♠  ♥  ♦  ♣


「「私の世界を 守る/壊す ために」」

彼女たちは、現在の分岐点を変えることで、望む未来を観測しようとした。


♠キャスター(仁藤攻介


異変に気付いたのは、ホテルの窓から見張りを続けていたグリフォンだった。

そして牧瀬紅莉栖の呼び止めたタクシーで仁藤攻介が現場に駆けつけた時、そこはさながら腐敗地獄ともいうべき有り様になっていた。

仁藤が真っ先に思ったのは、マスターを直前でタクシーから降ろして良かったということだった。
次に思ったのは、ビーストに変身した状態で駆けつけて良かったということだった。
耐久力を向上させたビースト、かつサーヴァントの身でも、砂浜一面に拡散された刺激臭と腐敗臭には、こんな醜悪な臭いはないと感じる。
サーヴァントの身でもこの不快感ならば、ただの人間はあっという間に有毒ガス中毒で昏睡から目覚めなくなっていただろう。
そして、視界に写る景色はもっと凄惨だった。
白くきれいな砂浜だったのだろうビーチは、黒褐色の汚泥で覆いつくされ、早くも堆積したそれに耐えられずに海面へと陥没を始めている。
海岸に打ち寄せる波もとうに汚染されてしまった海水のそれであり、むしろ打ち寄せるたびにその陥没を進行させる有り様だった。
その汚泥の合い間からごろごろと姿を覗かせているのは、おそらく異変が生じる前までは人間だったのだろう白い骸骨。彼等は釣り客か海岸公園を訪れた散歩客だったのか。骸骨から微かに聞こえるシュウシュウという溶解音は、臨終の際に『生きながら溶かされた』のだという事実を嫌でも想像させた。
その、黒く染まった海浜公園を、悪趣味な巨大ムツゴロウのように砲を携えてベタベタと這い回る異形たちがいる。

「いや、本当にアイツを置いてきて良かったわ……朝に見たのもきつかったけど、こいつはそれ以上だろ」

総数は5匹ばかり。
カタカタと歯を鳴らしながら砂浜を這いずり、さらに腐食を広げるべく黒い汚泥を踏破しようとするようにも見える。
青白く発光する両眼は、まだ生きている次なる標的を探すように左右を見回していた。
海岸の景色を一変させた侵略者が彼等だということは、疑いようなかた。
そしてこの異形が進むたびに、土地がこの汚泥海岸のように滅びていくことも明らかだった。
そして、牧瀬紅莉栖の避難はグリフォンに任せてきた。今頃は公園の裏手にある森林にでも身を隠しているだろう。

「しょうがねぇ。ランチタイムは終わっちまったが……マスターが安心して夕飯を食えるようにするためだ!」

あれらにこれ以上の侵攻を許したら、町がどうなってしまうことか。
仁藤にしても、町に住むNPCがかりそめの命であり、聖杯戦争が終わるまでの命であることは理解している。
しかし、指輪の魔法使いと共に人々の希望を守ってきた魔法使いにとって、明日に失われる命よりも今日の命だ。
殺しつくされても良しとする神経は持ち合わせていないし、そもそも彼等のような化け物が街中をうろつくようになったら、マスターの生活にも関わる。
彼女が滞在するビジネスホテルとこの海岸線は、タクシーならあっという間の距離なのだから。

「町を食われる前に、俺が食う!!」

ビーストのことを敵性存在として認識した異形――駆逐イ級たちが、次々を開口して砲塔を剥ける。
彼等が初弾を放つよりも早く、野獣は地を蹴った。

「おりゃあ!」

整列して一斉掃射しようとしたイ級のうち一体にドロップキック。
そのまま投げ上げて海に叩き落し、射線に空きを作る。
蹴り飛ばされたイ級の砲塔は無理矢理に上を向かされて上空の在らぬ方へと暴発し、同時にビーストの背後で5インチ単装砲が遅れて爆ぜた。
まだ汚泥に染まっていなかったボードウォークが後かたもなく吹き飛び、焼失していく。

「いってぇ……こりゃあ、触るだけでもことだな」

しかし仁藤に苦痛の声を挙げさせたのは、背後に迫る被害ではなくイ級を投げたばかりの両手だった。
イ級が首をまげて砲塔を仁藤のいる方角へと合せようとしている動きから逃れるべく泥地を駆けつつ、その両手を確かめる。
触れていたのは数秒にも満たない間だったが、それでも熱した鉄板に触れたかのように熱を持ち、少しだけ握力が落ちていた。
サーヴァントである仁藤でさえ直接に触れると痛みを伴うのだから、ただの人間を白骨にまで溶かすだけの脅威はあるだろう。
イ級が這い回った泥地もイ級そのものよりは腐食が低いが、それでも足裏にはヒリヒリする感触が残る。
凶器を使わず、生身の身体で対峙するのは遠慮したい相手ということだ。
ならば、

「だったら……こいつだ!!」

薬指に赤い指輪を差し替え、腰に装着されたビーストドライバーへと押し当てる。

ゴーッ!バッバ、ババババッファー!

猛牛の頭部から攻撃的に角をとがらせた赤いマントが現れ、ひらりと魔法使いの身を包んだ。
両脚を大きく開き、腰を曲げて身を低くした姿勢は万力を溜めていざや突進せんとする猛牛の構えにも似ている。
即座に、右手を大きく頭上へと振り上げた。
イ級の射線が仁藤に再照準されるのとほぼ同時。
見た目には大きく変わっていないビーストの拳は、バッファマントの効果で尋常ならざる怪力を宿した必殺の力に変わっている。

「いただくぜ」

拳が一閃。
穿つのは、イ級の身体そのものではなく大地。
その瞬間、地面が大きく波打った。

強化された拳が一瞬で泥地を割る。
汚泥をすべて貫通して、まだ泥化していない砂地を剥き出しにする。
時化(しけ)が来た大海のように、天気晴朗からスコールの真っただ中に放り出されたように、イ級の身体が例外なくのたうった。
ただ一つの拳が起こした衝撃の大波は赤いエネルギー波を伴い、それだけで装甲の脆い生き物ならばバラバラにしてしまうほどの威力を伴っていた。
イ級の装甲がひしゃげる。毎分28発のペースで掃射を続けようとしていた5インチ砲台が、弾を詰まらせて自壊していく。
衝撃波の圏内にいた浜辺のイ級すべてが、数瞬の後にはぐしゃりと形を失くしていた。
泥地へと轟沈していったイ級の戦地跡に残されたのは、黒々とした光をまとったイ級の魔力だった。
それは一瞬で魔法陣の形に散華されて、ビーストのドライバーへと吸収されていく。
ゴポリ、ゴポリ、ゴポリ、ゴポリと嚥下するような音を立てて、仁藤の中に住まうキマイラが魔力を飲みこんでいった。

「ごっつぁ……うおっとぉ。あぶねえあぶねえ」

泥地に壊れたイ級の火花が着火することで、オイルの上に火種を起こしたごとく浜辺が炎上を始める。
それを仁藤は素早くファルコマントに付け替えて飛翔ことで退避し、散歩道のボードウォークだった地点を飛び越え、海浜公園の芝生へと着地した。

「ふぃー……マグナムを使わなくて良かったー……」

もし使っていたら火種を投げ込むような行為だったと冷や汗をかき、芝生の広場自体には火の手が届ききっていないことに安堵する。
改めて、いつも通り、ごっつぁんと両手を合わせようとした時だった。

常ならない異変が、仁藤を襲った。

「――――ォゴッ」

仁藤の体内から、それは起こった。

なにかがのど元をせり上がり、ひと撫でするような感触が最初。
それは、とてつもない嘔吐感となって現れた。
かろうじて変身解除は持ちこたえたものの、全身から力が抜けて膝をつく。

「ァ――ハッ――?」

続けて、胃の中を内側から焼かれるような痛みが走る。
刺激物を飲んだというより、凶器そのものを飲みこんでしまったような生理的危機感が本能に訴える。
以前にマンティコアのファントムから毒を受けた時と似ていたが、あの時と違うのは毒を打たれたという認識ではなく、『毒物に等しい何かを飲み込んでしまった』かのような焦燥にかられることだ。

「何、食ったんだ俺っ…………さっきの、バケモノか?」

それは、ヘドラというペイルライダーについての知識があればまず行わない悪手だった。
『サーヴァントに似た正体不明の化け物』をいつもと同じように魔力吸収してしまったことは、仁藤にとって無理からぬ行為であり、しかし致命的な失敗だった。

仁藤はこれまで、食事をしたことで死ぬような思いをしたことなどなかった。
彼の中にいるキマイラは、悪食の上に大食いだ。東京じゅうに拡散されたエクリプス(魔力吸収儀式)の指輪の力だろうと、全て食らいつくしたほどに。
だからこそ、彼はこれまで食らう魔力を意識して選別してきたことなど無かった。キマイラは中毒とも食あたりとも無縁の存在であり、体内に毒を持っていたマンティコアのファントムでも、魔力を食らう分には何ら問題なかった。
しかし、ペイルライダーである駆逐イ級の場合は違う。
デミ・サーヴァントの身体を構成する魔力そのものが汚染されており、イ級のすべてが劇毒そのものに当たるような状態だ。
それを吸収してしまうのは――手で触れただけで炎症を起こすような刺激物を、経口摂取してしまうのに等しい。

しかし、仁藤はそれでも打開を図ろうとした。

「っぐぬぐぐぐぐ、なんの、これしきぃ……!」

気力で変身が解けないよう魔力を維持すると、指輪を青いドルフィリングへと持ち替える。

ゴーッ!ドッドッドッドッ、ドルフィー!

青い魔法陣が仁藤の身体を通り抜けるや、マントは赤から青へと変わり、肩から突き出したファルコンの頭部はイルカのそれへと変貌した。

「ハッ!」

ドルフィマントをはためかせ、マントから青い鱗粉を散らすようにして周囲に魔力を散らした。
鱗粉がビーストの全身を包み、それはやがて治療の光へと変化する。
それは、ドルフィマントを纏った時にのみ行使できる治癒魔法。
本来ならたいていの毒は書き消してしまう、古の魔法使いにしか使えない魔法だった。
しかし、それでも、

「治りが……おせぇ?」

痛みが緩和された感覚はあったものの、症状の大半が体内に残存している。
それは、ドルフィリングの治癒力よりもペイルライダーの『腐毒の肉』の方が強いということを意味していた。
これまでにビーストが遭遇してきた有毒生物が、あくまで毒ヘビや毒サソリのような生態の機能としての毒だったのに対して、駆逐イ級のそれは公害の汚染物質を蓄積させた水棲生物が持っているそれに近い腐毒だった。
古(いにしえ)の魔法使いが生み出された時代には、間違っても存在していない類の毒物であり、解毒治療の効果も遅々として進まない。

そして、
海岸に侵攻していた駆逐イ級を発見したのは仁藤達だけではなかったし、
それでも戦闘に介入することは無かった『彼等』が、毒に倒れたサーヴァントを見て好機だと判断しないはずがなかった。

「新手の、サーヴァントかよ……」

ただの人間ならばとても介入できないような腐敗物質の火事場を背景にして、彼等は次々と霊体化を解いて姿を現していった。
何も、町じゅうに手駒を徘徊させていたのは、御目方教だけでもなかったらしい。
そう納得したのは、彼等がそれだけの『数』を有していたからだ。

トランプのマークがデザインされた衣装を来た、6、7人ばかりの兵士たち。
クローバーとスペードのマークで混成された、真っ黒なサーヴァントの一団だった。
クローバーのマークを持つ者は棍棒をにぎり、スペードのマークを持つ者は槍を携える。

「腐った肉を漁りに来たハイエナってわけか……いいぜ、口直しのデザートにさせてくれや」

身を起こすのも厳しい体でサーベルを構えて啖呵をきっても、トランプの兵士たちは答えない。
皆まで言わないどころか、一言も言葉がない。
じりじりと、手負いの獣を囲って仕留めるように、冷徹な眼で包囲網を狭めていく。

彼がよく使う言葉であり、ごく一般的な言葉でその状況を現せば、
キャスターは今、絶対絶命のピンチに陥っていた。




「あら、あの使い魔の御主人さまはあっけなく脱落したようね……」

他の信者からも港湾部の各所で火の手があがったという報告は受けていたけれど、椿はさしあたり、牧瀬なるマスターの動向に注意して海岸部の事件を追っていた。
今日になって急に出現するようになった謎の生命体の情報はできるだけ欲しいけれど、まずは接点のある主従の視点から追った方が把握もしやすいと踏んでのことだ。

最初にバケモノを発見した小学校用務員は殺されてしまったようだったので、近場で買い出しをしていた主婦の信者に電話をして、K賀浜を出入りする者を公園入口から見張るように指令を出させた。
用務員の二の舞にならないように、海岸線には近づかないようにとも注意しておく。
すると、未来日記が椿の行動を受けて未来を変えた。
数十分後の未来に、その信者が結果を報告する予知が記されていた。

『信者  (主婦)
 森林公園から走り出てくる女性を目撃した。
 報告を受けた牧瀬という女性の特徴と一致した。
ひどくショックを受けたかのような呆然とした様子。足取りもおぼつかない。
 標的だと指令を受けていたので使者を使って攻撃したところ、あっさりと死亡した』

それが、その戦闘の最終的な結末になると未来が予知されていた。

「つまり、この女のサーヴァントは敗北して、女も殺される。
ここで主従が一組脱落する……ということかしら」
「信者でもあっさりと殺害することができた……ということはそうなんだろうね。
 緑の使い魔が予知に出てこないのも、サーヴァントが殺害された時に消滅したと考えてよさそうだし」

ホテルを出て行く時は一人に見えたというが、そばに霊体化したサーヴァントを控えさせなかったはずもない。
つまり、彼女は連れてきたサーヴァントを倒されたので離脱しようとしたところを、椿の派遣した信者に見つかって殺害されたということだ。

「だとしたら、せっかく泳がせておいたのに……無駄になりそうね」
「そういうことだね。残念だけれど、脱落してくれたならそれに越したことはない。
 それにこの戦闘は、あの使い魔が海岸まで誘導してくれたおかげだし、それを確認できたのは君のおかげだ。感謝こそすれ、悔しがることじゃないよ」
「あら、私もやっと目に見える形で役に立てたのね。もっとも、半分は偶然の産物だけど」

それは、あまりにもあっさりとした結末であるような気はしたけれど。
千里眼日記で予知されている以上、彼女はその通りなのだろうと納得した。
未来日記は嘘をつかない。
信者が洗脳されたとか、信者が見たものを誤認するような予知がされることはあっても、
予知された出来事が実際には起こらない、なんていうことはない。
なぜなら、未来日記が予知したことを変えられるのは、同じ未来日記所有者だけだから。
ただの人間に、確定した未来を捻じ曲げることはできないから。

「これからどうするの? 学校には別の手を打った方が良いかもしれないし、海に上陸した生き物のことも調べないといけないわね」
「そうだね。まずは市街地の港湾部にいた信者からの報告も聞きたいかな――」

だから、椿も彼女のキャスターも、『牧瀬という主従の脱落』を既にあったものとして話を進めようとしていた。
千里眼日記には、絶対に変えられない未来が書かれている。
その前提で、話をしていた。
だから、



――『千里眼日記が何もしていないのに書き換わる』という出来事が起こった。



「え?」



その時に、椿は弱視だったその眼をぎょろりとひん剝かせた。



慌てて巻き物へと虫眼鏡をかざし、変わってしまった文面を読み取る。
そこには、それまで全く書かれていなかった新たな登場人物のことが書かれていた。



『信者  (主婦)
 白いドレスの少女と、黒衣の少女が突然現れて公園に入って行った。
見たことがある顔。汚職事件のニュースで噂になっていた美国議員の娘に似ている。
二人がこちらに気が付いた。
黒服の、恐ろしい金色の眼が、こちらを見て――』


♥牧瀬紅莉栖


その白い少女は、まっすぐにこちらへと歩いてきた。

「貴方、金獅子のサーヴァントのマスターですね」

道の無い森林をまっすぐに、最初から牧瀬紅莉栖を目当ての人物だと確信しているかのように。
白いドレスの裾を揺らして、余裕と気品を友として。
グリフォンが紅莉栖の掌の上で威嚇するように羽根を広げる。

「ああ、その子だったんですね。ソウルジェムにキリカ以外の使い魔が反応したからびっくりしたけれど、おかげで場所が分かりました」
「だったら、何だって言うの……?」

精いっぱい冷淡に切り返したけれど、微笑をたたえたその表情は泰然さを崩さない。
キャスターが離れているところを不意討ちで訪問されたという有利不利だけではない。
佇んでいるだけで、人を圧倒しようとする気迫を放っている。
初対面でありながら、そして彼女の方がずっと年下のようでありながら、その少女は正しく紅莉栖より優位に立てるだけの力がある強者だった。

「貴方を探していました」

紅莉栖の目から、彼女のステータスらしきものは見えない。
それはおそらく、彼女がサーヴァントではなく、マスターの側である可能性が高いことを意味している。
しかし、この少女は、人間かどうかはともかくとして、まぎれもない特別製だ。
こういう場所に立つために生まれてきたか、こういう場所に立ちたくて生きてきたか、そのどちらかの存在だ。
そして、恐ろしいのは彼女の目的が読めないということ。
こちらを殺すつもりで近づいたのかと問えば、その瞬間に殺されていてもおかしくないということ。

令呪でキャスターを呼ぶ。
そう決めた時、先んじたように少女が口を開いた。

「ああ、令呪は使わない方がいいと思いますよ。きっと無駄になりますから」
「どういうことよ……!」

声が焦りと震えを帯びる。
そして、彼女の前でそういう動転を見せてしまったことが恥ずかしくなった。

「ご心配なく。無駄になると言ったのは必要ないからです」

少女はそう言って、やり過ぎたかと反省するように、大人が子どもを見るように、にっこりと笑ったのだから。

「私は、貴方達を救けに来たのですから」


♠キャスター(仁藤攻介)


そこは地獄絵図というよりも、異形の国のワンダーランドに変貌した。

間断なく繰り出される槍と棍棒の連携された刺突を、殴打を、紙一重でかわし、ダイスサーベルの魔弾を撃ち、回避し、回避しきれずにダメージを増やし、戦闘続行のスキルを酷使し、受け止め、マントで眼をくらまし、命を拾い続けた。
トランプたちはビーストの戦いまで監視していたのか、徹底して新たな指輪を使わせないよう連続攻撃を緩めない。それぞれの強さには落差があって、クローバーで数字の小さい者はよくまとめて食べていたグールとそう変わらない腕前だったが、スペードで数字も大きい者はファントムにもそう劣らない程度に鍛えられている。そして最も性質の悪いことに、よく連携が取れていた。
どうにか攻撃の隙をかいくぐってマスターと念話し、令呪を使わせるだけの余裕を得られないかと足掻いていた真っ最中だった。

魔術回路に毒が回ろうと、諦めてはいなかった。
しかし、刺殺か撲殺という死はすぐそこにあって、既に足元を掴まれていた。

その戦場に、見覚えのある影が躍った。
トランプの少女に負けず劣らず、そこを不思議の国かと錯覚させる装いをした漆黒だった。

「お前……!」

戦場を断ち割ったのは、乱入した影が振り回す巨大な鉤爪だった。
否、それはもはや鉤爪と呼ぶよりも黒金の鞭だ。
幾つもの鉤爪を連結させて造形されたそれが数体のトランプ兵士に直撃し、抉り、跳ね飛ばし、クローバーの一体には致命傷を与える。
更にひとしきりぶるんと黒金を振り回し、兵士たちを散らしてから、見覚えのある影は仁藤の眼前に屹立した。
どこか獣めいた黒の燕尾服を着用し、異形の残骸と燃え盛る汚泥を背景にして。
そして、驚愕する仁藤を置き去りにして、少女は加速した。

(速い……!)

散らした兵士たちが反撃の一手を打つ前に、少女は十手を打ちこむような速さで走った。
仁藤の攻撃が鈍くなったように感じるのは、毒が魔術回路を巡った影響もあるだろう。
しかしその仁藤の鈍さを差し引いても、少女は明確にクローバーやスペードと違う次元の速さを味方につけていた。
おそらくは何らかの補助魔法を使っているのだろう。
魔豹のように動き、鎌鼬のように刺している。蝶のように優雅でも、蜂のように脆くも無い。
一体、また一体と爪痕をトランプの兵士に残し、削っていく。

(やっぱりこいつ、ただのバーサーカーじゃねぇ……)

仁藤はそう確信した。
何故なら、この戦場の中心で倒れている仁藤攻介は、一度も攻撃を受けていないからだ。
彼女は、明らかに敵を選んで攻撃している。
進行方向に存在するもの全てを排除すると言わんばかりの凶暴な殺意を放ちながらも、ビーストを攻撃しないように、トランプ兵士だけを攻撃するようにと意識している。

それが彼を守るためかどうかは分からないにせよ、二重の意味で驚くしかなかった。
同盟関係など不可能だと思われていた――一度は使い魔相手とはいえ交戦したバーサーカーに、今度は援けられているのだから。

場の趨勢は、完全に乱入者の者になった。
それを確信したのか、生き残っていた二体のスペード兵士は互いに頷き合うと霊体化して消えた。
ご丁寧にも時間を稼ぐために、クローバーの兵士の死体をバーサーカーに向かって投げつけるという蛮行付きで。

敵は撤退を選択した。
軍勢の数を減らしたという意味では少女の勝ち星だったけれど、彼女は見るからに満足していないようだった。
仕留めきれなかったことに不機嫌そうな唸りを漏らして、また沈黙に戻ってしまう。

「おい――なんで俺を助けてくれたんだ?」

訊ねても、見向きもされない。
あるいは、怒りのままに暴れるのを彼女なりに堪えているのだろうか。
彼女はやはり狂戦士(バーサーカー)だった。
忠を尽くしている相手の言葉でなければ、答える頭は持たないのだ。


♥春日野椿


牧瀬は、死ななかった。

しばらく先の未来に、ホテルへと客人を連れて戻って来る未来が予知されていることから、彼女が生存する運命になったことは確定された。
未来は、変えられたのだろう。おそらくは、白と黒の少女たちに。

「私の他にも、未来予知の力を持ったマスターがいる……!」

未来日記で予知された未来は、未来日記所有者にしか変えられない。
もっと言えば、予知能力者にしか変えられない。
椿が『千里眼』と『神』の存在を知った時から託宣された、絶対不変の原則だ。
春日野椿も知らない彼女の死後の未来では、ある日記のせいで日記所有者が増殖していったことによってだんだん予知を覆せる者の線引きも曖昧になっていくのだが、それでも 『未来を知らなければその未来を変えられない』ということは絶対的な大原則だ。
少なくとも彼女は、自らの陣営が起こした行動以外によって千里眼日記の予知が書き換わったところを、過去に見たことがない。

自分だけだと思っていたアドバンテージを覆す存在がいたこと。
そして、それが覆される光景を、信頼されていたキャスターの見ている前で演じられたこと。
二つの屈辱が重なって、椿は着物の裾を握りしめて耐えていた。

「大丈夫だよ。君は一度は死んだはずなのに、その『DEAD END』を覆してここにいるのだろう?
 結局は、最後に大きな流れを掴んでいた方が勝つんだから」

白く透き通った――文字通りに実体を欠いて半透明になりつつある――その手で、彼女のキャスターがその背を撫で、甘い言葉を吐く。

千里眼日記に介入する力を持った者もいるとなれば、なおさら戦いは激化するだろう。
各地の港湾部に出没している、侵略者の存在も気にかかる。
敵だらけのこの土地で、彼等は最後に立つ者でなければならない。

「僕らの世界を壊すために、この世界で生き残ろうね」

世界を溶解させようとする侵略者も、侵略者から世界を守ろうとする救済者も、彼等には否定すべきものだ。
彼等は復讐者だった。
マスターは汚い人間と、世界への復讐。
サーヴァントはただ一人の『天才』と、それが存在することを認めた世界への復讐。

故にマスターは誰も彼もに平等な、この世界を守ろうとする意志など認めない。
故にキャスターは、誰も彼もに平等な、ただ殺すだけのつまらない死など認めない。
彼らの未来は彼らが操り、彼らの世界は彼らが壊す。




美国織莉子が牧瀬紅莉栖という少女を連れて浜辺へと近づくと、そこには未だ炎の消えない跡地を背にして微妙な対峙をするキリカとキャスターのサーヴァントがいた。
事前に念話で双方のマスターからサーヴァントへと無事は伝えていたものの、サーヴァント同士では未だに警戒は解けていない。
一度交戦し、危機を助けたとはいえかなり一方的だったことを考えれば無理からぬことではあるのだが。
キャスターの方が未だ苦しそうに見えるのは、遅効性の攻撃でも受けたのだろうか。
キリカはキリカで、今朝がたに自分が撃破して褒めてもらおうとした相手を救いに行けと言われたことで未だに機嫌悪そうに織莉子を見た。
不満そうにはしていても、彼女が織莉子の頼みに応えないはずがないという信頼あっての指示ではあったのだが。
これから自分が告げる言葉を理解すればさらに不機嫌になりそうなのが、織莉子としても心苦しいところだ。
けれど、告げねばならない。
この世界を揺るがす『敵』の、あまりの強大さを知ってしまったのだから。

純白のドレスに、真っ白の帽子。白銀の髪色。
いつもの魔法少女の装束を見て何かを連想したのか、キャスターがこう呟いた。

「白い魔法使い……」
「いいえ、魔法少女です」

そう、今は魔法少女だ。
愛する者のために戦う一人の個人であり、同時に世界を守る魔法少女だ。矛盾はない。

「えっと、さっきも言ったけど、争う意思がないらしいのは本当よ……貴方が助けてもらったのも、本当だったみたいね。だから――」
「いや、皆まで言うな。俺だって感謝してる。改めて礼だって言いたいんだ。ただ――」

牧瀬紅莉栖がキャスターの元へと駆け寄って我先にと話しかけるが、特に妨害はしない。マスターを人質にとって現れたように誤解されても困る。
すでにこちらの方が相手の手の内を知っていることと、危機から救ってみせたという精神的アドバンテージはこちらにある
ここで輪をかけて威圧を加えるのは、かえって逆効果だろう。

「――何か心境の変化があったのか、それを知りてぇんだよ」

何故なら、彼女たちにはぜひとも協力を得なければのだから。
同盟を組むことを躊躇っている場合ではないと、予知してしまったのだから。

織莉子はその原因を、一息に言った。

「この世界が、危機に陥っているからです」

「「…………は?」」

その未来の景色にいたのは、先ほどの異形などとはてんで比較にならない艦隊の首魁だった。
それは、海からやってくる。
それは、人でない身でありながら人の姿をしている。
それには、世界中を滅ぼしかねない憎悪が宿っている。
それは、ありとあらゆる全てを溶解させる。滅ぼす。亡き者にする。
それは、あってはならない未来だ。
いずれルーラーが何らかの討伐令を出すのかもしれないが、それを悠長に待っているわけにもいかない。
この世界で勝ち残り、聖杯を獲る。
聖杯戦争の世界そのものを滅ぼさせない。
それが彼女の願いを叶える、前提条件なのだから。

「私は、私たちの願いを叶えるために、まずこの世界を救いたい」

かつては、世界を救済することが自分の使命だと定めてきた。
でも、いつの間にか、そしていつだって、世界の中心にはキリカがいた。

――そして今や、世界を守らなければ、貴女を守れない。


♠  ♥  ♦  ♣


そこにいたのは、科学の少女と、魔法少女。
聖杯を否定した少女と、聖杯を求める少女。

正しい世界のために、1人で消えようとした少女。
正しい世界のために、1人を消そうとした少女。

過去に戻って、幾度もやり直した男の助手だった少女。
過去に戻って、幾度もやり直した少女の敵だった少女。

未来を変えようとした二人の少女と、そのサーヴァントである二人がそれぞれ対峙していた。

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最終更新:2016年05月20日 23:16