障害児の教育は、教育を受ける権利において、特別な意味をもっている。
第一に、歴史的に障害児は
義務教育の対象から除外されることが多かったし、また、現在の日本の法令上も、重篤な障害を抱えている場合、義務教育が免除されることになっている。学校教育法が次のように規定する通りである。
第二十三条 前条の規定によつて、保護者が就学させなければならない子女(以下学齢児童と称する。)で、病弱、発育不完全その他やむを得ない事由のため、就学困難と認められる者の保護者に対しては、市町村の
教育委員会は、文部科学大臣の定める規程により、前条第一項に規定する義務を猶予又は免除することができる。
しかし、実際にこの規定で免除を受けることを親は欲しない場合がほとんどであるから、国はそうした子どもに対しても教育を受ける権利を充足させることができるように、特別支援学校や学級を設立する義務がある。国に対しては1979年に例外なく養護学校設立の義務を課した。
さて、2007年から「特別支援教育」に名称が変わったが、障害をもった子どもへの教育の課題が変わったわけではない。それはかなり複雑な構造をもっている。それを整理しておこう。
第一に、障害者と雖も、誰もがもっている「社会に出たときに生きていくために必要な諸能力」を形成する必要がある。つまり普遍的な課題である。しかし、他方、健常者にはない特別な配慮が必要な教育課題が存在する。その普遍性と特殊性・固有性をどのようにバランスをとるのかという課題である。社会に出たときには、通常の人たちと一緒に生きていく必要があるのだから、何よりも普通の子どもたちと一緒に学ぶことが大事であるという考え方も立場がある。かなり重篤な身体的・知的障害をかかえながら、普通学校の普通学級に通わせる親が存在する。しかし、他方で、障害があれば障害を乗り越えるための特別な配慮をもった教育が必要であることも事実である。健常者と同じ授業では理解できなくても、特別な配慮を加えた授業を受けることができれば、健常者と同じか、それに劣らないレベルに達することもあるだろう。その場合には、健常者と離れた場での教育が前提となる。そうすると、ある意味隔離された空間での教育になってしまう。もちろん、それを両立させることは可能であるが、どちらかをまったく犠牲にすることなく、両立させることは、常識的に不可能であろう。
第二に、普通学級の中に障害児が入ってきたときに生じる特別な事態に対して、教師や生徒がどのような態度をとるかによって、そこで営まれる教育活動はかなり異なってくる。「腐った蜜柑の方程式」という言葉が一時はやったことがあるが、それは排除の感情といえる。排除ではなく、協調が生まれるためには、どのような価値観や感覚が必要なのか。それは自然発生的に生まれるものではないだろう。
アメリカの人気テレビドラマに「ザ・プラクティス~ボストン弁護士ファイル」という番組がある。その中にトゥーレット症候群の生徒が公立学校を退学させられ、その無効を訴える訴訟が描かれている。この病気は、発作が起きるもので、発作は奇声が思わず出てしまうのと、体が自然に動いてしまうものである。手がボクシング選手のような動きをしたり、思わず立ち上がったりする。発作を意識して抑えようとすると、かえってひどくなるという。学校側は、他の生徒たちの迷惑なる、授業の秩序を保つことができないという理由で退学にしたわけである。このような事例はどのように考えるか。
「教育権」とは、このように実に複雑で困難な側面をもっているのである。
旭川特殊学級訴訟を詳しく見てみよう。
1 原告は昭和54年2月に生まれたが、出生児に脊髄損傷を受け、胸部から下の肢体不自由者となり、1級の障害者に認定された。
2 原告の両親は原告が
小学校に入学する際、原告の成長のためには健常児と一緒に教育を受けることが望ましいと考え、市教委と協議を重ねて、昭和60年家族の付き添いがあることを条件にして、普通学級に入学した。しかし、その後、原告の家庭の事情で付き添いが困難になり、2年生から5年生まで自宅で週2日、1日2時間の養護学校による訪問教育を受けた。
しかし、原告及びその両親は、原告が小学校の普通学級で学習することが望ましいとの強い意向をもち続けていたため、両親が市教委と協議し、最終的に市教委が小学校に肢体不自由児の特殊学級を設置し、原告をそこに入級させた上で、普通学級との交流を図ることとされた。そこで原告は平成2年5月1日から小学校への通学を再開し、普通学級との交流は、国語・理科・者・音楽の4教科について、3つの普通学級と交流する形がとられた。
3 原告の両親は、原告の中学入学に際して、原告自身が普通学級において学習したいとの強い希望を持ち、両親も同様の希望をもっていたため、平成2年10月市教委に中学では普通学級で学習させたい旨申し入れた。11月の就学指導委員会による就学指導相談においても同様の申し入れを行った。
しかし、担当者は原告の肢体障害つき、手指にまひがあり、巧緻性に欠け、筋力、体力ともに弱いことから、原告のために普通学級はまだ無理と思われ、中学校においても特殊学級に在籍させての指導が必要と思われる旨の報告書を作成した。
4 同年12月就学指導委員会が開催され、原告の就学について、原告が学業面では、前期報告書の記載の障害の状況から、特別な教育、介助による援助が必要であり、生活面でも身体の休養や排泄処理のための特別な場所が必要である等の理由から、学校教育法施行令22条の2で定める肢体不自由者に該当し、就学すべき学校は養護学校が適当であると判断した。もっともあわせて原告の小学校での就学状況や、両親等の原告を中学校で就学させたいとの強い希望を受けて、教育的配慮から中学校の特殊学級での就学も検討すべきであるとも判断した。(なお、この委員会メンバーは20名であったが、医者は含まれていなかった。)
5 20日、原告の両親と市教委の話し合いがもたれ、市教委は、中学の教職員の同意の上で、中学に特殊学級を設置し、原告を特殊学級で学習させることが望ましい旨回答した。
6 原告の両親は平成3年1月30日ころ、市教委から原告の中学の指定を受けたあと、2月21日、市教委との話し合いを行い、その際、市教委の担当者は、「原告を特殊学級に所属させた上、普通学級との交流をするという形態が望ましい旨回答する一方、市教委は両親の同意なしには、道教委への特殊学級設置認可申請はしない旨発言した。」
しかし、市教委としては、1月末には原告が特殊学級に入級することを念頭に置いた上、中学に特殊学級を設置することを内部的に決定していた。
7 原告の両親及びその支援者らは、3月4日ころ、市教委の教育長及び校長宛に、原告を普通学級に所属させてほしい旨の要望書を提出した上、同日校長との話し合いがもたれた。校長は中学の現状では、原告を特殊学級に所属させた上での普通学級との交流する形態しかできない旨回答する一方、誰か責任の取れる者が原告の介助につけば原告を普通学級に所属させることも可能である旨、また、原告の所属学級を決定する権限は市教委にある旨発言した。
8 6日、原告の両親は、市教委との話し合いをもち、市教委は、「原告は特殊学級に所属することが望ましいと回答しながら、最終的な結論はまだだしていないとして、要望書に対する最終回答を留保するとともに、原告の所属学級を決定する権限は市教委にある旨明言した上、再度、原告の両親の意向を無視して、特殊学級設置認可申請はしない旨発言した。」
9 同月22日、原告の両親と支援者と市教委の話し合いがもたれ、同じような内容が話された。
10 市教委はこれより先、3月1日に、公立小学校及び中学校の平成3年度学級編成の認可申請を行い、15日道教委は認可し、22日に交付を受けていた。その中に特殊学級1クラスが含まれていた。
11 28日の話し合いでも両親の同意なしの特殊学級認可申請はしない旨発言していた。
12 4月9日、校長は中学での職員会議での協議を踏まえ、原告を特殊学級に入級させる旨の処分をした。
13 9日に中学の入学式が行われたが、そこに特殊学級があることに不審をいだいた原告の両親が、市教委に電話で問い合わせをしたところ、「正式に特殊学級認可申請はしていない」旨の回答をした。12日に支援者が問い合わせをしたときには、10日付けで認可申請をした旨回答した。
14 4月26日の両親と市教委との話し合いで、初めて認可申請に関する事実を市教委は告知した。
以上の経緯に不満をもち、特殊学級への入級を撤回させるために、訴訟を起こしたのがこの訴訟である。
この事例は多岐にわたる検討事項があるが、最大の問題は特殊学級に入れるか、普通学級に入れるかを最終的に決定する権限、権利は誰にあるのかという点である。
なお文中にある学校教育法施行令の22条2はたぶん22条3の間違いであると思われるので、22条3をあげておく。
第二十二条の三 盲学校、聾学校又は養護学校に就学させるべき盲者、聾者又は知的障害者、肢体不自由者若しくは病弱者の心身の故障の程度は、次の表に掲げるとおりとする。
区分 心身の故障の程度
盲者 両眼の視力がおおむね〇・三未満のもの又は視力以外の視機能障害が高度のものの うち、拡大鏡等の使用によつても通常の文字、図形等の視覚による認識が不可能又 は著しく困難な程度のもの
聾者 両耳の聴力レベルがおおむね六〇デシベル以上のもののうち、補聴器等の使用によ つても通常の話声を解することが不可能又は著しく困難な程度のもの
知的障害者
一 知的発達の遅滞があり、他人との意思疎通が困難で日常生活を営むのに頻繁に 援助を必要とする程度のもの
二 知的発達の遅滞の程度が前号に掲げる程度に達しないもののうち、社会生活へ の適応が著しく困難なもの
肢体不自由者
一 肢体不自由の状態が補装具の使用によつても歩行、筆記等日常生活における基 本的な動作が不可能又は困難な程度のもの
二 肢体不自由の状態が前号に掲げる程度に達しないもののうち、常時の医学的観 察指導を必要とする程度のもの
病弱者
一 慢性の呼吸器疾患、腎臓疾患及び神経疾患、悪性新生物その他の疾患の状態が 継続して医療又は生活規制を必要とする程度のもの
二 身体虚弱の状態が継続して生活規制を必要とする程度のもの
スタジーウェーバー症候群の場合
Aは生まれたとき、顔の右側に赤いあざがあり、それはスタージウェーバー症候群の可能性を示す特徴であったが、担当の医師はそれを知らず、見逃してしまった。そして、生後2カ月たったとき、夜中にけいれんの発作を起こし、顔が紫色になってミルクを吐き、更に1カ月後2回目の発作が起きて病院に行き、更に専門の病院での検査により、スタージウェーバー症候群と判定された。脳の神経細胞に血管腫ができたり、石灰化して、神経細胞の成長が阻害される病気である。
Aは市の就学全肢体不自由児訓練施設に入園したが、両親は地域の中での生活を希望し、幼稚園・小学校ともに養護施設ではなく、普通学級を希望した。地域の賛同する人々と会を結成して運動し、「保護者同伴」という条件で小学校への入学が許可された。
最終更新:2008年08月03日 22:02