味のしない夢だった。
 微笑む者、祈る者、悲しむ者、罵る者。
 自分の前に次から次へと現れる"感情"がどうしようもなく空虚なものに見える。
 いつかの記憶を思い出す。まだ叔母の部屋で暮らしていた頃の記憶だろうか。
 テレビで映画か何かが流れていて、でもその内容は小難しいのかつまらないのかちっとも頭に入ってこない。
 だけど他にやることもないから、ただぼんやりと駄作を垂れ流す液晶を見つめ続けている……。
 そんな記憶と重なる。けれど違うことが一つあるとすれば、さとうの記憶では見つめる先はテレビ画面だったが。
 "この人物"は――自分の外に広がる世界の全てを見つめながら、あの時のさとうと同じ空虚を感じていることだ。

 喜怒哀楽様々な顔をして目の前に現れる人間達。
 淫らな顔をしてすり寄ってきた女がいつの間にか血まみれになって白目を剥いていた。
 鬼のような顔をしながら斬り掛かってきた侍めいた剣士が次の瞬間には地に臥せり、何やら恨み言を吐いて死んだ。
 泣きながら土下座をして命乞いをする母親を殺して、その奥で半狂乱になって泣き叫ぶ童女を捕まえ口に運んだ。

 ――それでも何も感じない。
 痛む心もなければ恐れる心もない。
 興奮、高揚、一切無縁。この世のどんな感情も、全てが色褪せている。
 無味無臭。そういう意味では、さとうの抱える宿痾よりも尚深い空ろだ。

「(……ああ、そっか。これ、あいつの記憶なんだ)」

 サーヴァントと契約しているマスターは、入眠時に夢を介して従僕の記憶を垣間見ることがあるという。
 ひとえに松坂さとうが今目の当たりにしているこの空ろな夢の正体はそれだった。
 キャスターのクラスを持って現界した鬼。他人の神経を逆撫でしなければ生きられないのかと疑ってしまうような、戯言の坩堝。
 名を童磨という彼はさとうにとって、お世辞にも信頼の置ける相棒などではなかった。

 耳障りな声で囀ってはさとうを苛立たせる穢れた鬼。
 自分と同じ愛を抱くと僭称し、その癖日光に当たることが出来ないという致命的な弱点を抱えたサーヴァント。
 戦闘能力は申し分のないものを持っていることだけは幸いだったが、それでもさとうの彼に対する不満は尽きなかった。

 何が哀しくて、貴重な仮眠の時間をこんな男の身の上話を知るために使わなければならないのか――。
 心から辟易したものの、童磨の記憶を追体験しているさとうには嘆息の自由さえも許されていない。
 さとうは観念したように、目の前で繰り広げられる追想の図を観劇することにした。
 何の味もしない、空寒いほど起伏のない世界。
 何もかもが絵空事のようだった。出来の悪い三文芝居の中に、自分だけ役者でも何でもない立場で放り込まれたような感覚になった。
 昼は潜んで、夜は殺して、喰らって。
 見目の麗しい女ばかりを好んで喰らい、時にそれを嗅ぎ付けてか襲いかかってくる刺客を事もなく退けて。

 そうして進んでいく追想は、何ともつまらない――観る意味の一つも感じられないものだったが。
 収穫と言っていいのかすら判然としない、小さな納得はあった。
 聖杯が何故、自分の下にあんないけ好かない男を寄越したのか。
 その意味が、今のさとうには分かる。

 ――私より酷いなあ、これ。

 同情する気なんて微塵もない。
 でも、それだけは確かだと思った。
 松坂さとうは愛を知らなかった。
 他の感情は理解出来た。でもそれだけは、どうしても――何をしても理解することが出来なかった。
 今思えば何かしらの精神的な疾患だったのだろうと思うが、童磨の感情欠落は自分の比ではない。

 喜び、怒り、哀しみ、楽しさ。
 それ以外にも、人間が浮かべることの出来る感情、そのすべて。
 そのすべてが、童磨にとってはずっと無縁の絵空事だったという。
 この世に生を受けた瞬間から、人を辞めて鬼になっても、ずっと。
 ずっとずっと、彼はこの味も匂いも色もない、三文芝居の世界を生きてきたのだ。
 この男は、一体何のために生まれてきたのか。
 そう問いたくなるような空虚が視界を常に満たしている。

「(なんで鬼になんかなったんだろう。断って殺されてれば良かったのに)」

 ……まあ、それならそれで無理矢理鬼にさせられていただけな気はするが。
 それでもさとうが彼の立場ならば、恐らく蹴っていた勧誘だ。
 人間の身で分からないものが、たかだか寿命の概念を超越した程度で分かるようになるものか。
 無意味な人生を無駄に長引かされるくらいなら、断ってさっさと死んだ方がどう考えてもいい。少なくとも、さとうにとっては。

 そう考えている間にも追想の夢はどんどん進んでいく。
 代わり映えしない血と臓物だらけの夢が終わりに近付いているのが分かった。
 空間の概念が歪んだ、見ているだけで気分が悪くなってくるような何処かで。
 童磨が一人の女剣士を殺した。するとすぐさま、殺された剣士の縁者らしき少女が現れ――それから猪頭の奇怪な人間が現れた。
 童磨は彼ら/彼女らを、ただただ圧倒的な力で蹂躙し、追い詰め。

 そして――敗北した。

 それはさながら勧善懲悪、御伽草子の筋書きのように。
 童磨は取るに足らない、雑魚と蔑んでもいい剣士達に殺された。
 気の遠くなるほど長い生涯の中で彼らを超える剣士など何度も殺しているだろうに。童磨は、滅ぼされた。
 ざまあみろ、と笑うことはさとうには出来なかった。
 むしろさとうは、ただ押し黙っていた。
 取るに足らないと思っていた者に足元を掬われる経験には覚えがあったからだ。

 童磨が崩れて死んでいく。
 頸を斬られた鬼は生きられない。
 意思の力でその定石を打ち破ろうにも、童磨にはそれを可能にする熱がない。
 だから当然のように彼という穢れた魂は人間の生きるべき常世から弾き出され――
 深い、底の見えない地獄に墜ちる間際に。
 彼は、一つの邂逅を果たしていた。


「(――――え)」


 それを見たさとうは言葉を失った。
 失ったのと同時に、理解していた。
 童磨が何故あれほど、自分は君と同じだと繰り返し宣っていたのか。
 あの鬼が何故、訳知り顔で愛を説いていたのか。
 その理由を、知った。
 何故ならば――肉体を失い、魂とも思念ともつかない存在になって現れた女の嫌悪と嘲りを目の当たりにした瞬間。

 これまで都合百年以上、ずっと色褪せて味のしなかった世界の中で……彼女だけが引くほど鮮やかで。
 それでいて、味覚が麻痺するほど強烈な甘さを放つ存在として君臨していたからだ。

「(……そうなんだ。これが、あいつの愛なんだ)」

 失った心臓が脈を打つ。
 共に地獄に行こうと語りかける口。
 可愛い、愛おしい、美しい、素晴らしい。
 あらん限りの美辞麗句が踊る脳内はどう控えめに言っても膿んでいた。
 その強さ、激しさ故にさとうも理解する。
 これが童磨の言う愛。彼が百年以上もの彷徨の末に辿り着いた答え。
 それを理解したからこそ、さとうの中にとある感情が芽生えた。

「(だとしたら、あいつは――)」

 今際の愛は届かず一人地獄に墜ちていく。
 自らが滅びる間際に見た燦然たる愛。
 それは、ああ。
 あまりに、ひどく――


◆◆


 意識が浮上する。
 気付けば時刻は夕方と言っていい時間帯だ。
 とはいえ日没までにはまだ時間がある。
 二度寝しようと思ったが、冷房を掛けながら眠っていたせいか喉が渇いていた。
 冷蔵庫の中のミネラルウォーターをコップに注いで飲み干して、ふうと小さく息を吐く。
 するとそこで、もはや聞き慣れた耳障りな声がさとうの耳朶を叩いた。

「やあ、もうお目覚めかい? てっきり夜までは眠るものだと思っていたよ」
「……夢見が悪くて起きただけ。またすぐ寝るから心配しないで」
「さとうちゃんも悪夢なんて見るのか。なんだか似合わないねえ、君に悪夢は」

 知った風な口を利く鬼。
 これとの付き合い方はさとうなりに覚え始めている。
 とにかく真面目に相手をしていてはキリがない。
 そもそも話の通じる相手ではないのだから、適度に受け流しつつ必要な時だけ意思疎通を行うのが肝要だ。
 そうでもなければストレスと気疲れだけがどんどん溜まっていくことになる。
 この一ヶ月で学んだ、童磨に対する向き合い方のノウハウだったが……しかし。

「教えてあげようか。あなたの夢を見たんだよ、キャスター」
「……へえ! そうか、そうかそうかそうか! 俺の夢を見たのかあ、なんだか照れ臭いな。
 でも嬉しいよ。前々からずっと、君には俺の知った美しい愛の形を見て欲しいなと思っていたんだ」

 童磨とストレスなく付き合おうと思うなら、こんな会話をすることに意味はない。
 さとうが童磨に対して真面目に言葉を紡ぐのは必要な時だけだ。
 そうしなければいけないと必要に迫られて初めて、さとうは己のサーヴァントに向き合うようにしていた。
 そして今回もその例外ではない。
 喜色満面の童磨を冷ややかに見つめながら、さとうは続ける。

「あなたのこと、ようやく分かった。
 あなたが生きていた世界がどんなものかも。
 凄いね、キャスター。確かにあなたの空虚に比べたら、私のなんて取るに足らないや」
「そう卑下するなよ、さとうちゃん。
 俺と君は同じ生き物だろう? 何かが欠落した苦界の中で愛を知った、かけがえのない同志なんだから」
「……胡蝶しのぶさんだっけ。綺麗な人だったね」

 あくまでさとうは童磨の生涯を、早送り且つシーンスキップ有りで垣間見ただけだ。
 だから彼の生きた時代、戦った敵の仔細までは知らない。
 だが童磨の愛の対象である胡蝶しのぶは、確かに凄まじい人間だった。
 己の命をも擲って、怨敵を斃すことだけに全てを注いだ。
 その生き様の凄まじさは、さとうにも理解出来る。

「そうなんだよ、しのぶちゃんはとても可愛くてねえ。
 あの娘だけが俺に感情を教えてくれた。俺を人間にしてくれた!
 俺は心底感動したよ。これが愛なのだと数百年越しに理解した」
「うん、分かってるよ。見てきたから」
「なら感想を聞かせてくれよ、さとうちゃん。
 どうだった? 俺と同じ愛を知る君の目から見ても、俺の得た愛は最上の答えだったろう――?」

 だからこそ、ああ。
 思うのだ――童磨の真実を知ったから。
 今まで彼の言動に対して抱いてきた不快感とは別の感情を。
 彼が語る愛の全貌を知った今だからこそ抱く想いがある。
 それはただ冷たいだけの侮蔑でも、吐き捨てるような嫌悪でもなかった。
 もっと人間らしくて、それでいて。

 百の侮蔑よりも尚、鋭く貫くヒトの情。


「――――かわいそうだね、あなたは」


 童磨の表情が硬直した。
 冷気を扱う彼が"凍り付く"なんて、とんだ皮肉だが。
 今の彼はそうとしか形容の出来ない反応を見せていた。
 さとうはそんな彼を嘲笑うことはしない。
 ただ、いつも通りの表情のままで――憐れんだ。

「キャスターのそれは確かに愛だと思うよ」

 さとうには、童磨の愛を否定するつもりはなかった。
 何しろ常人の何倍もの時間、あの世界を生きてきた男なのだ。
 あの何の味もない、匂いもない、色もない空虚の世界を。
 三文芝居に囲まれた世界を命尽きるまで不感のまま彷徨い続けた男が今際の際に抱いたあの感情は、確かに一つの愛だろう。

「でも――あなたの愛は、あなただけのもの。
 あなたが一人で目覚めて、一人で抱えて、一人で大事にしてるだけのもの」
「……わからないな。何が言いたいんだ? さとうちゃん」
「わからないんだ。なら、それが全てじゃない?」

 でも、それだけだ。
 愛は一人だけのものじゃない。
 正しいとか間違ってるとかじゃなくて、それ以前に。
 一人だけで抱えて磨いて大事に愛でるその愛は。さとうの知ったそれとは明確に形が違う。
 昔のさとうなら童磨のことを否定は出来なかったかもしれない。
 けれど今のさとうは、違う。

「私はしおちゃんを愛してる。そして、しおちゃんに愛されてる」
「ははは。そんなの、俺だって――」
「噓。だってあなたは、あれきり胡蝶しのぶと会ってない。彼女達に殺されて、それからすぐ地獄に行ったんでしょ」

 目を閉じれば蘇る言葉。
 さとうにとって、人生で一二を争うほど苦かった言葉。

 ――さとちゃん、きらい。

 ああ、思えば。
 きっと、私達が"始まった"のはあの瞬間から。
 初めて拒絶の味を知った。
 初めて、向き合う痛さを知った。
 それがあって、私は。
 松坂さとうは、神戸しおという女の子と真の意味で向き合うことが出来て。
 一方通行で独り善がりな、薄くてわざとらしい甘さの愛は。
 あの時――確かな、本物の愛へと形を変えたのだ。

「今まで何回も言ってきたことだけど、改めて言うね」

 生きていく。
 生きていたい。
 ずっと二人で歩いていたいと思うし、思われていると確信している。
 自惚れ、エゴイズム、何と罵られようが構わない。
 松坂さとうは神戸しおを愛していて。
 松坂さとうは、神戸しおに愛されている。
 それが――さとうの真実。
 その真実を胸に抱いて此処まで来たからこそ、言える言葉があった。


「あなたと私は同じじゃないよ。
 あなたは独りで、私はふたりだから」


 踵を返す。
 もう話すことは何もない。
 言いたいことは言った。
 伝えなければならないことは伝えた。
 ああ……でも。

「また会えるといいね。しのぶさんに」

 形は違えど、空ろな世界で愛を見つけたよしみとして。
 そのくらいの言葉は掛けてあげようと、さとうはそう思った。
 仮眠へ戻ろうと寝室へ進む足。
 さとうの背中に、童磨の声が掛かる。

「……待ってよ。さとうちゃん――君は、何を言っているんだい?」

 その声のトーンが普段とほんの少しだけ。
 本当に微かだけれど違う気がしたのはさとうの気のせいだろうか。
 分からないし、分かったところで意味もない。
 ただ今なら、もう少しこの男に対して気長に寛大に接してやることが出来そうだった。
 だって。彼はどこまで行っても……それこそ。
 聖杯を手に入れでもしない限り、ずっと独りなのだから。

「聞こえないのかい? 話をしようよ、さとうちゃん」

 話すことは何もない。
 寝室へ向かう足、背中。
 そこに声が掛かる。
 この悪鬼らしからぬ鋭さを帯びた声だった。

「ねえ」

 無視する。
 まだ童磨が動けるようになるまでには時間があるのだ。
 夜に何が起きるか分からないのだから、今の内に体力を回復させておきたい。

「さとうちゃん」

 ベッドに腰を下ろして、後は身を横たえるだけ。
 そこまで来たところで不意に、ベッド脇のコンセントプラグで充電をしていたスマートフォンがてれれん、と通知音を鳴らした。
 これはトークアプリの通知音だ。無視しても良かったが、どうせ惜しむほどの手間でもない。
 端末を手に取って通知をタップすると、そこには馴染みのある名前が表示されていた。

 飛騨しょうこ。つい数時間前に再会し、電話で話もした相手だ。
 さとうは怪訝な顔をする。
 この期に及んでまだ話すことがあるのかと、そう思ってしまった。
 もう話すべきことは先程一通り話したと思っていたが……何か漏れでもあったか、それとも。
 そう思いながらアプリを起動して彼女からのメッセージを見ると、そこにはこんな文面が躍っていた。

『ごめん』
『今から、さとうのところに行ってもいい?』

 ……思わず嘆息してしまう。
 一方で、しょーこちゃんらしいな、とも思った。
 なんでそうしたいのかの理由がすっぽり抜け落ちている。
 本来なら真っ先にそこのところを教えて貰わなければ困るというのに。

「(……用があるなら電話掛けてくればいいのに。
  わざわざトークアプリで連絡してくるってことは、ちょっと気まずく感じてるのかな)」

 しょうこは活発な性格をしているけれど、あれで意外とそういうところがある。
 さっき電話で話したばかりなのに、すぐこうして会おうという連絡をしてしまうことを彼女なりに少し気まずく思っているのだろう。
 そんなしょうこの性格面の情報はさておいて――どうしようかとさとうは思案する。

「(しょーこちゃんは聖杯を手に入れようとしてる。
  その気持ちを疑うつもりはないけど……あの子、甘いからな)」

 しょうこの覚悟はさとうにも伝わっている。
 自分と競い合ってでも聖杯を手に入れてやるのだという強い意思。
 それは理解出来たし、疑うつもりもないが……しかし人間性というのはそう簡単には変わらないものだ。
 しょうこの優しさ、甘さ。そういう要素が自分の足を引っ張るのではないか。
 そんな懸念は実際あった。そしてこの聖杯戦争は、そんな贅肉めいた無駄を抱えながら勝ち抜けるほど甘くはない。

「(でもキャスターの報告を信じるなら、あの子のサーヴァントは結構強い。
  ……夜の間しか動けないこいつの脆さを補完するにはちょうどいいかも)」

 しょうこと実際に会えば本格的な協力関係、同盟へと発展するだろうことは想像に難くない。
 それにはリスクもあるが、されどその分大きなリターンもあった。
 さとうはキャスターを弱いと思っているわけではない。
 だが、脆いサーヴァントだとは思っている。彼への好悪から出る感想ではなく、純粋に事実だけ見た場合の話だ。

 童磨は日中、一切外で活動出来ない。
 八月の東京の日没時間は午後七時。
 一方で日の出は午前五時前と非常に早い。
 一日の半分以上もの時間パフォーマンスを発揮しきれないサーヴァントなど、如何に実力が優れていても"扱い難い"以上の評価は下せない。
 これで高い実力が備わっていなかったなら、さとうはきっと本戦を待たずして脱落していただろう。
 その脆さ、扱い難さを解消する最も手っ取り早い手段が――別なサーヴァントを味方に付けてしまうことなのだ。

『なんで。急にどうしたの?』
『サーヴァントに襲われた。うちにはもう帰れない』

 トークアプリを閉じてWebブラウザを開き、ニュースサイトに飛ぶ。
 するとそこには真新しい、それでいて物騒な見出しが躍っていた。
 板橋区の住宅街で大規模な破壊。死傷者多数。テロの可能性あり。
 タイミング的にこれだろうなとすぐに分かった。どうも、余程なりふり構わない戦いをしたらしい。

『さとうが嫌なら諦めるから』

 どう返信したものかと迷っている間に続きのメッセージが届く。

 ……変わらないな、こういうところは。
 そう思いながらさとうは返事を打ち、送信した。

『いいよ。今から家の場所送るから』


◆◆


 ぽーん、ぽーん……。
 そんな電子的な呼び出し音が鳴る。
 インターホンのモニター越しに移るのは、確かにさっき別れたばかりの友人だった。
 玄関口まで向かって扉を開ける。「あ、あの、さとう……」と何やらおどおどしている彼女の言葉を遮って声を掛けた。

「上がって。外、暑かったでしょ」 

 そう促してやればしょうこはこくりと小さく頷いて、さとうの暮らすワンルームの中へと足を踏み入れた。
 しょうこの脳裏に過ぎる、元居た世界での最後の記憶。
 あの時の部屋とは間取りも雰囲気も違っていたが、紛れもない死を味わった記憶が否応なく浮かび上がってきて身体が強張る。
 すう、はあ――そんな風に大きく息をする。
 彼女の様子に気付いてか、霊体化したままのアーチャーが念話を飛ばした。

『大丈夫だ、マスター。ボクが居る』
『……うん、分かってる。ありがとね、アーチャー。
 アンタが居なかったら私、動けなくなっちゃってたかも』

 人はそう簡単には変われない。
 戦う覚悟を決めて前に踏み出したしょうこの精神はしかし、依然として凡人の域を逸するまでには至っていないのだ。
 死の恐怖を覚えれば身体が固まり、それを乗り越えるための勇気を絞り出そうと思えば当然相応の時間が掛かる。
 その何とも脆く、しかして失うべきでない人間らしい弱さを雷霆の弓兵が傍で支える。
 未だ満身創痍の状態ではあれど、彼の声はしょうこの心に熱く疾く届き満たした。

 案内された先はリビング。
 テーブルを挟んでさとうとしょうこが向かい合う。
 虚空から像を結んでアーチャー……GV(ガンヴォルト)が実体化したのは、部屋の中に己以外の英霊の姿を見つけたからだ。
 そしてその英霊は――かつて邂逅した折GVに忘れられない強烈な印象を刻み込んだ、耳障りな倒錯者/鬼種であった。

「(あの時仕留め損ねた、冷気を操るキャスター……生き残っているかもと思ってはいたけど)」

 まさか、よりによって此処で出会すことになろうとは。
 警戒心を露わに童磨を一瞥するGVだったが、当の悪鬼はにっこりと微笑んで手を振ってくる始末。
 あいも変わらずの掴み所がない、その上で此方の神経を逆撫でしてくる不快な振る舞いにGVは眉を顰めた。
 奴が何か良からぬ行動をしようとしたなら、負傷を重ねる危険性を度外視してでも此処で倒す。
 そう密かに決意するGVをよそに。彼のマスターである少女は、緊張で乾いた唇を開き声を発した。

「――受け入れてくれてありがとう、さとう。
 ごめんね、いきなりあんなお願いしちゃって」
「ううん。何があったのかは大体分かってるから」

 言って、ニュースサイトの記事をしょうこの眼前へ突き出してみせる。
 しょうこからの連絡が来る少し前に発生したという、何処から見ても聖杯戦争絡みの案件としか思えない大惨事。

「これでしょ? しょーこちゃんが無事で良かったよ」
「……あはは。アンタには何でもお見通しね」

 さとうの予想通り、しょうこが助けを求めねばならない立場になった原因はそれだったらしい。
 緊張の糸が少し緩んだように、昔懐かしい苦笑を浮かべて肩を竦めるしょうこ。
 数時間前に予想外の再会を果たした時、人目の多い場所であるということもありしょうこはサーヴァントを霊体化させていた。
 どういったサーヴァントであるかには既に当たりが付いていたものの、いざ実際に見てみると――なかなか精悍な顔立ちをした少年である。
 先の戦闘でかなり手酷くやられたらしく、その時の負傷がまだ色濃く残っているのが見て取れた。
 童磨と互角に戦った彼をこうもボロボロに出来る英霊が居るという事実は、さとうにとってあまり芳しいものではなかったが……それはさておき。

「その人が、しょーこちゃんの?」
「初めまして、松坂さとう。マスターの懇願を受け入れてくれたこと、ボクからも礼を言わせてほしい」

 よく通る、はっきりとした声だった。
 成程これならしょうこの脆い所もしっかりカバーしてやれるだろう。
 彼女はサーヴァントの引きにおいては、間違いなくさとうに勝っていた。

「礼なんて要らないさ、雷霆の君。あんなに激しく熱く互いの愛を語り合った仲じゃないか」

 そう思わせる元凶が話に勝手に入り込んでくる。
 するとしょうこのサーヴァント……GVが顔を顰めて言った。 

「今お前とは話していない。お前のマスターと話しているんだ」
「律儀に反応しなくていいよ。どうせ言っても無駄だから」

 彼の記憶を夢で見て、彼というサーヴァントについての理解を深めた今のさとうにはよく分かる。
 童磨の言葉にこうやって律儀に反応したり、いちいち怒ったりムキになったりするのは全く意味のないことなのだ。
 それはさとうが彼と過ごしたストレスフルな一ヶ月を経て身に着けた対処法だったが、童磨を相手取るに当たっては間違いなく最適解である。
 何故なら童磨の言葉をどう受け止めどう返したところで、当の彼にはほぼほぼ届かないのだ。
 先の"らしくない"反応を見るに一応例外はあるようだが、基本的に童磨の意識は他人と一枚壁を隔てた向こう側にある。
 自分は相手の心を好きに掻き乱す癖して、こっちの反応は童磨の心に届かない。
 まさに戯言のスピーカーだ。こいつにかかずらっていたら、時間がどれほどあっても足りない。

「それで。しょーこちゃんは、私を頼ってどうしたいの。言ったよね、私達は──」

 そう分かっているので、さとうはさっさと話を変える。
 世間話や身の上話にうつつを抜かす段階を飛ばして本題へ。
 自分のことを頼ってきた飛騨しょうこに対し、問いかける。
 どうしたいのか。あなたは、私に、どうしてほしいのか――と。

「分かってる。……分かってるからこそ、アンタを頼ったの。
 私が聖杯戦争に勝つために。アーチャーと一緒に、この逆境を乗り越えるために」

 それに対してしょうこは毅然と答えた。
 そこにはこの部屋に入ってきた時のおどおどした、弱々しい様子はもはやない。
 GVに支えられ死の記憶に打ち勝って、小鳥は友を見据える。
 確固たる意思と、友に対する真摯な光(いろ)を、その綺麗な両目に灯して。 

「私が聖杯を求める気持ちは、アンタの愛ほど強いものじゃないかもしれない。
 でも、私のだってちゃんと"願い"なんだよ。弱くても、不格好でも……私はこの願いを貫きたい」

 しょうこは、さとうの抱く愛の強さを理解している。
 正確な大きさは分からない。分かるはずもない。
 松坂さとうという人間をああも変えた、彼女に熱を灯した唯一無二、永久不変の愛。
 ああ、勝てないだろう。
 しょうこの願いはちっぽけだ。自分でも分かるほどに月並みだ。
 願いの意味、その大きさ。
 そこで競い合ったなら、しょうこのそれはさとうの足元にも及ぶまい。

 ――それでも。それでも。
 飛騨しょうこは、その小さな願いを抱えて明日を目指す。
 どれほど傷ついても、羽が千切れても。
 もう二度と逃げないのだとそう誓って、愛の巨翼に並んで飛ぼうと力を振り絞る。

「だから……友達としてじゃない。一人のマスターとして、アンタと協力したいの」

 お互いの目指す未来の形が違うこと。
 いずれ自分達は願いのために殺し合うだろうこと。
 それらを不足なく理解した上で、しょうこはさとうにそう持ち掛けた。

「……そんなボロボロのサーヴァントと一緒に駆け込んできて。
 私に断られて殺されるかもしれないとは考えなかったの?」
「そりゃ考えたわよ。考えたけど、そこはアンタを信じることにした」

 しょうこの帰る家は、もうない。
 自分を散々束縛してきた母親も、何処で何をしているのか不明だ。
 恐らく生きてはいるのだろうが、しょうこが母親の許に帰ることはもう二度と無いだろう。
 その覚悟を決めて、此処に来た。
 まがい物の日常を振り返ることはもうしない、と。
 そう決めた上でしょうこがまず最初にしたことは、一度は袂を分かった親友を信じることだった。

「しょーこちゃんは変わってるね。普通、自分を殺した人間のことをそんな風に信用出来ないよ」

 さとうの言うことは実にもっともだ。
 幸いさとうにその気はなかったが、ともすれば弱り目をそのまま叩かれてしょうこの聖杯戦争は終わっていたかもしれない。
 その危険を承知の上で、まして自分を殺した人間のことを"信じる"など――博打が過ぎる。

「言ったでしょ、私はアンタに信じてもらえる自分になりたいんだって。
 その私がアンタのことを信じなくてどうするのよ、さとう」

 この世界に居る松坂さとうは、飛騨しょうこが乗り越えるべき敵だ。
 あなたに信じてもらいたいからあなたを信じると、いずれ殺す相手にそう語っている。
 そのおかしさ、歪さ、滑稽さ。誰がどう聞いても矛盾している。道理が通っていない。
 それでもしょうこは本気で、今目の前に居るさとうのことを信じていたし。
 彼女の言葉を受けたさとうもまた――やや逡巡はあったものの。しょうこの言を信用に値するものだと、そう認識した。

「……分かった。私にとっても悪い話じゃないから、呑んであげる」

 結ぼっか、同盟。
 その言葉にしょうこの顔がぱっと明るくなる。
 強がってはいても、やはり心の奥では不安だったのだろう。
 もしも断られたら。もしも、この場で自分を切り捨てに来たら。
 そんな不安を完全に払拭出来るほど、飛騨しょうこは強くない――彼女はあくまで、願いを叶える可能性を抱えただけの普通の少女なのだから。

 それに、さとうとしてもやはり戦力はもっと欲しかった。
 通常の聖杯戦争に比べ、この界聖杯を巡る聖杯戦争は英霊の数が格段に多い。
 となれば、誰も彼もが馬鹿正直に自陣営の戦力だけで戦っているわけではあるまい。
 徒党を組んであれこれ手を巡らせ、取れる選択肢の数を増やして聖杯戦争を有利に進めようとする。
 そういう輩も少なからず居る筈だと、さとうはそう踏んでいた。
 そしてそれが出来る状況・機会があるのなら、無碍にする理由はない。
 故にさとうは、しょうこの同盟の申し立てを受け入れると決めた――のだが。

「でも、一つだけ条件があるの」

 さとうには、一つだけ懸念があった。
 しょうこと組むことに異存はない。
 だが、その懸念だけは払拭しておきたかった――でなければ、戦況を有利にするための同盟関係に首を絞められかねないからだ。
 ニュースサイトを閉じ、SNSアプリを開く。
 目当ての投稿はすぐに見つかった。否、探そうとするまでもなく、画面に出てきた。

 しょうこへと、それを見せる。
 突きつける、と言った方が正しかったかもしれない。
 とにかく。
 さとうの端末に表示されたその投稿を見た途端……しょうこの顔から、色が消えた。

「――ぇ」

 しょうこも今時の娘だ。
 SNSくらいやっているだろうに――余程余裕がなかったのだろう。
 もしも、さとうの所に来る前にしょうこがこれを見ていたら。
 ひょっとすると彼女は、"彼"を探す方に行動の舵を切っていたかもしれない。
 そう考えるとさとうは幸運だった。
 しょうこが最初に取った手は、"彼"のものではなく。
 他でもない、親友(じぶん)のものだったのだから。

「こいつについて出回ってる情報や風評が何処まで正しいのかは分からない。
 でも、真実がどうであろうと」

 ――暴力沙汰。通り魔的犯行。
 女性のみをターゲットにした卑劣な犯行。
 金属バットを携帯した少年により複数名が重体。
 昨今の連続女性失踪事件との関連性も疑われている。
 警察が現在行方を捜索中。午後に世田谷区での目撃情報あり。

「絶対に関わろうとしないで。私にとって今のしょーこちゃんは友達で仲間だけど、こいつは今も昔もずっと私の敵だから」
「そ……そんなわけ、ない。だって、だって――あの子は、そんな……」

 名前は――『神戸あさひ』。
 犠牲者多数。現在逃走中。
 麻薬中毒者との情報。半グレ、極道界隈との付き合いがあるとの証言も確認。
 拳銃所持の可能性。刃物所持の可能性。既に死亡者も出ている。
 etc、etc、etc――数多の情報が踊る。好き勝手に連なっては廻る。

 違う。そんなわけがない。
 そんなこと、あるわけない。
 さとうのスマートフォンを奪い取ってスクロールしてみるけれど。
 探せば探すほど、しょうこの知る彼とはてんで似つかない情報ばかりが目に入る。
 血も涙もない極悪人。女性ばかりを狙った卑劣な通り魔。
 それって――誰のこと?
 しょうこは問わずにはいられなくて、助けを求めるように、さとうの顔を見上げたけれど。

「しょーこちゃん」

 そんな。
 喘鳴を漏らす傷ついた小鳥に――砂糖少女はただ一言。


「――――"信じる"からね」


 呪いを、かけた。


◆◆


 自分のスマートフォンを開いて確認もした。
 何かの勘違いであってほしかったし、少しでも信じ難い現実から逃れようとした、というのもある。
 しかし現実というのはかくも無情で、何の風情もなく飛騨しょうこに絶望を突き付けてきた。
 SNSを中心にあらゆるメディアで拡散されている、女性連続襲撃犯の情報。
 神戸あさひの名を載せて。無数の尾鰭で面影を改竄しながら、顔のない無数の人間が、しょうこに救いをくれた少年の存在に警鐘を鳴らしている。
 投稿によっては画像も添付されており、それは紛れもなく"彼"のものだった。

「(……なんで。そんなわけない、有り得ないでしょ。
  あの子が……あの子が、そんなことするわけないって)」

 あの小動物みたいな少年が。
 あのとても優しい、人の痛みの分かる男の子が。
 ――通り魔? 女性を襲撃? 危険人物?
 ふざけるな、としょうこは思った。
 わけがわからない、としょうこは譫言のようにそう零した。
 なんでこんなことになっているのか、考えてもさっぱり分からない。

『マスター、気持ちは分かるけど一度落ち着くんだ。今の君は冷静さを欠いている』
『……落ち着けるわけないでしょ。もう何が何だか分からないのよ、こっちは……ッ』

 彼に当たっても仕方ない。それは勿論分かっている。
 だけど、そうやって少しでも感情を外に排出しないとおかしくなってしまいそうだった。
 記憶の中にある彼と、今大衆の間で拡散されている彼の姿がさっぱり結び付かない。
 その理解不能な現実は、一度落ち着いた筈のしょうこの心を、荒波となってまたぐちゃぐちゃに掻き乱した。

 感情が乱れる余り、身体を小さく震わせてさえいるしょうこ。
 そんな彼女に対し、GVはしかし冷静だった。
 声を荒げて一喝するでもなく、落ち着いた普段通りの口調で忠言する。

『君の知る"神戸あさひ"と、この世界の"神戸あさひ"のイメージがあまりにも噛み合わないというのなら。
 今拡散されている情報は真実ではなく、何者かが意図的に流した悪評(デマゴーグ)だって可能性もある』
『それなら……、……っ』

 それなら、助けないと。
 そう言おうとして、しょうこは自分の矛盾に気付いて口を閉じた。
 神戸あさひを助ける。根も葉もない悪評に曝され、社会の敵に堕とされた彼を守ってやる。
 それは、一人の人間としては確かに正しい行動だろう。
 だが聖杯戦争のマスターが取るそれとしては、全く理屈に合うものではない。
 松坂さとうという同盟相手が居るのに、身元と姿の両方が悪評と共に拡散されている相手をわざわざ抱き込む意味がない。
 しょうこがそうすることを選ぶなら、それは――聖杯を手に入れるのだと意気込む者の行動ではないと言わざるを得なかった。

 GVは電子戦、サイバー戦の領域においては間違いなくこの聖杯戦争で随一の力を持つサーヴァントだ。
 ハッキングを行えば、神戸あさひに纏わる書き込みを行った人間の身元を特定することも簡単だろう。
 だが。その彼をしても、これだけの速度で拡散され増殖していく数多の"誰か"の中からそれを行うのはかなり根気の要る作業になる。
 それに――それ以前に。松坂さとうが同盟の条件として提示した文言の存在もある。


 ――絶対に関わろうとしないで。
 ――私にとって今のしょーこちゃんは友達で仲間だけど、こいつは今も昔もずっと私の敵だから。

 ――しょーこちゃん。
 ――"信じる"からね。


 GVは静かに唇を噛んだ。
 彼には分かる。あれが、呪いだと。
 飛騨しょうこの心と、その願いを深く穿つ楔だと。
 そして、そういうやり方は。
 心優しい小鳥に対して――この上なく覿面に効く。

『……マスター。言ったよね、ボクはキミのサーヴァントだと』
『……アーチャー』
『キミがどちらを選んでも、それは変わらないよ』

 理屈に合うか合わないかなんて小さなことでマスターを見限るGVではない。
 GVは飛騨しょうこの選択、その全てを尊重する。
 彼女が聖杯を求めるために非情になると言うのなら、GVは彼女の敵を悉く滅ぼす雷霆になろう。
 彼女が矛盾を抱えてでも大切な人を助けたいと言うのなら、GVは非業の少年を助ける稲妻になろう。

 されど――。どちらに飛ぶか決めることだけは、GVには出来ない。
 それを選ぶのは、選べるのはしょうこだけだ。
 どちらの方に飛ぶにしても、しょうこは――今まで通りではいられない。


【北区・松坂さとうの住むマンション/一日目・夕方】

【飛騨しょうこ@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:魔力消費(中)、焦燥と混乱(大)
[令呪]:残り2画
[装備]:なし
[道具]:鞄
[所持金]:1万円程度
[思考・状況]
基本方針:さとうを信じたい。あさひくんにお礼を言いたい。そのためにも、諦められない。
1:なんで、あの子が。
[備考]
※松坂さとうと連絡先を交換しました。

【アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))@蒼き雷霆ガンヴォルト爪】
[状態]:疲労(大)、全身にダメージ(中)、いずれも回復中、クードス蓄積(現在3騎分)
[装備]:ダートリーダー
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:彼女“シアン”の声を、もう一度聞きたい。
1:マスターを支え続ける。彼女が、何を選んだとしても。
2:ライダー(カイドウ)への非常に強い危機感。
3:松坂さとうがマスターに牙を剥いた時はこの手で殺す。……なるべくやりたくない。
4:よりによってあの時の彼がサーヴァントなのか……。
[備考]
※予選期間中にキャスター(童磨)と交戦しています。また予選期間中に童磨を含む2騎との交戦(OP『SWEET HURT』参照)を経験したことでクードスが蓄積されています。


◆◆


 しょうこが自宅を訪ねてくることが確定してから、彼女が来るまでの間。
 その空き時間数十分の中で、さとうは"彼"が危険人物としてインターネット上で猛拡散されていることを知った。
 最初は目を疑った。可能性を持たないとされているNPCがこれだけの事態を引き起こすとは考え難い。
 さとうはすぐに悟った。神戸あさひ――さとうの最愛の少女の実兄。
 さとうの甘い日々を壊そうとする敵の一人。彼もまた、この世界で聖杯を求めて戦っているのだと。

「(本当なら、令呪を使わせてでもアーチャーの行動を縛りたかったけど。
  今のしょーこちゃん、あの子なりにちゃんと聖杯を目指してるみたいだし……そこは妥協かな)」

 その事実はしょうことの同盟の行方に暗雲を立ち込めさせた。
 元の世界でしょうこを殺した時、さとうは彼女の携帯電話を見ている。
 その時点で既に、しょうことあさひの間には繋がりがあった。
 そしてこの世界での最初の邂逅時にも……しょうこは、あさひのことをやたらと重視した主張をさとうにぶつけてきた。
 これらの事実から浮かび上がる可能性はそう多くない。
 しょうこと付き合いの長いさとうには、そのわずかな選択肢の中から――"しょーこちゃんならこれだろう"という答えを選び出すことなど容易だった。

 飛騨しょうこは、神戸あさひに強い感情を抱いている。
 それが何であれ、どういう形であれ。
 そのことにしょうこが気付いているのか、どう受け止めているのかは定かではないが。
 "その感情"は、さとうにとってとても不都合だった。

 神戸あさひは敵だ。元の世界でも、今の世界でも。それは一切変わっていない。
 なのに同盟相手のしょうこがそれを助けようとし出したなら、さとうとしては非常に面倒な展開になる。
 世界が変わっても、私の幸せの邪魔をしようとするのか。
 唾の一つも吐き捨てたくなるような不快感がごぼごぼと胸の奥で湧いてくる。
 その嫌悪はもはや、童磨に対して向けていたそれより格段に大きい。

「(釘を刺して正解だった。神戸あさひの炎上のことを伝えた瞬間、目に見えて顔色が変わったし)」

 さとうはしょうこを呪った。
 彼女の心に返しのついた釘を打ち込んだ。
 しょうこが自分を大切に想ってくれているのは知っている。
 それを逆手に取って、利用して、しょうこの抱く"感情"の行き場を塞いだ。
 松坂さとうは飛騨しょうこのことをよく理解している。ひょっとしたら、彼女の肉親よりも。
 だから分かる。――あの呪いは、彼女に対しては効果覿面であろうと。

「(それでもしょーこちゃんが神戸あさひを追うんなら、どの道あの子とは組めない)」

 さとうは、しょうこと末長く協力し合えたらいいなと思っている。
 ただでさえ活動可能な時間が限られているという、あまりに大きな弱点を抱えているサーヴァントを持つ身なのだ。
 確立出来た同盟相手を失いたくなどない。だがそれでも、この期に及んで神戸あさひを優先するならしょうこと組むのはどの道無理だ。
 その時は、切り捨てることになるだろう。それが文字通りの意味でになるかどうかは、まだ分からないが。

「……それにしても。どうなってるんだろ、この聖杯戦争」

 しょうこ達は自分の部屋へと向かわせた。
 飲み物を取ってくると言って彼女達の所を離れ、思わず呟く。
 飛騨しょうこ。叔母。そして神戸あさひ。
 数多の器達が、世界の垣根をすら超えて蒐集されているというのに――何故こうも自分の周りの人物が目に付くのか。
 率直に言って――気味が悪かった。
 自分達を中心に、何か目に見えない大きな渦が逆巻いているような。
 そんな感覚に囚われてしまう。しょうこだけならまだ偶然で片付けられたが、叔母、神戸あさひとそれが重なっていけば……。

「不思議だねえ、さとうちゃん。一体界聖杯は、君達の何をそんなに気に入ったのやら」
「絡むならあのアーチャーのところに行きなよ。積もる話もあるんじゃないの?
 あっちにしてみれば、話すことなんて何も無いだろうけど……」
「そう嫌わないでくれよ、相変わらずつれないなあ。
 俺はサーヴァントらしく、君に有意義な忠言をしてやろうと思っているんだぜ」

 忠言。
 忠言と来たか。
 その単語は凡そこの悪鬼とは似つかわしくないものであったが、さとうは無言で先を促した。
 以前までなら一も二もなくそっぽを向いて無視していただろうに、話を聞く姿勢を見せているのは……彼という存在への理解が深まった故なのか。

「君に殺された少女。君を形作った女。そして、君の敵である少年」

 童磨が笑みを深くする。

「此処まで揃っているのなら、さ」

 そして彼は、言った。


「"しおちゃん"も居るんじゃないのかな? この世界に」
「……………………え」


 その言葉は――多分。
 この一ヶ月の間、彼の口から聞いた数多の不快な言葉の中で一番、さとうの心に深く突き刺さった。

 気付かなかった?
 思い付かなかった?
 いいや違う。そんなの、嘘だ。
 しょうこだけじゃなく、叔母の存在を確信した時点で。
 その可能性には、既に思い当たっていた。
 なのに見ないふりをしていた、目を背けていた。
 だって、それは。
 それは――松坂さとうにとって、きっと。
 考えられるどの可能性をも凌駕する、一番の"最悪"だから。

 神戸しお、さとうの最愛の少女。
 彼女が居たらどうしようとは、ずっと考えていた。
 でも、いつしかその懸念は心の空白に圧されて鳴りを潜めていた。
 そのくらい、辛かったから。
 この一ヶ月は、さとうにとって生き地獄に等しい空虚だったから。
 それが、今。しょうこと、叔母と、神戸あさひの存在という事実に背中を押されて――再びさとうの前に姿を現した。
 その大きさは。今や、さとうが最初に知覚した頃のそれとは比べ物にならないほど大きくて。

「君はさっき、俺のことを憐れんだろう?
 なんでこんな意地悪を言うんだろうと思ったよ。そして同時に、聞いてみたいなとも思ったんだ。
 さあ――答えてくれよ、さとうちゃん。君は……」

 童磨の口元が弧を描き、瞳は少年のような輝きを帯びる。
 彼のことだ。嗜虐の類ではないのだろうが――しかしてその問いは、的確に松坂さとうの急所を抉るものだった。

「"しおちゃん"がこの世界に居た時。どうするんだい?」

 こんな男の言うことに耳を貸す意味はない。
 どうせ戯言だ。何の意味もない雑音(ノイズ)だ。
 それ以上でもそれ以下でもないものに思考を傾けるくらいなら、しょうこをこれからどう扱うかについて考えた方が余程建設的だ。
 さとうの理性はそう叫んでいたが、それとは裏腹に彼女の脳髄は混迷で満ちる。
 この期に及んで急に現実味を帯びてきた危惧。神戸しおがこの世界に居る可能性。
 それは、しおとさとうが。愛し合った二人が、敵同士として対面する未来が有り得るかもしれないのだと示唆しており。

「(しおちゃんが、此処に居たら)」

 考えたくない。
 考えたくない――そんなことは有り得ないと切り捨てたい。
 でも、童磨によって打ち込まれた"もしも"の楔はあまりにも深くて。
 さとうの思考は、強制的に回転させられる。
 彼の愛を憐れんだ代償と言わんばかりに、今度は彼女が断崖に立たされる。
 突き付けられた命題。愛の存在証明であり不在証明。
 神戸しおという"可能性の器"を認めた時、松坂さとうはどうするのか。

「(私は、あの子に……)」

 明滅する思考。
 止まらない螺旋。
 甘さと苦さの乱反射。
 それを以って導き出された答え。
 心の中に、溢れた――その欠片。


「(生きて――――――――、)」


 ――――――――ぴしり、と。さとうは、自分の中の何かがひび割れる音を聞いた。


 それは器。
 或いは殻。
 愛の蛹の外殻。
 そこに入った一筋の亀裂。
 松坂さとうがいずれ辿り着いたろう悟りの片鱗。
 ヒトの心を理解出来ないが故の不躾で無遠慮な詰問。
 それが開いた、導いた、一つの可能性。


「……さとうちゃん? どうしたんだい、俺は君の答えを――」
「キャスター。行くよ、アーチャーと話がしたかったんでしょ?」


 童磨へと向けていた背。
 踵を返して、彼の顔を見る。
 その顔には、微かながら笑みが浮かんでおり。
 それを見た時の童磨が抱いたのは――

「(……なんだ、その表情(かお)は?)」

 疑問、だった。
 童磨は人間の感情を理解出来ない。
 彼にとってヒトの想いは総じて絵空事。壁の向こうの三文芝居。
 なればこそ、彼が松坂さとうに放った質問は嘲笑の意味合いでなどなかった。
 だが。それを差し引いても――問いに答えることもせず、ただ微笑むさとうの姿が理解出来なかった。
 そんな顔。これまでの一ヶ月の中で、自分には一度だって見せなかったのに。

「待ってくれよ、さとうちゃん。君は今、俺の問いから何を得た?
 独り占めするなよ、狡いじゃないか。俺達は主従(なかま)だろう? 教えてくれよ、なあ――」
「キャスター」

 疑問の童磨は、さとうが何らかの答えを見出したものと思っている。
 だがその実、さとうは答えに辿り着いてなどいなかった。
 ただ、彼女は殻に亀裂を入れただけ。
 凝り固まった愛の形。利他と言いながら利己の形を描いていた愛の蛹。
 それに一筋の亀裂が入り、可能性の種子が生まれたというただそれだけ。
 なのに。さとうが童磨を見る目は、以前のそれとは確実に異なっており。

「行くよ。二人が待ってる」

 さとうは迷う。
 さとうは考える。
 それは不確定なる事項。
 ともすれば杞憂に終わる未来。
 さりとて。紛れもなく真実を射止めた思案。

 神戸しおがもし、この世界に存在したのなら。(――神戸しおはこの世界に存在している。)

 その時、松坂さとうが願うのは――
 彼女が、どんな世界の出身であろうとも。
 どんな時空の悪戯に愛されていようとも。


 神戸しおに■■■■■■。


 答えは未だ霧の中。
 さとうの歩む道の先。
 されど、されど。
 彼女という"可能性の器"は今この時――ひとつの芽を、出した。
 それだけは嘘偽りも間違いもない、事実である。


「(待てよ。待ってくれよ――君は今何を見た?)」

 童磨にさとうの意思など、彼女の進む先に待つ可能性など、理解出来る筈もない。
 何故なら彼は、本質的に他人の心を理解することが出来ないから。
 ただ一つ、今際の際に見た殺意のみを愛と信じて彷徨う悪鬼。
 単方向の愛だけで自分の全てを染め上げて、聖杯を希求する者。

「(何故君は俺を憐れんだ。俺と君は、同じものの筈なのに。
  十数年そこらしか生きていない娘が何故、英霊の俺の先に居るような顔をする?)」

 童磨は百年を遥かに超える時を生きた鬼だ。
 だがその実。感情を持たず、そして知らずに生きてきた彼の内面は童子のそれと変わらない。
 歳ばかり食って磨り減った童子。それが童磨の本質だ。
 鬼舞辻無惨の名付けた忌み名の通りの在り方を彼は持つ。
 だからこそ、か。童磨には、さとうが自分に向けた憐れみの意味が分からない。
 松坂さとうと童磨。二人の欠落者の間に存在する明確な差異に、気付けない。

「(……定命の人間の部材で俺を憐れんだんだ。なら、君のをしっかり見せてもらおうじゃないか)」

 童磨は龍の逆鱗を平然と踏み抜く狂人だが。
 しかし少なくとも、この場における彼は愉快犯ではない。
 彼にだってあるのだ、願いは。
 勝てさえするのならばマスターが松坂さとうである意味はない。そこに固執する価値はない。
 だから、場合によっては此方からさとうを切ることも視野に含めていたのだったが……この時童磨の中で、はっきりとその"基準"が定まった。

「(もしもそれが、俺の愛に及ばないのなら。
  もしもそれが、俺の愛の先を行くものでないのなら――その時は。
  君を捨てて、君を喰らって。俺が、君の先に行くよ。さとうちゃん)」

 戯言を吐く鬼と、それに腹を立てながら日々を過ごす砂糖少女。
 この一月ずっと変わらず、進みも戻りもしなかった関係性。
 それが此処に来て、変化の兆しを見せ始めた。
 少女は墜落へ続く羽化の未来を垣間見。
 鬼はそのことに気付かないまま、微かな揺らぎを自覚しつつ審判者を気取る。

 砂糖少女。鬼。小鳥。雷霆。
 螺旋のように絡み合った想いは、果ても知らずに捻れていく。
 或いは、その行き着く果てこそが――地平線の彼方。世界樹の名を冠した、究極の可能性なのかもしれなかった。


【松坂さとう@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:健康
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:鞄
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:しおちゃんと、永遠のハッピーシュガーライフを。
0:もししおちゃんが居たなら。私は、しおちゃんに――
1:どんな手を使ってでも勝ち残る。
2:しょーこちゃんとはとりあえず組む。ただし、神戸あさひを優先しようとするなら切り捨てる。
3:叔母さん、どこに居るのかな。
[備考]
※飛騨しょうこと連絡先を交換しました。
※飛騨しょうこのサーヴァントが童磨の言う"雷霆の弓兵"であると当たりを付けました。
※本名不詳(松坂さとうの叔母)が聖杯戦争に参加していると当たりを付けました。

【キャスター(童磨)@鬼滅の刃】
[状態]:健康
[装備]:ニ対の鉄扇
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:もう一度“しのぶちゃん”に会いたい。
0:君の愛が、俺の先を行くものでないのなら。その時は俺が君の先を行くよ、さとうちゃん。
1:日没を待つ。それまではさとうの“感覚”を通して高みの見物。
2:さとうちゃんの叔母と無惨様を探す。どうするかは見つけた後に考えよう。
3:雷霆の弓兵(ガンヴォルト)と話したい。俺は話すのが好きだ!
[備考]
※予選期間中にアーチャー(ガンヴォルト(オルタ))と交戦しています。さとうの目を通して、彼の魔力の気配を察知しました。
※鬼同士の情報共有の要領でマスターと感覚を共有できます。交感には互いの同意が必要ですが、さとうは索敵のために渋々受け入れています。
※本名不詳(松坂さとうの叔母)と鬼舞辻無惨が参加していると当たりを付けました。本名不詳(松坂さとうの叔母)は見ればわかると思ってます。

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045:それは遠雷のように 飛騨しょうこ 061:藍の運命 新章(オルタナティブ)
アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))
034:また会いましょう、ビターライフ 松坂さとう 061:藍の運命 新章(オルタナティブ)
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最終更新:2021年10月17日 20:56