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 日本の経済力の秘密が、高い品質管理にあったことは、世界的な常識である。
 しかし、日本の教育がそうした品質管理と同様の性質をもっていることも、世界に知られるようになってきている。
 日本の子どもたちが、日々学んでいることは、全国どこに行っても、基本的に変りはない。だから、ある日突然転校しても、特別に個性的な学習を進めている学校でなければ、すぐにその学校に合せていくことができる。しかし、逆に個々の生徒の実態にあった個性的な教育をすることは、様々な抵抗にあうことになる。
 これは国が教育の国家基準として決めている「学習指導要領」によって実現されている。しかし、学習指導要領だけが、こうした画一的な教育内容を現実のものにしているのではない。学習指導要領による教科書検定、学習指導要領準拠と銘うっている学習参考書、時々おこなわれる教育委員会指導主事による授業観察、公立高校の入学試験などの、総体が全国的に同質の教育を生みだしているのである。
 1960年代に強権的に実施された「全国学力テスト」や、70年代以降の共通一次試験やその後の「新テスト」も、学習指導要領の影響力を強めている。 
 しかし、そのような意識が部分的にあることは間違いないだろうが、全体としてアメリカの教育が、日本に遅れているなどと、アメリカ人が考えているわけでは決してない。特に、アメリカの優秀な人材を育てる教育システムに関しては、日本よりはるかに優れていると彼等の多くは考えている。日本の学校のように、与えられた課題を正確にこなすことに、重点をおき、自ら課題を探る機会を与えない教育については、アメリカ人は極めて批判的である。これは受験勉強によって、日本の子どもが、振り回されているというような水準で考えるべきことではなく、勉強の質の問題なのである。日本や日本を手本(?)にしたというNIESはなお「競争システム」で教育を組織する政策をとっている。
 他方ヨ-ロッパは伝統的に、多様性を軸にする教育を発展させてきた。
 同質性の形成は、学力だけではなく、人間性や行動様式も対象になっている。この点では、校則が大きな役割を果たしている。
 校則はいくつかの側面をもっている。
1 行動規制によって、生徒に規律心(服従心)を養う。
2 服装規制などによって、生徒の精神状況を外面的に把握しようとする。
3 教師の美的感覚を満足させる。
 文部省も校則の過度の拘束性を批判するようになり、また様々な本で紹介されているが、多少極端な校則をあげておこう。これらはいずれも、文部省の指示以前のもので、現在は変化している可能性もある。)
 下校の際、やむを得ぬ用事で寄り道をする時は、先生の許可証をもらう。(京都)
授業中手をあげるときは、右手を斜に上にあげ、顔を先生にむける。(徳島)
下着は無地で白1色とする。
 道路で立ち止まったり、座ったり、しゃがんだりしない。(京都)
 この種の材料は無数にあると言ってよいだろう。
 指摘しておきたいことは、ふたつある。
 第1に、教師もまたこのような規則によって、縛られていることである。
 千葉県のある小学校長が、新任教師の研修用指導書として書いた文書に、次ぎのような指示がある。
 教師の1日
 1 起床
  ・登校までの余裕をもって起床
  ・布団をたたむ
 2 洗面
  ・髪をとかす
  ・ひげをそる
  (昨日のつかれが顔にでないように配慮する)
 3 服装
  ・清爽なもの、季節と気温を考えて
 4 忘れ物の確認
  ・教科書、資料、書類
 5 食事
  ・かならずとるように(ラーメンのみにならないこと)
     (中略)
28 退校
  ・学年主任に挨拶「おさきに失礼しますが、何かございますか」
  ・校長、教頭に挨拶「おさきに失礼します」堂々と、1日の勤務を
   終えた喜びを表情に
ここには全校集会のきまりがある。
 1 月曜日の全校集会
   ベルの合図で敏速に指揮台の方向に向いて気をつけの姿勢をとる。
    ・ベルは七秒
 新任の教師はこのようなことを、充分に修得してこないので、仕方ないのだ、と校長は言うのかも知れない。しかし、先のような「校則」で教育によってそだった教師たちなのではないだろうか。もし、この新任教師の研修事項が必要なものであるのなら、彼等を育てた校則の教育の無力さを表している。
 実際、校則は生徒に実はあまり自覚されていないのである。これが第2の点である。
 次の表は、私の卒論の学生が、アルバイトをしている塾で、実際の校則の数と、生徒が理解している校則の数に関して、中学生にアンケートをとったことがあるが、校則の数について、実際と認識が大きくずれていたことを実証したことがある。子どもたちが実際には校則を、きちんと理解していないことを示している。実際に生徒に自覚されていない規則は、実質的には規則ではない。残念なことに、このアンケートは教師に対しても、行いたい気がする。というのは、生徒に自覚されていないことと裏はらの関係で、同じ校則でも教師によって指導が異なることも、よく指摘されるからである。
 ところが、国家的品質管理は、中学入試という例外がある。
 この特性が最も強く現れているのは、中学入試だろう。
 高校入試のように、ほぼ全員が参加する場合には、学習指導要領が大きな支配力をもっている。そのために、入試制度は学校教育の内容を、強力に統制する社会的手段になている。ところが、中学入試のように、義務教育の期間内で、しかも希望者だけが参加する場合、学習指導要領は全く意味をもっていません。文部省は学習指導要領内で出題するようにと指導しているようだが、それは実行されないだろう。
 同質性の形成は、国際化時代においても、教育の目的になるだろうか。
ほとんどの人は、同じ仲間とともに生活することを望むのであって、異文化と積極的に交流したという人は、少数派である。
最終更新:2007年09月25日 20:21