公立の義務教育学校については、市町村に学校設置義務がある。そして、設置した学校に関して、通学に関しては、
教育委員会に権限がある。
地方教育行政の組織及び運営に関する法律
第二十三条 教育委員会は、当該地方公共団体が処理する教育に関する事務で、次に掲げるものを管理し、及び執行する。
四 学齢生徒及び学齢児童の就学並びに生徒、児童及び幼児の入学、転学及び退学に関すること。
学校教育法施行令
(入学期日等の通知、学校の指定)
第五条 市町村の教育委員会は、就学予定者(法第十七条第一項 又は第二項 の規定により、翌学年の初めから
小学校、中学校、中等教育学校又は特別支援学校に就学させるべき者をいう。以下同じ。)で次に掲げる者について、その保護者に対し、翌学年の初めから二月前までに、小学校又は中学校の入学期日を通知しなければならない。
一 就学予定者のうち、視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者又は病弱者(身体虚弱者を含む。)で、その障害が、第二十二条の三の表に規定する程度のもの(以下「視覚障害者等」という。)以外の者
二 視覚障害者等のうち、市町村の教育委員会が、その者の障害の状態に照らして、当該市町村の設置する小学校又は中学校において適切な教育を受けることができる特別の事情があると認める者(以下「認定就学者」という。)
2 市町村の教育委員会は、当該市町村の設置する小学校又は中学校(法第七十一条 の規定により高等学校における教育と一貫した教育を施すもの(以下「併設型中学校」という。)を除く。以下この項、次条第七号、第六条の三、第六条の四、第七条、第八条、第十一条の二、第十二条第三項及び第十二条の二において同じ。)が二校以上ある場合においては、前項の通知において当該就学予定者の就学すべき小学校又は中学校を指定しなければならない。
3 前二項の規定は、第九条第一項の届出のあつた就学予定者については、適用しない。
この規定に基づいて、これまでの多くの地域では、学校毎の通学区域を教育委員会が定め、その地域に住む学齢児童及び生徒の通うべき学校を指定してきた。しかし、通学区域をめぐっては、これまで全国で様々な紛争が生じている。現在でも同様である。訴訟も数多く起きている。その代表的な事例を紹介しよう。
昭和50年、富山県中新川郡立山町教育委員会は、町立立山小学校の廃校を決めたところ、町民が廃校処分の取り消しを求める訴訟を起こした。続く51年に立山小学校通学の生徒を統合新設校である立山新小学校への転校を決め、旧立山小学校を施錠廃止した。その後住民は、就学指定の取り消しを求める訴えを起こした。
訴えの理由は、10キロの通学は、バス通学が保障されたとしても、教育条件を著しく低下させ、回復不能な損害を与えるというものだった。
しかし、富山地裁は、「電車やバス通学は広く行なわれており、教育水準の低下はあるとしても、回復不能なものではない」として、原告の訴えを退けた。しかし、控訴審では異なる判決であった。
この裁判で争われたのは、いくつかの論点がある。
第一に、教育委員会の通学校指定は絶対的なものであるのか、それはいかなる理由によるのか。
第二に、通学条件は教育条件となるが、その低下による不利益を、児童・生徒はどこまで甘受しなければならないのか。
第三に、教育委員会の義務教育学校設置義務は、どの程度の学校を設置する義務なのか。
第四に、こうした訴訟を提起できるのは、学齢児童・生徒をもつ親だけなのか、地域住民も含まれるのか。
原告の主張は、「教育委員会は、学習上の不利益がないように学校を適正配置する義務があり、通学条件の悪化で教育条件が低下する場合には、住民はその指定の変更を求める権利がある。また、学校は単に就学させている住民だけのものではなく、将来就学させる可能性がある親、また、学校は単に子どもだけのものではなく、住民も利用するから、住民もその適正配置についての権限をもつ」というものだろう。
教育委員会の見解は、「電車やバスで通学を保障すれば、回復不能な水準低下とはいえず、通学区の指定は教育委員会の法的な権限である」というものだろう。
教育委員会が通学区を指定できるのは、教育条件を「標準」を定めて一定にしてあるという前提があった。この限りで、文部省もまたその批判的立場にたつ人びとも同じ見解をもっていた。この標準規定は、校舎、学級編成、
教師の資格や人数等々の教育水準を規定する基準や標準の法令で規定され、教育行政によってこれはかなり厳格に実施されてきた。しかし、その中に「通学時間」や「通学条件」は明確な基準としては存在しなかった。(オランダでは、最低基準として4キロ以内に必ず一校あり、目標基準として2キロが設定されている。)この訴訟は、まさしく通学条件がいかなる教育条件であるのかが問われたといえる。
住民の訴訟については「訴えの利益」の法理によって退けたが、教育条件については、住民の訴えを基本的に認めた。
「抗告人らの児童がその居宅から統合小学校まで片道各9キロメートルないし10キロを通学のために往復しなければならず、旧小学校への通学距離より著しく増大することになる。立山当局は、通学用バスを用意する旨言明し、また、、徒歩と右バスによる以外に電車その他の交通手段がないわけではない。しかし、右廃校処分によって右児童らことに低学年児童らにとっての旧小学校への徒歩通学による居住地域の自然との接触、それについての理解、また、右抗告人らと右児童らにとっての旧小学校と家庭との親密感、近距離感等旧小学校への就学によって維持される人格形勢上、教育上の良き諸条件を失うこととなり、回復の困難な損害といわねばならない。」
「統合小学校への就学する場合、通学はバスによるにしても冬季豪雪時の遅刻、不参はさけがたいものであり、また、児童の緊急事態に際しての保護者とのれんらく、応急措置上の不都合、或いはバスによる交通事故の危険等がよそされ、これは一種の教育的条件の低下といべく、それが統合小学校への就学によってえられる諸々の利点を考慮しても、なお、回復の困難な損害といわねばならない。」「これらの損害を避けるけとが緊急の要するものであることもいうまでもない」『別冊ジュリスト 教育判例百選』p58-59
以上のように、かなり通学条件が教育条件を構成することを重視した判決であった。
学校統廃合は、現在でもさかんに行なわれており、ホームページには具体的な事例が多数掲載されている。ひとつには少子化によって、学校の人数が少なくなり、学校数が多いという現実もあり、また、市町村合併に伴っての学校統廃合もある。
通学区の問題では、区域外就学の問題もある。これは、学校選択制度が実施されるようになって、少なくなったが、学校選択制度を実施していない地域では、現在でも起こり得る問題である。
しかし、この点については、社会的背景が大きく変わってきた。戦後しばらくの間は、区域外就学は比較的自由に行なわれていた。いわゆる「越境入学」であり、戦前の名門を継承した一流高校に進学する数の多い中学、そして、その区域にある小学校への越境入学が1960年代まで続いた。その典型が番長小学校 → 麹町中学 → 日比谷高校というコースであった。麹町中学は3割程度が越境入学で占められたとさえ言われた。
しかし、受験競争が激しくなり、その弊害への批判が強くなるに従って、こうした越境入学を禁止する政策が実行された。その後東京では私立の中高一貫校の人気が高まった。 その後1980年代に入るまで、越境入学は厳しく制限されたが、
いじめによる自殺が増加するようになって、いじめから逃れるための転校(区域外就学)を認めるようになる。
そして、90年代に入り、アメリカの新自由主義的教育改革が日本でも導入されるようになり、その中で競争主義的な学校選択制度がいくつかの自治体で実施されるようになった。そこでは越境入学というという概念自体が消失する。そして、学校選択制度が実施されないところでも、少子化の影響で生徒の減少した自治体では、他の地域からの生徒の流入を歓迎する傾向も生じている。
さて、このような通学区指定制度の変遷があるにせよ、基本的に指定通学区が法的に存在しており、大部分の地域では、通う学校を指定されているために、その変更を求める保護者がいることも事実である。ここでは、多少古いが、区域外就学が争われた事例を取り上げる。
佐賀県に三日月町と小城町という隣合わせの町があり、三日月町の甘木・本告地区は小城町に隣接しているので、明治六年小城町に桜岡小学校が設置されて以来、ふたつの地区は隣町の小城町桜岡小学校に通学してきた。三日月町は相応の経費負担をしてきたという。桜岡小学校が改築を必要とするようになり、三日月町に負担を求めたところ、拒否。そして、小城町は、一方的に話し合いなしに、ふたつの地区の生徒の就学を拒否したので、訴訟になった。判決要旨は以下の通りである。
就学をめぐる法律関係は、公権力の行使を本質とするものであって対等な当事者間の法律関係ではない、区域外就学の承諾等の処分がなされる前においては特定の小学校への就学を求める具体的な権利があるわけではない、処分がなされた後に直截に救済を受ける手段(取り消し訴訟等)がある、等から実質的当事者訴訟の要件を具備しておらず、訴えの利益を欠き、不適法である。
予防的確認訴訟としても、区域外就学を認めるか否かは小城町教委が教育行政上の裁量権を行使して判断すべきものであり、本件確認の訴えによってその判断を拘束することは許されない、事前の救済を認めるべき緊急の必要性もなく、事後的な直截な救済手段があり、この手段によっては回復し難い重大な損害が生ずることも考えられない。
以上が判決要旨である。この事例自体は極めて特異なものであるが、紛争の性質としては共通の事例が日本の至るところで起こり得るものである。特に新興住宅地域では、新たな学校が設置されて、通学区域が変更になるときに、これまで通っていた学校に通えなくなる子どもが出てきて、地域のトラブルになることが少なくない。
そして、この判決は、様々な検討課題を提起してもいる。
第一に、就学をめぐる法律関係が「公権力の行使」であり、「対等な当事者間」の問題ではないとしている点である。しかし、実際には、対等であるかは別として、通学区域の変更の必要性が出てきたときには、教育委員会と住民が協議を行なう事例が多くなっている。また、学校選択が権利として認められるようになると、この法律関係は大きく変わることになる。就学の対象学校を決めるのが、教育委員会ではなく、親と子どもになるからである。
以下のような規定に基づいて、実際の変更はあり、それをゆるやかにした東京都足立区の動きから、「変更理由」を求めない変更措置としての学校選択制度が品川区から始まったのである。
第八条 市町村の教育委員会は、第五条第二項(第六条において準用する場合を含む。)の場合において、相当と認めるときは、保護者の申立により、その指定した小学校又は中学校を変更することができる。この場合においては、すみやかに、その保護者及び前条の通知をした小学校又は中学校の校長に対し、その旨を通知するとともに、新たに指定した小学校又は中学校の校長に対し、同条の通知をしなければならない。
つまり、現在においては、就学の法律関係は、必ずしも公権力の行使としての教委の裁量権に専ら属するものとしては、あまり運用されていない。
第二に、住民の権利が、訴訟があるのだから、という理由で制限されているが、実際にその訴訟で訴えを退けているという矛盾がある。
第三に在学関係に関する問題があるが、これは別の章で述べる。
最終更新:2008年10月14日 11:52