曲紹介
椎乃味醂さんコメント
ぼくは、物心が付いた時から初音ミクが存在したたぶん最初の世代で、音楽の原体験には当たり前にミクが在った。当時の印象は、「機械」でも「珍しい」でもなく、ただ純粋な「好き」でできていた。小学生のころ、ミクは一般層へ浸透する過渡期にあったようで、周りにも少しずつ存在が溶け込もうとしていたが、ここにはぼくと逆の人間も当然居た。人に嗜好があるのは当たり前だけれど、好き嫌いが言葉や仕草として向かうと、「嫌い」の方はより広く深い部分に残る。そういうものは未発達な精神を簡単にすり抜けてしまうから、気づけば昼の放送でミクの歌声が流れる度に知らないフリをして、中学ではミクで曲をつくったこともバレないように苦労した。こうして何年か経つと風向きが変わり、今度はミクやミクの影響下にある曲が断然「当たり前」になりかけていた。高校を卒業するころには「好き」と公に言える空気もあった。ぼくらが大人になったとか、SNSが全体に普及したのもあるけれど、そんな「当たり前」に接近した根本は、星の数ほどの人間が文化に出入りし、「想いや記憶」の投入と回収を繰り返し、流れの中で多様な進化・拡張を不断に引き起こしてきたからに他ならない。そして、16年分の記憶を織り交ぜ、今も瞬間瞬間に初音ミクは創造されている。この開かれゆく「未来」を以って、かつて否定された可能性と、これから生まれる可能性を掬い、肯定し、また想いを馳せる。
曲名:『デュレエ』
歌詞
この両手では受け止められない程、
意思が投げられてきた。
身体が伴っていたら、
おびただしい数の痣ができていた。
誰かがその心証に、
「公共的」と主語を貼り替えていた。
接続のイコンとして担がれ、
他方には分断の遺恨があった。
完全に0とか1で定まる、
絶対性は無かった。
お互い半々で認め合える様な、
寛容性が欲しかった。
この場にそんな余裕がない事など、
もう痛切に分かっていた。
その遺恨を除けて、底上げ、
ただ「好きだから」でここまで来た、
今日だ。
この両手では受け止めきれない程、
心臓を揺らしてきた。
その情景に魅せられてはまた、
ここに願いを託してきた。
誰かがこの構造を、
偽物だと簡単に省いていた。
それでもこの場を成したモノ全てを、
ただ本物だ、と思った。
完全に0とか1で定まる、
音素の集合だった。
それ故痛みを感じぬ事だけが、
不幸中の幸いだった。
こうやってフィクションに移入できる事が、
ぼくらの特権だった。
そういう人間の成せる業が、
虚構も現実にしてきた、
今日だ。
さながらシンデレラのストーリー、
ぼくらの記憶を繫ぐ輸送機、
上へ向かった力とProxy、
命を飛躍させるアプローチ、
リバース、作用と持続の体系、
言葉で規定できぬこの背景、
映画仕掛けや機械論では、
一枚たりとも引き裂けない、
ぼくらの方向性!
その両手では受け止められない程、
意志が乗せられてきた。
身体が伴っていたらきっと、
ただただ押しつぶされていた。
それは、大きく広がり開く、
ぼくらの試行の証明だった。
そういう数多の事実の線が、
ぼくらを今へ結んできた。
煌々と0から1へ重なる、
確かなモノがあった。
ぼくらの生活や思想、様相、
すべてが絶えず変わってきた。
こういうノンフィクションを、
紡いでくことがぼくらの人生だった。
そんな過去や今に、
未来を創り出そうとしていた、
今日だ。
コメント
- 味醂さんかっこよすぎるよ -- 名無しさん (2024-01-26 01:31:25)
- 俺もボカロ聞いてたけど、揶揄されてたから、聞くのやめてたなぁ。当時から断固として聞いてる人は尊敬するよ。 -- ぽんぽん (2024-04-16 08:32:43)
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最終更新:2024年04月16日 08:32