第9話「復讐者達《ゴーストシーカー》」
どこかの心理学者が言っていた。
「やった後悔よりもやらなかった後悔の方が大きい。」と――――
あの時・・・
なぜ、泣いている彼女に手を差し伸べなかったのだろうか
理不尽な形で愛する者を失い、復讐することも出来ず、ただ泣きじゃくる彼女を見て、
なぜ、「そっとしておいた方がいい」なんて思ってしまったのか・・・
きっと、俺は恐かったんだ。
差し伸べた手が彼女に拒絶されるのを・・・
対象を見失った怒りの矛先が自分に向けられるのを・・・
拒絶されてでもいいから、差し伸べるべきだった。
あの時、あそこで勇気を出していたならば、未来は変わっていたかもしれない。
あれほどまでに自分の臆病を恨んだことはない。
―――待っててくれ。ミランダ。俺はお前を過去(
イルミナティ)から解放する。―――
この誓いは彼女を助けるため。
そして、臆病な自分が唯一できる贖罪。
* * *
第十三学区
広大な芝生の広場とその一角に巨大遊具がある自然公園。
子どもたちが巨大遊具で遊び、その傍らでミランダは再び子どもたちの遊ぶ姿を眺めていた。
警備員が来たのには心底緊張した彼女だったが、向こうに自分の面が割れておらず、彼らが立ち去ったことでひとまず安堵する。一旦離れて増援を要請し、自分を包囲する可能性も捨てきれないが、今のところ、その気配は無い。
(天地開闢・・・尼乃はこの計画が全ての強欲に終止符を打つと言っていた。強欲に終止符を打つ・・・それはおそらく、強欲が満たされるか、それとも強欲を奪われるか。)
ミランダは天地開闢の一部の準備をする一方で尼乃が何をしようとしているのか、それについて調べていた。おそらく、ミランダ以外の幹部も尼乃がやろうとしていることを探っているだろう。計画に参加した幹部たちは天地開闢の詳細を一切知られておらず、それについて知っているのは発案者の昂焚と
双鴉道化のみだ。
下準備をする幹部にも詳細が伝えられない計画にどうして6人もの幹部が参加したのか。その最大の要因が双鴉道化だ。彼は計画がイルミナティや参加した幹部のデメリットにならないことを保障したのだ。双鴉道化は隠し事はするものの、決して嘘をつかない。それはイルミナティの誰もが認識していることであり、10年以上イルミナティの幹部をやっているヴィルジールも彼が嘘を吐いたところを見たことが無いと言っている。“あの”ヴィルジールがだ。それに彼は嘘を吐く必要が無い。既に仮面とマントで自分の姿を偽り続けている彼にこれ以上の嘘など必要ないのだ。
そしてもう一つ、参加した幹部たちには天地開闢とは別の目的を持って学園都市を訪れていた。天地開闢はむしろ“ついで”であり、その“ついで”をこなすことを条件に双鴉道化が学園都市への安全な侵入ルートを確保し、更に内部で活動できるように偽装IDまで用意した。どんな手品を使ったか知らないが、ここまでの待遇が揃った状態で学園都市に入り込む機会はそうないだろう。そうして、学園都市に目的を持つ幹部たちはここに集ったのだ。
(
科学サイドの総本山である学園都市・・・、もしここが陥落すれば、世界の魔術と科学のバランスは大きく崩れる。そうすれば、一気に
魔術サイドの強硬派は科学の駆逐に奔る。その後は穏健派との内部分裂、科学という共通の敵がいなくなったことで魔術側に燻っていた戦争の火種は一気に爆発する。世界は、芋づるのようにずるずると戦争に戦争を繰り返す歴史に包まれることになる。)
念願だった世界の破壊、その実現は他の幹部の強欲とは相反するものだが、ミランダにとって他人の強欲などどうでも良かった。
“己が強欲が第一”
それがイルミナティにおける鉄則だ。いや、わざわざ鉄則などと決めなくても欲深い人間とは根本的にこうなのだ。「強欲の思想のみが唯一神として崇めるられる対象」という理念の歪な組織に統率や協力などない。求める者が同じならば手に入れるまでの過程では協力し、いざ目的の物が手に入ると仲間同士で殺し合う。そんなことが日常茶飯事だ。むしろ今回のように協力体制を取っている方が異常だ。
戦火に包まれる世界を想像し、ミランダは思わず笑みを零す。
(もうすぐだ!もうすぐ、この世界のパワーバランスは崩れ、世界は戦火に包まれる!私からあの人を奪ったからこうなったんだ!今更後悔しても遅い!)
あまりに興奮しすぎて、その狂気が表情に浮かび上がる。だが、すぐに彼女の顔から狂気の笑みが消えた。
「隠れてないで、出てきたらどうだ?」
隠そうとしても隠しきれない並々ならぬ殺気、それがミランダに敵の存在を知らせる。それと同時に遊具で遊んでいたはずの子どもたちも何かを悟ったかのようにミランダから離れて行く。人払いの術式を使った時によく起こる現象だ。
「よく俺のことが分かったなぁ。ちゃんと隠れていたつもりなんだけど・・・」
「そんな尋常じゃない殺気を向けられたら、誰だって気付く。」
公園の敷地内にある森林の中から彼は姿を現した。
姉の仇である
ディアス=マクスター、引いてはイルミナティそのものを憎む男の姿がそこにあった。穏和な表情とそれでは隠しきれない異様なまでの殺意、それはミランダの精神を緊張と恐怖という形で縛りつける。
「それで、私にどんな用だ?香ヶ瀬輝一。」
「何で俺の名前を知っているんだ?
ミランダ=ベネット。」
「双鴉道化が教えてくれた。うちのボスはお前のことを相当気に入っているようだ。」
「へぇ・・・。そりゃあ、屈辱だな。」
「ところで、何でお前は私の名前を知っているんだ?」
それを聞いた香ヶ瀬は「ふふっ」を鼻で笑った。
「当たり前だよ。自分が殺す人間の名前ぐらい、きっちりと覚えておきたいからね。」
香ヶ瀬の背後から現れた灼熱の流星群。それらが一気にミランダへと向かって“落下”する。
ズガガガガガガガガガガガガガガガガガァァァァァァァァァァァン!!!!!
圧倒的な数と質量を持った流星群によって、公園は跡形も無く吹き飛ばされる。ミランダが座っていたベンチも、さっきまで子どもたちが遊んでいた遊具も紙細工のように消し飛んでいった。地面の土が噴水のように上空へ舞い上がり、土埃が舞う。
(ちっ。張り切りすぎたか。自分で視界を潰すなんて、アホみたいだ。)
香ヶ瀬は槍を構え、音と空気の流れに極力神経を研ぎ澄ませる。
(相手はイルミナティ幹部だ。不意打ちと言えど、“この程度”の攻撃でやられる奴じゃない。・・・いや、そうでなくては困る。もっと痛めつけて、嬲り殺しにして、ディアス=マクスターの位置を吐かせた後に断末魔を聞いてやる。)
ビュゥゥゥゥン!!
突如、舞い上がる土埃を押しのけて1本の矢が香ヶ瀬に飛来する。
その一瞬を空気の流れの変化だけで予知した香ヶ瀬はギリギリのところで槍を使って軌道を逸らした。矢が起こすソニックブームで視界が晴れ、矢の発射点からは白馬に跨り、弓矢を構える白騎士の姿があった。
(あれがあいつの魔術か!)
すかさず、香ヶ瀬は白騎士(ミランダ)に星辰で作り上げた隕石群をぶつける。しかし、隕石群が地面に衝突した音が聞こえない。前より数は少ないとはいえ、十分に地面を抉るレベルの質量攻撃だ。相手が避けるにしろ防ぐにしろ、何かしらの音(リアクション)が起きるはずだ。
「!?」
ミランダの数メートル前で停止した隕石群は鏡に反射されたかのようにそっくりそのまま香ヶ瀬に返って来た。
「くそっ!!」
香ヶ瀬はすかさず星辰で隕石を作り上げ、ぶつけて相殺する。砕かれた隕石が大量の小石となって周囲に飛び散り、香ヶ瀬の身体を痛めつける。そして、それと同時に再び彼の視界を塞いだ。
ミランダは彼の隙を見逃さなかった。飛び交う小石を鎧で跳ね返し、馬に跨って疾走する。白色の鎧と白馬は青色に代わり、得物も弓矢から大鎌に代わる。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
疾走する馬に跨り、その速度に任せて騎兵の如く大鎌が振り降ろされる。位置とタイミングは完璧だった。確実に首を斬り落とすことが出来る。そう思っていた。
しかし、ミランダの腕に衝撃が走る。握っていた大鎌は突如粉砕され、残った刃で香ヶ瀬の頬に軽く傷をつけるだけだった。
(今の攻撃・・・・まさか。)
ミランダは大鎌を砕いた攻撃に見覚えがあった。そして、それを確かめさせてくれるかのように突風が吹き荒れて周囲の土埃が取り払われる。視界は完全にクリアになった。
公園は原型を留めておらず、大小様々なクレーターが出来上がっていた。その光景はミランダに香ヶ瀬に自分らの戦いがどれほど凄まじいものだったかを確認させる。そして2人の決着に水を刺した男が少し離れた場所から歩み寄ってきた。
「フィンの一撃・・・・久しぶりね。セス。」
「ミランダ。君に人殺しはさせない。」
人に指をさすことで体調を崩させる簡易な呪い、それに高濃度の魔力を込めることで物理的破壊を可能としたフィンの一撃を構えるセス。人差し指をミランダに向け、ゆっくりと彼女に歩み寄る。
その隙に香ヶ瀬は槍を握ろうとしたが、背後から近づいた者に足を引っかけられ、地面に組伏せられる。
「けっこうド派手な戦い方をするから、足元がお留守だよ。」
セスと共に駆け付けたマチは香ヶ瀬をうつ伏せに倒し、彼の右腕を足で踏みつけ、左腕を締め上げる。香ヶ瀬はマチに抵抗するが、完全に腕を封じられている中では悪足掻きでしか無かった。
(こうなったら!!)
香ヶ瀬の掌に生成されたソフトボール大の球体、それがスタングレネードのように眩い閃光を放ち、セス、マチ、ミランダの視界を真っ白に潰す。白昼に堂々と放たれた「まつろはぬ太白」の光は香ヶ瀬の目だけは潰さず、彼にクリアな視界を与えた。
光が失われ、3人の視力が戻った頃、マチが押さえていたはずの香ヶ瀬は姿を消していた。
「あれっ!?・・・ごめん。セス。逃がしちゃったみたい。」
マチが気楽そうに報告するが、その言葉はセスの耳には届いていなかった。彼の全神経はミランダに向けられている。
「こうして話し合えるとは思わなかった。」
「ああ、そうだろうな。けど、俺はいつかこうなると思ってた。いや、“こうする”ために
必要悪の教会に入って、イルミナティを追ってきた。」
あの時とは違う。もう臆病な自分じゃない。今度はちゃんと手を差し伸べて、ミランダを救う。そう決意して、その決意を果たす時が来たのだ。青春を費やしてでも叶えかった望みが、取り戻したかった過去が、目の前にあるのだ。
セスはフィンの一撃を放つ為の人差し指を降ろし、ミランダの目の前まで歩み寄った。
「ミランダ。復讐はもうとっくの昔に終わっているんだ。もう亡霊に囚われなくていい。イルミナティ(あっち)に居続ける理由は無いんだ。だから、あの頃に戻ろう。また、一緒に―――――――
差し伸べた手は弾かれた。
「え・・・・・?」
「勘違いするな。私の復讐はまだ終わっていない。確かにあの人を殺した男を私は殺した。あの死に様をお前にも見せたかったなぁ。あの男は惨めに泣き叫んで、命乞いをして、親は『金ならいくらでもやる!』と縋りついて来た。けど、殺した。目の前で母を殺して、父を殺して、絶望のどん底に突き落としたところで『飽きたからお前は生かしてやる。』と言って、生きる希望を持たせたところで惨殺してやった。」
「ミラ・・・・ンダ?」
「けど、殺しても殺しても私の心は晴れない!あの人も戻って来ない!結局、何も変わらない!きっと・・・復讐する相手を間違えたんだ。私が復讐すべきなのは“あの程度”の野郎じゃない。私にあの運命を押し付けた世界だ!」
「違う。違うんだ・・・ミランダ。復讐をしたって何の解決にもならない。そんなのは八つ当たりだ。世界を滅ぼしても――――――――
「何もしなかったお前が言うな!!!!」
「!!」
「セス。私はもう復讐を解決方法だなんて思っていない。これは自己満足だ。止める理由も術も私しか持っていない。これが私の強欲だ。」
「そん・・・な・・・」
絶望し、放心するセスは膝から崩れ、地面に手を付く。差し伸べた手を拒絶され、過去の臆病を叱責された。そして、もう彼にミランダを止める術は無い。セスの心を追い詰める最悪の事態だった。
セスに背を向け、ミランダは歩き始めた。セスとの完全なる決別の意思表示だ。
「この私がそう簡単に逃がすわけないでしょ!」
比類なき死闘を望む者(luctantur241)!!
自らの魔法名を解放し、螺旋の腕を露にする。それと同時に霊装は腕から長槍へと姿を変える。義手を構成する金属が液体かスライムのように柔軟だった。
“螺旋の腕 長槍形態”
鋭利な穂先を持つ巨大な槍、義手形体時に比べて一回りほど巨大化した上に、中心の巨大な槍を囲むように多関節的な八つの小さな槍も現れ、合計で九つの槍になる。
隻腕の騎士、サー・ベディヴィアの「ベディヴィアの槍の一突きが他の九突きに匹敵する。」という伝承を曲解して作り上げたものだ。
「貫け!!」
多関節の8つの槍が自動制御でミランダへと襲いかかる。その攻撃手段はかつて自分が相手にした
尼乃昂焚の都牟刈大刀を彷彿させる。と言うより、それを参考にして追加した機能だ。
しかし、貫かれたのは自分の方だった。
ガスン!という鈍い音と共にマチの螺旋の腕に捻じれた木の槍が突き刺さる。
数本の細い捻じれた木を螺旋状に編み込み、先端が鋭くとがっている槍だ。
「な・・・!?」
すると木の槍が分解し、蔓の様にマチの霊装に巻き付く。木々は締め付けるように霊装に巻き付く。しかし、義手であるが故にマチに締め付けられる痛みは来ない。
(この程度の攻撃―――――――!?)
しかし、マチに脱力感と疲労感が襲う。
(なに・・・これ・・・木に魔力が吸い取られて―――――)
圧倒的な吸収力によってマチの魔力が吸い取られていく。螺旋の腕は長槍形態を維持できずに元の腕に戻る。生命力も無理矢理魔力に変換させられ、義手に巻き付く木に吸い尽くされる。
次第に視界はぼやけ、立つことすら出来なくなり、膝から崩れ落ちた。
「待ち・・・・なさ・・・・」
地を這う視界に移るミランダの背中に必死に手を伸ばすが、決して届かない。ついには生命維持の限界まで力を吸われてマチは昏倒した。
* * *
第五学区の未開発ブロック。武装派スキルアウト軍隊蟻のテリトリーの中にあるアジトの入口前、そこで館川迫華、
煙草狼棺、
ユマ・ヴェンチェス・バルムブロジオ、仰羽智暁の4名は怒れる女王蟻こと
樫閑恋嬢と彼女が率いる軍隊蟻の武装部隊に囲まれ、大量の銃口を突きつけられていた。全ての弾丸が放たれたら、全員、蜂の巣どころか肉片レベルにまで砕け散る物量だ。
だが――――――――
「さっさと男に媚びたその身体でベッドの上の運動会でもして来いや!そんで競市のマグロみたいに涎垂らしてヒィヒィ言いやがれ!」
「はぁ!?逆だろうが!逆!私が昂焚をヒィヒィ言わせるんだよ!」
「さっすが!お姉様!身体と同じように脳味噌も淫乱でドピンクなんですねえ!」
「じゃあ、お前の脳味噌は何色だよ!?青か!?緑か!?ああ!そうか!腐っているから黒なんだな!」
「腐ってませんしー!腐ってたら会話なんて出来ませんしー!」
「じゃあ、調べてみようか!お前の頭蓋骨カチ割って脳味噌を取り出してみようか!」
こんな状況の中でも終わらない口喧嘩を続ける迫華とユマ。その傍らで狼棺は頭を抱え、智暁は銃口にビビり、迫華とユマの口喧嘩にビビっていた。
そんな終わらない口喧嘩に終止符を打つ為に樫閑が口を開いた。
「ねぇ・・・そろそろ終わりにしたらどうかしら?」
「「女には絶対に負けられない戦いがある!」」
(お前ら!絶対に生き別れの姉妹か何かだろ!!)
2人の寸分違わぬ息の合った返答に狼棺は思わず心の中でツッコミを入れる。
ズドン!!
迫華とユマの間を一発の弾丸が通り抜け、2人の背後の壁へとめり込んだ。樫閑が構える典型銃器の銃口から出る硝煙で2人は何が起きたのかを悟った。
「それじゃあ、まるで私が女の子じゃない言い方ね。」
「え・・・えっと、お嬢。今のセリフはそういう意味ではなく・・・」
ガタガタと震えながら迫華は必死の弁解をする。全身がガタガタと震え、膝も笑っている。
そして、ユマも状況に気付き、周囲を見渡す。至る所にこちらに銃口を向ける者たちがいる。武装も銃の構え方も故郷のギャングとは大違いだ。あの時、昂焚と共に原本を取り戻したあの日に出会った傭兵部隊のそれに近い。
(もう引き金《トリガー》に指をかけてやがる。氷陣を展開してもその前にハチの巣になるのがオチか。)
ユマはそっとイツラコリウキの氷槍を地面に置き、そっと両手を挙げた。
「降参だ。降参。こんな奴ら相手に勝てるわけ無ぇよ。」
「そう。物分かりの良い人で助かったわ。で、煙草。どういうことか説明して欲しいわね。」
ギロリとした鋭い視線が狼棺に向けられる。その威圧感はおおよそ女子高生が出せるようなものではなく、完全に裏社会、闇夜を生きた者の目だった。軍隊蟻のリーダーとしての威厳がその視線だけで遺憾なく発揮される。
「え~っと、全部話すと長くなるが、とりあえず結論から言うと――――」
狼棺は自分が知っている全てを簡潔に話した。
ブラックウィザードの集会と界刺を潰した犯人が彼女であること、彼女の目的が人探しであること、全てを曲げる冷気が槍を起点に出していること、そして自分を人質にして軍隊蟻に協力させようとしたこと。
「・・・と言われても俄かに信じられないんだけど、何か証拠でもあるのかしら?」
「本人がそう自白してるし、あと物体を曲げる冷気って奴を俺はこの目で見た。」
「そう。じゃあ、あなたを信用しても良いのね。」
「ああ。良いぜ。嘘なんて吐いたら、バレた後が怖いからな。」
狼棺のその言葉を聞くと、樫閑は典型銃器を降ろし、迫華とユマに向かって歩み寄ってきた。
「おいおい!危ねえぜ!お嬢!いくら槍を手放したからって・・・」
狼棺が警告するが、樫閑は気にせずユマに近付いた。
「あんたがこの組織のリーダーか。」
「ええ。軍隊蟻リーダー代理の樫閑恋嬢よ。あなたは?」
「ユマ・ヴェンチェス・バルムブロジオ。ユマでいい。」
「そう。じゃあ、こんなところで立ち話もあれだから、中に入らないかしら?お茶ぐらいは出すわよ。但し、槍と荷物はこちらで預からせてもらうわ。」
「どうせ、Noなんて選択肢は無いんだろ?」
軍隊蟻のアジトにある応接室。テーブルを挟んだソファーに樫閑と狼棺、ユマと智暁が向かって座る。応接室は建物の外観からは考えられないほど整理整頓され、隅々まで掃除が行き届いている。
“義を以って筋を通し、筋を通せぬことを生涯の恥とせよ。”
そう大きく書かれた掛け軸が応接室の雰囲気を一気に厳格なものへと変える。
「・・・なるほど。あなたは尼乃昂焚を探してこの学園都市に侵入し、たまたまブラックウィザード残党に襲われそうになっていた仰羽智暁を冷気の能力で救出した。
界刺得世は不幸にもその冷気の巻き添えになった。ってことで良いのかしら?」
「だから、さっきからそう言ってるだろ。丸腰で敵地のど真ん中なのにどうやって嘘を吐けって言うんだ?」
「それもそうね。粗暴な態度の割には物分かりが良いじゃない。教養もあると見える。」
「まぁ、学校には一度も通ったことは無いけどな。」
樫閑がユマを応接室に連れてきた理由。それは時間稼ぎだ。狼棺の言う通り、冷気が槍から出るものだとすれば、冷気の方に何か仕組みがあるはずだ。残党とはいえ、数十人はいたはずのメンバーを全員複雑骨折で倒し、その“ついで”に界刺を潰した。樫閑は界刺のことを高く評価している。それ故に彼を“ついで”に倒すほど強力な兵器である槍、それに関わる技術が欲しかったのだ。
現在、ユマは槍を手放し、それを取り戻せる状況では無い。その間に軍隊蟻との裏取引の常連である研究所に槍を解析させる。樫閑はユマの意識をなるべく槍から離す為にどうでもいい他愛の無い話をしてでも時間を稼ぎたかった。
「ところで、あなたの能力。学園都市ではあまり見られないタイプの能力ね。」
「まぁ、そもそも超能力じゃないしな。」
「「「!?」」」
ユマの発言に対し、樫閑、狼棺、智暁は驚愕する。超能力が学園都市だけのものとは考えていない。自然発生する能力者「原石」などの例があるし、そもそも超能力と言う概念は学園都市が出来る以前から存在していた。しかし、明らかに超能力だと思っていたものをユマは否定したのだ。
「超能力じゃない。どういうことかしら?」
「いや、超能力じゃなくて、あれは魔術だよ。」
アンチオカルトの総本山とも言えるこの学園都市で「魔術」や「魔法」なんてワードは嘲笑の対象だ。「アニメの見過ぎ」と言われるか、「本当に頭のおかしい人」と思われるのがオチだ。しかし、3人は笑わなかった。全てを曲げる冷気という科学では説明のできない現象を目の当たりにした智暁と狼棺、そして部下の言葉を信じる樫閑は笑うことが出来なかったし、今、魔術の存在を本気で信じかけていた。それに以前、魔術師と名乗る人物から襲撃を受けた経験もある。彼らの能力も学園都市のとは違う系統だった。あの時は弱かったのもあって気にも留めなかったが、今思うと物理法則を完全に無視した攻撃が多かった。
(魔術・・・ね。外部から来た能力者モドキ。学園都市以外の場所でも超能力かそれに対抗できる能力の人工的な開発が成功したとすれば、学園都市の地位は揺らぐことになる。そして、その成功例がここに存在するとすれば・・・・ふふっ、これは凄い交渉材料が得られたわね。一介のスキルアウトに抱えきれるか心配なぐらいの・・・)
樫閑は誰にも悟られること無く心の中でほくそ笑む。しかし、狼棺は笑みが見えていなくても彼女が何か企んでいることは分かっていた。
復讐者は亡霊を追い続け、女王蟻は巨大な果実を手に入れる。
自分でも止められない強欲、その果てにあるのは栄光か、それとも破滅か。
それを知る者はまだいない。
最終更新:2012年10月28日 22:32