◆◇◆◇


東京都、杉並区。
西荻窪―――これは1970年代に廃止された旧地名だ。
正確には西荻北、西荻南という地区である。
しかしJR中央線に同様の駅名が残っているように、今もなお一帯は西荻窪という通称で親しまれている。
東京という街は鉄道網の発達が著しく、それ故に大都市の周辺にも様々な個性や文化を持った街が点在している。

戦後の闇市から発展した西荻窪には複数のアンティーク雑貨店、古書店が存在する。
更には「都内の住みたい街ランキング」で毎年上位に位置する“吉祥寺”の真隣であり、新宿などの都心部にもアクセスしやすいという好立地によって、住宅街としても密かな人気を集めている。
とはいえちょっとマイナー感は否めないし、なんか新興宗教やNPO団体とかも妙に多い――地下鉄でテロ起こしたあのカルト教団もこのへんで活動してたとか――。
でもまあガヤガヤした繁華街よりかは程々に落ち着いてるし、それでいて駅周辺はそれなりの賑やさもある。夜なんかになると、飲み屋街の方では幾つもの提灯が光ったりする。
関係ないけど、動画サイトで前に流行ってたハトバなんとかってバーチャルのヤツのもこの辺に住んでるらしい。

この説明、何かって?
さっきググって知ったこと、俺が前から知ってたことを纏めただけ。
で、俺は今、何をしてるかって?
景気づけに朝から路上飲み。歩き飲み。
どうせ仕事行ってないし。世間じゃ夏休みだし。

西荻窪駅南口を出てすぐのスポットは強烈だ。戦後闇市の名残をがっつりと残した、雑多な飲み屋街が広がっている。
路地にごちゃごちゃと看板やら剥き出しのカウンター席やらが並ぶ、さながら昭和の生き残りだ。
流石に朝方はそれほどの活気も無いが、それでも11時前後から開いている店もちらほら存在する。
俺―――田中一は、そんな飲み屋街の中を歩いていた。
右手にはスマートフォン。歩きながら画面に食い入っている。
左手には缶チューハイ。アルコール9度の所謂ストロング缶だ。
適当なペースで、グイッと一口ずつ飲んでいる。

歩きながらスマートフォンを弄りつつ、俺は既に開かれた居酒屋の店内にいる客層をちらりと覗き見た。
もくもくと立ち込める煙。香ばしい焼鳥の匂いが漂ってくる。その向こう側のカウンター席にそいつらは居る。
店主に馴れ馴れしく話しかける暇そうなジジイとか、パチンコや風俗くらいしか趣味が無さそうな汚いオッサンとか、孤独な連中の掃き溜めである。

朝っぱらから飲み屋に屯している人間なんてものは、大抵しょうもない奴らばかりだ。
俺が燻ったままだったら、いつかはこうなっていたんだろうな。
死に物狂いで執着できる“目的”を見つけていなかったら、駄目なまま腐っていったんだろう。紛れもないクズ共の仲間入り。

今までの俺だったら、こんなことを考える自分を酷く惨めに思っていただろう。
他人を見下すことは一丁前にするのに、自分を磨くことはしなかった。俺はお前よりマシだ―――そんなちっぽけな自尊心にしがみついていた。

悪いのは自分だ。分かっている。なのに、いじけて燻っているだけ。
それがかつての俺だった。卑屈で、無様で、コンプレックスに満ちている。何の価値もない、虫ケラ以下のモブ。
だけど、今は違う。


――――お前は変わったんだよ。
――――殺し尽くして、革命を起こせ。


俺の中で誰かがそう囁く。
それはきっと、あの日生まれ変わった俺自身だ。
勇気と執着が湧いてくる。
青い炎が、煌々と燃え盛る。
俺はもう、かつての俺じゃない。

人間なんてものは所詮、他人の考えを知ることができない。
どれだけ気さくな奴でも裏では異常性を抱えているかもしれないし、どれだけ穏やかな奴でも裏では世間への恨みつらみを燃え滾らせているかもしれない。
ましてや本物の“人殺し”が此処に紛れ込んでいるなんて、夢にも思わないだろう。
ここで銃を取り出せば―――簡単に皆殺しにできる。つまり、こいつらの命を握っている。

今すぐここで、引き金を弾いてやろうか?
掃き溜めで屯しているクズ共を纏めて掃除して、俺だけがそこに立っている。
血に塗れた妄想が、脳内で迸った。
ひひ、と小さな笑みが自然と溢れる。
その声は、誰にも聞かれなかった。
誰にも気付かれないまま、この日常に溶け込んで―――。

『聖杯戦争が始まったというのに、朝から酒とは……最近の若者はどうなっとる?』

脳内で、声が響いた。
空想に没入していた意識が、現実に引き戻される。

『ああ……写真のおやじ』
『田中よ、本当にやる気があるのか?』
『なんでだよ』
『酒なんぞ飲んでる場合では……』
『うるせえな。老害になりたくなきゃ説教すんな』
『お、お前ッ……!』

写真のおやじ。
アサシンの使い魔であり、父親らしい。
よく俺に付きまとって小言を言ってくる。

『燃料だよ、燃料』
『……なに?燃料?』
『気力を引き出す、景気を付ける、本腰入れる、エンジン掛ける。理由だよ全部、羅列したんだよ。だから飲んでんだよ。それくらい分かれよ』
『ううむ……』

腑に落ちない唸り声を漏らす“写真のおやじ”のことは無視した。
酒酔いと昂揚感の入り混じった感情を抱えたまま、こくんと頭を俯かせ。
そのまま再び右手に握ったスマートフォンの画面を覗き込んだ。


《アイドルユニット、L'Anticaの白瀬咲耶さんが行方不明》


SNSは朝っぱらからそんな話題で持ち切りだった。

俺自身、アイドルなんてものに興味は無い。
というか、はっきり言って割と見下している。
冴えない連中が揃いも揃って心の拠り所にして、そいつらの愛とやらを金に変えて搾り取る連中だ。
そして「みんな大好き」だとか「愛してる」だとか、営業用の常套句と笑顔で連中を楽しませる。
噓ばっかりのくせに。そんなパフォーマンスに本気になってる奴らも理解できない。
金と引き換えに男どもを噓で楽しませるって、んなもん風俗嬢と一緒じゃねえか。
内心で毒づきながら、俺はトレンドから関連性の高い投稿を眺める。


《寮からの外出を最後に、行方が分からず》
《事務所のスタッフからも連絡は取れず》
《誘拐か、失踪か》
《何らかの事件に巻き込まれた可能性》
《アイドルとしての活動を苦にしていた?》
《白瀬咲耶、その知られざる経歴とは》
《自殺の可能性も?》
《ユニットメンバーとの不仲説も》
《ファンから心配と困惑の声》


あることないこと、真実なのか嘘なのか。
事実と憶測が入り混じって、訳の分からないことになっている。
どいつもこいつもセンセーショナルな話題で大盛り上がりだ。
ユニットのメンバーについてもあれこれ言及されている。
田中摩美々―――あ、名字一緒だ。ありふれた姓だけど。
下の名前はよくわからない。マミミ?
まあ、なんだっていいけど。

『なあ、写真のおやじ』
『なんだ』
『白瀬咲耶、知ってる?』
『ああ……失踪したアイドルじゃな』
『あれさ、アサシンがやったんじゃないの?いつもみたいに』
『いいや、それは違うぞッ!白瀬咲耶の件は“わが息子”の犯行ではない!』

念話で投げ掛けた問いに対し、写真のおやじはきっぱりと否定。
息子のことで態々嘘をつくはずも無いから、まあ本当なんだろうな。

『じゃ、他の奴らってことか』
『白瀬咲耶が聖杯戦争に関わっていたと?』
『知らないけど、ただのアイドルが脈絡も無く消えたりはしないだろ』

実際、白瀬咲耶の失踪が聖杯戦争と関わってるのかどうかなんて知らない。
確たる証拠も無いし、そいつを疑うに足る合理的な考えがあるわけでもない。
でも、これは聖杯戦争だ。つまりゲームだ。
ゲームで無意味なイベントが発生するか?
試合と関係のない所で勝手に騒動が起こるか?
聖杯戦争の参加者以外が、唐突に事故や事件を起こすとは思えない。
主役はマスターとサーヴァントなんだから、NPCが勝手にでしゃばるというのは考えづらい気がする。
なら白瀬咲耶の件だって、聖杯戦争絡みの何かがあるとしても不思議じゃない―――と思う。

『ひょっとするとマスターだったのかもしれないし、そうじゃなくても魂食いか何かの犠牲になったのかもしれない。
 何にせよ、周辺調べれば敵とか炙り出せる可能性はあるんじゃないの』

だから俺は、念話で自分の考えを伝えた。
おやじは考え込むように少し沈黙した後。

『う〜〜〜む……わかった、考えておこう』

おやじは一言、そう答えた。
まあ考慮しておいてやる、程度の反応だったけど。
俺としても直感のような推測で頼んでみたので、別にそこまで気にしない。
だから俺は、変わらずに歩きスマホを続ける。

気が付けば飲み屋街を抜けて、地味な住宅街を進んでいた。
で、話は変わるけど。
この界聖杯に招かれる前―――要するに本来いた世界で、SNSのタイムラインに樺沢太一とかいう奴のツイートが流れているのを見かけた。
タクシードライバーとツーショットを撮ったとか何とか、そんな下らないことをわざわざ呟いていた。
問題はそこに偶然、指名手配犯が映り込んでいたということ。背景に紛れ込んでいたそいつは、人相まで認識できる程度にくっきりと写真に捉えられていた。
それが発覚した瞬間、樺沢のツイートは一気に拡散されたらしい。つまりバズった。1万はゆうに超えるリツイート数を稼いでいた。
樺澤ってやつはそれで大はしゃぎしていた。指名手配犯を捕まえるとかブチ上げて更に持て囃されたらしい。

現代社会というものは、つくづくどうかしていると思う。
誰も彼もが情報を発信し、誰も彼もが拡散されることを望んでいる。責任は背負いたくない面倒は背負いたくない苦労を背負いたくない、でも埋もれたくない。
だからお手軽に“発信者”になろうとする。自己顕示欲のためにプライバシーだのマナーだのを飛び越えていく。そうしてどいつもこいつも他人を“監視”して“見世物”にする。
で、それでバズったら自己満足―――「俺は凄い」とか「俺は注目されてる」とか勘違い。
その程度のことで、何者かになったつもりでいる。何かを成し遂げたと思い上がる。

そういうのを見るたびに俺は思っていた。
お前、虚しくなんないの?
俺だったら速攻で死にたくなってるね。

だけどまあ、そんな世の中にも利用価値はある。
世間すべてが監視の目に等しいんだから。
だったら、少しでもそれを使う。
俺の意識は、再び目の前のスマホの画面へと戻る。


【@kaba_238528807】
【なんか空飛んでる人間いるんだけどwwwwwwww】
【20××年 7月××日 23時29分】


一週間以上前の投稿を、振り返っていた。
夜の住宅街で屋根の上を跳躍する、剣士のような男を撮影した動画が添付されている。
数百件以上は拡散されていた投稿だ。トレンドだのインフルエンサーだのを経由して、適当な情報を探していた矢先に見つけた。

面白半分で撮影したんだろうな。
こういう馬鹿は、嫌いだった。
どこも誰かも分からない人間を勝手に撮って、バズるための話題のネタにする。
でも、こうして堂々と晒してる奴がいたから、俺達は予選中に一組落とせた。

SNS社会の影響力を甘く見たサーヴァントが見ず知らずの“第三者”に晒され、こうして界聖杯のネットワークに拡散されている。
予選期間中の俺は写真のおやじに頼んで、こいつの魔力の残痕を調べて貰った。
写真や動画の撮影現場を特定することは出来なくとも、被写体を“標的”と見做せば―――写真のおやじは追跡における優位な補正が得られる。

アサシンには『追跡者』スキルがある。“アサシンの正体を探る者”や“殺人の標的”を認識――最低でもその“姿”を知る必要はあるらしい――することで、そいつの気配や座標を探知しやすくなる。
写真のおやじにも効果が共有されるのがミソだ。アサシンが標的を認識すれば、おやじもそいつの気配を探れるようになる。
逆におやじが脅威を認識したとして、アサシンもそれを認めれば、アサシンもその標的の気配を追うことができるようになる。
そして、標的に危害を加える先には有利な判定を取れるというおまけ付きだ。
ただ隠れ潜むだけじゃない。アサシンは殺人鬼だ。『人を殺す』という行為においてはどんな英雄よりも優れている。
そうしてSNSに晒されたサーヴァントは、アサシンと写真のおやじによって探られた。

で、その後どうなったかって。
数日後に「マスターを見つけ出して暗殺した」と写真のおやじから報告があった。
曰く、その晒されてたサーヴァントは連続失踪事件の犯人――つまりアサシンを調査していたらしい。
だからああやって夜の街を探索していたということだ。
で、それを知ったアサシンがやる気を出した。写真のおやじと共に逆探知に乗り出し、そのサーヴァントの行動範囲を元にした調査とスキルを駆使した追跡によって、そいつのマスターの存在を割り当てた。
後はもう、そのままアサシンが殺したらしい。
意外とあっさりだったけど、俺は喜んだよ。競合相手を潰したんだから。

まあそれ以来、SNSに張り付いてみることを心掛けるようになってる。
バズりたがりの奴らはどうかしているが、バカとハサミは使いようだ。
戦略と呼ぶにはあまりに非効率的。実態のない不特定多数をアテにするなんてどうかしてる。
予選でサーヴァントを発見できたことだって、大いに運が絡んでいるだろう。それくらいの自覚はある。

でも、構いはしない。
どうせ俺にやれる情報収集なんてこれくらいしか無いんだから。
それに、昔から途方も無い確率を追うこととか地道なマラソンとかには慣れている。ゲームと一緒だ。コツコツ積み重ねていけばいい。
4年も諦めずに数百万も課金してきた俺にとっては、容易い作業だった。

それにしても。
予選で敵を倒せたのは、まあ嬉しいんだけど。
なんか物足りないんだよな。
俺は結局、直接関わってないし。
ピカチュウが戦ってる最中、サトシは後ろにいるだけってのは当たり前なんだけどな。
それでも、あと少しくらいは刺激が欲しい。
ちょっと考えてみようかな。
殺しの実感が湧くような方法とか、身の振り方とか。


―――ん?


色々と思案に耽っていたが。
歩いているうち、違和感に気づいた。
さっきからずっと前に進んでいるというのに、周囲の景色が変わらない。
右や左を向けば、さっき見たものと同じ住宅が建っている。歩き続けて先へと移動したはずなのに。
まるでアレだ。マリオのゲームに出てきた、特定の条件を満たさないと永遠に辿り着けないラスボス戦への階段のようだった。

ぽかんとした表情を浮かべた。
何だよ、この路地。これ怪奇現象か。
そんなことを一瞬考えたが、あることをふいに思い出した。
左手に握り締められたチューハイの空き缶。既にもう飲み切っていた。
それを試しに、前方の道路へと向けて投擲。空き缶は緩やかに飛んでいき―――俺の足元へと落下。飛んでいったはずなのに、“戻ってきている”。
目の前で起きた異常現象を一頻り眺めた俺は、スマートフォンの地図アプリを起動した。GPS機能で現在地を確認。
気が付けば俺は、都心ではなく吉祥寺駅方面へと向かって進んでいたらしい。
西荻窪駅から吉祥寺駅の距離は近い。中央線沿いをまっすぐ進めば大体2キロ前後で済む。徒歩でも問題なく辿り着ける程だ。

「あー」

聖杯戦争。再現された東京で繰り広げられる、奇跡の奪い合い。
しかし、その舞台は東京23区に限られる―――多摩地区などは再現の対象に含まれない。
そして俺は、ようやく結論に辿り着く。


「吉祥寺って武蔵野市か……」


23区ではない。だから行けない。
あんなに栄えてるのに、扱いは郊外である。
ここじゃ住みたい街ランキングに入るどころか、そもそも住めないらしい。
幻の土地かよ―――誰も聞いていないツッコミを内心でごちった。



【杉並区・西荻窪駅周辺/1日目・午前】

【田中一@オッドタクシー】
[状態]:健康、ほろ酔い
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:スマートフォン(私用)、ナイフ、拳銃(6発、予備弾薬なし)
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:『田中革命』。
1:敵は皆殺し。どんな手段も厭わない。
2:SNSは随時チェック。地道だけど、気の遠くなるような作業には慣れてる。
3:もう少し刺激が欲しいので、色々と考える。
[備考]
※界聖杯東京の境界を認識しました。景色は変わらずに続いているものの、どれだけ進もうと永遠に「23区外へと辿り着けない」ようになっています。

◆◇◆◇


西荻窪の街を上空から見下ろし、彼は思う。
都会というものはどうかしている。
写真のおやじ―――吉良吉廣は心の底からそう感じていた。
吉良吉影がまだ生きていた頃、川尻早人という少年がいた。彼は子供でありながらデジタルカメラを所持し、両親を盗撮するばかりか吉良吉影の正体さえもその手で撮影した。
あのような監視者が町に存在したことで息子は追い詰められたが、この東京という町はそれに輪を掛けて酷い。

(携帯電話にカメラが搭載され、街中の人間が日常的に撮影してネットワークに発信できるゥゥ〜〜〜?
 世の中はどうかしとるッ!これではあちこちに監視者がいるようなものではないか!)

界聖杯に祈れば間違いなく息子の平穏が得られることは安心といえど、それでもやはり吉廣にとっては憤慨すべき事柄だった。
街中のすべてが発信者。誰も彼もが他者を監視し、時には平気でネットワークの話題の種にする。
酷い時には勝手に撮影して晒し上げることもある。プライバシーも何もあったものではない。
息子は狂っていると世間からは蔑まれるだろう。だが、現代社会とやらは更に狂っている。
もはや息子に安息の地は無いのかもしれない。それでも、聖杯さえ掴めば必ず願望は叶えられる。
吉廣は決意を新たにし、懐にしまい込んだ“それ”に目を向ける。

――――こっちのスマホもう使わないから、持ってていいよ。
――――ちょっとは役に立つと思うし。

田中が会社で支給されたという仕事用のスマートフォンだ。
田中がマスターとして覚醒した直後、不要になったらしく吉廣に渡されたものだった。
操作の方法、アプリの使い方、SNSの運用―――など、田中は吉廣に対しスマートフォンの扱いを一通り教えていた。
盗撮に便利だからとして、わざわざシャッター音無しで撮影するアプリもダウンロードしてくれた。
監視社会の不気味さには背筋が凍るものだが、ここは聖杯戦争の舞台でもある。
ならばそれを利用するのも手である、というのは吉廣にも理解できることだった。
『白瀬咲耶の周辺の調査』も視野に入れつつ、それを進言したマスターのことを思慮する。

(それにしても吉影……わが息子よ……田中一は心底『愚かな男』だが……)

そうして吉廣は、この東京の何処かにいる息子に思いを馳せつつ考える。

アサシン、吉良吉影が田中一を嫌悪していることは知っている。
彼はサーヴァントとなった今でも変わらない。植物のような平穏を望み、不用意な争いをとにかく嫌う。
予選での暗殺に関しても必要に駆られたからやっただけ。それ以前は下手に動かなかったし、以後も余程のことがなければ様子見に徹するつもりだった。
それほどまでに彼は、ストレスや刺激というものを忌み嫌っている。
刹那的な快楽に身を投じ、衝動と破壊へと突き進んでいく田中を蔑むのも必然だった。

そのことは父である吉廣も理解している。奴と息子の相性が良い訳が無い。
それでも尚、吉廣は田中への価値を少なからず見出していた。
それは田中という男が“日常に潜む狂気”であり、その闇を受け入れているからだ。
そして田中は、吉良吉影という殺人鬼が持つ狂気すらも歓迎している。

女性の美しい手への執着。
抗い難い殺人衝動。
そんな性(サガ)を受け入れられるマスターが、古今東西において一体どれほど居るのだろう。

女性のみを付け狙う猟奇殺人鬼。女性の手を愛玩の対象として見做す異常者。栄誉には余りにも程遠く、嫌悪と警戒の対象としてはこれ以上に無い“反英雄”である。
それは本来、唾棄される存在なのだ。
拒絶され、否定される狂気なのだ。
しかし、少なくとも田中は共鳴を示した。
田中一は、吉良吉影の凶行を肯定したのだ。
狂気の指向性で結びつく“共犯者”というものは、間違いなく得難い存在だ。
現実世界での長期的な同盟とあらばリスクも増えるだろう。
しかし、ここは界聖杯。早ければものの数日程度で終わる関係に過ぎないのだ。

それに、単純に“マスターの乗り換え”という行為自体が運任せの博打であることも大きい。
所謂“野良マスター”を都合良く見つけられる可能性は限りなく低い。
他のマスターにサーヴァントの乗り換えを提案するという行為も危険極まりない。
まずは直接の接触が大前提。隠密行動を前提とするアサシンにとっては、交渉の決裂を考慮した際のリスクが高すぎる。
それに加え、吉廣にとっては余り認めたくないことだが、吉良吉影は二つ返事で乗り換えを承諾させられるような“強い”サーヴァントではない。
サーヴァントを抹殺し、残されたマスターと強制的に契約を結ぶ―――これもまた無謀だ。アサシンとはマスター殺しが大前提のクラス。不意打ちや奇襲を駆使したとしても、サーヴァント同士の戦闘で確実に勝てる確証はない。

そもそも、既に予選を突破しているような主従ならば。
ある程度の信頼関係、共闘関係が生まれていたとしても、全く不思議ではないのだ。
あの『東方仗助』達が仲間達と結び付いていたのと同じように。

結局のところ、当分は田中一をマスターとして認める他無いのだ。
堪えるのだ、吉影―――仮に田中を切り捨てるのならば、それは“確実に乗り換えられる算段が付いた時”のみだ。
吉廣は心中でそう呟く。

『吉影……おお……吉影よ……』

そして、懸念はマスターのことだけではない。
吉良吉影が持つ、抗えぬ衝動。
息子の“欲望”を察知した吉廣は、涙ぐむように俯いた。
そのまま彼は、自らの息子へと念話を飛ばす。


『また見つけてしまったのだね……“愛する手”を……』


―――吉廣は、“知覚”した。
硝子のように蒼く透明な、“美しい手”を。
息子が新たなる“標的”を見つけてしまったことを、記憶がフラッシュバックするかのように理解する。
スキル『追跡者』の効果が適用された。息子の次なる殺人の対象を、吉廣もまた認識した。


『止まらない』


そして。
アサシン―――吉良吉影が、念話で答える。


『どれだけ殺しても』


苛立ち。鬱屈。衝動。
その声色から、感情が滲み出る。


『爪が……“伸びる”んだよ』


その一言を聞き、吉廣は全てを理解した。
息子を哀れむように、一筋の涙を流しながら。

吉良吉影の殺人衝動は、生前以上に肥大化していた。
英霊となり、伝説として“座”に記録され。
そしてサーヴァントとなった今、生前の逸話に沿ったイメージを体現する形で現界を果たしている。
つまり――――“杜王町の連続殺人鬼”という、彼を英霊足らしめる根幹の要素が強く反映されているのだ。
本来ならば、これほどのペースで殺人を繰り返すことなど有り得なかった。
しかし今の吉良吉影は反英雄としての伝承に侵食され、生前を超える衝動に蝕まれていた。
それ故に彼は、予選から数多くの女性を殺害し続けていたのだ。

吉廣は、己の息子に課せられた運命を悲しんだ。
生前から続く、呪いのような宿命を。
人殺しの欲望を背負い、それを誰にも理解されることなく、最後は東方仗助らによって阻まれた。
死後も英霊という座に抑圧され、サーヴァントとして現界しても尚、あらゆる苦難に晒される。

おお、吉影よ――――なんと可哀想な子なのだ。
息子が積み重ねた罪など、彼にとっては最早重要ではない。
肝心なことは唯一つ。家族である吉良吉影が、今も苦しみの中で戦っていることだけだ。
涙を流しながら、吉廣は息子を想う。

故に、吉廣は改めて誓う。
息子の望みは全て叶える。
何がなんでも、息子のために戦う。
どんなものを犠牲にしようと、吉良吉影の幸福を優先するのだ。


――――界聖杯!それだけが息子の『平穏』を叶えられるッ!必ず手に入れねばならない!
――――わしのかわいい吉影よ!!お前の願い、必ず叶えてみせるぞッ!!



【杉並区・西荻窪駅周辺/1日目・午前】

【吉良吉廣(写真のおやじ)@ジョジョの奇妙な冒険】
[状態]:気配遮断
[装備]:田中一のスマートフォン(仕事用)、出刃包丁
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:愛する息子『吉良吉影』に聖杯を捧げる。
1:『透明な手を持つ女(仁科鳥子)』および『白瀬咲耶の周辺』を調査する。
2:田中と息子が勝ち残るべく立ち回る。必要があればスマートフォンも活用する。
3:当分は田中をマスターとして受け入れるが、より『適正』なマスターへと確実に乗り換えられる算段が付いた場合はその限りではない。
[備考]
※スマートフォンの使い方を田中から教わりました。
※アサシン(吉良吉影)のスキル「追跡者」の効果により、仁科鳥子の座標や気配を探知しやすくなっています。


【渋谷区・路上/一日目・午前】

【アサシン(吉良吉影)@ジョジョの奇妙な冒険】
[状態]:健康、殺人衝動
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(一般的なサラリ―マン程度)
[思考・状況]
基本方針:完全なる『平穏』への到達と、英霊の座からの脱却。
1:『透明な手を持つ女(仁科鳥子)』を狙う。
2:マスタ―(田中)に対するストレス。必要とあらば見切りをつけるのも辞さない。
[備考]
※スキル「追跡者」の効果により、仁科鳥子の座標や気配を探知しやすくなっています。

時系列順


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OP:SWEET HURT 田中一 031:峰津院の名のもとに
009:This Game アサシン(吉良吉影) 032:ジャスト・ライク・マリー・アントワネット
OP:SWEET HURT 吉良吉廣(写真のおやじ) 031:峰津院の名のもとに

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最終更新:2021年08月25日 01:52