7月11日、俺は全てを奪われた。
今にも雨が降り、雷が落ちそうな曇天の空。
陽の光が雲に遮られた薄暗い墓地。喪服に身を包んだ者たちの葬列がそこにあった。
亡き者を弔うために聖書を読み上げる神父。生前、仲が良かったのだろうか、彼の手は悲しみに震え、聖書を読む唇も次第に震えていく。
死を悲しむ参列者たちが啜り泣く声、耐えきれずに大粒の涙を流して慟哭する者。
ら”の凄惨な死を物語る小耳を打つ話声。
「クライヴの奴、可哀想になぁ…犯人はまだ捕まってないんだろ?」
「お父上の遺体だけ…損壊が酷くて見せられない状態だそうだ」
そして、唯一遺された少年。
葬儀が終わった。
参列者はまるで他人事のように墓場から去っていく。親しかった者や近しい者はクライヴに励ましや弔いの声をかける。神父も色々とクライヴを気遣って語りかけるが、彼の耳には届かない。
「無責任だ…」
“お前らも全てを奪われてみればいい”と言葉が続くはずだった。でも声が出ない。そんな気力も無いし、もう言葉なんて出なかった。そんな精神的な余裕は無い。
泣き叫んだ。
周囲にどう見られようと構わない。自らに注がれた愛情を、自分が注いだ愛情を、共に積み重ねた記憶を、その全てを慟哭に乗せる。父の名を、母の名を、恋人の名を叫ぶ。返事は無い。沈黙という残酷な回答だけがそこにある。
クライヴの心を代弁するかのように雨が降り始めた。大粒でバケツをひっくり返したかのような豪雨だ。
悲しみの声は次第に怒りへと変わっていく。自分の幸せを壊した奴を、3人の生涯を突然終わらせた奴を、ありったけの憤怒と憎悪をぶつけていく。
「復讐がしたいか?」
突如、背後から声が聞こえた。男とも女とも取れない。少年でも老人でもない。大罪人にも聖人にも聞こえる。そんな不思議な声が神託のようにも聞こえる。
クライヴはゆっくりと振り向いた。
一瞬、雷鳴がとどろき、シルエットだけが目に焼きつく。
鳥の嘴が付いた様な骸骨の仮面に黒いマント、カラスと人を合わせた怪物のような存在がそこに立っていた。異様な格好が存在感を示し、同時にクライヴにとっては救済の堕天使にも見えた。
「復讐がしたいか?
クライヴ=ソーン」
「ああ…――――――――――したいさ。したいに決まっている!殺してやる!殺して!殺して!髪の毛一本残さず殺し尽くして!己の生誕すら後悔するほどの地獄を見せてやる!」
「ならば私の元に来い。君が真に強欲を満たしたいと思うなら…力を、復讐を遂げるチャンスを君に与えよう」
「………………本当か?」
「ああ。今の言葉に嘘偽りは無い。復讐者」
「そうか…」
クライヴは手を伸ばし、双鴉道化の手を掴んだ。そして、ゆっくりと立ちあがる。他に選択肢は無かった。望んでいた力を手に入れるチャンスが目の前にあるのだから、断る理由が無かった。
「自己紹介をしておこう。私の名は双鴉道化。全ての強欲に与する者、そして全ての強欲を喰らう者」
あの日、俺は強欲(復讐)に全てを捧げた。
* * * *
その後、クライヴは故郷の英国からイルミナティの本拠地があるドイツへと渡った。
ドイツ語を覚えるのに少し苦労したが、1週間もあれば日常会話は難なくこなせるようになった。クライヴもまさか、自分がここまで語学に明るいなんて思いもしなかった。
夜のミュンヘンの繁華街から少し外れた路地。そこでクライヴは双鴉道化から宛がわれた手紙を頼りにある店を探していた。
(確か…この辺りだったな…)
クライヴが見上げるとそこには中から笑い声と共に漏れる光に照らされたパブの看板があった。我が目を疑ったが、住所も手紙に書いてあった説明書きからしてもここに間違いは無い。
(隠れ蓑ってことなのか?)
クライヴはパブの扉を開く。中では騒がしい談笑と笑い声、乾杯でグラスとグラスがぶつかる音が響き渡る。時間が時間なのだから、もう酔っている男がいてもおかしくない。
「おい!ガキんちょ!ここは未成年立ち入り禁止だぜ!」
酔った勢いで気が大きくなったのか、酔った男の一人が笑い交じりに怒鳴りかけるがクライヴは歯牙にもかけず、店長らしき人物がいる目の前のカウンター席に座る。
「あんたがここの店長か?」
「ええ。そうですが?」
「これを見せろと言われた」
クライヴが双鴉道化から宛がわれた手紙をカウンターの上に置く。
その瞬間、店長の顔は真っ青になり、さっと手紙を手中に収めると周囲を見て誰も手紙を見ていないことを確認する。
「ああ。仕入れ業者の方でしたか。こちらへどうぞ」
店長はクライヴを従業員用の出入口へと通して店の裏側へと連れて行った。
「クライヴ=ソーン様ですね。双鴉道化様から話は聞いております」
そう言うと店長は更に奥の壁にあった隠し扉を開け、奥へと手を伸ばす。
「『行け』ってことか?」
店長は静かに頷く。クライヴは拳を握り締め、店の奥へと入って行った。
「ようこそ、イルミナティへ―――――――――――――――――
―――――――――――――決して抜けられない強欲の泥沼の底へ」
店長は、地下に続く階段を降りるクライヴの背中を哀れみを込めた目で見ていた。
クライヴはゆっくりと階段を降りて行く。灯りはほとんど無く、奥から見える微かな光を手掛かりに先へと進む。あまりにも暗いので光源はかなり遠くに感じられたが、ものの数十秒で光源と扉に辿りついた。
“willkommen”(ようこそ)と看板が掲げられた木と鉄の扉。鍵はついておらず、少し力を入れて押せば扉は開くようだ。
クライヴは手で扉を押して空ける。するとその先には小さなパブの地下にあるとは思えないほど巨大な通路が続いていた。大理石とレンガに囲まれ、しっかりと堅実に、同時に高級感を感じさせる通路が続いていた。
「予想より5分早かったじゃねーか」
作業着姿の赤髪の飄々とした男がクライヴを待っていた。年齢は20代後半といったところか。
「俺は
グレゴリー=Jだ。めんどくせぇが、お前の案内役をすることになった。よろしくな」
「ああ…。よろしく」
グレゴリーが握手しようと手を出し、クライヴも手を出した。しかし、2人の手が触れ合うことは無く、突然、グレゴリーはクライヴが着ていた服に掴みかかり、身体のいろんなところをベタベタと触る。
「うわっ!丸腰かよ!つまんねぇな。あの双鴉道化のお気に入りって聞いたから、どんな面白い『武器』を持っているか楽しみにしてたのによぉ…」
「何のつもりだ…?」
クライヴはグレゴリーを突き放す。
「いやぁ~、悪かった。理由はさっき言った通りだ。面白い武器とか持ってないかなって」
「どこをどう見ても丸腰だろうが!どこに銃やナイフを隠し持つスペースがあるんだよ!」
今は初夏でクライヴの格好は17歳の少年らしく非常にラフだ。
「でも丸腰ってのはマジでヤバいな。自分の身ぐらい自分で守れるようになれよ。俺らの間じゃ下剋上とか手柄横どりの為の仲間殺しとか日常茶飯事だからな。ウチのボスはタブー視しているけど。俺は『武器』以外に興味は無ぇからどうでも良いんだけどさ」
随分とブラックな組織に来てしまったものだ…とクライヴは固唾を飲む。イルミナティがどういう組織かはほとんど知らないし、双鴉道化以外のメンバーには会った事が無い。とにかく復讐したい一心であの時は藁にも縋る思いだった。
「とりあえず、この組織のルールを説明するな。このイルミナティは12世紀から続く組織で1人のリーダー、13人の幹部、666人の構成員から成っている。魔術的な要素でこの数字は絶対に崩しちゃ駄目だそうだ。組織のルールなんて言っているが、基本的にどいつもこいつも好き放題にやりたい放題。仲間意識なんて同じ派閥同士にしか存在しない」
「派閥?」
「ああ。この組織には古くから続く派閥や幹部が新たに創設した派閥が存在する。俺は後者、幹部の一人、元ロシア成教
殲滅白書の『氷の葬列』こと
リーリヤ・ネストロヴナ・ブィストリャンツェヴァの下で最強の『武器』を作っている。他の派閥の奴の顔なんてほとんど覚えてないし、利害が一致した時ぐらいしか一緒に動かねえしな」
「なぁ…さっきから言っている武器って…何だ?ミサイルとかか?」
クライヴが発した言葉を端に発してグレゴリーが口から吹き出し、肩を震わせながら大笑いする。
「あはははは!お前なぁ…『武器』っつったら霊装だろうが!俺らみたいな地下組織にんなもん作れるかよ!面白い奴だなぁ!」
腹を抱えながらグレゴリーは笑い転げるが、その次にクライヴが発した言葉にグレゴリーは驚愕した。
「霊装って何だ?」
「え?それマジで言ってんの?」
グレゴリーはジョークだと思いたかったが、クライヴの表情は大真面目だ。復讐に燃え、決意に満ちた眼差しとのギャップがまたグレゴリーの笑いを誘う。
「まさか魔術のこと何も知らなかったりする?」
「なぁ…聞いちゃ悪いが、もしかしてここって…カルト教団か何かか?」
グレゴリーは真っ青になった。クライヴがまさかここまで魔術に対して無知だとは思わなかったからだ。相手は完全なる一般人。だとしたら、武器だの霊装だの魔術だのと語る自分はカルト教団のメンバーに見えても仕方が無い。
(双鴉道化の奴…完全な一般人をウチに連れてきたのかよ…。そんな奴の面倒なんざ見切れるほど俺は暇人じゃねえなぁ…)
グレゴリーはクライヴのあまりの無知さに呆れ、彼に何の説明もせずイルミナティに入れた双鴉道化に更に呆れる。
「ああ…。こりゃ…ウィーの派閥だな。そこしかねえ。魔術の才能なしと判断されたらヴィルジールセキリュティー社だ」
何が何だか理解できていなかったクライヴを他所に、グレゴリーは困り顔で頭を掻きながら彼の今後の方針を決めた。
「やぁ!君が双鴉道化が直々に誘ったクライヴ君だね!まさか僕のところに来てくれるとは思わなかったよ!ところで君はアニメは好きかい?僕はアニメやマンガが大好きでねえ!特に今期は『アイラブ!』が一番のお気に入りなんだ!製作スタジオが僕のお気に入りの学園都市アニメーションなのもそうだが、作画・キャラ・ストーリー・キャスティング・音響、どれも文句なしの100点満点!あ!そういえば第23話『震えるステージ』を観たかい!?あれは最高だったねえ!凛子がライブステージの上で大勢の観客の目の前で
マネージャーに告白した展開にはびっくりしたよ!あそこで引いて、次回が最終回なんだから気になるよな!そういえば、『ナイトハウンド』もそろそろ最終回だったね!オルファ要塞攻略戦は熱かったね!作画も最終決戦だからもの凄く良かった!それにしてもまさかあのタイミングでブルーファルコン隊の増援が来るなんて…くぅ~痺れる展開だね!そういえば次期はどのアニメ観るか決めた?あ!そういえば、まだ君が好きかどうか聞いていなかったね!」
眼鏡をかけた金髪おかっぱ頭の30代前半の男がクライヴの肩を掴んで少年の様に輝く目を向けていた。
「え…あの…その…俺は魔術ってのを…」
「おお!そうだった!グレゴリーから聞いたよ!魔術のことを何にも知らないんだって!?それは良かった!そっちの方が余計な知識が邪魔をせずに純粋に魔術を教えられるね!とりあえず、魔術の存在を信じてもらうところから始めないといけないね!あ!そういえば、自己紹介がまだだったな!俺はウィー=アブー!アニメとマンガと魔術を他人に教えるのが大好きなのさ!君は僕に弟子入りするから、『ししょー』と呼んでね!『師匠』じゃ駄目!『ししょー』じゃないと認めないからな!じゃあ、以後よろしく!」
当時、イルミナティの幹部の一人だった男、ウィー=アブー。彼の強欲は自らの主義主張を他人に広めることであり、その過程として他人に魔術を教えることを誰よりも好んでいる。
(こんなことで…俺は犯人に辿りつけるのか?)
基本的にウザいが好感は持てる彼のテンションの高さをクライヴは嫌悪していた。復讐が何よりも第一条件であり、早く犯人のところに辿りついて殺したい彼にとってウィーの態度はふざけているようにしか思えなかった。
「でもまぁ…」
突然、ウィーが真面目な面持ちになり、クライヴに語りかける。さっきまでとは別人のようであり眼鏡のせいもあってか非常に知的に思える。
「僕は何かを教えることにおいて、一切妥協するつもりは無い。そこは覚悟しておいてね」
こうして、クライヴのイルミナティ構成員としての活動が始まった。
* * * *
それから4年後…
オランダの首都、アムステルダム。月明かりだけが頼りの深夜未明のコンテナ港。そこに1隻の小さなクルーザーが停泊していた。
港にはリーリヤがいた。彼女の傍らには赤銅の輝きを放つ鋼鉄の鎧を纏った馬の霊装“ブローズグホーヴィ”がある。他にもグレゴリーを始めとした十数名のリーリヤ派閥たち、そしてウィー派閥所属であるはずのクライヴがクルーザーを待ち構えていた。
あれから3年。21歳となったクライヴ=ソーンはイルミナティの構成員として活動していた。彼のいるウィー派閥は基本的にウィーを魔術の師匠として師事する者たちも集まりというだけであり、イルミナティの仕事として活動する際は他の派閥に紛れ込んだり、共に活動することがほとんどだった。
喪中の様な黒いスーツに身を包んだクライヴは一人前の魔術師として大成していた。
たった4年で一人前は異例のことであり、ウィーも「魔術の才能」という矛盾した言葉で彼を評していた。それほどまでクライヴの魔術師としての成長は凄まじかったのだ。現在、彼は両腕にガントレットを装着している。ケルト神話のヌァザ王の伝承を用いた霊装だ。
あの事件から科学・魔術の両サイドから調査を続けたが、クライヴの両親と恋人を殺した奴の手掛かりは全く掴めなかった。あの惨劇は人々の記憶から忘れ去られ、あれだけ復讐を誓ったクライヴも復讐ではなく、今そこにあるイルミナティ構成員としての毎日を過ごしていた。忘れたわけじゃない。ただ、優先順位における復讐の絶対的優位性が少し揺らいでいた。
クルーザーから一人の屈強な体格の男が姿を現した。海の男をそのまま絵にした様な男だ。
「よう。予定よりちょっと遅かったじゃねえか」
「無茶言わんでくださいよ。グレゴリーさん。こちとら小型クルーザーで来てんだ。いくら魔術で補強していても難しいですよ。しかも最近は沿岸警備隊の目も厳しくなってやがりますし」
「それは大変だったな」
互いに笑いながら談笑をする密輸商人とグレゴリー。互いに気の知れた仲のようで友人のように会話する。
「早く…例のモノを、出して」
二人の談笑を遮り、Pコートを羽織ったリーリヤが口を挟む。
「お、そうでしたね。ちゃんと持ってきましたよ」
そう言うとクルーザーの男は船内に戻り、人間一人入りそうな巨大な木箱を抱えて再び船から出てきた。箱には何も書かれておらず、外観から内部を把握することはできない。しかし、筋骨隆々の男が担ぎ出すのに一苦労することから、内部はそれなりに重いものが入っているのだろう。
「よっこらせっと」
クルーザーの男は箱を担いで船から降りるとリーリヤ達の前に箱を降ろした。その衝撃でガチャンと中から多数の金属と金属がぶつかり合う音が聞こえた。
「イルミナティが発注した北欧神話の霊装、全部ここに揃ってますぜ」
「随分と、手際が良いね」
「ここ最近、北欧の大きな結社が潰れたんで、持ち主を失った霊装とかが裏市にたくさん出回ってるんですわ」
「そう…、早く、トラックに積んで」
「中身、確認しなくて良いんですか?」
「今は時間が無い。イギリス清教が、私たちを嗅ぎまわって、いる」
「まさか、俺が尾行されているわけないじゃないですか。ちゃんと追手は撒きましたよ」
「そう、じゃない…。追撃…じゃなくて―――――待ち伏せ」
「!?」
突如、穏やかな天候を無視して海が荒れ、港を飲み込むほどの巨大な波がイルミナティ達に襲いかかる。
「ほら…来た」
全員が慄くが逃げようとはしない。今更逃げても無駄だと思うレベルの巨大な津波だからだ。そして、全員が知っていた。
「ブローズグホーヴィ…」
リーリヤの一声に反応し、ブローズグホーヴィは全身から冷気を放つ。放たれた冷気は前方に拡散し、一瞬で津波を氷漬けにした。不運なことに密輸商人のクルーザーも巻き添えを喰らっている。
「俺のクルーザーがー!」
「心配、しないで。終われば戻す、から。そんなことより――――――」
ブローズグホーヴィが突如、パーツ毎に分解し、それらがリーリヤの身体に纏わりつく。
英国騎士団のような鈍重な鎧。全身を覆い尽くし、白銀の輝きと冷気を放つ。片手に派長柄のハルバードが握られている。
「総員。戦闘配備」
全員がそれぞれの持前の霊装を取り出し、周囲を警戒する。クライヴもガントレットを構える。この中で戦闘に慣れているのはリーリヤとクライヴだけだ。残りは工房で霊装づくりに励んでいる技術職の人間であり、戦いに慣れている者はほとんどいない。
(津波…ってことは水を扱った魔術か?だとしたら西以外の方角が海に囲まれたこの港は…、いや、リーリヤが瞬時に津波を凍らせたのを向こうは見ている。だとしたら…)
「全員!西側の防御に集中しろ!」
クライヴが叫んだ瞬間だった。
突如、雷撃が地面を走り、クライヴ達に襲いかかる。地面を流れているのではない。文字通り雷撃が蛇のように地面を走り、真夜中に閃光を放ちながら直進する。
(くそっ!こうなったら…!)
クライヴが両腕のガントレットを合わせて雷撃に向けて突き出す。それに呼応して周囲の大量の海水がクライヴの前に集まり、そこからイルミナティメンバー達を囲むように水の壁を展開する。
バシュウウウウウウウウ……
雷撃の衝突と共に大量の水蒸気が周囲に溢れる。水蒸気で港は霧に包まれ、1メートル先も見えない。
「おい!クライヴ!これじゃあ、俺たちが不利だぞ!」
イルミナティ側は大人数で更に戦闘に慣れていない技術職のメンバー達がほとんどだ。自らを守る術は無いわけではないが、
必要悪の教会の魔術師が相手となれば気休めにしかならない。リーリヤがブローズグホーヴィを鎧の形態にしてその場から動かないのは自分の周囲にしか展開できない氷の防御壁で仲間を守るためだ。そして、彼女は仲間を守るために身動きを取ることが出来ない。霧で姿を隠しても動かなければ意味が無い。
(そんなのは言われなくても分かっている!)
クライヴは神経を研ぎ澄まし、周囲の霧を見渡す。
バチッ…
一瞬だけ、ほんの一瞬だけ静電気のような音と閃光がクライヴの視界に入った。
(そこか!)
ガントレットを装着した両手を左右に広げ、周囲の水蒸気を凝集して水に変換し、そこから幾多もの氷槍を生成する。そして、クライヴが両手を前方に振ると手の動きの呼応して大量の氷槍が射出されていく。
再び、霧の向こう側でバチバチと音と閃光が出るのが確認できる。先ほどとは違い、大量の雷音が鳴り響き、幾多もの閃光が一定の場所で何度も煌く。おそらく氷槍を迎撃したのだろう。
クライヴが雷撃の源へと向かって霧の中へと飛びこんだ。
(今の迎撃で敵の位置は把握した。迎撃したってことはあそこに術者がいる証拠だ。後は―――)
クライヴの身体が少しだけ浮き上がり、突然の爆発音と共に一気に加速する。背中に透明なロケットブースターでも積んでいるかのようだ。
(魔術で起こした水蒸気爆発の衝撃に乗って一気に奇襲をかける!)
加速によって突然かかった凄まじいGに耐えようとする間もなく、一瞬で霧が晴れた。
そして、初めて姿を目にした敵の魔術師。日本刀を持った隻腕の少女だ。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉらあああああああああっ!!」
ジェット機並みの加速に乗ったまま鋼鉄の拳を彼女の顔に叩き込む。相手が片腕だろうと少女だろうと躊躇うことはない。復讐と戦いに明け暮れた数年間で彼が学んだことであり、この業界においては常識であった。
時速200km近い速度で飛来した鋼鉄の拳を顔面に叩き込まれ、少女は吹き飛んだ。無様に地面を転がり、全身をアスファルトに打ちつける。
「う…うう…」
乱れた黒髪、魔術師らしくない普通の格好の少女が血を流して呻き声を上げながら立ち上がろうとする。その光景を見てクライヴは少しだけ罪悪感を覚えるが、すぐに頭から払拭する。それに自分たちが非合法な存在で向こうは国家に認められた機関なのだから、少女の背格好関係無く、自分たちは悪人だ。
(あれを喰らっているのにまだ立ち上がるのかよ…。普通なら頭蓋骨粉砕ものだぞ)
クライヴは警戒して身構える。
「ふふふ…。いきなり女の子の顔面を殴るなんて…私じゃなかったら死んでいました」
クライヴの攻撃をもろに喰らった筈の少女の顔は何事も無かったかのように傷跡も打撲跡も無かった。血も完全に止まっており、彼女が袖で顔を拭う。
「初めまして。『銀腕の復讐者』。クライヴ=ソーン。私は冠華供琥《カンバナ キョウコ》です。必要悪の教会に所属する魔術師です」
「成程…イギリス清教が俺たちに何の用だ?…ってまぁ、言われなくても分かるか。あの密輸した霊装を取り返しに来たんだろ」
「話が早くて助かります。確かに“私たち”は霊装を取り戻しに来ました。霊装を返してくれるなら、見逃してあげても良いんですよ。…と上から言われています」
「そう言われて『はい。そうですか』なんて言えるわけないだろ」
それを聞いた途端、供琥がクスクスと笑い始める。声は少女らしく愛くるしいものだ。しかし、その目と顔つきは刃物…いや、妖刀のように怪しく殺気を放っていた。
「それは助かりました。これで心置きなく貴方を殺せます。今の貴方は大変不快ですから」
供琥がバチバチと電気を散らす刀を振り降ろすと2つの雷撃がクライヴに襲い掛かる。
クライヴはすかさず海水を集めて目の前に壁を作り出し、自分を避けるように壁から左右に自分の背後へと繋がる海水の通路を作りだす。雷撃は直進して海水の壁へと入り込とそのまま通路を通り、雷撃はクライヴの背後へと流された。
大量のイオンと不純物を含んだ海水は非常に電気を通し易く、雷撃はそのまま海水の壁の中へ入り込むと空気よりも電気が流れやすい海水の通路を通ったのだ。
供琥はそれに怯まず、次は壁や通路を回避しながらクライヴに襲いかかるように調整した雷撃を放とうとする。
「!?」
刀から雷撃が出てこない。いや、出てきてはいるが何か蓋をされた様な感じで放出される雷撃が無理やり抑え込められている。
「なぁ、知ってるか?一切の不純物を含まない水は電気をほとんど通さないんだぞ」
クライヴの言葉で供琥は気が付いた。刀の刀身に大量の水の塊が集まり、水の膜で完全に刀を覆っているのだ。刀がほぼ絶縁体となっている純水に囲まれてしまっては電気は出てこない。
「……気持ち悪い。実に不快です」
そう言いながらももう攻撃は来ない。どうやら、彼女の攻撃手段はあの雷撃だけのようだ。
「実に不快ですが、このまま戦闘を続行できないと判断出来るぐらいの理性は残っています。ですので…このまま戦略的撤退」
突如、供琥を黒い霧が包み込む。渦巻くように黒い霧は供琥を囲んで高速回転する。
「待て!」
クライヴがガントレットで霧を掴みかかるが、文字通り供琥は黒い霧と共に霧散し、何も掴むことは出来なかった。
コンテナ港から500m離れた地点。
ヤール・エスペランは建物の陰に身を隠しながらある人物を待っていた。しきりに腕時計を見直す。赤いスーツに黒のワイシャツという高級感漂う色合いの格好の割には随分と安物の時計だ。彼は使い捨て品を使うことを好む。この腕時計もついさっきそこの店で買った安物の時計であり、また1週間も経たずに捨てるか別の誰かに渡すだろう。
「そろそろですね」
ヤールの言葉通り、彼の前に黒い霧の渦巻きが現れるとそこから冠華供琥が姿を現した。
「時間稼ぎ、お疲れ様です。随分と苦戦していましたね」
「あれが本気なわけないじゃないですか。感染魔術は…ちゃんと発動したのでしょうか?」
「ええ。問題無く。これで拠点の位置が分かるでしょう」
刀身の波紋を月明かりに照らしながら供琥は見つめていた。この刀の錆となる不快なものとの邂逅を待ち望んで…
* * * *
それから3週間後
クライヴはイルミナティの地下施設にある双鴉道化の私室へと呼び出された。私室と言っても部屋の内装は豪華であるもののただそれだけであり、そこから彼のプライベートを窺うことは出来ない。
部屋の中央にある面積の小さい丸テーブル。クライヴはテーブルの傍にある椅子に腰かけ、自らを呼び出した双鴉道化を待っていた。手元には先日、リーリヤ達が密輸した霊装のうちの一つ、銀色の剣が置かれていた。
これは自分たちを守って果敢に戦ったクライヴへの恩賞としてリーリヤが与えたものだ。ガントレットと同じくヌァザ王の伝承をモチーフに作られていたことから、持ち主としてもクライヴが適任だった。
(この部屋に入るのは初めてだ…それにしても霊装を持って来いって…どういうことだ?)
組織のリーダーと構成員として会うことは何度もあったが、こうして個人として対面するのは葬儀の日以来だ。再びこうして1対1で会うとは思わなかった。同時に双鴉道化が霊装を持ってくるよう指定したのも何か気になる。
部屋の奥の扉が開き、そこから双鴉道化が姿を現した。手には年代もののワインと2つのグラスがある。
「待たせて悪かったね。ワインは好きかな?」
「大丈夫です。双鴉道化」
テーブルの上に2つのワイングラスとボトルが置かれる。未開封の濃赤色のヴィンテージワイン。コルクもキャップシールもまだ付いたままだ。
「新しい幹部が決まった時は、その新しい幹部とワインを飲み交わすことにしている。まぁ、未成年だった場合はオレンジジュースで我慢して頂くけどね」
そう冗談交じりに語りながら、双鴉道化はキャップシールを開け、コルクを抜く。この動作には一切魔術を使わず、自らマントから手を出して作業する。この“儀式”には並々ならぬ拘りがあるようだ。
ここで分かったことなのだが、手の形からして双鴉道化は成人男性だと考えられる。
双鴉道化はグラスにワインを注ぐ。本来ならば試飲(テイスティング)してからなのだが、このワインに対する絶対的な信頼でもあるのだろうか、グラスの7割ほどまでワインを注いだ。
「幹部就任おめでとう。クライヴ=ソーン。3年近くで幹部就任なんて、私が知る限りでは最速ではないか?」
「いえ、ミランダの方が早いですよ」
「ああ。そうか。彼女は1年足らずだったな」
クライヴはそう言葉を交わしながらワインを口に注ぐ。双鴉道化も同じだが、仮面を外すことは無い。口元で仮面が分割され、仮面の下部パーツが顎の動きと連動するように出来ている。ワインを飲む為に少しだけ空いた口だけでは男女の判別はつかない。
それからも二人は酒を飲み交わした。幹部がどうとか、活動中にこういうことがあったとか、まるで親子か師弟のように笑みを浮かべながら談笑する。
そして、双鴉道化がグラスのワインを飲み乾した時だった。まだクライヴのグラスには半分ほど残っている。
「少し…昔話をしようか」
「イルミナティの…ですか?」
「いや、違うな。この私の…双鴉道化の仮面の下の過去だ…」
クライヴはワイングラスを握り締めたまま固唾を飲む。イルミナティには2つのトップシークレットがある。一つは強欲鴉魔《マモン》の理論、そしてもう一つは双鴉道化の正体である。12世紀の創設時から何代にわたって受け継がれてきた仮面とマントで身を隠し、あらゆる解析魔術を拒絶してきた。巧みな組織運営とカリスマだけが手掛かりだった。その正体が彼自身の口から語られるのだ。身構えないはずが無い。
幹部になったら正体を明かして貰えるのか?と考えるが、1年足らずで幹部になったミランダのことや双鴉道化が何度も下剋上されそうになった事実を考えるとそうは考え辛い。
「これを話すのは君が初めてだな」
そう前置きを語り、双鴉道化は自らの過去を語り出した。
「双鴉道化になる前、私は英国に住んでいた。職を失った移民や貧困層が集まるスラムのような場所だ。とても英国が先進国だとは信じられないくらい酷い場所だ。酒に溺れる父と売春婦の母、その二人から逃れるように私は家に戻らず、地元の不良グループと共に活動していた。
強盗、恐喝、窃盗。生きるために必要なことなら何でもやった。それが悪いこととは思わなかったし、肉食獣が草食獣を喰い殺すのと同じ理屈だ。
“生きる為なら仕方ない”
吊り橋効果と言う奴かな。私は家族よりも共に危ない橋を渡る仲間たちのことを大切に思うようになった。それが家族愛なのか、恋愛感情の亜種なのか、はたまた別の感情なのか。今となっては分からないが、私にとってはかけがえのない仲間たちだった」
「だった…?」
「奪われたのだよ。君と同じようにね。かつて起きた労働者と低所得層による大規模なデモ。私たちはその混乱に乗じて火事場泥棒を繰り返していた。危険なのは承知だったが、そうしないと生きていけない私たちにとってはそれ以外の選択肢が無かった。
しかし、数発の銃弾が私の全てを変えた。過激化するデモ鎮圧のために出動した警官隊の一人が発砲した。フルオート射撃で放たれた弾丸は一瞬で仲間の命を奪っていった。最後尾を走っていた私だけが難を逃れた」
「デモ鎮圧で発砲って…」
「当時のニュースでは上からの指示ではなく、銃の暴発によるものだと報じられている。だが、どっちにせよ私の仲間は命を失った。それからは地獄だったよ。デモは完全に暴動へと姿を変え、人々は何を主張していたのか、何を伝えたかったのかも忘れ、ただ暴力を振るうだけになった。
当時、まだ非力な子どもだった私は仲間の亡骸の前で泣くしか無かった。仲間を奪った人間を恨み、自らの非力さを恨んだ。そう、あの時の君の様にね。
そして、あの時の君と同じように私は出会ったんだ。“前の双鴉道化”に…
君とのやり取りは正直言って、私と“前の双鴉道化”のやり取りの再現のようなものだ。
そして、私は今、双鴉道化となった。
復讐を遂げる為の力を手に入れたんだ。そうなったら、やっぱり最初にやることは決まっている」
「復讐…」
「そうだ。復讐だ。
仲間を失ってから10年近く経ったが、あの時の怒りと悲しみは片時も忘れなかった。あの時の警官を一人残らず殺してやりたいと考えたさ。
ああ、みなまで言うな。自業自得だってことは理解している。生きるためとはいえあんな鉄火場に突っ込んで窃盗をはたらいたんだ。それなりの覚悟だって出来ていた。
しかしな…それにどんな正義や大義名分が掲げられていたとしても、どうしても片付けられない“感情”というものがある」
「……」
「そして、発砲した警官張本人を探し出し、今から4年前の7月11日に積年の恨みを晴らした」
4年前の7月11日、その日付がクライヴの心に突き刺さる。手が震え、瞳孔が開く。興奮が抑えきれない。心臓の鼓動も早くなる。
「双鴉道化…、今、何て言った?」
「聞こえなかったか?なら、もう一度言おう。『今から4年前の7月11日に積年の恨みを晴らした』と…」
クライヴは無意識の内にテーブルに立てかけてあった剣の霊装クラウ・ソラスを握る。
「双鴉道化ゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッッッッ!!!」
クライヴがクラウ・ソラスを鞘から抜き取り、双鴉道化へと斬りかかる。小さな丸テーブルを挟んですぐ目の前、彼の首を羽飛ばすには充分に距離は詰めた。怒りと復讐心に身を任せた躊躇いのない振り、そして微動だにしない双鴉道化。
(確実に殺せる!もう避けも防ぎも出来まい!)
クライヴがそう確信した瞬間だった。双鴉道化の黒いマントが猛禽類の脚のようになり、それがクラウ・ソラスを間一髪のところで防いだ。
「母親と恋人を巻き込んで死なせてしまったことについては謝罪しよう。あの二人を殺すつもりは無かった。しかし、父親については一切謝るつもりは無い。君が私を殺すのに一切の躊躇いと罪悪感が無いように、私にも君の父親を殺したことに一切の罪悪感は無い」
「お前は…お前はぁ!俺を騙していたのか!?ずっと!この4年間!」
「隠し事はしていた。だが、嘘を吐いた覚えは無い。言っただろう?『君が真に強欲を満たしたいと思うなら…力を、復讐を遂げるチャンスを君に与えよう』と。それが今だ」
クラウ・ソラスを振ることで出て来る光の斬撃。幾多ものそれが双鴉道化に襲いかかる。
しかし、それらはマントの腕によって軽々と弾かれ、標的を失った斬撃は部屋の内装や壁を破壊していく。
「そうだ。これも君の霊装だろう?」
強者の余裕なのか、双鴉道化はクライヴのガントレット型の霊装「銀腕の王《ヌァザ=アーガートラーム》」をクライヴに投げかける。クライヴは受け取ると、双鴉道化の動きに注視しながらそれを両手に装着し、ガントレットで銀の魔剣《クラウ・ソラス》を掴む。
「どうしてだ?こうなると分かっていて、どうして俺に手を差し伸べた!!」
「贖罪…かな。君の母親と恋人を殺してしまったことに対するささやかな償いだと思ってくれ。これが最初で最後のチャンスだ。復讐を遂げるなら…今しか無いぞ?」
「ああ…。俺のチャンスを与えたことを後悔させてやる!!」
クライヴの周囲で大量に生成される氷槍、輝く銀の魔剣、復讐に燃える怒りの矛先は全て、双鴉道化に向けられた。
同時刻 イルミナティ地下施設
燃え盛る炎と鳴り響く雷鳴。大理石の壁と柱はことごとく破壊し尽くされ、数多の死骸と流血、焼死体が地面を埋め尽くす。
「ちくしょう!何でイギリス清教にここの位置がバレてんだ!?」
「逃げろ!逃げろ!あれはヤバ過ぎる!」
「何で幹部が一人も居ない今を狙われるんだ!?」
「ボスに報告しろ!もうあの人にしかどうにも出来ねえ!」
戦いに慣れていない構成員は命からがらその場から逃げ去ろうとする。しかし、すぐに地面を走る雷撃に捕らえられ、そのまま数億ボルトもの電流を流される。感電死なんて生ぬるい表現じゃない。炎で焼かれた時と同じような焼死体の出来上がりだ。
「悪、い。気持ち悪い気持ち悪い!死ね死ね死ね死ね死ね!」
見敵必殺、敵勢殲滅と言わんばかりに冠華供琥はイルミナティ構成員たちを次々と虐殺していく。感情と殺意のあるがまま刀と魔術を振り回し、ダメージを受けても蛇の死と再生の象徴を利用した再生魔術ですぐに傷を癒す。
それとはまた別の場所では全身傷だらけの狂人が幹部であるウィーを地面に抑えつけ、大鋏の両刃を首筋に当てて力を入れる。
「お前、強かったなぁ!……欲しい……その首が是非とも欲しい!」
「や、やめろ!僕はまだ死ねない!う、うちにはもっと強い幹部がいるぞ!僕はまだまだ弱い方だし、弱い僕よりもっと強い幹部の首の方が良いんじゃないかな!?うん!そうだね!もっと強い幹部の首の方が価値はあるよね!今はここにいないけど、今度、紹介するよ!合コンのセッティングしようか!?メアド教えるから!」
「お前が弱い?……そんなことねぇだろ。俺と戦いながら教会の魔術師を20人ぐらいついでにぶっ殺したお前が弱いわけねえよなぁ!?」
狂人は更に強く大鋏をウィーの首に押し当て、手に力を入れる。
「や、やめてくれ!どうか命だけは!せめて『お姉ちゃんは認めません!』の最終話を見るまで――――――――ザクッ
狂人は大鋏でウィーの首を切断する。噴水のように溢れ出る血、血肉がグチュグチュと音を立てて切断される音、そして鈍い音と共に硬い骨は切断され、ウィーの首は完全に身体から切り離された。
「あっはっはっはっは!!ちょっと役者不足感が否めないが、とりあえずお前で我慢しておくぜ!」
生首を掲げて狂人、
冠華霧壱《カンバナ キリヒト》は高らかに笑う。
「まったく…こんな奴らと一緒に仕事とはね…」
背の高い赤髪の神父は煙草を吸う。目元にバーコード、大量のピアスを付けたその姿はとても神父とは思えないが、彼の着ている黒いコートはれっきとした神父の服だ。
ステイル=マグヌス
必要悪の教会に所属する魔術師であり、現存するルーン標準24文字を完全に解析、新たな文字を6つも生み出す天才である。
「僕としては、こんな仕事さっさと終わらせたいね」
そう言うと神父はルーンが書かれた大量の紙をポケットから出す。紙は一人でに飛び出し、地下施設の壁という壁に張り付く。
世界を構築する五大元素の一つ、偉大なる始まりの炎よ
それは生命を育む恵みの光にして、邪悪を罰する裁きの光なり
それは穏やかな幸福を満たすと同時、冷たき闇を滅する凍える不幸なり
その名は炎、その役は剣
顕現せよ、我が身を喰らいて力と為せ
魔女狩りの王《イノケンティウス》!!
突如、十字架を持った炎の巨人が顕現する。重油のようにドロドロとした物体で形作られる人の形、それが燃え上がり、摂氏3000度もの熱と炎を周囲に振り撒く。触れるだけで全てを溶解し、灰も残さず燃やし尽くす。
イノケンティウスは十字架を振り回すとそれだけで施設は壊滅的なダメージを受け、そこに居る人間達は一人残らず、死骸を残すことも無く燃え散っていく。あまりにも一方的な虐殺だ。しかし、ここにそれを罪悪を感じている者はいない。
「相変わらず、お前の戦いは見ていて飽きねえなぁ!ステイル!いつかお前の首もコレクションに欲しいぜ!」
「そんなのお断りだね。そもそも僕は――――――ん?」
ステイルは通信用の護符の異変に気付く。冠華兄妹も気付き、3人とも護符を取り出す。
地上にいるメンバー達から通信が入らない。同時にこちらから状況報告も出来ない。完全に地下と地上を繋ぐラインが途切れていた。
「まずいな…。護符の術者は地上にいる。もし術者に何かあったとしたら…」
「出入口は封鎖されて、私たちは地下に閉じ込められる…そういうことですね。不快です」
「場合によっては地下施設ごと僕らを葬るかもしれないね。向こうは代わりなんていくらでもあるようだし」
「じゃあ、今日はこの辺で終わりにすっか。個人的には収獲はあったしな」
そう言いながら霧壱はウィーの生首を再び掲げる。
「それをこっちに向けないで下さい。不快です」
「僕としても同感だね」
ステイルは踵を返して出口に向かおうとした瞬間だった。
「……る。殺してやる。あの野郎を…双鴉道化を…」
クラウ・ソラスを杖代わりにし、通路の奥、その暗闇から満身創痍のクライヴがこちらに向かって歩いて来る。右腕は肘から先がな唸っており、左足ももうすぐ骨が見えそうなほど肉が抉られていた。
3人は身構える。特に先日戦った供琥はその雪辱を晴らさんとばかりに刀に電撃を纏わせる。
しかし、互いに何かアクションを起こす前にクライヴは気を失い、その場に倒れ込んだ。
現代 11月3日 学園都市
マチが入院する病院の
談話室。人払いのルーンを扉に張り、誰も近付かないように配慮されたこの部屋でクライヴは過去をセスに語っていた。
「そして、冠華兄妹、ステイルに拾われて俺はここに入った。イルミナティと双鴉道化の情報を手土産にな」
「そうだったんですか…」(どうりで冠華供琥と仲が悪いわけだ)
「俺から話せるのはここまでだな。後は幹部の弱点とかそれぐらいだな。そっちの方はこっちのタブレットに情報を入れて共有出来るようにしている」
クライヴがセスの顔色を窺うが、どこか気の悪そうな顔をしている。
「どうした?」
「いや…その、過去を聞きたいなんて軽率なこと頼んですみませんでした。ウチの職場って壮絶な過去を歩んだ人が多いのに…思慮に欠けた行動でした」
思いのほか壮絶な過去を聞かされて凹んでいる。一般人から見ればセスも大概だが、クライヴのそれは遥かに凌いでいた。
「まぁ、気にするな。過去は否定しようのない事実だからな。受け入れるしか無いんだ」
そう言うとクライヴは立ち上がり、セスの頭をわしわしと撫でる。
「さて、昔話はここまでだ。これから大仕事が待っているぞ」
* * * *
第七学区
(魔力だ…あの女から魔力を感じる…やっと見つけたぞ…イルミナティの魔術師!!)
最終更新:2013年05月15日 23:06