られている。 それらは、常に表現の限界を抱えてきた。 その外部に向かうために、これまで無数もの試みを行ってきた。 「孤独」な」言葉たちは、その先に至るためのものだ。 だが、それらも結局は言語の支配を脱却できない。 私たちは「孤独」になれない。 新しい言葉は常に世界から疎外されたが、いつしか言語はそれすらも取り込んで拡大していく。 いつも、孤独は手に入れた先から失われていった。 私は喪失を繰り返しながら、時間を費やしてきた。 その模索を無駄だといわれることも、少なくはなかった。 私はただ、何かを残したかっただけだった。 孤独な言葉たちは、私たちに外部を知らしめることで、言語の世界の輪郭をなぞり続けている。 それらは、統一を失い、全てが複数化するこの時代の中で、楔たり得るだろうか。 外側に至るまで、私はあらゆる物を否定し、最後には「今ここにいる私」という事実しか残らなかった。 だが、その事実こそ、最後に残る感情こそが、私たちの言語の本質だったはずだ。 だからこそ、言葉は交わされていく。 互いを楔として引き留めながら、そして孤独を求めながら、私たちは進んでいく。 それが、私たちの歴史であり、感情だったはずだ。 それを求めて、私はこれからも何かを作り続けていくだろう。 **コメント #comment()