大学が休みなのは助かるな、と朝を迎える度に思う。
仁科鳥子は裏世界の旅人である。またの名を、ウルトラブル―・ランドスケ―プ。
本人はおろか他の器達の誰も知る由はないが、界聖杯が可能性の招来を世界の枝葉を使って行うにあたり利用した手段の一つでもある果てしない蒼の世界。
そこを秘密の冒険感覚で探索し、最終的には一夜すら明かし、自分の日常を侵蝕されても尚〈あの世界〉への渇望を止めない命知らず。
そんな彼女も日常に戻れば大学生だ。そしてそれは、この〈界聖杯内界〉においても変わらない。
「一応用事がないこともないんだけど、まあそのくらいはいいよね。めんどくさいし、特に必要性もないし」
「? マスタ―、どうかした?」
「ん―ん、なんでもない。それじゃ行こっか、アビ―ちゃん」
しかし正直な話、この世界に来てからというもの大学で必要なタスクはサボりまくっていた。
けれど鳥子は決して馬鹿ではない。金髪の美人なので"遊んでいそう"な要素は満たしているが、これでも要領は悪くないのだ。
この程度のサボりでは特に事は荒立たない、大して繋がりもない同期の間でまで話題になるようなことはない、適度な塩梅を弁えている。
こういう部分は空魚より私の方が上手いと思うんだよなあと、そんなことを独りごちながら霊体化させたアビゲイルを伴い外へ出る。
わざわざ外出をする理由は特にはない。
ずっと引っ込んでいては気が滅入るし、そもそもアパ―トの中に居たところで外の戦いに巻き込まれるようなことがあれば危険度は同じだ。
それなら万に一つの前進を信じて外に出つつ、この息が詰まるような戦争のストレスを少しでも散らす方がマシだと、鳥子はそう思っていた。
以前まではサ―ヴァントのアビゲイルを霊体化させることもなく妹のように連れていたのだが、アビ―の進言もあってこれからは基本霊体化させて連れ歩くことにした。
本戦ともなればサ―ヴァントを実体化状態で連れ歩くことのリスクも向上するため、寂しくはあるが頷ける話だ。
「(それにしても。ホントに実感するなぁ――私、此処まで来たのか)」
鳥子達は未だ、一度も他の主従と相対したことがない。
その理由は彼女達が終始索敵もせず、なおかつ聖杯戦争に対して意欲的な姿勢も見せてこなかったことと、後は運の良さが大きいだろう。
それでもこうして改めて考えると実感する。自分はこの大きな戦争の最終局面まで生き残れたのだと。
鳥子には、"彼女"――
紙越空魚ほど思い切った判断は下せない。
空魚なら、元の世界に帰るため仕方ないと他の主従を排して聖杯を狙ってもおかしくはないと思う。
ただ鳥子は、この期に及んでもやはり彼女のようにはなれなかった。
依然として宙ぶらりん。あるかどうかも分からない脱出の可能性に賭けつつ戦いを避けるという、極めて消極的な在り方。
このままじゃまずいかな、と思ってはいたが――こればかりは持って育った倫理観の問題であった。
仁科鳥子は、その見た目と踏んできた場数に反して、比較的普通(まとも)である。
少なくとも自分の障害になるならばと人を躊躇なく見捨てる残酷さなんてものは持っていない。
ひとえに聖杯戦争に向いている人材ではなかった。何せ、追加された新たなル―ルを以ってしても重い腰を上げ切れない有様なのだから。
その癖元の世界に帰りたいという想いは人一倍強い。そこに自嘲を覚えたことがないと言えば、嘘になる。
『何日かぶりだし、またあのパンケ―キ食べに行く?』
『わっ……良いの、マスタ―? あっ、その、行きたくないってわけじゃないのよ? むしろその逆っていうか、なのだけど……』
『あははは、子どもが遠慮しないの。じゃあお店が近くなってきたら実体化してね、さすがに店内でやるのはまずいだろうし』
自分の半端さは自覚の上だ。他人の願いを踏み躙ってまで進む資格があるのかと悩んだ夜もある。
でも、その上で尚鳥子は願っていた。元の世界に帰りたい――もう一度、空魚(あの子)に会いたいと。
この世界でどれだけ仮初めの日常を謳歌していても、心の片隅に必ず彼女が居ない寂しさを感じている。
人が苦手で、なのに変なところでびっくりするほど大胆で、かと思えば心配になるような危なっかしいところもあって。
それでいて、自分(わたし)が危ない状況になったらどんな危険を冒してでも助けてくれる、彼女。
仁科鳥子が人生で初めて――友情以上の感情を抱いた相手。
「(……空魚なら、アビ―ちゃんにすらジェラシ―燃やしてくれそうだなあ)」
前まではたぶん分からなかった気持ち。
でも、今なら分かる。自分だって空魚がもし他の女を連れて相棒面させていたら、きっとすごく複雑な気持ちになってしまうだろうから。
今となっては、冴月だけに固執して自分を半ば捨てていた頃のことさえ懐かしい。
空魚は、鳥子の世界にある日突然現れて。そして奥底にまで侵入して、鳥籠のような袋小路から連れ出してくれた。
思う。想う。重いと嫌がられてしまうかもしれないけれど――それでも懐(おも)う。
あの旅の続きを。空魚と一緒に歩む未知の世界を。
どんな恐怖も二人で並んで乗り越えて、笑い合いながら打ち上げをする在るべき未来を。
「(私も……そろそろ身の振り方を考えないと、か)」
もしも、全ての希望的観測が無為に終わったなら。
"そうする"以外に道がないと分かったなら。
その時は、選ばなければなるまい。
今の鳥子にとって必要なのは、いつそうなっても即座に覚悟を決められるよう準備しておくこと。
重ねて言う。
仁科鳥子は、馬鹿ではないのだ。
何をどう試行錯誤しても無理だと分かって、それでも尚特定の結果に固執し続けるほど彼女は知能の乏しい女ではない。
最終的な目的はあくまで帰還。
"みんな"の大団円のために殉じれるほど、鳥子は聖人君子にはなれない。
もしかするとその道は、見えないけれど今も隣を歩いてくれているだろう少女を悲しませてしまうものかもしれないが。
それでも、それでも――鳥子は、生きて帰りたかった。自分達の遅れてやってきたジュブナイルを、こんな理不尽な幕切れで終わらせたくなかった。
「(出来れば誰かを殺したり、進んで蹴落としたりはしたくないってのも本音だけど。
元の世界に帰ってから事あるごとに思い出したりするの、嫌だし。
どんな顔で空魚や小桜に会えばいいのか分かんなくなっちゃいそう)」
空魚ならば、全てを聞いた上で仕方ないじゃんと受容してくれるだろう。
小桜はあれでとても大人だから、多くを言わずにそれでも自分の罪を受け入れてくれると思う。
そう思うし、信じられるからこそ、鳥子にとって殺すことは最終手段なのだ。
優しさに甘えて自己保身に走るなんて、そんな醜いことはない。
鳥子は大好きな人達、大切な人達に自分のそういう部分を見せたくないと考える。
無論、自分のサ―ヴァントである純粋で無垢な少女を殺人の道具にしたくないという感情もあった。
『アビ―ちゃん、今日はマリトッツォでも買ってあげよっか』
『まり……? 何かしら、それ。聞いたことないわ』
『えっとね、生クリ―ムをたくさん挟んだパン――みたいな。
一応昔からあるお菓子らしいんだけど、なんか最近急に流行り出しててさ。
アビ―ちゃんってパンケ―キ好きだから、もしかしたら気に入るかなあと思って』
『……! マスタ―さんがいいのでしたら、ぜひ食べてみたいわ……!!』
そう言うとアビゲイルは霊体のままで高揚に声を弾ませた。
英霊とは思えないその子供らしい年相応な態度に思わず笑みが零れる。
先行きのまるで見えない日―の中で、アビゲイルの存在は鳥子にとって支えであり癒しだった。
歳の離れた妹が出来たみたいな、そんな気分。元―子供好きな性分も手伝ったのかもしれない。
本戦が始まったから流石に用心して、出かける時は霊体化して貰うようにしたけれど。
それでもこうして彼女と過ごす時間を減らしたくはないと思った。
現代よりもずっと以前の時代の出身者であるアビゲイルにしてみれば、この内界はさぞかし煌めいた新鮮な世界に見えているのだろうし。
ならばせめて、彼女と過ごす限られた日―を有意義なものにしたい――お互いにとって。
そんな気持ちがあったから、鳥子はなるべく昼間は外に出るようにしていた。
あまり長―出かけたり、遠出したりするわけではない。
今日だって一緒に街に出て、お菓子を買って、後はちょっと日用品を買い足して部屋に戻るつもりだ。
至っていつも通り、何も変わらない。
歩き慣れた、この世界にやって来る前から知っている道に自分だけの靴音を響かせていき――――
「……あれ?」
そこでふと、足が止まる。
しんとした静けさが、き~んという騒音になって鼓膜に触れる。
此処は東京だ。界聖杯により模倣された世界トップクラスの大都市だ。
なのに。別に人通りの少ない道を選んだつもりもないのに、鳥子達の周りには人っ子一人見当たらなかった。
周囲の建物だって無人ではあるまい。その筈なのに――何の気配も、音もしない。
「(――中間領域)」
鳥子の頭に浮かんだ単語。
中間領域。こちらの世界と裏世界の、文字通り中間にあると思しき極めて不安定な空間。
人が居らず、怪奇の兆しだけが静かに根付く嵐の前の凪いだ海。
今のこの状況は、鳥子の知るそれに非常によく似ていた。
だから思わず身構える。銃はないが、鳥子の様子を察してアビゲイルが霊体化を解除し寄り添ってくれた。
「気を付けて、マスタ―」
「うん、今のところはね。アビ―ちゃん、何か感じる?」
「……、」
鳥子は魔術師ではなく、あくまでも界聖杯により付与された魔術回路を持つだけの存在だ。
そのため感知能力なんて便利なものは持っていない。
けれど今、鳥子の隣に居る少女は。
アビゲイル・ウィリアムズは――サ―ヴァントだ。
す、とアビゲイルの細くて白い指が動く。そのまま指先が一点に合い、止まれば。
「なにか、いるわ。とても狡くて――」
虚空が、蜃気楼のように歪んだ。
さもそれは、その部分だけ水をまぶした絵筆で撫で回したみたいに。
世界の画素が、テクスチャが、薄くぼけて曖昧になる。
そこに鳥子は確かに見出した。あの世界で何度となく遭ってきた人外のもの。
人間の恐怖に潜むが如き存在――即ち。
「――恐い、ひとが」
――――怪異。
ぼやけた虚空が水気を帯びる。
コ―ルタ―ルのようにどす黒く、しかして目には見えない魔力の兆し。
鳥子は思わず鼻を抑えた。今までの人生で、一度として嗅いだことのないような臭いがしたからだ。
それは臓物の臭い。血腥い腸の臭い。肉食獣が食い散らかした後のような死と虐の臭気。
ぬるり、と。
そんな音が聞こえそうな動作で、虚空から何かが歩み出た。
白と黒のモノト―ンで構成された歪な頭髪に、平安期のそれを思わす和装。
しかしながらそれは伝統を棄却したような赤と白の縞模様で編まれており、鳥子はそこにピエロのイメ―ジを見た。
七尺近くありそうな長身をゆらりと揺らして、口に粘っこい笑みを浮かべたその怪異(なにか)。
"それ"は――鳥子に向けて眦を細め、慇懃無礼に頭を下げた。
「お初にお目に掛かりまする。界聖杯内界に残留した二十三の器の一つたる、そこな英霊のマスタ―殿」
ろくなものではない、と鳥子はすぐに察する。
鳥子が知る、意思疎通の出来る異常な相手というと潤巳るな――万人を従わせる"声"を持つ少女が浮かぶが。
これは彼女の比ではない。魔術師ではなく、空魚のように怪異の知識を広く持つわけでもない身の鳥子だが、それでも分かった。
「拙僧はアルタ―エゴのクラスを以って現界したサ―ヴァントでございまする。
どうぞお気軽に、リンボとお呼び下さいませ」
「……アルタ―、エゴ? それって――」
鳥子はアビゲイルの方に視線を向ける。
すると彼女もこくりと頷いた。
エクストラクラス。通常の七騎には該当しない、特異な霊基を持つサ―ヴァント。
アルタ―エゴ・リンボ。辺獄――何とも不吉で、禍―しい名を名乗った彼は。
「目は口ほどに物を言う、と申しまする」
肉食の獣のように、ニィと口を吊り上げ。
「成程、そちらのお嬢さんもまた拙僧と同じエクストラクラスなのですなァ。
これはこれは、数奇な遭遇もあったもので」
「……っ」
そう嗤った。それと同時に鳥子は自らの迂闊を恥じる。
まんまと情報を与えてしまった――よりにもよって、こんな奴に。
心に這い出た弱気を振り払うように鋭く目を細め、警戒心を横溢させる。
「……それで、そのアルタ―エゴさんが私達に何の用?」
「ンン――そう身構えずともよろしい。
何も取って食おうという腹積もりではございませぬ。
拙僧はただ、至極公平で真っ当な盟を結ぼうと持ち掛けに参ったのです」
身構えるなという方が無理な話だ、と毒づきたくなったが。
それはさておき、相手方の持ち出してきた話は予想だにしないものだった。
同盟の誘い。曰く公平で真っ当なもの。更にリンボは、続ける。
「拙僧の主もまた聖杯を求めておられる。
しかして戦力はどれほどあっても過剰ということはありませぬ。
残る敵数は二十余り二つ。手を取り合い背中を預けられる相手を欲するのは当然の思考かと思いますが――」
「……駄目よ、マスタ―。耳を貸してはいけないわ」
きゅ、とアビゲイルが鳥子の服の裾を掴む。
実のところ鳥子は、リンボの持ち掛けに迷いを感じていた。
確かにこの男は、見るからに疑わしく信用に値しない相手だ。
けれど、この先の戦いを生き残っていくならば敵を減らすに越したことはないのではないか。
たとえ一時的なれど同盟を結ぶだけ結んで、後は一瞬たりとも気を許さなければ恩恵だけを受け取れるのではないか――。
そんな思考が芽生えてしまった。しかしまるでそれを感じ取ったみたいに、アビゲイルは真摯な瞳で鳥子を見上げている。
「この人は、恐い人。だから決して手を取っちゃ駄目。
"気をつけていれば大丈夫"なんて思わないで」
「……アビ―ちゃん」
裾を掴んだ小さな手。
それを、ぎゅっと握る。
自分の中に根付く恐怖を消す上でも、その温もりは実にいい仕事をしてくれた。
……呑まれかけてた。
鳥子はそれに気付いて背筋を粟立たせる。
アビゲイルの制止がなければ、自分はきっとこの男に頷いていただろう。
考えるまでもなく分かることだったのに、白痴のように同盟を受けていたに違いない。
「惑わされてはなりませぬぞ、金毛の貴女。
所詮サ―ヴァントとは人類史の影法師。あくまでも肝要なのは今を生きる貴女の――」
「あなたとは同盟はしない」
にべもなく切り捨てる。
今この手に銃はないけれど。
怪異を不可侵の存在から打倒可能な"敵"に変える空魚の瞳もないけれど。
それでも、傍らのサ―ヴァントの存在が
仁科鳥子を強くしてくれた。
嗤う肉食獣を見据え、続ける。
「あなたからは……凄く、厭な臭いがする。
たとえ一時のものだとしても、私はあなたとは組みたくない」
くねくね、八尺様、果ての浜辺の怪異達。
最近のものだと寺生まれのアイツなんかが思い出されるけれど。
此処まではっきりとした意思を持って接触を図ってきた怪異――そう呼べる存在は今までで初めてだった。
だから気圧されかけた、呑まれかけた。でも、アビゲイルのおかげで気付けた。
これは近付いてはならない存在だ。決して、同じ側に立ってはならない存在だ。
きっと此処に居るのが自分じゃなくて空魚だったとしたら――同じ結論を弾き出したはず。
その判断に無限大の自信を得る。
いつしか、気圧されかけた弱い心は消えていた。
確固たる自分を持って、毅然と相手を見据えて。改めて示す――拒絶を。
「だから大人しく帰ってくれない? そしたらこっちも疲れなくて済むから」
「――――ン、ンン」
にべもない拒絶。
それを受けたリンボは、辺獄の号を持つアルタ―エゴは、嗤った。
可笑しくて堪らない。愉快痛快、とでも言うように。
悍ましく悪意に満ちた、享楽と悦楽の笑みが浮かぶ。
「そう返されては。拙僧も、為すべきことを為すより他無くなってしまいますな」
この男とは組めない。
これのマスタ―がどんな人間であるにせよ、これがこうして大手を振って出歩いている時点で論外だ。
それが鳥子の結論だったが、しかして同盟の交渉が決裂したならば敵がすることもまた自明。
リンボの周囲に、人型を模した御札が複数ひらひらと舞い上がる。
「マスタ―、離れて!」というアビゲイルの言葉が響いた時には既に、赫い燐光が煌―と瞬き、そして爆ぜるまでの工程を終えていた。
「っ、あ……!!」
受け身も取れずに吹き飛ばされて地面を転がる。
舞い上がった土埃が晴れれば、そこに立つのは両手を広げた肉食の魔人。
ひゅっ、と喉が情けない空気音を立てたことを責められる者はまず居まい。
歩みを進めたリンボ。鳥子を守るべくアビゲイルが、その間に立つが。
尚も構わず、美しき肉食獣は歩む。
「残念。実に残念でございます――えぇ、えぇ。
本戦にまで残った器の一つ。多少は賢明な判断が出来るものと思っておりましたが」
違う、惑わされるな――鳥子は自らに言い聞かせる。
地に這いつくばりながら。それでも、しっかり自分を保とうと唇を噛む。
これはそんなこと微塵も思っちゃいない。
最初から期待などしていないし、断ることくらい分かっていた。
なのに何故、こうしてわざわざ白―しい三文芝居を打ったのか。
その答えは、決まっている。悪意だ。頷くなら良し、頷かずともそれで良し。
どの道悪意で相手を貶めることしか考えていないのだから、同盟に頷くかどうかなどさしたる問題ではないのだ。
「正当な懇願を無碍にされては、拙僧としても取る手段が限られてしまいまする。
例えば、そう」
リンボが手を振るう。
それだけでアビゲイルの身体がぐらりと揺らいで地面に伏した。
鳥子は目を見開くが、それは彼女がリンボの真実を知らぬ故の反応である。
アルタ―エゴ・リンボ。
彼の霊基は、本来のそれに比べ大きく歪んでいる。
もとい、彼自身が望んで招き入れた歪みと呼ぶべきか。
異なる神話の神を束ねて喰らった果てしない悪意の産物。
そんなリンボの霊基は、言わずもがな――並のサ―ヴァントでは到底及ぶことの叶わない魔域に達して余りある。
「本人の意思を無視して、仲良くする羽目になりますからな」
翳した右手を起点として描かれる呪わしき星。
五芒星。安倍晴明が興した五行の象徴たるそれを使うのはしかし晴明に非ず。
呪詛と悪意に塗れた呪が、いつかの時空での惨劇を再現する。
輝き喰らう五芒星。異星の神と"切れた"今では、その威力も以前に比べれば見る影もなく落ちているが。
それでも彼は平安にその人ありと謳われた陰陽師。
対抗手段のない英霊がまともに浴びれば、最悪の事態すらも考慮せねばならない有様に成り果てるだろうことは想像に難くない。
――が。
「──―─ぬ?」
五芒星を瞬かせた肉食獣。
その強靭な腕を絡め取るものがあった。
それは、およそこの東京の街並みの中には見合わない異形。
ともすればアルタ―エゴ・リンボという異分子をさえ上回るだろう存在感を秘めた非現実的物体。
蛸の脚を思わせる触手が、何処かからともなく伸びてきて──それがリンボの肉体を戒めていたのだ。
「よもや、これは」
悪、怪異の如き陰陽師の喫した一瞬の思考的空白。
言わずもがなそれは、戦場においては致命的な隙となる。
ましてこの街で行われているのは只の戦争に非ず。
その生涯を以って世界に召し上げられた英霊達が殺し合う、鮮烈極まる"聖杯戦争"なれば。
空白の代償は、激流の勢いで押し寄せた触手の群れによって徴収された。
七尺近い長身が吹き飛び、呪の行使に辺り発せられようとしていた魔力が霧散する。
消滅させるまでには至っていないようだが──予期せぬ痛手を与えられたことには違いない。
しかし鳥子は喜びでも悪党が吹き飛ばされた爽快感でもなく、驚きを浮かべて触手の主を見た。
アビゲイル・ウィリアムズ。クラス・フォ―リナ―。……降臨者(フォ―リナ―)。
「ごめんなさい、マスタ―。怖い思いをさせてしまって」
リンボに一撃加えた触手が彼女の手によるものなのは明白だ。
アビゲイルは驚く鳥子に向けて微笑んだが、その顔はどこか寂しげに見えた。
それは、主と過ごす穏やかな日常が終わってしまうことを惜しんでの感傷だったのかもしれない。
「だけど、どうか怖がらないでくださいな。
私が──サ―ヴァントとして。必ずマスタ―を守るから」
「ン──ンン、ンン、ンンンンン……!!!」
リンボが立ち上がる。
その狂態、依然変わりなく。
多少の流血と損傷が見て取れるものの、五体は健在で活力も失われている風には見えない。
口を開かなければ絶世のものと呼んでもいいだろうその貌に貼り付いているのは、引き裂くように凄絶な笑み。
この男の獣性と悪性を全て発露させたような悍ましい顔で、リンボは嗤う。
「どうやら拙僧、界聖杯の悪食ぶりを些か侮っていたようですな。
しかし考えてみれば当然のこと、何しろこのリンボを招く程に見境がない!
それならば、ンン、確かに!!」
──そも。通常の聖杯戦争であれば、エクストラクラスのサ―ヴァントなんてものが喚ばれることはないのだ。
監督役及び進行役としてル―ラ―が用意されることはあるかもしれないが、精―その程度。
にも関わらず此度の聖杯戦争においては、この場に居るだけでも既に二騎だ。
明らかな異様。ル―ラ―を用立てることなく、にも関わらず混沌をむしろ助長するような異端を招く悪食ぶり。
そして混沌(カオス)の色を霊基の裡に秘めているのは、何もリンボに限った話ではなく。
「外なる神。虚空の叡智に傅く巫女──深淵なるセイレムの落とし仔。
このような降臨者(モノ)を呼び寄せてしまうのもまた道理か!!」
アビゲイル・ウィリアムズもまた"そちら"の存在だ。
リンボは彼女を知っている。とはいえあくまでも一方的にだが。
魔女狩りのメッカたるマサチュ―セッツ州セイレムにて覚醒し、世界に痛みを齎そうとした銀鍵の少女。
彼女の物語にリンボが介入したことはなかったが、カルデアへの攻撃を実行した際に記録を閲読したため、亜種特異点セイレムの顛末と降臨者・アビゲイルの性質についての知識は得ていた。
それ故の真名看破。されど少女は、そのことに怯えるのではなく──
「来ないで……!」
無数の蝙蝠を出現させ敵に向けてけしかけるという、攻撃行動で以って応えた。
示すのは拒絶。近付かないでと、何より純粋な意思でリンボという悪意の接近を拒む。
蝙蝠の群れに取り囲まれ、黒い塊のようになった陰陽師だったが、しかし。
次の瞬間、その塊は炎の如く燃え盛る呪わしい魔力に包まれた。
蝙蝠達の断末魔が響く。
やがて炭になるまで焼き尽くされたそれらが空に溶けていき。
炎の下から悠然と姿を現したリンボは僧衣の内から札を取り出していた。
それがふわりと虚空に浮き上がり。意思を持ったようにアビゲイルの方へと迫る。
そしてその距離が一定に達するや否や──
「急―如律令」
「っ……あ──あああああああっ!!?」
ぼわりと、爆ぜた。
刹那にして湧き上がる邪悪な炎。
蚊帳の外でこの戦いを見つめるしか出来ない鳥子がアビゲイルの名前を叫ぶ。
だが返事はなく。しかして、この一撃で燃え尽きたわけでもまたない。
立ち昇った火柱を引き裂いて出現した触手が、轟、と大気を掻き鳴らしながら彼へと向かう。
今度は当たらない。先の一撃はまぐれだと嘲るように跳躍し、躱し。
かと思えばその長い足で地面を打って急加速──からの吶喊。
獣の爪を思わす鋭利な一撃が、反応の遅れた少女の二の腕を切り裂いていた。
白い肌を汚す赤い血潮。自分の口元に跳ねたそれをべろりと舐めるリンボの様は醜悪、劣悪、そして猛悪。
「拙い。実に拙いですなァ──所詮は童女の児戯の域を出ぬようだ。
宝の持ち腐れとはまさにこのこと。正しく扱えば、星の終わりをさえ導けるというのに」
まるで羽虫を振り払うようにアビゲイルが袖を振る。
それと同時に虚空からまろび出た触手の打撃はまたしてもリンボに当たらない。
後退させることは出来たがそれまでだ。リンボが受けた痛手は最初の一度のみで、一方のアビゲイルは負傷が目立ち始めている。
血を流す腕を庇って息を切らしながら、それでもマスタ―のために戦おうとする様はひどくいじらしかった。
そんな光景を見ている、鳥子。今やリンボの視界にすら収まっていないだろう、無力な人間。
ひどく情けなかった──空しかった。
自分の弱さと無力さ、そして聖杯戦争をどこか侮っていた迂闊さに腹が立って仕方なかった。
素人目に見ても分かる。アビゲイルはリンボの指摘の通り、戦いの年季がまるでないのだと。
身に余る大きな力を闇雲に振り回すだけでも確かに強い。それで倒せる敵も少なからず存在しよう。
だがそれはあくまでも、実力が圧倒的に下の相手を嬲る場合のみに限られる。
その点リンボは明らかに、そういうやり方でどうにかするには強すぎる敵だった。
「(……このままじゃダメ、これ以上傷つくあの子を見てられない。
こうなったら令呪を使って強引に撤退するしか──)」
こんな序盤も序盤の遭遇戦で貴重な令呪を一画使うのが大きな損失なのは分かる。
けれど出し惜しんでいてはそもそも此処で自分達の聖杯戦争は終わってしまう。
そうでなくても、今まで自分の心を癒やし、温かい日常を一緒に過ごしてくれた彼女を失ってしまうことになる。
打算抜きに、純粋に──鳥子にはそれが嫌だった。
アビゲイル。優しくて純粋な、とってもかわいいサ―ヴァント。
サ―ヴァントとは戦うもの。戦わなければ生き残れない、それは分かっている。
分かっているけど、それでも。鳥子には、駄目だった。
友達が傷つく光景というものをこれ以上まじまじと見せられるなんて、到底承服出来そうになかった。
だから令呪を使おうと決意する。
後先を考えている場合ではないと。自分と、そして彼女の日常を守るために──いざ手の刻印に意識を集中させんとして。
「(せめて空魚の"目"があったら、私も少しは役に立てたのに……、……っ!!)」
そんな未練がましいことを考えた。
そしてその途端、鳥子の脳裏に天啓が閃いた。
『──アビ―ちゃん! 聞こえる!?』
『っ……マスタ―、早く安全なところに……!』
『ううん、逃げない! それよりもさ、ちょっと試したいことがあるの!!』
アビゲイルの困惑が念話越しに伝わってくるが、こうなったら一か八かだ。覚悟を決めるしかない。
これから鳥子がやろうとしているのは、まさに根拠のない勝算に未来を委ねる博打だった。
上手くいくかは分からないし、仮に上手くいったとしてそれで勝てるかも分からない。
ただ、試してみる価値はあると。少なくとも鳥子はそう判断した──マスタ―として。
或いはそれは、怪異の絡んだ鉄火場をいくつも相棒と一緒に乗り越えてきた冒険者(トラベラ―)としての意地だったのかもしれない。
『少しでいいから、あいつの動きを止められる!?
もし出来ないなら、今すぐ令呪を使って二人で逃げる。
でも出来そうなら──』
『……分かったわ、マスタ―! 難しいかもしれないけど、やってみる……!!』
脳内に響く鳥子(マスタ―)の声。
要するに博打をやろうとしているだけなのに、そこには不思議な説得力があって。
それに背中を押されて、アビゲイルも彼女を逃がすのではなく二人で一緒に戦うことを決めた。
リンボの眦が──動く。
鳥子の、そしてアビゲイルの間に漂う主従間の空気感が変わったことを敏感に察知したか。
だが長考は許さない。ぶおんと空を切りわなないて、外なる神と繋がる者の証たる異形の触腕を振り回す。
「何を思いついたか知らぬが──!」
なるほど、何やら考えがあるらしい。
されど眼前のフォ―リナ―は言うなれば幼体、あまりに未熟。
霊基の再臨が進んでいるならいざ知らず、この段階では恐れるに値しない。
何しろ取り柄の出力すら満足に引き出せていない有様なのだ。
適度に遊んで、しかし殺さぬ。
殺さずに、我が五芒星にて呪を植え付け──いつぞやの英霊剣豪とまでは行かずとも、使いでのある傀儡に仕立て上げてくれる。
素体の値打ちは十分、否―それ以上。
これに比べれば大江山の悪鬼も、源氏の頭領も、剣聖に至った無双の剣術家すら矮小の一言に尽きる。
セイレムの銀鍵。虚空の神の依代。もしも亜種特異点セイレムで"完成"していたならば、異星の神の企てをすら根底から覆し得たジョ―カ―。
これを手に入れることが叶ったならば。その時は、彼女を柱に据えた新たな地獄界曼荼羅を描くのも──
「……何?」
押し寄せた触手の波を焼き。
蝙蝠を引き裂き、いざやと呪を練り哄笑するリンボ。
その足はしかし、前へと進むことはなかった。
右足に絡み付いた触手。それが、進ませじと彼の足取りを戒めていたからだ。
とはいえ小癪。ひとえに無意味。
アビゲイルの放った蝙蝠はもはや目眩まし程度の役割しか為せず。瞬きの内に四散する。
そして、文字通り"目眩まし"のためにけしかけられた蝙蝠の向こうから。
母親譲りの健脚で接近していた
仁科鳥子の手が、リンボの胸板へと触れた。
その後ろで、脱ぎ捨てた手袋が空間に残った魔力の残滓に触れ、燃え尽きていくのが見て取れた。
「──捕まえた」
仁科鳥子はただの人間である。
魔術は使えない、多少経験があるとは言っても超人はおろか達人の域にさえ入れない程度。
リンボがその爪を一度振るうだけで鳥子の喉笛は掻き切れ、瞬く間に命が終わるだろう。
だが、リンボがそうするよりも鳥子の手が触れる方が早かった。
触れさえしたならば後はやり切るしかない。
鳥子の手が──ずぶりと。サ―ヴァントの人並外れた耐久力を完全に無視して、リンボの体内へと潜り込んだ。
世界が止まって見える。
走馬灯に限りなく近く、しかし死を前提として目的を成し遂げるための"決死"。
アドレナリンが過剰分泌されているのをこれでもかと感じながら。
鳥子は、眼前の悍ましき男の体内に一つの確たる手応えを感じ取り、そのままそれを。
「っ、あ、あぁああぁぁあああああ……っ!!!」
雄叫びと共に――ぶぢり、と引き抜いた。
さながらその絵面は、陰陽師の心臓が抉り出されたが如きものであったが。
手が入り込んでいた筈のリンボの胸には傷も出血もなく、さもそれ自体が夢幻の産物だったかのような様相。
けれど鳥子の手には、リンボがこれまで呪の媒体として用いてきた人型の護符が握られ、そのままぐしゃりと潰されていた。
その指先は、透き通る蒼色。
神が濃淡を与え忘れたかのような、透明。
これなるは果てしない蒼の世界、人の恐怖が蠢く異界。
彼女達が〈裏世界〉と呼ぶ領域にて起こった怪異との接触により生じた、言うなれば後遺症とでも呼ぶべきもの。
紙越空魚の蒼い眼は、裏世界の存在を見通す。
そして、
仁科鳥子の色のない手は――裏世界の存在を、"掴む"ことが出来る。
「……ほう」
リンボの身体が、灰のように崩れ始める。
その顔に浮かぶのは驚嘆。そして感心。
英霊としての消滅、霊基崩壊の兆候ではない。
鳥子にもアビゲイルにも正確には断定出来ないだろうが、種を明かせば最初から、彼女達の前に現れたリンボは本体ではなかったのだ。
「よもや、そのような」
散りゆくリンボ、もといその式神に触手が叩き付けられ、美しき肉食獣は二人の眼前から消滅した。
辛勝。討伐には程遠い撃退であったが、勝利は勝利だ。
直にリンボの人払いも解け、街はいつも通りの喧騒を取り戻すだろう。
そうなれば、彼女達とリンボ以外に先の戦いを知る者は誰も居ない。
何も知らない者達が、つい数分前まで生死を賭した激戦の舞台となっていた区画をスマ―トフォン片手に行き交うのだ。
はあ、はあ、と喘鳴にも近い息を吐き出しながら、恥ずかしげもなく地面に仰向けで転がる鳥子。
それに駆け寄るアビゲイルに、彼女は微笑んでグ―を突き出した。
「……どう、アビ―ちゃん。
君のマスタ―もさ、なかなかやるもんでしょ」
「もう……っ。マスタ―は、無茶しすぎだわ……!」
目に涙を浮かべて、それでも笑みを返してくれるアビゲイル。
初めての勝利の味わいは爽快感すら伴っていて。
だけど、出来ればもう二度とやりたくないなあと思わせるに足るものだった。
「とりあえず……一回、部屋に帰ろっか。
アビ―ちゃんも正直、お菓子どころじゃないでしょ。疲れて、さ」
人が来れば目立ってしまう。
その前にと、緊張が解けてどっと疲れた身体を無理やり起こした。
空を見上げる。快晴の青空は他人事のように清―しくて、嫌味なくらい眩しくて。
「(……やったよ、空魚)」
心の中でそう、一言呟いて――此処には居ない大切な相棒に、同じくグ―を突き出すのだった。
【渋谷区・路上/一日目・午前】
【
仁科鳥子@裏世界ピクニック】
[状態]:疲労(中)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:護身用のナイフ程度。
[所持金]:数万円
[思考・状況]
基本方針:生きて元の世界に帰る。
1:疲れた……部屋に戻ろう。
2:出来るだけ他人を蹴落とすことはしたくないけど――
3:アルタ―エゴ・リンボに対する強い警戒。
[備考]
※鳥子の透明な手はサ―ヴァントの神秘に対しても原作と同様の効果を発揮できます。
式神ではなく真正のサ―ヴァントの霊核などに対して触れた場合どうなるかは後の話に準拠するものとします。
※手を隠していた手袋が焼失しました。
【フォ―リナ―(
アビゲイル・ウィリアムズ)@Fate/Grand Order】
[状態]:疲労(中)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスタ―を守り、元の世界に帰す
1:マスタ―にあまり無茶はさせたくない。
◆◆
意識が浮上する。
ふう、と溜め息を吐き出した身体には若干の疲労感。
若干なれど、損耗は損耗だ。あの頃では有り得なかった、消耗。
やはり異星の神と繋がっていない現状の霊基では、生活続命の法を実現するのは不可能であるらしい。
偵察に出していた式神が破壊された。
あわよくばセイレムの魔女を傀儡に出来るかと思ったが、流石にそう上手くは運ばなかった。
彼女を従えていたマスタ―。その透明な手。それを以って式神の核を外に弾き出されたことで、術の形が大きく崩れてしまったのが敗因だ。
油断したか。魔力の波長を感じないマスタ―であった為、さぞかし見当違いの方策で自分を倒そうとしてくるのだろうと高を括っていた。
その結果、まんまと足元を掬われて敗れた形である。
「とはいえ……成果としては十二分、か。
あの"手"には驚かされたが、二度同じ手を食う儂ではない。
アビゲイル・ウィリアムズ――あれは良い地獄を生める器だ。この世界を塗り潰す絵筆の一つとして、頭に入れておかなくては」
此処に来る前。アルタ―エゴ・リンボは一度完膚なきまでに敗れ、消滅した。
それから英霊の座に還り、そうして再度召喚されたのが今回の彼だ。
その霊基は相変わらず異常なものであったが、それでも以前ほどではない。
零落。そう呼ぶに相応しい体たらくへと、今のリンボは成りさらばえていた。
しかしそれでも――彼が悪逆のアルタ―エゴであることに変わりはない。
何故なら記憶を引き継いでいる。異星の神の尖兵として暗躍し、地獄界を描き上げた記憶を変わらず持っている。
ならば力の大小など些末。零落と矮化は、彼の悪意を抑え込む檻としては役者不足だ。
「さて。では、マスタ―の下にでも赴きましょうか。
大方今頃は新たな手を打ちに掛かっているところでしょう」
全てを嗤う、悪。
黒い太陽と悪の神を取り込んだハイ・サ―ヴァント。
強大な力と、それを遥かに上回る巨大な悪意を蠢かせて――
蘆屋道満、世に蔓延す。
彼が望むは新たな地獄界。
その絵図は、既に記され始めている。
【???/一日目・午前】
【アルタ―エゴ・リンボ(
蘆屋道満)@Fate/Grand Order】
[状態]:疲労(小)
[装備]:なし
[道具]:???
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:この東京に新たな地獄を具現させる。
1:マスタ―には当分従いましょう。今の拙僧はあの幼子の走狗なれば。
2:マスタ―の所へ向かう。
[備考]
※式神を造ることは可能ですが、異星の神に仕えていた頃とは異なり消耗が大きくなっています。
※フォ―リナ―(
アビゲイル・ウィリアムズ)の真名を看破しました。
※本体の位置については後のお話で設定していただいて構いません。
◆◆
――これは、禍々しき陰陽師と銀鍵の巫女の交戦とは全く関係のない話だ。
◆◆
"彼"が英霊となって最初に感じたのは――――激しい嫌悪と絶望だった。
それは永遠の牢獄。
人類史の一員となる、史上最悪の終身刑。
聖杯戦争への招集、特異点的状況に於ける自由意思を無視した強制召喚。
子供や若者は考えもなしに偉くなりたい、世界に名を残したいと口にするが。
実際に"そうなった"この男に言わせれば、現実を知らないが故の世迷言以外の何物でもなかった。
英霊になり、人類史に刻まれる。
その意味するところは――永遠の束縛だ。安息のない、平穏などとは遥かに縁遠い"英雄"の一員に成り果てる地獄に過ぎない。
ふざけるな、やめろ。
そんなものは要らない――望んだ試しもない。
男の嘆きと絶望は届かず、時は流れ。
彼はこうして平穏とはかけ離れた、"聖杯戦争"の舞台へと召喚されるに至った。
男の名前は"吉良吉影"。
この世の誰より強く平穏で波風の立たない人生を渇望していながら、堪えられない難儀な性を抱えて生きた反英雄。
死人(デッドマン)と英霊(サ―ヴァント)に分かたれた魂の内の後者。
此度の聖杯戦争においては、アサシンのクラスを得て現界している。
吉良は聖杯戦争を嫌悪している。
何しろ"戦争"だ。言葉通りの争いだ。
平穏の二文字とはおよそ対極に位置する大時化の海面だ。
しかしそんな心情とは別に、吉良はこの聖杯戦争に絶対に勝利せねばならないという強い意欲を抱えてもいた。
理由は単純にして明快である。
人類史という不朽の牢獄、仮釈放なしの終身刑。
そこから抜け出し、かつて愛した平穏を取り戻す唯一の術こそが――界聖杯の恩寵であるのだから。
わたしは願いを叶え、英霊という名の枷から逃れる。
そして再び受肉して、今度こそ誰にも何にも邪魔されることのない平穏な生活を謳歌してみせる。
吉良は強くそう願っていたし。
そのためにどんな行動に手を染めることにも躊躇いはなかったが。
ただ一つ、そんな彼の頭を悩ますものがある。
それは他でもない、自分をこの地に喚び出したマスタ―の性だった。
「(『
田中一』……あんな男にわたしの命運を握られていると思うと、心底鬱屈とした気分になる。
あれは愚かな男だ。『植物の心のような平穏』を自分から蹴って捨てる類の人間だ。
このわたしのマスタ―としては、相応しくない)」
吉良は平穏を愛する。
そして平穏を乱す者を激しく嫌う。
ならば当然、自分で平穏を捨てる人間のことは理解出来ない。
彼のマスタ―はひとえに、それだった。
ちっぽけで病的な精神を暴走させて道を踏み外した、短慮で愚かな凡人。
腹立たしいことに。ままならぬことに。そんな男に今、吉良は――自分の悲願の手綱を握られていた。
吉良はサ―ヴァントとして認識されることのない、特殊なスキルを持っている。
『街陰の殺人鬼』。彼の生前の在り方を抽象化したような能力。
これのおかげで吉良はサ―ヴァントでありながら、霊体化することもなく普通の人間を装って東京の街を闊歩することが出来ている。
そんな彼の評価としては、東京はお世辞にも住みやすい街ではなかった。
何をするにも人が多くて、騒がしくて、煩わしい。
やはりあの杜王町以外に自分に安息を与えてくれる街などないのだと改めてそう感じながら上を見上げる。
巨大なモニタ―の中で、アイドルが歌って躍っていた。
どうせなら自分のマスタ―はこういう人間であればよかったと、吉良は思う。
平和ボケした、お世辞にもいいとは言えない脳味噌。
苛立つことはあるかもしれないが、その代わり、田中のように身の丈に合わない非日常への夜行を行ったりはしない。
『革命』など要らないのだ、吉良の人生には。重要なのは『泰平』。ただ凪いでいれば、それでいいのだ。
「(一先ずは様子見だが……判断のタイミングだけは見誤らないようにしなければ。
願ってもない千載一遇の好機。界聖杯は特別な聖杯だ――他の聖杯でわたしの願いを十全に叶えられるとは限らない。
何としても今回でこの忌―しい鎖から脱却するのだ、わたしは……)」
歩く。三百六十五日、いついかなる時も人でごった返した道も。
そこでふと、一人の女性とすれ違った。
海外の血でも流れているのか、金髪のすらりとした
シルエットをした女性。
何の気無しにすれ違い。そして――――
「……、――――」
吉良は、足を止めた。
そして振り返る。疲れているのかやや脱力気味に投げ出されたその片手は。
余人では有り得ない、色をしていた。世界の深淵のような色があった。
透明な手。何の美化も汚染もされていない、蒼く透き通った、手。
――――なんだ、今の『手』は。
どくん、どくん、と。
吉良は、かつて一度止まった自分の心臓の脈打つ音色をこの世の何よりも大きく感じていた。
人混みの奥に消えていったその女の後を追うように吉良は踵を返す。
気付けば呼気は乱れ。代謝など存在しないサ―ヴァントの身体は、じっとりと汗を帯び始めていた。
………男の名前は"吉良吉影"。
この世の誰より強く平穏で波風の立たない人生を渇望していながら、堪えられない難儀な性を抱えて生きた反英雄。
彼を召喚した愚かな凡人と、平穏を愛する彼の間にはたった一つだけ共通点がある。
病理だ。理性では抗えない、持って生まれた病的な性。
吉良の場合のそれは。それは――
【渋谷区・路上/一日目・午前】
【アサシン(
吉良吉影)@ジョジョの奇妙な冒険】
[状態]:健康、激しい動揺
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(一般的なサラリ―マン程度)
[思考・状況]
基本方針:完全なる『平穏』への到達と、英霊の座からの脱却。
1:――――今の、手は?
2:マスタ―(田中)に対するストレス。必要とあらば見切りをつけるのも辞さない。
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最終更新:2021年09月18日 23:05