教育は教師(通常大人)による生徒・学生(通常子ども)に対する「教える」行為であるが、「学ぶ」側の主体的な意欲によって大きくその効果が左右されることは言うまでもない。「発達」の章で心理学と教育学の「発達」概念の相違について触れたが、「学習」概念も異なる。心理学で「学習」とは外的刺激の結果としての「行動変容」のことであるが、教育学では、「自分から主体的に学ぶこと」を意味する。教育効果が学ぶ者の「意欲」に最も大きく左右されるから、学習は教育にとって極めて重要な概念である。
いかに、学ぶ側の意欲を喚起するためには、学びやすい環境や条件を整え、学ぶ行為に対する積極的評価を行うことが必要であろう。こうした点について、近年大きく社会環境が変化しているので、今後いかに自己教育や学習が変化していくのかを、今回は考えてみる。
大人が自発的に学習運動を始めたのは、明治維新によってであった。江戸時代は、教育が進み、日本の識字率が世界でトップであったことは、前述したが、しかし、大人になって職業生活にはいり、更に自己教育を進めるということは、それが職業上必要でない限り、あまりなかった。大人が自発的に、かつ大規模に学習をするというのは、個人意識が成立しなければならないのである。
江戸時代の五人組制度を考えてみる。五人組制度とは、統治者が、「個人」ではなく、「集団」を管理するシステムである。そこには、「個人」は存在しない。そして、五人組は、またそれぞれの家族(組)を管理していた。つまり、個人がムラに埋没していたのである。したがって、個人が学習するのは、江戸時代にはほぼ都市部に限られ、そこでは、俳句を習うなどの、大人の学習が成立していた。
明治は、外国との接触によって移行した政治体制であり、活発に欧米の思想が導入されたから、それを学ぶ中で、また学ぶ行為事態が、大きな学習運動を起こすことになった。その代表例が自由民権運動である。自由民権運動は、日本で最初に起きた自発的大学習運動であると言われているが、明治政府の弾圧によって、次第に下火となり、政府はそれに代わって、大人のための教育を組織することになる。それが「通俗教育」と呼ばれた、現在の社会教育にあたるもので、
文部科学省編纂の『学制百年史』に以下のように書かれている。
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通俗教育調査委員会の設置
明治の初頭から三十年代に至る間の社会教育に関する施策は、主として図書館、博物館などの社会教育施設の整備を中心に行なってきたが、日露戦争以後、社会教育は本格的な整備の時代を迎えた。その第一が、通俗教育の振興策であり、第二が青年団の育成策であった。
通俗教育という言葉は、このように社会教育の政府用語というだけではなく、通俗的なことを教えるということも表し、(ふたつは厳密には異なる対象を指していたが)国民の政治的教化の手段であった。しかし、日本が戦争体制になって、国民総動員の状況になると、より発展した形で「社会教育」に名称を変え、国民を国家戦時体制への組み入れを進めていくことになった。
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社会教育は、従来通俗教育として行政上文部省の普通学務局において統轄していた。臨時教育会議の答申に基づき、大正八年には文部省官制を改正して、普通学務局内に通俗教育・図書館および博物館・青年団体およびその他に関する事務をつかさどる新しい課を設け、次いで九年五月には、各地方庁学務課内に社会教育担当の主任吏員すなわち社会教育主事を特に任命するよう、各地方長官あてに通牒(ちょう)を発し、翌十年十月には、第一回社会教育主事協議会を開くまでになった。
十年六月二十三日文部省官制の改正の際、従来用いられていた通俗教育という語を改めて社会教育とした。ここにおいて社会教育の名称が行政上にも使用されることとなったのであるが、この名称の変更は単なる改正でなく、これを機として社会教育行政の整備につき積極的な方法がとられることとなったのである。続いて十三年十二月二十五日文部省分課規程に改正が行なわれた時に、普通学務局内に社会教育課を置き、その事務分掌として1)図書館および博物館に関すること、2)青少年団体および処女会に関すること、3)成人教育に関すること、4)特殊教育に関すること、5)民衆娯楽の改善に関すること、6)通俗図書認定に関すること等を定めた。この中央における新しい社会教育行政機構の設置に応じて、地方行政機構内にも社会教育を担当する主任官を置くこととなり、十四年十二月十四日地方社会教育職員制を定めた。それにより社会教育主事専任六〇人以内と社会教育主事補専任一一〇人以内を置くこととなり、中央・地方において社会教育行政機構が整備されてきた。\footnote{
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz198101/hpbz198101_2_102.html}
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戦前においては、学校教育もそうであるが、社会教育という分野は、とりわけ明確に、教育権の保障としての社会教育ではなく、国民を政治的に馴致する方法としての上からの教育であった側面が強かった。逆に、自発的な学習運動は、自由民権運動や労働組合と結びついた学習は、圧力がかかったのである。
その状況は戦後になって変化したといえる。憲法によって国民の学習権が保障され、教育基本法は以下のように規定した。
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第二条 (教育の方針) 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。
第七条 (社会教育) 家庭教育及び勤労の場所その他社会において行われる教育は、国及び地方公共団体によつて奨励されなければならない。
○2 国及び地方公共団体は、図書館、博物館、公民館等の施設の設置、学校の施設の利用その他適当な方法によつて教育の目的の実現に努めなければならない。
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教育を受ける権利が国民の基本的人権として認められ、そうした教育は「あらゆる機会、あらゆる場所」で行なわれる必要があり、社会教育に対して、国家は貢献することを規定したのである。そして、専門職としての社会教育主事という職種が置かれ、学習者の主体性を尊重しながら、専門的な見地から指導・助言を行なう体制となった。社会教育は、原則として、国家が国民を動員するための機関ではなく、国民が主体的に自由に学ぶ機会となったのである。しかし、それを活用するかどうかは、国民自身の問題であることは指摘しておこう。
さて、高度成長を経た1970年代から、社会教育の新興が政策的課題となってきた。ユネスコの政策の影響もあるが、やはり、日本が経済的に進歩し、技術革新が重要な中で、成人の学習が社会にとっても重要な意味をもつと認識されたからである。
1981年に中央教育審議会から出された「生涯教育について」の答申は、少年の社会教育から、成人はもちろん、高齢者の教育についても含む、総合的な生涯教育の提言であった。
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今日,変化の激しい社会にあって,人々は,自己の充実・啓発や生活の向上のため,適切かつ豊かな学習の機会を求めている。これらの学習は,各人が自発的意思に基づいて行うことを基本とするものであり,必要に応じ,自己に適した手段・方法は,これを自ら選んで,生涯を通じて行うものである。その意味では,これを生涯学習と呼ぶのがふさわしい。
この生涯学習のために,自ら学習する意欲と能力を養い,社会の様々な教育機能を相互の関連性を考慮しつつ総合的に整備・充実しようとするのが生涯教育の考え方である。言い換えれば,生涯教育とは,国民の一人一人が充実した人生を送ることを目指して生涯にわたって行う学習を助けるために,教育制度全体がその上に打ち立てられるべき基本的な理念である。
このような生涯教育の考え方は,ユネスコが提唱し,近年,国際的な大きな流れとして,多数の国々において広く合意を得つつある。また,OECDが,
義務教育終了後における就学の時期や方法を弾力的なものとし,生涯にわたって,教育を受けることと労働などの諸活動とを交互に行えるようにする,いわゆる“リカレント教育”を提唱したのも,この生涯教育の考え方によるものである。
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そして、生涯教育という言葉が、「生涯学習」というのがふさわしいされた。これは、当初文部省は、生涯教育という言葉を使用していたが、研究者や実践家からの批判があったためである。「教育」という言葉は、教師という上の者が下の生徒に教えるという色彩があるのに対して、大人は自発的に学ぶのであるから、たとえ講師を読んで教えてもらうということがあったとしても、主体性を示す「学習」という言葉がふさわしいという批判であった。文部省もそうした見解を受け入れ、その後生涯学習という言葉に統一されていく。
では、生涯学習においては、学校教育とどのような点が注意されねばならないのか。
学校教育においては、「教育の自由」や主体的学習が必要であるが、教師が教える必要がある内容を、子どもの希望にかかわらず教えねばならないことがあるが、生涯学習においては、少なくとも職場の研修などを除けば、学習者の「意思」によって、内容や方法を決めるのであり、社会教育主事のような専門職の指導者も、それを援助する立場であるという点である。「教育の自由」は、生涯学習においては、本質的な意味をもつ。
もっとも、専門職の関わりの場面で、いくつかの問題をもっている。
ある講演会をもつとき、誰を講師にするのか、誰が決めるか。実際の時事的な内容を扱う講演会では、特に、公的な施設を使用して行なう場合に、講師の人選で揉めることがある。時事的な問題を話す講師は、通常明確な政治的立場をもっているから、その政治的立場に反対する人々が、反対の圧力をかけることがある。
講師選定と報酬負担の問題がある。
最終更新:2008年09月06日 15:18