学園都市第八学区。教員や研究者といった大人たちの住まう区域。
古い街並みと新しいビル群が混在し、まさに世代の移り変わりを感じさせる町だ。やはり大人が多いこともあって、車の通行量も多い。その中で1台の高級スポーツカーが法定速度ギリギリの速度で道を通り抜ける。流線型の近未来的なデザインが特徴の赤いスポーツカーだ。
その車の持ち主兼運転手は
持蒲鋭盛だった。彼の煌びやかな容姿や女性遍歴を考えると納得のいくアイテムとも言える。その助手席には黒いローブを羽織った
ハーティ=ブレッティンガムの姿が合った。スポーツカーを運転するホスト風の優男と助手席に座るブロンドの美少女。事情を知らない者が見れば、様々なドラマを想像する光景だ。
「まさか・・・セスとマチが負けるなんて・・・」
2人に同行していた死人部隊からの報告が来た。
イルミナティ幹部の一人、
ミランダ=ベネットと謎の神道系魔術師が交戦、それに介入したセス=アヴァロンと
マティルダ=エアルドレッドが戦闘不能に追い込まれた。セスは状況報告は出来るものの精神的ダメージが大きい。対して、マチは強制的に限界まで生命力を魔力に変換させられ、それらを吸い取られて衰弱していた。現在、マチは病院に搬送され、セスが同行している。
ミランダに襲撃をかけた謎の神道系魔術師についてだが、戦闘による土埃で監視衛星からの映像では姿を確認することは出来なかった。
「ああ。イルミナティ幹部のことを甘く見ていたようだ。予定よりも早いが、星嶋にはメルトダウナーの準備をしておいてもらおう。ところで、ハーティちゃんは俺に付きっ切りで良いのかな?」
「ええ。それがリーダー命令ですから。それに私の役割は“拷問”。誰かがイルミナティの幹部やメンバーを生け捕りにした時に始まるわけですから。」
「君みたいな美人さんに攻め立てられるなんて、羨ましい限りだね。」
そのようにジョークを飛ばす持蒲に対し、ハーティは少し苦々しい顔をする。ハーティは自らの役割である拷問にある種の誇りを持っている。それをSMプレイのように表現されるのは例え冗談であっても不快な気分になる。
(どうして男ってのは・・・・)
そう思った瞬間、ハーティの頭にはあの男の姿が浮かび上がる。
あの男を拷問した時もそうだった。自分が拷問される立場だと理解しているにも関わらず、つまらないジョークを飛ばしていた。持蒲と同じような内容だ。
拷問を目前とした者の行動は3
パターンある。命乞いをするか、諦めるか、覚悟を決めるか。その3つだ。彼のような行動の場合は諦めのパターンに分類される。「もうどうにでもなれ」と考え、溢れ出る絶望感をおかしな方向に発散するか、拷問される前に拷問の衝撃を想像して壊れてしまったか、その2つだ。
だが、彼は違った。「どうにでもなれ」と諦めているわけでもなく、拷問前に精神が壊れてしまったわけでもない。拷問に抵抗する気力を持っていながら、あえて拷問前にジョークを飛ばしていたのだ。抵抗する気力があったなら、命乞いをするなり、拷問される前に情報を吐くなり、拷問を回避する手段はあったはずだ。それなのに彼は拷問を回避する努力をしなかった。真性のマゾヒストだとしてもあの拷問部屋と拷問器具を見れば、命乞いの一つや二つしたはずだ。
当時、彼はイルミナティのメンバーではなかった。事前に情報を吐いたところで彼には何のデメリットも生じない。藍崎に送られたハガキから推測するに、尼乃昂焚と
双鴉道化の関係はそれ以前から続いていた考えられるが、友人が率いる組織の情報のために自らを危機に陥れるような義理堅い人間とは思えない。
(益々あの男も、イルミナティのことも分からなくなってきた。)
ハーティはどんどん思考の泥沼に嵌まっていく・・・。
「あいたっ!!」
持蒲が車のブレーキを踏み、慣性の法則でハーティの額が前方の
ボックスにぶつかる。ハーティは恥ずかしそうに額を押さえる。
「随分と荒い運転ね。こんなので、よく女の子を乗せられますね。」
「俺に近付く女はみんなスリリングな体験を求めているのさ。」
「とんだ命知らずな女たちね・・・。」
「それよりも、ほら、星嶋のマンションに着いたぜ。」
ハーティが手を駆けるまでも無く、ドアが自動で開く。
白を基調としたカラーリングの10階建ての教員用のマンション。ちなみに新築だ。見た目では分からないが、学園都市トップクラスの厳重なセキリュティが敷かれており、軍隊が戦車でも持ち出して来ない限りは決して破ることは出来ない。
「ここにマキが住んでいるのね。」
かつて、
ディアス=マクスターの一件で彼女と初めて会った時のことを思い出す。あれは衝撃だった。一生忘れることは無いだろう。まさか、イギリス清教が提供した高級アパートメントの一室で全裸にタオルケット一枚(&爆睡)でお出迎えされるとは思っていなかった。
一階のエントランスに向かう。そこにインターホンや呼び鈴といった類は無く、地面に何か
サークルのようなものが描いてある。何の変哲もない円である。ハーティは職業柄、何かしらの魔法陣ではないかと考えてしまうが、それは違うとすぐに判断できた。
「ちょっと待ってろよ。ここのセキリュティは住人には優しいが、それ以外には厳しくて面倒なことこの上ない。星嶋に提供した俺が言うのもあれだけどな。」
持蒲は円の中に立つと、四方からレーザーが照射され、持蒲がスキャンされていく。
「さっきも思いましたけど、やっぱり部下思いなんですね。学園都市の暗部なんて言うから、もっと殺伐としていて、部下なんて使い捨ての駒ぐらいにしか思っていないのかと・・・」
「まさか、一緒に仕事したことのある君にまで言われるのは心外だな。まぁ、答えは『そうであって、そうではない。』。ウチの死人部隊については知っているだろ。あいつらは基本的に代えの利く捨て駒だ。あいつらを全滅させる作戦だって平気で遂行する。だが星嶋や超城、あとお前らは会ってないけど岬原って娘、あいつらは大事な部下だ。」
「それは・・・彼女達が優秀な部下だから?」
ハーティの問いかけに持蒲は少し答えを詰まらせる。
「ま、まぁ、それもあるな。ウチは暗部だからさ。使える奴は使って、使えない奴は弾除けにするのが当たり前だ。これは知り合いの研究員のオッサンの受け売りなんだが――――
『利用価値の有無が存在の有無を決定する。死にたく無ければ、自分がどれほど使える駒か、よく示しておくことだな。』
―――ってさ。そういう世界なんだよ。まぁ、そのオッサンは利用価値を示せなくて、殺されてしまったけどね。」
そうこう話しているうちに持蒲のスキャンが終わり、次はハーティの番が来る。
「俺は登録済みだから早く終わったけど、始めて来る君は時間がかかりそうだね。」
持蒲に促され、ハーティが円の中に立つ。四方からレーザーが当てられ、ハーティもスキャンされる。
そして、持蒲と同様に何事も無くスキャンが終わった。
「もう終わり?時間がかかると言われていたみたいですが・・・」
「ああ・・・これは・・あれだな。星嶋の奴がハーティちゃんのことを自分で登録してたみたい。多分、前の仕事の時にメルトダウナーに搭載していた認証システムでハーティちゃんをこっそりスキャンして、そのデータをこっちに入れてたみたいだな。」
前方の自動ドアが開き、持蒲とハーティはマンションの中へと入った。
「持蒲鋭盛様、ハーティ=ブレッティンガム様、ようこそいらっしゃいました。
星嶋雅紀様は御在宅でございます。」
―――と、機械っぽさのある人工音声が応対する。このマンションに搭載されたセキリュティシステム、それに組み込まれたAI(人工知能)の声だった。
エレベーターで6階まで上がり、持蒲とハーティは星嶋の部屋の前まで着いた。
持蒲がインターホンを押す。この時点で認証システムはドアの前にいる人物を把握し、それを中の住人に既に知らせている。
そして、ピピッというドアロックが解除される音と共にドアが開いた。
「ハーティちゃん!久し振りたい!!」
ドアが開くと同時に寝間着姿の星嶋が姿を現し、覆いかぶさるようにハーティに抱きつく。
少しサバサバした20代後半の女性だ。うなじまである黒髪は寝ぐせでグチャグチャで、まだ眠そうな顔をしている。細身ではあるが、筋肉質な体型をしているのが寝間着の上からでも、そして 抱きつかれているハーティの反応からして分かる。
寝間着はピンクにひよこマークが散りばめられたものだ。皺や服の質感から、かなり使い古されているのが分かる。デザインに関しては、「自分の年齢を考えろ。」と持蒲は心の中でツッコミを入れた。
「マ・・・マキ・・。ぐ、ぐるじい・・・。」
苦しむハーティが必死に星嶋の腕をタップする。
「あ、ごめんね。久しぶりやけん、つい力が・・・」
「星嶋。」
持蒲が星嶋に声をかける。先ほどまでの穏和な優男とは思えないほど険しく、真剣な目付きをしていた。
「状況が変わった。せっかくの休みのところ悪いが、お前には早めに出てもらうかもしれない。」
「分かったばい。続きは中で・・・」
星嶋に促され、持蒲とハーティは中に入り、星嶋は周囲を一度確認しながらドアを閉めた。
星嶋の部屋の中はそれなりに整理整頓されていた。埃っぽいが、第三次大戦中は仕事でずっと家を空けていたのだから仕方ない。リビングには筋トレグッズがいくつか置かれている。壁の一部には上半身裸の筋骨隆々な男性のポスターが貼られている。余談だが、ボディビルダーのポスターは無い。見せびらかすのではなく、実践的な筋肉だからこそ見える美しさを彼女が好んでいるからだ。
リビングにある丸テーブル、それを囲む椅子に三人は座る。
「埃っぽくて悪かね。」
「いや、お前に仕事をさせ続けた俺にも非がある。気にするな。」
「で、状況は?」
持蒲とハーティは昂焚の侵入からミランダと謎の神道系魔術師の戦いまで、だいたいのことを話した。詳しいことは持蒲が持ち寄ったデータで見てもらうことにした。
「そりゃあ・・・随分と厄介な仕事たい。」
「ああ。完全に学園都市内での作戦行動になるから、メルトダウナーを動かすのは夜になる。だが、駆動鎧のメンテナンスに廻せる死人部隊の数が限られるから・・・」
「『最小限の人数であれの整備をするから、早めに始めろ。』と?」
「ああ。前の仕事でかなりの数を減らしている。超城が組濱の奴に補充を頼みこんでみたんだが、あっちも忙しくて補充が出来ないみたいだ。他のところも『もう死人部隊に提供する出来損ないは前ので全部だ。』ってさ。」
「ジリ貧ね。ここ(学園都市)には風紀委員、警備員といった治安維持組織があるのでしょう?いっそ、彼らを利用すれば・・・」
「いや、それは最終手段だ。それに警備員はともかく、風紀委員だと余程の奴じゃない限り、足手まといだ。無駄に死人は増やしたくない。そもそもこの事件を秘密裏に処理するのが我々の目的だ。それにまだ戦力の当てが無いわけじゃない。」
「心当たりでもあると?」
「まぁ・・・な。だから、心配するな。とにかくメルトダウナーと他の駆動鎧の整備を頼む。あ、あと岬原の説得も。」
「分かったばい。」
星嶋が承諾する。その直後、持蒲に電話が入る。
「俺だ。・・・・ああ。分かった。尾行を続けろ。手は出すな。」
淡々と指令を出し、持蒲は電話を切った。
「どうかしたと?」
「尼乃昂焚が姿を現した。場所は――――――――
* * *
学園都市 第五学区 軍隊蟻のアジト
軍隊蟻のアジトの中にある応接室。
ユマと智暁、樫閑と狼棺がソファーに向かって座り、樫閑が根掘り葉掘りとユマから情報を引き出していく。彼女の目的、学園都市での行動、全てを曲げる冷気、そして、尼乃昂焚とは一体どんな人物なのか。ユマは抵抗すること無く、素直に答えるしかなかった。
「それでぇ~、ホテルの窓から飛び降りる時に私をギュッと抱きかかえてくれて~、またそれが力強くて温かくて~」
応接室で語られるのは、ユマの口から溢れ出る延々と続く濃度の高い惚気話だ。どこまでも徹底的に尼乃昂焚と過ごした9年前の2日間と今年、ゴミ箱に詰め込まれた彼を救いだし、意識を取り戻して逃走されるまでの数日間を惚気ながら語り続ける。
ブラックウィザードの集会を一人で潰した猛者とか、迫華と口喧嘩した荒々しさとか、そんなものはもうどっかに吹き飛んでいった。その姿は19歳の純情な乙女だ。
「え・・・あ、うん。そうですね。」―――と樫閑は死んだ魚の様な目でに相づちを打ち、
「もうその話、4回目じゃねえか。」―――と狼棺は話を右から左へ受け流すスル―スキルをレベルアップさせ、
「身グルミ剥ガシテ、ホテルニ連レ込ンデ何モシナイダト!?貴様ハソレデモ男カ!!金○付イテンノカ!?羨マシイ!!私ト代ワレ!!殺ス!殺ス!尼乃昂焚!許スマジ!!」―――と智暁は色欲、嫉妬、憤怒の感情を一気に放出させ、未だ会ったことの無い昂焚への殺意を爆発させる。
しかし、話の途中で樫閑のスマホが鳴り響き、彼女は「失礼」と言って部屋から出る。彼女としてはユマの惚気話から逃げる良い切っ掛けだ。
応接室の外に出て、樫閑は電話に出る。
「私よ。」
電話の主は
壱里咏寧《イチリ エイネイ》。軍隊蟻のメンバーであり、後方支援・情報漏洩の防止を担当する。ちなみに樫閑は彼女がお気に入りだ。なぜなら―――
『姐御ですか?槍の高速解析の結果が出たので、報告に来ました。』
樫閑のことを“姐御”と呼んでくれる数少ない人物だ。
(ああ・・・念願だった“姐御”。何度聞いても良いものだわ・・・。)
姐御という響きにウットリとする樫閑、その緩み切った表情は今までのイメージを一気に払拭させるだろう。ちなみに、姐御と呼ばれたいためだけに咏寧を連絡係にしたのは秘密だ。
「分かったわ。報告を続けて。」
『は、はい。まず槍の主成分は黒曜石と氷です。』
「黒曜石と氷?」
『はい。槍の先端の刃の部分が氷で包まれていまして、しかもその氷がタダモノじゃないと言うか、ガスバーナーを当てても水滴一つ垂らさずに冷気を出し続けてて、科学では説明出来ないって解析した研究者もビビってました。』
「冷気は?全てを曲げる冷気はどうなっているの?」
『はい。冷気は解析中も出続けていましたが、何かを曲げたりはしませんでした。全体をスキャンしてみましたが、内部にこれといった機械や冷気を発生させる装置などは見当たりませんでした。解析結果は“タネも仕掛けも無い黒曜石と氷で出来た槍”としか言えないです。』
「分かった。報告ありがとう。」
労いの言葉を贈り、樫閑は電話を切った。
(あれは何の変哲もない槍、冷気に曲げる能力は無いと考えるべきかしら?冷気がカモフラージュだとすると、それとは別の手段で周囲の物を捻じ曲げる念動力を発していたことになる。いや、でもそうだとしたら彼女が私たちに従う筈が無い。あの槍が無ければ、能力または魔術とやらが使えないと考えるのが妥当かしら。とにかく・・・ここは信頼関係を築いて、彼女から直接聞き出すしか無いようね。あわよくば、彼女から魔術とやらの技術を抜き取ることが出来れば・・・。)
そう結論を出し、樫閑は再び応接室に入った。
惚気話を延々と語るユマと両耳にタコが出来ている智暁と狼棺の姿があった。
「やっと戻って来たか。お嬢。さっさと話まとめやがれ。」
いつも通りの狼棺のタメ口も咏寧との会話の後だと無性に腹が立つ。とりあえず、狼棺の頭を無言のまま殴った。「痛っ!!」と彼は叫び頭を押さえる。
「ユマさん。」
「ん?どうした?協力する気にでもなったか?」
「ええ。私たち、軍隊蟻は尼乃昂焚の捜索に協力することを約束するわ。」
「え!?本当ですか!?」
「おいおい!お嬢!マジかよ!」
智暁は喜ぶが、一番喜ぶべきユマは仏頂面で樫閑を注視していた。
「但し、条件があります。」
(やっぱり、そう来たか。)
「我々が捜索に協力する代わりに、あなたが知り得る魔術に関する情報を全てこちらに引き渡すこと。」
「え?そんなんで良いのか?てっきり金でも請求されるのかと・・・」
「ええ。魔術に関する情報で十分よ。ここ学園都市では超能力以外の異能の力の情報は非常に貴重なの。だから、人探しに協力するだけでそれが得られるのなら嬉しい限りだわ。何なら、尼乃さんが見つかるまであなたの衣食住を保障しても構わないわ。」
「・・・・良いだろう。槍を返して貰えれば、条件に乗る。」
「分かったわ。すぐに戻すように部下に伝える。」
そう言って、樫閑は咏寧に連絡して、槍をアジトまで持ってくるように伝えた。
「じゃあ、早速、人探しの話をしましょうか。まず、尼乃さんの写真か何か無いかしら?顔が分からないことにはこちらも捜しようが無いわ。」
「写真ならあるぞ。ほら。」
そう言って、ユマは懐から1枚の古い写真を取り出す。フィルム式カメラが既に絶滅しているであろう学園都市において、フィルム式カメラで撮られた写真は非常に珍しいものだ。長いこと外部で過ごしていた樫閑には懐かしいアイテムだ。
20歳前後の東洋人の男と10歳前後のラテン系の少女が2人して映っている。少女がカメラを持ち、無理やり男を抱き寄せて自画撮りしていた。少女の表情は子供らしく太陽のように明るい。対して、男の方は混沌としている。明るいわけでも暗いわけでもない。少女に襟首を掴まれて突然引き寄せられたことに少し驚いている様子だった。
「けっこう古い写真ね。何年前?」
「多分、10年ぐらい前。」
「なるほど・・・こっちの少女があなたなのね。」
しかし、この写真には問題点がある。情報があまりにも古すぎることだ。10年も経てば人間の容姿も印象も大きく変わる。この写真の尼乃昂焚と現実の尼乃昂焚を見比べた時、軍隊蟻のメンバーは同一人物だと判断できる自信が無いのだ。
「ちょっとこの写真を借りて良いかしら?」
「大事に扱えよ。それが唯一なんだから。」
樫閑は写真を眺めながら、ある人物に連絡を取る。
「あ、弐条?今、暇かしら?」
電話の相手は
弐条長記《ニジョウ ナガキ》。軍隊蟻のメンバーであり、彼には後方支援、主にコンピュータ関連のセキリュティ等を任せている。無論、コンピュータに関してはこの場の人間よりも精通している。
『ゴホッ・・・ゴホッ・・・あ、お嬢ですか、おはようございます。・・・って、もう昼過ぎでしたね。すいません。風邪ひいちゃって・・・』
「また?」
『はい・・・“また”です。』
「残念ね~。今すぐ、あなたに頼みたい仕事があったんだけど。」
『ゴホッ・・・まぁ、軽い風邪ですから、明日には治ります。』
「う~ん。実は可及的速やかに頼みたいのよ。」
樫閑は少し困った表情で「う~ん」と唸っていたが、すぐに悪巧みを考える表情に切り替わった。そして、誰にも聞こえないような声でボソッとスマートフォンに囁いた。
「今、アジトにスレンダー巨乳のラテン系美女と隠れ巨乳のロリっ娘がいるんだけど・・・」
そう言って、弐条の反応を聞く前に樫閑は電話を切った。
「そういえば、お前ら屋台で
姫野七色のライブがどうのこうの言ってたよな?それも尼乃に関係あることか?」
「あ、はい。実は―――――」
智暁が狼棺と樫閑に昂焚と姫野のライブの関連性について話す。彼の音楽プレーヤーに姫野の曲が入っていたこと、このタイミングで学園都市に来たこと、そして、そのライブが今夜あること・・・etc、そして、そのトークショー&ライブに関する情報が掲載された事務所のホームページを2人に見せる。
「う~ん。確率はかなり低いし、もし彼が来たとしても探すのは至難の業ね。」
まず、今夜の催しは姫野が主演を務める新作アニメの発表と第1話の試写会、その後、アニメの主題歌&姫野の持ち歌によるライブの2部構成になっている。姫野はアイドル声優として人気があり、ベテランほどではないがファンの数も多い。その上、前半の新作アニメの発表会には同じく主演・助演を務める数人の声優が参加する。キャスティングが豪華でスタッフも実力派、新作アニメそのものもかなり注目を浴びていることもあり、訪れる人間はかなり多いと思われる。仮に昂焚が姿を現したとしても大人数の中から彼の姿を見つけるのは難しい。
「でも他に手段が無いのなら―――――――
ズダダダダダダダダダダダダダダダダダダ・・・・
どこからともなく聞こえる荒々しい足音。
ドンッ!
「おっぱ―――――じゃなくて、仕事はどこですか!!」
激しいドアの開く音と共に一人の少年が姿を現した。
身長は少し低めで、黒髪のボサボサ頭に度の強そうな眼鏡をかけている。いかにも身嗜みをあまり気にしないインドア系少年といった姿だ。かなり痩せていて、頼りなさそうな体格をしている。マスクをつけて鼻と口を覆い、なぜか「軍隊蟻」と書かれた黒いマスクを着用している。
右手にはノートパソコンを抱え、左手にはその他諸々の機材、背中の登山用リュックにも色々と機材が詰まっている。
「来るの早っ!?」
「ゼー・・・ハー・・・ゴホッ・・・で、巨にゅ・・・じゃなくて仕事は―――」
かなりの機材を担いで全力ダッシュで現れた弐条の体力は限界に近かった。ただでさえ風邪をひいているのだから、それでもここにやって来る彼の乳への執念は凄まじいものだ。
「この写真の男性の10年後の顔をコンピュータで予測して画像にして欲しいの。あと、風邪をうつされたくないから、隣の部屋で作業してね。」
―――と弐条は樫閑に両肩を掴まれてUターンさせられた。現実は非情である。
「さっきの続きね。他に手段が無いのなら、そのアニメ発表会&ライブに賭けましょう。客席の方だったらどうにかなるし、会場までの交通機関を押さえておけば可能性はあるわ。」
そう言って、再び樫閑はスマートフォンを取り出し、何者かに連絡する。
「私よ。折り入って、頼みたいことがあるの。・・・・、今夜、第六学区のオービタルホールで行われるアニメの新作発表会と姫野七色のライブ、それのゲートと外側の警備担当に私たちを組み込んで欲しいの。」
軍隊蟻のリーダーとして、その権限をフルに活用する。おそらく、電話の相手はライブの警備を担当する警備会社であろう。何度か世話になっており、共に利益を享受する関係にある。今回の話も通るだろうと樫閑は確信していた。
「ええ。ありがとう。お金は振り込んでおくわ。それじゃあ。」
どうやら、交渉は成功したようだ。
「6つのゲートに2人ずつ、計12人のメンバーを入れることが出来たわ。煙草は警備メンバーを選出して頂戴。」
「へいへい。了解。今回のお嬢は何かお人好しのようだ。」
狼棺は面倒くさそうに立ちあがり、背後から樫閑にケツを蹴られた。
「じゃあ、約束通り、魔術に関する情報を渡してくれるわね?」
「・・・・いいだろう。前金として、基本は教えてやる。」
* * *
アミューズメント施設が多く立ち並ぶ第六学区、その中にあるオービタルホールのメインゲート前には既に多くの人間が長蛇の列を成していた。
「マジ新作アニメ楽しみだよな。」
「リアルで姫に会えるとか夢の様だ。」
「姫のライブとかマジでテンション上がりますぜ!」
「うおー!!テンションあがって来て、マジでバーニングしたいぜ!!」
「うわああああ!!喪火さん!ここで超熱獄炎《グレイトバーニング》はマズイっす!!」
数時間後の発表会とライブを今か今かと待ちわびるファン達の姿がそこにあった。客層は幅広い年齢層の男性だ。(ごく稀に女性の姿もある。)
その長蛇の列から少し離れたところで
神谷稜はサンドイッチを頬張る。フードを深々と被って淡々と食べるだけの彼の姿はいかにも不審者に思える。病院から抜け出した彼を一七六支部の人間達が追っている事情があるのだから、この格好は避けられない。この立ち位置も丁度、監視カメラから死角になっている。
(あの男・・・尼乃昂焚と言ったか・・・。あいつの目的が分からない今、あいつがどこでなにをしようとしているのか見当がつかない。)
風紀委員も警備員も頼れない今、己の足で彼を追うしかない。手掛かりも無いこの状況では途方も無い作業だ。今まで、一七六支部のみんなのサポートがあったからこそ迅速な活動が出来た。そのことを稜は身を以って知る。
(第六学区か・・・正美とよく来たな。そういえば、正美とのデートはどれくらい前だったか・・・)
稜は、かなり昔の様に思える彼女との思いでに耽る。この戦いが終わったら、正美をデートに連れて行こう。そのためにも“あいつが守ってくれた俺”を取り戻す。
稜はそう誓い、誓いの証・・・というわけではないが、自販機で買ったヤシの実サイダーの缶を開けて、口に付けた。
「また会ったな。科学で無知な少年。」
眼の前に尼乃昂焚がいた。突然の出来事に稜は口に含んでいたヤシの実サイダーを一気に彼に吹きかけてしまった。
「て、てめぇ!ようやくお出ましか!」
稜が咄嗟に針を出し、閃光真剣を片手から出す。しかし、昂焚はそれに動じず、彼に吹きかけられたヤシの実サイダーをハンカチで拭いていた。
「昨日のリベンジをするのは別に構わないが、人にジュースを拭きかけてしまったら、まず言うことがあるだろ?」
「バラの香りがする豆乳しゃぶしゃぶコーラよりはマシじゃねえか。」
始まりは違った。
理由も違った。
手段も違った。
しかし、尼乃昂焚を追う者たちは歌姫の舞台に集った。
最終更新:2012年11月10日 04:18