◆◇◆◇
吊るせ、吊るせ――――。
誰かが、そんなことを叫んだ。
この村は悪魔に犯されつつある。
全ての不幸は、奴らが仕組んだことだ。
“あれ”は悪しき魔女だ。
奴らを縛り首にしろ。
吊るせ、吊るせ――――。
他の誰かが、口々に叫んだ。
◆◇◆◇
新宿駅構内、山手線上り行きのホーム。
俺―――“
田中一”は、ベンチに座って黙々とスマートフォンを弄っていた。
SNSで流れてくるニュースを、黙々と見つめている。
板橋区で大規模な破壊。近隣に甚大な被害。目撃者は集団ヒステリーのような証言を繰り返している。
暴力沙汰を引き起こした非行少年が逃走中。名前は
神戸あさひ。連続女性失踪事件との関与が疑われているとか。
前者のニュースは、間違いなく聖杯戦争に関わることだと思う。この大破壊ぶりに高揚感は感じなくもない。
しかし、今の俺の頭を支配しているのは―――そんなことよりももっと壮大で過激な、“地獄”を顕現させる計画だ。
あのアルターエゴ・リンボが言っていた、悪夢的な企み。それは俺が待ち望んでいた“混沌”そのものだった。
後者のニュースは―――まあ、どうでもいい。
どうせただの模倣犯か、目立ちたがり屋の馬鹿だろう。金属バット振り回してるだけで殺人鬼になれるかよ。
そっちへの興味は、早々に失せた。
あのリンボとの邂逅を経た後、俺はアサシンから念話で指示を出された。
新宿駅の山手線、上り方面のホームで合流しよう―――と。
アサシンに会うのは、気乗りがしなかった。峰津院の一件もあって、あいつと顔を合わせたくはなかった。
それでも俺があいつの命令に逆らえるはずも無く、結局は指示通りに新宿駅へと着いた。
西荻窪駅などが通ってる中央総武線に乗れば、杉並から新宿へと向かうのにそう時間は掛からない。
だったらなんで午後の間とか住宅街うろうろしてたんだよ、って聞かれると―――酒が入ったせいでそういう気分になってたとしか言いようが無い。
で、俺はこうして新宿駅で待ち続けていた。
駅員のアナウンス。忙しなく行き交う有象無象。俺の視界を幾度となく横切る緑色の車両。遠くから頭を出す高層ビル。
山手線のホームから見える景色は、いつだって騒々しい。
そして、俺は独りぼっちでここにいる。
写真のおやじは側にいるのか、何処かへ行ってるのかさえ分からない。
なんだか俺は、風景に溶け込んでるような気がしてくる。群衆や町並み。その中に佇む、ちっぽけなひとりの人間。
急に自分のことを俯瞰して、憐れみかけた矢先。
ふと、視線を横に向けた。
俺はベンチの端っこに座っていて。
その右側に立つ、“サラリーマン風の男”を見上げた。
姿とか顔とか、そういうのは殆ど記憶にないのに。直感で理解してしまった。
『――――待たせたね、“田中一”君?』
俺の頭の中で、言葉が響く。
俺は思わず、ビクリと反射的に震えてしまった。
サラリーマン風の男は、俺を横目で流し見るように見下す。
強者が弱者を一瞥するように。
あるいは、蔑むように。
“アサシン”は、俺に視線で指示を出してきた。
上り方面行きの列車が、再び駅のホームに到着した。
車両の扉が開き、乗客の降車後に構内で待っていた人々が一斉に乗り込んでいく。
その群衆に紛れるように、アサシンは電車の中へと踏み込んでいく。
俺はそれを見て慌てて立ち上がり、アサシンを追う形で山手線の車両に乗り込んだ。
◆
ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトン。
山手線の車両は、いつものように走り続ける。
夕方になっても、色んな乗客が乗り込んでいる。夏休みということもあってか、遊び帰りの若者達とか親子連れとかも多い。
傾き始めた陽射しが、窓から車内へと入り込んでくる。新宿や大久保なんかを越えて、都会の景色は流れていく。
両脇を乗客達に挟まれながら、俺は座席の真ん中に腰掛けていて。
その向かい側で、同じ様にアサシンは座っていた。
まるで他人同士であるかのように、何事もなく。
周囲の人間は、一切気が付かない。すぐ側にいる男が。何気ない顔で座席に座っている男が。
そいつが、世間を震わせている連続殺人鬼であることに。
行き先は、アサシンから念話で聞かされていた。
荒川区の日暮里駅だ。新宿からおよそ二十分程度で着く距離である。
透明な手を持つ女がその近辺に住んでいるらしいことは共有している。
そこへ向かうことに異議はない。その女を殺すことが、リンボの行っていた地獄を顕現させる第一歩になるのだから。
しかし、それでも気になることはある。
『あ……あのさ』
『何かな?』
『日暮里から帰ってきて……また日暮里なんだよな』
『そういうことになるね』
『なんていうか……ダルくならないの?』
『会社での無茶な使い走りに比べればマシさ』
―――殺人鬼の癖に社会人の鑑かよ。
俺は思わず内心でツッコミを入れてしまった。
アサシンは俺と念話をしていることをおくびにも出さず、何やら鞄から文庫本を取り出して呑気に読書を始めている。
思ってたのと違う、というのが率直な感想だった。
さっきの俗っぽい一言もそうだけど。なんていうか、想像以上に普通の男に見える。
ちょっと気品があるだけで、そこらへんのサラリーマンのおっさんって言うか。
NPCに混じって自然に乗車している姿は、サーヴァントとは到底思えない。
だけど、こいつがあの連続失踪事件の犯人であるという事実に変わりはない。
そんな奴が、こうして風景に溶け込んでいる。
それが街にとっていかに脅威であるのかは、よく理解できる。
『君を放置したのはすまなかったね』
『いや、その……いいんだけど……』
『これからは私が“面倒を見る”。安心するといい』
アサシンは淡々とそう伝えてくる。
感慨も何もなく、事務的に。
俺は思わず眉を顰めた。
面倒を見るって。
なんだよ、その上から目線。
流石の俺も、その軽率な一言には不満がある。
だけど俺は、その不満を堪らえながら念話を飛ばす。
『あの、アサシン……さん』
『……なんだい?』
あくまで下手に出て、穏やかに。
『なんか、その……迷惑掛けて、すみません……。
多分俺は、ずっと足を引っ張ってたんだと思う』
そうして、謝罪の言葉を連ねた。
せめて誠意は示さないと、いつまでもアサシンに縛られる羽目になる。
俺は大人しく面倒なんか見られたくない。
俺は、革命を起こしたいのだから。
だから少しでもアサシンに“こいつは反省してるし、やる気もあるんだな”と思ってもらう。
そうすればきっと、俺に役割を与えてくれる筈だ。
『だからせめて、俺に出来ることをコツコツと―――』
『君はSNSでも見ながら大人しくしていればいい』
そんな淡い期待は、即座に切り捨てらた。
――――は?思わず声が出そうになった。
『いや、でも……』
『君に武術などの心得は?』
俺の言葉を遮って。
アサシンは、そんなことを投げ掛けてくる。
『なにか魔術や超能力は使えるかね?』
俺は、何も言えない。
俺が目を泳がせている間にも、あいつは畳み掛けてくる。
『社会的地位や経済力は?』
まるで面接官か何かのように。
淡々と、俺を追い詰めていく。
『あの夜の“殺人”以外に、犯罪の経験は?』
俺がいかに無力で、使えない奴なのか。
そんな現実を、まざまざと突き付けてくる。
『それが君の限界だ。革命などと言うモノは、聖杯に祈れば幾らでも叶えられる。
今は勝つことだけを考えればいい。なに、君には手を煩わせないさ』
何も言えない俺に対して、アサシンは返事を待つこともなくそう告げてきた。
苛立ちが、自然に込み上げてくる。
まるで主人か何かのように尊大な態度を取ってくるサーヴァントへの怒りが、煮えたぎってくる。
何なんだよ。偉そうに。
勝手に話を進めるなよ。
だけど、そんな口答えは出来るはずもない。
目の前にいるのは、この街を騒がしている『連続女性失踪事件』の犯人なのだから。
その気になれば、今すぐにでも俺を殺せる。
『さて……現時点で目を向けるべきは、あのアルターエゴだ』
そうしてアサシンは、アルターエゴ・リンボの話へと切り替える。
俺はあいつの言っていたことを脳裏に蘇らせる。
規範や道徳が崩壊した地獄絵図。
秩序が淘汰され、混沌が蔓延る悪夢的世界。
誰もが藻掻き、足掻き、必死に這いずり回る。
全てを巻き込む“非日常”への転落―――それが地獄界曼荼羅、らしい。
『大学に通っていた頃……図書室で適当に本を読み漁っていた時期があってね』
リンボが齎す“地獄”のことを考えていた俺の思考に、アサシンの言葉が割り込んでくる。
大学が―――何だよ、急に。
『当時は文学部の学生だった。教養を深めることも兼ねて、国内外の文学にはよく手を出していたよ』
だから何だってんだよ。
いきなり知識自慢かよ。
俺はつらつら語り始めるアサシンに苛ついていた。
『だから
アビゲイル・ウィリアムズという名についても……思い当たる節があった。
セイレム魔女裁判―――海外の大衆文学で度々取り上げられていた題材だ。
英霊としての情報と、生前に得た知識が噛み合ったという訳さ』
だけど、そこでやっとアサシンの言いたいことが分かった。
アビゲイル・ウィリアムズ。確かあのリンボが言っていた名前だ。
――――フォーリナー・アビゲイルを真の形へと到達させ、その力を以ってしてこの東京を地獄に変えるのです。
――――地獄界曼荼羅……その第一候補。アビゲイル・ウィリアムズこそは、銀の鍵の巫女こそは。
――――この界聖杯戦争の行く末を決めるに相応しい、偉大な偉大な爆弾なれば!
リンボによれば、そのアビゲイルってのが地獄を生み出すための“鍵”らしくて。
この聖杯戦争の行く末を決めるくらいの素質とか能力とか、そういうのを抱え込んでいて。
だけど今はその力を抑え込まれているから、何とかしなくちゃならない。
その為にはそいつの“守るべきもの”を奪ってやるのが手っ取り早い。
そうすれば、アビゲイルの可能性は目覚める。この界聖杯に地獄が訪れる足掛かりとなる。
『さて、君はアビゲイル・ウィリアムズについて聞いたことはあるかな?』
『いや、知らないけど……』
んなもん知るわけねえだろ。
ジミヘン知ってる?って一般人にいきなり聞くようなもんだろ。
マニアの間じゃ一般教養だったとしても普通そのへんにいる素人は知らねえんだよ。
俺は心の中で毒づいた。
まあそれはさておき、アサシンは律儀に説明を始めた。
それで、アサシン曰く。
17世紀末の植民地時代アメリカ、即ち英国領に過ぎなかった頃。
現在で言うマサチューセッツ州のセイレムという地で大規模な“魔女狩り”が発生した。
集団心理と疑心暗鬼、宗教的観念などが絡み合い、数多くの住民が裁判に掛けられ―――そして異端者として“処刑”された。
その最初の告発者である少女がアビゲイル・ウィリアムズ。……らしい。
村に住んでいた少女。
魔女裁判における始まりの告発者。
それ以外の記録は、特に無し。
いや―――それつまり普通の人間じゃね?
俺はそう言いたくなったけど、あのリンボが目を付けるくらいなんだから凄い奴なんだろう。
最早当たり前のことだけれど。
アサシンは、連続殺人鬼だ。
誰にも存在を悟られずに幾人もの女性を手に掛けてきた、“街に潜む闇”だ。
こいつならきっと、透明な手を持つ女も容易く殺せる。そりゃそうだ、殺人に関してには誰よりも慣れてるんだから。
今まで色々と不和もあったけど、アサシンは欲望の為に透明な手の女を殺すしかない。
そして、そいつの死こそがフォーリナーの覚醒に繋がる。
利害の一致だ。此処から先、俺とアサシンは同じ目的の為に戦うことになる。
だからこそ、萎えかけていた高揚感がふつふつと湧き上がってきた。
ああ、そうだ。アサシン。
お前の殺人と、俺の欲望。
その二つが噛み合って、この街に地獄が降りてくる。
だから、思う存分やってくれよ。
お前の狂気で、その女を―――――。
『透明な手を持つ女を、殺すんだよな』
『いいや。寧ろ“その逆”だ』
電車は揺れる。山手線を走り続ける。
ガタン、ゴトン。ガタン、ゴトン。
目的地へと向かい、虚しい音が響き続ける。
色々と言いたいことはあった。
こいつに対する恐怖とか敬意とか、不満とか。俺の中で感情があべこべになっている。
取り敢えず、今の俺が言いたかったことは自分でも分かっていた。
なあ、アサシン。
お前さ。ほんと何なんだよ。
◆◇◆◇
吊るせ、吊るせ――――。
狂気に蝕まれ、人々は喚き立てる。
苦痛。絶望。虚無。諦観。
誰のせいだ。何者の仕業なのだ。
これは、我々の罪なのか。
否。断じて違う。
罰せられるべきは、悪しき異端者達だ。
吊るせ、吊るせ――――。
人々は口々に唱える。
鍵と、鍵穴。二つが結びつく。
外なる神による、混沌の“革命”が起こる。
◆◇◆◇
我が息子、
吉良吉影の思惑はひとつ。
アルターエゴの抹殺だ。この街に混沌を降臨させようとする奴の存在は、決して無視する訳にはいかない。
このわし、“吉良吉廣”は息子から一通りの方針を念話で伝えられている。
吉影が行動している間、息を潜めながら田中を遠巻きから監視する。それが今のわしに任されたことだった。
息子から直々の脅しを受けている田中が下手な行動を出る可能性は極めて低いが、もしも不審な行動に出たならば即座に報告をする。
アルターエゴを利用し、強力な社会基盤を持つ主従に揺さぶりを掛けることも息子は視野に入れていた。
しかし、やはりアルターエゴを見逃すわけにはいかない。奴が街に大きな不和を撒き散らす前に叩かねば―――そう結論付けた。
アルターエゴというサーヴァントは間違いなく危険だ。しかし、息子がアルターエゴを叩くのはそれだけが理由ではない。
奴が語っていたフォーリナーのサーヴァント、アビゲイル・ウィリアムズへの懸念こそが大きかった。
あのアルターエゴとやらは、フォーリナーには地獄を顕現させる力があると言っていた。
サーヴァントというものは生前に備えていた能力のみならず、逸話や伝説に基づいた宝具やスキルを獲得することがある。
まるで本体の精神や在り方をスタンド能力が反映するかのように。
ならば生前に魔女裁判という惨劇の引き金を弾いたアビゲイル・ウィリアムズはどうなるのか。
“混乱を伝播させる能力”。あるいは“人間の理性や道徳を剥奪し、惨劇を引き起こす能力”。
より質の悪いものとしては――“特定の対象への敵意を集中させる能力”と言った可能性もある。
魔女狩りによって異端者と見做された者が迫害され、人々から吊るし上げられたように。
アルターエゴの計画がフォーリナーの存在を前提としているのならば、そういった能力を持っている可能性は極めて高い。
同時に、吉影はこう考えた。
あのフォーリナーは不穏だが、アルターエゴによる介入が無ければその能力は小規模なものに留まるのではないか。
あるいは、フォーリナー自身はそういった能力を行使する意思を持たないのではないか。
アルターエゴによれば、フォーリナーは地獄界曼荼羅とやらの鍵になる。そのマスターを殺害し、精神の枷を崩壊させることで“爆弾”へと昇華される。
しかし、マスター消滅後のサーヴァントにどれだけのことが出来る?例え何らかの宝具を行使したとしても、その時点で魔力の限界を迎えるのではないか。
レンジャーなどの属性を持つ訳でもないアビゲイル・ウィリアムズが、単独行動に値するスキルを持ち合わせている可能性も低い。
仮にマスターを喪ったフォーリナーの脅威が、アルターエゴによる介入ありきだとすれば。
そもそもフォーリナーというサーヴァント自体は、そのような外的要因が無ければ大きな脅威足り得ない存在なのではないか。
もしそうだとすれば、アルターエゴの排除さえ成し遂げれば“起爆”へと至る大きな可能性を潰せる。
無論、懸念は数多存在する。
例え小規模だとしても、本人に不和を齎す意思がないとしても、推測される能力はいずれも厄介極まりない。
それでも、明確かつ直接的に脅威として存在するアルターエゴを放置しておくことの方がより危険であると息子は判断した。
仮に自分達が『透明な手を持つ女』を殺さずとも、奴が何らかの手先を差し向けるかもしれない。
それならば先にあのアルターエゴを始末して確実に脅威を追い払ったほうがいい。それからフォーリナー単体の危険性を見定めた上で、改めて『透明な手を持つ女』を殺せばいい。
そして吉影には、もう一つ思惑があった。
マスターの鞍替えだ。田中は愚かではあるが、殺人鬼・吉良吉影の殺人衝動に共鳴している。それ故に利用価値があると思っていた。
しかし、リスクが高すぎた。率直に言って、あの男はあまりにも無軌道で浅慮なのだ。
予選期間中は大人しくしていたから良かったものの、まさかあれほどまで愚かだったとは―――写真のおやじも見誤っていた。
だからこそ、新たなマスター候補は探さなければならない。そうして目をつけたのが、まだ見ぬアルターエゴのマスターだった。
アルターエゴの行動は明らかに愉快犯的だ。戦略という域を超え、単純に混沌を楽しんでいるような言動を取っていた。
もしもあれが、マスターさえも感知していない行為だとすれば。そしてそのマスターが、アルターエゴを引き当てるような“性質”を持っているのだとすれば。
アルターエゴを抹殺すべく動く際、彼の暴走を密告することで“鞍替え”へと動かすことが出来るのではないか。
その上でマスターがアルターエゴに近い“悪”としての属性を持つのならば、吉良吉影の殺人鬼としての逸話も受け入れられるのではないか。
とはいえ、アルターエゴと同様の破壊的な危険人物という可能性も否定はできない。最悪、田中一を超える厄介者である危険性も孕んでいる。
更にマスターの顔も座標も全く分からない以上、探し当てられるかも不透明なままだ。
故に、多大な期待は寄せない。駄目ならばその時はその時、田中を制御しつつまた他の候補を探せばいい。
アルターエゴは抹殺する。フォーリナーの覚醒は防ぐ。ならば、そのためにどうするか。
『透明な手を持つ女』と結託する。
それが息子の出した答えだった。
息子の“爪”は伸び続けている―――湧き上がる衝動に未だ蝕まれている。
それでも、息子は“耐えること”を優先した。
平穏を望む殺人鬼・吉良吉影は、敢えて欲望と平穏を“後回し”にすることを選んだのだ。
つまり、息子が直接『透明な手を持つ女』と接触する。そして対等に―――あるいは此方が優位な条件で同盟の取引を持ち掛ける。
相手の座標は既に“追撃者”スキルで把握している。『殺人の標的』等が効果の対象となるが、中でも『美しい手を持つ者』に対しては最大限の機能を発揮する。
田中の存在は弱点に等しい。下手に見せびらかすことはできないし、取引の場には持ち出せない。
息子は追い詰められても最悪逃げ切れる。吉良吉影とはそういう英霊だ。隠れ潜むことにおいては、卓越している、
しかし田中には無理だ。奴の無能ぶりこそが息子の足を引っ張っている。
息子はスキルを活かして自らがマスターであるを装うことも視野に入れていたが、“サーヴァント抜きでのこのこと姿を現すマスター”という不審な行動をカバーすることは難しい。
例え誤魔化せたとしても同盟を結ぶことを目的としている以上、今後サーヴァントの存在には触れざるを得なくなる。
そのすり合わせの手間暇に手古摺らされるくらいなら、初めからサーヴァントとして姿を晒す―――息子はそれを選んだ。
それに、自らがサーヴァントであることを告白すれば敵への威圧になる。交渉を有利に進める為の武器として使えるのだ。
自らの意思で、己の存在を晒す。
生前の息子ならば、決してこのような行動には出なかっただろう。
しかし、今は違う。失敗と死を経たことで、リスクを承知で行動に出るという強かさを手に入れた。
今の吉良吉影は、ただ隠れ潜むだけの殺人鬼ではない。息子は“成長”をしているのだ。
わしは息子を信頼している。
だが、田中一への期待は最早崩れ落ちている。
だからこそ、息子と共に共有した事柄があった。
――――わしらが“鞍替え”を考えているように、この男もじきに“鞍替え”を考え出すのだろう。
殺人衝動への理解という点を除けば、もはや田中一という男は“足手まとい”に過ぎないのだ。
◆◇◆◇
吊るせ、吊るせ――――。
誰かがまた、そんなことを叫んだ。
吊るせ、吊るせ――――。
他の誰かがまた、口々に叫んだ。
吊るせ、吊るせ――――。
神に祈り、悪魔の実在を望む。
吊るせ、吊るせ――――。
禁忌への行進が、胎動する。
◆◇◆◇
アルターエゴ・リンボに“鞍替え”したい。
今の俺は、確かにそう思っていた。
あいつと組めば、田中革命は起こせる。
で、俺は今何をやってるかって?
山手線、日暮里駅に到着して。
その駅前の喫茶店で待機中。テーブル席で座りながら、アサシンの報告を待っている。
何もしないで、じっとしてればいい。
それがアサシンからの要請。もとい命令。
アサシンがすぐに駆けつけられるように、出来るだけ付かず離れずの位置に居ろ。そういうことらしい。
俺がわざわざ日暮里まで来た意味は、それだけ。つまりお荷物にならないようにすぐ手に届く所に置いておきたい、そういうことだ。
察しの悪い俺でも、ここまで来ると薄々気付いてくることがある。
アサシンと俺は“噛み合わない”。
深刻な性格の不一致。価値観の錯誤。
仕事でも遊びでも組みたくないタイプ。
最早あいつは俺を従わせることしか考えていないし、革命に理解を示している様子もない。
あろうことか、『透明な手を持つ女』の抹殺をここに来て放棄してきやがった。
殺す気満々だったじゃねえか、お前。
俺の閃きを尽く蹴飛ばして、尽く梯子を外してくる。心底つまらない奴だ。
遊び心無さすぎて友達から嫌われるんじゃないかとか余計な心配もしてみる。
先程までアサシンに抱いていた畏怖の感情が、気がつけば理不尽に対する苛立ちへと変わっていく。
一人で放置されたせいで、却ってあいつへの怒りがふつふつと込み上げてくる。
甘ったるいアイスココアを啜りながら、俺は思う。
このままアサシンと組むくらいなら、どう考えてもリンボに乗り換えた方が気が合うんじゃないのか。
リンボの目はいけ好かない。明らかに俺を見下してやがった。
だけど、それは多分アサシンと同じだ。あいつだって俺を下に見てやがる。
どっちも嫌なヤツだと言うんなら、せめて“世の中をブチ壊したい”っていう方針で一致してるヤツと組む方が余程マシなのではないか。
少なくともあいつは俺の“革命”に寄り添ってくれる。善も悪も無い、秩序が崩れ去った“混沌の世界”の到来を望んでくれる。
だったら、俺はリンボを自分のサーヴァントにしたい。
幸いアサシンはリンボへと近付こうとしている。あいつが敵に気を取られている隙を付けば、きっとアサシンとの契約を断ち切ることができる。
そうしてあいつを処分した後にリンボを説き伏せて、俺と組むメリットを訴えれば―――いける。きっと取引に乗ってくれる。
だって俺とリンボは同じ地獄を望んでいるんだから。そうだ、俺ならやれる。
俺にとって真の革命は、ここから始まるんだ。
地獄界曼荼羅。
きっとそこに、俺の望むものがある。
俺が待ち望んだ破滅を、あのリンボが運んで来てくれる。
楽しみで仕方なかった。高慢ちきなアサシンの鼻っ柱をへし折ってやれると思うと、黒い高揚感が込み上げてきた。
今までは所詮茶番に過ぎなかった。
そう、俺の戦いはこれから始まるんだ。
真の田中革命は、ここから――――。
「ん」
そんなことを考えていた矢先。
俺は思わず顔を顰めた。
蚊だ。俺の目の前を、蚊が飛んでる。
ちょこまかと鬱陶しく、そいつは纏わり付いてきて。
俺は右手を伸ばして、掴み取ってやろうとした。
そのまま握り潰してやる―――しかし、右手は虚しく空を切る。
蚊は相変わらず飛び回ってる。
もう一度、手を伸ばした。
右手で掴もうとする。また失敗。
今度は左手で試す。また失敗。
段々苛ついてきた。
人前で蚊を潰すの、嫌なんだよな。
こう。パーンって、でかい音立てるのが。
だけど、もう四の五の言ってられない。
俺は両手を構える。眼前の蚊を見据える。
しっかりを狙いを定めて、神経を研ぎ澄まして。
パァン。一本締めするみたいに、両手で蚊を潰した。
ほんの少しのカタルシスを味わって、俺は自慢げに手のひらを見た。
無惨に潰された蚊の残骸を、じっと見つめて。
じっと見つめて。じっと、見つめて。
訳もなく、見つめ続けて。
頭の中が、急激に冷え切ってきた。
―――何してんだ、俺。
こうして一人、取り残されて。
下らないことに快感を覚えて。
不意に我に返る瞬間が、訪れる。
思えば、昔からそうだった。
社会への不満、他人への不満、現状への不満、政治への不満、自分への不満、世の中への怒り、苛立ち、文句、絶望。
そんなものをうだうだ考えた末に、いつもやってくる。
どうしようもない、虚無感という奴が。
わかってるよ。
とっくに知ってる。
少し考えれば、すぐに分かることだ。
あんなでかい財閥を仕切ってるやつが、苦労してない訳ないだろ。
何もしなかった俺なんかより、ずっと努力してるに決まってる。
結局俺は、都合のいい標的が欲しかっただけ。あいつを怒りの矛先にしたかっただけ。
気付いてた。それくらい、最初から理解してた。
でも、そんなの受け入れたら―――もう何も残らないだろ。
俺の革命は、単なる気の迷いでしかなかったって認めるようなもんだろ。
だから。身勝手に全部否定して、全部ぶっ壊す方が、余程楽だ。
ああ。何もかも、クソだ。
手のひらの虫けらを、乱暴に払った。
【荒川区・日暮里駅前の喫茶店/1日目・夕方】
【田中一@オッドタクシー】
[状態]:吉良吉影への恐怖、地獄への渇望、虚無感
[令呪]:残り3画
[装備]:なし
[道具]:スマートフォン(私用)、ナイフ、拳銃(6発、予備弾薬なし)、
蘆屋道満の護符×4
[所持金]:数千円程度
[思考・状況]
基本方針:『田中革命』。
1:敵は皆殺し。どんな手段も厭わない。
2:SNSは随時チェック。地道だけど、気の遠くなるような作業には慣れてる。
3:リンボに“鞍替え”して地獄界曼荼羅を実現させたい。ただ、具体的な方策は未だ無い。
4:
峰津院大和のことは、保留。その危険度は理解した。
[備考]
※界聖杯東京の境界を認識しました。景色は変わらずに続いているものの、どれだけ進もうと永遠に「23区外へと辿り着けない」ようになっています。
※アルターエゴ(蘆屋道満)から護符を受け取りました。使い捨てですが身を守るのに使えます。
【吉良吉廣(写真のおやじ)@ジョジョの奇妙な冒険】
[状態]:気配遮断
[装備]:田中一のスマートフォン(仕事用)、出刃包丁
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:愛する息子『吉良吉影』に聖杯を捧げる。
1:アルターエゴ(蘆屋道満)を抹殺すべく動く。田中一の監視も適宜行う。
2:息子が勝ち残るべく立ち回る。必要があればスマートフォンも活用する。
3:当分は田中をマスターとして受け入れる予定だったが、危機感を抱いている。より適正なマスターへと鞍替えさせたい。
4:『白瀬咲耶の周辺』の調査は一旦保留。
5:田中も遅かれ早かれ“鞍替え”を考えるだろうと推測。
[備考]
※スマートフォンの使い方を田中から教わりました。
※アサシン(吉良吉影)のスキル「追跡者」の効果により、
仁科鳥子の座標や気配を探知しやすくなっています。
※フォーリナー(アビゲイル)は「悪意や混乱を誘発する能力」あるいは「敵意を誘導する能力」などを持っていると推測しています。
ただしアルターエゴのような外的要因がなければ能力は小規模に留まるのではないかとも考えています。
◆◇◆◇
吊るせ、吊るせ――――。
吊るせ、吊るせ――――。
“少女”は、その顛末を見つめていた。
人々が煽り立てる。喚き立てる。
吊るせ。吊るせ。吊るせ。吊るせ。
丘の上に建てられた処刑台。
垂れ下がる縄が、“魔女”の首へと括られていく。
懇願も、弁明も、何一つ聞き入れられず。
悪魔を罰する儀式は、黙々と進められていく。
遠目から見つめる“少女”の胸に込み上げるのは、恐怖。動揺。後悔。罪悪感。
ほんの少し、魔が差したから。
きつく叱られて、虫の居所が悪かったから。
ちょっとだけ、大人を困らせてやりたかったから。
ただそれだけのこと。
それがきっかけだった。
そうして、惨劇は幕を開けた。
もう何もかも、手遅れになってしまったというのに。
“少女”は祈る――――“内なる神”へと。
其れは果たして、“清廉なる父”だったのか。
それとも、“名伏し難き異形”だったのか。
隣に立つ“親友”の手を、握ろうとした。
星の妖精のような、あの娘の手を。
しかし、伸ばした右手は空を切り。
脳裏に刻まれた思い出は、瞬く間に霧散し。
一体誰へと手を伸ばしたのだろうと、“少女”は我に返る。
そして―――酷く寂しく、酷く懐かしいような感傷が去来した。
それは、“少女”の生前の記憶だったのか。
あるいは、“少女”の混濁が生んだ夢幻なのか。
この娘にも、いたのかな。
私にとっての、空魚のような存在が。
その答えを知ることは、出来なかった。
◆◇◆◇
そして、瞼を開いた。
ぼんやりとする意識。
うとうとと揺らぐ脳内。
睡眠と覚醒の合間を彷徨うように。
視界のピントが合わさっていく。
先程まで見ていた“少女の夢”から“現実”へと引き戻されて、私―――仁科鳥子は自己の状態を認識する。
ソファーに身を委ねたまま転寝していたらしい。思った以上に疲れてたんだな、なんて思う。
どのくらいの時間、寝ていたんだろう。
うっかり夜まで寝過ごしてしまったのか。
それとも、まだ数十分か一時間程度なのか。
うっかり寝ちゃうのって、ちょっと時間が勿体無い気がする―――そんなことを思っていたけれど。
曖昧だった私の意識は、すぐに目の前の光景へと向けられた。
アビーちゃんが、私に背を向けて立っていた。
まるで何かから身を呈して庇うかのように。
その時私は、ようやく“異変”に気付いた。
私を守るように立つ、彼女の背中。
彼女の視線の向こう側。私は、覗き込む。
その先にあるものを、見据える。
そして私は。目を見開いた。
「失礼……お嬢さん」
―――――見知らぬ男が、そこにいた。
サラリーマン風の“男”は、いつの間にか家に上がっていて。
ダイニングチェアに腰掛け、足を組みながら此方を見つめていた。
まるで自宅で寛ぐかのように、悠々とした態度だった。
「“霊体化”というものは未だに慣れないが……“忍び込む”には確かに便利だ」
“男”は、飄々と語る。
あまりにもふてぶてしく、傲岸に。
そんな相手の態度を見て、アビーちゃんはいつでも戦えるような態勢を取っている。
まさしく急転直下―――裏世界に突然巻き込まれているのには、慣れているけど。
それでも。目の前の“男”のような血肉の通った脅威には、私も動揺を覚える他無かった。
「セイレム魔女裁判の“告発者”……君がアビゲイル・ウィリアムズだね?」
“男”が、アビーちゃんへと呼びかけた。
その一言で、思わず驚愕する。
真名を、相手に知られていた。
なんで、どうして―――そんな疑問が浮かび上がる。
「なに、君達と争うつもりはないよ」
私達の態度を気にかけることもなく。
“男”はわざとらしく両手を上げて、無害であることをアピールし。
「少しばかり、“お話”がしたいだけさ」
そして、“男”はそう言ってきた。
私は、立ち上がって身構えた。
すぐ側に立っているアビーちゃんへと、視線を向ける。
その顔には、明らかな動揺の色が浮かんでいた。
アビーちゃんは、私が眠っている間にもずっと起きていた。
サーヴァントとしての役割を果たすべく、常に警戒を怠らずに身構えてくれていた。
にも関わらず、この“男”は堂々と―――屋内への潜入を果たした。
アビーちゃんが周囲の気配を探っていたにも関わらず、だ。
この至近距離まで迫っていたのに。
こうも堂々と姿を晒しているのに。
私は相手が忍び込んでいることに全く気付かなかった。
そしてアビーちゃんさえも、その気配を一切感じ取れなかった。
これが相手の能力。その気になれば―――誰にも勘付かれることなく、こっちを手に掛けることが出来る。
それを否応なしに悟って、私は息を呑んだ。
警戒を高める私達の態度をよそに、その“男”はゆっくりと口を開いた。
「私はアサシンのサーヴァント」
そして、“男”はそう名乗り。
少しの間を置いて、“取引”を持ち掛けてきた。
「『アルターエゴ・リンボ』を討つべく、君たちと手を組みたい」
◆◇◆◇
其れは、悪魔。
其れは、魔女。
被告、即ち悪食の獣。
告発者、即ち殺人鬼。
此れより御覧に入れますは『悪しき裁判』。
告発者は叫ぶ。乙女達を煽り立てる。
我らを苦しめる“異端”を赦すな。
我らの平穏を乱す“背信者”を裁け。
判決を下せ。“罪人”を罰せよ。
吊るせ、吊るせ―――奴を高く吊るせ!
◆◇◆◇
【荒川区・鳥子のマンション(日暮里駅周辺)/一日目・夕方】
【仁科鳥子@裏世界ピクニック】
[状態]:疲労(中)
[令呪]:残り三画
[装備]:なし
[道具]:護身用のナイフ程度。
[所持金]:数万円
[思考・状況]
基本方針:生きて元の世界に帰る。
0:目の前のアサシンに対処。
1:もしも空魚が居るなら合流したい。その上で、万一のことがあれば……。
2:出来るだけ他人を蹴落とすことはしたくないけど――
3:アルタ―エゴ・リンボに対する強い警戒。
[備考]
※鳥子の透明な手はサ―ヴァントの神秘に対しても原作と同様の効果を発揮できます。
式神ではなく真正のサ―ヴァントの霊核などに対して触れた場合どうなるかは後の話に準拠するものとします。
※荒川区・日暮里駅周辺に自宅のマンションがあります。
【フォ―リナ―(アビゲイル・ウィリアムズ)@Fate/Grand Order】
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスタ―を守り、元の世界に帰す
0:目の前のアサシンに対処。
1:マスタ―にあまり無茶はさせたくない。
2:あなたが何を目指そうと。私は、あなたのサーヴァント。
【アサシン(吉良吉影)@ジョジョの奇妙な冒険】
[状態]:健康、殺人衝動
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:数万円(一般的なサラリ―マン程度)
[思考・状況]
基本方針:完全なる『平穏』への到達と、英霊の座からの脱却。
0:仁科鳥子に取引を持ち掛ける。
1:アルターエゴを排除。フォーリナー(アビゲイル)の覚醒を阻止する。
2:アルターエゴのマスターを探して“鞍替え”に値するかを見定めたい。尤も、過度の期待はしない。
3:あの電車で察知したもう一つの気配(
シュヴィ・ドーラ)も気になる。
4:社会的地位を持ったマスターとの直接的な対立は避ける。
5:田中も遅かれ早かれ“鞍替え”を考えるだろうと推測。
[備考]
※スキル「追跡者」の効果により、仁科鳥子の座標や気配を探知しやすくなっています。
※仁科鳥子の住所を把握しました。
※フォーリナー(アビゲイル)は「悪意や混乱を誘発する能力」あるいは「敵意を誘導する能力」などを持っていると推測しています。
ただしアルターエゴのような外的要因がなければ能力は小規模に留まるのではないかとも考えています。
時系列順
投下順
最終更新:2021年10月03日 18:21