正座からの立ち上がり



  正座からの正しい立ち上がり方は、茶道では以下のようになる。

   (1)先ず、お尻の下に敷かれた足を、お尻を踵に乗せたままスッと爪先立ちさせ、

   (2)片方の足を、あまり膝が立たないようにしながら少し前方に送り、

   (3)後ろ足を軸に、そのままスッと起ち、前足を引いて後ろ足に揃える。


  因みに、茶道の表千家では(2)のときに右脚を前に送り、裏千家では左足を送る。

中略


  前回も書いたが、正座から正しく立ち上がる際には、赤ん坊がようやく二本の足を使って
 独りで立ち始めたところの「螺旋の構造」が使われている。
  それは、私たち人類が「直立して二本足で歩ける構造を得た」ということの証しであり、
 「座りに行く」ことも「立ち上がる」ことも、すなわち「立つ、歩く」という、元来ヒトに
 備わっている根本的な構造に他ならない。
  そして、身体はその『本来ヒトに備わっている構造』に従って、螺旋状に使われれば使わ
 れるほど、正座をした状態から容易に、ブレずに美しく立ち上がることが出来るのである。
  しかし、その「螺旋状に使う」というコトそのものが、残念ながら私たちオトナには分か
 らなくなってしまっている。その分からなさ加減は、高名な老師が纏絲勁と称して、いたず
 らに身体を捻り、拗(ねじ)ってはまた元に戻す動作をしているビデオを見ても、なるほど
 と納得することができる。

  正座から立ち上がるときの最初のポイントは、お尻の下に敷かれた足をつま先立ちさせる
 ところにある。しかしながら普通はその際に、ヨッコラショと「上半身を前に倒すこと」か
 らそれを行おうとしてしまう。
  この、お辞儀をするような前傾運動は、日常生活で椅子から立ち上がる際や、立ったとこ
 ろから前方に歩き出す時にもよく見られる。重心を前方に移すことで立ち上がり易くしよう
 としているのである。
  しかしそれは、正座から立ち上がる際に粗野で醜い動作に映るばかりでなく、武術的に見
 ても居着いた身体をゆっくりと落下させ、落ちてきた身体を足で受けてから蹴り上げるとい
 う、わざわざ「劣勢」を作り出す行為であり、それ故にもう一度居着かざるを得ないような
 お粗末な状況を作り出していると言える。
  また、太極拳で言えばそれは、最も重要な身法とされる「立身中正」の概念から外れてい
 るということにもなる。

  正座から正しく立ち上がって来ることが出来ないのは、何故だろうか。
  それは、立ち上がる際に「螺旋の構造による運動」ではなく、足や背中を「支え」として、
 身体の前後左右を平行にしたまま、グイッとリキんで立とうとするからである。
  このようなリキむ運動は、「平行(パラレル)の構造による運動」と呼ぶことが出来る。
  パラレルの構造は見かけが野暮ったいだけでなく、人間本来の螺旋の構造を無視している
 ことになるし、武術的に見れば著しく軸がブレており、そこから運動をしようとすると身体
 は平行のまま拗(ねじ)られるので、どうぞいつでも殴って下さい、斬って下さいと言わん
 ばかりの、スキだらけの立ち方になってしまう。
  なお、立体的な螺旋運動は学問的には「ヘリックス」と呼ぶべきなのだろうが、ヘリック
 ツ(屁理屈)をコネるつもりはないので、ここでは螺旋の運動を便宜上「スパイラル運動」
 と呼ぶことにする。

  正座から立ち上がる際には、同じ動作を「平行(パラレル)運動」でなく「螺旋(スパイ
 ラル)」で行うことが出来る。そのポイントは、上記(2)のところ、つまりお尻の下の足
 をつま先立ちさせた上で、片足をほんの少しだけ前方に送るところにある。
  このカタチは、武術的に言えば「半身(はんみ)」の構えであり、太極拳では、私たちの
 所で言う「半馬歩(ban-ma-bu)」という架式の構造である。
  半馬歩の形や定義は門派によってマチマチであるが、馬歩の構造を半分使ったもの、とい
 うことに於いては、内容的に何ら変わりがないと言ってよい。
  そして、正座から立ち上がる際の(1)から(2)への変化は、まさに「パラレルの構造」
 から「スパイラルの構造」へと変化する、とても重要なポイントとなるのである。

後略

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最終更新:2011年08月19日 15:59