聖杯戦争のマスターには、
『戦うマスター』と、
『戦わないマスター』がいる。

だからといって、
『戦わないマスター』が弱いわけではない。


♠  ♥  ♦  ♣

偽りの世界の空が、抜けるような青から黄昏色へと変わりつつある頃。

陽が沈む頃までじっくりと休息する予定だった青木奈美は、思いがけぬ来訪によって叩き起こされた。
否、実際に叩いて起こされたわけではないが、それに近い衝撃をもたらされて目覚めたのだ。



 『ルーラーからの、新しい通達だぽん』



まどろみから目覚めた時、見覚えのある生き物がそこにいたのだから。

『マスターに1人1人伝えて回ってたから、順番が遅くなっちゃったのは申し訳ないですぽん。
 これより討伐対象の追加をお知らせしますぽん』

『ルーラーからの討伐対象の追加のお知らせ』という言葉も衝撃的ながら、奈美を心底から動揺させたのは、それを報せに訪れたのが『彼』だったということだ。

名前を知っている――ファルだ。
ご主人さまを知っている――あの実験施設ではともに戦った、白雪のように曇りのない魔法少女だ。

彼女は、それだけしか知らない。
魔法少女デリュージは、白雪の冬に届いた後の白黒(ファル)にしか面識がない。
デリュージは、『正義の魔法少女(スノーホワイト)のマスコット』としてのファルしか知らない。

『新しく討伐対象としてサーヴァント『ヘドラ』及びそのマスター『空母ヲ級』が設定されましたぽん』

しかしだからこそ、眠気など全てさっぱり吹き飛んでしまった。
そして、

「なんで貴方が、こんなことやってるんですかっ……!」

怒りを、露わにした。
そのマスコットのご主人さまは、デリュージにとって一番の恩人だった。
デリュージが知っている『本物』の魔法少女たちの中でも一番正しくて、善良で、一緒にいれば安心と勇気をくれる魔法少女だった。
悪い魔法少女を退治してくれるはずの、魔法少女だった。
その魔法少女のマスコットキャラクターが、相棒が、よりにもよって『血で血を洗う殺し合い(せいはいせんそう)』に加担している。
悪趣味な間違いだということにしたかった。
彼等まで『こちら側』にいるとなれば、世の中に『正しい魔法少女』なんていないも同然ではないか。

「偽物ですか!? 洗脳ですか!? 幻覚を見せる、嫌がらせのつもりですかっ!?」

インフェルノの『悪い魔法少女をやっつけろ』という願いを無下にするようなことをしている、マスコットが許せない。
『マスター(殺し合いの参加者)』としてここにいるデリュージだからこそ、許せない。
何より、『ファルがここにいるなら、あるいはスノーホワイトも……』と疑ってしまう己のことが嫌だった。

「それとも…………所詮はスノーホワイトも、『魔法の国』の魔法少女(ヒト)だったってことですか?」

デリュージの見てきた、インフェルノが信じた、スノーホワイト像が誤りだったのか。
現実には、『正しい魔法少女』なんて何処にもいなかったのか。

『違いますぽん』

しかしファルは、震えの混じった電子音声で否定した。

『ファルが仕えている魔法少女は、スノーホワイトじゃないぽん。ルーラーだぽん』
「ルーラー?」
『聖杯戦争を裁定するクラスだぽん。ファルはその伝達係。それ以上でもそれ以下でもないぽん。
 ある時代では別の魔法少女に仕えたことがあっても、今のファルは裁定者の魔力で現界しているぽん。
 サーヴァントがイコール生き返った英雄本人じゃないのと同じで、ここにいるファルも魔法少女アニメに自分をモデルにしたマスコットが出演してるような感じだぽん』

釈然とはしないまでも、その説明でどうにか理解はできた。
どうやらこの戦争に、スノーホワイトが関係しているわけではない。
その可能性が否定されたことで、少しは昂ぶっていた気持ちも落ち着く。

奈美が黙り込んだのを待って、ファルは『ヘドラ』とやらの説明を再開した。
これまでに何回も繰り返してきた文言をまた復唱するように、慣れたものだった。

『報酬はクエスト内での働きに応じて令呪一画、とどめを刺した主従には二画。
 既に発令されている討伐令よりも、優先度は上ということですぽん』

言い切ると、マスコットキャラクターは消える直前にその輪郭をノイズで揺らめかせた。
まるで、もっと言いたいことがあると迷って、そしてできなかったかのように。

その不安定な揺らめきを見て、奈美の心はやっと落ち着いた。

少なくとも――今のファルは無慈悲な戦争運営者の命令を聞くだけの存在かもしれない。

だが、決してスノーホワイトと共にあった時のファルから変わってしまったわけではない。
マスコットキャラクターとは、『正しい魔法少女』の仲間で、困っている人達を助けるものだと聞いている。
かつて、スノーホワイトがファルと相談して事に当たっていた姿は、幼い頃にアニメで見た『正統派魔法少女』の姿そのものだった。
あの『正義』が、仕える相手しだいでそうそう変節するものではないと信じたい。

その証拠に、あのファルは『自分の仕えている主はスノーホワイトではない』と証言した。
本当に心から『ルーラー』に仕えているのなら、わざわざ『ルーラーの正体はこの人物ではない』と発言する必要はない。
英霊は、知識の上では生前の記憶をすべてぼんやり覚えているという。
ファルも同じなら、スノーホワイトのことを悪く言われることが嫌だったから、『スノーホワイトがご主人さまでは無い』とわざわざ言及したのだろう。

これでも、人間観察力だとか人を見る眼はある方だ。田中先生は見誤っていたじゃないかと指摘されたら言い訳しようもないけれど。
ファルは人間ではない。判断するには表情も声質も容姿も欠けている。
しかし、それらを差し引いた上で判断しても、悪意を持って通達をしているようには見えなかった。
だから、奈美は仮説を持った。
聖杯戦争の運営者は、一枚岩ではない。
少なくともあのマスコットキャラクターが、本意からルーラーに協力しているとは思えない。
この仮説をどう利用すべきかはまだ見えてこないけれど、これは青木奈美だけが手に入れた、自らを有利にするかもしれない手がかりだ。

一方で、通達された内容の方はただならぬ案件だった。
ヘンゼルとグレーテル以上に、優先して打倒しなければならない主従がこの地にいるという。
しかも、このまま看過すれば、このK市がまるごとヘドロに飲まれて消滅するかもしれないときた。
これは、『討伐令に参加するマスターの背中を狙う』という方針をかためたそばから、方針を転換しなければならない、かもしれない。
奈美が『ヘドラ討伐令に従おうとするマスター狩り』をしたところで、いずれ他のマスター達が『ヘドラ』を打倒して戦争は問題なく続いていくし、大勢に影響はないという可能性もある。
しかし、もし奈美が介入したせいで『ヘドラ討伐』が遅延して取り返しのつかないことになれば――奈美自身の行動のせいで、ヘドラが聖杯を獲得するか、聖杯戦争そのものが潰れましたなんて、最悪過ぎて笑えない。

まずは、念話でアーチャーに連絡しよう。
まだアサシンの起こした殺人事件についての調査はまとまっているか分からないが、それどころではない事実が判明したと相談しよう。
『そんなことを言って、外道な行為に手を染めるのを先延ばしにする口実が欲しいだけなんじゃないですか?』とか嫌味の一つでも言われるかもしれないが。
余計な心配は、無用だ。
そんな口実を欲しがるなど、もう諦めた。
私は、正しい魔法少女には、なれない。


♠  ♥  ♦  ♣


「やっぱり、家の外から見張ってても何もならないのかなぁ……」

右隣を不動産屋に、左隣を1階はカフェ、2階は探偵事務所というビルに挟まれた――ちょっと外装に年季があるけれど、ごく住み心地は良さそうなお宅。
表札に『松野』と書いてあるそんな家を、越谷小鞠と霊体化したセイバー・リリィは左隣のビルの影に隠れながら見張っていた。

なぜなら、マスターと思しき赤いパーカーの青年の跡をつけていけば、そこに帰宅したからだ。
もっと言えば、その青年が殺し合いに積極的ではない話し合いのできる人だったら、協力してもとの世界に帰りましょうと、同盟を持ちかけるためだ。
さらに言えば、それは下校の道すがらにリリィと話し合って、『次に学校みたいな事件が起こった時のためにも、いざという時に頼れる同盟相手がいるといいですね』と確認したからだった。
いや、ステータスを目視した限りでは、いざという時に戦いで頼りになるようなサーヴァントだとはとても思えなかったのだけれど。
それでも『殺し合いの世界で生き残らなければならない』というプレッシャーを幼い身空で背負っている小鞠にとって、同じ目的を持っている、しかも立派な成人男性のマスターと出会えれば、どれほど心やすらかになるだろうか。
リリィもそうであればと思っていたので、『あの人と話してみたいです』という小鞠の決断に賛同してここまで来た。

「それに、あの人って本当に大丈夫なのかな……さっきも道端に落ちてた五円玉を見つけて、『やっりぃ!』とか言ってぴょんぴょん喜んでたような人だし……」
『大丈夫。私もこれまでの道中で観察していましたが、目を見れば分かりますよ。
 私の修行の旅路でも、同じ目をした方々に出会ったことがあります。
 どの方もこころよく『訓練中のトラブル』だとか『くんずほぐれつの密着』とかさえあれば満足だとかで、無償で真摯に稽古をつけていただいた、いい方達でした』
「リリィさんそれ大丈夫だったんですか!?」

その人達と比較されるのって、わりと最底辺同士の争いのような……。
修行の旅とやらがぴんとこない小鞠でも、そう思う。

『それに、先刻の通達は彼の元にも届いているはずです。
 今や、ほぼ全てのマスターにとっての脅威は『ヘドラ』とやらを倒すことにあるでしょう。
 それならば、立場を決めかねているマスターの方であっても、協力し合えるのならばそうしようと言う気持ちに傾いているのではないでしょうか』

希望的観測ですけどね、と小鞠のサーヴァントは付け加えた。
慰めるようなその言葉を聞いて、小鞠の心も少しずつ軽くなっていく。
そう、大丈夫。たとえ何かがあったとしても、この人は私を守ってくれる人だ。

しかし、あのニュースで報道されていたことはやはり現実だったのだと思い出したのもまた確かだった。
あれを放っておけば、この世界中があのニュースのようなヘドロに変わってしまうかもしれない。
小鞠も、クラスメイトも、セイバーリリィも、この世界の越谷家も。父も母も。卓も。夏海も……そんなもの、想像したくもない。

『コマリ、扉が開きました』
「あ、本当だ、出てきた……」

また出かけてきマッスル!と大声が響き、『さっきの青年』が姿を現した。
今度は、少女のサーヴァントは連れていないようだ――霊体化させている可能性もあるが。

「い、行きましょう。リリィさん」
『はい、お供いたします』

青年は左肩にグローブのぶらさがったバットを担ぎ、右手には野球の硬球を握ったまま弾んだ足取りで歩いていく。『十四松』とネームの入った野球のユニホームを着ていた。
さっきは赤いパーカーだったのに……運動するから着替えたのだろうか。
しかも、帰宅した時とはどうもテンションが違っている。
変な人だ、と思いながらも、小鞠とリリィはこそこそと青年に追いすがった。
どこか人目につかない場所にでも行けば、そして善良な人格の持ち主だと確信が持てれば、話しかける機会が見つかるかもしれないと期待して。


――その青年が、先刻まで尾行した青年とは別人だということに気付かないまま。


♠  ♥  ♦  ♣


予想はしていたが。
やはりというか、マスターはいまいち理解していないようだった。

「それって、1人で全員倒すのは面倒だから協力しましょうってことだよね?
願ったり叶ったりじゃない?」

そんな単純な話だったならばどれほど良かったか。
ひとまず、ハートの3を霊体化させずに帰って来るなんてあまりにも不用心だと説教――もとい忠言をして、その『同盟の申し入れ』がいかに怪しく油断ならず危険なものであるかを、マスターにも分かるように強く再説明する。
どちらかと言えば、ジョーカーこそ『なんで俺がわざわざ交渉に出向くような事態になったんだ』と怒られる覚悟をしてきただけに、拍子抜けを通り越して呆れるものがあった。

『あまりに危険が過ぎます。
 いずれ敵対することは必定の関係であるにも関わらず、マスターの御身を晒すように脅迫し、一方相手方はマスターの身を晒すことを恐れておりません。
 マスターを暗殺するための企みを持って交渉の席を設けたのだという疑いもあります』
「……でも、俺のことはシャッフリンちゃんが守ってくれるんだよね?」
『それは当然。どんな奇襲、搦め手にも対応できるよう、壁役のハートとスペードの精鋭たちで御身を固めますゆえ。交渉の際に選ぶ言葉も、慎重に吟味いたします』

マスターの家族が部屋に乱入してくるリスクがあるので、会話は霊体化を通して行っている。
虚空に向かって嬉しそうにペラペラと1人会話をしている姿は、これはこれで頭のおかしい人間の振る舞いかもしれないが、
マスターは周囲からも馬鹿だと思われているのが共通認識のようなので、変に怪しまれることはないだろう。

「要するに、交渉はジョーカーちゃんがアドバイスしてくれるから、俺はうんうん言って話を聞いて、それから相手のマスターと仲良くできるようにお喋りすればいいんでしょ。
 それぐらい大丈夫だって。やること無くて退屈してたから、役に立てて嬉しいし」

だから、退屈とかそういう問題では無いのであって。
また言葉を尽くそうとしたが、マスターが切り出す方が早かった。

「あのさ、ジョーカーちゃん」

いつになく静かな声だった。
契約してから、初めて聞いたかもしれないぐらいに、しんみりとマスターは言った。



「…………なんか、ありがとうね?」



思わず、まじまじとマスターを見てしまった(霊視なので視力は良くないのだが)。
もしかすると、すごく唐突で、かつ意外な言葉を聞いたのだろうか。

「いや、俺はいいんだけど、シャッフリンちゃんたちはこの『戦争(ゲーム)』をやってる間だけの命なわけでしょ。
 それなのに『マスターだから』ってだけで、俺のために命張ってくれて、今も全部俺のために盾になろうって考えてくれるわけじゃん?
 俺、今まで足を引っ張る連中はいたけど、そこまでしてくれる相手っていなかったから」

照れたように、後頭部をぼりぼりと掻きながらそう言った。

『……恐れ多くも、ありがたきお言葉』

驚いた。
最初の『俺はいいんだけど』という言葉は不可解だったけれど、マスターがここまで真摯な言葉を発するとは。
生前のシャッフリンは、主人から一応は褒められたことこそあれど(その褒め言葉も半分は主人自身の手柄でもあるかのように話したものだが)、感謝の言葉を向けられたことなど無かったのもある。

「それで、さっき『ファル』とかいうのが言ってたことなんだけど」

切り替えるように、ニヘニへと明るい口調に戻ったものだから、つい話題に釣りこまれてしまった。

「シャッフリンちゃんだけでは、あのヘドラってヤツは倒すの難しいって言ってたよね?
 だったら、もし、『同盟』が成功すれば、協力してヘドラを倒すために何かできないかな?」
『…………』

これもまた意外だ。
マスターの口から、己が働きかけることで状況を変えたいのだという意思が出てきた。
マスターは確か、シャッフリンがヘンゼルとグレーテルを狙って討伐令に参加しようとした時は反対していたはずだ。

『先方のサーヴァントの耐久力は、我々の最大攻撃力をはるかに上回る頑健さを有しておりました。
その防御力をヘドラに対しても適用できるようであれば、あるいは対抗策の一つになり得るやもしれません』
「そっか……じゃあ俺、やっぱりその『同盟』に賭けてみたい。
 スペードちゃんやハートちゃんたちも危ないけど、頑張ってくれるかな?」

しかも、『どうしても討伐令のヘドラを倒したい』ともとれるような意気込みを伺わせている。
どちらかと言えば喜ばしい意気込みだが、いったいどんな心境の変化があったのか。
はばかりながら、シャッフリンはおそ松へとその理由を尋ねた。


♠  ♥  ♦  ♣


『殺します。殺す以外にない』

マスターからの念話が届いたので、アーチャーはこちらからも報告したいことがありますと断りを入れた。
デリュージは『まさか、また誰かと接触したんですか?』とけげんそうなコメントをした後、ではまずはそちらから、と続きを促す。
しかし、『複数個体で一つのサーヴァントを為す、トランプのマークを身に着けた幼い少女たち』という特徴を伝えたとたんに、そのマスターは豹変した。

『そいつらはこれから図書館に来るんですね?
 私もすぐ向かいます。皆殺しにしましょう』

そう言い切った青木奈美の語尾には、笑っているかのような震えがあった。
アーチャーは、奈美が笑っているところなどこれまでほとんど見たことが無い。
しかも、似たような声で笑っていた子どもなら覚えている。
レーベンスボルンで目にした『失敗作』のソレに似ていた。それも、仲が良かったべつの『失敗作』を失った者のソレだった。

『えー……お断りしておきますが、仮に同盟を結べたとすれば、他のマスターを探すのに大いに有利になる他、情報収集力の強化、戦力の大幅増加、マスターを奇襲できる可能せ『殺します』

皆まで言わせなかった。
ここまで憎悪に満ち満ちた声を聴いて察せないほど、ヴァレリアも愚かではない。

『奈美さん、お知り合いですか?』
『…………敵です』

『敵』だと答える前に、言葉を選ぶような沈黙があった。
『最悪の』とか『最低の』とか『忌々しい』と言った形容を付けようとして、そのどれもが彼等を表現するには生温いと判断したのかもしれない。

『それは復讐ですか?』
『いけませんか?』

むべもない。
彼女が、奪われたものを取り戻すためにここにいることは知っている。
それを奪った悪しき英雄が、あのトランプ兵士たちだったということなのだろう。
それも、よほどデリュージにとって残虐な奪い方で。

恐ろしい偶然があったものだ、とヴァレリアは念話では表すことなく独りごちる。
確かに、青木奈美の意向次第では、アサシンたちを最初の生贄にするという計画に路線変更することも考えてはいた。
しかし、そうなることも考慮して、初めてマスター立ち合いの元に本格的な接触をした最初の主従が、まさかマスターにとってこれ以上ないほど因縁の強い仇敵だったとは。
それとも、マスターとサーヴァントを引きあわせた聖杯とやらがそのように『選ばせる』ことを期待して配置したことだろうか。
だとすれば、聖杯はまるで黒円卓の副首領閣下のように性格が悪い。

『念のために確認いたしますが、我々の目的は聖杯を獲得して願いを叶えることであり、復讐ではない。
 聖杯を手にすることができれば、仇もなにも、奈美さんの喪った者はそっくり取り戻せることでしょう。
 そして、彼等と同盟することにはメリットがあり、敵に回すことには高いリスクがある。
 付け加えるならば、サーヴァントはただの英霊の座から限界した霊体――戦争が終われば『座』に戻るだけの複製品であり、仕留めたとしても『殺害した』ことにはなり得ません。  
それでも、敢えて復讐に命を賭けますか?』

自分で言うのもなんだが、これだけ長い前置きと念押しを、青木奈美はおそらく我慢して最後までは聞いてくれた。さらに、一考してくれるような間もあった。
そして、答えは変わらなかった。

『仕留めます。昔の私は、あの連中を怖いと思っていた。今ここで、そこから逃げる選択肢はない。
 それに、連中もサーヴァントなら、マスターを勝たせるために動いているんでしょう。
 人の仲間は殺しておいて、自分のご主人さまは幸せにしたいなんて、そんな身勝手は許せない』
『逃げない……ですか。なるほど』

ヴァレリアにとっては、悪くない答えだ。
そして彼女は、私情に憑りつかれているいるだけではなく、それが己を変えるために必要だと自覚している。

『では彼女らのマスターは? おそらく貴方がたの因縁とは無関係ですが、道連れに殺害しますか?』
『どのみち、聖杯を獲るためには殺すことになる相手でしょう?』

学校で会った時とうってかわって、殺意を剥き出しにしたデリュージは頼もしく、危うい。
当初は『聖杯を手に入れるためならば何だってする』という志だったけれど、既に『トランプのアサシンを殺害してから聖杯を手に入れる』という目的に変質しているようにも取れる。
ならば仕方ない。
この復讐が遂げられれば、彼女は真の意味で修羅に落ち、地獄道を共に歩める共犯者となっていることだろう。
自分が手綱を握り、マスターを操って、復讐劇の筋書きを書かせてもらうしかない。

『では、私に策を委ねていただけますか?
いくら何でも、これから行われる会談の場で100%彼女らを皆殺しにする前提で事を進めることは難しい。
なぜなら、敵は何人いるかもわからな『53匹です』
『失礼、53名のサーヴァントとそのマスターを2人で相手することになるのですから、正面から迎え撃つわけにもいかない。
そもそも私の宝具は、私自身への攻撃ならばいざしらず、私以外の者を護ることには向いていない。
であるなら、頭を使い、順を追って彼女らを追い詰める段取りが必要だ。それはデリュージにもご理解いただけますね?』

敢えての魔法少女名で呼び、その現実を確認する。

『分かりました。ただし、策については全て私に聞かせなさい。
 回りくどい手を使うのは構いませんが、近い将来に必ず連中を滅ぼすこと。
 ここで令呪を用いることまではしませんが、それに匹敵する命令だと思いなさい』
『無論』

これでも聖杯を獲るという願いのために憎しみの暴走を抑えているが、それも決して長くは無いことが暗に伝わる。

『では教えてください、マスター。あの兵士たちの総数を。戦い方を。能力値を。弱点を。知っている限りの全てを』
『当然です』

彼女は既に、正しい魔法少女の道を放棄している。
馬鹿正直に討伐令に加わるのはもったいない、と指摘された時はあれほどに不快感を示したサーヴァントからの助言を、今や自ら恃んでいる。
ヴァレリアにとっても、良い傾向だった。

『アーチャー。初めて貴方に感謝しています。
あの復讐相手と、私を繋ぐ接点を作ってくれて』

生前は、滅多に前線には出たことのなかった黒円卓の第三位にして、首領代行。
その本領は、戦場での活躍よりも、策謀を用いての暗躍にあった。
人の行動を操り、選択肢を奪い、罠へと追い込み、潰し合わせる。
何よりこの聖杯戦争では、サーヴァント自身が強固でも、マスターを切り崩すという手段が使える。
信頼していたり、愛し合っている組み合わせだからといって、彼に引き裂けない関係など存在しない。


♠  ♥  ♦  ♣


「魔法少女ってことは……『トゥインクルシスターズ』みたいなのだよね!
 ほら、今夕方に再放送やってるアニメの……」
「あっ、その再放送ならわたしも見てるよ! 主人公が緑のヤツだよね」
「良かった、話通じた! わたし、アレに出てくるトゥインクル・ブラックが好きなの。
 いつもは主人公と距離置いてるんだけど、ものすごく強くて……オレンジのカズホとはまた違う意味でかっこいいお姉さんキャラだと思うの」
「うん、ピュアエレメンツでも、黒は一番お姉さんのプリンセス・クエイクの担当なんだよ。
 かっこいいリーダーで、恋愛相談とかも余裕で乗ってくれて……やっぱり黒ってクールなお姉さんポジがやるものだよね」
「うんうん。すごいなぁ、本物の魔法少女だぁ……鳴ちゃんもシスターズではブラックが好きなの?」
「んー……わたしは緑かなぁ。自分の衣装も白だけど緑色も入ってるし。でもブラックのあのキメポーズかっこいいよね」

「「邪悪な存在は、私が黒に塗りつぶす!」」

びしぃっ、と両手をクロスさせた決めポーズを同時に決めて、小学生二人が同士を見る眼で互いを見つめる。
ランドセルをおろして公園のベンチに座りながらだと、大学生のお姉さんが近所の子どもを相手に遊んであげているように見えなくもないけれど。

「えっと、蛍ちゃん。私もそういうアニメとかは昔見てたし好きだけど、今は聖杯戦争の話をした方がいいと思うなぁ」
「そうだね。もう夕方だから、せめてこれからの予定はまとめておきたいし」

互いの後ろに立っている中学生くらいの少女と、十代後半ぐらいの青年が苦笑いしながらそうとりなすと、小学生2人……一条蛍と、『東恩納鳴』と名乗った少女は、すなおに「「ごめんなさいっ」」と謝った。

最初はお互いの自己紹介から始めましょう、と簡素に始まったはずの話し合いは、気が付けばずいぶんと長引いてしまっていた。
遊具の下から地面に伸びている黒い影はだんだんと細長くなり、遊具自体も黄昏色にやわらかく包まれ始めている。
遊具と言っても、ブランコと滑り台と鉄棒と砂場――あとは木製のベンチが置かれた東屋ぐらいしかない。
どこの住宅街にも一つは設けられているような、子どもの遊び場所だった。
さすがに中学生ならまだしも小学生がこの物騒な時期に外で遊ぶのは推奨されていないらしく、子ども達もちらほらやって来た程度で、この時間帯ではそれもいなくなった。

「『これからの行動』って言われても……」

東恩納鳴が、言いにくそうに言葉を途切れさせた。
あ、まずい。これ話題を振られるやつだ、と身構える。

「そっちの人がどうするかだよね?」

やっぱり振られた。
東屋の外で少女たちと目を合わせないようにしながら猫たちに猫じゃらしを振るっていた
『そっちの人』――もとい、松野一松はあからさまに狼狽した。
東屋の中に立っているシップの方を必死に睨んで『俺の言いたいこと分かるよな?分かってくれ。頼む』と目線で懇願する。
彼のサーヴァントは、やれやれという顔で代わりに答えてくれた。

「あー……あたしらも依頼主のマスターには、自分達がマスターだってばれたくないんだわ。
 だから、あからさまに『バイト』のアタシらまで怪しまれるような報告をするのは避けたいっす」
「でもでも、その『フラッグコーポレーション』さんに問い合わせたら、依頼をした人って分からないのかな」

シップと同年代ぐらいの外見をした『ブレイバー』とかいうサーヴァントが、おずおずと尋ねる。向こうもシップを同い年かそれ以下ぐらいだと判断したのか、敬語は取れていた。
ちなみに、外見もシップは黒いセーラー服であり、ブレイバーは白いスカートと灰色のセーラーの中学制服を着ているので、(最初に現界した時は緑色のきらびやかな衣装だったけれど、目立たないように人間らしい格好にもなれるらしい)この二人だけなら中学生同士の会話に見えなくもない。

「いや、それは無理があるっしょ。いくらウチのマスターが社長の知り合いだって言っても、プライバシーの保護とかあるし。秘密厳守もばっちしって感じのデカい会社だったし」

シップが『だよね?』と確認するようにこちらを見て首をかしげたので、ぶんぶんと首を縦に振った。
心なしか、その場にいる二組四名の視線が『この男の人は自分で話せないんだろうか……』という感じに刺さってくるので、一松はもう何度目かもわからない後悔の念に襲われた。
本当に、こいつらの尾行を継続するんじゃなかった。
せめて、学校にランサーのマスター――ステータスがやばい――が来た時点で、すごすごと引き返すべきだった。

いや、実際にそうするつもりだった。
しかし、ぽかんと驚いていたマスター同士がやがて何やら話を始め、二人(迎えにきたサーヴァントも入れて計三人)で校門を出て行くのを見て、気づいてしまったのだ。
これ、ハタ坊になんて報告すればいいんだろう。
一日、二日尾行してみましたが、何も異常は見つけられませんでした。
争い事に関わりたくないならば、そう報告して身を引くのが賢明だ。
なんせ、ハタ坊に依頼をした人物はマスターである可能性が高い。
自分はただのバイトで雇われた調査員であり、決してマスターではありませんと、そう怪しまれない報告をしなければならない。
しかし、だとすれば。
この後、もし――小学生たちは見たところ友好的そうだけれど――万が一にでも二人が戦いになったりして、どちらかが脱落したりすれば、『一条蛍の身辺には怪しいところは何もありませんでした』と報告したりすれば、きわめて胡散臭いものになってしまう。
せめて、この二人の接触がどうなるのかは見届けよう。
シップと二人でそう結論づけ、追いかけて小学校から出た。
しかし、とっくにばれていたらしい。

『いったい何の目的があって僕たちを尾行していたんですか?』

話し合いのために公園についた時点で、男性のサーヴァントから『そこにいるのは分かっている』と睨まれた。
そしてランサーを名乗ったサーヴァントにあれこれ尋問されたり、
その途中に『ファル』とかいう変な生き物が出てきたり、
『ヘドラ討伐令』の説明があって皆が驚いたり、
とにかく互いに戦う意思がないことを確認したり、お互いのサーヴァントやら行動方針やらを説明したりして、今に至る。
ちなみに、情報交換だけでここまで時間がかかった理由の一つめは、ファルの『討伐令』という予想外の報せがきたからであり、
二つ目は、好奇心旺盛な小学生二人が魔法少女やら勇者やらの話で盛り上がったからであり、
三つ目は、一松の応対があまりにしどろもどろだったせいだ。
結局、遣り取りのほとんどはシップに押し付けたままだ。
せめてサーヴァントには1人でも男がいて良かった。
これで自分以外は全員女の子に囲まれたりしたら、絶望しかない。

『なぜ彼女たちがサーヴァントだと分かった?
いやむしろ、なぜ貴方は小学生の個人情報の資料なんかを持ち歩いていたんですか?』

もっとも、その紅一点ならぬ白一点の追求がいちばん厳しかったわけだが。
とても困った。
アルバイトとはいえ、身辺調査をしているのに依頼主について明かすなど言語道断。
ましてやバイトの話を持ってきたのは、NPCとはいえ幼馴染のハタ坊であるし、おいそれと情報を吐きだすわけには……。

『答えなければ、敵性マスターとして僕たちを探っていたと思われても仕方ありませんよ?』

はい、ばらしました。
やはり一松は、旧知の仲との信頼関係よりも保身を取る人間だった。
だってこのランサー、見た目年下なのにめっちゃ眼が怖いし。
語調は静かだけれど、有無を言わせぬ圧迫の仕方を心得ている感じもするし。
やはりサーヴァントというからには、ヤの付く業界かそれ以上に『そういうこと』には詳しいのだろうか。

「では、松野さんに聞きますが、その『一条蛍の身辺調査』……報告の期限はいつまでですか?」

そのランサーからシップをすっ飛ばして質問が来た。
しどろもどろになりながらも、答える。

「い、いちおう……明日の夕方には一度報告を入れる、って言った……と思う。
 ハタぼ……社長は、何日も時間かけたくないって言ってた」
「では、相手方もギリギリ明日までは不審には思うまいというわけですね。
 ヘドラという目下の脅威もある以上、二面に敵を抱えるのはこちらも避けたいところです」
「じゃあ、まずは先にヘドラをやっつけましょう。蛍ちゃんも、それでいい?」

ブレイバーが、自らのマスターへと確認するように問う。

「はっはい、正直、今でもちょっと怖いけど、その『ヘドラ』を放っておいたら、明日にも町が危ないんですよね? 私もそれがいいと思います!」

両手を拳の形にして胸の前でぎゅっと握り、蛍が何度も頷いた。
魔法少女トークのこともありすっかり元気になった――風にも見えるけれど、まだ目元には泣いた痕が赤く残っている。
なんせ、『どこかのマスターがあなたに目を付けて、あなたに関する全てを探り出すように依頼したんですよ』という話を聞いた時は大変だった。
『私がなにか狙われるような失敗したんでしょうか』とえぐえぐ泣くものだから、ランサーとブレイバーと鳴が三人がかりで落ち着かせた。
ただの小学生(見た目はともかく)が、いきなり『殺し屋(みたいなもの)に目を付けられました』と宣告されたのだから、そうとう堪えるものがあったらしい。
鳴もすっかり蛍のことを保護対象だと見なしたのか、ませた口ぶりでに会話に加わった。

「んー……わたしは先に『討伐令』されてたアサシンも気になるけど、でも目の前の蛍ちゃんを守る方が先だよね。
一番がヘドラで、二番目が蛍ちゃんを狙ってる敵を倒す。それでいいよ」

すっかり『蛍ちゃん』と呼ぶようになっている。
彼女のいた子ども会では、中学生であっても子どもは一律に君付けちゃん付けで呼び合っていたのだそうだ。

「ありがとう鳴ちゃん。狙われてるのは私なのに、守ろうとしてくれて」
「これでも魔法少女だもん。それに、狙われてるのが分かってるなら、やっつけちゃうのも難しくないよ。
 魔法少女のアニメでもよくあるじゃん。悪の組織に情報を盗まれてるのを逆に利用して、嘘の情報でおびきよせて嵌める展開!」
「そっか、そうだよね。そういう作戦なら、狙われてる私でも役に立てるかも!」

互いに命懸けだとは分かっているだろうに、微笑ましい作戦会議が交わされている。
きっと、予選期間の間にも悩んだり役に立てることを探したりしながら、生きて帰ろうとする覚悟を固めてきたのだろう。
子どもなのに強いのか。あるいは、子どもだから正義は勝つのだと夢を見られるのか。
どっちにしても、彼女らはよいこたちだと思う。

それに引きかえ、松野一松はゴミだ。
子ども達がこんなに頑張っているんだから、大人である自分も……などと思えるほどに、人としてまっとうにできてない。
どうせ戦っても生き残れないのだからと諦めて、少しでも長くモラトリアムできる場所を探すうちにここに迷い込んでしまった。
今でも、悪いサーヴァントの打倒計画が練られているというのに、『俺もぜひ参加させてください』とも、
『悪いな。俺は自分の身が一番可愛いから抜けさせてもらうぜ』と拒否することもできずに、居心地悪く座っている。
むしろ、その場が『みんなで力を合わせて一緒に生き残ろうね』という空気で盛り上がっているからこそ、いっそう自分の道には先が無いように感じていた。
ヘドラとやらがどんなものか、見たことはない。
けれど、サーヴァントたちがファルを詳しく問い詰めたのと、シップが『深海棲艦』について知っていたことから、具体的な恐怖として知ることはできた。
予想するのは、簡単だ。
ソレの討伐軍にシップを参加させたりしたら、絶対に死なせてしまう。
ヘドラだけでなく、たいていのサーヴァントに勝てそうにないことは、ランサーやブレイバーのステータスを見るうちに察してしまったけれど。
たとえ他のサーヴァントと力を合わせて突撃させたところで、火力も圧倒的に足りていないらしい彼女では真っ先に溶かされるポジションに収まってしまうか、海岸付近で雑魚を相手にどんぱちさせるのが関の山だろう。

じゃあ、自分たちは単独では弱いからと、蛍や鳴たちに保護を求めればいいのかと言えば、その選択肢も決して見通しは明るくない。
メンタルも弱く、猫と仲良くなることぐらいしか取り柄が無いダメ人間のマスターと、
ほぼすべてのステータスがEランクの上に、資材を持たなければろくなサポートもできない船(シップ)。
同盟相手がただの小学生なら、資材の輸送などで役に立てることは無いだろう。むしろ自分たちこそが足でまといにしかならないお荷物だ。
今でこそ――少なくとも『身辺調査の依頼主』の件が解決するまでは――あれこれと話しかけてくれてはいるが、いずれ自分達を重荷に感じて見捨てる時が来るんじゃないか。
見捨てなくとも、同盟を組めばまずシップがウイークポイントとして扱われて、道連れに破滅する主従を増やすだけじゃないか。

「じゃあ、シップさん達には、どんな報告をしてもらいましょうか?」
「できるだけ、相手がぎょっとするようなのがいいんじゃないかな」
「めんどくさ……まぁ、アンタらの都合に合わせるけど、先方に突っ込まれたらボロが出るようなのは勘弁ね」

少なくとも『がんばりますから見捨てないでください』と懇願できるほど、自分の性格が可愛らしくないことは自覚している。
ランサーの追求が厳しめなのだって、頭の中では自分たちに見切りをつける算段をしているせいかもしれない。
こんな人間に生まれ育った時点で、一松は人生の色々な事を諦めてきた。
それは、友達の1人でも作ることだったり、若者らしく合コンに参加することだったり。
クリスマスに出会った恋人の二人を祝福したり、人の好意を素直に受け取ったり、こんなに善良に差し出されている手を取るだけのことだったり。
きっと、この戦争を生き残れるような強い人間がいるとしたら、それは彼女たちで。
松野一松は、ほんとうに、この戦争を生き残れるような人間じゃない。

きっと、この世に要るのはよいこだけだ。

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最終更新:2016年09月03日 09:51