松坂さとうとの通話を終えてすぐのことだ。
 しょうこは自室のベッドにぐったりと倒れ込んだ。
 可能性の器とか呼ばれていてもしょうこの中身は年相応のありふれた少女である。
 二度と会えないと思っていた友人との再会。
 そこでしょうこはなけなしの勇気を絞り出して頑張った。
 通話が終わって気が抜けたらしいしょうこは申し訳なさそうな声でこう言った。
『あ〜……ごめん、アーチャー。ちょっとだけ休んでもいい?』
 勿論ダメだと言う理由はない。
 別に状況が切迫しているわけでもないのだ。
 休みたい時は休んでいい。
 キミが眠っている間は、ボクがちゃんと気を張っておくから。
 そう伝えるとしょうこはへにゃりと力なく笑った。
『ん…じゃあ、お言葉に甘えるね。私、これ、ちょっともうダメだわ……』
 それからすぐにすうすうと寝息を立て始めた辺り、余程気疲れしたらしい。
 いや……張り詰めていた糸が切れたというべきか。
 それを軟弱だと責めるGVではない。
 さっきのしょうこの頑張りを見ていれば、そんな言葉は口が裂けても出てこない筈だ。
“……今は静かに寝かせてあげよう。休める内に休んでおくべきだ”
 憑き物が落ちたような穏やかな寝顔。
 GVはしょうこが点け忘れていた冷房のスイッチを押すと、踵を返して彼女の部屋を出た。
“この先、こうしてゆっくり眠れる機会がどれだけあるか分からないんだから”
 だから今はゆっくり休ませてやろう。
 その間自分は、サーヴァントとしてやるべきことをする。
 霊体化して飛騨家の門前に立ったGV。
 次の瞬間彼が始めたのは、思考と思案だった。
“……マスターは松坂さとうのことを大切に想っている。その気持ちを蔑ろにするつもりはない”
 さとうとしょうこの間にあったことはGVも聞いていた。
 GVに言わせれば、松坂さとうはこの世界でも依然変わらず危険人物だ。
 自分のマスターである飛騨しょうこを一度とはいえ殺した女。
 必要とあらば友人だろうと構わず殺せる人物。
 しょうこには悪いが、そんな人間のことを信用しろと言われても難しい。
“けどもしも松坂さとうがマスターを裏切ろうとする素振りを見せたなら……その時は、ボクが手を汚そう”
 その時は、GVの独断で松坂さとうを殺す。
 しょうこの意思はあえて確認しない。
 彼女が罪と後悔を背負わなくて済むように、自分が全ての咎を被る。
 一度目の邂逅が終わった時点でGVはそう心に決めていた。
 尤も、あくまでもしもの時の話ではある。
 それに……出来ればGVは、しょうこからさとうを奪いたくなかった。
 マスターから聞いた松坂さとうの"愛"。
 それを肯定するのも否定するのもサーヴァントである自分の役割ではない。
 GVは自分が悠久に続く人類史からこぼれ落ちた一滴でしかないことを自覚している。
 しかししょうこはさとうが死んだら泣くだろう。
 どんな形での別れであれ、あの心優しい小鳥はきっと泣く。
 GVは小鳥の涙を見たくなかった。
 願わくば二人がお別れをするのは最後の最後……この世界がどちらかの願いに溶ける瞬間であってほしいと思う。
 時間が流れていく。
 こうしている間も、この空の続くどこかで戦いが起こっているのだろう。
 もしかしたらもう脱落者だって出ているかもしれない。
 本戦がどれだけ激しいものになるのかは未知の領域だが、決して生易しいものにはならないだろうことだけは分かった。
 いつの間にか電信柱から伸びる影は四時を示している。
 季節柄日が沈むにはまだ早いが、もう夕方と言っていい時間帯だ。
“……少し索敵でもしておくかな。マスターが眠っている以上、戦闘はするべきじゃないだろうけど”
 一時とはいえ肩の荷を下ろして眠れているしょうこを起こしたくはない。
 かと言ってこのまま棒立ちで彼女の起床を待つのは賢い時間の使い方とは言えないだろう。
 しょうこの身の安全に関わらない程度で索敵と調査を進める。
 その方針を固めたGVが、飛騨家の門前から一歩踏み出した――瞬間。
“……ッ!?”
 実体化すらしていないにも関わらず、全身の毛が総毛立つような感覚に襲われた。
 それはあまりにも巨きかった。
 そしてあまりにも凄絶だった。
 いつからそこにいたのか。
 何故自分はこの巨大な何かの存在に気付かなかったのか。
 GVは、いくつもの場数を踏んでこの地に立っている。
 その彼ですら我を忘れて戦慄するほどの圧倒的な武威の気配。
 固唾を呑み、意識を張り詰めさせる。
 そんなGVを嘲笑うように虚空から重々しい声が響いた。
「――居るだろう。出てこいよ、サーヴァント」
「こっちのセリフだ、サーヴァント。姿を現せ」
 声に応えて実体化する。
 それと同時に声の主も、遥か上空で実体化を果たした。
 もう一度言う。遥か上空でだ。
「……!」
 思わず息を呑む。
 戦慄と驚愕の二つがGVの脳裏を埋め尽くした。
 上空、目算にして百メートルほどだろうか。
 そこで……巨大な魔力反応を隠そうともせず四方に放ちながら、青い龍がとぐろを巻いていた。
「……場所を変えようと言っても、聞く耳はなさそうだな」
 こんな噂話を耳にしたことがあった。
 予選期間中、東京都内で時折起きた爆発事故。
 それが起こった時には決まって、青く巨大な龍の目撃談が殺到したという。
 メディアでは単なる集団ヒステリーだろうと片付けられていたが……
「予選の内から随分好き勝手暴れていたな。どれだけ犠牲が出たか分かっているのか」
 全長を正確に測ったなら、一体何百メートルになるのか分からない。
 それほどの巨体を見上げながらもGVの声は凛と鋭く張っていた。
「それで大将首を十六個取れた。死んだ奴らも報われるだろう」
「理解した。彼らの命を薪にして願いを叶えようとしている身で言えたことではないが……お前は、いてはいけない存在だ」
「ウォロロロロ…! 止そうぜ眠てェ偽善を吐き出すのは。興が削げちまう」
「言っただろう。ボクに言えたことではないと」
 GVは聖杯を求めて此処に立っている。
 彼は勝ち残ったらこの世界を踏み台にしてしまう存在だ。
 それだけはどんな綺麗事で取り繕っても変わらない。
 それなのにGVは、自身の出した犠牲を嘲笑う龍の一言一言に義憤の念を感じてしまう。
 さもそれは最愛の歌姫と別れる前……いや。
 英霊の座に登り詰める前の"彼(GV)"のように。
「お前を非道と罵る資格は……ボクにはない」
 生前の彼ならどうしていただろうか。
 お前の身勝手は断じて許せないと吠えていたかもしれない。
 でも今のGVにはその資格はとうになく。
 だから熱い言葉の代わりに――彼の象徴である蒼い雷霆をバチ、バチと虚空へ灯す。
「ならばどうする。出来損ないの英雄がこのおれに勝てると?」
「勝つさ。何故ならボクは、英雄なんかじゃないから」
 見据えるは遥か高みの青龍。
 対峙しているだけで分かる。
 これは怪物だ。GVが今までに戦ったどの敵よりも恐らく強い。
「ボクは英雄でも何でもない、ただ一筋の雷霆だ」
「龍(おれ)を射落とすとでも言うつもりか? たかだか雷が」
 龍の身体が天空を背に鳴動する。
 それだけで押し寄せてくる突風と豪風。
 それに髪を揺らしながらもGVは動じない。
 その無言を、龍は肯定と受け取った。
「――ウォロロロロロロロ! ……ならやってみろよ、小僧ォ!」
 龍を中心として拡散する覇気と風。
 この戦いは自分の死地にすらなるかもしれない。
 覚悟を胸に、それすらも電力に変えてGVは立つ。
 名乗りと共に、天の青龍へとGVは地を蹴った。

    ◆ ◆ ◆

 何時間くらい寝ていただろう。
 何か懐かしい夢を見ていた気がする。
 そんなしょうこを現実へと帰還させたのはGVからの念話だった。
 彼らしからぬ、聞いたこともないような切羽詰まった声。
“敵襲だ、マスター! すぐに起きて、家の裏口から逃げるんだ!”
 困惑したし混乱した。
 しかししょうこにもそれが異常事態であるというのは分かった。
 これまで既に二組の敵を倒しているGVがこれだけ余裕のない声で警告しているのだ。
“ボクも必ず追いかける。だから今は、早く……!”
 どういうわけかこの場に現れたという敵は、きっと恐ろしく強いのだろう。
 そうでなければあのアーチャーがこうまで急かすとは考えにくい。
 幸い服は着替えていない。
 すぐさま寝室を出て、玄関口から靴だけ取って裏口を使い家を飛び出した。
 その瞬間しょうこの耳に入ってきたのは、風の音と何かが崩れる音。
 そして、大勢の人の悲鳴だった。
“どんな戦いしてんのよ…此処、住宅街の真ん中よ……!?”
 GVは聖杯戦争に否定的な思想を持つサーヴァントではない。
 ただ、彼の根っこの部分は決して悪人のそれではないことをしょうこは知っていた。
 その彼が進んで人を巻き込む場所で戦いを始めるとは考えにくい。
 であれば必然、敵がそういうことを顧みない相手なのだろうという結論に達した。
 振り向いている暇があるなら逃げるべきだ。
 頭ではそう分かっていても、振り向いてしまった。
 いや……見上げてしまったという方が正しいか。
「な…な、なあっ……!?」
 ――腰を抜かすかと思った。
 サーヴァントがぶっ飛んだ連中ばかりだというのは知っている。
 そのしょうこでもそれほど驚いてしまうような怪物の姿が、空に浮かんでいた。
 青く巨大な一匹の龍。
 暴風を撒き散らしながら君臨するそれに、見慣れた蒼い雷霆が向かっていくのが見えた。
“な、によ…あの化け物……!”
 目に見える龍のステータスは冗談じみている。
 特に筋力と耐久が異常だった。
 あんなものと戦って本当に勝てるのか。
 いや、GVが自分でさえ抱くような危機感を持っていない筈はない。
 彼ならば分かるはずだ。
 あれと正面から戦って勝とうと思うならば、こちらも相応の犠牲を払うことが大前提になってしまうことくらい。
「何やってんだ嬢ちゃん! 早く逃げろよ、巻き込まれちまうぞ!」
「あああああっ、もう! どうなってんのよ此処最近の東京は!」
「死にたくねえ、死にたくねえ! あんなバケモンの巻き添え食ってたまるかよ!」
 恐怖に怯えて逃げ惑う住民達に押されて、しょうこも止めていた足を再び動かす。
 念話で状況を確認することも考えたが、それが彼の妨げになってしまうのではないかと考えると躊躇われた。
 大丈夫、彼ならきっと大丈夫……!
 そう自分に言い聞かせながら。
 しょうこは走り、走り――鼓膜が使い物にならなくなるほどの爆音を聞いた。

    ◆ ◆ ◆

“マスターはもうこの場を離れてる。出来れば、この住宅地を戦闘に巻き込むことはしたくなかったが……”
 GVに抜かりはない。
 戦闘になると確信した瞬間に念話を飛ばしてしょうこを起こし、端的に事情を伝えて自宅から退避させた。
 場所の悪さを理由にして撤退へ移るのが利口な選択だったように思える。
 だがGVがそうしなかったのには勿論理由があった。
“この龍は話の通じる相手じゃない。かと言って事情を伝えて見逃してくれるようにも見えない”
 最悪、有無を言わさずこの一帯を吹き飛ばされる可能性だって大いにあった。
 そんな状況ではしょうこに逃げるよう言い含めるだけで精一杯だった。
 胸を刺す罪悪感と後ろめたさを纏う雷の熱で消し飛ばす。
“……出来れば此処で倒したいが――”
 思案するGVの視線の先で龍が動く。
 最初に放たれた攻撃は、しかし初撃の規模ではなかった。
「"壊風"」
 龍のあぎとが大きく開かれた。
 その瞬間、そこから無数の真空波が解き放たれたのだ。
 それに触れた建造物は、まるで巨大な斧や鉈で一閃されたように切り崩される。
 巻き込まれれば、当然ひとたまりもあるまい。
“分の悪い戦いだ。けど……!”
 研ぎ澄ませ第七波動(セブンス)。 意識は常に最大の集中を維持する。
 GVは絶望をしない。
 暗闇を照らす雷霆の彼がそれを知る時は即ち、その存在の終わりに等しい。
「向かってくるか!? 天を統べる龍に!」
「当然だ……すぐ地に叩き落としてやる!」
 電磁結界(カゲロウ)。
 それがGVの進軍を、反逆を後押しする。
 魔力消費を代償に避け損ねた鎌鼬を無効化しつつ、まさに雷霆の如く天へと駆けた。
 地から天に駆ける雷という不条理が、しかし此処でだけはれっきとした理屈として成立していた。
 先ずGVが行った攻撃は避雷針(ダート)による射撃だった。
 避雷針ナーガ。如何なる巨体であろうと貫通する一矢。
 しかしそれは、青龍に一滴の血を流させることすら叶わなかった。
「ウォロロロロ! そんな豆鉄砲でおれの肉体(カラダ)を貫けると思ったか!」
 GVは歯噛みすると同時に分析する。
 頭抜けた耐久度。
 そしてナーガの貫通力をして傷一つ負わせられない圧倒的な基礎性能。
“肉体そのものが宝具に昇華されている……そういうタイプのサーヴァントか!”
 まさしく神話の悪竜そのものだった。
 巨体が嘶くだけで英霊さえ吹き飛ばす突風が舞う。
 それに紛れ潜んでいる致死級の鎌鼬は、直撃すれば雷撃鱗の防御でさえ防ぎ切れるかどうか。
 ブービートラップのように死線が張り巡らされた空――GVの敵はそこにいる。
「迸れ、蒼き雷霆よ! 傲慢な龍を撃ち落とす遠雷となれ!」
 閃く雷光は反逆の導――
 轟く雷吼は血潮の証――
 ――貫く雷撃こそは万物の理。
 第一宝具の真名解放が第七波動の急速な躍動を引き起こす。
 スペシャルスキル展開。GVを起点に空へと這った雷霆は鎖の形をしていた。
「VOLTIC CHAIN(ヴォルティックチェーン)!」
 龍の目が驚愕に見開かれる。
 全長数百メートルに達する彼の巨体を、GVの生み出した鎖は同じく規格外の長尺で絡め取っていた。
 ヴォルティックチェーンは視界の全ての敵を同時に攻撃するスキル。
 敵がどれだけ大きかろうと、蒼き雷霆の鎖はそれを逃さない。
「ォォオオオオオオオオ……!?」
 龍の呻き声が大きく響く。
 効いている、その手応えを得られただけで十分だった。
 願わくばこのまま押し切れれば最高だが、そこまでの高望みはしない。
“此処で削れるだけ削ってやる……!”
 惜しみなく波動を注ぎ込んで火力の底上げを図る。
 どの程度通じているのかは未知数だが、効いているなら好都合。
 驕った悪竜をやれるだけ痛め付けて次に繋ぐ。
 雷光に包まれて上空の龍は激しく瞬いた。
 超新星の爆発を思わせる、神々しくすらある光――その中から。
「"熱息(ボロブレス)"」
 地の底から響くような声がした。
 GVほどの実力者ですら背筋を粟立たせ、破滅のイメージを頭に浮かべる破局の気配。
 急いで防御に集中する構えを取ったGVの姿が次の瞬間かき消えた。
 彼が移動したのではない。
 相対的に豆粒ほどの大きさに見えるそのシルエットが、業火によって塗り潰されたのだ。
 竜の吐息(ドラゴンブレス)。
 竜種が持つ最強の武装である破壊。
 それがGVを襲った灼熱の火球の正体だ。
 一撃で城を、山を吹き飛ばす大火力のブレス攻撃。
 ヴォルティックチェーンへの返礼としては十分すぎる炎だった。
 しかし、熱息の火球は内側から弾けた。
 亀裂状に出現した雷が、龍の吐いた火を花火玉のように爆ぜさせたのだ。
 そして火球の残滓を彗星の尾のように引きながらホバリング機動で龍に迫るのは――GV。
「なかなかいい雷だった。ゼウスの野郎を思い出したぜ」
「その様で言われても、嫌味にしか聞こえないな」
「素直に受け取れよ。誇っていいぜ……この聖杯戦争で痛みを感じたのは初めてだ」
 十六体もの英霊を斃しておいてこの発言。
 虚仮威しのハッタリと片付けるには、この龍は強すぎた。
 GVが渾身のスペシャルスキルで灼いた筈の体は軽く表面が焦げた程度。
 そんな怪物にこう言われたなら、信じるしかないだろう。
「さあ次は何をする? 撃ってこいよ小僧。出し惜しみしてんなら……」
 龍のアギトが大きく開く。
 そこに熱が収束していくのが分かって、GVは歯噛みした。
“……このままじゃジリ貧だ。ボクも攻撃に転じなければ”
 一撃目の熱息は初見であったこともあり、防御態勢を整えて受けるのが精一杯だった。
 だがその代償は大きかった。
 雷撃鱗で凌ぎ切れる限界を超えた火力がGVの肌を焼き、少なくないダメージを負わされた。
 龍は今、聖杯戦争で初めて敵から痛みを与えられたと笑ったが。
 GVもまた、この世界で受けたダメージの中では今のが最大だった。
 雷撃鱗だから何とか凌げたが、電磁結界のみで当たっていたなら最悪五体のどこかが吹き飛んでいたかもしれない。
「消し飛ばすぞ…!? "熱息"!」
 ――煌くは雷纏いし聖剣。
 ――蒼雷の暴虐よ敵を貫け。
 押し寄せる炎の吐息を見据えながら、魔力の消費を度外視してスペシャルスキルを再度使う。
 英霊になった今のGVは生前ほどSP(スキルポイント)に縛られてはいない。
 しかしその分別なエネルギーリソースの消費を要求される。それが魔力だ。
 しょうこに負担をかけるのは忍びなかったが、この戦いはどう締め括るにせよ出し惜しみしていられるものではない。
「SPARK CALIBUR(スパークカリバー)――!」
 熱息の火球が雷撃の剣に両断される。
 その勢いは死なぬまま龍の玉体に肉薄した。
“避雷針じゃ通らない。だが出力を上げていけば、奴の耐久も超えられないわけじゃない”
 最低保障のラインとしては少し高すぎるが。
 スペシャルスキルに分類される攻撃であれば、通じるようだ。
 そしてヴォルティックチェーンは面での範囲攻撃だった。
 それで倒せなかったなら、では点で貫くアプローチはどうか。
「貫き穿つ。受けてみろ、悪竜――!」
「青二才が! "龍巻(たつまき)"――!」
 空中でとぐろを巻く龍。
 その円を解放すると同時に、驚異的な威力の竜巻が溢れ出した。
 そこに突っ込んでいくGVとその雷剣。
 二つの強大なエネルギーが零距離で衝突した瞬間、世界が爆ぜた。
 そう錯覚するほどの巨大な衝撃波が住宅地の上空で炸裂して……数秒。
 世界から、音が消えた。

    ◆ ◆ ◆

 既に住民達は逃げ惑っている。
 もしかするとその中には、家に帰ろうとしたしょうこの親もいたのかもしれない。
 だとすれば申し訳ないことをしたと思いながら、GVは口元の血を拭う。
 額からも血を流し、全身に傷を負いながらも二本の足で立つGV。
 誰が見ても分かる満身創痍、這々の体だ。
 そんな彼の前方に一つの巨大な影が立っていた。
 いつしか空の龍は消えている。
 しかしあの龍が放っていた覇気と闘気は、影の主に確かに引き継がれており。
 その事実が、GVの見据える鬼と先の龍が同じ英霊なのだと物語っていた。
「効いたぜ」
「噓を吐け」
 頭から生えた巨大な角。
 人間の限界を確実に超えた身長。
 岩山がそのまま人の形を結んだような堅牢な肉体。
 龍の鱗を思わせる紋様と長い髭に龍形態の名残が見える。
 彼の胴体には出血の痕跡が窺えたが、逆に言えばただ血が出ているだけだ。
 注いだ魔力と失った余力には決して見合わない戦果だった。
「腐るなよ。おれは世辞は言わねえんだ」
 最強という二文字をGVは思い浮かべた。
 GVが今までに戦ってきた敵と目の前の鬼とを単純に比べることは出来ない。
 だがただ単純に、"最も強い"のは誰かという観点で測ったなら。
 間違いなく今目の前にいるこの鬼こそがそうだと認めざるを得なかった。
“クードスの蓄積はまだ不十分だ。もう、退くしかないか……”
 こいつを倒すには最低でもクードスを最大まで蓄積させなければ話にならない。
 それがGVの見立てだった。
 クードスの最大蓄積を条件として解放出来るGVの最大攻撃……グロリアスストライザー。
 それがあって初めて倒せるかどうかの話になる相手だったが、今はまだその手を頼れない。
 理由は、シンプルにクードスの蓄積が不十分だからだ。
 ヴォルティックチェーンにスパークカリバー、二つのスペシャルスキルを連続で放ってもこの程度の傷しか与えられなかった相手だ。
 このまま意地になって戦い続けても、GVが鬼の首を獲れる可能性はごくごく低い。
 そうなるともう、撤退以外の選択肢はなかった。
 何よりタチの悪いことに……鬼の姿になったこいつは、龍だった頃よりもずっと強大な存在に感じられた。
 まるでそれは、さっきまで戦っていたあの龍形態が相手の実力を測るための小手調べだったとでもいうようで。
「お前のクラスは何だ」
「……教える義理がない」
「お前、おれの部下になれよ」
 そうすれば殺さないでおいてやる。
 そう言って鬼は不敵に笑った。
「別に聖杯を諦めろって言うわけじゃねェ。他の連中を全部叩き潰した後で、またおれに挑めばいいだけだ」
 悪い話じゃねえと思うだろ?
 ニヤリと口元を歪め、誘う鬼。
 その巨体を睨むGVの目は鋭い。
 蒼き雷霆、彼の象徴。
 それによく似た鋭い光がそこにはあった。
「断るなら、今此処で殺す」
 鬼は金棒を持っていた。
 宝具ではないようだがサーヴァントの武装である。
 ましてそれを使うのはこの怪物なのだ。
 あれでただ殴り付けるだけでも十分に致死級の威力があるに違いない。
「おれのマスターはその気になれば戦場にも立てる"力"を持ってるが……お前のマスターと来たら顔一つ見せねェな。同情するぜ、腰抜けのマスターを持つと大変だろう」
 鬼が金棒を持っていない方の手をGVの方へと伸ばす。
 身長差があるので成立はしないが、それはまるで握手を求めるような仕草だった。
「望むならこっちで替えを用意してやってもいい。どうだ?」
「笑わせるな」
 その勧誘にGVが返した答えはにべもない一蹴だった。
 鬼は無言だ。
 それをいいことにGVは話す。
「マスターに恵まれていないのはお前の方だ。同情するよ、鬼。お前のマスターはそんなことも教えてくれないんだな」
「お前の価値観なんぞ聞いた覚えはねェな」
 GVの痩身に襲いかかる圧力が数段強まる。
 鬼が一歩、二歩と前に歩くだけで地響きが鳴る。
 彼の眼光とGVの眼光とが二対の稲妻として交差した。
「確かに、ボクのマスターに戦う力はない。悩み、迷い、そうやってしか進めない普通の人間だ」
「無能だな。そんな奴を庇って何になる? お前ほどの能力者が」
「人間を侮るな。ボクのマスターは……お前のような戦いが上手いだけの愚か者よりずっと強い」
 鬼の言葉に間違いはない。
 GVのマスターは弱いのだ。
 何故なら普通の人間だから。
 戦いだとか殺し合いだとか、そういう世界にはてんで似つかわしくない子供だ。
 とてもではないがGVと目前の鬼の戦闘に立ち会うなど出来ないようなひ弱な少女。
 しかし、他の誰が彼女のことを雑魚と無能と謗ろうと。
 GVはいつでもどんな時でもそれに毅然と否を返せる。
 GVは知っているからだ。
 彼女が……しょうこが持つ、"弱さ"という名の"強さ"を。
 苦しみ、のたうち、迷いながらも自分の思いを貫こうとする姿の美しさを。
「思い上がるな、怪物。ボクの守るべき小鳥は……お前に見下されるほど弱くない!」
「そうかよ。なら死ね、小僧」
 鬼が金棒を腰の位置で構えた。
 奴の誘いを蹴る判断は、とてもじゃないが合理的なものではない。
 しかし愚かな選択と罵られても構わない。
 その時は甘んじて受け入れよう。
 どれほど愚かでも、阿呆でも、あの少女を見捨ててこの男の部下になるなんて選択は下せなかった。
「"雷鳴八卦"」
 GVの詠唱よりも早く紡がれる一声。
 鬼の姿が視界から消えた。
 それは見切れなかったということの証拠であり、故にGVは鬼の一撃を直撃という形で受け止めるしかない。
 されどGVは諦めない。
 先手を取られた痛恨を甘んじて受け止めながらも雷撃鱗を鳴動させ、鬼の一撃を受け止め切れた場合にすぐさま切り返せるよう準備する。
 一撃与えて、そして撤退する。
 そのために全意識を集中させる。
 姿を消した鬼がGVの目前に現れるまでコンマ一秒の十数分の一。
 そして、次の瞬間が訪れるまでの一瞬の内に異変が起きた。
 GVの姿が、突如としてこの場から消失したのだ。
「……あ?」
 苛立たしげな鬼の声をしかしGVはもう聞いていない。
 鬼の声が届くよりも遥かに早く、彼の耳を叩いた声があったからだ。
 サーヴァントの身では絶対に抗うことの出来ない命令(こえ)が。
“令呪を以って命ずる――私と一緒に逃げて、アーチャー……!”
 その声を聞いた時GVが浮かべた表情は苦笑だった。
 マスターに救われる情けなさに対する自嘲が半分。
 もう半分は、"彼女"がマスターでよかったという安堵の念だ。
 令呪による命令は時に空間移動をすら可能とする。
 どれほど怪物じみたサーヴァントでも、空間を飛び越える速度に比肩して追いかけるのは不可能だ。

「逃げやがったか。つまらねえ……」
 残された鬼はただ一人、不機嫌そうに金棒を振るう。
 しかしそれだけで、飛騨しょうこの自宅はただの瓦礫の山と化した。
 とはいえ一応理由がないわけではない。
 この聖杯戦争において、多くの場合マスターの動静は自身の社会ロールに依存する。
 皮下のようなタイプは例外中の例外なのだ。
 地位にも能力にも恵まれていないマスターに対してなら、こうして帰る家を失くしておくだけでも十分な損害になる。
 ……まあ、八つ当たりの意味合いが完全にゼロかといえばそんなことはなかったが。
“だがなかなかに愉しめた……これなら"本戦"には期待してもよさそうだな”
 GVの雷撃は、カイドウにも確かにダメージを与えていた。
 予選の間に蹴散らされた十六体は誰もそれを成し遂げられなかったのにも関わらずだ。
 本戦が始まって最初の戦いで、敵はカイドウに痛みの味を思い出させてくれた。
 此処からの戦いは今までの退屈なものとは明らかに違う。
 その確信が得られただけでも、カイドウにとって今回の巡遊は大満足の結果となった。
「ウォロロロロロロロ…! 今回は逃げられたが、顔は覚えたからな……! このおれに唾を吐いて逃げられると思うんじゃねェぞ……!?」

 龍に姿を変え、そして霊体化。
 住宅街一つを恐怖のどん底に落としたことには何の関心も示さずに、ライダー……百獣のカイドウは去っていく。
 巡遊は終わりだ。
 骨のあるサーヴァントに出会えたおかげで酔いも冷めた。
 皮下のもとに帰り、今後について話し合うなりするとしよう。
 彼の名はカイドウ。
 四皇、"百獣のカイドウ"。
 クラスはライダー。
 龍に化ける最強の鬼。
 その暴力はいつだとて理不尽、いつだとて最強。
 彼が去った後の住宅街には、気まぐれな暴力の残骸だけがただただ無残に残されていた。

【板橋区・住宅街/一日目・夕方】

【ライダー(カイドウ)@ONE PIECE】
[状態]:ほろ酔い(酔い:10%/戦ったことで冷め気味)、全身にダメージ(小)、腹部に火傷(小)、いずれも回復中
[装備]:金棒
[道具]:
[所持金]:
[思考・状況]
基本方針:『戦争』に勝利し、世界樹を頂く。
1:一旦病院に戻る。
2:『鬼ヶ島』の浮上が可能になるまでは基本は籠城、気まぐれに暴れる。
3:リンボには警戒。部下として働くならいいが、不穏な兆候があれば奴だけでも殺す。
4:アーチャー(ガンヴォルト)に高評価。自分の部下にしたい。
[備考]
※皮下医院地下の空間を基点に『鬼ヶ島』内で潜伏しています。

※飛騨しょうこの自宅がある住宅街の一部に壊滅的な被害が出ました。
※飛騨しょうこの自宅は崩壊しました。しょうこの家族は不在だったので無事です。

    ◆ ◆ ◆

「ごめん…ごめん、アーチャー……! 私、我慢出来なくて……!」
 GVに抱えられながら爆心地となった住宅街を離れていくしょうこ。
 その目からは大粒の涙がぼろぼろ溢れ出していた。
 彼女の右手の令呪は数を一画減らしている。
 三度限りの絶対命令権を……時に今回のような不条理をも可能にする大切な令呪を、しょうこは一つ失ってしまったのだ。
「分かったの、あなたが危ないことになってるって…! 私、アーチャーのことを信じられなかった! もしかしたらって、考えちゃった……!」
 GVはしょうこにこう言った。
 後で必ず追いかけるからと、そう言った。
 その言葉をしょうこは信じられなかった。
 もしかしたらと心をよぎった不安に勝てなくて、令呪を使ってしまった。
 そんな彼女を抱いて走るGVの姿は惨憺たるものだったが……
 彼の顔に浮かぶのは、少女を安心させるための微笑だった。
「謝らないで。キミは、何も悪いことなんかしていない」
「でも……!」
「むしろキミは正しい決断を下した。あまりにも分が悪いから退くつもりだったけど、キミが令呪を使わなかったら……逃げ切れずに殺されていたかもしれない」
 しょうこを慰めるための方便ではない。
 あの龍であり鬼であるサーヴァントはそれくらい異常な強さだった。
 そして……危険な男であった。
 この聖杯戦争を勝ちたいと思うなら彼との戦闘は避けて通れないと、GVをしてそう確信するほど。
「だからお礼を言わせてほしい。ありがとう、マスター。キミのおかげで助かった」
「……ずるいって、そんなこと言うの」
 とにかく命は助かった。
 命運は繋がった。
 だが、今の戦いで被った損害は甚大なものだ。
 GVが受けたダメージについてはまだいい。
 かなり手痛い傷を負わされたが、GVは自己回復のスキルを所有している。
 魔力の供給が微量とはいえ自動的に為されるのだから傷の回復も他のサーヴァントに比べれば大分容易だ。
 しかしもうあの家には帰れないだろう。
 その旨をしょうこに伝えると、彼女は泣き腫らした顔で苦笑いをした。
「……アーチャー、私の家の前で戦ってたもんね」
「あれだけ派手に戦ったんだ、他のマスターの目や耳に触れる機会もあるだろう。それにこれはボクの予想だけど、キミの家は多分壊されてしまったと思う」
 あの鬼はGVのマスターが戦う力のない一般人であることに気付いていた。
 たかが家といっても、しょうこのような一般人には替えの利かない貴重な拠点である。
 GVが敵の立場だったなら確実に壊しているだろうし、あの鬼もきっとそうしたに違いないと彼は考えていた。
「どうしよ、これから」
 カイドウの襲撃に関してはしょうこもGVも悪くない。
 全ての巡り合わせが悪かったのだ。
 巡遊に出ていたカイドウが偶然この住宅街に近付き、サーヴァントの魔力の残滓に気付いた。
 あの場でGVが呼びかけを黙殺していたとしても、その時は無差別な攻撃による炙り出しが始まっていただろう。
 天災に遭ったようなものとそう割り切るしかない不運だった。
“って言っても、私の知り合いなんて一人しかいないんだけどさ……”
 頼れる相手なんて一人しか思いつかない。
 しかししょうこが彼女を頼ったとして、当の彼女はそれを受け入れてくれるだろうか。
 ……分からない。
 それにもしも受け入れられなかった時のことを思うと怖くて怖くて仕方なかった。
 ポケットの中の携帯電話を小さく握り締める手は、哀れに震えていた。

【板橋区・住宅街近辺→移動中/一日目・夕方】

【飛騨しょうこ@ハッピーシュガーライフ】
[状態]:魔力消費(中)、焦燥(大)
[令呪]:残り2画
[装備]:なし
[道具]:鞄
[所持金]:1万円程度
[思考・状況]
基本方針:さとうを信じたい。あさひくんにお礼を言いたい。そのためにも、諦められない。
1:さとうを頼る? ……どうしよう。
[備考]
※松坂さとうと連絡先を交換しました。

【アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))@蒼き雷霆ガンヴォルト爪】
[状態]:疲労(大)、全身にダメージ(大)、いずれも回復中、クードス蓄積(現在3騎分)、令呪『私と一緒に逃げて』
[装備]:ダートリーダー
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:彼女“シアン”の声を、もう一度聞きたい。
1:マスターを支え続ける。
2:ライダー(カイドウ)への非常に強い危機感。
3:松坂さとうがマスターに牙を剥いた時はこの手で殺す。……なるべくやりたくない。
[備考]
※予選期間中にキャスター(童磨)と交戦しています。また予選期間中に童磨を含む2騎との交戦(OP『SWEET HURT』参照)を経験したことでクードスが蓄積されています。



時系列順


投下順



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025:深海のリトルクライ 飛騨しょうこ 052:ガラテアの螺旋
アーチャー(ガンヴォルト(オルタ))
030:龍穴にて ライダー(カイドウ) 051:オペレーション・ドクター〜包囲せよイルミネーションスターズ〜

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最終更新:2023年02月20日 23:44